月と散歩   )   
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2004年08月12日(木) 『ハイウェイ』


まあ、僕だけじゃないんだろうけどさ。

―――

ときどき 自分を取り巻く様々のタイミングが、絶妙に絡み合うことがある。
良くも、悪くも。

そんなとき、『実は すごい人間なんじゃないだろうか。僕は』 なんて。



たまたま無性に小沢健二が聴きたくなって、
『LIFE』 買ってきて 『僕らが旅に出る理由』 あたりを繰り返し聴いていた時期があった。

ちょうど、仕事のことやら仲間のことやらで いろいろ燻っていた頃で、
小沢健二の描く 『旅』 を僕なりにディフォルメして深く頷いたりしていた。
HPを本格的に立ち上げてみようと思い始めたのもその頃だ。

そんな時、くるりが新曲を発表した。
聴けば、僕の描いていた 『旅』 を見事に詠い上げていた。

(プロに対して失礼な話だけど) くやしい、やられた と思った。
同時に、僕は実はすごい 『アンテナ』 を持っているのかもしれない、と ひとりニヤケた。
そしたら、くるりがアルバム 『アンテナ』 をリリース。


…勘違い、と言ってしまえばそれまでなんだけど。

―――

6月。


いいのか、悪いのか。
先日の日記に書いたとおり、免許を取り消された日に パスポートを受け取った。

なぜか、免許が無くなったことをそれほど痛手とは思わなかった。
むしろ不思議な安心感のようなものがあった。
精神的に、かなり追い詰められていたのもあると思う。

けど、それで落ち込むようなことはなく 悟りを得た老人の如くココロは安定していた。

車は持っていても仕方ないので、売ることにした。

ちょうど三菱自動車の不正が発覚し、連日ニュースで取り沙汰されていた頃。
僕のパジェロ・イオも、中古市場で相当の値崩れが起きているのは明らかだったけど、
置いといてもどうせ2年間動かすことも出来ないのだ(免許失格二年の刑)。

それでも、罰金その他の補填に充ててもお釣りが来るくらいの値がついた。


んで、そのお釣り分で自転車を買うことにした。
この先、少なくとも2年間 僕のアシになるんだから と、思い切って良いものを選ぶ。

r&mの 『BD−1』 。

折り畳み。
ドイツ製というのも惹かれた。


…外車だ…(にやり)。



同じ頃、仲間のひとりがついにバイクの免許を取った。

浮いては沈みしていたバンドの話も、やれるとこからやっていこう くらいのスタンスで緩やかに始動。

みんなでつくっていこう と言っていたHPも、その核となりそうな企画が(水面下で)進行し始める。

僕の転職計画も、いよいよ詰めの段階に入った。



…いままで空回りしていた歯車が、ゆっくりとだけど確かに噛み合い始めた
手応えを
梅雨の雲間から差す光のように 感じていた。


―――


7月。


僕のいる会社では、お盆の前のこの時期にも おおきな連休がある。

それを使って海外に行こうという計画を、突然同期のひとりが持ってきた。
去年、さぬきうどんを食いに香川まで行ったメンツだ。
僕にとっても願ってもないタイミングで、ふたつ返事で乗ることにした。
ひとりは健康上の問題で、お留守番。
結局、男3人の旅になる。

行き先は、なんとなく(苦笑) タイ。

世界遺産をみたい。
象に乗りたい。
ムエタイを観たい。

という、3人のリクエストも見事にかなう。


で、行ってきました。タイ。

初めての異国。
荘厳な仏教建築に目をみはり、屋台のメシの美味さに感激し、
マーケットでボッタクられそうになり、オカマに禁断の恋をしかけたり…

…と、様々なカルチャーショック満載の素晴らしい旅だったんだけど、
長くなるので 詳しくはまたの機会に…。


………


その旅の前に、実家にも帰った。
いろいろ整理をしたかったし(精神的にも)。


けどなにより、バンドとして最初の 『なにか』 をやりたかった。


話し合いと思いつきの結果、一曲録って プロモも撮っちゃおう ということになる。
曲は誰からともなく、くるりの 『ハイウェイ』 に決まる。

ギターはソロとリズムの2本。
ベースとドラムは都合がつかず、ベース音はソロギターで兼任・代用、ドラムはとりあえず小さいボンゴでリズムだけ刻むことにする。
ボーカルは、公平に 『カラオケ持ち歌一発採点勝負』 で決めた。
…はずだったんだけど、成り行きで僕が歌うことに(苦笑)。

―――


もちろん、すべての決定に僕の意志も関係しているんだけど
それ以上の 『偶然ではないタイミング』 が、そこに確かにあったように思う。

なにより、そこにいることができたことを 感謝する。


―――


この月、会社に正式に辞意を伝えた。



2004年08月11日(水) 『名前をつけてやる』

ながなが続けてきた回想編も、いよいよ中盤!
(まだ、中盤…)

―――

4月。

2日。

仲間に、息子が生まれた。


まだまだバカやれると思っていたけど、僕らもそういう歳なのだ。


だけど、可能性の海は無限に広がっていて その果ては未だ知れない。


不思議と限界は感じなかった。
それどころか、いままで考えもしなかった『可能性』ってやつが
波のように押し寄せて、僕を「そこ」から否応なしに動かした。


ひとりが、バイクの免許を取るため教習所に通い出した。

ひとりが、結婚を決意した。

ひとりが、海外で挙式をあげた。


僕はいままで、「なにか」に遠慮をしていたようだ。
親なのか、社会なのか、自分自身か。
「なにか」が何なのか、結局わからなかったけど
そんなものに遠慮をする必要はないんだと気付かされた。


ふいに、パスポートを取ろうと思い立った。


いままで自分には関係ない、まだ早いと思っていたことが 一気にまわりで起こり始めた。
関係ないはずはなかったんだ。
すべては自分にも起こりえる『可能性』があった。

海外、ってのも「そんな、自分の国もよく知らないのに」なんて言い訳して考えることもしなかった。



「なにか」から解放された気分だった。

僕も、「それ」をやっていいんだ。
僕にもやれるんだ。


よくわからないチカラが湧いてくるのを 確かに感じた。


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5月。

…だからってわけじゃないけど、彼女とちょっと長い旅行に出掛けた。
国内だけど。

見たことないとこを見てやろう。
そんな挑戦的な気持ちだったかもしれない。


そういうときは、たいてい気も大きくなっている。


…で、やらかしてしまった。

旅行から帰ってきて、数日後。
彼女と一緒に同期(新婚)の家に向かう途中、一時停止無視で警察に呼び止められた。
…だけならまだよかったけど、そのとき僕は免停中だった…。

「ほんの出来心だったんです…!」

よくドラマなんかで耳にする台詞が僕の口から出たことに、
僕自身驚いたりした。
んで、本当に出来心だったから なお情けない。


旅行も電車を使った。
それまでの通勤もバスでがんばっていた。

まあ、ちょっとくらい大丈夫だろう。
そんな心の隙を警察は見逃してくれなかった。


「運が悪かったねぇ」 と警官。
それはそうかもしれないが、あんたが言うな!


『(2月の事故の)相手はお咎めなしなのに…アレは保険詐欺じゃないのか…!』

そんな自己中心的な怒りも、絶対的事実の前ではなんにもなりはしない。




免停中の無免許運転 ということで、2年間の免許取消というお裁きが下るのはそれから1ヵ月後。


折りしも、パスポートの受け渡しの日だった。


2004年08月10日(火) 高く跳ぶ為の、大きな収縮。


さすがに半年も前のこととなると、思い出すのもひと苦労だ。
それでも時間は過ぎていく。
まるで、波にさらわれる砂の城だ。

―――

さらに、2ヶ月ぶりでごぶさたです(苦笑)。

ダイジェストのダイジェストで、半年分の回想です。
もうちょい、つきあってくださいな。

―――

2月。

前回、書き漏らしたけど
この月の初め、僕は事故を起こした。

振り返れば、確かに僕に原因はあるんだけど。

寝坊をして焦って会社に向かっていた。
この時期、特に眠りが不安定で…ってのは言い訳、か。

渋滞で無理な割り込みをされて、ちょっとアタマにきた。
ナニクソってな感じで、車間を詰めた。
前の車がブレーキを踏んだのが見えたけど、遅かった。
相手も僕と同じ、RVタイプの車。
「そいつ」の、後ろに付いてたスキーのキャリアに僕の車のボンネットが当たった。

事故の状況は、そんなとこ。

相手にも非はあるけど、9:1くらいで僕が悪い。

んでまた、相手も悪かった。
事故から3日ほど経ったころ、電話が掛かってきた。
「首が痛いんだけど…」

…ああ…! 来た…。

話を聞けば、どうやらムチ打ちになったみたいだ。
…仕方ない。僕のせいだ。
けど、話はそれだけじゃなかった。

「ヘッドライトと、フォグランプが点かないんだけどさあ…」

…!

やられた。
首なら、確かに事故の衝撃でムチ打ちになるかもしれない。
僕が、それに対して責任を取るのも当然で、そのつもりでいた。
でも…!
ライトは関係ない。
僕が当たったのは、相手の後ろだ。
テールランプならまだしも、「ヘッドライトが…」なんて言いがかりもいいとこだ。
外見的な被害は、キャリアが割れただけで車自体には当たっていない。
僕のほうもボンネットが傷付いただけだ。
それくらいの速度、それくらいの衝撃だったんだ。

一気に、相手への不信感と怒りが湧いてきた。

結局、物損のほうは保険屋さんがキャリアの分だけで、ってことで話をまとめて示談になった。

僕の怒りはやがて、法律やら警察やらへと連鎖していった。


…それらを抱えたまま、3ヵ月後に免停処分を受けることになる…。


―――

3月。

…何があったっけなぁ…。

ひたすら、眠ろうとしていたような気がする。
一番ひどい時期だった。

どこにも頼れるものがなくて、世界でひとりだけな気分に追い込んで
その反動で抜け出せるのを期待していた。

劣等感。
挫折。
無力感。
脱力感。
…自己嫌悪。

そんなのをパワーに変えようと、
以前から何度も立ち上がりかけて 立ち消えていたバンドを
本格的に起こそうと、地元の仲間に声を掛けてみたのもこの時期だ。

でも言いだしっぺがこんな状態なので、まとまるものも まとまらない。


そんな中で、彼女の誕生日に贈ろうと
指輪とそれを入れる小物をつくった。徹夜で。
我ながらいい出来。
この月、唯一がんばったと言えるのはこれくらいかもしれない。

肝心のサイズが合わなかったけど(苦笑)。


…相変わらず、僕は「そこ」にいた。

―――

4月。

はじまりの季節。



そして、この泥のような状況から抜け出すきっかけは
『新しい始まり』がもたらしてくれた。




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