日記でもなく、手紙でもなく
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2001年12月02日(日) 日野から富士美術館まで


 多摩のほうに住んでいる友人と、富士美術館でやっている美術展を見に行こうか、というような話を11月の中旬くらいにしていて、もし土日で展覧会が終了する前の早いほうがよければ、2日の日曜日だったら都合がつく、そういう連絡をもらっていました。
 先週の頭に、では2日に一緒に行こうという話になり、国立か日野あたりまで出てくれば、車で行くのでそこで拾っていくから、というコトバに甘えることにしました。

 地図で道路を調べてみると、やはり富士美術館までは、八王子まで出て、そこから向かっていくコースが一番わかりやすいので、日野で落ち合うことにしました。

 家から日野までは、武蔵野線に乗ってしまえば、さほど時間がかかるわけではありません。西国分寺から3つ目が日野です。
一つ先の、豊田に2年ほど住んでいたことがありますので、日野はおなじみのところです。

 13時に駅前で落ち合い、甲州街道(20号線)を八王子までまっすぐ行きます。八王子駅前の横山町あたりは古い商店街ですが、そこを抜け、東海銀行のところで右折。
 ここから16号線です。橋を越えると1車線になり、谷野街道へ入るところにあるシズラーで昼食。値段と味を考えると、隣のロイヤルホストのほうが安い分よかったという話をしていると、谷野町交差点へ。

 富士美術館はすぐ目の前ですが、やたらタクシーが列をなして待っています。
 ちょうど日曜日で、(創価大学や、創価学会の記念館などでも)様々なイベントが行われていて、この辺鄙な美術館もかなりの人で賑わっていると同時に、パーキングエリアも満杯。
 どうしようか、ぐるぐると同じところを何度も回ったあげく、少し離れた創価大学の合宿所近くの駐車場に小さい車なら一台くらいとめておいても大丈夫なところを発見しました。やれやれ。

 新世紀橋というのを渡って、創価大学の項内に入ると、建物の印象が、数年前中国の北京や上海で見たような感じの建物と同じような雰囲気をもっているのに気付きます。柄が大きいというのもあるのですが。
 坂を下っていく感じで、美術館までは道路沿いに行くよりも、かなり近道になりました。

 帰りはのぼり道。美術館内の人の多さと、こののぼり道をやってきて、車まで着くと疲れてしまった感じがします。帰りは同じコースで日野駅を通過し、甲州街道から川越街道を右へ折れ、京王線の高幡不動の駅で降ろしてもらうことにしました。
 ちょうど5時半。少し長い一日になりました。

 新宿駅で、少し風に吹かれたいと思い外へ出たら、木枯らしのような風を少し感じました。


2001年11月30日(金) 撤退


 外資の新しい業態の化粧品店が日本に進出してきたということで、開店当初はかなり話題になったのがフランスのセフォラです。銀座6丁目、銀座通りに面したところに日本最初の店が開店したのが2年ほど前。
 店頭に並んでいる欲しい化粧品を籠に入れ、まとめてレジで精算するというような売り方。

 TV番組の中で出てくる店の紹介には、メイクアップ・アドヴァイザーなども登場していたのではなかったかと思います。
 最初の銀座店開店後、原宿や大阪などを含め7店舗になり、一見拡大しているのかと思っていたものの、どうも売上が思わしくない、あるいは思ったほどではなかった様子で、ここへきて12月末に7店全てを閉鎖し、撤退するという記事が出ていました。

 記事を見た時には意外な感じもしたのですが、人気の(?)シャネルやクリニークなどのブランドをセフォラが仕入れられず、品揃えが偏り、あまり集客力のない店舗になっていたとのこと。
 やはり、このような商品カテゴリーの場合は(特にそうなのではないかとも思うのですが)、バランスを欠いた品揃えでは、なかなかうまくいかないようです。


2001年11月29日(木) 二通のはがき


 家に帰ると、時々メールでやりとりしている人から、今年お母さんが亡くなったということで、新年のご挨拶は失礼したい旨の喪中はがきが着いていた。そういえば、ちらとそのようなことを聞いたようなことを思い出した。
 12月近くなると、そろそろこの喪中はがきが舞い込み始める。年賀状ではなくて、この喪中はがきのほうが増えてきたりもする。

 もう一枚のほうは、お礼のはがき。あるところに紀行文を書いた同期がいて、その話を伝えたら早速それを読んだ、という電話が本人のほうにかかってきたらしい。高校時代の友達というのは、ありがたいと結ばれていた。


riviera70fm |MAIL