潔 ノ 森

2006年07月02日(日)

■ 覚書
(植物と人間 生物社会のバランス 宮脇 昭 著 �型∪犬反祐屬領鮖� より)

3、日本とアジアの自然と人間

アジア、ヨーロッパの世界二大文明は緑の自然を食って発達した

 また中国大陸の照葉樹林帯の北限に近い付近では、ヨーロッパのネアンデルタール原人に対応する北京原人が発掘されている。遠い原人時代のことは考慮に入れないとしても、ヨーロッパ文明より古い歴史をもつ中国大陸の自然植生――照葉樹林も、中国四、〇〇〇年の文明の歴史の代償として、ほとんど平地から消え失せているという。
 このことは、現在の急速な物理、化学的な技術文明とは、比較にならないほどはるかにゆるやかに、漸新的に進行した過去の文明も、長い時間の流れの間に、文明発達の代償としてかれらを育てた自然林を食いつぶしてしまっていることを明瞭に示している。ヨーロッパでもアジアでもほぼおなじ常緑広葉樹林帯に発達した世界の二大文明は、その発生地周辺の自然の緑を、破壊しつくしてしまっている。

日本民族を育てた照葉樹林

 日本や中国の文化が照葉樹林文化といわれるほど、日本民族は、飛鳥遺跡で代表される歴史の誕生時代から現在まで、常緑広葉樹林域にしがみついている。その反面、今もっとも本質的な自然の改変、緑の消滅が心配されるのは、ツバキの花が咲いている、このヤブツバキクラス域である。
 最近(※)の夏緑広葉樹林の大規模な伐採、針葉樹のいっせい植林施業や高山の山頂近くまで観光道路をつけて、緑の失われた生活域からわずかに残されている自然の緑の中に、本能的に逃げこもうとする大量のレジャー客を運ぶ観光道路や施設の建設、さらに大量の来訪者は、残されているわが国の最後の自然域までも急速に変形しようとしている。

世界の植生と人類文明

 現在の世界文明の中心地で、人口の集中している大都市のある地域は、日本、中国などの照葉樹林域とイタリア、フランスの硬葉樹林域の一部をあわせた、常緑広葉樹林域およびドイツ、オランダ、ベルギー、イギリス、アメリカの東部などのミズナラ、ブナ類を主とする夏緑広葉樹林域にかぎられている。
 このようにみてくると、広い地球上で人類が持続的に文明をきずき、存続させ得る地域の植生域は、きわめてかぎられていることがわかる。すなわち自然植生を指標とした人間の生活に、もっとも適した植生域は北半球にかぎられている。しかも大陸の東側では、北緯23〜45度の付近まで、西側では40〜58度付近の海洋側にかぎられている。
 自然植生と人間生活、とくに持続的に文明を発展させ得る可能性を地球的観点から比較・検討すると、わが国の大部分はもっともめぐまれた自然植生域にある(日本の植生図参照)。いっぽうわれわれが日本から逃げ出しても、アフリカにも、南アメリカにも、日本とおなじ程度の人間生活、文明発展を支え得るような自然植生域は見当たらない。
 もしわれわれが国土の自然要因、とくに緑の自然植生との共存の原則に立って、慎重に利用したならば、限られた日本の国土の自然は、日本民族のかけがえのない将来への発展の基盤として、われわれの健全な生存を保証するばかりでなく、輝かしい未来を約束してくれることであろう。

※ この本は1967年に出版されました。



2006年07月01日(土)

■ 覚書
(植物と人間 生物社会のバランス 宮脇 昭 著 �擬�然とは何か より)


1、植物と人間の戦い

生物社会の危機

 生物社会の最大の危機は、路傍の雑草群落でもバッタやノネズミの集団でも、かれらのもっとも生活しやすい環境条件が形成され、ある期間持続している間に、爆発的に個体数が増加してしまい、その集団あるいは社会が絶対的に優占し、発達しすぎたときである。植物社会ではそのような場合、その群落がつくりだした新しい植物環境に適応しきれないで他の群落におきかえられてしまう(遷移の項参照)。しかし、「人間は動物とは別である。思考力があり、器具を考案し、使うことができる。まして、ものも言わない植物などと比較するのは、まことに失礼な発想だ」と怒り、反論できる間はまだよい。そういう人たちはかれらの祖先が食べ残した生存の基盤――緑の自然――の遺産の上に何とか当分生きてゆける人たちである。

2、自然と人間か、自然の中の人間か

人間が生きのびるための自然保護

 では何のために自然保護が最近叫ばれているのだろうか。この自然保護提唱者の中にも、自然の構成要員である人間の多様性が自由に表現されていて面白い。様々な思想や立場の人たちが、いろいろな体験や観点から自然保護や動物愛護をとなえている。花が美しいから、鳥が可愛いから、裏山がけずられるから、海岸や湖が埋め立てられるから等々、そのよびかけの直接の原因はまったく多様である。しかし、かれらが意識するしないにかかわらず、かれらの叫びの底流には、生物としての生活の基盤が失われていくことに対する生きものとしての本能的な危機感が流れている。
 およそロマンチックな自然の愛護などにまったく無縁な私までが、あえてこの問題に警鐘を鳴らすのも、現代の人間の生活域の最低限の自然の確保は、もはや花のためでも、鳥のためでもなく、まさにわれわれ人間が何とか破滅しないでよりよく生きのびてゆくのに必要なためである。ささやかな生態学、植物社会学という専門分野のせまい研究をとおして、生物のそして人間とその自然環境との多様なかかわりあいから、人類の将来が一般の人たちより幾分早く予見できるからにすぎない。

3、生物圏――その量と役割――

生物圏の中の人間

 「人類のもっとも愚かなことは、自然や生活環境を破壊して衰退し、滅亡した他の民族の過ちや失敗の例を決して学ぼうとはしない。自分たちも悲劇の奈落に陥るまではおなじ失敗を何回も繰り返す」(デモル・1960)。



2006年06月30日(金)


Laelia purpurata var.aco








■ 自己流の剪定法を、イメージ画でご紹介します。


植栽はなるべく手を入れず、歩きづらくなるまで伸ばし放題にします。


両親や近所から苦情が出たら重い腰を上げ、必要最小限(歩行のジャマにならない程度)の剪定をイメージしながら枝葉を刈り取ります。


できあがり。これを繰り返していけば、緑のトンネルが実現するはず!



2006年06月29日(木)




2006年06月28日(水)


苔玉に見えませんが、苔玉です。
ルリタテハがうろついていたので、もうすぐ芋虫の食堂になるはずです。



2006年06月27日(火)


クチナシ
挿し木から育てた株です。






シダの中から去年開花したコンニャクの芽を発見しました。花後は地上部の無い状態が続き、枯れたものと諦めていましたがちゃんと生きていました。
2、3年はまた葉のみ繁ることでしょう。



2006年06月26日(月)


タブノキの葉を食べるアオスジアゲハの幼虫


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