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LOST IN TIME「きのうのこと」を買ってから何度も聴きこむ。 買った当初はかなり期待していたこともあって 「これはちょっと期待はずれかな…」 なんて思っていた部分があった。何故そう思ったかというと アルバム一枚を通して聴いたあとの感覚がしっくり来なかったのだ。 昨年のベストともいえる仕上がりのClingon「9」や アジカンの「君繋ファイブエム」などはアルバム一枚として とてもまとまっており、一曲一曲が良い曲なんだけど 一枚通して聴くとさらにその良さが増幅するという効果を持ち合わせていた。 今年に入ってからで言えば残像カフェの「4月のことば」がそれに当たる。 今回もその系統で来るのかと思って通して聴いたが 前述のアルバムに比べるとやや見劣りする感が否めないのだ。 個人的にLOST IN TIMEはとても大きな期待をかけているので 彼らの力量はこんなものではないだろうと思ったのが素直なところ。 しかし何度も何度も聴きなおしていくたびに最初に聴いた時の感想が 覆ってきたのである。ということは彼らの曲のタイプは 所謂「スルメ型」ということになる。このスルメ型というのは スルメが噛めば噛むほど味が出てくるように 聴けば聴くほど味が出てくるという楽曲のことである。 このスルメ型で代表的なのが第3期のピロウズである。 スルメ型なために売れなかった所以があるが、 売れること=良い音楽という図式が成り立つわけではないので それはそれで良いと思っている。というかピロウズの楽曲は 飽きっぽい若者に簡単に「消費」されてしまうようなヤワな曲じゃない。 音楽のハートを持つ良心的なリスナーに愛されてこそのピロウズである。 閑話休題。 LOST IN TIME「きのうのこと」というアルバムはつまるところ 何度も聴かなきゃ味が出なかったんである。 もちろんそれは僕が何度も聴いてからでしか良さを聴き抜けなかったという 良音選別のスキルが足りなかったことにも起因するわけでもあるんだけど、 彼らの楽曲ようなタイプもあるからこそ音楽は多様性を保てるのだ。 反対に最初に聴いた時はキャッチーでも何度も聴くと飽きてしまう そんな楽曲があるのも事実ではある。こういう楽曲を総じて僕は 「消費音楽」と呼んでいる。最初のうちはチヤホヤされて 飽きるとすぐにポイっと捨てられて「消費」されてしまう。 代表的な例はB'zなんかがそうである。まぁ、彼らの場合は みんな同じ曲に聴こえてしまう点にも問題はあるんだろうけど…。 そんな「消費音楽」がまかり通る昨今、最近はアーティストも 簡単に消費されてしまう時代がやってきた。 ワンサカと出てくるアーティストも少し流行って人気がなくなれば すぐに契約を切るという形で捨てられてしまう。 代わりはいくらでもあるのだから。鬼束ちひろなんかはその典型的な例だ。 そうした有象無象が集まる音楽業界の中で彼らの楽曲はとても貴重で これからも絶やしてはいけない音楽の流れではないだろうか。 これからもそんな「消費」されない良い楽曲のアーティストたちを 探して聴き続けていきたいと切に思う。
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2004年06月21日(月)
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