日記でもなく、手紙でもなく
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| 2001年03月01日(木) |
初めて行ったアメリカで見た<ユニバーサル・スタジオ> |
もう十数年前に、初めてアメリカへ行った研修ツアー時のこと。
たまたまロスで、自由時間が増えてしまい、それならということで、ユニバーサル・スタジオへぜひ行きたいと騒いでいたのが同じメンバーの中にいて、一緒にそこへ行った記憶が蘇りました。
まだ、その頃ですと、今年オープンした日本のユニバーサル・スタジオほど、アトラクションそのものは洗練されてなかったような気もします。トラムというのに乗っかり、スターウォーズのシーンに似たセットで、光線銃を発射され、ETのセットをみたり、水辺では、ジョーズのつくりものが、ぬわーっとあらわれて、驚かされたり−−などなど。
ただ、ユニバーサル・スタジオへ行って、ああ、映画の国だと思ったのが、タレント・スカウトのアトラクションでした。
つくりものの飛行機の一部とか、大きな水槽みたいなものが置かれた屋外ステージ。客席から、出演者を8名ほど募って、そのボロ飛行機に乗って、落ちそうな感じで演技したり、水槽に飛び込むところ(実際には、水槽の後ろのほうに飛んで、飛び込んだように見せるところ)なんかを、ビデオで撮影していくわけです。監督のような役割の人に、ああしてこうしてと言われながら、時間は過ぎていきます。 ここまでは、客席のほうで見てても、さほど面白いわけではありません。
この撮影が終了後、すぐにそのビデオを、ステージに何台もとり付けられたモニターに試写します。 あっ、と驚くのがここで、昔の様々な映画シーンの断片などと、そこで撮影されたものを編集した形で、一つのドタバタ短編映画、サウンド・イフェクト付きで、見られることになります。確かに、決まりきった編集の中で、今ビデオで撮った部分をはめ込んでるだけなのですが、出演者はうまくクローズアップで撮れてたりするし、飛行機から落ちそうになってるシーンもそのように見えるし。
会場にいた人が主役で出演してるような短編。まさに、編集って映画の中で重要で、面白いでしょ、と語りかけてくる感じでした。
大阪のユニバーサル・スタジオのプレ・オープンという記事を見て、そんなことを思い出しました。
今はそうでもないが、以前日本酒だけは、ほんとに飲めなかった。香りがだめだったように思う。 ある時点で、体質が変わったらしく、それ以降は少し飲めるようになった。 それでも、比較的さらっとした感じのもののほうが、自分には合ってそうな気がしている。
アミューズ/2.28号で、特集が、最新地酒情報2001。
吟醸、大吟醸といわれた酒が、次々と登場してきた頃だと、その味の方向としては、淡麗辛口系が多かったのではないか。 ところが、8年ほど前に芳醇旨口系の酒としてデビューし、一気に人気が出たのが「十四代」という酒(細かくいえば、その中に、使っている米の違いや、大吟醸/純米吟醸の違いなどによって、かなりいろいろな種類)があるらしい。
うむむ、飲んだことがない、芳醇旨口系というのは、いったいどんなものだろうか.... 既に幻の酒になっているらしい。
この特集、鈴伝の地酒ベスト100つき。カメハメハではなく、カメカメハという酒が滋賀にあるのを知る(正しい銘柄名「亀亀覇」)。
| 2001年02月23日(金) |
ダイヤモンドとデ・ビアス社 |
ダイヤモンドというのは、美の究極と捉える人もいる代わりに、美の対局にあるものと考えている人もいる。 ダイヤモンドをつければ美しくなれる、なった気がすると考える人もいるかと思えば、美しい人なら、ダイヤでもガラス玉でも、さほど変わらないと考える人もいる。
ただ、ダイヤというのは、鉱物学的にいえば、一番硬度の高い石であると同時に、経済学的には(昔はその希少性から、20世紀の大恐慌の後は、そのシンジケートの徹底した管理により)それが時代や地域を越えて「価値ある石」=とりわけ換金しやすい宝石として位置づけられてきたのも事実。 「金」そのものは貨幣とほぼ等価だが、小さい純金を持っていても、小銭にしかならない。
ダイヤの違いは、まさにここにある。直径1センチのダイヤでも、かなりの値段がついている。さらに大きくなれば希少性も上がり、価格はぐんと跳ね上がる。 カッティングなどによって、更に価値が高まったりもするので、究極の宝石というような意味すら持ち得てきた。
歴史上、流浪の民であったユダヤ人が宝石を大切にするのは、持ち運びやすい形に資産を変えておくという知恵がそこにあったという。いまでも、もしNYのダイヤモンド・ストリートを歩けば、恐らく山高帽の昔と変わらぬユダヤの人々に数多く出会うことになる。 実は、そのような瞬間というのは、まさにその歴史と出会っていることになるのだが。
彼らの生活は恐ろしく質素ではあるが、日本人から見ると、日本人の生活から一番遠いダイヤを扱っている、という意味では、まさに象徴的な感じもひしひしとしてくる。
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ところで、過去においては、デ・ビアスという会社が、産出されたダイヤモンドを全部買いとり、その流通量をコントロールすることで、価格維持を行なってきた(行なえていた)。ところが、オーストラリアやカナダのダイヤ鉱山会社は、デ・ビアスの流通ルートとは別の販売網を確立したり、ロシアから裏ルートでダイヤが市場に出たりして、無競争から価格競争の状態に入ってきつつある。 そんな中、デ・ビアス社は、昨年の夏に、価格を維持するのは、「もう、やーめた」、と発表する。 これは、今までのダイヤ市場のことを知ってる人からすると、「大変」な事態だ。
象徴としては、ベルリンの壁の崩壊に近い感覚。 価格維持政策というのは、短期であれば可能だが、歴史的には直近の20世紀では、デ・ビアスの最大70年程度が限界だ、という経営学的事例として記憶されることになる。
しかし−−。ここへきて急に、デ・ビアス社は上場を廃止すると宣言。この背景には、上場していると、株主から、不良在庫抱えてるから、利益があがらないし、利益あがらないと配当も出なくなるし、そんなことやってるような経営陣は変えるべきじゃ〜、とか言われることになる。 現在の経営陣としては、これが辛い。行くも戻るも地獄とはこのこと。 なんとか現経営陣が頑張ろうとしても、市場の価格低下圧力は強まってくる。価格低下が進めば、不良在庫は一層深刻になる。
経営陣が変わる、たとえばどこかの銀行の人間が入ってきたとすると、不良在庫はできるだけカットしようと、在庫ダイヤは市場にばらまかれてしまうだろう。 こうなると、一気に価格が急落して赤字へ。 上場のままでは、身動きが取れなくなって来て、この際、上場を廃止してしまえば、内輪で経営ができ、過剰在庫が増えても、文句を言う人はいない、というような決断をしたものと思われる。しかし、時代には逆行してるようなパターンであることは間違いない。
まあ、減ったといえどシェアは6割を越す。(質の良いダイヤは限られるので)まだまだ価格に影響を及ぼすことができるポジションにはいられることにもなる。株主からあれこれ言われずに済めば、当然心労も減る、長生きもできる、と読んだかどうかは、私は知らない。 後は、市場に出てる株式を、デ・ビアスの会長であるオッペンハイマーさんが、昨年1年間の平均株価の1.7倍くらいの価格で、株式を公開買い付けするらしい。但し、このへんも、大規模な株の持ち合いをしている企業があること、その企業というのは、やはりオッペンハイマー家が創業者である(!)、というとんでもない関係があるので、なかなか怪しくも思われる。
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結婚○○周年記念のダイヤモンド、というTVのCMを覚えている人もいるかと思うが、これによって、日本のダイヤ市場も順調に拡大していたといういきさつもある。 今後ダイヤの相場が下がるという見方が増えているという話も出ているものの、とんでもない下がり方は、あまりしないようにも思われる。(ダイエーが不良在庫を、その1割の値段で売るという記事が今日出てたものの、ダイヤの場合、恐らくそんなふうになることはなさそう。)
安くなったとしてもダイヤはダイヤなのだろう、とも。腐っても鯛、というのと似ている?
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