日記でもなく、手紙でもなく
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深夜TVを見ていたら、フランス料理店の総料理長をやっていた人が、神田でテイクアウトのパイとスープの店 "Pas Mal" をやっているという30分のドキュメンタリー番組があった(TBS)。 日比谷にある、なかなか有名なアピシウスというレストランで、15年間に亙り、総料理長を勤めた人。基本的には、奥さんと2人でその店をやっているのだが、今は再び自分で鍋洗いもしている、というようなシーンもあった。
なぜそのような人が、神田でパイのテイクアウトの店を?というところが、関心をひくところ。以前勤めてたクラスの店だと、普通の人だと、料理長というのはせいぜい5年。それを15年も勤めてしまい、長くやりすぎたとのこと。あまりの激務で、とうとう心筋梗塞で倒れ、奥さんのほうも、ちょっと体を悪くしたので、そのリハビリを兼ねて、自分でこの店を始めたという。
神田という土地柄、昼食などでは500円というところも多いが、ある程度の味を確保しようとすると、パイといえど、素材が悪いと美味しくないので、がんばって価格を考えても、パイ1つ、スープ1カップがそれぞれ600円。それでも、近くの会社に勤めている人なんかは、なかなか来ないとこぼしている。 お金さえあれば、銀座に店を出したかったとも。 それでも、日比谷の店に食べに行ったことのある人が、わざわざ遠方から、この店まで買いに来てくれる場合も多いという。
料理長時代、この奥さんと一緒に、いろいろ美味しいものを食べに行ったという話を、その人がしていた。給料の半分はそれで消えたと。 この人の場合、自宅では一切調理せず、調理は奥さんに任せる。美味しいと言って食べるかどうかはわからないが、絶対マズイというような話はしないそうだ。 同時に、奥さんが作る食事が不味いという旦那がいるけど、それはその奥さんと一緒に、美味しいものを食べに連れて行っていない旦那の責任が大きいね、という話をしていたのが、とても印象に残っている。
番組だと、ちょっとその住所が分からなかったので、今日思いついて、調べてみると1件だけだが、きちんとメモを残している人がいて、私自身はとても感激する。平日だけの営業、しかも11〜14時、17〜19時。番組の中ではなくなったら終了みたいなことも示されていて、少し遅くいくと、もう買えないこともありそうだ。
| 2001年04月23日(月) |
ジュゼッペ・シノーポリ |
先日は本当に久しぶりにお目にかかれ、それでも、あまり変わられていないのに驚くと同時に、私にはとても嬉しい気がしました。 確かに、まだ10年経っていないのかもしれませんが、インドネシアのほうにその後行かれてから、本当にずいぶんと時間だけが流れていったような気もしています。
Mさんのことで忘れられないのは、ちょうど10年くらい前に、春分の日にウィーン国立歌劇場来日公演に行った時のことです。この日のことは、たぶん一生記憶に残っていくのだろうと思います。 私のほう、休日ではあったものの仕事があったため、朝からちらついていた雪が、本降りになり始めた10時頃に家を出て会社に向かいました。その頃から徐々に雪が積もり始め、会社に着く頃には東京でも、あちこちが白く覆われてしまう、そんな日でした。
夕方待ち合わせをした青山一丁目の駅近くで、待てど暮らせど来ないMさんに、この雪でどこかで閉じ込められてしまったのか、家にも戻れないのか、本当にどうしたのかと思っていました。 40分経っても、50分経っても現れないので、今日はやはり来れないのか、そんなふうに思っていましたら、赤いブーツを履いて交差点の雪だまりを除けながら、こちらへやってくる姿を見かけたとき、本当によくぞやってきたなぁ、とつくづく思ったことは言うまでもありません。
開演時刻が迫っていることもあり、そこからすぐ近くにあるスパゲティ屋で簡単に食事をして、NHKホールに原宿から行ったのでしたね。 あの時、ウィーン国立歌劇場を指揮したのが、シノーポリでした。
その、ジュゼッペ・シノーポリが、ベルリン・ドイツ・オペラでアイーダの公演中に、心臓発作で倒れて亡くなった、という記事を読みました。 ちょうど私たちが、そのオペラを聴きに行った頃、日本だとまだまだ知る人ぞ知る存在だったような気もします。
54歳という年齢を考えると、また、指揮者ということからそれを考えると、まさにこれからが活躍時期でもあったように思い、本当に惜しい気もします。
今日、Mさんとのそんなことを、思い出してしまいました。
春というと、九州、特に福岡に住んでいたとき、中国から飛んでくる黄砂というのがあったことを思い出した。空が黄色く霞む日。 その頃は、小学校の時だったが、「砂」が中国から飛んでくる、というのが驚異だった。
ところで、その中国における砂漠化が今進行しているという。北京の市内からほんの少し離れたところでも、家の高さ以上に砂が積もり始めているところも出ているという。 その砂漠化の進行により、日本に飛来する黄砂量も、どうも増えているらしい。年間飛来量300万トンというのは、かなり凄まじい量だ。日本に飛んでくるのは、3−4月がピークということだが、それが飛んでくる時期は、毎年毎年早くなっているという傾向もあるらしい。つまり、中国の砂漠化というのは、対岸の火事というわけにはいかない、ということにもなってくる。
300万トン飛んでくるうち、地上にそれが降ってくるのは、西日本が中心。1平方メートルあたり、2−3gくらい。30坪の1軒家が建つくらいの土地を考えると、約100平方メートル弱だから、1軒の家に200〜300gは降っていることになる。10年経てば、2−3kgが降り積もるということだ。
毎年毎年、1平方キロあたり、2−3トン。いつしか、日本も黄砂で埋もれてきそうな感じの量。日中共同調査が行なわれ、中国も発生源の緑化対策を講じるらしい。 ただ、中国の砂漠化進行は急で、焼け石に水というように言う人もあり、ほんとに大丈夫なのだろうかと心配もする。
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