日記でもなく、手紙でもなく
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地下鉄・表参道の駅から、根津美術館方向に久しぶりに歩きました。
途中、右手にPRADAのビル。まだ建築途中(やっと建ちあがってきたところ)なので何ともいえないのですが、決してさほど大きい気はしません。ややこぶりな感じ。 銀座とともに表参道あたりには、ブランド・ショップの旗艦店が、この2年ほどで急増しました。結構、それらは偉そうな感じにつくられていたりもします。確かに超一流ブランドですから、それなりの権威性というのは、どうしても必要ではあるとも思いますが.....
久しぶりに根津美術館の中に入ります。美術館入り口の門から美術館の建物まで、敷石の工事をしていて、少し埃っぽい感じです。 今回は、明日まで開催されている<肥前磁器〜山本コレクションの優品〜>の企画展を覗きにやってきました。70点弱の伊万里と鍋島焼を中心に構成されています。
日本の肥前を中心にした磁器が、中国清朝の焼き物が内紛により輸出できなくなり、その代わりに日本が技術力を高め、磁器類の輸出をしていくことになる.... 肥前鍋島藩は、藩をあげて技術力向上を奨励し、その礎を築いていくわけです。
今回展示されていたものを見る限り、福岡で見た故宮博物館所蔵品の磁器というのが、ちょうど清朝期のものだったので、そのへんと比較しながら見ることができました。初期伊万里(17世紀初め〜半ばの頃)の染付(白地に青の文様の磁器)などは、まだまだ白い部分がグレイに近く、青の文様も限りなく黒っぽく見えました。やっと17世紀後半もかなり過ぎてくると、我々が思い描くような染付らしくみえてきます。 それでも、白地の部分などは、中国の磁器と比べるとまだまだ白くありません。地の美しい白さを出すというのが、いかに至難の技であったか、今回の展示をみることで、またまた再確認をしてしまいました。
同時に、伊万里らしい色彩とパターン、その美しさが感じられたのが、18世紀近くになって作られた<染錦菊花散文花形鉢>。このレプリカも、売店に売られていましたが、レプリカで何と10万円ほどする価格でした。 更に、18世紀前半につくられた<染錦団菊文透鉢>あたりになって、かなり繊細な透かし技法の鉢が見られました。伊万里で磁器製造が始まってから100〜150年にして、清朝磁器にやっと肩を並べるくらいになった、というところでしょうか。
もちろん、一部のものをみただけの印象ですし、当時の伊万里や鍋島のものでも、優れたものはもっとあったのかもしれません。 かたや、故宮博物館に置かれている<宝物>クラスのものと、かたや個人がコレクションしたものの寄贈品ですから、もともと比べるべきものではないかもしれません。
根津美術館常設展示の中には、中国・商の時代の青銅器がかなり数多く置かれていて、これも興味深く見ることができました。紀元前25〜11世紀頃という添え書きがされています。本当に古い。どれも、祭祀のような場や空間に用いられたようなもので、それらの一部に形どられている怪獣を見ていると、南米の古代文化などとも限りなく近いような印象を受けてしまいます。
美術館の外は、茶席の庵があちこちに置かれた庭。池には大ぶりの鯉が10匹以上いるのですが、人が近づくと餌がもらえると思ってか、すぐ足元まで近づいて顔を出してきます。 以前、もうずいぶん昔のことですが、根津美術館のこの庭の一部の道路から、骨董通りのほうへ抜けられた記憶があるのですが、現在では骨董通り側の門は閉ざされたままになっています。
昨日は午後9時過ぎ頃から夕立。 熱い空気に嫌気がさして、冷房の効いた店にいたので、雨も雷も全く気が付かずにいた。 店を出ると、その雨が残っていて、隣にあったコンビニで傘を買うはめになる。
上野駅では宇都宮線(東北線)が、少しの間止まっていたようで、既に発車しているはずの電車が、まだ出発できずにいるのだが、宇都宮線は後5分で再開、発車というアナウンスも聞こえてくる。 宇都宮線のすぐ発車する次の電車のホームに行くと、さすがにガラガラ。この電車も10分か15分くらいで発車するだろうと思って乗り込む。すると、5分もしないうちにまもなく発車します、というアナウンス。ラッキー。
どこも夕立の後で、空気が冷やされて気持ちがよい。涼しい空気が家の中まで入ってくる。
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今朝の新聞を見ると、7月はどこも暑かったようで、平均気温で1〜2℃平年よりも気温が高かったという記事があった。 東京・熊谷・横浜などではとりわけ暑く、平年よりも2.2〜2.6℃も高かったという。平均2.5度高いということは、1ヶ月30日として計算すると、延べ75℃高かったということだ。 ただ、これでも実感とは少し異なるので、もう少し実際に近づけると、例えば、平年と変わらない日が3分の1の10日あって、残り20日のうち10日は平年より1〜2℃高い、と仮定して考えてみる。この1〜2℃高いということは、延べでいえば15℃分くらいである。先の延べ75℃からこの15℃を引いても、のこり10日で60℃分高かったという勘定になる。 つまり、本当に平年よりぐんと温度が上がった日の上がり方の平均は6℃というとんでもない数が出てくる。10日もこれだけ温度が上がった日があれば、それはそれは暑い日だ。
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今日も、午後3時過ぎから、西の方から雲で暗くなり始め、稲妻が光ったと思ったら、大粒の雨が降り始めた。 はっきり確認できた稲妻が、200〜300本は少なくともあったのではないだろうか。雷鳴がゴロゴロと聞こえるだけの、またせいぜいピカッとどこかで光っても、稲妻をはっきりとは確認できないような雷というのが、東京ではごくごく普通である。5〜10分くらいの間に、10本ほども稲妻が見えると、おおっ!という感じになる。 それが、(昨日もそうだったらしいが)遠目に黒い雲と建物の間を1分くらい見ていれば、5〜10本の稲妻が確認できる。かなり激しい雷。 不思議なことに、(時々ドーンという音がするものの)会社で稲妻を見ている限りだと、音そのものは今回さほどでもなかったようだ。
午後6時過ぎに雨が上がり、銀座から西の方を見ると、青い空にピンクの夕焼け雲が美しく見えた。 昼間の暑さは、今日もどこかへと消えている。
| 2002年07月31日(水) |
横浜中華街・朝陽門そばにできる地下鉄駅 |
2004年に横浜中華街へ地下鉄が延び、朝陽門(東門)近くに駅ができるという記事が出ていた(日経朝刊・首都圏経済ページ)。 現在、東京方面からこの中華街へ出ようとすると、JR石川町、横浜寄りの改札から出て、中華街へ入っていくか、(関内駅降りてすぐの)横浜スタジアムの脇をぶらぶらと抜けていくか、そんな人が多いのではないかと思う。もちろん、横浜駅や桜木町駅からバスに乗るという手がなくもないが、石川町から歩いて5分くらいのところにあるわけだから、さほど歩いて遠い場所にあるとは思えない。地下鉄ができたらできたで、利用客は充分ありそうだが、東京方面からの客の一人である自分のことを考えると、どんなふうに利用するか、あまり見当がつかないようなところも残ってしまう。
ただ、この新しい地下鉄というのは、渋谷につながる路線になるとも書かれていた。とすると、東急東横線が横浜経由で中華街を通っていく路線になる、という可能性が一番高く、東横線沿線に住むような人々が、中華街に行きやすいルートをつくる、というところが、この話の一番のコアになる。 もう一つは、横浜駅から中華街へ行くにあたって、十分考えられるのが海側に新たに開発されているみなとみらいを経由していくコースである。国際会議場や赤レンガパーク経由で、神奈川県庁から中華街へ入っていくような路線を考えているのではないか、という気もする。もしそうであれば、新しく変わってきている横浜マップ上で、利用者がかなり想定できる路線になるだろう。そのようなルートが想定されているとすれば、別に中華街へ行くということではないにしても、自分自身が様々な目的や理由で横浜へ行き、その横浜の中で過ごす場所や時間のことを考えると、その新しい地下輝の利用が、少なくとも年2−3回は出てきそうな気がする。 更に、港の見える丘公園から本牧へ抜けていくことなども考えられているとすれば、本牧がイメージ的にかなり近くなってもくる。
中華街のほうに話を戻すと、地下鉄駅に近い朝陽門というのは、ホリデイ・インのすぐそばになる。横浜−桜木町−関内−石川町の駅を底辺に置いて描かれたような横長長方形の横浜市街図などで見ると、朝陽門の位置は北にあり、朱雀門(南門)が東の位置にあたるような気がしてしまう(朱雀門は、元町通りの中央あたりの位置から、運河を渡ったところにある門)。いずれにしても、現在東京方面から電車でこの中華街へ向かうと、この朝陽門をくぐって中華街に入っていくというのは、最もまれなパターンだ。 地下鉄の駅が、この朝陽門のそばにできるということになると、中華街へ入ってくる人の流れ方が、かなり変わってくることになるだろう。
ただし、中華街の場合、果して地下鉄の駅ができるだけで、(例えば大江戸線の麻布十番のように)商店街に来る人が増えたり、客層が拡がったりするようなことになるのだろうか、という疑問もまだ残る。 中華街といっても、その大半は中華料理店の集合体である。中華食材が揃うという面があるにしても、<中華料理>そのものの魅力の高さが、今の日本人に充分保たれているのかどうか、同時に中華料理を楽しむという行為の中で、横浜中華街がそれをどの程度満たしているのか、という問いかけをいつも行っていかないと、新しい中華街の発展もおぼつかない。
横浜に住んでいる人にとっての中華街だけで良いのであれば、そこまでする必要はないだろうが、東京からも足を伸ばしてもらう、ということになれば、メニューや空間設計、価格体系などの見直しは、今後一層必要になってくるような気もしている。また、それをやっていかないと、中華街全体の地盤沈下が生じてしまう。 自分のことを考えてみれば、現在、横浜中華街で中華料理をぜひとも食べたい、という気にはあまりならない。銀座で食べたほうが、自分の食べたいものが適価でおいしく食べられる、とも思ったりする。新宿にある、ヒルトンやセンチュリー・サザンのホテルで食べる中華料理のほうが、ずっと洗練された雰囲気で中華料理を楽しむことができる、とも思う。点心をいろいろ食べたいと思うような時なら、赤坂とか表参道にある店を、すぐ思い浮かべたりもする。中華を食べるために、わざわざ横浜まで行く、というような気はおこらない。 用事などがあって、横浜へ出かけた時、おなかが空いて、それが中華街のそばなら、中華街で食事をして帰るか、という気にもなるが、せいぜいその程度だ。横浜駅周辺とか、あるいはそこよりも中華街にずっと近い元町にいたとしても、恐らく中華街の中華を選択する、ということはほとんどないような気がしている。
ある意味で、食を中心とする<文化性>のコアが、食事の選択の中に無意識的に反映されてきたりもする。日本料理、イタリア料理、フランス料理、あるいはエスニック、さもなければファーストフード――などの、まさにカテゴリー対カテゴリーにおける、客の奪い合いの中にいる、ということでもある。しかも、それと同時に、もう一方では、横浜中華街の中華料理店が、日本のトップクラスの<中華料理>を、今でも牽引しているのかどうか、という視点からの検証も必要だろう。後者の視点というのは、ずいぶん前に、横浜中華街から消えているような気がしてしょうがない。
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