★ 夏海の日記 ★

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2008年01月31日(木) 疲れた...

●夏海(958) 題名:疲れた... 投稿日 : 2008年1月31日<木>22時48分

人の怒りや悪意や憎悪を浴びると とても疲れる。
今日、うっかりと レイと同じグループに 自分から行ってしまった。
コミュニケーションの授業の途中で抜け出して デイサービスで介護プランの見直しミーティングを行い、
教室へ戻った そのタイミングで。

今日のコミュニケーションは、面接の練習で、
グループで 面接する役の人たちと 面接を受ける人になり、
私は 面接を受ける人をやった。
面接が終わり、フィードバックという 面接を受けている私についての感想をそれぞれが述べる時間があり、
普通のグループでは 面接を受けた人がその場で座ったまま、質問をした人たちから感想を聞く。
レイのグループは違って、面接を受けた人とレイが入れ替わって、講義を始める。
講義... 違うな。
いかに お前たちが(畑違いな『会計事務所』なんざ受けたいだなんて)無謀なことをしているか?と、
『会計事務所』が 長く勤まる場所ではないか の解説を 延々と(どうやら私がいない間もずっと)していた。
私が面接の練習をした意味など これっぽっちもなく、
あのいつもの暗い声で 延々と恨み節を垂れ幕っていた。
5千万の借金の保証人をしないと 顧客は取れない だの、
追徴課税を「わしゃ知らん」と言われて かぶらないといけないだの、
畑違いの職種からの転職なんざ、「お前 何考えてるんだ?お呼びじゃないよ」という扱いをされるだの、
本当に 暗い 暗い 話だった。

ケアマネの 押し付けがましい話に疲れた後で、うっかり対面してしまった レイとの話に精神的にやられてしまい、
午後の授業が始まった途端に 緊張が来た。
ヤバイと思い、飴でも舐めようと思ったけれど、1粒しかなく、
「頓服 頓服」と唱えながら 我慢をし、立って歩ける隙ができたので、お菓子エリアに行ったけれど 飴はなく、
外に出ようと思いながら 目立つなぁと思って行けず、
でも 何とかパニックにもならず、薬も飲まずに1時間が無事に過ごせた。

冬休みに私が持って行ったストーブがある。
それを 南側においておいたのだが、いつの間にか レイが自分の目の前に置き、
自分専用にする為に争っているのを見て 嫌悪した。
足元が寒い時、女性はみんなひざ掛けをして自己防衛する。
足元が寒いので、自分の机のすぐ前に持っていく 子供じみたあまりに自己中な行動の意味がわからん。

私の座っている位置から 近い位置に座っており、必ず視界に入るレイに 今日は疲れ果ててしまって その席に居たくなかった。
座る位置を移動すると picamoの機嫌がとても悪くなる。
席を今日だけ移って良いですか?と 許可を取り、教室の隅に席を移させて貰った。
その席に座ると 空気が軽く、そのことにとても びっくりした。

明日あたり、席替えがある。
それがとても怖い。
こんな時に限って席が近くになったら...

疲れた...
私は 何をしに 学校へ行っているんだろうか?



その日の帰り、望とアモーレグループ?が一緒に喫茶店へ『ミーティング(苦笑)』に行ったらしく、
『夏海が席を移動したこと』が話題に上がったらしい。
以前、sekineが後ろの席の人と前後入れ替わった時に picamoに注意され席を戻された経緯があるので、
夏海だけ『ずるい』という話が出たのかも知れない。
口が軽いお調子者の望が どうやら『夏海さんは レイの顔も見たくない』というような話をしたらしい。
sekineは言ったそうな。
「顔も見たくないからと言って席を移動するなんて!夏海さんは もっと『大人』だと思っていた」

いや、別に誰に何を言われても良いんだけどさ。
それがsekineだろうと。
でも、それの事実を イチイチ「俺がいらんこと言ったせいだ」と報告されてもなぁ。
知らなきゃ知らないで、普通に過ごせたと思うのだが。
そんなに『仲良し』でもないsekine相手ならば。

にしても。
わからんだろうな。普通の人には。
私が言った『顔も見たくない』の 本当の意味が。
んでもって 望はあまりに迂闊うかつだよな。
望もうーたんママと同じたぐいの人種か?
まぁ どーでも良いんだが。
それなら それで、付き合い方を変えにゃらなんなぁ。


2008年01月26日(土) また一人...

●夏海(956) 題名:また一人... 投稿日 : 2008年1月26日<土>00時53分

私を抱きしめてくれたノリが、来月そうそうに 辞めるそうです。
これで、私は長女になります(たぶん)。
人数がどんどん減っていって、寂しくなるわ。

最近PCに打ち込めないので、『みかん箱』ならぬ 『ネタ帳』に書き留めています。
そう言えば 最近携帯屋さんに料金の設定をし直しに行った時、
自分宛の写メールが多いので、料金が加算されていることを教えて貰いました。
だって、メディアからPCへ移すの面倒臭いんだもん。。;



◎夏海(957) 題名:そう言えば... 投稿日 : 2008年1月26日<土>00時59分

ある掲示板で、結婚後に太って体型が別人になってしまった人のことを『契約違反』では?と書かれてありました。
太った私には 価値がない ので 太らないように吐いていた過去の私と、
明らかに ストレスのせいで 無駄に体重が増えてしまった1年前の私と、
妹や母親を見て思うんですけど、
その人だけではなく、相方にも問題ありだと思うの。

今の私も 再度増量キャンペーン中の妹も 母親も
明らかに ビョ〜キだと思うもん。



2008年01月18日(金) マスターベーションか 否か

今朝、勢いで買ってしまった『新ルールズ』のことを考えながら洗濯物を干していました。
その本の内容欄には、こう書いてありました。

『彼が幸せだと感じることを実行しましょう。
 そうすれば彼は一生あなたと一緒にいたいと思い、幸せな日々が送れます。
 しかし、その精神的努力は二人でするものではありません。あなた一人が実行するのです。
 なぜなら、男性と女性は違う生き物であり、それが現実だからです。』


結婚とは、二人で努力するものではなく、『あなたが一人で努力するもの』だとすると、
それって、マスターベーションにならないの?と疑問に思いながら、
どうしたらマスターベーションと思わないで『一人で』『努力』などできるのだろうと思っていました。

どうしてマスターベーションだと思うんだろう?
その答えは、うーたんとの結婚生活で、私一人が空回りしていたから。
セックスレスの中にあって、私一人が努力したところで、相手がその気にならないとどうしようもないでしょう。
私が努力した末にあるSEXは、私の中では すでに『人の手を借りて行うマスターベーション』となり、
『幸せな時』ではありませんでした。

相手に意思がある限り、相手にその気がないと現状は何も変わりはしない。
私が行う全ての行為が 私の心を中心に行うべきであり、相手を動かそうとか変えようとか思うことはおこがましいとは思う。 
思いはするが...。
では、その努力がマスターベーションと感じるかいなか?
その境目は 何か?

今朝、やっと『真理』に辿り着いた。

その境目とは、その努力が『日常化』しているか いなか。

「ありがとう」と言う習慣が、『日常化』していると、『ありがとう』とお礼の言葉を言うことにストレスは感じません。
「ごめんなさい」と言う習慣が、『日常化』していると、自分のを『ごめんなさい』と認めることにストレスを感じません。

私は自分磨きにストレスを感じていました。
自分磨きは 元夫への為であり、自分の為ではありませんでした。
私は自分磨きを楽しめず、私の心はどんどん磨り減って行きました。
私は 誰の為にではなく、私の為にこそ、無理のない『自分磨き』を行うべきだった。
それならば、それを楽しみ、それらが『日常化』していなならば、私ははマスターベーションには 感じなかったでしょう。

今、teaとの生活で 私が楽しんでいられるうちは、自分の楽しみの為の行為であり、
それが楽しめなくなったら、teaの為に努力する イコール マスターベーションになる。

それが意識して行わなくてはならない『努力』か 意識しないで行う『日常的』な行為か?
楽しめているか 楽しめない虚しい努力なのか?
それが きっと マスターベーションか いなか の境目だと 今朝気が付きました。

シンプルだけれど、難しい『真理』。
私は今 努力を楽しめず とても疲れています。


2008年01月14日(月) 吐いた...

●夏海(955) 題名:吐いた... 投稿日 : 2008年1月14日<月>09時43分

久しぶりに 朝食の後に吐いた。

私の母親の話によると、私は赤ちゃんの頃からよく吐き、
「よう育てられん」(訳:私には育てられない)と、祖父に泣きながら言っていたそうな。

 育児放棄の話を 当の本人にするなよな!
 そう言えば、私が中学に上がるか上がらないかの頃、弟と家出の相談をしていたそうな。
 虐待を受けていた弟は「出る」と言い、
 母親の「でも、お腹いっぱい食べられないかも知れないよ」と言ったら、
 「じゃぁ、もう少し我慢する」と言ったので、家出をしなかったと母親に告げられた時、
 すでに30才を越していたかな。
 そんな年でも、「ああ、自分たちを置いて出て行くつもりだったのね」と、
 やっぱり弟の為だけに生きていたんだと、私の『捨てたれた感』は正しかったんだと思いました。
 それを言ってしまうなんて、本当に考えなしの馬鹿な人だと思います。


小学生の頃、私は毎朝吐いてから家を出て学校に通ってました。
自分で自分の髪の毛を抜いていた頃も同じ時期。

20歳前後、夜中にお腹が空く『体育会系』のノリの仲間ばかりで、
『痩せていなければ、自分には商品価値がない』と思っていた私は、一緒にラーメンや牛丼をガッツり食べ
その後 吐いていました。
食べたいものは食べる。
そして その直後に吐く。

『吐くこと』が普通だった私にとって、吐くことに労力は必要なく、
指を突っ込んで無理やり吐いたこともなく、ただ「気持ち悪いんだ」「吐くんだ」と念じるだけで簡単に吐けました。
お腹いっぱいになると 満腹中枢が満足し、吐いても空腹にならず、
食べた直後のリバースは、胃液が出る前の 食べ物の味がし、不快感は全くありませんでした。
必要摂取量以上のものを食べたら、余分な栄養分が体に吸収される前に吐く。
私にとって、一番簡単なダイエット方法でした。


teaが私が太るからと 私が食べることを制限します。
痩せるなんて、簡単なのよ。吐けば良いんだから。
食べ物を 消化吸収する前に。

でもね。食べ物をエサにしたくないの。
死んでくれたもの達を無駄にしたくない。
制限されればされるだけ ストレスが溜まり、異常な食欲や異常な個食となり、無駄に太る。
明らかにストレス食いをしていても太らない体質のteaには解らない悩み。


今日休みだったteaは 昼から釣りに出掛けると言ってたにも関わらず、
昨日の夜 私がレイトショーで映画を見に行っている間に『暴走する』とメールをよこして出て行ってしまった。
何を考え 暴走に至ったのか?考えると また怖くなる。

昨日、うちの20年選手のボロボロのソファーに代わる新品のソファーを買うべく、letさんと3人で店をはしごした。
「これ買っても 私はどれだけ使うんだろうなぁ」と思いながら 一緒に選んで注文をした。

嵐が過ぎ、なぎの時期になり、私たちは『普通』の生活に戻った。
私が 相槌や teaのくどい指摘に対して 適当な生返事を返すようになったことを除けば。
「このままで行けるんじゃないか?」という思いと、
「いつ地雷を踏むのか判らない」 絶えない緊張感と恐怖と
「これこそがDVの本質(逃げる時期を見極められない)なのではないか?」という思い。

最優先すべきは 私であり、私の精神や気持ち。
そして、1ヶ月後にある 簿記検定2級に受かること。

ビクビクしながら、緊張しながら、ため息をつきながら 今日も一日が始まった。

来週末、私の実家で法事がある。
去年 母方の親戚にteaを紹介し、来週父方の親戚にteaを紹介する。
これは 正しい行為なのか?
本当に 親戚に紹介しても 良いのか?オレ。
紹介することが正しいのか?紹介しても大丈夫なのか?オレ。


2008年01月12日(土) 『心のデトックス』始めました

●夏海(951) 題名:『心のデトックス』始めました 投稿日 : 2008年1月12日<土>14時47分

『特価中』とは言え、1万5千円は キツかった...。
このお金は 無駄にはならない。
必ず 役には立つ。
ただ、『価値』として 1万5千円の価値になるかどうか・は、私の努力と
製作者である あづまさんと どれだけ密に 話し合えるか?
どれだけ 本心を理解して それに当てはまるアドバイスが貰えるか?にかかってくる。

日記を読んで下さった方たちは もうご存知でしょうけれど、
私には 長い過去がある。
それを全て読んでもらって アドバイスして貰うわけにはいかない。
(だって、マンツーマンでは ないんですもの)
アドバイスを貰うにあたって、
私に関する予備知識として 知っておいて欲しいことがありすぎて、
長い長いメールを もう3回送った。
私側 ではなく、それを読みアドバイスする側としたら、1万5千円は 破格の値段だと思う。
毒を出して 幸せになりたいなぁ...

これだけ年を食って、これだけの年月をかけて溜め込んだ毒を
そう簡単に吐き出せるとは 思わないが、
けっこう 良いところまで来てるとは思うんだけど。

泣きながら 蟹さんに電話したところ、
残念ながら、私の人生は ステップアップしながらしか良くはならないと言われた。
知ってるもん。そんなことくらい。
痛い思いをしながら、学んでいくのが 私の人生だと思う。
あっちにぶつかり こっちにぶつかり 自分の痛みを糧として生きてきた。
自分の足で歩くって、そういうことだと思う。

死なないでね と 学校の先生に言われた。
死にたい時期を 私はもう卒業したよ。先生。
昨日もね、友達に言われた。
「電車だけは止めておきな。悲惨だから。」と。
電車ね(笑)
復讐の道具として、電車に飛び込むなら、わたし的に『アリ』かな(笑)
大丈夫。私は 死んだりしないから。

生きる為に 何ができるか?
それも 楽しく 幸せに 毎日を過ごすためには 私は 何をしたら良いのか?
サバイバル人生で 生き残れたんだから、幸せに貪欲になって 
そして『との時』が来たら 笑って死んでやる ^^



◎夏海(952) 題名:一応 投稿日 : 2008年1月12日<土>15時06分

URLのご紹介をば ^^

無料のプレビュー版もありますので、ダウンロードして読んでみるのも良いかも ^^
何せ、『無料』ですし(^m^)

http://www.556health.com/selfcare/



●GAKU@Yosida(953) 題名:良かったです(^ー^) 投稿日 : 2008年1月12日<土>21時27分

日記を読みながらちょっと心配してましたが・・・
ここの書き込みをみたところ安心までいきませんが、
良かったです。

私の掲示板にもいつも書き込みいただきありがとう
ございます(^−^)


2008年01月11日(金) そりゃ死ぬだろー

これは、BabyPinkが学校を辞めてしまうと聞いて、
それも突然何の前触れもなく辞めると聞いたので、
モーニングを食べながら 話をしようよと有志で集まった
その待ち時間に携帯で打ち込んだものです。



Date: Sun, 13 Jan 2008 11:08:44

『そりゃ死ぬだろー』


9日、議員さんの息子が飛び降り自殺した。
何かの試験だかに続けて落ち、悩みを抱え、精神科に通っていたと報道された。
そして、どこだかの会社に内定し、就職することが決まっていた矢先にと。
(注:ネットで調べてみたところ、今月の4日に初出社していたばかりだったそうな)

翌日、議員さんがインタビューに答えていた。
息子は重度のうつ病であったと。

はぁ?
『重度』の、『うつ病』だと?

『重度』なんだよね?

『重度』だと認識していたんだよね?


ならばなぜ、就職する『矢先』という言葉が出て来るのだ?
議院の家での息子の立場や扱いは、どうなっていたのだ?

『重度』のうつ病の人を働かせろと言う医師はいないだろう。
それも、新しい会社で、慣れない新しい環境で、などで働くと言うことは、それだけでもう『自殺行為』である。

そりゃー死ぬだろう。
父親が議員であるなら、『就職』しないと『父親の』面目を潰すと言う脅迫観念があっただろう。
また父親の口利きなどで就職口が決まっていたのだとしたら、最悪だ。
彼には辞める選択などできない。
今の現状うから逃げる道は、死しかない。

『重度のうつ病』の息子を働かせたかったのは だれ?
議員の息子であるなら、働かなくたって生きていけるだろう?
お金はあり、働いていなくても食っていける。
問題は そこに『居場所』があったかどうか?

夏海の図書館で紹介した『うつ病記』には、続編があり、(まだ発売は未定)
彼は入院して悟った。
『うつ病』を治すには、休養をすること と。

同じく『ツレがうつになりまして』のツレさんがラジオ番組で言っていた。
『うつ病』を治すには、治そうと思わないこと と。

これだけ情報が氾濫しているのに、
これだけ『うつ病』が市民権を得たと言うのに、
やっぱり 『理解』して貰えないんだよね。
体は 全然元気だから、働けると思われてるんだよね。
だから 自殺は なくならないし、
絶望のあまり 家族を殺して自分も死ぬなんて 悲惨な事件が続発してるんだよね。

この記事の日付を検索しょうとしたら、あるブログがトップでヒットしました。

http://plaza.rakuten.co.jp/watasinouti/diary/200801090000/

彼女は『うつ病』なのかな?
そして 絶対成功するのであれば、死にたいと思ってる。

その彼女が言ってます。

報道されている『自殺者の数』は、『自殺に成功した人』であって、
成功せずに 植物人間状態として生き残ってしまった人は 入っていないと。
彼女のブログによれば、自殺者の成功率は10%なのだそうな。
年間3万人の自殺者の後ろには、10倍の失敗した人がいる。

成功しないで 人に迷惑をかける恐れがあるんだから、自分はできないでいると彼女は言う。
数字に表れる年間自殺者の数の後ろには 10倍の自殺失敗者がいる。
その事実をきちんと報道して欲しいと。

それを読んで そうだよなと思った。
自殺者の数だけ報道され、その予備軍である人 自殺に失敗して生き残った人は 話題に上がらない。

実は私もその一人だったりする。
私はある とてもショックな出来事があり、生きることに疲れ、食べることを拒否しました。
一週間以上 食べ物を食べず、急性すい炎になって入院し、退院後にはまた死ぬつもりでいました。
(あの時 死なずに済んで、生きて来れて幸運でしたけど。)

以前相談に乗った人が、自殺して生き残った人でした。
発作的に飛び降り自殺をし、腰骨を折ってしまって後遺症に苦しんでいました。
連絡が取れなくなってしまって、心を痛めています。
子供を置いて死ねないので、生きていますと言っていた彼女。
生き残っていて欲しいなと 心から思います。


2008年01月06日(日) 今日一日何やってた?

Date: Sun, 06 Jan 2008 21:20:39

今日一日何やってた?


豚汁作って

泣いてた




teaに怒鳴られて以来、ビクビクと緊張して、家にいるのが辛くなってきた。
こんな日に限ってご飯の水加減を失敗して『団子』になってしまった。
ののしられるのが怖い。


そう友達にメールしたら、友達から、
「彼はそんな人ではないから、怒られたりしませんよ」と慰めの返信が来た。

大丈夫だったけど
(懺悔して、『ご飯』を買って来て貰ったから)

teaは、怒る人です。
それも、私の人格までも否定するやり方で。


と返信した。
teaは 外面そとづらが良い。
(他人には天使で 身内には悪魔の 私の父親に似ているね。)
ここまで 人格を否定したり、ののしる相手は私だけだと思う。

本当に緊張して、緊張して、全てがダメで 色んなことが できない気がしていた。
学校に行くことすら できない気がした。



たぶん『普通の人』には『理解』しても貰えないであろう、『過緊張』の理由をメールしました。

Subject: トラウマ

私の父親が、私以外の家族を馬鹿にしていました。
自分の言葉を解し、自分が『善し』とするレベルに達していないから。
私は、父親の言葉の裏側に隠れている意味まで読み取っていたので、父親に唯一可愛がられていました。
弟が罵倒されたり、物を投げ付けられたり、窓から捨てられたりと、精神的虐待を受けており、
それをずっと見て来た私は、次は私の番だと、いつか殺されるかも知れないと、
怒らせないようにビクビクしながら成長しました。
今、teaが同じことをしています。
吸っても吸っても苦しく、上手く呼吸ができません。


朝から息苦しく、深呼吸ばかりしてました。
朝から、息を吸っては ため息をつき、息を吸っては、ため息をつき を繰り返し、
自分が口で息をしていることに気が付いて とてもショックでした。
今日は日曜日で、病院は休みなので、自分で対処しなければならない。
頓服を飲むべきなのか?を 一日ずっと自分に問いかけていました。

返事が返ってきました。
やっぱり理解して貰えませんでした。
そうなんですよね。
父親もteaも(そして私も) 『普通』の人には 理解はできない人たちですから。

返事をメールしました。

>世の中に不器用な人は沢山居て自分の想いを上手く伝えられない もどかしさでつい乱暴な物言いになっちゃったりしますね。


もどかしさで乱暴な物言い
ではなく、
自分より下の存在として、馬鹿にしているので
罵倒ばとうしたり、責めたり、
teaのように、人格や私の人生までもを否定するのです。

teaは外面が良く、
外で我慢していたストレスを、私と接することが起爆剤になり、『怒り』のスイッチが入るのだと思います。
一度入ったら、相手が反省してようと関係なく、途中で止めることができない脳の構造をしているので、
最後まで言わないと気が済まず、それが私を追い詰めています。
(自分は必ず正しいと思っているし)
吐き出した方は、それで満足して完結できますが、
私はその記憶は『なかったことにできない』ので、どんどん蓄積されて、
teaが 父親のように、いつまた爆発するのかビクビクしています。




これから学校で模試模試の毎日が始まり、11月のような緊張を強いられることは分かっており、
その上 自分の家でteaに何を言われるのか 毎日ビクビクして過ごさないといけない。
自分が安心していられる居場所がどこにもないことに絶望を感じていました。
何より 言葉などによるDVに対して 不感性になってしまうことが怖かったのです。

一緒に暮らし始めた頃から、teaに嵐は何度も訪れ、無風のなぎに戻るを繰り返して来ました。
『自分が私に当たっている』と 反省したときには、teaは無性に優しくなった。
これはDVなんだろうか?と何度も自問自答した。
暴力ではなく、言葉や物に当たること で私を恐怖させ、その後優しく扱われること は、
暴力によるDVと同じパターンなのではないか?と。

それとも 私が今より強くなり 対等にやり合えるようになれば解決できる問題なのだろうか?と。

辛い < 楽しい だったので、teaが引っ越すのをきっかけに 結婚という形態を取りましたが、
辛い > 楽しい になった場合は 別れるしかないよな。とも思っていました。

『キチガイ』という言葉は、teaが好んで使う 私をののしる為の言葉で、
当時の私は 確かに 自分でも 『病的』だと思っていたので、傷つきはしましたが、もっともだとも思っていました。
当時の記憶のまま、teaは私を『キチガイ』とののしり、
罵倒ばとうや暴言を繰り返し、
そして何より 共同生活を放棄して 私が家事の全てをり行っている今、
私がこの家にいる 『私の』メリットは 何?と思いました。

友達から返事が来ましたが、メールを返す元気もなく、そのまま放置していたら、大丈夫?とメールが来たので返事を返しました。

Subject: 大丈夫じゃないが

大丈夫に見えてしまう所が
私の欠点かも

3日に会った時のように。

今、letさんに昼ご飯を食べさせ、豚汁の仕込みが終わったところです


3日に友達に会った時、友達に言われた。
「落ち着いたようだね」と。
私は泣いてはいなかったし、『泣き』のスイッチも入っていなかった。
反対に『外出用』のスイッチが入っていて、泣くことを自分に許可していなかった。

私は 自分が感情を表現しても良いと自分に許可しない限り『普通』の顔をし『普通』の態度をする。
この顔と態度のせいで
「悩みがなくて良いね」と言われ、「のほほん」と幸せに暮らしているように見えるのは、本当は良くないことなんだと思う。
良くないことなんだろうけど、誰彼構わず不幸を振りまいて 悲劇のヒロインになるのは趣味じゃない。

ってか、感情を表さず、『普通』のふりをするのが、子供の頃からの癖なんだけどね。
泣くときも 無言で 涙だけ流してたし。
蟹さんところで、感情を表に出しなさいと教えられて練習したけれど、『習慣化』できてないよなぁ...


2008年01月03日(木) 一日が経ち...

ちょっと 感情的になっていますので、
読んで不愉快に感じるかも知れません。
不愉快になった方、申し訳ないです。
でも、これが 今の私の本心です。



Date: Thu, 03 Jan 2008 13:57:14

1日経ち、何かどんどん腹が立って来た。

なぜ私が「がっかりした」と責められなければならないのか?

彼に霊能力があるのであれば、
私を視れば良かったのに。
私の言葉が、信用するに値するのか?を、己の能力で見極めれば良かったのに。

私は、「緊急度が高い」という言い方はしたが、
だから何が起きるとは、何も言わなかった。
行けば、何が変わるのか?
行かなければ、どういう不都合が生じるのか?

私には、行った方がいいとしか判らなかったし、
それ以外は何も言えなかった。
亡くなった彼らが きっと喜ぶだろうとは言ったが。

両肩が重いと電話してきたので、
肩に塩を掛けて、埃を払うように払いなさいとアドバイスし、
お風呂に入る前にシャワーで身を清めなさいと伝えた。
よごれとけがれは最終的には同じもので、
だから、一日のけがれを払う場である浴室は綺麗にしないと魔が溜まりやすい。

お仏壇があるなら、手を合わせて、今日一日の無事を「ありがとうございす」と感謝しなさいと言ったら、仏間は奥まっているのでムリだと言われた。
儀式・作法と彼は言うが、
どれだけ心がこもっているかどうか?が問題じゃないのか?
お線香をあげて、リンを鳴らさないと、感謝の意思を伝えることは出来ないのか?
襖の外や、その部屋の方向に向かって手を合わせて感謝の意を伝えることは、無駄な 意味のないことなのか?
「明日します」と彼は言った。
今日の無事の感謝を、明日するんだとよ。

だから、肩が重くなるんや!!

昨日出掛けたことを私のせいにするんじゃない!!
全てはあなたの意思でしょう!
行くと選択したのは己の意思であるはずなのに、私のせいにするんじゃないわ!
ばかものめ!!



その後...電話がありました。
私の留守電には とても重い調子で電話をくれと入っており、
その後、今日一緒にボルダーに出掛けた 弟分のぼうに電話を掛けてきた。
(運転する私の助手席にぼうが座っていたのだよ。すごいタイミングだこと。)

レイの話は聞こえなかったが、ぼうの話を要約すると、
命がけで行ったのに、どうして褒めて貰えなかったんだ?
それどころか どうして 自分の性格を責められなければならなかったんだ?
肩の重い感じが取れない。夏海のせいだ。

のようだ。

私に褒めて貰いたくて行ったのであれば、本末転倒だな。
レイの言うところの 高貴な御魂みたまの平安を祈って、供養の為にお祈りに行ったんじゃないのか?
疑心暗鬼なのであれば、何者かに付け入る隙を与えたのはレイ本人じゃないかと思うぞ?

私が昨日レイに言った、レイを激怒させた、
『今 自分が こうあることを 全て人のせいにする癖』は 早く気づいた方が良いと思うんだがなぁ。
もうすぐ50の声が聞こえてきているのに。

肩が重いのは、もしかしたら 緊張が強すぎたせいもあるのかも知れない。
恐々こわごわ山道を歩いたと言っていたから、
また、長距離の車での移動(レイは助手席だが)で、肩くらい凝るだろう。
(それだけではない気がするが)

昔、戦争があった。
レイの祖父だかが 厳しい亡くなり方をしたそうな。
そんなの、その時代の人には いくらでもいるぞ?
私を護ってくれている祖父の弟は、爆死したぞ?
友達のじいちゃんも戦死したぞ?
letさんの友達も letさんのすぐ傍で 空襲の為に吹っ飛んだぞ?

自分だけが 特別だと思うな と 私は思うのだが。
それを 今の自分が 自分の思うとおりにいっていない理由にするのは、大層失礼だと思うのだが、いかがなもんか?


あれれ?
今 気が付いたんだけど、レイの祖父が戦争で亡くなり、
今回無事に行って帰って来られたことを祖父に感謝することを後回しにして、
せっかく護って貰ったであろう祖父の立場って一体...。
何か、肩の重荷が取れないのって、当たり前のような気がしてきた...
(実は、白い車が強引に前に入り込むイメージがしていたので、事故だけには充分注意してねって伝えて、
 だから、お仏壇に「ありがとう」って感謝しなさいって言ったつもりだったんだけどなぁ。)


2008年01月02日(水) 「がっかりした」と言われた。

うん。
確かに 腹立つわな。
「命がけで行って来た」のが、何がどれくらい『命がけ』だったのか?知らないし、
「1月は動いちゃいけない月だ」と言われても、私には なぜ?動いたらどうなる?なんて知らないし。


年末に会った 不思議な出会いの彼から電話があり、
今日、私が言った場所へと行って、無事帰って来たのだと告げられた。
まだ 一緒に連れて行った友達は 家に辿り着いていないので...とも。
白い車が 強引に前に入り込むイメージが浮かんだので、どうか事故にだけは気を付けて欲しいと心配していたから、ホッとした。

まず、
私は たぶん 多くを語り過ぎ、
余分に手を回しすぎるようだ。(うん。それは自覚している。いつも後悔は先に立ってはくれないのだけれど。)
年末、彼は私に用事があった訳ではなく、学校に就職について先生に面接の練習をしれ貰う為に行くと前日の電話で私に言った。
私が一番に学校に到着し、先生が休みに入ってしまったことを知った。
学校から一番離れている彼が無駄足にならないように、
また、就職に関して...と言っていたので、先生に連絡を取れないものか?と職員室にいた人に相談したところ、
pikamoの自宅に電話で連絡してくれた。
午前中、会えるものであれば、出てきて欲しいと伝えて貰ったが、用事があるのでダメだと言われたようだ。
pikamoが、自分が彼に連絡するから連絡先を教えて欲しいと言ったので、携帯番号を伝え、pikamoに任せた。
私の誤りは、pikamoに任せてしまったことだったようだ。

学校から自宅に電話が来た時点で、怒りが頂点に達したようで、
彼への電話で散々文句を言ったらしい。
彼は 自分がなぜ pikamoに文句を言われなければならないのか?不条理に思い、
なぜ私が直接電話をすることなく、pikamoが電話をして来たのか?と私を責めた。

私は彼に電話をした。
彼は出なかった。
すでに家を出てしまって、電車の中であるのなら、電話は取れないなと思って 掛かってくるのを待ったが、結局掛かっては来なかった。
だから、pikamoに連絡を取って欲しいと 他の先生にお願いしたのだ。
私は 余計なことをし過ぎる。
でも、pikamoは 気分次第で人を責める人であり、それは私とは関係ない。
私は責められるべきことをしたのか?


学校に用事のなくなったあの時点で、電話を掛けて来て、喫茶店にいた私を引き止めてまで
どうしてわざわざ1時間も掛けてまで 私に会いに出て来たのか が 私にはとても不思議だった。
何か重要な話がしたいのか?と思った。
たぶん、重要な話ではなく、ただたんに『話』がしたかっただけだった気がする。

それが特別な話になってしまった。
私は1時間以上も引き止められて、話し相手になった。
あなたに話したのは 間違いだったのかも知れないと言われても、
聞いてしまったものは なかったとにはできないし、
見て(そして視て)しまったものは、私の意志ではない。
私は感じるだけであって、何か根拠があるなどと 一度も言っていないし、
自分自身でさえ 疑心暗鬼だと ちゃんと言ったんだけどな。

確かに 緊急度は高いと思った。
その場所へ この冬休みの間に行かないと、きっかけをなくし、一生行かないような気がした。
それが 彼にとって良いことなのか 悪いことなのか?
過去の出来事に関して浅い知識しか持たない私には よく分からない。

ってか、なぜ私がその品物を見ることになり、
なぜ私が 視えてしまって、
なぜ私がアドバイスまですることになったのか?すら 私が一番不思議なのに。

とても高貴な御魂(みたま)を、作法の知らない自分が 勝手にあーだこーだ動いてよかったものか、怖いと言われたけれど、
その人たちは『神』ではない。
神ではない 亡くなった人たちが、心を込めて供養して貰って、きっと喜んでいるだろうに、何がいけないことがあるのだろうか?

昼間、私に現地から電話をくれた時、電話が切れた。
私の携帯の電源が落ちてしまった。(まだ残量があったのに、「残量なし」と言われて電源が落ちたのだー)
その後、彼らの携帯が圏外になってしまったらしく、自力で何とかしないといけなかったらしい。
私は 土壇場に強い。
電源が落ちて すぐ復帰した時点で、電話を掛けなおし、電話が繋がらなかったので、ああそういうことなのか と思った。
私が言うべきこと ではなく、導かれるまま 自力で行きなさいと そういうことなのかと。

「あなたは 何者だ?」と彼に聞かれた。
当然だけれど、私は私でしかなく、何者でもない。
修行を積んだ訳でもなく、それを商売にしている訳でもなく、
私が感じたり視えたりするものが、本当に真実なのか?も私には分からない。

彼には 
『途中で投げ出す癖』と 
『自力で行うことを諦めるのが早く 人に頼りがち』
って言うか、何か理由を付けて(かき集めて)、人を巻き込む傾向がある気がする。
確かに、疲れているところに いきなり電話でそんなことを言われて 気を付けた方が良いよと言われて 良い気はしないわな。

「霊力のある自分には見えなかったものが見えたから、私を信用して命がけで出掛けたのに、夏海さんには がっかりした」と言われた。
こんな怖い思いをして 行ったのにと。

私は彼に言った。
怖いと言うのであれば、その品物を手にいれる経緯の方が 因縁深くて、そっちは怖くなかったのか?と。
行動すると 人に出会う。
人に出会うと影響を受ける。
影響を受けると また行動する。
行動すればする程 出会う人が増える。
影響を受ける人が増える。
これって、当たり前のことだと思うんだけど。

何か意味があるのかな?と聞かれ、
たまたまじゃない?と私は答えた。
だって、それ以外に答えようがなかった。
必然だか 偶然だかが重なり、私はここに居て、彼に出会って、友達つながりで話を聞き、彼から直接話を聞いた。
私は意味など対して重要ではなく、「そういうものだ」と思う。全てにおいて。
人には『時』が存在し、分岐点が確かに存在する。
あの時 teaが電話を掛けてきた時間に『PO』にいなかったら、私は今頃この部屋でPCを打ち込んではいない。
意味を探したところで、何かが変わる訳ではなく、たまたまが重なって今の私がいる。

私こそ知りたかった。ここまで私を責める「あなたは何者か?」と。
自分が持っている霊感を 当てモノや 酔っ払った場の座興に使っちゃ、そりゃー 悪いものを貰うでしょう。
その人の人生を背負えないのに、軽々しく人の人生を左右するような言葉を吐いちゃいけないと思う。
私は相談の掲示板に書き込んだり 現実世界でもなぜか相談に乗っているけれど、人の人生を方向付け手しまっていないかと いつも怖くと思っている。

人生とか出会いって、『たまたま』の連続だと思うんだけど。
本気で そう思ってるんだけど。
「がっかりした」のだそうな。
うん。そうだね。真意が伝わらなくて 残念。
イイ歳をして、未だ人生に彷徨っている彼。(私も人のことは言えないが 。。;)
新しい 明るい未来が 今日をきっかけに 開けていくことを 祈っています。
巻き添えになった、彼の友達もね。


....実を言うと、私は彼が苦手だった。
例の2次会のカラオケの時に 酔っ払った彼に肩を抱かれて 寒気がした。
それ以来、関わらないようにしてきたのに、こんなにどっぷりと関わってしまうなんて、縁って不思議なもんさね。



●夏海(949) 題名:今日は泣きたかった 投稿日 : 2008年1月3日<木>00時30分

teaのお姉さん一家が帰った後、私は『初』号泣した。
一人では寂しすぎるので、そして悪い方向へと思考が行ってしまわないように、
誰かに傍にいて欲しかった。

一人の友達からは 用事があるとメールが帰ってきて、
散々迷って 学校の弟分に連絡を取ったら、「死ぬほどヒマだったんです」と付き合ってくれた。
正月の寒い公園でコンクリートに腰掛け、2時間ほども。

「今、パチンコ屋に到着しました」と返事が来た。「何か用事?」と。
色々あって、泣きたいから、付き合ってと返信した。
私までもが 彼の勉強時間を取ってはいけないと思ったけれど、誘惑には勝てなかった。
彼は本当に聞き上手で、そして断り下手だから、
前回、霊感の強い彼の相手を 私が帰った後に 逃げられずに何時間も付き合ってしまったらしい。
彼は、他の人の愚痴などの話を聞きながら、時々私にメールしてくる。
「まだ 帰れない...」と 何度も。
彼は うっかりと「良いよ 良いよ いつでも言って」と言ってしまう。
言いながら、「何言ってんだ?!おれ!」と自分でも思うらしい。
本当に今日は助かった。
寒かっただろうに、迷惑を掛けてしまったと思う。
(だって、重すぎて 『外』でないと話ができなかったんだもん。ごめんよぉ。)

以前の会社の最寄り駅で座って無料でやっていた『聞き屋』という人がいた。
もし『聞き屋』という職業が それだけで生計が立てられるのであれば、
彼は 超売れっ子の『聞き屋』になれると思う。

彼のイメージは 綺麗な空色で、でも『空』ではなく、『水』のイメージ。
本当に良い子だと思うから、幸せになって欲しいなぁと思っています。

今日、何気なく悩み掲示板を見ていたら、ある本が紹介されていて、
その本を セブン&ワイで注文してしまった。(病んでるわぁ...)
『図書館』で紹介してみましたが、本の内容欄に、
『精神的努力は二人でするものではありません。あなた一人が実行するのです。
 なぜなら、男性と女性は違う生き物であり、それが現実だからです。』と書いてあり、
この幸せが 自分ひとりの努力の上に成り立っていると思うのであれば、マスターベーションじゃん!と思うと弟君に言ったら、
「努力していると思った時点で、すでに疲れてるんだと思うよ」と言われた。
「一人が努力しても どうなるものでもないし」ってね。
「頑張らなきゃいけない幸せなんて、疲れるじゃん」って。
うん。そうだね。

類は友を呼ぶと 本当に思う。
もし 私が 今とは違った幸せを望むのであれば、私が変わらないと、今の私に見合った人としか出会えないと思う。
正月から彷徨ってるなぁと思う。
teaは 帰って来ない。



◎さくら色(950) 題名:寒いね〜 投稿日 : 2008年1月5日<土>19時46分

初号泣。
私も今年はもう初泣きを済ませましたよ。
叔母と従姉の親子喧嘩のとばっちりでですが(笑)

夏海さん。
学校で良い弟分に出会えてよかったね!!
空色の彼。
どんな人なのかな〜。。

あんまり思いつめないでね。


2008年01月01日(火) 元旦なのにね。

明けましておめでとうございます。

早速 日記を読みに来て頂きましてありがとうございます。
今年は正月から(正確に言うと年末から)激動の一年になる予感があり、
生暖かい目で どうか 今年も宜しくお願い致します。



01 Jan 2008 22:26:20

元旦なのに、最悪の一日です。
良かったのは初日の出まで。
去年は初日の出を見ませんでした。
初日の出を見た思い出は、お伊勢さんの知る人しか知らない『日の出』スポットか
伊勢志摩スカイラインの展望台から見たものか、
海へ初日の出を見に行った、
すべて、『初日の出を見に行くぞ!』と、わざわざ見に行く気合い十分で行ったことしかなく、
だから、初日の出が家から見られるという発想がなかった。
去年の朝、起きて台所に行くと、letさんがベランダから初日の出を見たと言った。
おお!家からでも初日の出は見れるんじゃん!!って、目から鱗が落ちました。
(この時初めて気が付いたのですが、早朝に起きる必要などなく、7時に起きれば見られるんですよ!)

で、今年は見ようとコーヒーを入れている間 テトと一緒にベランダに出ると、朝日が半分出ていたところでした。
ああ、初日の出だ。
日の出をゆっくり見ることなど 平日ではない為、感動しながら見ていました。
山の頂上から太陽が全て顔を出した時、太陽にご挨拶をしました。
今年もよろしくお願いします と。



12月31日
私は teaに言われたことを 一つもできなかった。
元旦にteaの姉一家がやって来る その晩御飯の鍋の為に名古屋コーチンを『コマ』しか買えなかった。
ブロイラーを『もも』だけでなく、『もも・胸』の『切り込み(すでに切ってあるもの)』しか買えなかった。
お年玉用に新札に両替する予定が、金融機関が休みに入った為、用意することができなかった。

teaは 自分が『これ!』と決めたことができないと 病的に不機嫌になり、酷い言葉で私をののしり、怒鳴る。
私は とても怖かった。
なぜなら、その理由がお店が開店する10時ではなく、10時半過ぎてお店へ行ったのだから。

お店の人が すまなそうに言いました。
常連さんではなく、年末だけ来る人が 並び、常連さんは買えないことが多いのだと。
なので、早めに買って、冷凍して下さいと言っていますと。
(まさか、8時半から並んでいるなんて!!)
私はteaに 並んでいるとは聞いていたけれど、
『買う為に並んでいる』んだと思っていて、まさか店が開くのを待っている人が大勢いるなんて思いもしてませんでした。

お店が開くまでの間、お風呂の掃除をしていました。
網戸の掃除も。
私は 自分の実家のお風呂が気持ち悪くて入れません。
湯垢がこびり付いている洗面器やイスは使いたいと思えず、
ピンク色のものや カビがついているタイルや床は とても気持ち悪い。
自分ち でない家の 生活臭が 私には気持ち悪い。

義姉一家は『お客さん』であって『お客さん』はなく、
普通の『お客さん』が 見ない 舞台裏を見て、使用する。
お風呂や 台所や 洗面台や 洗濯機...
私は舞台裏を本当は見せたくない。
見せなければならない以上、生活臭である『汚れ』は取っておきたい。
とても丁寧に磨き、泣きそうな程頑張った。

私が家にいると、letさんは期待する。
自分に買いたいものがあると 私が連れて行ってくれることを。
大晦日は一日しかなく、やらなくてはならないことが多すぎた。
letさんと一緒に移動すると、2倍以上の時間がかかる。
早く歩けないことが一番の原因だが、会話が成り立つのに時間が掛かることもイライラに拍車をかける。
「今日は やりたいことと やらなくちゃならないことが沢山あるから、買い物は私一人で行くね。
 ごめんね。買いたいものがあるなら言って。買ってくるから。」
そう説明し、私一人で行動した。

30日teaは休みだった。
休みだったけれど、何もしなかった。
年末teaは忙しい。
だから 私はteaに 何も期待しなかった。
teaは 釣りに行ってしまい、お姉さんの寝る部屋は 片付かないまま年を越した。

私はとても頑張ったと思う。
邪魔をするletさんにイライラしながらも、ほんとうによく頑張ったと思う。
電気を点け⇔消しの攻防を 何度も何度も繰り返し、『今』掃除しているシンクで お米を研ごうとするletさんを阻止したり、
掃除していないお風呂に湯を足そうとするletさんを阻止したり、
本当によく キレずに頑張ったと思う。

teaが夜帰って来た。
そして言った。
掃除なんて どうでも良い。
どうしてダイニングテーブルを片付けてくれていないんだ?!

teaから電話があったときに私は言った。
私は 私ができることを精一杯やった。
だから 期待しないで欲しい。
私がやれることは『磨くこと』だけだから と。

私は 片付けることができない。
ぐちゃぐちゃになってしまっているダイニングテーブルを見て、どうすれば良いのか途方に暮れた。
ここで固まっている時間が勿体ない。
私は 汚れている壁やゆか
生活臭のする『舞台裏』を見せたくない。
私は『磨くこと』を選んだ。
レンジフードの汚れ、玄関のドアの汚れ、風呂場の天井の汚れ、ゆかの汚れ、網戸の汚れ.....

teaの意図に反する teaにとっては どうでも良い 無駄な働きをした。
teaにとっては 最重要課題である 机の片付けができなかった。

1月1日になり、teaは釣り道具の手入れと同時に お姉さんの寝る部屋を片付け始めた。
そして、釣りの為の道具を買いに出掛けた。
散々私をののしった後で。
顔を合わせるとののしった。
一日中。

私がインフルエンザで寝込んだ初日、学校から帰る途中で 買出しをした。
それは、何も作らないでも食べられる栄養食の『ソイジョイ』と『スポーツドリンク』だった。
インフルエンザ中、『ソイジョイ』を食べることは 疲れてしまう為に 1本か2本しか食べられなかった。
残った『ソイジョイ』を見て teaが「キチガイ」だと私に言った。
「夏海さんは キチガイ買いをする」と。

そうして、ストレスの限界だと言って釣りに行ってしまいました。

... もしかしたら、もう限界なのかも知れない。

ねぇ?
その仕事の大変さを知りながら、その大変な仕事を選んだのはteaであり、
12月中の休みには 現実逃避に釣りに出掛け、
お姉さんの部屋を掃除(実はとっちらかっていた釣り道具を片付けただけ)することしかしなかったteaから
私は 「キチガイ」と罵倒されないといけないの?
「キチガイ」と罵倒されつづけないといけないの?


夏海@夏海のお部屋 |★お手紙★夏海のお部屋★

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