思わぬ再開

「本当は怖い家庭の医学」を見ていて驚いた。
発病の原因が昔読んだ白土三平の漫画そのままだったのだ。
「真田剣流」というそれほど有名ではない作品で
丑三の術という術を使って豊臣方の重臣を次々と消していく怪人の謎を巡り
風魔と服部半蔵(二代目)、真田忍群といった面々が絡み合い
謎が解かれていくというもので、その丑三の術の正体が
ダニによる暗殺方法だったという話だったのだが、
今回の病気の発症例と全く同じだったので何とも懐かしくもあり
木っ恥ずかしい、昔の恋人に会ったような妙な気分になってしまった。
今日あの番組を見て白土三平の漫画を思い出した人というのも
随分とレアな存在ではなかろうか。それにしても私は思春期に
何とも変わった趣味をしていたようである。
今日日経新聞に一億冊突破の広告を出していた「スラムダンク」を
一冊も読んでいない割にレアな白土三平の漫画を読んでいる高校生なんて
90年代にはお目にかかりたくてもかかれないのではないだろうか?
理屈っぽいのはある意味、忍術の原理を論理的に解説し尽くす
白土漫画の影響かもしれない。つくづく変わった趣味である。
2004年08月10日(火)

言うべき言わぬべきか…

朝、ピーコが発した日本の若者が中国に対してやったことを習ってない云々
の発言を聞いて思ったのだが、私たちの世代は嫌というほど
日本の行った(と言われている)蛮行を見せられてきたように思う。
刑場での首チョンパ写真、生首をさらした写真、
爆撃で被害に遭った人々の死体を写した写真などなど。
(これらの写真のほとんどが間違った伝承であることが現在わかっている)
何しろ日本が悪い日本が悪いと教えられてしまいには
「原爆を落とされたのは日本が悪かったからだ」
というような認識にまでたどり着いてしまうほどである。
残念ながら原爆を落とされたのは人体実験のためだった。
何しろドイツで戦局が長引いたとしても落とさないと明言しており
日本に落としたのは我々日本人が黄色人種だったために
人間として見られていなかった向きがあるからだ。
自由国家アメリカがそんな露骨なことをすることが無いと思うかもしれないが、
国内での黒人差別が激しかったことを考えれば納得がいくであろう。
黒人初の大リーガージャッキー・ロビンソンが陸軍にいた時代に
人種差別が元で不法な軍法会議にかけられたことがあるくらいである。
話が逸れた。
実のところ80年代生まれ以降の若者は先の戦争に関しては
全面的に日本が悪いという方向で教えられており、
日本が中国に対して行ったことを知らないなんていうことはありえない。
非常に貧しい歴史認識ながら日本は悪いことをしたという感覚があるのだ。
しかし歴史感覚という点で言えば中国はもっと凄い。
何しろ現在話題になっている中国の若者は文化大革命を知らないそうなのだ。
文化大革命云々については詳しくは書かないが我々が教えられた
日本軍が行った(らしい)蛮行を超える残酷な地獄絵図が繰り広げられたのだ。
例えば(筆舌に尽くしがたい残酷な描写が含まれているため自主規制)
ということがあったのである。身の毛もよだつ恐ろしい話であるが、
同じ人間としこのような残酷なことが行えるものなのかと疑ってしまう。
だからこそ先日の決勝戦の後で日本人の内臓が切り取られて
我先に奪い合いになってその肉を食らうといった最悪の事態が免れ
ホッと胸をなでおろしているのである。
マスコミが白熱していたためにこの問題を取り上げるのをやめていたが、
朝のピーコの発言は平和教育と称したスプラッタ教育でトラウマになった
私からすれば聞き流せない発言だったのである。
日本の平和教育だって大概性質が悪いことくらい知っておいて欲しいものだ。
原爆による熱線で人間が溶けたり、目が飛び出てただれ落ちたり
皮膚と肉が焼け剥がれてそれを垂らして歩いている人々といった
残酷描写満載の「はだしのゲン」を給食前の4時間目に見せるなんて
嫌がらせ以外の何者でもないと思うんだが…
2004年08月09日(月)

スピッツの曲に…

「梅干食べた〜い」みたいな曲があったけど
今の自分は「たこ焼き食べた〜い」な気分です。
要するにお腹が空いているのだ。
さてたこ焼きというと粉もんであるけれど、
たこ焼きをおかずにご飯を食べたことはありますか?
私はあります。炭水化物だらけですが大阪人なら常識です。
ならお好み焼きをおかずにご飯を食べたことはありますか?
私はあります。炭水化物だらけですが大阪のスタンダードです。
ではうどんをおかずにご飯を食べたことはありますか?
やっぱり私はあります。炭水化物だらけですが大阪の食生活の基本です。
大阪人は炭水化物しか取ってないのかとお思いの方もおられますが、
事実炭水化物しか取ってないのです。だからあんなにアホなんです。
動物性たんぱく質を取らない分野性の力に欠けて頼りないのです。
でもその分おっとりしてるのも確かでそれも炭水化物食の成せる業なのです。
それにしてもたこ焼き食べたい…
2004年08月08日(日)

浮世離れはなはだしい話

浴衣の帯が結べない…
旅館などの比較的柔らかい帯は結べるのだが、
角帯の場合は結べないのだ。
そのため特訓。
しかしながら細すぎる自分。
細い人は三巻きという話だったのだが
細すぎるためにもう一巻きくらいいけそうである。
どうも角帯は結ぶのが難しい。
悪戦苦闘…なんとか結び方をモノにした。
それにしても旅館以外で浴衣なんて何年ぶりに着るのだろうか。
もうそんな浴衣がどうのこうのなんて縁が無いと思っていたんだが…
そういえば「しばわんこの和のこころ」で帯の結び方ってあったっけ?
2004年08月07日(土)

ギャグの人

とある集まりの飲み会に参加したのだが、
このとある集まりで私は「ギャグの人」になってしまうのだ。
普段よりもさらにギャグの勘が冴え渡り笑いを誘うのだ。
人が何か言うたびにそれをギャグに変換してしまう。
自分から何か言い出してもそれをギャグに昇華させてしまう。
この状態には自分でも驚いている。普段も冗談は欠かさないけれど
この集まりに行くとギャグが3倍増しになるのだ。
思うにギャグの言いがいがある集まりなんだと思う。
何かのリアクションに対して必ずツッコんでくれる。
普段、例えば学校などでは必ずツッコんでくれるとは限らない。
恐ろしい時はボケたのをそのまま受け取ったりする人まで入るくらいだ。
やはり環境というのは大事なんだなと思わせてくれる集まりである。
2004年08月06日(金)

はりつけ!?

ピロウズのFool on the planetツアー以来となる京都磔磔に行ってきた。
ライブのことに関しては後日第二日記に書くけれど、
二回目に気付いたのは前回感じた時と比べて随分と狭かったこと。
初めての時はオールスタンディングで満員になっていたため
正確な大きさがわからず、それこそキャパシティが400はあるかと
密かに思っていたのだが、何てことは大きさだった。
しかし落ち着いて見れたことで気付く点が多かったのも確かだ。
まず雰囲気が渋い。渋すぎるくらいに独特の空気感を持っている。
拾得と双璧をなす京都屈指のライブハウス、
おまけに30年の歴史を持つ老舗は伊達ではない。
倉を改造した建物からは近代建築には無い落ち着いた趣と
自然の素材を使った建具から出る独特のオーラが出ていた。
そして過去にライブを行った多くのアーティストの遺産たちが彩に華を添える。
今日の出演者も口々にプレッシャーを感じたと言っていたが
それも無理はない。見ているこちらも肩に力が入っていたのだから。
拾得が母なら磔磔は父と言ったところだろうか。
2004年08月05日(木)

セメダインではない

色々と紛糾しているブロスナンのボンド降板問題。
次のボンド役に上がっている候補の名前を見て
少なからず笑いを禁じえなかったのは私だけだろうか。
その理由を各俳優を見ながら紹介していこう。
☆ヒュー・グラント
→まずアクションに向いていない。タレ目の顔でマスクが甘すぎるので
 アクションに臨もうにもどうにも弱そうで画に迫力が出ない。
 おまけにボンドガールがみんな幼女になってしまったりして…
 (何のことかわからない人はヒュー・グラントの過去の恥ずかしい話を
  検索してみよう。彼が何をしたかわかるはず)
☆クライブ・オーウェン
→現在「キング・アーサー」が公開中だがあまりに地味なため
 話題にすらならず。その地味さは気付かれない点でスパイに
 適任といえるがボンド役に適任と言えるかどうか。
☆ユアン・マクレガー
→押しも押されぬ大スター。しかし彼の場合はボンドの前に
 オビ=ワン・ケノービという映画史上に残るキャラクターを演じ
 スターウォーズフリークからは「マスター・オビ=ワン」なんて
 呼ばれているため、これ以上キャラクター俳優になるのは無理かと。
☆ジュード・ロウ
→ショーン・コネリー以来のズラ・ボンド誕生か?
またオーストラリア出身俳優というところで
☆エリック・パナ、ヒュー・ジャックマン
→ハルク(パナ)、ウルヴァリン、ヴァン・ヘルシング(ジャックマン)
 とこれまたキャラクター俳優揃い。
☆ヒース・レジャー
→あの、コイツは「サハラに舞う羽」で腰抜けと罵られて
 羽を贈られてたんですけど…(いや、その後挽回したけどね)
☆ラッセル・クロウ
→乱暴者、ケンカ好きという点でアクションはこなせるが
 ボンドの持つスマートなイメージとはかけ離れている。
といった感じで皆さん帯に短し襷に長しという状態。
ボンド役は英国出身俳優という伝統(一応アイルランドとか
オーストラリア、ニュージーランドは許容範囲内らしい)があるので
それが足枷になってると言えなくも無いけど、せめて
ボンドのイメージを潰さない俳優を選んで欲しいものである。
2004年08月04日(水)

根本的な話

時は明治、政府が国内に鉄道網を敷こうとしていたときの事。
政府側は海岸線に線路を敷くことで議論をまとめようとしていた。
しかしここで待ったの声がかかった。その声の主は陸軍参謀本部の長
川上操六という男。彼の弁では海岸線に線路を敷けば外国と戦争をした際
艦砲射撃によって鉄道網を寸断され陸軍の兵士が運べなくなるとのこと。
しかし海岸線に線路を敷かない場合はトンネルを掘らねばならず
海岸線に敷いた際の3倍の費用がかかってしまうことになる。
何度説得してもこの川上操六という男は首を縦に振らない。
これに腹を立てたのが後に総理大臣となる時の逓信大臣黒田清隆。
薩摩の先輩でもある黒田は「操六!」と一喝し話は表で聞くと言って
腕を捲し上げて川上操六を睨みつけた。薩摩の最年長者でもある黒田は
薩摩式の方法によってなんとか川上を退けたものの
結局鉄道網の一部を山間部に隠すなどの条件を呑むことになる。
しかしこの話、根本的な部分として海岸線の鉄道網を艦砲射撃されるような
そんな状態に陥ればほぼ戦争は負けに等しいのではないだろうか?
海軍が健在であればそこまで攻め込まれることはないはずだし、
瀬戸内などの海岸線が艦砲射撃に遭うような状態であれば
それは確実に負ける一歩手前の状態なのではないだろうか?
このように根本的な部分が抜けていることは現代社会でもよく見られる。
碌な才能も無いのにクリエイティブな仕事がしたいと抜かす若者や
中国頼みの経済、偏執的な中華主義者のブーイングなどなど。
もっと物事を根本から見直してみませんか?
2004年08月03日(火)

無能の礎

中学生へのアンケートで実生活に役に立たない教科として
理科が最高の数字を出したという。
しかしながら理科という教科はそんなに実生活に役に立たないのか?
何も特殊相対性理論を完全に理解しろということではない。
せいぜいが遺伝の法則がどうのこうのや植物の構造などであろう。
それくらいの知識を役に立たないからといって得ようとしない
中学生の狭量にも辟易するが、理科が役に立つか立たないかは
テストの良し悪しによって決まるものではない。
例えばこんな話がある。
アメリカの内陸部で空から魚、しかも海棲魚類が降ってきた。
空には雲が無く、飛行機の航路でもない。
では何故降ってきたのか?
この現象の捉え方によってあなたの科学的思考がわかる。
宇宙人の仕業だろうか?それとも心霊現象か?
そんなことはない。
答えは簡単である。海上に起こった竜巻によって魚が巻き上げられ
上空に達したところでジェット気流に乗り内陸部にまで運ばれた。
ただこれだけの事実である。これくらいは中学程度の理科知識があれば
十分に考えられる結果である。UFOだの心霊現象だのと大騒ぎすることではない。
しかし今の理科離れにメディアによるトンデモ理論の浸透もあり
少し奇妙なことがあるとUFOだ心霊だと大騒ぎするのだ。
なにもUFOや心霊を否定するわけではないが、一つ気をつけて欲しいのは
そのような奇妙なことに乗じてよからぬ事をする輩がいることだ。
不幸続きの人に対して水子霊がついているなどと騙して法外な額を騙し取ったり
という話はよく聞くところだと思う。ましてやオウムなどは
少し冷静な目とちょっとした科学的思考があれば
胡坐を組んで飛んでいる姿を空中浮遊などと言って騙されないはずだ。
もちろんそんな甘言で心が休まる人もいるのだろうけど、
問題はそのやり方である。統一教会の例で見られるように
献金のために膨大な額を貢ぎ、おまけに家族が崩壊したなんていう
とてつもない不幸を抱えている現状から考えて、その心の安らぎというものが
果たして本当の心の安らぎか、幸せかということは言うまでもないだろう。
(もちろんこの問題は根深いので簡単に断定はできないが…)
随分と話が長くなってしまったが詰まるところは
理科という教科によってアヤシイ人たちの考えから身を守ることが
可能であるということだ。これは簿記検定や書道の段取得よりも
よほど実生活で役に立つことではないだろうか。

そもそも勉強というものは実生活に役に立たなければやらなくてよいものなのか?
そんなことを言い出せば私がやっている社会学なんて無の極みではないか。
義務教育で嫌々ながらも様々な教科を受けるということは
将来の労働に向けての初歩的な職業訓練という向きが多いながら、
人一人一人が新しい可能性に接する機会を増やすことにもなるのだ。
突如化学という教科に出会い化学の道を志した上に大発明をして
大きな成功を収めることだってありうるし、理科の教科書で見た
天体写真に惹かれ天文学を志すようになりホーキング博士を超えるような
そんな偉大な科学者が生まれる可能性だって秘めている。
理科に限らずとも古典に出会うことによって平安時代の文学に興味を持ち、
当時の文学書を漫画化し大ヒットを飛ばしたり、俳諧に興味を持ち
正岡子規を超えるような俳句体系を打ち立てる可能性もあるのだ。
短絡的に考えずに長期的視野に立って考えると
若いうちに多くの物事を体験しておくことがいかにその後の可能性を
増幅させるかということは確率論的に言っても正統といえるであろう。
実生活に役に立たないからといってその道をシャットダウンしてしまうことは
役に立たない知識を仕入れて「へぇ〜」と喜んでいる国民とは思えないほど
ナンセンスなことではないか。
2004年08月02日(月)

う〜む…

らもさんの短編小説を映画化した「お父さんのバックドロップ」は
なんと主題歌がスネオヘアーの新曲「ストライク」になるらしい。
生前のらもさんの最後の勇姿にスネオさんの新曲……
原作はまだ味読だがこれは私に見に行けということか?
その前に原作を読めという話ですが。
何だかんだでらもさんの死の衝撃が大きすぎて寝れなかった私ですが、
ここ二日ほどはやたらと寝ております。おかげさまで昼夜逆転生活。
いつまでも悲しんでいたってらもさんが生き返るわけじゃ無し、
それならば足元に遠く及ばないながらもらもさんのように
面白い文章を書いていこうじゃないですか。
世界がどうとか環境がどうとか難しいことはわからない。
けれど笑えることで少しは幸せになれるはず。
少しのユーモアと少しの毒を以ってこれからも書き続けていきます。
それにしても筒井康隆より先に死ぬとは思わなかった。
関西の文壇はますます寂しくなるなぁ…
2004年08月01日(日)

Dag Soliloquize / tsuyo