のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2003年12月28日(日) たいせつなひと

 松山出張生活が続く。
 この地に長期出張に訪れてから漸くというかあっという間にというか、まずは1ヶ月が経過した。思い起こせば今年の始まりも長期出張であった。まだまだ記憶に新しい滋賀県大津市。琵琶湖の辺に暖房の殆ど効かないマンスリーマンションを借りて約3ヶ月、疲労と充実の日々がそこにあった。そして今は愛媛県松山市。こう、指折り数えてみると今年1年間の約4ヶ月は出張生活をしていた計算になる。あまつさえ本来の業務での出張も少なくは無かったので丸5ヶ月は家を留守にしていたことになるのだろう。そういう意味では、俺の不在について余り兎や角言わないツマには感謝しなければならない。
 松山での生活が滋賀にいたときと決定的に違うのが“自分用の営業車がない”ということだ。今回は完ペキに事務方の仕事で松山にやってきているので営業車の割り当てがないのも仕方がない。車を駆って走り回っていればちょっとの合間に本屋などで情報を仕入れて、休日に遊びに出かける計画も立てようかという気にもなるのだが、滅多に車に乗らず一日狭い事務所に閉じ込められてノートパソコンに向かい、会社のあちこちからの電話問い合わせに対応していると、こう気分がナナメに鬱屈してくるのが分かる。だから無理やり車を使うような用事を作るようにはしているのだが。
 今回の出張は滋賀と比べて仕事の質は高いが、休みの日などの楽しみは少ない。


 その女性アーティストのことがいつ頃から気になりだしたのか、余り記憶にない。CDは全部持ってます、というわけでもなく、何年か前にレンタル屋で借りたベスト盤をMD録音したものが一枚愛車の中に入れ放しになっている、という程度だ。
 例えば独り実家の母を見舞った帰りに、高速道路を走っているときに“彼女”をよく聴いている。それも夜、雨などがそぼ降っているとシチュエーション的にはベストだ。
 その切ない歌声。透明感。楽曲そのものにはあまり惹かれないけれど、彼女が歌うその歌はとても切なく、可愛らしく、すこし元気を分けてもらえそうな魅力的な歌声。ココロのベストテン・俺の愛するアーティスト部門の中では、目立たないながらもいつも地道に10位前後を確保しているのだろう。
 実は彼女がここ愛媛県松山市の出身である、ということを知ったのはつい最近だった。
 朝の情報番組で彼女のライヴ情報を放送しているのを、俺はまだ20%程しか覚醒していないベッドの中でぼんやりと見ていた。
「ライヴにぜひお越しください」 彼女がブラウン館の中で小さく手を振っていた。たまたま営業車の中でFM放送で彼女が出演しているのを聴いたことがあったが、そういえばその時も松山が地元でどうのこうの……という話をしていたような気がする。
「そうか。ライヴがあるのか」
 心が、動いた。


 昼食をとるために事務所近くの大型スーパーへ行くと、大きなクリスマスツリーが店頭にディスプレイされていた。
「ああ……」
 それを見るまで、その日がクリスマス・イヴであることに俺は少しも気づいていなかった。午前中にはファクス送付表に日付を書いたり、電話で「明日の25日までに──」だのと話しているのに、だ。結局イヴは全くフツーに過ごし(付き合いで買わざるを得なかったクリスマスケーキを少しほおばっただけで)、25日もなんら変化もなく一日が終わろうとしていた。そして奇妙な咽喉の痛みと咳は一週間前くらいからよくなる気配も見せず、風邪っぴきは直らないままであった。
 タイミングとしては絶妙だ。
「すいません。今日はこれでアガらせていただきたいんですけど……」
 終業時刻を少し過ぎたころ、俺は上長にか細く告げた。俺が連日深夜に及ぶ残業をこなしていることを知っていれば、それを咎めることはできないはずだ。
「早く帰って、美味いもん食って、早く寝ることだ」
 事務所を後にしようとする俺の背中に、先輩社員が言った。ちょっとだけココロが傷んだけれど、まあ、仕事をサボるわけではない。
 俺の行き先は、事務所からタクシーでワンメータ程の松山市内の繁華街にある小さなライヴハウス。
 地図と店構えの画像を予め懐のPDAに保存しておいたので、そいつを頼りに迷うことなく店の扉を開くことができた。想像以上に小さなライヴハウス。開演20分前、小さな木の椅子やテーブルが並べられていて、ステージとも言えないような小さなステージにマイクスタンドとピアノ、アコースティックギターが傍らに2本。60人くらいの観客が少し窮屈そうに座っていた。最前列とマイクスタンドの距離は概ね2m程度、かなり手作り感の強いライヴになりそうだった。
 ワンドリンク制で、俺はカンパリソーダを所望。
 今はそれほどメジャーシーンで活躍しているアーティストでもなく、ましては(それがたとえ本人の地元であるにしても)こんな地方のライヴハウスに足を運ぶような客は相当のファンもしくはマニアあるいはオタクだ。たまたま2列目の一番端っこの席がひとつぽつねんと空席だったので俺はそこに案内されたのだけれど、丁度俺の前と隣の観客が“オタク”に属するタイプの連中のようだった。やれいつぞやのイベントではどうだっただの、やれ前回のツアーは福岡には行けたけど金沢は行けなかっただの(おいおい)、会話の内容がかなり耳障り。おまけに、松山市内の古本屋は掘り出し物がたくさんあって、その中でも84年の「航空ファン」(という雑誌。かなりマニアック)を見つけたときには感動しただのとこのライヴ会場とはかなり方向性の違うところで熱く語っている。俺は「航空ファン」そのものを読んでるオマエに感動したぞ、とココロのなかで軽くツッコんでみたりもした。
 見れば、観客層は20代半ばを最低として、俺と同年代か少し上、といったあたりが中心。目の前のオタクはちょっと鬱陶しかったけれど、この店そのものの雰囲気は心地よかった。
「メリークリスマース……」
 会場の後方席のほうから、彼女がふらりと現れた。
 数年前から聴き始め、ココロのベストテンでランクインするくらいのアーティストがすぐ目の前にいるのに、俺は彼女を自然に迎え入れていた。高校生の時の同級生がライヴをやるというので見に来ました、気分はそんな感じだ。

(続く)



2003年12月09日(火) お近くにお越しの際は

 愛媛県第一号店のわが社の店が開店した。会社を挙げてのプロジェクトでもあるこの新地域進出で、この俺も先月末から現地応援に駆り出されている。一月末までの長期出張。今年の一月末から四月末まで、同じように滋賀県に長期出張していたこともありマンスリーマンション暮らしも慣れたものだ。

 記念すべき愛媛県一号店の開店ということで、通常は行われないコトガラが多くて大変だ。当日、事務局としての任を仰せつかっている俺はこれらを手際よく(実際のところはかなり大雑把に)さばいていかなければならない。
 開店朝礼をやり、マスコミ向けの開店セレモニーをやり、記者会見の準備と受け付けをし、テレビ撮影やラジオ生中継に立会い、「ねえねえパンストはどこに置いてあるのかしら」というおばちゃん客に対応する。ふだんはマスコミ関係の人と接することがほとんど無いので、「南海放送の○○です」なんて名刺を差し出されると、ちょっとうれしい。NHKの記者の人と打ち合わせをしたときは、「受信料払ってません」と意味も無く白状しそうになった。一方では会社の役員様や取引先・関連会社も開店に合わせて来ているので、これらの説明、誘導、スケジュール管理などなど、気遣いが多くて疲れるツカレる。

 テレビやラジオで取り上げてもらったこともあり初日は大盛況であった。店内にお客様があふれているのを見ると、これまでの苦労も多少は報われているのかな、と思う。FM三番町四丁目店、お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。



2003年12月06日(土) 本日は所沢よりお送りいたします

 一時帰国、強制送還、執行猶予。
 いろんな揶揄を受けながら、昨日は池袋の本社に出社した。現在バタついている四国での仕事ではなく、本来の仕事の同僚への引継ぎが不完全であったため、昨日の朝イチの飛行機で帰ってまいりました。とは言っても、四国での仕事が俺を池袋まで追いかけてきて、結局、引継ぎの打ち合わせは就業時間を過ぎてからだったんだけどね。
 二週間ぶりの本来の職場。折角なのでこの日は残業もそこそこに同僚と飲んで帰ったわけで。東急ハンズのほど近くにある中華料理屋。俺がツマと初めて出会った店であり、かつ(局地的な話だが)友人のSに女性を紹介すべく合コンの開催もした、由緒ある店である。いや、由緒があるかどうかは知らないけど。
 悲劇はそこで起きた。
 手洗いに行って、流しっぱなしにしていた洗面台に会社支給のケータイを落下。あわてて拾い上げたが、時すでに遅し、ケータイは必死に電源スイッチを入れる俺を無視し続けた。長いことケータイを使い続けているが、こんなポカは初めてだ。結局、会社ケータイはそのまま息を引きとり、永遠の眠りについた。
 実はこれは大変おおきなポカだ。
 愛媛県の記念すべきわが社の一号店が来週の火曜日に開店する。当日まで、そして当日もバタつくことは必死で、事務局の一人を仰せ付かっている俺のケータイが鳴らないわけがない。
「連絡してるのに、のづは電話に出ない。ナニ、ケータイが故障?ふざけるな」
 と怒号が飛ぶのは目に見えている。
 で、今日、慌ててドコモショップに駆け込み、機種変更をしました(本当は会社のしかるべき部門に相談しなきゃいけないんだけどなあ)。
 そんなことで、日曜日の昼過ぎには松山に戻る予定。東奔西走の日々ではあるが、充実感は、ある。



2003年12月01日(月) 変わらぬ週末

 前にもそんなこと書いてあったよなあ、と皆さんに言われても仕方のないような週末だった。

 土曜は当然のように仕事。ほぼ定時に事務所に出社し、さてどれから手をつけようか……などとのんきなことを考えながら席に着く。世の中は休みだという事実がすこしだけココロに余裕を持たせるが、実際はいつもと同じように仕事をこなさなければならない。
 どうも太平洋上に停滞する季節外れ(だと思うのだが)の台風のおかげで、外は雨。本当は営業車を駆って物件確認に出掛けようと思っていたのだが、たまたま休日出勤してきた同僚達が多く、なんとなく事務所を出そびれてしまった。そのままダラダラと事務仕事を片付けてゆき、夕方からちょっとしたバトル気味の打ち合わせを経て、19時半終業。ちょうどその時間に「××で呑んでいるから、来い」と先輩社員から事務所に電話があり、あわてて駆けつけた。お好み焼き、ねぎ焼きなどなど。そのあと「もう一軒行こう」と、この界隈では想像も出来なかったようなシブいバーでハーパーを三杯。久しぶりに、ハーパーなんて呑んでしまった。
 日曜日は朝遅い時間までベッドを抜け出ることが出来なかったが、昨日やり残した物件確認をこなすため、昼近くに出勤、そのまま営業車で走り出した。四件くらいの物件を見て回り、夕方のいい時間になっていた。はじめからめぼしを付けていたスーパー銭湯まで足を伸ばし、じっくり1時間半、この一週間の疲れを洗い流した。

 とまあ、書いている本人が本気でつまらない、と思うような週末を過ごしてしまったわけだが、“この週末”を俺がどこで過ごしたかというと、実は愛媛県松山市。
「またか」という声が聞こえてくるのを無視して言うと、いつぞやお話したように、わが社は愛媛県に新規出店することになっていて、その準備室の応援として2ヶ月間、つまり来年の1月末までの長期出張を言い渡されているのだ。昨年ほぼ同時期には滋賀県大津市で極寒の日々に絶えぬいたわけだが、今年は四国は愛媛県。まったくもう、という感じだ。
 こんな環境で、俺は年賀状が作れるのか。仲間との忘年会に出席できるのか。そもそも年末年始に帰ることが出来るのか。不安は尽きない。


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