時々日刊たえ新聞
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2005年01月30日(日) 教会のYさん

日曜日は教会へ行く。教会でお会いする人の中に、80歳過ぎの一人の女性がいる。バプテスマを受けたのが数年前。年を取ってからバプテスマを受ける方は不思議と童女のような方ばかり。(微笑)すでに家族は亡くなり一人で有料老人ホームに暮している。手製の布のリュックを背負い、杖をつき、電車でやってくる。顔はいつもにこにこ穏やか。若い時は爽やかで活発な女性だったんじゃないかな?今日もわたしは「Yさん♪」と声をかけて握手の挨拶をした。Yさんはにこにこして握った手を振って「ありがとう!ありがとう!」と言って下さる。

そのYさんが先ほど電話を下さった。あれ?どうしたんだろう?と思った。「いつも声をかけてくれてありがとうね。こんなばあさんに声をかけてくれて、いつもとってもうれしいよ」ただそれだけを言いたかったらしい。「わたしの方が、ありがとうと言っていただいてうれしいです。Yさんに会えるのが、楽しいです」と言う。本当にそうだから。

与えられているのはわたしの方じゃないだろうか。年を取っても心が豊かでいられること、喜べること、ありがとうと言えること、そう生きられるよってお手本を見せていただいている。そして何より「あなたはそれでいいんだよ」といつも励まされていることを感じる。わたしもYさんのような年寄りになりたいな。


2005年01月29日(土) 一人旅

昨日(28日金曜日)仕事を休んで北見に行った。今日帰宅した。
11月中旬、この世にお別れするかに思えた義父だったが、今は退院して在宅生活を過ごしている。義父のその後の容態を見ること、老夫婦二人の生活を見させてもらって必要であれば介護認定など受けるよう勧めたいと思って出かけた。80歳の義母の介護負担が重くなってだいぶ疲れているだろうと想像した。(義父は85歳)
北見駅の改札を出ると義母が待っていた。到着時間は書いてFAXで送っていたけれど迎えに来るとは思っていなかった。厳寒の北見だから、外出もままならないんじゃないかと思った。ところが義母はわたしに先立ってすたすたと歩きバスの乗り降りも危なげなく「おかげさんで足が達者で」と胸を張ってにこにこしている。家に着いて一休みした後も「ちょっと遠くの」P店まで買物に行くと言う。わたしも一緒に行ったがツルツルの登り道を30分近く歩いただろうか。そんな遠くの店まで行って買ったのは手巻き寿司のネタのみ。(笑)至近の大型スーパーより「ここの方が品物がいいからね」とのこと。帰りは下りのツルツル道をまたずんずんと歩く。通りの多い交差点で信号が点滅する横断歩道を走って渡ろうとするので、わたしは義母の腕を取って静止した。「こんなツルツル道で無謀ですよ」と言うと「そうかい?」と照れ笑いして、一応嫁さんに従ってくれた。(笑)80歳の女性を沢山知っているけれど、こんなに背中がまっすぐで動きのいい人は見たことがない。
さて、義父はというと、義母と対照的に動きの少ない病弱のじいさまの生活をしていて、かつての活発な義父ではない。それでも自分のことは自分で出来るし、量は少ないけれど普通の食事を摂ることが出来る。少し動き過ぎると途端に息が苦しくなるそうだ。(義父は3年前からペースメーカーを装着している)お正月過ぎてからはベットから離れて昼間は起きているとのこと。することは新聞をすみずみまで読むこと、テレビ鑑賞、夫婦の語らい(今回はそこに嫁さんを交えての語らい)とトイレへの用足し。(笑)家で一人で留守番も出来るようになって、義母は買物、老人会のカラオケ、ダンス、電子治療(胃腸が弱いためだそうだ)などに毎日何かしら出かけているとのこと。健康にいいことは素直に何でも取り入れて実践している。食事の時栄養のことが優先して、義父の苦手な食事が並び、もっと食べなさいと煽られるのが何とも気の毒だった。(笑)義母は「自分が元気でいなくちゃじいさんを介護出来なくなる」と言う。その姿は老いた夫の介護を生きがいにしているようにも見えた。
わたしは介護保険の説明書と、北見市内の居宅介護事業所(ケアマネジャーが在籍)の連絡先の一覧表を持って行ったが、結局出さずじまいで持ち帰った。老夫婦が仲良く助け合って過ごしている姿に胸打たれて余計な口を出す気になれなかった。二人とも愚痴や文句一つ言わず、自分達の老いてきたことを笑いながら受け入れている。かつて義父が元気だった時は義父に頼りきっているかに見えた義母は今は生き生きして夫のために家事することをいとわない。淡々と人生の終わりの時を語り合いながら過ごしている両親。自分達が出来る範囲で助け合って生活しているから、不足がないかのように見える。これでいいよなぁと思った。
わたしは金曜日の午後から土曜日の昼過ぎまで、両親と他愛のないことを語り笑い合い、すっかりリラックスさせてもらった。自分のリフレッシュのために旅行させてもらったような気がする。(笑)

帰りも義母が駅まで送ってくれた。バスに揺られて。一人で大丈夫だからと言っても聞かない。義母は待合室でわたしの荷物から一冊の本を取り出して読み始めた。「歌って愛して」横井久美子さん著。時に声を出して読む。(笑)何てステキな母だろう。


2005年01月20日(木) 親の居ぬ間?

昨日教会の高齢の女性が天に召されて今夜は前夜式だった。心が静まるいいお葬式でした。遺影は、エプロンして手作業しているスナップ写真。葬儀委員長なし、プログラムに故人略歴なし。代わりに3年前にバプテスマ受けた(受洗した)時の「信仰告白」が印刷されていた。「私は幼い時、教会に行って居りました。そこで初めてイエス様とお会いいたしました。そして、教会学校で先生方に親切にしていただいたことが忘れられず、イエス様の事をずっと八十年あがめて居りました。略」すごいね、80年イエス様を崇めた人生。尊敬します、わたしもそうなりたい。わたしが80年崇めたとしたら、ゆうに110歳は越えてしまいますが。

さて、前夜式が終わって家に帰りついたのが9時少し前。ところが、いりちゃん(番茶も出花の17歳)がまだ帰宅していない。昼休みにメールが来て、数学を勉強するために学校に居残りするということだったけれど、学校がこんなに遅くなるわけない。夜9時になっても連絡無ければ心配しないわけがない。携帯に即電話します!近くの生協にいるらしい。「すぐに帰って来なさい!」(笑)
どこに行ったかわからないのは困る。迎えに来てというならすっとんで迎えに行きます。(笑)娘に対して過保護を自覚しています。高校生であり、親と暮しているのですから、この親を無用に心配させるようなことはご遠慮いただきます。このことは妥協しません。(笑)


2005年01月16日(日) 新しい牧師

下の日付に書いた「宿題」は、本日未明完了しました。あぁ、しんど。(^_^;)

我が教会は、2003年3月末に牧師が辞任されてから無牧師です。しかし、4月から二人の牧師が着任されることになった。現在、福岡の姪浜教会の牧師をしておられる奥村敏夫牧師と、3月に神学校を卒業される石橋大輔牧師のお二人。10月初めの教会総会で奥村先生を招聘しようという決定をした時、わたしは総会の議長でした。奥村先生に来ていただけるなら、こんなにうれしいことはない。こんなにうれしい決定をする議事の進行役をさせていただいて幸いでした。夢は膨らむ。受けていただく前からワクワクした。でも受けていただいた後もここで公表することが出来ませんでした。姪浜教会の人々がどんな気持ちでいるだろうかと思うと、無邪気に喜びをあらわに出来なかったのです。
そして今日、奥村先生ご夫妻が事前に札幌教会に来てくださって、説教して下さり、説教の中で姪浜教会の皆さんが喜んで先生を札幌に送り出してくださることを知って、本当にうれしかった。ありがとうございます。無邪気に喜ばせて下さい。姪浜教会の上に、ますます神さまの祝福があることを信じ感謝します。

今日の礼拝、奥村先生の説教をむさぼるように聴いた。ヨハネ4章35節〜38節から「ある方向転換」と題して。
先生は初めから、聖書の箇所から語られずにそれ以前の「サマリヤの女」の話をされた。う〜む、週報では聖書の箇所を間違えたかしら?(と気になった)しかし語られる内容に引き込まれてそのうち気にならなくなった。(笑)身持ちの悪いサマリヤの女を奥村先生は「飢え渇きが尽きない女性」と表現された。彼女は7番目の男(笑)イエスさまと出会ってその渇きが癒され、それからの人生を方向転換したと言う。その地の誰とも親しくなれない女、人々から後ろ指さされ続けた女が、イエスさまと出会って言葉を交わして「この人はキリストだ」と直感して、水がめをそのままそこに「置いて」人々の中に入って行って、言わずにいられなかった。「さぁ、見に来て!この人がキリストかもしれません!」
サマリヤの女の魅力を先生が熱く語られる。サマリヤの女の無邪気さ、明るさを想像して気持ちがいい。単純で熱い。「悔い改める」ってことは「方向転換すること」と先生は言う。方向転換は到達点を求められてはいない。なるほど。サマリヤの女のように踵を返して人々の中に入って叫べばいいんだ。自由奔放に生きてもなお渇きがあった彼女が、向きを変えただけで渇くことがない上に溢れる程に満たされ続ける。わたしもサマリヤの女の一人。わたしも単純に生きたい。

今日の教会は皆ウキウキしていた。奥村牧師ご夫妻の明るさが乗り移ったみたい。(笑)牧師の説教一つで、元気が湧き出ることがあるのです。それは説教する人がすばらしいというより(いえ、確かにすばらしいんですが^^;)説教される方が神さまに忠実に語られるからでしょう。感謝。


2005年01月13日(木) 宿題

「年末年始は何をしなくちゃいけないってこともなく、のんびりお休みを満喫した」と下に書いたけれど、そんな状況ではないことに気付きました。宿題をし忘れていたのです。毎年2月には、大人の教会学校では「スチュワードシップ月間」と銘打って特別なテキストで勉強をします。4回ある日曜日の内、1回分のテーマ「献金について」のテキストを仰せつかって、全く手を付けていませんでした。のんびりお休みを満喫したり、首が痛いからお休みします・・・と言っている場合ではありませんでした。引き受けたくなかったけれど「書くこと」に使命を感じているので「書け」と言われたら迷いながらもつい引き受けてしまう。書くことに関しては断ったことないかもしれない。よし、この後は使命感なんぞもう捨てよう。(笑)締め切りは1月9日。とうに過ぎています。(汗)そ知らぬ顔して今度の日曜日朝までにやります。最後の最後まで待ちます。神さまから言葉を与えられて流れるようにキーボードを打てますように。(笑)走るメロスのように追い詰められています。(爆)


2005年01月10日(月) 苦痛

年末年始は何をしなくちゃいけないってこともなく、のんびりお休みを満喫した。1月3日この日はまだお休み日。明日からお仕事って朝で、起きたら首が痛くてしょうがない。寝違えたかな?去年からこのての寝違えのような「首が回らない」ことが何度かあった。10月に首が回らなくなった時は整形に行き、その後整骨院にも行った。その時も仕事は出来たし大して心配もしていなかった。が、3日の朝は次第に痛みが増して昼前には全く動けなくなってしまった。体を動かすってことは首も確実に動いているんだね。おそらく体のすべてが一緒に動くんだなと気付いた。自分の体が悲鳴をあげるのを座して耳を澄まして聞いた。

後頭部がズキンズキンするので「これは整形だけの問題じゃないんじゃないだろうか?」と気になり始める。正月休みで病院もお休みなので受診出来ず。一応救急病院を調べておく。こんな時はクリスチャンの神頼み(笑)「神さま、痛みを取り除いて下さい。治して下さい」と断続的に祈る。長く祈っていられない。痛みと不安で祈りに集中出来ない。すぐにあらぬことを考える。つまり悲観的なことを想像してしまう。教会員で医師のTさんに電話して聞く。「手に痺れはないの?」と聞かれて「ない」と答える。「それなら骨がどうのこうのではなさそうだ」と言われてちょっとだけ安堵する。その夜はソファに背中をもたれさせ首に当て物をして眠った。時々横になると頭痛が頭の中いっぱいになる。どの動作も飛び上がるほどの痛みが走りすこぶる時間がかかった。唾を飲み下すのにも痛みが走る、ストローで水分補給するのさえ苦しい。
結局翌日朝一番に整形外科に行き、ブロック注射を5本打たれて少しだけ痛みから解放された。職場は仕事始めで滅茶苦茶忙しいことはわかっていたけれどお休みをいただいた。

今回のことでわたしは痛みに弱いことを知った。動くことも出来ない時に人は何をするか。祈る、疲れて打ちひしがれる、ひたすら痛みに耳をすます、つまり何も出来ない。(笑)今後は、痛みが持続する時、如何に痛みに慣れるかってことが課題になると思う。確信できたのは「この痛みをわからない神さまではない」ってこと。苦しい時、伴なうイエスさまがいるってことは直感出来た。感謝。

現在は首の痛みは消えつつあり、体もバランスよく動き始めました。(肩凝りが残っています)しばらく掲示板はお休みさせていただいて、ネットも家事も手抜きで参ります。どうぞご心配なく。


2005年01月01日(土) 1年の計は元旦にあり

あけましておめでとうございます。
今年も細々ではありますがWebページを運営していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

1月1日にすることが1年の行方を決めると、わたしは父母から言われて育ちました。だから早起きしなさい。元日にはお金はなるべく使わないように(笑)etc。去年は元日から故郷に旅立ち、おかげで元日からお金も沢山使いました。(笑)そして父母の教えの通りわたしにしてはよく旅行に出かける年になったのです。当然その分お金も使ったように思います。(笑)でも何の不足もなくその分補充もされました。さて今年は元日から映画に行きました。数年前にも元日から映画三昧した年は沢山映画を観ることが出来ました。(笑)今年はどれだけ面白い映画と出会えるでしょうか。

「ドンジャラしよう」と言わないくらい大きくなった子供たちだけど、「映画観に行こう」というと即座に「行く!」と言う。(笑)「ハウルの動く城」と「ゴジラ」を観たいと珍しく3人の意見が一致しました。はい、はしごしましたとも。

ハウルの動く城・・・スタジオジブリ、宮崎作品、いつも精密で壮大で美しい動画にうっとりする。登場人物の魅力的なこと。そして心に響くドラマ、珠玉のファンタジーだね。(以下ネタバレあり)
魔法使いハウルは美形で力のある魔法使いだけど、実はカッコばかり気にする弱虫な面を持つ。帽子職人のソフィーは劣等感がいっぱいの冴えない女性だけれど、原石のような輝く宝を持っている。ソフィーは「荒地の魔女」の呪いにかかって90歳のおばあさんになってしまうけれど、何て明るくて、度胸があって、優しいおばあさんになったもんでしょう。90歳のおばあさんが、あんなに逞しくお掃除出来る!?普通は出来ないよ、でもいいの。ソフィーは不可能を可能にする女性だから。外見がおばあさんになったソフィーはむしろ原石が輝いて生き生き生きる。自分を呪いにかけた荒地の魔女にさえユーモアでお返しする。ハウルは脇役、90歳のソフィーが主役です。宮崎駿さんの描く女性って、元気が良くて明るくて勇敢なんだよね。そして可愛い。そのキャラを見つめていると、いつもスカッとして安堵する。荒地の魔女の肥満振りがすごい。美輪明宏さんの声がぴったりなんだ。(笑)悪人は悪人にとどまらず皆魅力的な人物に仕上がっています。いいのです。ファンタジーだから。(笑)

ゴジラ・ファイナルウォーズ・・・これまた大変引き込まれました。ハウルの後に見るなって!?(笑)ゴジラを先に見てハウルを後に観た方が美しい映像が目に焼きついたかもしれないけれど、実はわたしはゴジラを観た後も十分美しい余韻に浸っています。(笑)壮絶な戦闘場面の連続。幾多の怪獣たちが世界中を打ち倒して行く様、宇宙から来た物体と地球防衛軍との戦い、それは人間とミュータントの決して諦めない誇りある戦いになるんだけど、スターウォーズばり、マトリックスばり(byさんちゃん)のかっこ良さなのです。蘇らされたゴジラと怪獣たちとの戦いもかつて以上に熱がこもっていました。(笑)モスラがゴジラを助けに来た。モスラ、羽を切り落とされても再生して現れた。ミニラがゴジラと人間の間に立ちはだかった。いえ、人間の子供も、手を広げて立ったのでした。美しいシーンでした。見詰め合うゴジラとミニラ、静寂。海に向かって歩き出すゴジラ親子。ファイナルウォーズと言う程の荒廃した地球だけど、再生される希望が表現されていました。自ら海底に向かったゴジラは、またいつか現れることでしょう。ゴジラは地球の守護神のようにも見えました。ゴジラ映画、きっとまた作られるに違いありません。(笑)
ミニラを助ける猟師のお爺さん役に泉谷しげるさん、すっかりお爺さんらしくなっちゃって。(笑)いい顔してました。
映画二本とも堪能しました。しばらく余韻に浸りたいと思います。

年頭から長たらしい文章を読んでいただきありがとうございます。今年もこんな調子で参りたいと思います。宜しかったらお付き合い下さいね。


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