日記でもなく、手紙でもなく
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久しぶりに、昼間の時間帯に、中距離電車(停車駅が少ない)ではなく、各駅停車のJRに乗った。 一つ一つの駅の、ホームの横に設置されている看板の、<赤いほうがいいじゃないか!>という大きい文字だけの広告が、停車するたびに目につく。真っ赤な大型ボードだけに、始末が悪い。
<135円>と、値段だけ赤字で書かれたボードもそこそこあるのだが、最初見たときよりも大人しく見えたりするから、内心笑ってしまう。
しかし、どちらも芸のない、もっといえば芸も技もない広告だ。
絶対、どちらも飲んでやるものか、しっかりと決意してしまう。 店の店員が、比べる部分が、比べられる部分がほとんどないから、「ねっ、赤いほうがかわいいでしょ」と、口八丁で囁くのと、ちょっとわけが違う。
どうして、こんなふうにしかできないのだろうか。たかだか発泡酒なのだから、もう少し気持ちよく騙されてみたい、そんなふうに思った日曜日の午後。
<幸せ>ということばを使うときに、どうしても照れくささみたいなものが先にたってしまったりする。 堂々と、もっと使ってもよさそうなものなのに。
幸せの青い鳥というお話があったりして、実は幸せというのは自分の心の中にあるものだ、そんな風に思わせられてきたところもあるから、なおさらである。 確かに、心の問題。それに尽きる。
けれども..... このままでは話が続かないので、ちょっと別のことを考えてみる。
心のもち方の問題とすれば、幸せか・幸せではないか、そのどちらかを選ばざるを得なくなったりする。ただ、やはりこの選択は結構辛かったりもするのではないか。 ところが、アンケートなどでは<あなたの幸福度>みたいに、「程度」の問題として捉えられる。程度で考えると、ちょっぴり幸せな感じ、あるいはそのような状態になることというのは、しょっちゅうということではないにせよ、時々はある。そんなとき、ラッキーとハッピーは、そっくりな表情をしてみせる。
心の状態ではなくて、一つの能力と考えてみると、その程度はもっと生き生きとしてきたりする。 それは、様々な環境や様々な状態に置かれている時に、喜びや楽しさを見つけられる能力、みたいに定義してしまうと、心の問題そのものよりも、心の対応力の問題になってくる。
これだったら、もっと堂々と「幸せ」と言えるのではないか。
かつてはその勢いが止まることを知らなかったコンビニエンス・ストアであるが、その既存店の売上が2年連続で前年を下回ったという統計が発表されていた。
店舗数は今なお伸びてはいるのだが、その見かけで判断してはあぶないという統計が、この既存店売上の統計。 客単価の前年割れは、3年続いているともいう。
なかなか、このデフレは根が深いことが、このへんからもわかる。
そういえば、3日(日)に買い物に行った折、先週までは確かに営業していた、我が家に近いところにあるファミリー・マートが、既にかつてファミリー・マートであったことすらわからない状態になっていた。看板も店のデザインも、ファミリー・マートの痕跡を全て消していたのだ。 すぐそばに、スーパーも、セブンイレブンも、ドラッグ系ディスカウントストアなども、目と鼻の先にあったエリア。 客の入り方も、今ひとつだったし、結局だめになってしまったようだ。
東銀座駅そばにある、シアトルズ・ベストコーヒーの店も、ここへきて閉店に追い込まれているし、栄華を誇っていてブランディングの優等生であったスターバックスも、既存店の売上が落ちてきている、というような記事を、ついこの前見かけた記憶もある。
なかなか辛い季節が続いている。
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