日記でもなく、手紙でもなく
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| 2001年01月23日(火) |
<正義>ということばは、いま? |
TVでブッシュ新大統領の就任演説のニュースを見ていた時に、字幕で「正義」というコトバが出てきた。一瞬どきっとする。ジャスティスということばを、そのまま正義という字にしてるだけなのだけど。
なんか久しぶりに見たなぁ、<正義>っていう字、忘れかけていた人に偶然会ったときのような感覚。そういえば、モリタマサヨシもこの字だったよなぁ、とか思いつつ。
日本だと正義ということばより、仁義とかのほうが、最近でも見かけたりする。こちらの概念のほうが、まだまだはびこっている。 ただ、そんなこと考えるとなかなか情けなくもなってくる。仁義は正義と違うもんね。でも、なんで最近、正義ということを、あまり見かけなくなったのだろう。
あまりに正義がないからか。 あるいは、正義なんて言うヤツにロクなやつはいないと思ってるからか。うう〜ん(絶句)。
正義というと、なにか絶対的な基準があるような感じもする。正義は必ず勝つ!って言われてもね。
ところで、ジャスティスのほうは、もっと公正という意味が入ってる。フェアという価値観は、欧米だと、ものすごく基本的なところから形成されてるし、その意味でのジャスティスというコトバは、日常に根付いたコトバなのだろう――とも思う。
この「公正」ということばは、日本でも見られないことない。ただ、フェアという概念よりは、ずっと理解しにくい感じがする。曖昧なところが多い。 偉そうな人が何人か集まって委員会をつくると、すぐコレがつくみたいな。しかし、考えてみれば、これはちょっとどうだろうか。
私はどちらかというと、本は店で手にとり、ぱらぱらと見てからでないと、どうも買う気がしないほうです。
仕事で必要になって、ネットで検索して買ったことはありますが、その時は領域的にかなり限定された専門書だったので、検索しても4冊しか出てこず、同じ著者のものだけ、新しい本にして、3冊まとめて買う、みたいなことはありました。が、それもその時1回だけ。
本屋に行かないで買うというのは、探し出す楽しみを捨てているような気もします。 逆に、その分、店頭で見て衝動買いしてしまう本も、かなり多いのですが、考えてみると、衝動買いしてしまう傾向が高い本屋というのは、いくつかに限られるようです。
一つは、週一回はそこを覗くのが習慣のようになっている、会社の近くにある比較的こじんまりした書店。こじんまりしていて、そこに比較的自分の好きな作家や領域の本が、見つけやすく並んでいる書店というのは、貴重な存在です。ざっと店内を短時間で見られ、これは!という本が見つかるからに他ありません。よく行っているから、新たに入荷したとおもわれる本が見つけやすい、ということもあるからです。
銀座のイエナも好きな本屋の一つです。当然その下にある、近藤書店にも行きますが、イエナで衝動買いしてしまう金額のほうが、ずっと多いはずです。ここで音楽とか映画、美術の本(場合により建築系の写真集)とかを見てると、ううっ、欲しい――とか思わせる本によく出くわします。読まなくても、見てるだけでも楽しい本を、多く並べているところが、洋書を扱いながらも、親しみを感じさせる要素になっているのだろうと考えます。
最後の一つは、六本木の青山ブックセンター。この書店に行くたびに、この店はひょっとしたらスゴイ店かもしれない、と思わせられるところがあります。確かにスペースも広いし、在庫冊数が多いのも事実ですが、それでも、神田の三省堂とか書泉などと比べると、ずっと狭いし在庫も少ないはずです。 けれど、そのような(より)大きな書店よりも、青山ブックセンターのほうが、面白そうな本がたやすく見つかるこの不思議。ここが、この店がタダモノではないところでしょうか。私の仕事にも趣味にもあまり関係ないような、哲学とか歴史・宗教系の本なんかの選択&品揃えがうまいようです。しかも、他所では何冊も売れると思えないような本が、ドーンと平積みで置かれていたりします。あの自信たっぷり、余裕しゃくしゃくの雰囲気には、つい負けてしまいます。この哲学書、あなた読まないと、一生後悔しますよ――というように、本から言われているような感じ。
よくよく考えてみると、これらの本屋というのは、共通した特徴があって、その店の(独自の)目線で、本を選択して仕入れているところ。だから、見ていても面白い。その店が何を考えているか、置かれている本が、ちゃんと語りかけているようです。 JR駅前に本屋を構えるような店というのは、どこも似ていたりします。品揃えが似ていて、面白くもなんともないような感じがします。新しい雑誌を買うのには、便利なロケーションではありますが。
反対に、行ってもあまり買いたくなくなってしまう典型が、八重洲ブックセンターです。ここには、目的を持っていかないと、単にぶらぶらみているだけでは疲れ果ててしまうだけのような気もします。結局、見るだけで何も買いたい気分にならない、発見が少ない店というのは、買おうと思って来ている気分を逆撫でしてしまうようなところがある、というと言い過ぎでしょうか。
| 2001年01月17日(水) |
阪神淡路大震災からちょうど6年目の日に |
朝起きる時、ラジオの目覚ましで起きるのですが、その日、地震があったというニュースで、えっ?とふとんから起き上がりました。 時間が経つにつれその惨状がはっきりし、時間が経つにつれなくなった人の数が増えていったことや、TVで夜中まで家屋が燃えていた風景などのことは、今でも覚えています。
たまたま、外部のプロジェクトの午後のミーティングで、大阪から来ることになっていた人もいたのですが、その人が朝、乗り換え駅のホームで電車に乗ろうとしたとき、地震にあったとのこと。まさに、ホームが波打つのを自分の目で見た時は、ほんとに信じられなかったという話を、後から聞きました。
その人は、自分の家まで歩いて戻り、幸いにも家族はちょっとけがをしたくらいですんだものの、家は2階が崩れてしまった状況を見ると、さあほんとにこれからどうしよう、という思いにとらわれたといいます。あと3−4km先までいくと、以前と変わりない生活を送っている、食べ物も飲み物もある、というのがわかったのだけど、周囲も似たり寄ったりの状況では、なかなかそこから脱出しよう、というような気になれなかった、という話も聞きました。
アホみたいやねんけど、その時はなかなかそういう気になれなかったのが、自分でも不思議でしょうがない、と言ってましたね。
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