 ナガサキアゲハの産卵 本来は九州と四国に分布する国内最大級のアゲハチョウの仲間ですが、温暖化の影響でしょう、千葉県まで北上しています。 オスはまるで別種のように青みがかった黒の単色で、ずっと「カラスアゲハが来た!」と勘違いして喜んでいました。 美しく珍しい蝶を見られるようになったことは嬉しい反面、ここまできたかと恐しくもなります。
 藤 ‘黒竜' (狂い咲き)
 グラジオラス園芸種
■ 覚書 (緑環境と植生学 鎮守の森を地球の森に 宮脇 昭 著 第二章 世界と日本の植生を比べる より)
二 日本列島の自然とヨーロッパの自然
今日われわれがスペインなどで現地植生調査をすると、階段状のテラスの斜面にだけわずかに低木樹林が残り、ヒツジ、とくにヤギの放牧などが行われているが、遠くから見れば、ちょうど日本で最近好んで作られている、芝生に単木がまばらに植えられている都市公園のように見える。それを彼らは公園景観と呼んでいる。「公園景観」とは、家畜の過放牧、火入れなどにより、森が破壊された荒野状態に付けられた名であることは、ヨーロッパではよく知られている。一方わが国では明治以降、芝生公園が導入されるまでは、鎮守の森に囲まれた境内などを憩いの場、お祭り広場として使ってきた。
日本ではかつて天領や、群雄割拠していた各地方の大名たちがもっていた樹林を借景にしていた町人たちが、自分の身近に緑がほしいために、その領地から小さなケヤキやツバキ、マツなどを持ち帰った。しかしあまり大きくなると目立つので、いかに大きくしないで長持ちさせようかと腐心した。これが、ある面では日本文化の一つとして世界的に評価されている盆栽、庭園(箱庭)手法である。このような盆栽、庭園的な細かい緑、緑地は、周りに借景として見事な森があるときには素晴らしい文化であり、私たちの生活をとりまく自然を濃縮した一つの形として、精神的にも楽しませてくれる。 しかし、現在のように周囲がいわゆる都市砂漠、産業砂漠化している大都市周辺で、今最も重要なことは、盆栽的手法にこだわり、単に美化運動の延長としていわゆる飾りだけの緑化を行ったり芝生公園をつくることだけではあるまい。
有機物は一度燃焼したら空気に還元されてしまい、それをつくるのはまだ人間の科学技術では不可能であるため、ドイツの各州では条例などによって落葉、枯れ草などの有機物を焼却するのを禁じている。 事実、生きている緑の植物が、太陽の光エネルギーを受け、光合成によって時間をかけてつくる以外には、十分に有機物をつくる手段はない。このかけがえのない地球資源の有機物が、十把一絡げの対応によって、いわゆる産業廃棄物として簡単に焼却されている日本の現状は、われわれ生態学者の努力も足りないが、日本の行政や法律づくりの無知を世界にさらしているといえる。
 オニユリ (Lilium lancifolium)
■ 覚書 (緑環境と植生学 鎮守の森を地球の森に 宮脇 昭 著 第一章 文明と緑の日本列島 より)
一 自然の森
かつて、人類が自然に与える影響が素朴で極めて限られていた時代には、むしろ、自然の森は人間活動の邪魔でさえあった。人類文明発展の歴史を見るときに、そのほとんどは、かつて森や樹林で覆われていた森林帯やその周辺域に発展している。長い時間をかけて森と対決し、火や斧や家畜の過放牧によって破壊しながら、集落、村、町、都市を発達させ、地域に根ざした固有の文化も築いてきた。しかし、人類文明四〇〇〇年から六〇〇〇年の歴史を見ると、森を破壊したときに文明は滅び、都市も強大な帝国も消滅した。地中海地方の古い文明帯を見ても、かつて栄華をきわめた都市の周りは、現在では半砂漠化しているところがほとんどである。
四 雑草から覗ける森の姿
日本の水田雑草92種類中ウリカワとコナギを除いた90種と、現在生育している畑の雑草302種類中ネザサ類を除いたほとんどすべての種類は帰化植物である。すなわち日本の農耕地、路傍に生育している、いわゆる雑草は各種の穀物などとともに、アジア各地、また遠くヨーロッパ、中央アジア、比較的最近では南北アメリカやアフリカ、オーストラリアから入ってきた、世界中をさまよっている広布種、コスモポリタン種である。
昭和26(1951)年から雑草生態学を研究してきた私にとって、雑草こそ最も興味深い。森林の更新には数百年もかかるが、夏の雑草は、畑でも水田でも二〜三週間で芽を出し、生育し、花を咲かせ、実を実らせて一生涯、ワンサイクルが終る。このように生育の期間が極めて短くダイナミックに生を営む雑草は、人間がせっせと草を取るからこそ、その水田や畑の主として持続的に生育できる。
■ 覚書 (江戸のガーデニング 青木宏一郎 著 より)
植物の美しさは、植物自体にもあるが、その美しさを感じる人の心、美しいと思う心が重要である。今や、世の中全体が刺激過剰になって、感動することが少なく、草花を見ても何も感じない人が増えている。それでも無心になって植物を見ていれば、たとえ雑草であっても、それぞれの個性や人をひきつける魅力を感じとることはできる。植物を育てることによって、逆に植物を見て色々なことを感じとることができる豊かな感性を育てる。いや育ててもらっていることに気がつかなければならない。つまり、植物は人の心を癒し、美しいものを素直に美しいと感じる心を育ててくれる。 ただし、自分はいいことをしていると自負するのはよいが、植物が意のままになると思ってはならない。育てさせてもらっているというくらいの謙虚な気持ちが必要である。できるかぎりの世話をしたら、後は自然の力にゆだねるより仕方がない。その意味では、江戸の園芸に携わっていた人々には、人間の力の限界を知った上で、天の力、時の運にゆだねるといった非常に謙虚な一面を持っていたのではないか。これは、現代でもぜひそうあってほしいことである。
 ゼフィランサス・カリナータ(Zephyranthes carinata = Z. grandiflora) ハブランサス・ブラキアンドルス(Habranthus brachyandrus)を通販で購入して咲かせたものです。(品種違い)
スズメガの幼虫
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イヌツゲの葉を食べているので、コエビガラスズメだとおもいます。
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