世の中は恐ろしい物で…

センバツの抽選がいつのも間にか行われていたりする。
とは言え母校の出ていない大会はあまり興味がわかないのも事実で、
どこの高校が出ているのかさえわかっていなかったりする。
その中で注目校を挙げろといわれると、やはり「酒田南」だろう。
何故かと問われれば上宮関係者がいるからである。
あったり前やん。
では関係者が誰かと言われるとそれは廃部寸前の酒田南野球部を
わずか二年で建て直した西原監督その人である。
西原監督は上宮がセンバツ初出場を果たした昭和55年のチームの
主将で、その後大学を経て社会人野球の名門河合楽器野球部へ。
(惜しくも昨年廃部が決まってしまったが…)
その後同部コーチを経て上宮の兄弟校酒田南に請われ野球部監督に就任する。
就任当時はグラウンドはボコボコ、部員は11人しかおらず、
その部員も覇気に欠けていたが、熱心な指導と学校側からのサポートで
97年夏に甲子園初出場を遂げる。この大会と二年後の大会は
一回戦敗退だったが昨年夏の大会では初勝利を飾り、全国制覇へ一歩前進した。
そして今回のセンバツ初出場である。
大阪人であり上宮出身の自分としてはセンバツ出場は夏の大会ほど
価値があるようには思えないが、山形では違うようである。
それもそのはず。
東北地方は出場枠が二つしかない。
確かに学校数の関係があるとは言え、近畿の7に比べると随分少ない。
ただ各地方大会で各県の代表が集まるのはどこも同じ。
近畿の二府四県からの7と東北五県の2では価値が違う。
近畿大会では一回戦を勝てば切符を半分手にしたようなものだが、
東北大会は決勝まで進まなければならない。
そのことを考慮すると地元のフィーバーぶりも頷ける。
ましてや酒田市は例の短大によってイメージがダウンしており、
今回の酒田南出場によって少しでも心象を良くしようというのも考えられる。
初戦は開幕第二試合。願わくば酒田南に良き勝利を。
自分ももらった酒南ボールペン愛用するんで。

P・S 今年から近畿のセンバツ出場枠は6に減ったはずでした。
    すっかり忘れていました。
2002年03月17日(日)

人生の勝敗

よく人生の勝ち組、負け組と言う言葉を耳にする。
しかし、人生と言うのはそう簡単に勝敗が付くものだろうか?
まだ人生が終わったわけでもないのに勝敗なんてつくものではないはず。
九回裏で逆転満塁サヨナラ優勝ホームランがあったり、
人生が終わってもロスタイムでVゴールを決めて後世に名を残したりする。
そもそも人生の勝ち組って何だろう?
それは自分の人生がうまくいっていると思っている人間が
うまくいかない人間を蔑んで優越感に浸るという悪趣味極まりない
差別精神の表れではないだろうか?
勝ち組と思っていても次の日に何らかのアクシデントに巻き込まれて
負け組みの仲間になることだって充分考えられるのだ。
それにこんな考え方もある。
「人生の勝ち組というのはその後もずっと勝ち続けていかねばならず、
 結局本当の意味での勝ち組なんてごく僅かだ。」
これは社会学博士課程の人の言葉だが、言いえて妙だと思う。
結局勝っても弱肉強食の世界なのだからいつかは負けるはずだ。
そういう風に考えたらある程度勝ってあとは負け組にいるほうが幸せだろう。
そもそも勝ち組の基準とはなんだろうか?
一流大学に入って一流企業に入って一流の生活をする、
といったところだろうか?
ところが、それが人生の価値とは限らない。
京都でキャラクターショップを経営する某氏は言う
「あらかじめ決められたレールで事を運んでいっても、
 大事な物は見えない。今の若い人は価値観を決められて
 窮屈だけど、一般に勝ち組と言われているのは
 一部が決めた価値観でしかない。自分の人生の価値は
 自分で決めるものだから。」
かなり的を得ている発言である。例に自分の今までの人生を挙げてみよう。
自分は今全国で無名の二流大学の学生で、一芸に秀でているわけでもない。
彼女もいないし、かなりのヒネクレ者で嫌われ者だ。
ほら、これだけでもうすでに負け組だ。
じゃあ本人はどう思っているかと言うと、これがまた微妙である。
負け組には変わりないかもしれないけれど、別に勝って嬉しい訳じゃない。
むしろ勝ちすぎて人の弱みがわからなくなる方が嫌である。
と本人は思っている。
嫌われ者とあったけど、別にこれは一部のことであって、
世の中全ての人間に嫌われている訳じゃない。
自分のことを認めてくれて必要としてくれている人間がいる。
それだけでも十分過ぎるほどだが、期待してくれている人がいるのも
事実で、別に人生に負けたとかはあまり気にはしていない。
別に大学だけに友人がいるわけではない。
地元にも親友と呼べる人物はたくさんいる。
もちろん大学にもいたんだけれど、その友人を失ってしまったのは
悲しいことではあるが…。
話が逸れてしまったが、結論としてはこうである。
「人生の価値は他人が決めるものではない。
 その人の人生にはその人の価値がある。
 もし負けていても逆転はいくらでも可能だ」
2002年03月16日(土)

ただぼんやりと

これは昨日の話になるのだが、
いつの間にか桜が咲いていた。
その前日には咲く気配すら見せていなかったのに、だ。
最近は暖かい日が続いたからきっと桜が咲いたに違いない。
ただ、春が来たかというとそれはまた別の問題になる。
少なくとも僕の中ではまだ春ではない。
多分、これは精神的なものなんだと思うのだけれど、
まだ春には遠いイメージである。
近いうちに寒の戻りがありそうな気がする。
きっとセンバツが始まったくらいにあるはずだ。
天気を司る神というのはものすごく天邪鬼なのだから。
2002年03月15日(金)

これからの課題

山積みになった本がある。
叔父さんが送ってくれた本だ。
寺山修二の「家出の勧め」や坂口安吾の「堕落論」「白痴」
織田作之助「夫婦善哉」といった名作から
震災関係の本、世界から見た日本人一般に関する本まで
色々ある。ただ、これは全部読めていない。
大学に入る前にもらった物だが、大学に入ってから読もうと考えたまま、
結局忙しいのと、その存在を忘れたままでついに
三年目を迎えてしまった。なかなかどうして読めないもので、
知らないうちに別の本を買ってしまったりする自分がいるのが厄介だ。
高校の新聞部の先生に「文章力を上げるには色々と本を読むこと」
といわれて早数年。未だに数をこなせていない。
文章力の無さというのは決定的で、それはこの日記にも
如実に表れている。いつもいつも頭の中で考えていることを、
うまく表しきれていないのが現状だ。
それに表現力にも乏しい。後で読んで訳のわからないことが多い。
頭の中では、わかりやすく読みやすい流れるような文章を志してはいるけど、
結局中途半端なままだ。
自分の文章というのを確立するにはまだまだ程遠いとは思うが、
もっともっと文章が上手くなりたいと思う。
人の文章を読むことで文章力が上がるのをパクりだという人がいるけれど、
その人は日本語を捨てる覚悟が必要だと思う。
誰の文章にも影響されずに名文を書いた人というのを僕は知らない。
現代のどの作家も多かれ少なかれ誰かの影響を受けている。
漱石も鴎外も一から文章を作り出したわけではない。
あの人たちは学生時代に多くの本を読み、そこから影響を受けているのだ。
あの芥川だって古典を好んで読んだから「羅生門」「鼻」のような
名作を生み出しているのだ。(宇治拾遺物語だったかな?)
現代の作家に於いては言わずもがなである。
現代教育で国語をちゃんと習うのだから、必ず良い文章、
日本語として綺麗な文章を読むことになるのだから、
これで影響をを受けていないという人がいれば、それは大嘘つきか、
もしくは単なる恩知らずの傲慢な人間のどちらかだ。
人が文章を書く上で誰の影響も受けていないなんてありえない。
たとえどんなに適当な文章でも、それは誰かの書いた文章が
頭の中にあって書いた物だ。日本語の文章の書き方を
一から習ったことよりも読んだ文章の方が確実に頭に残る。
文法だけで良い文章は書けない。それは英作文をやった人間なら
わかるはずである。良い例が無ければ書けない。
もし、文法だけで良い日本語の文章が書けると言う人がいるのならば、
是非会ってみたいものである。そして、その人が過去に
本を読んだかどうかも知りたいものである。
本を読んだ時点で、それは嘘なのだから。どんな適当な本でも。
今の自分は将来的に文章の仕事をするなんてとても考えられないけれど、
伝えたいこと、理解して欲しいことがある限り
良い文章を書きたいという欲求は尽きないはずだ。
それが無くなれば文章を書く意味は僕の中では無くなる。
2002年03月14日(木)

どこまでも青く

いい青空が広がっている日だった。
こんな日は神戸に行きたい。
僕が生まれた街、そして最も愛する街。
神戸という街に青空は良く似合う。
それはこの街が持つ独特のコントラストに
由来するのかもしれない。
海と山、それに挟まれるように広がる街並み。
そんな絶妙なコントラストを少し高台にある
海の見えるベンチに座り静かに眺める。
海は太陽の光を反射し、
街に輝きをもたらす。
山は緑をもってそれに応える。
青空はその自然の調和に彩りを加える。
街は自然に包まれながらも人の活気を表す。
そんな風景を見ているだけで幸せだ。
震災で多くのものが失われたが、この風景だけは変わらない。
そして、そんな風景をこれからも見続けていきたい。
2002年03月13日(水)

希望は消えたけど

ある歌の歌詞がある。
それは僕にとって今の心境、そしてこれからするべき指標を
導いているような物かもしれない。
残念ながら希望の灯火はもう消えかけ寸前で
その歌の歌詞のようなことはできないかもしれない。
ただ、希望は針の穴のように小さく残っているかもしれない。
今はその残っている小さな希望にかけるしかない。
願わくばその小さな希望にいらないことを吹き込まないでもらいたい。
2002年03月12日(火)

夢の話はわかりにくい

昨日の晩から体調を崩してしまい、今日は一日中寝ていました。
すると変な夢を見るもので、しかも朝と昼続けて強烈な夢を
何故か見てしまうのが不思議なところ。
まず朝の夢。
とある所へ行く用事(見た感じ仕事か任務っぽかった)があって
車に乗っていたのですが、そのパートナーが、な、何と……
昔付き合っていた彼女だった。
しばらく心の奥底で封印していた人間が何故か夢の中で…
しかもここ数年思い出すことも無かったのですごく意外。
車に颯爽と乗ってきた彼女は付き合っていた当時の面影はあるものの
完全に大人の女に成長していて、妙にカッコ良かった上に
すごく魅力的になっていました。(実際はどうなっているか知りませんが)
動作が機敏で、シュっとしているところはさすがは元陸上部という具合で、
何だかすごいキャリアウーマンって感じで驚きました。
それに言うことがまたビシッとしていてカッコいいんだなぁ、これが。
付き合っているときはそうでもなかったのにね。
結局何をしていたのかは起きたと同時に忘れてしまいましたが、
もう、何年も会っていない彼女がどうして夢の中に現れたのか、
そして、今、彼女はどうしているのかなぁ、という疑問を
寝起きの僕に投げかけました。彼女が幸せに暮らしていれば幸いです。
お昼ご飯を挟んで昼の夢。
朝の夢ほど強烈ではないですが、
ユニフォームを着ていました。どこのユニフォームかはわかりませんが、
しっかりと着ていました、はい。
そしてグラウンドに立っていました。
右サイドを駆け上がり、ベルカンプ(元オランダ代表のストライカー)に
クロスを上げようと画策していました。
しかし、そこで自分が思い通りに動けない事に気づきました。
まずドリブルができないようになっていました。
本来ならあんなにボールが離れるようなドリブルはしないし、
昔はそうであっても血のにじむ様な努力をして矯正したはずなのに
ボールが足元に来てくれない。
おまけにスピードが出ない。トップスピードに乗れないどころか、
全く走れないような感覚に襲われ、前からディフェンスが…
ジャンプもできない…、ドリブルでかわす事もできない…
それはおろか左右に動くことすらできない…
後ろでマルディーニ(イタリア代表のサイドバック)がパスを指示してる…
どうすれば…っていうかどこのチームに所属してるんだ?
しかも何でピッチが芝じゃなくて砂のグラウンドなんだ?…
ディフェンスと激突!
転倒しながらもボールにかじりつき走りこんできた
パパン(元フランス代表のストライカー)にパス……
その後どうなったかは覚えていない。
ただ、どうしてあそこまでコンディションが悪いのに
試合に出場できたのか不思議だ。
そして年代が合っていない微妙に豪華なチームメイトも…
夢というのは深層心理を表すだの色々と言われているけれど、
今回のは分析するのが少し煩わしい。
2002年03月11日(月)

アレナの熱狂

攻撃というのは水物ではあるが、
軸を失うとがたがたと崩れ始めるものである。
それを如実に表していたのが最近のAjaxであるが、
今回は違ったようである。
Super Famersに4−0と完勝した。
ただ、思うに攻撃の軸であったRafael君がいれば
もっとクレイジーな結果になっていたのではないだろうか。
たら、れば、はスポーツの世界では禁句だが、
そう考えてしまうのがファンの常というもので、
なかなか困ったものである。
とはいえ暗い話題ばかりではない。
シーズン開始直前に前監督アドリアーンセとの確執の末
アラベスにレンタルされていたRichard Witschgeが来シーズン
Ajaxに戻ってくることが決まった。
彼の左足から繰り出される華麗なパスと見るものを惹きつける
流麗な個人技は再びファンの喝采を浴びることだろう。
また、攻撃の軸になってくれることは間違いない。
そして個人的にサインをもらい会話した選手でもあり、
彼の帰還を心から祝福したい。
おかえり、Richa!
2002年03月10日(日)

NOT BAD

「悪くない」
一見ほめてるのかけなしてるのかわからないこの言葉。
でも、今日ほどこの言葉が嬉しいと思ったことは無い。
素直じゃない人が人をほめる時にこの言葉が良く使われるみたいで、
今日、この言葉を言った本人もかなり照れてはいたのだけれど、
嬉しい様子は目で見てわかるほどだった。
一度ならず何度もこの言葉を発し、
その嬉しさはこちらにも伝わってきた。
人間を長くやっていると嫌なことが積もるもので、
特に最近は嫌なことばかりだった。
そんな中でこれだけ喜んでくれる人がいる。お互いが本当に幸せな関係を築いている。
それを実感できただけでもたまらないのに、
今夜はそれ以上のものをもらったような気がする。
幸福はほんの一瞬でしかないけれど、
その一瞬を噛締めることができる素晴らしい環境と出会いに感謝し、
六年目の軌跡を共に歩むことができたことは、
これからの明るい未来を約束してくれているような気がした。
末永く良い関係が築けますように。
2002年03月09日(土)

GOD BRESS YOU! YEAH!!

人に喜ばれると何故こうも嬉しいだろう。
それが自分が応援し元気や勇気をくれる人だったらなおさらだ。
今日の夜はまさにそんな体験をした夜だった。
今まで自分が辛い時、苦しい時に何度も励ましてくれた人が
今日はあんなにも幸せそうな顔をして喜んでくれた。
いつもならこっちが幸せそうな顔をさせてもらっているのに、
今日はお互いが本当に幸せそうな顔をしていた。
自分の目の前であれだけ幸せそうな顔をされると
こっちも幸せになる。
お互いがお互いの行為で幸せになれる。
これからも頑張っていけそう。
2002年03月08日(金)

Dag Soliloquize / tsuyo