日記でもなく、手紙でもなく
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| 2001年01月28日(日) |
横浜のカレー博物館と中国茶専門店 |
日本のカレー発祥の地である横浜に、カレー博物館というのができたというのを、12ch.のWBSでやっていて知る。日本全国からおいしいという定評のある店が何軒か、その中に入っていて、そこで食べられるとのこと。これは、一度は行ってみないと、と考えていたところ、その機会ができた。
伊勢崎町の入り口のPIAステーションの7−8Fが、そのカレーミュージアム。 エレベーターに乗って、そこまで行くのにすら並ぶのだから、先が思いやられる。なんとか、ミュージアムへは、さほど時間がかからずに入れたものの、7店ある店はどこも順番待ち状態。 よこすか海軍カレーで有名な「ぐーるMAN」に入ろうかと思ったら、列の最終尾で、今お並びになりますと、たぶん2時間半くらいかかりますが、よろしいでしょうか、と言われる。よろしいわけはないので、別のもう少し早く食べられる「トプカ」の列に並び直し、ここで約30分待ち。
いちおう、ここまでわざわざ来た以上は食べて帰らないとね、と思ってがまんして並ぶ。この店はインドカレー&欧風カレー両方あって、メニューには、メンチカツカレーとかあったのだが、既に売り切れマークがチケット自販機に点灯。 ビーフ野菜カレーを食べることに。こういうミュージアムに入ってる店なので、ハーフ・サイズメニュー(半額よりちょい高い金額)があるのは良いものの、でも、できれば待ち時間はせいぜい10分くらいになって欲しい。味については、悪くはないものの、果たして30分も待って食べるものかという点については、あまり納得できなかった。
特に私が入った店のカレー、あと口がよくない。長時間残る。おいしいと言われているカレー店で、最近これが比較的多いのは、ちょっと考えもの。
しかし、これだったら、私は並ばずに、銀座でカレー食べたほうがずっと良い、というのが率直な感想。
その後バス通りまで出て、吉浜橋で下車。
中華街のお茶専門店へ入って物色していたら、店のおっさんが、これ入ったばっかし。なにしろ美味しい、と言いつつ指でさし示すのは、凍頂烏龍茶。50g2000円を超す。 うむむ。やはりそうきたか、高いやつやっぱり奨めてきたな、と思いつつ、湯呑みに入れ熱湯を注ぐと花が開く、まんまるの形をしたのが5個入っているお茶と、これも入荷間もない東方美人(これも烏龍茶の一種)を50g、その高価な凍頂烏龍茶を、これ美味しくなかったら、今度来て首締めてやるから、と思いつつも買う。
家へ帰って、さっそくその高価な烏龍茶を入れて飲んだところ、さすがに見事な香りと味。 小さく丸まった茶葉が、湯の中で大きく茶の葉の形に開く。私の場合は、すこし大ぶりのマグカップに、紅茶でも普通のお茶でも、なんでもたっぷりいれて飲むのが好きなので、その烏龍茶も2回ほど出して、2杯たっぷり飲む。 特に感嘆したのは、冷めた時の味。美味しい紅茶でもそうなのだけど、美味しいお茶は、冷めても美味しいし、冷めた時に飲むとそのお茶の素性が良く分かる。
しかし、美味しいけど、それにしてもちょっと高い。紅茶でも私はこんな高いお茶は普通飲まない。その日二回目に思った、これもちょっと考えもの。
ところで、中華街で新たに発見した新事象。「回転飲茶」。 やっぱりこれ出てきたなぁ、と心の中で苦笑。少し長く感じた1日。
| 2001年01月23日(火) |
<正義>ということばは、いま? |
TVでブッシュ新大統領の就任演説のニュースを見ていた時に、字幕で「正義」というコトバが出てきた。一瞬どきっとする。ジャスティスということばを、そのまま正義という字にしてるだけなのだけど。
なんか久しぶりに見たなぁ、<正義>っていう字、忘れかけていた人に偶然会ったときのような感覚。そういえば、モリタマサヨシもこの字だったよなぁ、とか思いつつ。
日本だと正義ということばより、仁義とかのほうが、最近でも見かけたりする。こちらの概念のほうが、まだまだはびこっている。 ただ、そんなこと考えるとなかなか情けなくもなってくる。仁義は正義と違うもんね。でも、なんで最近、正義ということを、あまり見かけなくなったのだろう。
あまりに正義がないからか。 あるいは、正義なんて言うヤツにロクなやつはいないと思ってるからか。うう〜ん(絶句)。
正義というと、なにか絶対的な基準があるような感じもする。正義は必ず勝つ!って言われてもね。
ところで、ジャスティスのほうは、もっと公正という意味が入ってる。フェアという価値観は、欧米だと、ものすごく基本的なところから形成されてるし、その意味でのジャスティスというコトバは、日常に根付いたコトバなのだろう――とも思う。
この「公正」ということばは、日本でも見られないことない。ただ、フェアという概念よりは、ずっと理解しにくい感じがする。曖昧なところが多い。 偉そうな人が何人か集まって委員会をつくると、すぐコレがつくみたいな。しかし、考えてみれば、これはちょっとどうだろうか。
私はどちらかというと、本は店で手にとり、ぱらぱらと見てからでないと、どうも買う気がしないほうです。
仕事で必要になって、ネットで検索して買ったことはありますが、その時は領域的にかなり限定された専門書だったので、検索しても4冊しか出てこず、同じ著者のものだけ、新しい本にして、3冊まとめて買う、みたいなことはありました。が、それもその時1回だけ。
本屋に行かないで買うというのは、探し出す楽しみを捨てているような気もします。 逆に、その分、店頭で見て衝動買いしてしまう本も、かなり多いのですが、考えてみると、衝動買いしてしまう傾向が高い本屋というのは、いくつかに限られるようです。
一つは、週一回はそこを覗くのが習慣のようになっている、会社の近くにある比較的こじんまりした書店。こじんまりしていて、そこに比較的自分の好きな作家や領域の本が、見つけやすく並んでいる書店というのは、貴重な存在です。ざっと店内を短時間で見られ、これは!という本が見つかるからに他ありません。よく行っているから、新たに入荷したとおもわれる本が見つけやすい、ということもあるからです。
銀座のイエナも好きな本屋の一つです。当然その下にある、近藤書店にも行きますが、イエナで衝動買いしてしまう金額のほうが、ずっと多いはずです。ここで音楽とか映画、美術の本(場合により建築系の写真集)とかを見てると、ううっ、欲しい――とか思わせる本によく出くわします。読まなくても、見てるだけでも楽しい本を、多く並べているところが、洋書を扱いながらも、親しみを感じさせる要素になっているのだろうと考えます。
最後の一つは、六本木の青山ブックセンター。この書店に行くたびに、この店はひょっとしたらスゴイ店かもしれない、と思わせられるところがあります。確かにスペースも広いし、在庫冊数が多いのも事実ですが、それでも、神田の三省堂とか書泉などと比べると、ずっと狭いし在庫も少ないはずです。 けれど、そのような(より)大きな書店よりも、青山ブックセンターのほうが、面白そうな本がたやすく見つかるこの不思議。ここが、この店がタダモノではないところでしょうか。私の仕事にも趣味にもあまり関係ないような、哲学とか歴史・宗教系の本なんかの選択&品揃えがうまいようです。しかも、他所では何冊も売れると思えないような本が、ドーンと平積みで置かれていたりします。あの自信たっぷり、余裕しゃくしゃくの雰囲気には、つい負けてしまいます。この哲学書、あなた読まないと、一生後悔しますよ――というように、本から言われているような感じ。
よくよく考えてみると、これらの本屋というのは、共通した特徴があって、その店の(独自の)目線で、本を選択して仕入れているところ。だから、見ていても面白い。その店が何を考えているか、置かれている本が、ちゃんと語りかけているようです。 JR駅前に本屋を構えるような店というのは、どこも似ていたりします。品揃えが似ていて、面白くもなんともないような感じがします。新しい雑誌を買うのには、便利なロケーションではありますが。
反対に、行ってもあまり買いたくなくなってしまう典型が、八重洲ブックセンターです。ここには、目的を持っていかないと、単にぶらぶらみているだけでは疲れ果ててしまうだけのような気もします。結局、見るだけで何も買いたい気分にならない、発見が少ない店というのは、買おうと思って来ている気分を逆撫でしてしまうようなところがある、というと言い過ぎでしょうか。
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