日記でもなく、手紙でもなく
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| 2003年01月23日(木) |
ひょっこりひょうたん島(カラー版)再放送 |
4月以降のNHK教育TVの番組編成が発表された。 この中の目玉が、モーニング娘がリメイクのテーマ曲を歌う、<ひょっこりひょうたん島>。
ひょうたん島は、井上ひさしの脚本で、1964〜67年に放送された人気人形劇。当時この番組はモノクロであったため、いくら面白くても、今見るとモノクロではやはり物足らないに違いない。4/13から毎日曜日の午後7時台に、(サンダーバードとともに)91年に制作したカラーのリメーク版約60本が放送されるという。
当時のNHKの子供番組というのは、原作や脚本などに、今ではなかなか信じられないような作家が関与していた。井上ひさしも、当時だと、これほど有名な作家になる人だとは、誰も思っていなかったに違いない。 SF大御所となってしまった、小松左京や平井和正なども、SFだけではたぶん食べていけない時代だったと思う。その2人が関わっていた子供の時間に放送されていたドラマが、<宇宙人ピピ>だったという記憶も確かにある。やたら馬鹿馬鹿しくて面白い番組だった.....
午後から夕方まで、仕事で出かけていて、午後6時近くに会社に戻ると、湯島にある婦人生活社が自己破産を申告したという話を聞くことになる。
もうかなり前のことになるが、ここの雑誌で編集長(名刺には取締役の肩書きもあった)をやっている人に、話を聞きに行ったことがある。いろいろな話を聞いたのだが、もはやその内容についてはほとんど覚えていないにも関わらず、もう一人一緒に行ったのが、編集長の話の内容にいたく感激していたことだけは、本当に良く覚えている。 あの人は今どうしているのだろう、ふと、そんなことを思った。
かなり前といっても、10年も前のことではなかった。 また一つ、名前が消えていく。
「5年ぶりの(小林紀晴の)長編Asian紀行」と、本の帯に書かれていて、店頭で見てやはりすぐ買って、すぐ読み始めることになった。
小林紀晴、カメラマンではあるが、この人の乾いた孤独を随所に感じさせる文章は、一度読むと虜になってしまう。しかも、このような紀行文にはそれが一番良く似合っていて、この人はずーっとアジアを旅し続けているのではないか、そんな錯覚にも陥るほどだ。
この<遠い国>には、クアラルンプールのインド人たちの祭り<タイプーサム>との、偶然の出会いをきっかけに、縦糸に金子光晴、横糸に東アジア〜東南アジア各地のインド人(街)を絡めながら、終わりのないような旅、そこを旅をしながらも、自分とあまりに隔たり、交わることのない遠い国のことが描かれている。 書かれている文章はつながっていても、それぞれ深く隔てられて、また次の旅へと続いていく。(2002年12月、新潮社・刊)
「・・・・バスターミナルという存在そのものに僕はいつも物足りなさを感じる。何かが足りないと思わせる。日本でも外国でもバスターミナルには何かが足りない。乾いていて、よりどころがなく雑多で落ち着きがない。・・・・」(馬六甲Malacca 120p)
「・・・・ 僕は寺院を出た。 さらにチャイナタウンを先へ歩く。 どこにも僕が目指す行き先などない。 赤と黄の提灯がゆれている。」(馬六甲Malacca 156p)
「・・・・ 僕はその境界線にカメラを向ける。 左側には中国人の老人たちがいて、すぐ右側にはインド人の若者がいる。中国人のほとんどはTシャツかランニングシャツに短パン、ゴム草履といったいでたちだ。インド人は誰もが、襟のついたシャツを着ている。 一つの風景を見ている気がしない。だから僕はここが境界線なのだと強く思う。そして僕はそこに向かって何度もカメラのシャッターを切る。 ・・・・」(新嘉坡Singapole 294p)
一人で旅をしている時に、自分が何処へ行こうとしているのか、その<あて>を見失いながらも、彷徨い続けている時の、なんともいえない感覚。果てまで来たと思ったときに、さらに果てはその先にあると知った時の感覚。あるいは、やっとここまで着いた、そう思いながらも、そこには殆ど人影が失われ、空虚・廃墟となっていることを知ったり、結局通過してきた街と何ら変わりのない街だったりした時の感覚。 心の中心部分に、ぽっかりと空白ができてしまう、そのような瞬間。 戻るところは、そのホテルなのだけれど、そのホテルに戻っても、また旅立つことを急かされるような、そんな時の感覚。 それが、小林の旅であり、その旅に付き合うことで、自分自身とも対面することになる。
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