時々日刊たえ新聞
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2004年11月30日(火) こんな風になりたい(12/4up)

夕方1時間、Tさんのヘルプに行った。ヘルパーが夕食を作って食べていただく。調理する前に「嫌いなものはありますか?」とわたし聞く。
Tさん「ないよ、何でも好きだよ」
わたし「鮭を焼いて、残った小さな野菜と豚肉が少しあるので豚汁作りますね」
Tさん「うん、それいいね」
わたし「Tさん、お食事出来ました。どうぞ」
Tさん「わぁ美味しそうだねぇ」
わたし「お味はいかがですか?」
Tさん「結構でございます」(わざとお茶目な言い方)
わたし「全部食べて下さってありがとうございます」
Tさん「美味しかったもの、残しませんとも」
わたし「Tさんのように言って下さると作り甲斐あります。ありがとうございます」
Tさん「だって本当に美味しいもの。ヘルパーさんが作ってくれるものはみんな美味しい」

連絡ノートに今夜のメニューや完食の旨記しているとTさんは「大変おいしゅうございました」と言っていると書いておいてねと言う。二人で笑う。

帰り支度して
わたし「今日はこれで失礼します」
Tさん「あんた、今度はいつ来てくれるの?」
わたし「いつかまた来れたら(笑)来させていただいてもいいですか?」
Tさん「うん、来てね。いつでも来ていいよ」

さてこの会話、わたしがすばらしいヘルパーだから出来る会話ではありません。このTさん宅には一日三回ヘルパーが派遣されていて、総勢6人のヘルパーがお邪魔していますが、おそらくすべてのヘルパーさんと同じような会話をしていると思います。Tさんから否定的な言葉を聞いたことが一度もありません。必ずヘルパーを肯定する言葉。この人の家に行くヘルパーは元気になって家路に着くだろうなと思うのです。わたしもこの晩は顔がにこにこしました。(^^)


2004年11月29日(月) 退院!(12/4up)

今日、北見の義父が退院したそうだ。えっ!?ホントに!?と聞き返さずにいられない。実は重大な病気があって、最後に在宅で過ごさせてあげたい・・・てなことでは到底ないようです。(笑)それとも義母は隠している!?(こんな疑いを持ったらキリがない^^;)ひとまず各所の数値が回復して、食事はあまり口に出来ないものの、本人の努力が見られるため、さらなる回復が見込まれて退院してよろしいってことになったようです。一度は死ぬんじゃないかと本人も周りも思ったわけですが、こんな風にひとまず安堵出来る事を幸いに思います。家族やわたしの祈りを神さまはお聞き下さったんだろうなと思う。また人生の最後には交わさなければならない大事な事柄を、それぞれが父と語り合うことが出来たってことも、神さまの配慮だと思う。義父がもっともっと回復したら、今回学び得たことを是非聞かせてもらいたいもんだと思う。Jesus I love you!


2004年11月27日(土) リリーズのコンサートに行けた!(12/4up)

一見困難な新ケースが入って、その派遣に行くためリリーズのコンサートには行けないかもしれないと思っていたけれど、うまい具合に新ケースのヘルプにパートヘルパーのSさんが志願してくれて、わたしは夕方からのコンサートに行くことが出来た。\(^o^)/

リリーズ・オブ・ザ・フィールドはうちの教会で生まれたと言っていいと思うんだけど、女声のゴスペルグループです。(10月24日の日記参照)初のCDを作って完成記念のコンサートを教会でした。何度も聴いているけれど、やっぱりいいコンサートだった。今回は特に音が良かった!曲とお話の構成もGood!もちろん全曲歌詞がいい。歌う人たちのハートが伝わる。「Shalala」という曲の中で「Jesus I love you!!!」って歌っていたハーモニーが今も心に響く。CDの中の曲は、すでに耳に焼き付いているため、一緒に歌い出したい気分。(笑)女声のハーモニーの美しさにどっぶり浸かりました。
リリーズの歌は、そのままメッセージになっていて、聴くものの心を神さまに誘うんじゃないかなぁ。わたしが神さまにぞっこんなことは自他共に認めている。(笑)そんなわたしが書いたら何でも「すばらしい!」になっちゃうんだけど、教会にあまり来たことが無い人も沢山来ていたので、どんな風に感じられたのか聞いてみたいな。
いりちゃんもリリーズファン。さんちゃん(息子)も行きました。彼も少なからず感動したらしい。(笑)リリーズの皆さん、これからも歌ってね。応援し続けます。


2004年11月23日(火) クリスマスツリー

今日新しいクリスマスツリーを手に入れた。10数年前に教会の友人杉田さんからいただいた白いツリー、ビニールが劣化して葉っぱがたくさん落ちてしまった。そのこともあって去年はとうとうツリーを出さなかった。そのことを娘がしばしば残念そうに言う。「去年は出さなかったね、今年は出そうよ」と。
杉田さんにいただいた白いツリーが長年飽きなかったので、また白いツリーにした。180cmで頑丈なヤツ、お安く売っていた。買ったけれど、今日は飾る元気が無くて、次の日曜日に飾ろうか、いや、12月4日にしようかと渋った。すると娘は「今日飾らなかったら、今年もきっと飾らないよ!」と脅す。(笑)確かに次のお休みには疲れていなくて元気に飾り始めるって保証はないもんね。重い腰を上げて飾りましたとも。(笑)まだアドベント(待降節・4週前)にもならないのに!(ひとみさんちには負けます)
クリスマスバージョンになると、人をお招きしたくなる。うちのクリスマスいいでしょう?って見せびらかしたくなる。(笑)


かつての飾りつけなんですがこちら


2004年11月21日(日) 抱擁(11/22up)

今日の礼拝の説教は10年程前までうちの教会の牧師だった加藤亨先生がされた。加藤先生と喜美子夫人はシンガポールに宣教師として派遣されていて、今年いっぱいで日本に戻って来られる。まだ完全に帰国したわけじゃないけれど、今回札幌に用事があって来られた。わたしが最初に教会で説教というものを聞いたのは、加藤先生による。わたしが一夜にしてバプテスマの決心をして信仰告白を見せたら「これで結構です。どうぞバプテスマを受けてください」と言ったのも加藤先生。わたしがバプテスマを受けた日、喜美子夫人が聖書を下さった。それを日々開く聖書として愛用している。ボロボロ。表紙の裏にこう書かれている。「荒野とかわいた地とは楽しみ/さばくは喜びて花咲き/さふらんのようにさかんに花咲き/かつ喜び楽しみ/かつ歌う(イザヤ書35章)1989年8月2O日 喜美子」わたしこの聖句のように生きてます!書けばキリがない。懐かしい。かと言って「加藤教」ではない。(^^)

今日、加藤先生が説教されたのはマタイによる福音書28章16節〜20節。題して「イエス・キリストが望んでおられること」冒頭で先生はこう問われた。「わたしたちは宗教の違いで殺し合いをする。それがイエスさまが望んだことだろうか?」イエス・キリストの弟子として世界に出て福音を伝えなさいと命じられた弟子たち(わたしたち)は、何をしたらいいのか?、宗教の違う人たちをねじ伏せたり、改心させたり、攻撃すればいいのか?マザーテレサを一つのモデルとして語られた。マザーは死に行く人を、その人の信じる宗教で葬ったという。誰をも等しく手当てし、慰め、平安を与えることを任として働いた。瀕死の病に倒れている人の中に「イエス・キリスト」を見い出して、徹底的に仕えた。彼女は自分の生きる姿によって「イエス・キリスト」の福音を伝えた。
シンガポールという国自体、多民族国家で宗教もさまざまだと言う。その中でお互いの民族、宗教を尊重するということが実践されているらしい。「違くていい」そういう社会、そういう姿勢が必要だと先生は熱く語られた。メッセージが優しく沁みた。

加藤先生は髪がごま塩になって少し薄くなった。短く刈られた髪が少年のよう。おでこにシワが増えた。(微笑)一方、喜美子夫人は札幌を発たれた時と全く変わらない若々しさ。いえ、変わったところもある。それは以前は牧師を立てて黒子のような存在だったけれど、今は加藤先生に負けず劣らず熱くシンガポールで体験したことを語られる。教会の廊下で喜美子先生とばったり出会ってわたしは「わぁ喜美子先生!」と叫んで抱きついた。そんな抱擁があちこちで起きたことだろう。教会に集う子供たちの変身ぶりにご夫妻は目を白黒させていた。さもあらん。(^^)

加藤先生をお迎えしてうれしくお話を聴きながら、わたしは1年8ヶ月前に札幌を発たれた古川先生もいつかまた、うちの教会に来てメッセージして下さることを夢想した。その時わたしは古川先生に熱く抱きついてしまうだろう。古川先生は年の近い男性ですが、そんなことは構わない。(笑)


2004年11月20日(土) ぼんやりうっとり

いりちゃんが7月からういさんの(2004年6月13日の日記参照)教室で勉強させていただいている。彼女は今夏、高体連が終わると陸上部を退部した。抜け殻になりそうな気がした。まさにその時、初めはネットで、後に教会で出会ったういさんの勉強教室にお邪魔することになり、以来足繁く通わせていただいている。苦手だった数学が面白くなっている。奇跡が起こっているような気がする。(笑)ういさんと神さまに感謝。
ところでわたしは、彼女が教室に行った日はほぼお迎えに行っているんだけど、土曜日の休みはお見送りもしている。今日もそうだった。今日はその後に公園に行ってベンチに座ってぼんやりした。考えたいことがある。(笑)神さまに祈るような語りかけるような、そんな一時。知らない町でぼんやりするのって解放感がある。じっと座っていると上着を着ていてもちょっと寒い。離れたところで楽譜を見ながらハーモニカを練習している初老の人がいるが、手は寒くないんだろうか?9月の台風で枝が折れた木々は季節外れの芽を吹いて来春の再生の準備をしている。サッカーボールを蹴る少年は冬の恰好をしている。公園を行き交う人たちが足早に通り過ぎて行く。後1ヶ月もしたらここも雪が積もって道一本になるのだろう。

さて、急に心が動いて近くのギャラリーを覗く。中野邦昭さんという人の日本画展が開催されていた。展示されているのは風景画と人物画、リアルなんだけど幻想的。「月の日」という絵は、葉が落ちたカラマツ林の中に一軒の農家が描かれている。月の明かりと家の灯りが温かい様な寒いような。空から光の粒子が降っているような雪が降っているような。美しい風景に息を呑む。これに近いバージョンが幾つかある。森の中に密やかに建つ板作りの農家。雪の日であったり、はるか遠くから眺めた小さな灯りだったり。「暑寒別岳」という絵は向うに暑寒別の山並みがあって手前に町の家々の灯り、そして山の上方に月が寒そうに描かれている。札幌の夜景もあるんだけど、その灯りの一つ一つに切ない想いが湧き上がる。ここにも輪郭のない月が描かれている。

わたしが一番心魅かれた絵は、前面に釣鐘草のような花が3本立っていて、左奥に森に続く道が描かれている。全体が黄緑色。題して「森の声」見つけた!この絵いい!と思った。欲しいなぁ。(笑)よく見るとこの絵だけ売約済みだった。もちろんわたしに買えるような金額じゃないと思うけれど、この絵を気に入って買うことにした人はどんな人だろう。女性の立ち姿の絵も幾つかあったが「命降る」という絵はピンクの花びらが降っている中にロングスカートの女性が立っていて、両手のひらで花びらを受けている。その姿が力が抜けてとっても気持ちがいい。満足。今日はこの人のこの絵の数々と出会うべき日であったか!(笑)


2004年11月16日(火) お見舞い(ごめんね、すごく長いです)

13日(土)おじいちゃんのお見舞いに家族皆で北見に行った。皆で行くのは何年ぶりだろう?子供だけで行ったり、葬儀で夫だけが行ったり・・・揃って行くのは7-8年ぶりだろうか。おじいちゃんたちと毎年どこかで落ち合ってお泊り会はしているけれど。
おじいちゃんが深刻な病状で息子や孫に会いたがっていると聞いて、すぐに駆けつけたかったけれど、そう出来なかった。後で悔いになるかもしれないと思いつつ、祈って過ごすよりなかった。
北見に到着すると病院に直行した。おじいちゃんはベットに横になって、点滴と導尿と酸素の管を付けて見るからに瀕死状態、ところが、わたしたちの姿を見ると「あれ、どちらさんで」なんていつもの冗談を言う。おばあちゃんが「待ってました」と合いの手を入れる。何てうれしい二人のユーモア!「今日は大していいの。昼に口からも少し食べるようになって」とおばあちゃんが容態を説明してくれる。9日をピークに少しずつ精神状態が落ち着いてきたらしい。内臓全般に数値が悪くて、本人も「暑い暑い」を連発するほど、体の中で変調を来たしているんだけど(体を触ると冷たい)、精神力が整えられて、理性で病気を押さえ込もうとしているように見えた。肺と肝臓に水が溜っているそうで、肺の水は11日に左右から抜いたそうだ。さらに肝臓には泥汁が溜っている。よく死因に上げられる「多臓器不全」という言葉が頭をよぎる。(ごめん!)
すでに9日の夜、じいちゃんとばあちゃんはこの世のお別れを覚悟して会話をしたそうだ。「59年間あんたと一緒にいて幸せだった」とじいちゃんはばあちゃんに言ったそうだ。さすがだなぁ。

さて、9日から兄嫁やお姉さんが交代で泊まっていると言う。今夜はわたしが泊まりましょうと言うと「そうかい?頼むワ」と義母。自分はもう到底泊まる体力がないと判断して、娘や嫁の力を借りることをいとわない義母を尊敬する。公立の完全看護の病院で家族が泊まることを許されているとなれば、やっぱりそれなりの病状なのだろう。
夕方17:30くらいから義父と二人で過ごした。夕食時まず驚いたのは座位を取って(昼食までは寝た状態でおかゆと柿を少し食べたそうだ)、アサリの味噌汁と実を食べて、固形のおかずをエイヤッとばかりに(まるで気合を入れるように)食べ始めたこと。おいおい大丈夫かい!?と心配になった。実は舌が赤くぼこぼこに腫れていて痺れるし沁みるし、何を口に入れても痛くて美味しくないと言うのだけど義父は「口から食べると回復が早い」という言葉を信じて実行したのだと思う。一口ずつ食べて「もう沢山だ。たえちゃん食べろ」と言う。(笑)服薬もばっちり。疲れたようでその後は横になって呼吸を整えている様子。看護士さんが来て「うがいしていますか?」と聞かれるが「していません」と応える。舌が荒れているので傷口に菌が付かないように消毒薬を入れてうがいをしなさいと言うのだ。さて、どうやってうがいをさせよう。また座位を取ってもらってコップでうがいをしてもらい、洗面器で受けようか・・・などと思案していると、義父は「起きて自分で歯磨きする」と言う。「エッ?起きれます?動けます?」とわたし。「出来るよ」と父。もちろん介助なしには腰を回すのも、立ち上がるのも危ない。一応介護職のわたし、介助して立ち上がってもらって洗面台まで数歩移動介助したが、父は優等生!大変スムーズだった。椅子に座って、腫れあがった舌できっと痛いと思うんだけど、目をつぶってゆっくりしっかり歯磨きした。消毒薬を入れてうがいもした。「お父さん、すばらしい!」と誉めずにいられない。(笑)義父は嫁さんの前でいいところを見せたかったんでしょうか?(微笑)少しだけど口からの食事、大技の歯磨き、それぞれ大変疲れたようで、終わるとしばしうつらうつらする。父は昼間、久々に沢山の会話をして冗談も飛び出して、すっかり疲れてしまったようだ。21時の消灯以前に電気を消してわたしも眠りの体制に入った。以後目を覚ますと「氷をくれ」「窓を開けてくれ」と言う。病院で常時もらえる氷を冷蔵庫にプールしていて、それを一つずつ口に入れてやる。水は欲しくないけれど氷だけは美味しいんだそうだ。体の中が異様に暑いそうで、胸をはだけて「暑い」と言う。窓を少し開けてはこっそり閉める。実際病室は常時28度あってちょっと熱い。長時間の熟睡ではなかったけれど、途切れながらもこの夜義父は平穏な夜を過ごしたと言えると思う。朝6時になると廊下の電気が点いた。それを合図にわたしは寝具をたたみ、窓のカーテンを開いた。「今日は曇りか?」と聞かれて「空が見えるから晴れていると思う」と応える。まだうつらうつらする父の顔を見ながらわたしは本を開いていた。エリザベス・キューブラー・ロスさんの「ダギーへの手紙」そして「ライフ・レッスン」という本の中の「恐れのレッスン」の項を読む。愛と恐れは共存できないというところが沁みてくる。聖書にもある。「愛には恐れがない(ヨハネの第一の手紙4章18節〜)」わたしたちは何を恐れているかと言えば、突き詰めれば「死」を恐れているのだ。

空が白々明けて来た。遠くに見える墓地が朝日に照らされて輝き出した。黄色の紅葉に朝焼けが映って木々が燃えるようだ。雲が流れる。空が広くて低い。静寂の中に義父の寝息。明るくなってから父とひとしきり話した。離農してからの職歴。人に騙された時もあったけれど「まぁそんな時もある。お前たちは騙されるなよ」左手の指が一本切断されているんだけど「その指は迫力ありますね」とわたしが言うと、そのいきさつを話してくれた。プレスで挟んで切ってしまったそうだ。わたしの知らない義父の経歴を聴いた。以下義父と交わした会話の印象的なところを抜粋。
「お前たちは家を持たないのか?家を買ったほうがいいんじゃないか?」(欲しいと思ったことがない、きっとこれからも)「氷と水は同じ重さか?」(はい)「めしべとおしべ、中央に背の高く伸びているのがおしべで周りにあるのがめしべか?」(わかりません)「たえちゃんの父さんの容態はどうだ?」(体は麻痺しているけれど介助されて車椅子で移動してます)「ほれ、昔行った福島の温泉は何て名だった?」(混浴でしたね、あれは恥しかった。名前は忘れました)「あの時俺らは結婚30年だったんだ」(来年わたしたちが30年なんですよ。そうか、ならば、お父さんとお母さんが結婚59年だっていうのは正しい数字ですね)「いりは将来何をしたいんだ?来年どこを受けるんだ?」(まだはっきりしていないようです。きっと医療系だと思う)「いりの大学のために少しお金をあげられると思う」(うちはさんちゃんにお金がかからないので、心配しないで下さい。大丈夫ですから。笑)「三四郎は何を作っているんだ?」(キムチです、すごく辛い!)以下略。
義父と交わした言葉は今回凝縮されて盛りだくさん。夫はおばあちゃんと夜じっくり話したというし、いりちゃんはおばあちゃんと朝、布団の中で沢山話したと言う。それぞれがじっくりゆっくり会話したってわけだ。
今回おばあちゃんは一段とステキだった。義父に幻覚が現れて恐れの渦中で「泊まってくれ」と哀願された時、義母は「どれわたしが退治してやる」と言って病院に泊まったそうだ。その日、義父と義母は人生の総決算の会話を交わした。翌日から幻覚が止んだそうだ。おじいちゃんのユーモアはおばあちゃんに伝染していて、この深刻な時におばあちゃんのユーモアは見事に発揮された。

16日現在の容態。義父は今日点滴が外され、大部屋に移ったそうな。内臓検査の数値もまずまず。すごい!神さま、感謝!


2004年11月10日(水) 大好きな義父

わたしの大好きな義父(夫の父親)が急に具合が悪くなって、容態は楽観できないとの報せが今夜あった。札幌在住の義兄夫婦はすでに北見に駆けつけていて、義兄が電話の向うで「ハルオです。今どこから電話してると思いますか?」なんて言う。バカもん!もっと早く連絡ちょうだいよと言いたい。義兄はあわてず騒がずの人なので、自分は行動しても我が家への連絡はいつも極端に遅い。最近エリザベス・キューブラー・ロスさんの本で、誰でも自分の死ぬ時がわかる、死ぬ前のメッセージを受けたらすぐに会いに行った方がいい・・・というアドバイスを受けたと思っているが、今回まさにそれを感じる。底抜けに明るく朗らかな義父が、昨夜から一人になるのが不安で、完全看護の病院だけど、昨晩は義母が泊まり、今夜はハルオさんの連れ合い(ヨウコさん)が泊まると言う。普段の父なら「家に帰っていい」と言う人なのだ。「不安がって」そばにいて欲しいと言うなら、それは確実に彼が自分の最期を感じている証拠じゃないだろうか。わたしたちはすぐに駆けつけることが出来ない、しかし祈ることが出来る。

飛び切り元気のいいじいちゃんと飛び切り優しいおばあちゃん。わたしは自分の親以上に大好き、尊敬している。我が家の子供たちも大好きだと思う。孫を上手に可愛がってくれるおじいちゃん。いつもユーモアたっぷり。おじちゃんがかつていりちゃんに言った名セリフは今でも我が家で語られる。「いりは何を着ても似合うワ」(笑)子供たちを比べたり評価したり、くさしたりせず、いつも誉めてくれる。いりちゃんはしばしば一人で北見に遊びに行くが、帰ってくると確実に成長している。おばあちゃんにはお料理を習い、おじいちゃんには人生の知恵とユーモアを習ってくるようだ。老人会のダンスに行く二人に同伴したことがあるそうだが、おじいちゃんはダンスの先生役で、ばあさまたちにモテモテだそうだ。仲のいい祖父母の姿を見ることの出来る孫は幸せだと思う。おじいちゃん、土曜日まで待っていて。


2004年11月07日(日) 新しい制服

いりちゃんは明日から修学旅行に行く。関西&東京方面へ。修学旅行に行くからその前に制服をクリーニングに出そう・・・昨日夕方いつも行くクリーニング屋さんに出した。今日の午後には仕上がる予定で、今日夕方お店に寄った。すると品物が行方知れずだと言う。実はなんて言われているかわからなかった。昨日出したクリーニングが一日で消えるなんて想像したことないので。(笑)
「明日から修学旅行なのでどうしても今日中に必要」とわたし優しく(ホント!)言う。女性の店員は「そうですよね(と深刻な顔をしてから決然と)もう少し探して無かったら、すいませんが新しい制服を購入させていただきます」と言う。え!?制服簡単に買えますか?こんな時期にすぐに手に入ります?3万くらいしますよ(笑)とわたし。「はい、買える店があります」ときっぱり言う店員。それが16:30頃。いったん帰宅して待つ。17時過ぎに電話がかかって来てやはり見つからない、ついては制服のサイズなど聞かれる。上着は175cmでスカートはW66cmくらいかな?(いりちゃんもよくわからないそうな)再度電話があって「そのサイズのH高校の制服の在庫があるそうなので今から購入します」と言う。サイズ合わせのために娘とわたしも洋服屋さんに行く事になった。男性の店員が家まで車で迎えに来てくれた。それが17:30ちょい前。洋服屋さんで試着してOK。スカートはクリーニング屋さんで即座に裾上げしてくれると言う。いりちゃん15cmも切ると言う。「そんなに短くするのはやめなさい!」とわたし。(笑)結局13cm短くしてもらうことになって、クリーニング屋さんは「出来上がり次第お届けします」それがきっと18:00ちょっと過ぎ。そして19:30には制服を持って来てくれた。3時間の間に事故処理完結。驚いた。感謝した。(実はわたしもヘルパーの物損事故の処理をすることがあって、大変手間隙かかるのです)いりちゃんは真新しい制服を着て明朝出発します。


2004年11月03日(水) 幼稚園創立50周年

教会付属のひかり幼稚園は1954年の5月に開園して今年50年。誰かと同い年。(汗)そのお祝い&記念の会が午後から教会であった。うちのさんちゃんはひかり幼稚園卒園生。さんちゃんがひかり幼稚園に入園したおかげで、その後我が家の全員がクリスチャンになった。わたしは卒園児の母として記念会に参加させてもらった。地域の人にも来てもらおうという企画で童話作家・樋口通子さんの講演と、幼稚園を卒園しうちの教会で育ち今は東京で活躍中の真部裕さんのバイオリンコンサート。裕くんのバイオリンがすばらしかったのはもちろんだけど、樋口通子さんのお話がステキだった。ユーモアたっぷりで、若いお母さんの琴線に触れる話。わたしの見える範囲で二人のお母さんが涙を拭いていた。(^^)

樋口さんはお話の後半で、20年前に自分が作った絵本「かみさまからのおくりもの」を掲げてめくりながら、ソラで読んだ。(以下はわたしが言葉を変えて抜粋)5人の赤ちゃんが生まれました。5人には神さまから違ったプレゼントが贈られました。ほっぺの赤い赤ちゃんには「よくわらう」よく食べる赤ちゃんには「ちからもち」泣いている赤ちゃんには「うたがすき」よく動く赤ちゃんには「よくたべる」すやすや寝ている赤ちゃんには「やさしい」そして最後のページには5人の子供が空を見上げて「かみさますてきなおくりものをありがとう」って書いてある。単純で温かい絵本だと思う。
子供たちを見てみよう。子供の頃にあった美徳が中学生になっても大人になっても真正に評価されているだろうか?子供たちは自分にステキな贈り物をいただいていたことを知っているだろうか?最初にいただいたものは、今も一人一人の奥底にあって、大人はそれを見つけて引き出して、日の目に当ててあげればいいんだろうな。
樋口さんは「子供たちは必ずステキな贈り物をいただいているのに、それに文句を付けたり口を挟んでつぶしてしまうのは大人」だと言った。うん。子どもの中に力がある。神さまからすでにいただいているもの。それは「出来る出来ない」の世界で計れない物。うちのさんちゃんなら「わらう」や「おだてに乗る」や「いやなことは忘れる」をいただいたかしら?(笑)いりちゃんはやっぱり「やさしい」をいただいたかな?改めて大人のすべきことは評価ではなく「愛すること」だと思った。
帰りに三角の箱をお土産にいただいた。蓋を開けると三角屋根に十字架のおうちの大きなクッキー。食べるのが惜しかったけれど家族でシェアしていただきました。美味しかった、心がほんわか。


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