日記でもなく、手紙でもなく
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2001年10月15日(月) 10月の真ん中で


 10月もちょうど真ん中の日。
 タクシーにのったら、結構クルマが多くて、予定よりも時間がかかった。
 不況だといいながら、最近は以前より大型のトラックも良く見かける。モノや人は何か動いていて、動いていれば何らかの価値を発生させているのだが、えらく効率が悪い動かしかたをしているのかも。

 さて、炭疽菌の怪は、テロではない、とは否定できないような状況になってきて、一部パニックが出てきたりもしている。困ったものだ。
 じわじわときているところが、なんとなく不気味なところがあるけれど、ヤバそうな気配だけに負けてそれから逃れることだけを考えず、少し心を強くもち、この出所についても、これから今まで以上に注目しておく必要がある。

 もう一つの狂牛病の話というのは、情報処理の方法が悪くて、簡単な話を面倒くさくして、人々を不安にさせているところがあったりする。
 本当は、狂牛病よりも、もっと大きなリスクもあるのだけれど、そこに目がいかないよう、この騒ぎを大きくしている輩がいるとすれば、それこそ本当に、最悪の輩であるにちがいない。
 そういう輩がいないことを祈るが、いないという保証がないところも辛い。


2001年10月14日(日) 勝手な想像

 その会場で、H氏に呼び止められた。かなり以前から知っている人。

 数年前になるが、この人の娘さんの就職時に、話を聞かせてやって欲しいということで、一度だけその人にお目にかかったことがある。近くのJRの駅の改札で待ち合わせをした。
 父親の雰囲気からすこしいかつい感じを想像していた。きょろきょろしていたら、若くてきれいな女性から声をかけられた。勝手に思っていたイメージとは、全然異なっていた。こんな感じの娘さんがいたら、お父さんはなかなか気が気ではないだろうとも思ったくらい。

 娘さんの仕事のほうが、今あまりうまく行ってないような感じがする、という父親。あまり話したがらないようなので、深く聞かないのだけど――という話。

 キャリアアップみたいなことかもしれませんね、という話をしてお茶を濁す。ひょっとしたら、もっと別のことかもしれないとは思いながらも。


2001年10月13日(土) 名古屋


 私にとって、名古屋というのは、今までほとんど通過してきたような街です。
 京都・大阪へ行くときはもとより、以前南紀のほうをぐるっと回ったときですら、名古屋駅でちょっと降りて、お土産と弁当を新しくできた高島屋の地下で買っただけでしたし。

 かなり以前のことですが、栄の地下街まで、1回だけ行ったことがありますが、地上はほとんど店が見当たらないのに、地下に飲食店などがひしめいている風景だけ、強く印象に残っています。でも、その時になぜ名古屋の栄だけに寄ったのか、ほとんど記憶がありません。
 旅の途中だったようにも思います。

 縁がないといえば縁のない街だったのだろうとも思います。

 たまたま、13日の夜から、名古屋駅の太閤口を出てすぐのところにある、建って間もないような三交ホテルに一泊し、翌日は午前中から藤ヶ丘のほうに夕方までいることになりました。
 今回も、街中を歩き回るということはできずに終わって、やはりあまり縁のない街なのか、というようにも思ったりしましたけれど。

 少し風の強い、暑いくらいの日。名鉄バスには、平日のバスカードだけではなく、休日用のバスカードというのが、かなりお得な価格設定になっていることを示す案内が出ていました。一都三県で使える関東のバスカードには、まだこれはありませんが、そのうち登場してくるのを期待したいところでした。

 その日の午後8時過ぎの新幹線で戻る予定で、名古屋駅には7時少し前に着きましたので、近くで食事でもして帰ろうと思い、松坂屋の上の階にある飲食店がいくつか入っているところまで行き、ぐるっと回ってみましたら、東京や大阪で既におなじみのような店が大半で、急にげんなりしてしまいました。

 そのフロアを一周した後、ま、この店でもいいかと思って入ったのが和蘭亭という洋食屋さん。
 食べてよくわかったのが、ドミグラソースをきちんと用意している正統派で、しかも安い店。味も変なしつこさがなく軽やかでしたので、結構気に入りました。
 名古屋へ来たからには、海老フライが入ったものを食べようと思っていましたので、とりあえず目的は満たされました。海老だけではなくて、ムースのようなものを一部入れて、海老フライが比較的まん丸に揚げられて出てきます。食べた感じは、ほんとにふわっとした仕上がりでした。

 高島屋閉店間近に、地下のフロアで、手作りういろ(挽茶)というのがありましたので、それをお土産にして、新幹線に乗りましたが、乗ってからすぐ、また名古屋城の金の鯱鉾を見ることなく、東京に戻ることになったということに気づきました。縁のない街というのは、そういうものかもしれません。


riviera70fm |MAIL