図書館で借りてきた本の裏表紙に「図書カード」が貼り付けられていた。 あの、昔スタイルの手書きの図書カード。 最近では図書の貸出しはシステム化されているので、バーコードでピっとやって済んでしまう。 多分、剥がすのを忘れられているのだろう。
そう言えば、昔むかし、学校の図書室で本を借りると、必ず図書カードを見たんだったな。 知ってる人の名前を見つけたりすると妙に嬉しかったりして。
それとか、前に借りた本に書いてあった名前と同じ名前を見つけると「同じ本、読んでる人」なんて思ったり。
何のお話しだっけ。 前に読んだ物語に「図書カードに書かれている、“ある名前”探し」が、ある学校でヒソカな流行りになっている…ってのがあったな。 その“名前”はその図書館にある本のかなりの冊数に記名されていて、例えば、10年とか、すごい長い期間に2人くらいしか貸出されていないような本にも差し込まれている。 その“名前”を見つけると「良いことがあるらしい」的な遊び。
なんの物語だったっけなぁ。 物語のストーリーは忘れてしまったのに、その事だけ妙に覚えてるのは、きっと自分も図書カードの名前をよく見ていたからなんだろうな。
それにしても、図書カードの存在なんてスッカリ忘れていた。 便利になる代わりに無くなったものなんてアっと言う間に忘れちゃう。
忘れていると言う事は、別に忘れていても何の問題も無いと言うことなんだろうけど、そうゆう「どうでもいい事」を思い出すと、ちょっと得した気分になる。
使われてない図書カードの一番最後に名前を書いた。 またいつか、その本を図書館で見かけたらコッソリ裏表紙を開いてしまう自分を想像して、ニンマリしてしまった。
| 2001年04月04日(水) |
* アッチ側とコッチ側 * |
ここ数日なんとなーくピリっとしないんで、今日は電車に乗って1駅分、お出かけしてみた。 カブは電車が好き。 いつも駅前に行くと、グイグイと「あっちへ行こう」と電車の見える場所まで手を引いていく。 カンカンと踏切の音がすると、もうタカタカと走り出して大慌てだ。
昼間のホームは空いていて、駅のベンチに2人で腰かけてボンヤリとする。 特に急いでる訳でもないので、のぼり2本と下り1本分、電車に乗らずに通過するのを見た。
いつも「見てるだけ」の電車に「乗る」と言うのはどうゆう感じなんだろう。
カブは電車に乗ると、まずキョロキョロとする。 前に乗った時もそうだった。 知らないタクサンの人。 ユラユラ揺れる手すり。 長い椅子。 流れていく景色。
何を思っているのかしら。と、カブを観察していたらアっと言う間に隣り駅に着いた。
今日カブが一番興味を持っていたのは「自動改札」。 改札もガラガラに空いていたので、切符を自動改札機に入れさせてあげた。 “シュッ!”と切符が吸い込まれ、“ガバッ!”とゲートが開く様子に、目がまん丸になっていて可笑しかった。
改札を出てからも、暫く自動改札機の傍らで“シュッ!”“ガバッ!”を見ていたカブ。 確かに初めて見たら「オモシロイ図」なのかもしれない。 実際、自分も初めて自動改札を通った時はビックリしたもんな。 大人なのに。
つい2年前まで私にとっての電車は「通勤の手段」そのもので、「電車=ラッシュ」だった。 毎日片道1時間以上もの、ギューギューで臭くて長い道のり。 10年以上もの間、ほとんど毎日、毎日毎日電車に乗ったのに、結局「通勤電車」に慣れる事は無かったな。
それが今では、電車と言えばカブと2人で眺める「乗り物」だ。 切羽詰って乗るような物体では無い。 「暇つぶし」に乗ったりする程だ。
そんな視線で見てみると、電車ってなんだか可愛いな、なんて思ってしまう。 何年経っても変わらない、あの形も見様によってはレトロな感じ。 長方形で連なっていて、ドアが何枚かついていて、線路の上を走る。 踏切だって2本(もしくは1本)の棒きれがノロノロとドン臭い感じで降りてきて。
立場が変わると視線の位置が変わる。 昼間のスーパー。 昼間の電車。 昼間の駅。 昼間の公園。 昼間の住宅街。
そう考えると、会社を辞めた所を境(妊娠)にアッチ側とコッチ側くらい、見える世界が変わったって事だ。
だから「ナニ?」って事かもしれないけど。
でも「そうか。そうなんだ。」と妙に現実感を持って納得してしまう「1駅分のお出かけ」だった。
| 2001年04月02日(月) |
* お助けアイテム * |
生まれてからずっと「大食漢」だったカブ。 それが1歳を過ぎた辺りから様子が変わってきた。 ものすごくタクサン食べる時と、全然食べない時。 同じものばっかり食べて、他の物には見向きもしない事もある。 この間バカ食いした食材を、次に出しても全然食べなかったり。
1日のトータルでは平均して食べてるんで「まー、いっか。」と思っているものの・・・。 いったい「カブの食のツボ」はドコにあるのだろうー。 ナゾなのだ。
そんな気まぐれなカブの嗜好にも、一貫して好きな物がある。 「白い米」と「納豆」だ。 特に納豆は「母のお助けアイテム」と化している。 野菜を全然食べてくれなかった日。 そんな日の夕食は、満を持して納豆が登場!
そう。 「何でも混ぜちゃえ!納豆ゴハン攻撃」だっ。 細かく切った野菜やシラスを混ぜて、納豆と混ぜ混ぜすればアラ不思議。 ワシワシ食べる。 もう、野菜の存在なんて気が付きもせず。 それはもうワシワシと。
お出かけする時も、念のため「納豆巻」を持って行く。 もしも出先でカブの食べられる物が無かった時、必殺納豆巻でしのぐのだ。 っが、例えば外のチョットしたベンチで。 コーヒーをすする両親に挟まれて、ネバネバーーと小汚い様子で納豆巻を貪る子供。 この光景をヨソサマが見たら、きっと思うに違いない。 ナゼにあえて納豆巻?と。 ククク。
まさに「あえて」なんだもの。 仕方ないのだ。
その他にも「うどん」とか「塩抜きフライドポテト」とか、カブの好物はあるけれど、やっぱり納豆には勝てない。 ダンゼン納豆だ。
食べ物のことってヤッパリ気になるし、育ち盛りなだけに適当にはしたくない。 そう思うと、食が細い子のママは相当頭を悩ませるのだろうなぁ…。
ヨソんちのご飯の事ってあんまり聞いてみたことがないのだけど、聞いてみたら「お助けアイテム」を案外みんな持っているのかも。
ちょっと聞いてみたいかも。 どう?
| 2001年03月31日(土) |
* アリンコ観察 * |
私は虫が嫌いなので、普段、ハエとか蛾とかカメムシとか、そうゆう昆虫を見ると雄叫びを上げてしまう。 カブには虫ごときに怯まない逞しいヤツになってもらいたいんで、出来るだけカブの前では「虫は怖くない」って態度で臨みたいと思っているものの、イカンセン情景反射的に叫んでしまうのだ。
イカン。このままではイカン。
そう思っていた矢先、公園の植え木の下にアリンコが巣を作っているのを発見。 春だねー。 私もアリンコなら大丈夫。 つかめるし。
さっそくカブにアリンコを見せてみた。 一瞬「ゲ、虫だ。」って顔をしたものの、私が「かわいいねー。アリンコだよー。おうち作ってるよー。」と、さもアリンコと仲良しな態度を取ると、ニジニジと近寄って来た。
しゃがみ込んでアリンコの観察。 穴から出たり入ったりするタクサンのアリンコを見ながら実況中継。 「アリンコ、おうちを作ってます。出たり入ったり、出たり入ったり。お。ゴッチンコ。クルクル回ってます。はいっ。サカサカサカサカ。トコトコトコトコトコトコ。」と早口で延々喋っていたら、だんだんカブの笑いのツボにハマって来た。 「グフ。ウキャ。ウキャキャキャー。ケケケケケー。」 バカ笑い。 やった。虫克服か!?
と思いきや、3歳女児の2人組現る。 「何やってるのーー?」 ※3歳くらいの子供ってだいたいこのセリフで現れる。 嫌な予感がするなーと思いつつも、一応 「アリンコの巣を見てたんだよ。一緒に見ようかー。」と誘ってみた。 「どこどこ?」と興味深そうに覗き込み、食い付いて来たかなーと思ったのも束の間。 1人の子がガシガシとアリンコを踏み潰し始めたのだ。
グオォォーー。やめてぐれーー。 情操教育の真っ最中だぞうーー。
ひきつりつつも「アリンコが可愛そうだから踏んじゃダメだよ。」と諭すが効き目無し。 「カワイソウじゃないもん。」 ブーーー。
カブを振りかえると、ナンともヘンな顔をしている。 そりゃそうだ。 今の今まで「可愛いねー」と言ってたのに、踏み潰してるんだもん。
でもさ。 思い返せば私もアリンコに対しては、幼い頃相当虐待してたよなー。 だからあまり強い事は言えないんだけどさ。 それに害虫は殺すのにアリンコは殺しちゃダメとかって、ナンかねー。 説得力ないかなー。 現にアリンコだって「アリの巣コロリ」とか売ってるんだしなー。
が、そうゆう理屈は抜きにして。 ヨレヨレになったアリンコを見てカブが「ア゛−ア゛−」と反応していたのを見て、何だかシューンとしてしまったよ。
帰りの道すがら「アリンコ観察」はまたの機会に「記憶の上書き」をする事を決意した母であった。
子供を通しての付合いってのは、自分が単独で「この人とお友達になりたいー!」 そして「モウレツにアタックー!何度も飲みに誘う攻撃」が出来ない。 これまでの私がして来た“好き好きビーム攻撃”は通用しないのだ。
例えば子供同士の年齢差とか、例えば子連れだから制約される時間とか、とか。
それでも「この人と仲良くなりたい!」って思える人が現れればラッキーなのかも。 なかなかどうして、子連れスポットで出会う人達は「ママ仮面」を被っているので、本音トークが出来るムードは無い。 それでも、まー、半年もの間公園で遊んでいれば顔見知りや世間話の一つや二つ出来る間柄の人も、気が付けばタクサンできる。 こんなに人の名前を覚えるのが苦手な私も、チビッコの名前を20人くらいは覚えた。(殆どが苗字は知らないけどね。)
そう思うと、子連れでの「場」って言うのは会社っぽいな。と。 別にキライとかスキとか考えずに、うまくやっていく。 これが「技」なんだろう。 でも、会社もそうだけど、そんな風に思って過ごしていても、気が付くと「気になるアイツ」が出来るもんだ。 (嫌いなアイツも出来るけど。) 「気になるアイツ」は、もう松田聖子じゃないけど「ビビビ」っと解るもので、この感性は大切にした方が良いと私は思ってる。
最近、そんな風に思う人が居て、何気にフレンドリービームを出してみたら、向こうもそんな感じで。 そうゆうのって恋愛みたいにお互い感じるトコロがあるんだよね。不思議。
彼女とはまったりと仲良くなれそうな予感。 私は「仲良し=いつもつるんで行動」ってのが苦手なんだけど、彼女もそんな感じ。 だからメールとかで気が向いた時に連絡を取り合って、月に1回か2回、ウチで会ってお茶を飲む…くらいでも充分「楽しい時間」を過せるのも、また良い感じで。
子連れ同士の出会いでも、こんな風に出会えるもんなんだなーなんて妙に感心した。 モチロン連れ立って飲みに行くなんてムリだけどね。 アルコール抜きで信頼関係を深めていくのは初めてのことで、ちょっと新鮮なんだけど。(笑)
それとは逆に、大人同士は別にコレと言って「ビビ」っと来てないんだけど、子供の年のころとか、ましてや子供同士がとっても仲良し、なんてシチュエーションになると、これはもう、会社の付合いそのもの。 相手がよっぽど「ごめんなさい、どうしてもアナタと時間を共有できません。」って言うんじゃない限り、何となく一緒に過ごす時間が増えて行く。 本音が出てくる事もなく、例え本音が出て来たとしても、案の定「???」と思うこともシバシバで。 そんなワケで、本当はお喋りな私が「私の職場」に行くとメッキリ無口だ。 「はぁー。」「いぇ、いぇ」「そうかー」と、歯切れ悪いったらありゃしない。 ムリして話しを合わせて大人と喋るよりも、カブや集まってくる子供と一緒に喋っていた方がよっぽど楽しいんだもの。
それに、私はカブと一緒に外に居るのが好きだから。 多少のことは仕方がない。 (単なる外好き。カブが公園じゃなくても楽しめる“お外”があったらイイのになー。)
私は“人間関係”って、最初はインスピレーション。 あとの信頼関係は「共有した時間」だと思ってる。 でも、インスピレーションが無い場合は、いくら時間を共有しても信頼関係は深まらないって事も、今さら知った。 だって、今まで気が進まない人と一緒に「貴重な自分の時間」を費やすことってなかったからさ。
そんなワケで。 そんな風に、私だってホンネトークしない感じをバリバリに出していた筈なのに「気にあるアイツ」って現れるんだなー。と。
最近のちょっとしたTOPICなのだ。
| 2001年03月28日(水) |
* 花粉症ベビー * |
我が家のダーリンは花粉症。 毎年この季節はゾローントローンとしている。 あー、あわれ。と思いつつも、自分がなってみないことには解らないのよね。 そう。対岸の火事だったのだ。 昨日までは。
なんと。カブ、花粉症疑惑勃発ー(ToT) 子供の体調不良っていうのは、その不調のすべてが母親へとのしかかってくる。 鼻が詰まってイライラして不機嫌になったって、眠れなくて眠たくてギャーギャー泣いたって、その不機嫌の矛先は全て「かーかん」へ向けられるのだ! オソロシイ。
ちょっと前から何となくハナが出るなー、 もしかして花粉症の症状か?!と怯えていたんだけど…。 昨日もポカポカ陽気だったので公園でたっぷり2時間も遊んで帰って来て、 お昼ご飯を食べたたら、もうお目目もトローンとして来る。 いつもならそこから2時間くらい昼寝。 短くても1時間半は寝る。 子持ち母なら誰でもそうだと思うのだけど、子供が寝てる時間ってのは、絶好の「フリータイム」なのだ。 貴重なのだ。 私の場合カブのお昼寝タイムは、夕飯の下ごしらえを済ませあとの時間はパソタイム。 しかも昨日は2日目のカレーだったので、あとはサラダとか作ればOKで、下ごしらえは無しっ! そう。完全フリータイムなはずだったのだ。
が、昨日の昼間、鼻水大ブレイク。 まだ寝て30分と経ってないと言うのに、物凄い大音量で泣き出したカブ。 夜泣きはあるけど、昼寝の時はグッスリ眠るので「これはどうした事よ」と入ってみると、鼻水をダーダーと流し、それをなすり付けて怒っている。 もうエビぞりで怒っている。 鼻水をふいてあげるけれど、どうしても鼻がモゾモゾするらしく眠れない。 そしてまた癇癪。 お昼寝は諦めて、あの手この手で遊んであげたら機嫌は治ったものの、 案の定、今日の夜はサンザンんだった…。 赤ちゃんの時だって、夜中に何度も起きたし、こうやって延々と泣きつづける事はあったけれど、赤ちゃんとは違うところ。 それは「泣き声の音量」なのだ。 新生児の鳴き声は、それはもう儚く可愛らしく 「ホエッ。ホエッ。オンギャー。」と泣くものなのだけど、 もう1歳半ともなるとその泣き方は「儚い」とは程遠いのだ! 甘えて泣く時は別として、不機嫌に泣く時はもう 「ギャーー。ウギャー。オエーー。」と、耳をツンザクばかりの大音量。
辛いのだから仕方があるまい。 多分不安感もあるんだろう。 抱っこをせがむ。 ここでカブに八つ当たりをしてはイカン。と思うも、 何度も起されては耳元で続く大音量の泣き声を聞いていると、 だんだん目つきもあやす口調も険しくなってくる。
「子供が生まれてからこっち、3時間とまとめて寝てないわ。」 と言う2歳の子のママや、 「夜中に激しく痒くなるみたいで、必ず号泣して薬を塗って欲しがる」 と言った、アトピーの子を持つママ。 そんな話しを聞くと「このくらいでヘコたれていてはダメだ!がんばれ私。」 と思うんだけどさ。 思うんだけど、すぐヘコたれる私って・・・。 とほほ。
あー。 こんなヘタレな私、叱咤して下さい。 はふう。眠いよう。
ウチの前の桜並木が一気に開花しはじめた。 当たり前かもしれないけど、こんなに桜のツボミが開いていく様をマジマジと観察した事は、今だかつてない。
引っ越してきたのが去年の6月。 ちょうど若葉が生い茂る季節で、窓から見える青々とした葉っぱが新生活を応援してくれているかの様に感じたんだった。 秋は秋で紅葉し、だんだん葉っぱが落ちていく様も、雪が積もって枝が白く縁取られている様子も。 窓から見える桜の存在は、引っ越してきた当初想像しているよりもずっとずっと心を癒してくれていたと思う。
で、このウチでの初めての春。 いやー。やっぱり桜が咲くと圧巻。 窓に映る景色が写真みたいな感じ。
桜の花とか、雪景色とかって、何て言うか…。 そこの周りだけ空気が止まっているような感じをいつも感じるのだけど。 多分、そのせいなんだろうな。
ごくごく普通の賃貸マンションなんだけど、この桜は生活に随分と彩りを与えてくれているんだなーとシミジミと思った。
なんでもこの桜、道路を拡張するのしないので、地域の住人と市がモメているらしい。 こんなに見事に育った大木を、対して効果もない道路工事のためにゴンゴン切っちゃうのってムゴイよなぁ。 とりあえず、私も桜は切って欲しくないんで、先日署名をして来た。
桜が終わると毛虫ラッシュになるらしい。 毛虫はイヤだけど、それでもこんなに季節を感じさせてくれる存在なんだもの。 ゼヒ残して欲しいと願うのであった。
イチゴが大好きなカブ。 今までは、イチゴを器に入れて出すと、それはもう、両手を使ってモリモリと、マンガの様にモリモリと貪り食ってはアっと言う間に無くなっていた。 そして空になった器を見て、さみしそーにしていたのだ。
で、本日。 いつものようにイチゴを器に入れて差し出した。 小さいイチゴが6個。 目の色を変えて食べ始めるカブ。 パクパクパクパク。 1口で一気に食べる。 パクパクパクパク。
5個まで来た時。 フと手を止めた。 そしてジーっと器の中を眺めている。
パクッ。 5個目をほおばる。
残るは最後の1つ。 いつもなら一気に行くところ。
っが、最後の1つを摘み上げると、器の中を再確認し、またイチゴを見つめる。 どうやら「これが最後の1つだ。」と認識したらしい。
さー、どうする、カブ。
サクッ。 なんとなんと、イチゴの先端のチビーっとだけ食べてはまた見つめているではないか。 しかもその後、その食べ口をチューチューと吸っている。 ビンボーくさー。(笑)
暫くチューチューしているものの、そんな風に食べてもイチゴは美味くないと悟ったらしい。 またしもてジーっと残りのイチゴを見つめ、遂に意を決したかの様に「ぱくっ」と食べた。
もう器を確認することなく、最後は潔く「ごちそうさま」をしたんであった。
子供って面白いね。
| 2001年03月24日(土) |
* オソルベシ、魚のウロコ * |
私は魚のウロコが大っキライなのです。 できれば魚の内臓も触りたくないです。 もっと言うなら、ホントは挽肉をこねるもの嫌いです。 が、主婦なんで。 挽肉はこねます。 でも、魚の内臓はイヤ。 ウロコなんてもってのほか。
今日び魚は切り身で売ってるんだからイイのだ、そんな魚をさばけなくたって全然困らないのだ!っと侮っていたら。 今日ウロコにやられました。
冷凍じゃない、生の真タラが安くて、内臓が取ってあったから丸のまま買ってきた。 なんかアホみたいなんだけど、私タラってウロコが無いんだと思ってたの。 ヒラメとかカレイみたいなヌルヌルした皮を持ってるヤツなんだとばかり思っていたのよ。 ところがドッコイ。 イザ作業にとりかかると。
皮にウロコが張り付いてまーす。 イッパイ、イッパイーー!
もう、トホホだよう。 でもウロコを取りたくないから本日のメニューは変更!って言うのも情けなすぎるし。 もう腰砕けで考える。
包丁の背中でゴリゴリとウロコを剥がすか。 ウロコってさー。もう、ビロビロと止めど無く浮き上がってきて、あの連続したケバ立ちを見てると鳥肌が立ってくるのよね。 やっぱりウロコをゴリゴリやるのだけはイヤ。 そうだ! 皮ごと取ってしまえ!と思い立つ。 皮ごと剥がすんだったらねー。 出来るよ、腰入れて。 で、もう、ヤケクソにビリビリとタラの皮を剥ぐ私。
それでも手につくウロコを忌々しく思いながらも、やっとこ下ごしらえ終了。
ふぅー。 やっと料理に入れる。 さて。 タラを煮ましょう。 野菜と一緒にー。 ルルルー。
蓋をしてグツグツグツグツ。
さて、イイ感じ? と蓋を開けてビックリ! タラがこなごなになってるーー!
いやーん。 もう、ウロコにかく乱されて冷静な判断力を失っていた私。 当たり前じゃーん。 皮が無いのだものー。
なんかもう、すごい時間かかってんのに、なんだかよく解らない地味ーーな一品になってしまたぞ。 言い訳させて。 味はね。美味しかったんだけどね…。 ほんと。味は。
でも、どっちかって言うと「オジヤの具」みたいになってしまいました。 ガックリ。
| 2001年03月23日(金) |
* 心地よい距離 * |
去年の年末開かれた高1年の時の同窓会がきっかけで、高校の同級生“みっちゃん”が近所住んでいることが発覚した。 “みっちゃん”は同窓会直前に体調を崩して欠席だったのだけど、その時配ってもらった名簿を見てビックリ。車で5分くらい、チャリでも行ける場所に住んでいたのだ。
当時、私はヒジョーに人の「好きキライ」が激しくて(今でもまぁまぁそうなんだけどね。えへへ。)どうかすると「苦手・キライ」な人の方が多かったくらいで。 調子モノの私は、とりあえず誰とでもニコニコと話しをしていたものの、学校外でまで個人的な付合いをしている人はほんの僅かだった。
だから、高校を卒業してから街や電車の中で「shon!久しぶりー!」っと親しげに声を掛けられたりしても、結局最後までその人の名前が思い出せなかった…なんて事はショッチュウで。
そんな中、私にとって彼女はちょっと例外的な存在だった。 “みっちゃん”とは1、3年生が同じクラスだったものの、個人的な付合いをした事は無い。 でも好感を持っていた。 マイペースで優しくて、ちょっと大人っぽいトコロがあって、そうかと思うと全然そんなに興奮するようなトコロじゃない時に「ウキャキャキャキャ。」と高らかに変な声で笑い出す。 その、ちょっと変なトコロもまた良い感じで。 そして何より、私と違って「誰のことも好き」な空気がいつも滲み出ていた。 だから特に親しくしていなくても、彼女とはとても話しやすかったのだ。
そんな訳で、同窓会で会えなくてとても残念で、同窓会から帰って来てスグに“みっちゃん”にメールを出した。
スグに「会おう、会おう!」って事になったのだけど、これがまたお互いチビッコ持ち。 約束を交わすと、どっちかの子供が熱を出したり病気になったりして実現するまで4ヶ月もかかってしまった。
で、やっと会えたのだ。 先々週公園で再会して、一昨日、ウチに来てもらって。 実に約10年ぶりくらいの再会。 もともとそんなに親しくしていた訳じゃない人と10年ぶりに会ったりしたら、なんかぎこちなくなるモノだと思うのだけどね。 でも、やっぱり、思った通り、“みっちゃん”との距離は高校の時のまんまだった。 私が当時感じていた彼女のテンポは全然変わって無く、やっぱり、当時と同じ様にちっとも気を使う事なく、まるで高校時代と同じようにフツーに会ってフツーに話した。
18歳だった2人はお互い32歳になり、お互い1児の母になり。 それでも、流れてきた歳月を普通に話せるのって嬉しいなーと、ジンワリ嬉しくなるヒト時だった。
きっと、それもこれも「学校」っていう特殊な時間を共有してきた間柄だからなのかもしれないなって思う。 もしも、社会に出てから会っていたら。 同じように彼女のことを好きになっても、その距離は「心地よい距離」でなく、「近づけない距離」となって永遠に接点は無かったような気もするし。
平日の毎日の中に、ちょっと楽しみが増えた、嬉しい出来事だった。
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