★★☆ 想 う ☆★★
目次過去未来


2001年11月30日(金) 1輪の花

ゴミ溜めの中に、ポツンと1輪
きれいな花が咲いている。

きれいに掃除された部屋にポツンと一つ
ゴミが落ちている。

どちらも目立つ。

あなたがふだんしないことをポンとひとつ行えば
とっても目立つ。

ふだんいい人は不利である。
ふだんやさしい人は、たった1回の冷たい仕打ちが
印象に残る。

ふだん冷たいヤツが、たった1回優しいことをすると
それも印象に残る。

自分がいままでできなかった いい事 を
やってみるか!


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2001年11月28日(水) うんざり

うんざりする時ってどんな時?

ひとつは嫌なことが繰り返されているとき。
嫌んなっちゃう状態。

もう1つは、こうなるだろうと想像できてしまう場合。
そして、それは間違いなくそうなってうんざりしてしまう。

例えば、60点の答案用紙を持っている時、
それを見せればなんて言われるか想像できる。
そして想像通りのことを言われる。

クラス1番の60点でも、最下位の60点でも
がんばった60点でも、
言われるセリフは想像できる。
そしてそれは「うんざり」する。

「うんざり」は誰でも嫌なので避けるようになる。

言わない方がいい。
言っても無駄。
言うと怒れる。

こんな感情をもたれてしまったら、
何もならない。

今日からパターンをはずしてみよう。

えっ!! とまどう相手。

意外とその瞬間本音が出て、
理解しあったりするかも....






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2001年11月26日(月) 気がつけば...

最初の頃の日記に書いた記憶があるが、
夫婦円満の秘訣

批判しない。
強要しない。
うそをつかない。

年賀状にて教えていただいたこの言葉
じっと肝に命じているが...

ふと今朝気付いた。
長男と毎朝勉強時間を持っているが、
その時間のほとんどを
批判し、強要しているということに。

目の前で父親がくどくど言っていれば
誰だってイヤんなっちゃうだろうし、
この時間が嫌いになるだろうし、
これで勉強をメキメキしだしたら
ホント奇跡だよ。

まあ夫婦円満と子供の教育とは同列ではないけれど
楽しくヤル気のでる雰囲気作りなんて
なかなか親子だと難しいよ。

いや、出来ないと思っちゃうと出来なくなる。
強要せずに、批判せずに、
バリバリ勉強する意欲を持ってくれないかなぁ。


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2001年11月24日(土) 道路を走っていて

道路を走っていて、いつも思うが、
横断歩道に歩行者が立っていても、停止する車が少ない。
私の時の自動車学校では、無視した瞬間テスト不合格になる
一発落第の規則だった。
歩行者に限らず、右折車も同様、あるいは合流車も同様、
ゆずりあいの気持ちがどれだけあるか、

私はできるだけゆずる機会がないかと手ぐすねひいて
運転しているので、ひとたび運転すれば十数回はゆずる機会がある。

しかし、私もできていなくて、ゆずったのに会釈も御礼も
しないと正直少し「ムっとくる」

御礼を期待しているわけではないが、譲って挨拶が返ってくると
非常に気持ちがいい。皆がもっと今の5倍は譲り合いの気持ちを
もって欲しいと思ったこともあるが、
譲ろうとそもそも思わない人は気持ちがゼロなので5倍になっても
ゼロはゼロ。今では譲ってくれる数すくない人に出会うことを
喜びとしている。

ただ、こう言っていても私も了見が狭く、渋滞中に横入りする車
は許せず、車間距離をむちゃくちゃ詰めて走る。
まだまだだねぇ。

偽善的であっても、偽者であっても、何もしないよりは
少しでも行動している方がいいんじゃないかと思っている。

譲り魔の車の後ろを走る車は、きっとイライラするだろうけれど、
我慢して欲しいと思う。

お互い様だからさ。



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2001年11月22日(木) 青春とは

青春とは、無限の可能性を信じる事ができる時
青春とは、若さの特権である
青春とは、ほろにがいものである
青春とは、結果よりも行動が先にでる時期
青春とは、学生時代の頃
青春とは、ふりかえるもの
青春とは、歳をとってもまだあると思うもの
青春とは、うぶだった世間知らずな自分のこと

青春という言葉は、若者が若者の時に使う言葉なのか
年配者になってから若かりし世代のことを言う言葉なのか
歳は関係なくつかう言葉なのかは、
ひとそれぞれの解釈によるに決まっている。
広義にとらえる人、狭義にとらえる人

でも、もし世の中に若者だけしか存在していなかったら
青春と言う言葉は若者から生まれただろうか?

否、それはもしあったとしても別の言葉で言い表されているのではないだろうか?

決して戻れない過去を持つ人間の気持ちが込められていった言葉

それが青春。

思いが入っている言葉だから、誰がどんな定義をとなえても
決して間違いとはいえない。すべてが正しいのかも知れない。

1ついえる事は、
良かれ悪かれ、誰でも青春時代があったということと、
青春にこだわっている者とこだわっていない者がいるってこと。

こだわっている人間には、まだ青春は終わっていない。

私感だが、この言葉にこだわっている人間のほうが、
なんだか人間らしくて、普通っぽくて、年寄りくさい。

なんだ。オレは年寄りか。
年寄りくさいと思う人間はすでに年寄り。

全く考えない人は、たとえ何歳でも青春真っ只中にいるんだろうか?


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2001年11月19日(月) 信念の魔術

世に信じるパワーほど強いものは無い。
念じる力はとても強い。

信じればすべてのことは実現する。

こころから信じる。

なるべくしてなっていく、なっている。

疑いの余地はない。

最大のエネルギーを信じることに費やし

行動していく。

成功するものは信じる事ができる。

信じていれば成功する。

かならず成功する。

体がつかれても、不運が押し寄せても

信じるパワーは弱めてはならない...


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2001年11月18日(日) 分け合えば...

奪い合えば無くなるが、
分け合えばあまる。

そうだね。

出来ないものもあるけれど、

そういうことができるものを

たくさんたくさん

もとうよ。


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2001年11月17日(土) 逃げる場所

あなたは自分が逃げる場所を持っているだろうか。

たぶん
だれでもその場所を持っていると思う。

だけど
自分で気付いていない場所に逃げている事に
気付いているだろうか?

これはとても大切な事。

だって
逃げるのには逃げる理由があるのに
逃げたが為にさらに状況を悪化させることがあるからだ。

これは例えて言うと、
好きな人が振り向いてくれないといって、
別の人を捜し求めるのと同じで
そこに逃げようとすればするほど
好きな人は自分に関心を持たなくなってくる。

なぜ
自分はそうしているのかをもう一度考えて見るべきだ。
実は
自分の行動は、現実から逃げているだけであって
それは現状をさらに悪化させているだけかもしれない。


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2001年11月16日(金) 紅葉

紅葉の季節
紅葉を見に行く。

目に飛び込んできた瞬間
ほんわかとした感動が体をつつむ。

みんなに見せたい!
だれでもそう思うだろう素晴らしい景観。

映画を見に行って、どどーんと受ける感動もいいが
このほんわかとした感動がまたいい。

どちらも本質的には求めているものを
みるというケースが多いが
期待を裏切らない結果には
たいへん満足できる。

人は常に感動をもとめているのか?
人は常に感動できた満足感をもとめているのか?

いやどちらでもいいし、なんでもいい。

感動はとにかく、
自分の原動力になっている!!!!!


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2001年11月15日(木) 許せないやつ

自分だけよければいい

そんなヤツは許せない。

でもつきつめれば生きているものの本能だから
実は当然でもある。

しかし、あまりにも自分勝手なヤツは本当に
腹立たしい。

そんな経験ありませんか?

自分はいいからこの人には...
というパターンは感動を呼ぶ場合もある。

でも
この人はいいから自分だけはこうしてくれ
というパターンは、僕にはどうしても許せないことが多い。

先日超満員の通勤バスにのっていたら、
おばさんが乗ってきた。

「ちょっと詰めてくれないと乗りたい人が乗れないでしょ。
もっと奥へ行ってちょうだい!乗る人のことを考えて
奥へ詰めててくれなくちゃ! ブツブツ...」

こんなことを大声でいいながら乗り込んで来た。
バスは入り口付近がかなり混んでいることが多い。

しかし、次のバス亭でバスが止まったとき、
入り口にいたそのおばさんはこう言った。

「こんな混んでいるのになんで乗ろうとするの?
次のバスにしなさい!」

しかもその後、罵詈雑言が延々と続く。
[ったく、自分だけは乗りたいとおもっているんだから...」

一時オバタリアンという漫画が流行ったが
その言葉を聞いた瞬間
僕のこめかみの血管は浮いた。

脳溢血で倒れてもおかしくないほど
カーっとなった。

でも、次の瞬間、
感じた憤りをそのまま押さえていた。

許せないやつを口にだしたおばさんと
許せないやつでも思っているだけの自分。

ひょっとして本音を口に出すか、出さないかの
レベルだったりして、、、、

そう思うと怖いものがあるね。


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2001年11月13日(火) 経験と知識

セミとか、アメリカザリガニを子供たちはよく捕って来る。

別にザリガニでなくてもいいけれど、
我が子供たちは、夏になると、やたらとってきて
面倒も見ずにほったらかしている。

子供に、たとえ虫でも命の尊さを教えようとムキになる父親。

実は、本気でムキにならなくても、子供は自然に覚えていくものらしい。

しかし、そう思わないのが父親。

セミを捕まえてカゴに入れっぱなしで、干からびているセミを見るたびに
父親の説教が始まる。

「セミは7年間も土の中にいて、たった1週間しか生きていないんだよ」

僕の説明では、子供たちは理解できなかったようだ。

虫かごに入れて自分の物にしたい。という欲求が先立っていたのか、
飼育するという概念がわかっていないのか、
何匹も死なしてしまった。

自分だって子供の頃はカエルを何十匹と捕まえては皮をはいで捨てたことが
あるじゃないか!

残酷とか、命とかの意識なんてなかった。
カエルを水中に数日間も沈めておくと
おぼれて死ぬ事もその時知った....

大人はさんざん自分がしてきて知ったこと、悟った事を
子供に伝える。

自分が荘だったように子供は、聞いて知ることよりも
やって、見て、知ることを求めている。

朝食時、もし子供が、あたためた牛乳が熱いといって、水で薄めようとしているならば、
「よしなさい。牛乳を薄めるとまずくなるから...」
といって、それをさせない親が多いかも知れない。

「やってみな! でもまずかったら次はやめてね!」

最初の1回は経験さ。間違った方向に行かせないことを教えることも大切だけど

間違ったこと事態を教える事は、今しかできないよ。きっと....


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2001年11月11日(日) 中毒

人はだいたい中毒になっているものがある。

酒、チョコレート、ダイエット、スナック菓子・間食、
映画、うわさ悪口、お出かけ、ケータイ、、、、

まあ なんでもいいんだけど、

なぜそれに執着しているのか! が問題だ。

なぜなの?

確かに酒やたばこ、チョコレートは習慣性がつよいかもしれない。

でもあなたには必ず中毒になっているものがいくつかあるはず。

なぜ中毒になっているんだろうか?

今一度考えてみよう。

原因がわかると、それは中毒ではなくなるかも知れない...


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2001年11月09日(金) 写真は事実を撮る

写真写りが悪いっていう人いますよね。

写真を見て、ちょっと自分と違うよっていう人いますよね。

写真は事実を写す。

だってうそを写せないから。

だから写真は、事実だけを写すのだ。

この3段論法は誰にも破られないだろう。

しかし、写真が写すのは「一瞬」である。

事実ではあるけれど、我々が認知している像とは

違いがでるのは当然である。

これはあたかも、宮崎駿の映画の技法と同じく

視覚像の話になる。

人間の脳は、都合のいいように現実を変えて見せる。

写真は現実を撮るが、人間の脳はデフォルメして見ている。

写実的な現実と、我々が脳で認知する現実は

おなじ現実でも実はまったく違う現実なのである。





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2001年11月08日(木) 思い出の格言

壁に耳あり クロードチアリ


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2001年11月07日(水) 約束 その1

友達が言う。

絶対に秘密にしておいてよ。誰にも言わないでよ。

かくして、秘密は秘密でなく広がっていく。

「知らないことにしておいてね」

中学生の頃、そう言われてうなずいた自分。

一足先に知ったけど、忠実に知らないふりをしていた。

数日後、状況が公然となる。

友人が言う。

「こいつには事前に言っておいたんだ。なぁ!!!」

不器用な私は、無意味ではあっても知らないふりを通す。

「えっ僕は知らないよ!」

「もう言っていいんだよ。お前だけには話しておいたんだから。」

もちろん、「僕は知っていたさ!」と言っても問題はない会話。

でも不器用な私は、聞いていないふりをする。

この意固地さは、誤解を招く...

知らないふりをしてくれという言葉に、忠実に従って、

状況がどう変っても僕は知らなかったよの世界。

しかし場合によっては、「僕は知っていたんだけどね。」と

言えないといけないかも。

僕は不器用。

その代わり、不器用さが信用となることもある。

「知らないことにしておいて!」

うなずいた以上、何があっても「知らなかったよ」って

いったっていいよね!!!


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2001年11月06日(火) 思い出の格言

母ひとり 小太り


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2001年11月05日(月) 思いやり

相手が望んでいると思うことをすることは

思いやりだろう。

でももし望んでいなかったら、

おせっかいになってしまう。

相手に対して、こうしてあげたいとか

こうしたいだろうなぁと思うのは自然な気持ちであって

その気持ちのうえで行動されたことなら

何人も文句はいえないだろう。

しかし、人が思っていることはわかりはしない。

長年連れ添っても、完璧には理解できない部分が

あっても不思議じゃない。

そういう意味では、

相手の為にと思っていう言葉や行動は

ひょっとしたら迷惑になっている可能性もあるということ。

相手の価値観と自分の価値観の違い、

その差があらわれると思う。



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2001年11月04日(日) 思い出の格言

注意一秒 ケガニの親子


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2001年11月03日(土) 母親の笑顔

子供が一番うれしそうな顔をするとき。

それは、母親の笑顔を見たとき。

そりゃあ恐い顔して叱る時はもちろんあるけれど、

子供は母親の笑顔で一番元気になる。

父親とキャッチボールしていても

母親の笑顔にはかなわない。

おもちゃを買ってあげても

母親の笑顔にはかなわない。

いつもニコニコ。

我が子のママは、ニコニコママ。

満点ママである。






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2001年11月02日(金) わからない所を教える

友人がわからない所を教える。
「これこれこうだからこうだよ」
「うん わかった!」

先生がわからない所を教える。
「これこれこうだからこうだよ 忘れないようにしなさい!」
「はい すみません」


親がわからない所を教える。
「これこれこうだからこうだよ。 どうしてこんな問題がわからないんだ
 この間やったばかりだぞ! 学校でまじめに聞いているのか?」 

「.........」






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2001年11月01日(木) 楽しいこと 

何かをしてて楽しいってことありますか?

面白いなって思うことありますか?

たくさんたくさんあるよね。

楽しいと自分で思わなくても、思っていないだけで
  楽しんでいることって多いと思う。

子供達を見ていると、ほんとに毎日が
  楽しくてしょうがないように見える。

楽しいって感じることは、そのことに
  なんらかの才能があるってこと。

そういう意味では自分たちには、
  いろんな可能性がたっぷりある。

その才能は、磨けば光る玉のようだ。

もっともっと楽しんで、
  もっともっと伸ばそうよ。












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