日記でもなく、手紙でもなく
DiaryINDEX|past|will
みどりの窓口へ切符を買いに行く。 来週木曜日夕方から、大阪経由で和歌山、大阪へ戻ってその後城崎まで。帰りも城崎から大阪経由東京まで。 京都経由も考えたが、和歌山へ行くことを考えると、大阪経由で、東京−城崎間の乗車券・特急券を確保しておくことにする。
結構な金額になるかと思ったら、東京−大阪新幹線の安売りチケットを買う金額に、7千円ちょっとを加えた金額。 これを考えると、この前名古屋往復のチケット代、確かに2万円弱ではあるが、東京から近い割には、またまたえらく高い気がしてしまう。
行きは、新幹線と在来線特急の乗り継ぎ割引は使えないが、帰りは同じ日に在来線特急から新幹線に乗り換えることになるので、在来線特急料金が半額、乗車券のほうは、片道距離が601km以上なので、往復料金の1割引が適用される。
和歌山までは近いし、普通でも1.5時間程度。 ところが、城崎はさすがに遠くて、特急で2時間40分。山陰線というのは、さほど距離はないように見えるが、結構時間がかかる。
久しぶりにMさんとソニー・ビルで落ち合って、昼に食事をする。ソニーは、お盆を過ぎた19〜20日は臨時休館になっていた。 数寄屋橋のブォーノブォーノ、何となく2人にとっては懐かしい場所だ。
横尾忠則展を見てきたという話をしていたら、ちょうどMさんが海外にいた時、横尾ご夫妻にパーティで会ったことがあって、えらく本人は若く見えた、というようなことを聞く。
話がどこでそうなったのかわからないが、ウォーホールの話になった。 ウォーホールって、どこがいいのだろうか?
私自身、例のキャンベル・スープの缶の絵とか、マリリンだとか、それでもいくつか思い出すものはあるが、それを見てどうということはないのだが.....
ただ、ひょっとすると、あの人の絵をちょっと飾ったときの、空間の変わり様に着目したほうがいいのかもしれない、という話もした。 たぶん、あの人の絵というのは、一枚複製画でもいいのだが、そこにさりげなく置くだけで、空間そのものが一挙に変わってしまうような力があるのかもしれない、と。
Mさんが、冷蔵庫にウォーホールの絵葉書を絵葉書フォルダーに入れて飾ったときだけ、Mさんの子供が反応したという。これは面白い話だった。
| 2002年08月16日(金) |
ドレスデン157年ぶりの大洪水 |
エルベ川やドナウ川の洪水のニュースが毎日更新されていく。 13日に、この一週間で洪水により68名が亡くなったことが伝えられている。チェコやドイツ(旧・東ドイツ)、ルーマニアなどの被害が大きいようだ。 チェコの首都プラハ市内では非常事態宣言が出されたし、動物園ではうまく移動できた動物もいれば、インド象など、水位が上がって興奮状態に陥り、射殺せざるを得なかった、というような記事や、ドレスデンの駅が水に使っている写真なども出ている。
ドレスデンでは、この季節の標準水位が2m程度しかないエルベ川の水位が、今回の雨で一挙に8.5mを超えたという。 「ドレスデンの市の中央部のツウィンガー宮殿では、ラファエロ作の名画『システィナのマドンナ』などの収蔵品を展場場から外して避難」というような内容の記事も今日見かけることになる。 このツウィンガー宮殿には、古典絵画館や陶磁器博物館が入っているそうだが、初めてフェルメールを見たのが、このドレスデン国立美術館展が日本で開催された時だった。
脇道にそれてしまうのだが、確かその1〜2年前頃に、谷川俊太郎<散文>という本が出ている。大学を卒業して、ぷらぷらしていた1年間。その時に、この本に出会っている。 そんな時期だったこともあり、谷川氏のこのエッセイから、いろいろな影響を受けたような気がする。
しかし、この本が今でも忘れられないのは、その冒頭に、「フェルメールへの渇き」というタイトルのエッセイが載っていたことだ。 フェルメールの絵の美しさを、見事な文章にしているのを見て、自分も一度は見てみたいものだと思っていた。 フェルメールという画家のことは全く知らなかったものの、その後作品点数の少なさなどを知るにつれ、日本で見られる機会はまずないのではないか、そんなふうに半ばあきらめていたところに、このドレスデン美術館展が開催された。
フェルメールとはいえ、当時日本ではまだまだ知られていなくて、今ほど多くの人が関心を持っていなかったのも事実。 たまたま、先に見に行った人が、図録を買ってきていて、その表紙が、フェルメールの<窓辺で手紙を読む女>だった。
結構くすんだ色の絵だなぁ.....というのが、その図録を見た時の第一印象。これが、フェルメールか?という、ちょっと拍子抜けした気分でもあった。
その後会場へ足を運ぶことになるのだが、そのフェルメールの絵の前には(今だとまず考えられないことだが)、ほとんど人がいない。たまたま、誰も見ていないその絵の前に立ったら、実はそれがフェルメールだった、というほうが適切だろうか。 しかし、その絵を眺めれば眺めるほど、その色彩と描かれている人物、それを取り囲む空間などに惹きこまれ、そこを全く動けなかった自分がいたことを今でも忘れられない。 窓ガラスに、手紙を読む女性の顔がうっすらと写りこんでいるところ、本当に柔らかい光を、これだけ描ける画家がいた、ということの驚き。
ドレスデン美術館展では、フェルメールのこの絵以外の展示作品のことなど、今や他には何も覚えていなかったりもするのだが..... ドレスデンの宮殿の展示場から避難した絵の記事を読んで、私に初めてフェルメールを見る機会をつくってくれたのが、この美術館だったことを思い出した。
|