★ 夏海の日記 ★

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2006年08月31日(木) 自分を好きになるコツ

私ね、自分が好きじゃなかった。
少しでも早くこの世からいなくなることが夢だったの。
一秒でも早く。
今、私は自分が好きです。
そのコツをお教えしようかと思って。

何度も日記に書いてあるように、私は伯母夫婦や祖父母のもとで育ち、「親が忙しいから預けられた可哀想な子供」と思って育ちました。
「親が忙しいから預けられた可哀想な子供」
でも、妹や弟は 誰の家にも預けられることなく過ごし、私だけが預けられていることに子供ながらショックを受け、
伯母が母に言っていた「継子苛めするな!」という言葉に、私は「継子苛めされているんだ」って思って育ちました。
妹弟とは違う扱いを受けている。
私は愛されてないんだ。
私はこの家には いらない存在なんだ。
私はこの世に いらない存在なんだ。

そう思って育ちました。
誰も肯定しない代わりに、否定もしてくれませんでしたし。
母も、その言葉に反論しましたが、私に対してフォローしれくれた訳ではなく、私は傷ついたままで育ちました。

親に愛されない存在である自分を 私が愛せる訳がなく、
私が 人から温もりを与えて貰う代償に 自分の身体を与えるという方法を取らない人間に育ったのは、幸運だと思っています。
自分を大切に思えない人達が、自分の身体を大切に思える訳がない。
自分の身体を大切に思えない人達が、他人の命など大切に思える訳がない。
そういう人達が起こしているであろう、最近の事件を悲しみと怒りとで見ています。
殺人は悪である。
ただ、その背景にあるものは...?
発作的に殺してしまったのを除いて、人をこの世から抹殺してしまうには、それなりの訳があるはず。
殺してしまってから、ゲームのように『リセット』して、殺人をなかったことにはできない。
死んでしまった人は 2度と生き返らない。

母親の殺害を30万円で依頼し、殺してしまった高校一年生の男の子。
その高校生にとって、母親は30万円の価値しかない命だった。
「何も弁解することはない」と言った言葉を聞いて、TVの見すぎ?って ものすごい違和感を覚えた。
格好付けるのもいい加減にしなさい。
って言うか、何かドラマの中の主人公だかを演じてる感じがする。
その言葉は あまりに現実感がない。
母親の殺害を たぶんきちんと実感していないんだろう。
人の死を理解できない程の心模様って一体...。
必死に弁解して欲しいと思う。
彼自身の為に。
そして『そちら側』へ行く手前で立ち止まっている人達のために。
殺される直前であるかも知れない人達が その周囲の人が その事実に気が付く為に。

人を殺して一体何になるんだろう?
自分の人生全てをかけても良い程のこととは思えない。
相手がいなくなれば良いと思うのであれば、私は自分の人生を選ぶ。
私の人生の中にその人の存在さえなくなれば良いのだから、答えはとっても単純で簡単。
私がその人の傍からいなくなれば良い。
相手がそこにいて動かないのであれば、私が動けば良い。
世界は広い。
どこで暮らすのかは 私の自由で、その人の傍にいないといけない道理はない。
私の精神は私のものであって、誰も侵すことはできないのだから。

ずいぶん話がそれてしまってけど...。f^^;

自分を好きになるコツだったね。
これは、私の場合の話です。
人には それぞれ その人に合ったやり方があるから、私の経験を参考にして、試行錯誤してみて下さい。
『真似』をするのは悪いことじゃないけど、単純に真似をするんじゃなくて、簡単な何かを加えてみて下さい。
自分オリジナルな『何か』を加えることによって、自信が生まれて、次に生かせるから ^^
そして、これを読んで「私には無理!!」って思って絶望にかられたら、掲示板に書き込んで下さいな。
どこが無理で じゃぁどうしたら良いか 一緒に考えていこうね ^^


さて、私の場合は、『PO』からでした。
『PO』のメンバーは、みんな自分が好き。自分のことが大好きです。
例えば、マッチョな抹茶は、とっても男らしく、でもマゾで、怖がりで腰が引けてる『ヘタレ(屁たれ)』だと自分で言います。
マゾでヘタレだけど、自分が大好き。
とっても可愛い紅ちゃんは、お姉ちゃんは可愛くて、みんなに可愛がられてずるいって言って、でもお姉ちゃんになりたい訳じゃなく、そんな『自分が』大好きです。

みんなみんな個性が強く、みんなみんな「それで良いじゃん」って言う人達ばかりです。
みんな違ってて、それって当たり前じゃん。それが普通じゃん。
みんなおかしいヤツばっかで、自分が一番まともだって、自分が一番普通だって言います。笑いながら。
普通ってなんだ?って言いながらね。
人生色々あるよねっていう 何でもアリなところが、『PO』の良いところで、安心してくつろげることです。
こんなんで良いの?こんなに我が儘で良いの?こんなに自己主張して良いの?こんなに自分が好きで良いの?って
目から ボロボロうろこが落ちまくりました。

自分が好きなんて、在りえないって思ってました。
自分が好きなんて、ナルシスト、気持ち悪いって思ってました。
自分のことを好きって言うことって、恥ずかしいことだって思ってました。
だから、
自分のことを好きって言うと、気持ち悪いって思われるし、ナルシストだって思われるし、笑われるって、嫌われるって、陰口を叩かれるって思ってました。

私の人生の中で、こんなに沢山の『自分大好き人間』が現れるなんて、思いもよらなかったけど、
自分大好きって人は、鬱陶しいって思うだろうって思ってたけど、
何て魅力的な人達ばかりなんだろうって思います。

自分を好きになっても良いんだよ、自分を好きだって言っても良いんだよって知ったこと、そのお手本が沢山いること。
これが、私の第一歩でした。

うつだってことは、tommyもsea姉さんにも言ってあったし、パニックになることも言ってありました。
周囲が何も知らないまま、クライミング中や、登山中にパニックになったら、とっても困るだろうしね。
うつ病で、お薬を飲んでいることを言っても、対応は何も変わらなかった。
みんなと同じ扱いだったことがありがたかった。
初めて来た時には、なっちゃんも 病んでたもんなって言われて、「うん ^^v」って答えて、(今もなんだけど)って思ったけど、たいした問題じゃないしま、いっか〜って思う。
お薬を飲んでいようと、いまいと、自分の管理さえちゃんとできれば、仲間として一緒に登山や岩登りができる。
私に必要とされていることは、自分を管理することだけで、それは健康管理や危険回避の為に必要なことだけであって、
ただ 私が 私でさえあれば良い場所ができたことが、私にとって、とっても幸運でした。

それが できても できなくても 夏海は 夏海。
料理できても できなくても 夏海は 夏海。
笑っていても 泣いていても 怒っていても、夏海は 夏海。
機嫌が良い時も 悪い時も 夏海は 夏海。
クライミングができる時も モチベーションが上がらない時も、夏海は 夏海。
私が『演じていた私』を脱いでも 私は 私でいるだけで 受け入れて貰えたことが、私を変えました。

この会社に派遣されて、上司とや同僚と話をして、やっぱり自分が好きな人の何て多いのかに驚きました。
自分が好きで 何が悪い?!って言葉に出して言う人が 周りに溢れ返っている環境におかれていることが幸運でした。

でね、
自分の何が虚像か、何が作っているのか、何が無理しているのか、何が作られたものなのか、
そんなことどうでも良いって思えるようになりました。
人の役に立っているから、人に好かれるんじゃなくて、
たぶん 役に立っても立たなくても 私は私で、
『私の世界の人』は、私がどんな私であっても 好きでいてくれるって思える。
私の世界じゃない人は、私の『何か』に反応して、好きになったり嫌いになったりする。
世界の中心を『私』に持っていって、私中心に世界が回っているって思うことは、傲慢なことではなく、
私のことなんだから、私の人生なんだから、私が気持ちが良いのが一番だって思えるようになったの。
私を中心に世界が回っているって思うことは、我が儘ではなく、私の世界だからこそ この世界の全てを愛せるんだと思うの。

私が変わったきっかけは、私の環境を変えたこと。
全ての人間関係をリセットして、私を全然知らない人の中で暮らしたことが、新しい自分を作り直していけた最大の要因だと思う。
私を知らないんだから、どんな私にだってなれるし、なって良い。
憧れのあの人にだってなれるし、羨ましいなって思った性格を真似することだって可能。
今の私を見て、昔ガチガチのA型だって言われていたことを言うと、大笑いされる。
B型かO型だって思ったって。
sea姉さんには、「(A型の)仲間に入れてやらーーん」って言われます。^^;
(sea姉さんだって、tommyだって、充分Bだと思うぞ!)

私にとって、B型って憧れの血液型で、付き合っていてとっても楽な血液型です。
それは、私の統計で言えば、本音で喋ってくれるから。
B型の人が言う言葉は 信用できる。その言葉には裏がない。
怒っているのに、何でもない振りなんてしないし、本心から思っていない おべんちゃらも言わない。
人の言葉の裏ばかり読んでいた私にとって、何も読まなくて良い存在って、とっても楽なんです。
それに 人は人、自分は自分って思ってて、だから自分が無理してまで人に好かれようと思っていなくて
それに人と自分が違うってことを本能?で知っているから、何を言われようともへこたれずに 打たれ強い。
だから、私も安心して本音を言える。
腹が立ったら 腹が立ったと、傷ついたら 傷ついたと。
言ったら、言った言葉の分だけまっすぐに解釈してくれて、その言葉の裏を読まない。
だから、こう取られるかな?って思わないで、言いたいことが言える。
腹の探り合いをしないで良いのは、付き合っていてとっても楽です。
私のことを「B型だ」って言われると、嬉しくなっちゃいます。
だって、私を変えることができたんだって思うから。

自分を好きになるコツは、自分の全てを認めること。
長所だけじゃなくて、短所もあって、私が形成されている。
短所は 見方を変えたり、付き合う人を変えると 何と!長所になります。
自分の弱さも 弱点も 全てを 私として認めること。
うつ病で何が悪い!
うつ病でさえ、私の個性で、
私がもし壊れてなかったら、今でも自分のことが嫌いで 毎日死にたいって思って生きていたと思う。
どっちが幸せかなんて、誰が見ても同じだよね?

思考なんて、自分の意志で変えることができます。
人の脳は 騙されやすく、自分の言葉にさえ騙されます。
自分はちっぽけな存在だって 自分に言い聞かせると、どんどんちっぽけな存在になっていきます。
嫌いだって言うと、どんどん嫌いな方向へと自分が向かっていきます。
こういう人になりたいって 絶対こうなるんだって思って、
マイナス方向へ向かって行きそうになったら、「おお!ヤバイヤバイ」って方向転換して。

大丈夫。
過去は変えられないけど、自分で未来は作ることができます。
私は2年かかりました。
2年。
長いと思う?
あっと言う間の2年でした。

大丈夫。
今、この瞬間から、自分を変えて 未来に向かって歩き出しませんか?
あなたの人生の主役は、あなた自身です。


2006年08月30日(水) 今朝はどんよりとした気分

昨日家に帰って寝ようかなと思いながら青虫君を見たら、脱走しようとしていました。
ありゃ〜 もう限界なのねって思ってteaに報告したら、やっと芽が出かかって来た山椒の木を持って来て、これを食べなって無理無理枝に移動させました。
何だか焦っている様子なんだけど、葉っぱを食べない??
新芽を『えさ』だと認識してないのかい??ってしばらく見守っていたら、ギューっと縮んでいきました。
えさがなくなっての脱走ではなく、さなぎになる場所を探しての放浪だったのね。
朝見てみたら、まださなぎになりかけで、『青虫のまま』の姿で木にくっついていて、少し動いていました。
今日家に帰る頃には、立派なさなぎになっているんだよね。
完全変体する昆虫って、不思議だー。
カエルにしてもそうけど、子供の時期と大人とでは姿が変わるって、生き物って不思議だなぁって改めて思います。
人間だってそうだもんね。
最初は爬虫類から 人間の形に姿を変えて、生まれてくるんだもんね。
生命って素敵です。


昨日会社の社長からメールが来ました。
少し前、派遣先?元?の会社に(現在派遣されいる会社へは、間に他の会社が仲介として入っています)来年度のベースアップ交渉をするので、資料として自己アピールは何か?と聞かれたので、
上司に「私のアピールポイントって、何ですかねぇ?」って聞いたら、「諦めが悪いこと」って言われました。
上司が却下しても食い下がり、不具合として認めさせます。(上司がそれが不具合だと認めなければ、破棄となります。)
「こんなちっぽけなこと」「そんなこと、どーでも良いじゃん!」って程のちっちゃな不具合から、
「何が不具合なのかわからん!!」って大きな声を出されて、上司が分かるように説明をして、不具合を再現させてその現象を見せて、
不具合処理票に書いたものを提出するまでこぎつけるのに、かなりの精神的ダメージを受けます。
(上司が忙しかったり、体調が悪かったりすると不機嫌で「どーでも良いじゃん!」って言われる確立が高いです)
却下されることも多いのですが、他の同僚よりもかなり多くの不具合を見つけて登録しているのと、
同僚 特に 紅葉ちゃんと 上司が良い関係になるように配慮して(『女の子』な紅葉ちゃんは、上司が苦手でした)
潤滑剤的な役割を果たしていることや
設計さんに直接話を聞きに行く機会が多いので、良い関係を築き始めたことや、
上司の雑用係として、重宝がられていることを書いて送りました。

で、
昨日のメールに書いてあったことはというと
「『単純』な不具合は発見しているものの、『本来の仕事』である性能的な不具合の発見はないようです」
もっと精進しましょう。


帰りの電車、疲れ倍倍増だったよ。
がっかりだー
上司に、「自分の手足としては重宝しているが、一人で仕事を任せるのは ちと不安だ」って言われていて、
確かにまだまだ知らない機能や 知らない用語などが満載だし、上司のような 何年もこの仕事に携わっている人とは違うしなぁって思ってはいたけど
『本来の仕事』って一体なにさ??!!
本来の仕事があるのであれば、最初から そう言ってくれよーー!
私は 本来の仕事そっちのけで、違う仕事をしてったって訳?
はぁ?(魔邪風)
へなへなへなへなって感じ。

情報ソースは、上司?
はぁ...がっかりだー

にしても、
『派遣』という立場上、『結果』が全てであって、人間の付き合いどうのこうのよりも、仕事一筋の方が良いのは確かなのは分かるが、
確かに 潤滑剤として なんて、屁のツッパリにもならないさ。
分かっちゃいるが、納得できん!!
世間は 甘くないっちゅう訳ね。
勉強になりました。

腰が痛いのを休まないで 腰痛ベルトをして 腰に鍼を打ったまま出勤し、
上司の(悪ふざけだが)膝蹴りをくらい、頑張ってるのになぁ...
セクハラ大魔王の上司を 笑顔で応酬して、凹まないように 緊張しないように頑張ってきたんだけどなぁ...

まったく がっかりだよーー


2006年08月29日(火) 身体が受け入れるとは限らない

昨日の帰りに駅の構内のハンバーが屋さんに『秋の新メニュー』が出ていました。
美味しそうな『マロンパイ』
栗のお菓子が出てくると、もう秋だなぁって思います。
(ってteaに言ったら、今 栗が取れると思うか??そんなん中国産か去年のものか、芋だぞ!だって 笑)
蝉の声から、コオロギの声にいつの間にか変わって、空も高くなって、朝晩の空気はもう秋です。
日本には四季があって、色んなもので季節を感じることができます。
空気や風、空の高さ、影の長さ、日の入り&日の出の時間、季節の食べ物。
今年は もう秋刀魚(サンマ)食べましたか?
お刺身用のぶっとくて美味しそうな高価な秋刀魚は、ちと無理だけど(きっと焼いても美味しいぞ)
土曜日に まだちょっと高い秋刀魚を teaの実家で食べました。^^
冬に向けて、自然界の動物は身体に脂肪を蓄え始めます。
人間も動物である以上、右へならえで、秋の増量キャンペーンが始まります。
ダイエッターの敵だけど、食べ物が美味しい季節 ^┓^
秋はもうすぐそこです。


さて、
昨日は、どうしたら善意が負担になるかを説明できるだろうかと考えてたのね。
それが、『全然悪気がなくて、善意から出て来たもの』であっても、
世間的に少数派である『科学物質過敏症』の私には、その『善意』が毒にすらなるって話をたとえ話としてしたんだけど。
それが存在することは知っていても、きちんと理解しているかということは全然違うレベルで、
どれだけ説明しても住んでいる世界が違う人には本当の意味を理解して貰えないし、想像の範疇を越えていることみたいで。

昨日例に出した『シロアリ駆除』
シロアリ駆除の どこが悪いの?
悪くないよね。
ただ、それに反応するアレルギーを私が持っているだけで。
だから相手は思う。
夏海ちゃんちはシロアリ駆除をしちゃダメ。
私は『シロアリ駆除がダメ』なのではなく、『化学物質がダメ』で、
でも根本的なことを理解していない相手は、
「夏海ちゃんが蚊に刺されないように♪」と1時間前から部屋に置いてある水性蚊取りの電源を入れる。
トイレには、部屋には消臭芳香剤が置いてあり、
プレゼントされる家具には『化学ノリ』が使われている。
その度毎に「私は…」と説明する。
相手にはその都度ピンポイントにしか認識されず、
(夏海ちゃんは、芳香剤が『苦手』らしい。夏海ちゃんは、家具の好みが自分とは違うらしい。そんな程度の認識なのだろう。きっとね。)
善意に対し拒絶されることに苛立つ。
私は私の説明がまた理解されなかったことに疲れ、初めの一歩から説明を繰り返す。
理解できない相手はこう言う。
じゃーどうしたら良いのか言ってよっ!!
私は 本当に申し訳ないことだが、こう言うしかない。
「こと、このことに関して言えば、どうか放っておいて下さい。」
何をどう説明しても理解して貰えないのであれば、何もされないのが一番有り難い。
それを冷たいと言う世間は、私にとって必要のない人達であって、
私は耳を貸す必要などない。
世間の言葉を一々聞いてその言葉に傷付いていては、心に良くない。

私には私の特徴があり、それは私のせいではない。
すい炎になったせいで脂(油)ものがダメになった身体は、
大好きなカツや唐揚げやマヨネーズなど、
どれだけ私が好きで私が私の意思で食べたものであっても、消化をしてくれない。
サンドイッチに使われたマヨネーズで胸焼けする私は、何も悪くない。
そういう体質なのだから。

例えば化粧品。
女の子なら結構経験する「合う」「合わない」。
私は合わない比率が高く、かゆくなったり、湿疹が出たりする。
善意で「使う?」と言われた化粧品が使えなくて断ることが多いが、相手は断られても気にしない。
そして断る私も気楽だ。
それは、化粧品には、その人によって「合う」「合わない」があることを お互いに認識しているからだ。
それは、その人が望む望まないに関係なく存在することだということも。

自分の意志や望みと 自分の身体が受け入れてくれると言う事は、別の問題で、
私がお酒の味が好きで飲みたいと思っていても、アルコールを受け付けない身体で、だから ほんの舐める程度しか飲めない。

自分の意志があってでさえ 身体は拒絶反応を示す。
それが無意識になされていて、それに対して身体が拒絶反応を示していたとして、
それは『無意識』なのだから、何に対して拒絶反応が出たのか本人でさえ判らない。
そして拒絶反応が、頭痛や肩こりなど、『病気』の範疇であったのなら、それが拒絶反応なのかさえ判断がつかないだろう。

私は 自分が置かれていた環境の中にいて、私だけが異質だと感じていた。
世間一般とされているものに対して、私は違和感を持っていた。
私だけがおかしいのだと思っていた。
生きにくいと思っている『私が』 おかしいのだと思っていた。

teaが以前勤めていた会社を辞めた理由もそうだ。
会社の常識と自分の常識がかけ離れすぎている。
時々 あまりに周りが『普通』にしているから、本当は自分の頭がおかしいのかと思って気が狂いそうになったと。

teaは会社を辞めた。
私は 私の人生を辞める訳にはいかない。
だから、逃げた。
私を生かす為に。

今、私と同じことを常識だと思う仲間に出会い、私は悪くなかったことが分かった。
住んでいる世間が違っただけで、私が理解できなかった『常識』だと思っていたことが、
こちらの世界では『常識』ではなかったことを知った。
世間とは、狭い世界のルールであり、違う世界では、違う世間があり、
同じ事柄であっても 『普通』と『普通じゃない』こととして存在する。
生まれてから異世界に住んでいて、『普通』として与えられていたものに対してアレルギー反応を示し、
私は壊れていったんだよね。

実家と 婚家は、同じ『世界』の住人たちで、どちらも私の『世界』ではなかった。
ただそれだけのことであって、どっちが悪いのでもなく、どっちが正しいとかでもなく。

ここまでたどり着くのに、こんなに年を取ってしまったけど、私はもう大丈夫だろう。
私はいてはいけないところで暮らしていた。ただそれだけだった。
杉花花粉症と気が付いていない人が、都会の杉の森の近くに住んでいたように、
卵アレルギーと気が付いていない人が、毎食卵を食べていたように、
心も同じだったってことだ。

自分がおかしいではなく、自分が正しいのだと、まず『自分を中心』として考えてみようよ。
今、生きているのは、あなたであって、
その命は あなたのもの。
その命を生かす為に、何が必要で、何が不必要なのか、何が毒なのか?
何を受け入れ、何を拒絶すべきなのか?
耳が痛くても受け入れるべきものと、心地よい言葉だけど、あえて拒絶すべきことが存在することを知って欲しい。

『自分』をよく観察して、自分の心の声を 自分の身体の声を聞いてみて欲しい。
急な方向転換は、ストレスにも繋がるので、だから ゆっくりで良い。
じっくりと 自分と向き合って これからの人生をどうしたいのか?自分に聞いてみようよ。
立ち止まることは 悪くないんだよ。


2006年08月28日(月) 母娘と姉妹だけど...

私の日記(たぶん『殺される』)を読んでの感想&アドバイス?をお友達(と呼んで良いですか?)のGAKUさんが掲示板に書き込んで下さいました。
書き込みを見て、最初 「う〜ん 弱ったなぁ...」と言うのが、正直な気持ちでした。
何をどう『説明』すれば解かって貰えるか って言うか、GAKUさんは『親の目線』からも見ている訳だし、
どうしてダメなのかを『説明』して『納得』して貰うには、たぶん沢山話をしないといけないし、
GAKUさんの(私が知っている限りでの)性格上、
話せば話す程 「どうしてダメなの?」って質問が帰ってきそうだし
じゃぁ「こうしてみたら?」とか「こういう風に考えてみたら?」って言われそうだし f^^;
「うーん 長くなりそうだぞ」ってのが、正直な感想でした。

では、まずその GAKUさんが掲示板に書き込み下さったものをば。




●GAKU(339) 題名:色々あります・・・ 投稿日 : 2006年8月26日<土>21時52分 返信

夏海 さん

日記を読ませていただきました。生きていると色々な
事や人や、想いに出会いますね。
 一緒に居るだけでなんとなく解り合える人や生き物も
居るように感じたりします、でも・・・・・。
相手の想いや心の中まではやっぱり解らなくて、
(エスパーやジェダイではないし)、じっくり話しをする事も
時には大切なことではないでしょうか?

お母様、妹様もきっと話すことで解ってくださるのでは?
と思います。私は夏海さんのことも、ご家族もぞんじませんが
「夏海さん」のご家族ならば、きっと解ってくださるのでは?
と思います。

私にも経験がたくさんありますが、人はちょっとの言葉や
行動、そのときの感情、体調などで思い違いや、すれ違いを
おこすようです。いつか、分かり合えるといいですね。

勝手なことを言っていますね(_ _)お許し下さい。




で、これに気づいたのが寝る前だったので、1週間お返事できないなぁって思って、メールで返事をしました。お返事遅くなりますって。
(「適当に聞き流してくださいね」ってお返事が返ってきました。)

私宛に直接メールを下さったのであれば、直接会って話をすればきっと解かり合える。
でも、掲示板に書いて下さったのだから、GAKUさんに直接ではなく、みんなに解かるように説明をしたいのが、私の本音です。
バトルするのも仕方がない。
私は『親を許さなくても良い』派として、今まで日記や相談に書き込んで来たのだから。
(私宛にメールが来ても、結局はHPで紹介するでしょうけど f^^;)

何をどう言えば良いんだろう?って思いながら電車に乗っていました。
どこから話を始めたら、解かって貰えるんだろう?って。
喧嘩をした訳でもなく、憎しみ合ってる訳でもなく、母も妹も私のことを思っている(と本人達は思っている)んだけど、
その思考方向や 労わり方、示す方向が、私と合ってないだけであって。

私が私であることは悪くない。
母や妹が それぞれの思考をしていることも悪くない。
ただ、違う世界で暮らしているだけの問題であって、
私は努力して話をしたけれど、すればするだけ溝は深まり、不信感がつのり、気が狂いそうになった。
私に確実にダメージを与える相手と会うのには 気力がいる。
今までと同じように、気力を蓄えてでないと あの家へは行けない。
こうなってしまったのは いつからなのだろうかと考えていた。

いつから...?
それは、とっても昔から。
過去を思い出すと、出てくる!出てくる!
大きなつづらを開けてしまったかのように、色んな禍禍しい思い出が 芋づる式に出て来ました。

私には 父親が2人。母親が2人。お父さんとパパ(義伯父)と お母さんとママ(伯母)がいました。
と思っていたら、あれれ?それに祖父母が加わって、親が6人に増えました。
夫婦仲の悪い 妻を妻の実家を馬鹿にしている父と 父のことを憎んでいる母。
何をするにも2人一緒の義伯父と伯母。
家長らしい祖父とマイペースな愛し方をする愛情たっぷりの祖母。この夫婦もとっても仲良しでした。

自分の家以外に 祖父母の家に預けられ、伯母の家に預けられ、まだ独身だった叔母たちに子守りをされて、みんなの長女として育ち、私の人格が形成されました。
とっても愛されていて、
でもママ(伯母)の入れ知恵のせいで、自分は親から愛されていない可哀想な子供だと思って。
叔母たちが結婚していき、ママの家に従姉妹が生まれ、私の『家(ホーム:居場所)』が無くなっていきました。

妹と弟はずっと家で育ち、私だけが外で育っていたこと。
幼稚園?の頃に発病した病気の為に母親に守られていた妹と、
病気がちで父親に虐待されていた為、母親に守られていた弟と、
しっかり者で手の掛からない長女の私。
家にいても居心地が悪いので、絶えず外で遊び、友達を家に呼ぶことなく学生時代を送り、
家が大好きな妹は母親の手伝いをしてはお小遣いを貰ったり、母親と自転車の2人乗りをして買い物に出掛けたりして
「親ばかな親に育てられた」と胸を張って言っていたんだけど、私には『親ばか』な親には見えなかった。

体に対する暴力はなかったんだけど、父は弟に対して精神的虐待が激しく、母親は弟を連れて家を出ることを夢見て弟の成長を祈り、
20歳で弟が事故死した時にまっさ先に思ったのは、「母の為男の子を産まなきゃ!」だった私の精神は一体なんだったんだろう?

弟の葬儀の時、私は誰とも悲しみを共有できず、一人ぼっちで悲しんでいました。
血の繋がった他人として 結婚するまでの間同居し、
結婚後も「実家に帰る」とは言えず、「実家に行く」とファイティングポーズを取りながら出掛けて行った。
義父に与えられたストレスの為に(と今でも思っている)流産した時、「私は仕事があるから帰って来て貰っても困る」と言われ、
(私の結婚後に家を建てたので、私の部屋はない)実家にいても私の居場所などないことは知っていたので、病院から婚家へ戻ったあの日。
婚家では、「実家に行くと思ってた」と言われ、私の居場所など やっぱりどこにもないと再確認したんだよね。
その半年後、妹の出産のためには会社を休んだよね。
そしてその間の給料として母にお金を渡し、実家の分も食事作って届けていたのは私だったっけね。

もうそろそろ話そうかと思っていたトラウマの話なんだけど、
私が もう限界だ。死のうと思って10日程何も食べなくてすい炎になって入院し、退院した時、
「今は何を言っても無駄だから、あなたが我慢しなさい」と私に言い、妹を諌めなかった母。
死のうと思ったその心は、すい炎が治って退院したからと言って治る訳ではないことに気が付かない馬鹿な母。

婚家を出る時も 相談なんてしなかった。
私の話を ただ笑って「おもしろいねぇ」って言うだけなのは分かっていたから。
婚家を出ても居場所は自分で探すしかなく、他県に引っ越した私。
この県へ戻った時、1週間程実家の甥っ子のベッドを借りて過ごし、『怖いもの』と戦っていた私に
娘が「怖い」って言うから、「怖い」って言うなと言った妹。
子供には『何か』が伝染してしまうからね。って思って、この家には2度と泊まれないと改めて思った2年前。
1日だけ私の部屋に泊まり、
「どうして4階なんて借りたの?もう2度と来ない。会いたかったら、こっちに会いに来て」と言った母。
パニックで過呼吸になる私に対して、自分が必要なら車で会いに来いとね。

うーん 書けば書くほど 凄いなぁ...
ま、済んだことだし、良いんだけどね。

HPをご紹介したあづまさんのメルマガが配信されて来た。
もしかしたら私の日記か私が書いた掲示板を見たのかな?いつもと違う内容でした。
題名は、「親孝行しなくても良いんです」
「しなきゃいけない」と自分の心を縛って、無理をして親孝行なんてしなくても良い。
許すとか 許さないとか そんなことどうでも良いって思えるのであれば、別に親孝行『しても良い』
なにかする時、少しでも違和感があるのであれば、勿体無いとか、無駄とか、『負』の感情があるのであれば、まだ傷が癒えていない証拠。
だから、無理しなくて良いんだよって書いてあって、HPで紹介しようかなって思っていたら、
正反対の「じっくり話し合えば、分かり合えるよ」って書き込みをみて、うーんってうなってしまいました。

私は病気だけど、病気を理由に言っている訳ではなく、病気を盾にしている訳でもなく、
合わない人に無理して合わせることは、もうしないと心に決めたんですよね。
父親の教育のお陰で、人の顔色を読むことを『普通』にして生活して、壊れちゃったから。
私が私のことを好きだと言える 今の私が好き。
この私を守る為なら、親だって妹だって切ることはできる。
本当に 何度も 何度も 何年も 何年も 話をして説明をして その度に失望してを繰り返して来た。
もう卒業して良いと思う。

最初に言ったように、悪い人でも 私を傷つける意思がある訳でもない。
無意識に 私の傷をガシガシ削るだけであって、それもにっこり笑いながらね。

例えば、化学物質過敏症の私の家を
化学物質過敏症もシックハウスもシックスクールもシックビルも知らない(どれだけ説明しても『理解できない』)母が、嬉しそうに
夏海ちゃんのためにと『シロアリ駆除』をやっておいたからね ^^vって言うことは、迷惑だけど罪ではない。
ただ、私の体が化学物質を受け付けなくて、その殺虫剤成分でうつが酷くなり、
殺虫成分が消えるまでの間 自分を刺したくなる衝動と戦わなくちゃいけないのは現実で、
でもそれは、母が悪い訳ではなく、私側の問題だから。
(ただ、2度と同じことをされないように 防衛はするけどね。)

合う 合わない 住む世界が違う。
善意が 善意ではなくなる。
よく私が使う言葉『理解ができない』は、こんなに単純な話なのです。
蕎麦を美味しいと言う人と、蕎麦で死んでしまう人と、
くるみを美味しいと言う人と、くるみを食べると呼吸困難になる友達と。

好き、嫌いの嗜好の問題ではなく、合う合わないが存在する。
そこに善意が存在していても、蕎麦アレルギーの人は死にます。
悪気がなかったからと言って、全てが許されるとは思ってはいない。

話し合って分かり合える人と、思考方向の出発点がすでに違っている 一生分かり合えない人がいて、
不幸だとも思わないけど、母や妹は、父は、私とは理解し合えない存在なんだなぁって冷静に思う。

メンタルクリニックの先生が言いました。
「未成年じゃないからね。親の承諾はいらないし」って。
酷い状態を知っていて、今があって、あの頃へ戻ってしまう原因は 排除したいってのが、主治医としての本音じゃないかな?って思う。

私は私の今の仲間が好き。
本当は この仲間こそが私の世界だったんだなって思う。
怖かったけど、家を出て正解だった。
怒鳴られまくったけど、この県に戻って来て正解だった。
生き来て良かったって 心から思うの。


2006年08月26日(土) 病院巡り

今朝起こされて、何となくボーっとしていたら、部屋にあるガジュマルの樹に羽化途中のアゲハの姿を発見した。
家出ちゃん(茶色いくん?)が、知らない間にガジュに引っ越していて、さなぎになったのね。
前に飛び立った子は、私が病院で貰ってくる薬を入れていたレジ袋でさなぎになっていた。
今回はちゃんと『樹』だよ〜って思ってteaに言うと、「写メ!写メ!」とteaの方が興奮していた。
ひとしきり友達に写メ付きメールを送り(朝の7時前に送られる方も迷惑だよな ^^; ごめんね)観察していたら、
「すぐには飛び立たないから、自分の支度をしなさい」って言われて、
「(自分は仕事に行かなきゃならないのに)夏海ちゃんのペースに巻き込まないでっ!!」って怒れられました。
いつもこのセリフには納得いかないんだけどーーー!
私は休みなんだから、別にぼーっとしてても良いじゃん!!
その姿を見て、「まったり」するのもしないのも、自分の責任じゃん!!って私は思うのですが、いかがなもんざんしょ?

teaを送り出し、いつ飛び立っても良いようにベランダへと移動させたガジュの蝶をじーっと観察しながら、私の横でガラゴロいってる洗濯機の音を聞いていました。
そう言えば、スーパーでバイトしていた時(まだ10代!!)お店がすっごく暇だったので洗濯を頼まれて、
あまりに暇だったので、洗濯が終わるのを最後まで見ていたなぁ。
洗濯機のガラゴロいう音を聞きながら、あれから私は変わっていないのだなって思ったら、笑っちゃいました。

いつ飛ぶとも分からなくて、蝶が飛び立つ瞬間なんて なかなか見られないし、今日はせっかく休みで時間があるんだから見逃したくなくて
でも、写メもしたいから、携帯を持って戻って来た時に、羽をうーんと広げた状態になっていました。

teaの説明では、さなぎの中にいた時に畳まれていた羽を 体内の水分を「うーーーん!」っていきんで、羽へと送り込んで広げ、
羽を広げた時に使った水分を 乾燥させてから飛び立つらしく、羽を乾燥させるまでに時間がかかるとのこと、
蝉が木から飛び立つ時に おしっこをして軽量化を図るように、蝶も体内の水分を外へ出してから飛び立つらしく、観察していると飛び立ちまでに3回おしっこしました。

羽をうーんと広げた状態の写メを撮ったその直後、蝶は不器用に飛び立ち、ひらひらひらと舞い落ちて(この表現変か ^^;)階下にある樹に無事着地しました。

部屋へ戻ると (家出した極小くん以外)最後の一匹が、丸裸になった山椒の木で今にも脱走しそうな勢いだったので、
ミドリちゃんに電話をして(ミドリちゃんは犬の散歩中でした)9:00に山椒の枝を貰いに行く約束をして、身支度をしまいた。

ミドリちゃんちに山椒の枝を貰いに行き、花瓶に刺していると、ひらひらひらと部屋の中に蝶が!
へ?帰ってきた?部屋のどこも開いてないぞ??(どうやらどこかでもう一匹羽化していたようです)
で、困った!って思っていたら台所のドアに止まってくれたので、ドアを開け無事外へと飛び立って行きました。
2匹も蝶になってくれて、かあちゃん 嬉しいです ^^v

ミドリちゃんちの帰りに メンタルクリニックへ診察券を出しに行き、待ち時間1時間半と言われたので(意外に早いぞ)、待ち時間の間に鍼灸院へGOです。
肩が泣きそうに痛かったので、そう言うと、いつもより余分に揉んでくれたのですが、かなり痛かったぞ!

土曜日はいつも満員御礼で、一人の先生に4人くらいが同時進行。
鍼灸院なので、鍼はマンツーマンだけど、お灸は燃焼時間先生が付いていなくても良いので、温灸をして貰っている間に『疳の虫(かんのむし)』の男の子の治療が始まりました。
『疳の虫』とはよく聞くけれど、夜鳴きする以外に知識がなく、『疳の虫』って呼ばれているものは一体何なんだろう?って思って先生に聞いてみると、
子供の『自律神経失調症』なのだそうな。
まだ 頭が痛いとか 自分の不調を言葉にできない子供のSOSで、
東洋医学で言うところの『血の巡りが滞っている』『気の巡りが滞っている』状態なのだそうです。
例えば とてもとても怖い夢を見たとか、親に酷く叱られてショックを受けたとか。
「『何か』言葉に出せないSOSがあるんだと思うんだけどね」って先生が言ってました。
大人の何気ない言葉に感受性の強い子供は過剰に反応したり、
例えばTVでとてもショッキングな場面を見てしまって、TVと現実の区別がまだ付いていない状態の子供なら、シンクロしちゃって恐怖を追体験しちゃうわな。

高校生の男の子が治療に来ていて、彼は夜に眠ると1時間くらいで怖い夢をみて起きちゃうのだそうです。
自分が兵隊さんになって、戦争に行っている夢なのだそうです。
毎晩毎晩見る夢。
とても怖くて 眠れなくなったんだって。
先生がよーく話を聞いてみると、2年くらい前に戦争物のDVDを見たそうで、その時の記憶が『今』になって襲ってきているそうです。

少し前、イスラエルが酷い空爆をしてましたよね。
何の罪もない一般家庭に ある日突然爆弾が落下して来て、家族が突然死んでしまう。
その映像を見ながら、外国のTVの中の出来事として見るか、同じ人間だと思って見るか。
teaは、昔その地方を旅していたので、「生きていてごめんなさいって思う」って言ってました。
旅の途中で 親切にして貰った自分が、彼らに何もできなくて、のほほんと日本で暮らして釣りに出掛けていて、ごめんなさいって思うって。

湾岸戦争の時も 9.11の時も、リアルタイムでその映像がニュースとしてTVから流れてきて、
映画なのかと現実なのかがごっちゃになって、何が起きているのか分からなかった。
そして、心が弱ってきていると、シンクロしてしまって、自分がその中に入り込んでしまう恐れがあるの。
酷い事件も毎日続々ニュースとして発信されていて、TVを見ているとうっかり見てしまう。
シンクロしてしまうのが怖くて 私はニュースを見れなかった。
阪神淡路大震災の時の あの炎の中で焼かれているのは私だ。
あの瓦礫の下にいるのは私だ。
あの殺された人は私だ。
あの家族を殺されて泣いている人は私だ。
その高校生も きっと同じように 何かがきっかけで スイッチが入ってしまったのだと思う。
一時期お薬を離れていた私が再発したのも、9.11の後だった。もう5年なのね。

今朝(8月28日)もう5年かーって思いと、まだ5年かって思いとあるって話をteaとしました。
お互いに激動の5年を過ごして、今一緒に暮らしています。
私はうつを再発し、蟹さんのところへ治療に行き、婚家を出て他県へ住み、
元居た県に戻って『PO』の仲間やteaと出会い、teaと結婚した。
今度こそ もうダメだと思った最悪な状態から抜け出し、自分の住む世界を見つけられた。
teaは人間関係で極限状態になっていて、『今』出ないと、しばらく日本を脱出できなくなる!!と急遽日本を後にしました。
いつ帰るという当てもなく、生きて帰るぞという強い意志もなく。


相変わらず話が横にそれましたが ^^;
私が「ヤバイ」と思うのは、TVドラマやニュースを聞けなくなる時。
自分がTVや小説の中の人物や 相談してくれる人とシンクロしやすい性質なのをよく知っているので、
シンクロしそうになったら、『今精神的に疲れてるんだ』って思います。
そして そうなったら 『夏海ちゃん 甘やかし強化月間』を開始します。
自分の「あ、ヤバイかも?」っていう傾向や自分の心のSOSが読めるようになったら、少し楽になるよ。
症状が酷くなったら、その時にちょっと冷静に思い出してみてね。
症状が酷くなった少し前の『頭痛信号』は、どんなだったか?をね ^^


で、鍼を終わって次はメンタルクリニックです。
診察受付時間を過ぎていても、やっぱり待ち合い室は 満たんでした。
呼ばれ慣れない名前を呼ばれて 部屋に入り、先生に「結婚しましたっ!」ってご報告。
実家へ行ったときの出来事や、うーたんの家へ行ったこと、
その時のうーたんの様子や うーたんが先生に吐かないであろう弱音や、
そして、絶対に言わないであろう親とのことを話しました。
金銭的に困り始めて(貯金は全然あるんだけど、収入が激減した切迫感がね)通院を止めようと思っている割に、でっかいTVを(量販店ではなく)町の電気屋さんから買ったり、
パソコンも新しいのに買い換えてあったり、車が一人1台ずつあって、親は相変わらずな生活をしていることなど。

私は支えてあげられないので、先生にお願いするしかない。
先生にしても 相手が患者であっても他人である以上、気づかせてはあげられるけど、決めるのはうーたん本人でしかないことは分かっているけど。

帰りに受け付けで、「古い診察券をどうする?」って聞かれました。「こっちで処分しちゃっても良い?」って。
「記念に持って帰る?」って言われて、お互いに大笑いしました。
私がうつや『怖い』と戦った記念に取っておくのも一つだなって思ったけど、もう うーたんの姓ではないし、処分してもらうことにしました。

保険証の苗字が変わり、診察券の苗字が変わり、
それまで呼ばれなかった苗字で呼ばれるんですよね。
会社では、今まで通りの名前で通しているので、まだまだ慣れないけど、どんな苗字になっても私は私なんだなぁって思います。


2006年08月25日(金) 失敗した時がチャンスなのかも

昨日の夜、『冥王星』が『惑星』でなくなりました。
その瞬間をTVで見ていました。
星はそのままそこにあるのに、ヒトが定義付けをし、『常識』だったものを変えていく。
これからは、『水金地火木土天海』で終わってしまう。
そう言えば、円周率のπ(パイ)は、私の時代は3.14として計算していたのに、今は『3』として計算するんだってね。
割り切れない数字として、どれだけの桁を発見していくかをギネス登録していると言うのに、日本の学生がどんどん馬鹿になっていく気がします。(ごめんね。過激な発言で)
そのニュースを見ていたteaが、言いました。
「こんなことはすぐに教科書に反映するのに、歴史については どうして現在の常識が反映しないんだろう?」
教科書を作っている出版社は、『冥王星』の扱いがどうなるかを とても注目していて、
それは来年の教科書に反映しないといけないからで、どれくらいまでに投稿すれば来年度に間に合うのかは分からないけど、ギリギリの期間だったからなのだろうね。
「小耳に挟んだ話では、世界の文明は未だに『4大文明』って書かれているらしいよ」
私は歴史は好きだけれど、詳しくはない。
teaは歴史や史跡好きで、色んなことに詳しく、確か現在は『8大文明』という説が常識なのだそうな。
大きな川の流域に文明が芽生えるとしたら、4大文明とされている川と同程度の川の流域には、文明が生まれていてもおかしくない。
それが現在残っていないのは、石の文明か木の文明かってこと
もしくは 川の流れている場所が現在とは遠く離れていること なのだそうな。
石の文明は後々まで残り、木の文明は風化されてなくなる。
現在中国で発掘途中の木の文明は、砂漠に埋もれていたお陰で 辛うじて奇跡的に残っているのだ。
戦争の問題にしても、『今』の情報は変えやすいけれど、現在進行中の歴史的史実の検証は教科書に反映しにくいのかもね。
なんて話をしながら昨日は眠りにつきました。


さて、
昨日の朝、昨日が会社の面接日だと言っていた友達にメールをしました。
そしたら、「寝坊した!!」ってメールが返って来ました。
連絡して、遅刻する旨を伝えて時間をずらして貰うのかと思っていたら、「面接には行きません」って返事が返ってきました。
へっ?って思ってよく聞いてみると、遅刻 = 心証が悪い → 面接を受けても受からない → 面接に行くのをやめる なのだそうです。

行きたい会社だと思ったんじゃないの?って思い、こう返事を返しました。
寝坊したことは 済んだことで仕方がない。
失敗もする。
でも、その後のフォロー次第で マイナスからプラスに転じることができる。
失敗した時、そこからどうするか
それを乗り越える為の誠意や熱意をどう相手に見せるかで、自分への評価が決まるし、それまでの評価を覆すことすらできる。

私お得意の『anan』の『タフな女』の特集に 『タフな女の交渉術』というのがあった。
詳しくは覚えていないので、『夏海的解釈』になるのだが、それを見て成る程〜!と思った。

誰でも失敗はする。
失敗した時にどうするか で、その人の価値が決まる。
まずは言い訳をしないで 誠心誠意謝る。
そして、相手の心が落ち着いたら、その時に誠意を持って対応すること。
そして、同じ失敗を2度とせず、甘えたりしないで、失敗した経験を次に生かすこと。


例えば、私が厚揚げをお店で買った。その食べ物にカビが生えていた。賞味期限は切れていない。
さて、どうします?
私は電話して文句を言うタイプで、それはカビ入りのものを2度と買いたくないからだ。
今から使いたいのにカビが生えていて使えない。店に行くのも面倒臭い。
腹は立つけれど、新しいものさえ手に入れば、結果としてはOKなので、後はお店がどう対応するかだ。
生産者の立場で言えば、この先2度とカビを生やさない為には 何も言われないより言われた方が良い。
何も言われずに、口コミで「○○のお店は鮮度が悪いよ」とか、「○○の会社商品は、期限なんて宛てにならないよ」って言われるよりは よっぽど良い。

コンビニでアルバイトをしていた時、店長によく言われていた。
文句を言ってくれるお客様は、有難いお客様なので、大切にしなさい。
文句を言わないで去っていくお客様の方が怖い。
なぜなら、去っていくお客様は 必ず誰かに言い、その誰かは誰かに伝えて 固定客が一人減るだけではなくなるから。

なるほどなって思う。
お店に苦情を言い、商品を持って来てくれるだけで私は良いのだが、店長が挨拶に来てくれた時に
10円だか20円だかを「電話代です」と渡してくれて、お詫びの品ですと言って粗品をくれた。
洗剤だったり、ゼリーだったりしたけれど、そのお詫びの品よりも電話代として渡されたお金に感激した。
そこまで細かい配慮をするのかと。
「お詫びの品」は、お店に売っているもので、マニュアルとして日本のご挨拶ではよくあることだ。
だけど、わざわざ電話を掛けて下さってありがとうございますと 電話代にまで配慮できるお店は、信用できるお店だと私は思う。

失敗は仕方がない。
物がある以上、全てが完璧なのはありえない。
だから、問題は 失敗した時にどうするか で、そのお店の価値が変わる。
そして、一人のお客を逃がさないことが、そのお店の評判を支えるのだ。
それまでは 他の店と同じ程度の認識しかなかったスーパーが、
このお店なら大丈夫、このお店は信用できると お店を好きになってくれることが、地元の主婦層の評価として根付く。

これと同じことが 人にも言える。
例えば今回のような面接。
会社に入社したら、顔を覚えて名前を覚えて貰えるけれど、それまでは町ですれ違った程度の『その他大勢』の中の一人でしかない。
面接を受ける側にとっては 面接官は1対1だけれど、
面接官にとっては、その他大勢の中の一人でしかない。
面接を受けて、どれだけその人に自分を印象付けるか。
どれだけ覚えて貰えるかが勝負だと思う。

もしくは営業など。
担当の会社の人とは 確かに1対1だけれど、
自分の担当はその会社だけじゃないし、その会社に出入りしている営業も自分一人じゃないはず。
自分の会社以外に 魅力がある会社が出てきたら、比較検討されて、サヨナラもありえる。
ライフカードのコマーシャルじゃないけど、失敗もあるだろうけど、どれだけ誠意を持って対処できるかによって、今後の付き合い方が変わってくる。

どの仕事も どんな人との関係であっても、人間生きていたら失敗の一つや二つや三つ四つくらいあるはず。
その度に 自分から逃げていては 勿体無いと思う。
自分の限界を 自分で決めてしまってはね。

寝坊をした 心象が悪いだろう だから、その会社へ面接に行くのはやめる。
例えば もし、その会社が 自分の運命を変える 自分に合った天職とも言える会社であったかも知れない可能性を 自らの手でなくしてしまうのだ。
自分の手で 世間を狭くしてしまうのは、勿体無いと思う。

きっとダメだろうと面接を受けることをやめるのと、
ダメだろうけど、面接だけ受けてみるとでは、同じダメであっても 経験値で差が付くと思うのだが。
少なくとも 面接の練習はできる。
面接官と対面する緊張感や 自己アピールの訓練など なかなかできるものじゃないし。

御社に絶対入社したいんです!!
今日は寝坊してしまったけれど、熱意だけは誰にも負けません!
確かに熱意だけで 世の中渡っていける程甘くはないし、
「ごめんで済んだら 警察いらん」って言葉は関西では普通に言われているけど、
ただ面接を受けただけの人と、失敗したけど熱意を見せられた人と、どっちが印象深いだろう?

失敗することは 悪いことばかりではない。
そこから学ぶことは沢山あるし、そこで得られるものも少なくない。
自分への評価を覆すチャンスだったり、自分をアピールできるチャンスだったり。
何より一番大切なのは、2度と同じ過ちを繰り返さないことであって、人間は失敗するものだと言うことは相手もよく分かっている。(怒りはするけどね)

失敗した時が チャンスなのかも知れないと思っている。
その後、どう対応するか どう対処できるか で、その人の価値が決まると思う。
だから、失敗を恐れないで 前に進む糧にして欲しいと思う。

知人で、面接をよくすっぽかす人がいた。
うつ病で、面接の前夜に眠れず、夜中に睡眠薬を飲む為に朝起きられないという馬鹿なことを 何度も繰り返している人が。
私はその人とは あまり仲良くなかったので、そして自分がそれどころじゃなかったので、何のアドバイスもしなかったが、
もう40を過ぎ、たぶん同じ事を繰り返しているであろうその人は、不幸な人だと思う。

失敗を糧にして人間として成長するか 
そのまま過去の出来事にして 同じことを繰りかすかは、その人の心次第だ。
どうか 失敗を失敗のまま終わらせずに、自分の栄養として、『大人』へと成長して欲しいと思うのデス。


2006年08月24日(木) すでに壊れていた うーたん2

今朝は市役所へ出掛け、保険証の名前変更と、自立支援法の名前変更と、免許証の戸籍&名前変更のための住民票を取って来ました。
teaは全然実感がないと言い、私も実感がないのですが、
今朝、突然teaが「そう言えば、夏海ちゃんは苗字が変わったんだよね」って言い出しました。
何がきっかけだったのか、突然気が付いたらしく、「うん。会社の入門証の名前変更の申請も出すよ」って言ったら、別に変えなくても良いじゃんだって。

teaは自分の苗字に特別な思い入れはなく、私の名乗っていた苗字にしても良いんだけど、まだお母さんが生きていて、一緒に暮らすので、一応teaの苗字を名乗ることにしたんですが、
私の苗字になったとして、私の苗字はうーたんの苗字のまま旧姓に戻していないので、
「お互いが自分の苗字とは違う苗字になるなんて、何だか変だよね〜」って笑いました。
苗字が変わっても良いように、私のハンコは名前だけで作ってあります。
『PO』調べでは、最近は 結婚後にハンコを作る女性は『名前だけ』が多いようで、
annさんが「うちの奥さんは、フルネームで作ってあるなぁ」って言ったので
「愛されてますね〜」ってからかったら、
「いやいや離婚したら、次も同じ名前の人と結婚して使いまわせるから大丈夫」って答えられました。(笑)
annさんの毒舌は絶好調です。


さてさて、昨日の続きです。

昨日は働いていた うーたんちの工場がどれだけ危険かという話をしました。
なので、私が心がけていたことは、
・食事をきちんとさせて、体調を整えること
・睡眠は充分取らせること
・ぼーっと考え事をさせないように、トラブルはその日の夜寝るまでに解決すること
でした。

うーたんは精神的ダメージが腸に来るタイプで、私が旅行に出掛けると必ず下痢になっていました。
私の母親との1泊のお墓参り旅行でさえ。
ネットで知り合って仲良しになった友達との旅行の時には帰って来た時には魂が抜けて別人になっていました。
私が気を抜くと うーたんはすぐに風邪を引く為、色々なサプリメントを飲ませて体調管理をしていました。
(私は サプリメント・オタクです f^^;)

眠さでボーっとしていると危ないので、睡眠が充分取れるように配慮していました。
私がベッドに入らないと寝ないので、眠くなくてもベッドに入り、
夜中に起きて眠れない時も身動きしないでベッドで朝が来るのをひたすらずーっと待っていました。

自分の親の悪口は言われたくないだろうし、
それに『これが普通』でずっとやってきた家族の中にいて、私だけが異質な存在だと思っていたので、
悪気がないのに怒るなんて、大人げないって思って 腹が立っても何も言いませんでした。
(それがいけなかったんだけどね〜)

危険が伴う仕事とは?
その仕事は『プレス加工』です。
鉄の板をプレス機で挟んで形を変えたり、穴を開けたりするのです。
その圧力は 何トンという単位。
上から何トンという力を加えるのですから、指を挟んだら『骨折』ではなく 骨が砕けてしまって元に戻せないので、切断するしかない。
だから、義母や 他の工場の人には指がないのです。

1つの機械で1パターンの仕事をさせるだけではなく、『型』というものを変えて、違う形に加工します。
1工程で済む単純な加工から、形成→穴あけ→形成など、製品にするまで何工程か必要な複雑なものもありました。

『型』は高価で、ヒビが入るなどすると精度が落ちる為、修理に出したりします。
プレスの機械は 何百万〜何千万単位のお金のもの。
『型』を付け替える時に、ねじが緩んでいた場合、人を傷つけるか『型』が壊れるか、最悪機械が壊れます。(ああ、『最悪』は「人を傷つける」でしたね)

ぼーっと考え事をしていて ねじが緩んでいたり、『型』や材料を足などに落としてしまったら、その重量で余裕で骨折します。
なので、仕事に集中できるように、仕事以外の雑事は与えないように頑張り、義父母へは直接対決していました。

『型』を付け替える時に、うーたんは 何度もねじが緩んでいないかどうか確かめていました。
くどい程何度も、少し経ってから、もう一度確かめに行くこともしばしばありました。
それは『安全の為』についた習慣だと思っていました。
その配慮があって、安心して仕事ができるのですから。

うーたんも壊れていると友達に言った時、自分の周りにはそういう人がいないので、どういった行動を取るのか今後のために教えて欲しいと言われました。
自分がいつ 同じ状況になるか分からないからと。
そういう兆候が見られたら、すぐに病院へ行くから『おかしい』と思っている症状を教えて欲しいと。
私が一体何を基準に『おかしい』と言っているのか教えて欲しいと。

私は『神経症』だと思いました。
『神経症』で思い浮かぶのは、何度も手を洗わないと気が済まない人や、手すりを持てない人。
汚れている訳ではないのに、手を洗わないではいれない症状は、とってもポピュラーです。
美空ひばりさんも、マイクを必ずハンカチで包んでしか持っていませんでしたよね?
彼女の歌う姿を見て、彼女が『神経症』かどうかは置いておいて、ああ そういう人なのかなって勝手に思っていました。

うーたんの場合はというと
1. 歩いている途中で突然後ろに向かって歩き出し、マンホールを見て(何かに納得して)
  また少し歩き、また振り返ってマンホールを見てまた歩くを何度か繰り返す。
2.家の階段を上がる(下りる)時、途中で2、3段下り(上がり)また上がる(下りる)。
3.お茶碗の中に米粒が一つもない状態なのに、お箸で口に掻き込むしぐさをする。
  (これは、『自分のタイミング』で終わりたいから なのだそうです。)

それは確かにおかしいわな。って友達が言いました。
明らかにおかしいって。
私は壊れていたけど、話をしていると『普通』で、病院へ行くべきは 旦那さんの方じゃないかと。


私はうーたんを(工場の問題で)追い詰めていた自覚があったので、相談できる人を与えてあげたかった。
親は頼りにならない。
友達には 自分から訪ねていかないし、相談されても相談はしない。
うちの工場に仕事を出してくれている人の中に、親に勘当されて、一人で工場を興した人がいたので、
その人と個人的に仲良くなって、色々と相談に乗って貰ったら良いとアドバイスもしました。
そして
誰にも本音や弱音を吐きたくないのであれば、病院しか頼りになる場所は思い浮かばず、
行動から あきらかにおかしいので、私が家を出る前に何とかこれ以上壊れてしまわないように病院へだけは行かせたいと思って説得していました。

自分の経験上、我慢をすればする程 治療に長引くし、今なら、カウンセリング程度で済むかも知れない。
リストラや仕事の悩みを相談する場として カウンセリングが使われているのだから、悩み事相談として病院を使ったらどうか?
何年もかけて説得しました。
そして
最後の話し合いをしたときに、うーたんは病院へ行くことを決めました。
それは 自分が納得した訳ではなく、私に『今度こそ本気だ』(今まで何度も裏切られたもんね)という姿勢を見せる為だと言って。
そう言われても遅いんだけどな。
私がこの家で死ぬよりも 家を出て生きることを選択する前に もう少し本気で考えていてくれていたら。
まぁ、病院への道を付けられたことで、私のこの家での仕事は全て終わったと思っているんだけど。
一応家を出る前に、部屋を探すのに、「もし一緒に出るなら、仕事場の近くに家を借りる」と譲歩しました。
家を出る原因は、うーたんにあり、でも家を出たら 気分を変えてやり直せるかと 少しだけ期待したのですが、うーたんの答えはNOでした。
「自分は家を出ない。」
家を出たのは私だけど、離婚を選択したのは うーたんも であり、お互い様だったんだよね。


そして、私は違う県へと引越し、時々うーたんに会ったりはしたけど、その度に怒鳴られ、傷はどんどん広がり、会うことが怖くなりました。
もといた県へ戻る話をした時に、「お金を使って家を出たんだから、帰って来るな!」と怒鳴られました。
うーたんにとって、お金は大切なもので、自分(家)の大切なお金を使って出て行ったのに、
また自分(家)のお金を使って戻ってくるのか?とキレたのです。
なぜか『遠距離恋愛』をしている気分になっていた うーたんにとって、私が他県にいた方が都合が良かったのかも知れませんね。


それまでは会った時にしかお金を渡してはくれなかったのですが、この県に戻って来たら、毎月実家へお金を届けてくれるようになりました。
うーたんは私の実家へ行って、世間話をすることを楽しみにしていたようです。
家と工場が生活の全てだった うーたんの 唯一の外界とのつながりだったからです。

私の話が聞けるのかと思ったのでしょうが、それは無理でした。
私は実家を避けていたので、取りにいける気分の時にしか取りに行けなかったので、
お金の入った封筒が 何枚も妹の手元にあったままという状況でした。
お金はありがたかったけれど、それは重く、生活できる程度のお金を稼げるようになったので、もういらないと断りましたが、
うーたんの携帯代を私が払っていたことと、私との関係が切れるのがいやで、「少しだけど」って相変わらず持って来てくれてはいました。

うーたんの訪問は、私も重かったけれど、妹や母にとっても重かったのです。
私の調子は相変わらずで、実家には寄り付かない。
うーたんとの間に未来があるように見えない。
私の近況を聞かれても答えられない。
そして
うーたんの調子がどんどん悪くなり、料理嫌いの義母のせいで、どんどん痩せていったうーたんを見るんが辛かったらしい。
家にいてヒマを持て余したのと、夜眠れないからとお酒の量が増え、
実家に行くときには、必ず酒臭かったらしいのです。

私と一緒に実家へ行っていた あの明るいうーたんしか知らない母や妹は、うーたんが壊れていくのを見ていたんですよね。毎月。

そう、この話をしようと思ったのは、このことが言いたかったからなの。

母や妹は、うーたんが壊れていく様を見ていた。
だから、自分の『病気』の姉が 娘が うーたんをこんな風にしてしまって申し訳ない。
そうだね。私は誰にも言わなかったからね。

うーたんは、私が家を出る何年も前に すでに壊れていたんだよ。
そして うーたんの症状をきちんと説明したにも関わらず、
現実を受け入れられない両親のもとで うーたんは確実に酒量を増やして暮らしています。

これを私の実家で話したところで、どうなる訳でもなく、
だから、私が『悪者』として、相手のご両親に謝らなくてはいけない対象であることを
私が受け入れるか どうか。
私は自分が悪いとは思っていないので、口先だけの挨拶さえしたくない。
私は充分支えたし、頑張ったし、病院への橋渡しをし、十分私のできる仕事はしたと自負してる。
私がいなくなった時の為にと病院への橋渡しに成功し、私はうーたんを救ったとさえ思っている。
私は 私のできることを充分頑張ったと思うの。

うーたんは、毎月の貰ったお金をお給料だと思っていなくて、親から預かっているお金だと考えていました。
自分達の貯金 イコール この家のお金。
自分達が自由にできるものではなく、親のお金 工場の財産であると。
なので、お金の問題ではもめ、トラウマになるほど散々怒鳴られたけれど、
お金の問題さえなければ私達は仲良しだったのです。

謝ることなど 一つもない。
あの家にいて、私が死んでしまうより、生きることを選んで家を出たことは悪いことだと思っていない。
そして、一応ちゃんと一緒に家を出ようと誘い、家を出ない選択を うーたん自身が決めた。


鍼灸院の先生に、親と和解したら、一番ストレスがなくなるよって言われて、
『和解』以前に、相手に理解されてないんだもんなって
何をどうしても 無理だし、
全然違う世界に住んでいて、私のことを理解ができない相手と 相手のことを理解できない私が
憎しみあってる訳ではないのに どうやって『和解』ということができるんだろう?って思いました。


青虫が葉っぱを食べる様子をteaと二人で観察し、
青虫から うんちが出るのを見てゲラゲラ笑って、
鳥に怒って、でも頭ではちゃんと理解していて、
寝るほんの数分前までお喋りして 楽しい眠りにつく。

私の『普通』は、こんなに単純なのに、そんなに難しくて 理解できない程変なのだろうか?
何がダメなんだろう?
たぶん 出発点から すでに違っているのだよね。
だから
無理して理解して貰うことは諦めて、父親の存在がそうであるように
母や妹も 私の人生では すでにいない人だと思ってしまうのが 一番楽なのかも知れない。
私が私として生きていく為に。


2006年08月23日(水) すでに壊れていた うーたん1

昨日は凄い雷雨で、電車が止まってしまっていたらしく、残業で午後10:30に会社を出たにも関わらず、なぜか8:00の電車に乗って帰りました。
早く帰っていても電車が動いていなくて帰れないのであれば、残業して丁度良かったのかなとか、結果としては微妙な感じです。^^;

今朝、電車の中から空を見上げたら、ずいぶん空が高くなりましたね。
夏好きな私としたら、悲しいけど、すっかり『秋の空』です。
洗濯機がベランダに置いてあるので、毎朝必ず外に出なければならないのですが、空気が『秋』の空気になって来たねと、今朝teaと話していました。
teaは昨日の雨のせいじゃない?って言ってたけど、やっぱり空は秋だったよ。

昨日の朝、teaがエアコンの室外機の下に 羽化途中のアゲハを発見しました。
全部食べられたのではなく、避難できた子か、うちから脱走した子かなぁって少しの間見守っていました。
少し後に見たら見当たらなくなっていて、飛び立つ瞬間が見れなくて残念って思っていたら、室外機の横で羽化途中の状態でころがっていました。
片方の羽がたたまれたまま、もう片方は内側に折れ曲がっていて、でも棒にしがみつく力はあったので、木に移動させ、羽が広がってくれることを祈って会社へ出掛けました。
私よりも早く家に帰っていたteaに調子はどうかとメールで聞いてみたところ、羽が広がっていない状態だったらしく、
せめて蜜を吸えるようにと、咲いているバジルの花に移動させてあげたそうですが、今朝見たら、ベランダに転がっていました。
やっぱりダメだったのね。

蝶でないものから 蝶へと変体していくのだから、羽化は命がけの作業です。
そして 自然は厳しい。
いっぱいいた青虫たちのことも「食べられたのはムカついたけど、それで鳥さんが生きていくんだし、しゃーないわな」ってteaが言ってました。
「今まで飛んでいる蝶しか見ていないけど、羽化が成功しないものも多くいるのかもね」って、
今まで気に止めてもいないことがらが、昔から『自然に』営まれていたこといたことに気が付きました。
そうやって淘汰されて、増えすぎもせず、減りすぎもせず、他者を生かして自然は成り立っています。
人間も自然の一部なのにね。ある国では増えすぎちゃってたり、ある国では増えなかったりして、何だか不自然だね。

そう言えば、人間の移植手術には反対派のteaなのに、動物には激甘なのには笑っちゃいます ^^
愛犬のテト(ロングコートチワワ)を飼い始めて、「『親ばか』な人をバカにしてたけど、親ばか上等だー!」って開き直った姿は、とっても微笑ましいなぁって思って見ています。


さて、長くなりそうな話をば。

今朝の電車の中で、どうして母や妹は半年前の離婚の事実を現実として見ていないんだろう?って思いました。
夫が家にいない方が良い派の 母や妹や叔母にとって、うーたんはたぶん理想の夫で、
離婚理由はまた別の機会にゆっくりとお話しますが、どうして『たったそれだけの理由で』別かれるのか理解できないようでした。
私さえOKと言えば、金銭的にも何の苦労もなく(実は苦労だらけなのだが)『奥さん』として暮らしていけるのに。
どうして『その理由』で離婚に到るのか が、理解できず、
それは私が病気だから と考えるのがとても解かりやすく、だから病気さえ治れば復縁もありだと とても楽観視していました。
元さやに収まるのが、私にとって うーたんちにとって 一番良い選択だと。

私は怒ると何も喋らなくなります。
腹が立っている時に 言い返されると もっと腹が立つので、腹が立ったのが治まって冷静になってから、こういう風に腹が立っていたのだと冷静に怒って冷静に説明していました。
大抵のことは、相手に話す前に飲み込んでしまっていました。
相手に悪気があった訳じゃないしとか、怒るタイミングを逃してしまった等の理由で。
だから私がキレるのは、怒りが頂点に達しているときで、どうしてもこれだけは譲れないことがあった場合のみです。

私は何度もキレ、そのたびごとに話し合い、うーたんは(一応)反省し、離婚には到らなかったのですが、
理由は一つ。
そして、それは私が 譲れないことでした。

何年も 何年も 半年ごとにキレては 話し合い、別れ話をしては 「気を付けるから」の言葉を信じて離婚せずにいて
そうしているうちに私が壊れました。

最後の話し合いの時、友達に「もう何年同じことを繰り返してるの?何年経っても治らないよ」って言われ、
ここまで頑張ったんだから、もう良いだろう。10年以上もよく頑張ったぞ私!って思い、家を出る決意をしました。


私が家を出る前に、蟹さんのところで治療をしていた話は日記には書いたっけ?(詳しくは書いてない気はするが...ま、いっか^^;)
とても辛くて楽しかった日々。

3ヵ月半の間家を空け、家へ帰って来た時に部屋へ入って愕然としました。
3ヶ月半前の私が出て行った そのままの姿がそこにはありました。
何も動かさず
3ヶ月半前の散らかし具合そのままの部屋です。
とても気持ちが悪かった。
「物を移動させると、夏海が帰って来ない気がして 物を移動しなかった」
これが うーたんの答えでした。

3ヶ月半の間、私が出て行ったままの部屋で過ごすことが、うーたんに安心を与え、
私はいないけれど、何一つ変わらない部屋で過ごすことが、私がちゃんと帰って来ることに繋がると思って
3ヵ月半の間 その部屋で過ごしたのだそうです。
私には3ヵ月半の時が流れていて、この部屋や家では3ヵ月半前のまま時間が止まっている。
私にとって、その事実は恐怖でした。
未来に向かって歩き出したのに 無理やり過去に連れ戻されてしまったかのような恐怖を感じました。
蟹さんのところに行っていたことが 夢の中の出来事だと思ってしまうような感覚に陥る部屋への恐怖。


私が治療に行っている間に、親子でこれからどうするかを話し合いなさい。
私も頑張るから、うーたんも頑張って。

そう言い残して蟹さんのもとへ行きました。
それまでも何度も言っている台詞『親子で話し合え』と。

うーたんの父親は、工場を経営しており、それはとても小さな町工場で、
従業員は父母とパートのおばさんと うーたんと私の5人。
パートのおばさんは、私の母と同じ年でした。
工場の仕事は 重いものを持ったりして(私のように)腰をやられたり、
年を取って注意力がなくなると、指を失くす恐れがある仕事です。
実際 同じ仕事をしている他の工場でも、経営者の指があることはまれで、義母は左手の指がほとんどありません。
パートさんは安全器具を着けるのを嫌がり、その為に何度か指を挟んで救急車で病院に運ばれたことがあり、
(私に言わせると自業自得で、こちらが謝っていたのですが、かえって迷惑を掛けられている気がしていました)
指くらいで済めば良いけれど、安全に気を配らないと うっかり命を落としかねない仕事でした。
工場は 夏は室温が40度を軽く越え、冬はストーブを点けても とても寒く、
油でドロドロになるような仕事で、その上 社会保険に加入していない。

どうしてパートさんが辞めないで勤めていてくれていたのか不思議なくらいの劣悪な環境で、
だから、若い女性が同じように仕事をしてくれるとは思えなくて、
だからと言って、うーたんいわく、「男は 養えない」ので雇えない。
(いっぱしの男性へのお給料は払えないので、申し訳なくて雇えないのだそうです。)
つまり、義父母とパートさんが引退したら、私とうーたんと2人になり、
そして私は義母やパートさんほどの覚悟はないし、体力も気力もないから、2人のような仕事量は無理。
そうなると、うーたん一人で仕事をすると過程して、どれだけ仕事をしたら、どれだけ稼げて、
うーたん一人でもやっていけるものかどうか を 父親に聞きなさいと 何度も 何度も言って来ました。
何年も前から 何度も 何度も。

工場は 父親が起こしたもので、最初は一人で仕事をしていたので、その頃の話をして貰いなさい。
そうして、自分も一人でできるものかどうかを相談しなさいと。
人生の 仕事上の先輩である父親と きちんと話し合って、工場をどうするのか決めなさいと、何度も何度も言いました。

私は『手伝う』立場を崩さず、私が率先して工場を切り盛りする気などさらさらなく、
できるなら 早くつぶれて欲しいと思っていました。
私には工場の未来が見えず、それならば、早いところ違う職種を探さないと、どんどん年を取ってしまい、
年齢があがると再就職するのに不利になるよと 何度も何度も 何年も前から父親と話し合えと言って来ました。
少しくらい仕事をしなくても食べていける程度の貯金はあるから、仕事を探すなら早い方が良いよと。
工場は父母に任せてしまって、自分は就職活動をしなさいと。
父母が引退してしまって動けない状態では、再就職は難しいよと。
何度も 何度も丁寧に説明をし、工場をどうするのかを父息子で話し合いなさいと。
経営者と 次期経営者が きちんと話し合って、双方ともに納得いくようにと思って、話し合いなさいと何度も言ってきました。


もともと うーたん親子は、私がいないと会話のない親子でした。
母親が一人が有頂天にハイテンションで くだらない話をして、
それはまるでTVやラジオのように『音の出るものがそこにいる』かのように一人で勝手にお喋りをして、
それに対して誰も反応せず 会話として成り立っていない不思議な状態でした。
喋っている人はいるのに、お通夜の席のような夕食の時間を毎日続けていました。

バブルがはじけ、お金がまわって来なくなった時も、
息子であるうーたんには話を一切せずに、ある日 私とうーたんを自分たちの部屋へ呼び出して 
今の現状の説明とこれからのお金をどうするかを 義父が宣言しました。
私が間に入っていないと、何も話ができない親子でした。
「うーたんに言っても頼りにならないから、あんたに言っておく」と、私に話すことはあっても。


蟹さんのもとで治療の日々を過ごし、少しは頑張ってくれたのかと期待していたのですが、
部屋に入った時に 『何も変わっていないこと』に愕然としました。
この部屋は この家の象徴です。
そして、私がいなかったことを『なかったこと』にして、これまでと同じ日々を過ごそうとしている親子がいました。
まるで食事の途中で席を立った人を待っていたかのような
帰って来たね。さぁ続きを始めましょうって感じの 怖さでした。

「夏海がいないのに そんな大事な話はできない」と 義父はのたまったそうです。
そして その言葉に納得し、食らいついていけない息子が 私の夫でした。
何の話し合いもできず、工場の未来の展望もない。
先送りしたところで 同じ結果が待っているのだとしたら、私は戦うタイプで
うーたんは できるだけ戦わずに 状況が好転するのを待っている『受け』のタイプ。
じゃー私が率先して 工場を潰してしまった方が良かったのか?
今でも 私の選択は間違っていなかったと思っています。
工場は 父親が起こしたもので、その工場を継ぐのは 一人息子であるうーたんで、
経営者と後継者が これからどうするのかを話し合うのは当然のことで、
それに対して 何も知らない私が口出しすべきことではなく、
よく義父が「お前ら若いもんで話し合え」と言っていた『話し合い』はすでに私達の間ではついていて、
うーたんが決断を下して 父親に言えなかっただけなのだから。

長くなったので、また明日ね。


2006年08月21日(月) 何が正常で 何が普通か

押しつぶされそうな気分のまま、一週間の始まりです。
私を知っている 今の友達や仲間たちは、みんな『私目線』で物事を見てくれています。
そして、私だけの友達 私だけを知っている人たちは、私が正常で、他の人が異常で、
だから、正常な精神の私が壊れたんだと言ってくれています。
正常だからこそ、その異常さに耐えられなかったのだと。

『私が』話すのですから、主観が入るのは勘弁して貰って、
でも、価値観や『普通の基準』が『合わない』人と一緒に暮らしていては、無理があるよね。

で、今回思ったの、何が正常で、何が普通なんだろうってね。

友達も最近悩んでいます。
自分のことを愛していてくれる親に対して過去のトラウマがあって、しっくりいかないことを。

ここから8月29日になります。
お昼に食堂で考えていました。
自分と人が別の感覚を持っていて、それが当たり前の出来事で、誰も責められることではないってことを、簡単に説明できないものかってことを。

エアコンが強いなぁって思って前を見ると、ノースリーブの女の子がいて、私は寒いのに、あの子は暑いんだ。もしくは丁度良い温度。
で、思い至りました。
なぁんだ!『体感温度』が違うんだ って。

私は家族とずーっと一緒には育ちませんでした。
その昔、エアコンなどない時代だったけど、例えば現代だと考えて、
エアコンの中で育った私の実家の家族たちと、伯母夫婦や祖父母夫婦の元で育ち、外で遊びまわっていた私は、体感温度が違うのが当たり前で、
同じ部屋にいて「暑い」と うちわ であおぐ人も 「寒い」と言って ひざ掛けを掛ける人も誰も責められたりしないように、
育った環境によって、常識が違うのは当たり前なんだよね。
北海道ではトマトに砂糖をかけて食べるそうです。
どこかの県では、お正月に食べるお雑煮に砂糖を入れるそうです。
カツに味噌をかける愛知県。
どこの喫茶店にでもある「小倉トースト」は、全国的に今どれくらいメジャーになっているんでしょう?

それと同じくらいに 人と自分は『違う』ということを『当たり前』として認識すること。
全てが同じ考えの人など 一人もいないってことを知り、無理してあわせる必要もないことを ちゃんと『心で』理解すること。
それさえできれば、あとはその光に向かって歩いていけば良い。


赤ちゃんは、親が世界の全てで、そして少しずつ知恵が育って 世界が広がります。
ハリーポッターは、父親が素晴らしい人間だってことを信じて疑わなかったし、ずっと誇りに思っていたんだけど、
『白鳥の騎士団』では、自分が不快だと思うような 違う一面を見ます。
認めたくなかったスネイプ先生の「嫌なヤツだった。」の言葉通りのことが過去にあったと知り、とてもショックを受けます。
その息子であることが恥ずかしいとさえ思いさえします。
絶対的信頼を持っていた親に対して疑問を抱き、冷静に観察し、本当は格好良くもなく、模範的でもないことに気が付く。
偉そうなことを言ってるくせに、自分はどうなんだ?と反抗心を抱き、自分と親は違う人間だと認識する。
そういう時期を経て、人は大人になって行くのです。

男の子にとって、男親は 乗り越えなければならない壁であり、
女の子にとっては、女親とは女同士として対峙する時期があります。
母親ではなく、『身近にいる女性』として魅力的な女性であるどうか。
素敵な女性になる為の見本として、お手本として 私の母親はどうなのだろうか?と。


さて、
母親と妹を見て、同じ方向を向いている二人を見て、考え込みました。
そして『私が』変なの??って悩みました。
当たり前のように、離婚を認識できていないことに驚き、明らかに私とは違う人種だと言うことを再認識しました。

でね、
人は生まれる場所は選ぶことはできない。
そして、その場所や違う場所で大人に育って行くんだけど、
その育っていく場所が、『普通』だと認識して 何の疑問も持たないで生きてるんだよね。
例えば、nobyの家の常識は、「旅行は車で寝泊りする」ことであって、
一般の家庭の家族旅行は、宿泊施設に泊まることだと気が付いたのが、中学生だったのだそうな。

この『当たり前』が、
空気のように存在する『普通』が、
自分の『当たり前』や『普通』と少しでも違っていたとしたら?
家族みんなが同じ方向を向いているのに、自分だけが ぽっつーんって蚊帳の外な感覚 持ったことありませんでしたか?
家族みんなが『当たり前』として行動していることに対して、何か違和感を感じたことはありませんでしたか?

日常はあまりに『日常的』なので、違和感を感じたところで 特に何事も起こる訳でもなく過ぎて行きます。
ほんの少し感じた違和感も 新しいイベントの前では すぐに忘れてしまう程度のちっぽけなものだったりして。
でも。
その違和感は、なかったことではなく、花粉の量が少しずつ少しずつ体内に蓄積されるように、
化学物質が 少しずつ少しずつ体内に蓄積されていくように、
少しずつ溜まったストレスが 長い年月を経て 突然現れる。

風邪かな?
最近疲れが取れないなぁ。
肩こりが酷くなってきた。
寝ても寝ても眠い。
寝ても疲れが取れない。
ちゃんと寝ているのに、寝た気がしない。
現実に起こっていることなのに、何かフィルターを通して見ているような感覚。

身体はちゃんとSOSを出しているのに、『そのこと』に気が付けない。
だって、生まれた時から変わっていない『日常』なのだから。
それが『普通』なのだから。

ねぇ?
お父さんと お母さんの子供だけど、私たちは私たちであって良いんだよ。
お父さんと お母さんは それぞれが違う人間であるように、
私たちと お父さん お母さんは 違う人間なの。

違う人間である以上、同じ常識でいなきゃいけない理由など 一つもない。
何が正常で 何が普通かなんて、小さなグループの約束事でしかない。
例えば中学校の生徒手帳に書いてある規則が、大人に有効かどうか?
スカートの丈なんて、誰も気にしないよね?

誰かが決めた約束事なんて、その誰かのためにあるものであって、
その約束事は、自分に合ってるかどうかが問題。
合っていないこと を ちゃんと認識して、その上で 敢えて 守っているなら それはそれでまだまし。
でも
私がそうであったように、家族の中で私だけが異質な存在だった場合、
それが『普通』なのだから、守ることが『当たり前』だと思って 無意識に我慢して生活していたら、
そりゃー壊れもします。
壊れて当たり前なんだよね。
ずっと ずっと 本っっっ当に まるっっっきり無意識だけど 無理して生きてきたんだから。

何が正常で 何が普通か
それは 人それぞれ 個人単位で考えて良いって思う。
人は殺しちゃいけない。
これは、大切な約束ごとだけど、殺されそうになった時に自分を見捨てて無抵抗でいないで、
抵抗したら不可抗力で相手が死んじゃった場合、
『殺しちゃいけない』って約束事には反するけど、自分を守る点においては正解だと思う。

「自分を守る為に殺せ」と言っている訳ではなく、自分を守る為に防御し、逃げることは恥ずかしくないって思うの。
このまま殺されるのを待つとか、殺してしまおうと思ってしまわないうちにね。

世間の全てをシャットアウトして、頭の中を『自分だけ』にして考えてみようよ。
そこにある答えは、私は私でしかないってことだけ。
そして、(身内も含めて)他人の評価である『正常』や『普通』と
自分が考える『正常』や『普通』は、同じであるかどうか?
一緒に暮らしている人達は、自分とは体感温度が同じであるかどうか?

もし違和感があるのなら、無理して合わせる必要なんて ないんだからね。
年がいくつであっても、反抗期になっちゃえ!!
今から始めても 全然遅くないんだよ。
そのことに気が付けた時が、あなたの第2の誕生日だよ。

あなたが この世に生まれて来たことを 私 夏海は、祝福します。
あなたの未来が 幸せな温かい光に包まれていますように ^^


2006年08月20日(日) こんなにも 過去に引きずられているのか

●夏海(335) 題名:こんなにも 投稿日 : 2006年8月20日<日>22時00分 返信

入籍しました。
そして 緊張しています。

もういい!!って思って、親の為に生きるのを
親の望むことをやめるぞって思っていたのに、
こんなにも 結婚したことを知られるのが怖い。
失望されるのが 怖い。

私は 私の自由に生きて良い。

私は 未成年では 当然なく、
結婚して 婚家を出て一人で暮らして 自分で自分を養って
元夫君とサシで話し合って、ちゃんと離婚して
自分の人生を 自分で決めても良い資格も権利もある。
うーたんに「恋人ができた宣言」もして、それを祝福して貰って
私とうーたんとの二人の間では 何の問題もないのに、
全然関係ないところで 喉に骨が刺さったままでいる。

母親ののろい?

teaの家族や親族には 祝福と歓迎を受けているのに、
『PO』の仲間全員が おめでとう!と言ってくれているのに
こんなにハッピーなはずなのに、
こんなにも緊張と不安と恐怖と...
あごに とてもとても 力が入っている。
腰が 相変わらず痛い。

母の引力に引きずられてしまわないように
妹の引力に引きずられてしまわないように
私を壊した 過去の遺物に引きずられてしまわないように
幸せへの道を 見誤らないように 暗い森に迷わないように
未来をしっかり見つめて 歩いていきたい。




●夏海(336) 題名:GAKUさんへ ^^ 投稿日 : 2006年8月20日<日>23時00分

『しあわせになろうね』の2004年3月3日にリンクさせて頂きました ^^
お待たせしました。

今日は 参加できなくて残念です。
良い天気で、良かったですね〜♪
来年の川遊びを とても楽しみにしています ^^




◎GAKU(337) 題名:ありがとうございます(^ー^) 投稿日 : 2006年8月21日<月>09時09分

リンクありがとうございますm(_ _)m
稚拙なページですが、その分は活動でカバーしたい?
と思っています。

昨日は「カヌー体験会」でした、最終的には親子だけでカヌーに乗って欲しい!
出来ました!勘ののいいお父さんでした、これでうまくすればカヌー仲間が増える?かも(^0^)

今後も色々企画したいと思っています、よろしかったらご参加下さいね!

ところで「テト」ちゃん?くん?の名前は「きつねリス」からでしょうか?私は「ユパ」と言われていました。
ちゃんと他のキャラもいましたよ(^^;)




◎夏海(338) 題名:テトは 投稿日 : 2006年8月26日<土>16時06分

ポテトのテトです ^^
男の子です。
姪っ子たちは、『ぽて』と呼んでいます。
体型は、まさしく『ぽて』なのですが f^^;

teaが親ばかで 笑っちゃいます。
それにしても、私にだけ 『うれション』するのは、なぜなんでしょうね??

GAKUさんちには、
カイと クイもいたのですか?


2006年08月19日(土) 生命力が落ちているってさ

いなくなってしまった青虫君が、部屋の中のどこかで蛹になってたらしく、
今朝、めでたくアゲハになって、ゴミ袋の中でもがいていました。
生きていてくれて、無事蝶になってくれて 良かった ^^
あと1匹は、どこにいるのやら... 無事に蛹→アゲハになってくれたら良いんだけど。


さて、

あたくし腰痛になりました。
先週の金曜日(8月11日)のハイキング時に、あれっ?って感じだったの。
いつもザック(日頃登山に使っているリュック)ではなく、
買ったばかりののウエストポーチに水分1Lを横ポケットに入れていたから、腰に来たのかな?って思って、
やっぱ低い山でも ウエストポーチなんかじゃなくて、ちゃんとザックを持って登らないとダメねって反省していたのね。

金曜の夜に 例の精神的ダメージを受けて、「生命力が落ちてるから、北穂へは止めておく」って宣言して、
土曜日は どんより過ごし、
日曜一日 teaの実家で犬たちと一日ヒッキーして、平和な一日を過ごして、
月曜夜に郡上の徹夜踊りに出掛け、ちょこっと浮上
火曜日、前から考えていた うーたんちに出掛けました。
1時間滞在予定が、ちぼっと引き止められて2時間の滞在。

頑張ったぜ私って思って、またちょこっと浮上。
水曜日の午前中に 引き取って来た写真を整理。ゴミとして捨てるものを分別。
疲れて お腹が空いて 緊張してきたので、『PO』へ出掛けて、おそうめんをご馳走になり、
「どうも腰が痛いので、北穂行きを考えてる」って伝えました。

そう 腰が痛くて、「イタタタタ」って言いながらしか動けなくなっていました。
朝、あれ?ヤバイかもって思っていて、前から行こうと思っていた(肩こりでね)鍼へ、
今日こそは行かないと、明日からの仕事がヤバイぞってくらい痛くなってきてました。

『PO』で相談して、tommyとtommyの母親が通ったことのある鍼灸院を教えてもらったけど、そこは休みで、
私の家の近くにある、以前から行ってみようかなって目を付けていたところへ出掛けたところ、
水曜日は午前中だけで、午後は休診
しかも、すでに2時...
途方に暮れて、どうしよっかなぁって思っていたら、家から女性が出て来たので、「ダメですよねぇ」ってダメ元で聞いてみたら、
「今 往診に行っていますので、5:30過ぎなら...」と嬉しい返事が。
(あまりに痛そうにしていたんでしょう ^^;)
新しい出会いって、とっても良いタイミングでやって来るのね。

ということで、夜 鍼をして貰いに出掛けました。

いきなり ではなく、問診から。
あれ?『今まで』とは 何か勝手が違うぞって思って、
「はい 立って」「はい 後ろに反らせて」って言われて、「痛い?」って。
う?そんなに痛くない。
「じゃぁ、前屈して」って言われて、イタタタって。

「後ろに反らせて痛いのは『加齢』のせい。前屈して痛いのは、『ストレス』のせいだよ」って言われました。
うっ...
心当たり、大有りです!先生!!

「どれくらい前から痛いの?」って聞かれて、金曜日にあれ?って思って、それからどんどん痛くなって来ました。
今日、「もしや足痺れてるのかい?」って思って、ヤバって思って来ましたって答えて、
今度はベッドに上向き(!!)に寝て、脈を取られました。
「普通なら、こんな状態になっていると、もっとドクドクいってるもんだけど、脈が抑えられてる
 あなた、生命力がかなり落ちてるね」
あああ...
図らずも『PO』で言った『生命力が落ちている』は、私の野生の勘で正解だったのね。

メンタルクリニックに通っていること、離婚して 結婚すること、金曜日のことなどを詳しく話しました。
「痛い時期から考えたら、原因はそれだね。時期もドンピシャ合ってるじゃん」って笑われて、
「そんだけのことがあったら、腰も痛くなるわな」って。
「うちにも、☆☆さん(私が通っているメンタルクリニック)の人がよく通って来るよ」って言われ、
心の疲れは、体に来るからねって言われました。
うん。この『治らない肩こり』は、完璧ストレスです。はい。

まずは上向きで 色んな場所に鍼を打って貰って、
今度は下向きになって色んな場所に鍼を打って貰って、
「過去に膵炎をしているので、腰と一緒に内臓が痛くなったから、内臓??って思ったんだけど。」って話をしたら、
「内臓が痛くて腰痛になるなら、腰(腰骨)から上。ここ(骨盤から尾てい骨まで)が痛いのは、ただたんに腰痛」って教えて貰って、ホッと一安心 ^^

ここの先生は、特殊なのか、たぶんこれが本式なんだろうと思うんだけど、
今までして貰ったことがある鍼は、電気を流すタイプで、
今度の先生がしてくれたのは、蟹さんがしてくれた鍼と同じ方式で、ひとつの鍼をあっちに刺し、こっちに刺しして、脈を図って
何種類かの鍼を刺したり脈を図ったり、鍼を刺したまま歩いたり、体を動かしたりして、『体を調節する』タイプの鍼です。
東洋医学的な 気の流れを上手に回して、自己治癒能力を高めるって感じかな。
だから、劇的には治らないけど、根本的に治しましょうって感じです。

大丈夫!大丈夫!10日くらいしないと治らないから ^^
(わははは 「治らない」ことに対して、「大丈夫」って言うのか 面白いぞ この先生!)

結構自我が強くて、さくっと毒を吐くけど、サバサバと楽しくて、私の好み(好き嫌い)のボーダー的に微妙なさじ加減な感じなので、
相性が合っててくれたら良いなぁって思っていたら、
昨日3回目の治療の時に、とっても手が暖かく感じて、もしかしたら相性が合うのかもって思いました。

私は 好き嫌いではなく、合う合わないが激しくて、
合わない人に触られても治らないんです。

みんなが良い!って 私が紹介する治療院で治っていくんだけど、紹介した本人が治らない f^^;
『気』が合わないと、私の毒が強すぎて出せないみたいです。(本当のところはどうだか解らないけど)

昨日は生理の話になって、その症状が出るようになったのは、いつ?最初から?って聞かれて
うーん 結婚してからかなぁって言ったら、それはいくつ?って聞かれて、
24歳って言ったら、
「こりゃまた ずいぶん頑張ったんだねぇ」って言われました。
うん。ずいぶん頑張っちゃったんだよ!
壊れるはずさ。
だって、結婚生活の半分以上 『うつ』で記憶がないんだもん。
先生から 「一生治らないな」って言われた肩こりも、そう考えたら仕方のないことなんだなぁって思って。

結婚は誰が何て言おうと別に自由にしちゃえば良いし、ストレスになるものは避けなさい。
ただでさえない生命力がないんだからね。って。生命力を復活させなさいって言われました。

何か、とっても取り留めのない話になりましたが、
ストレスは、体によくないぞ。
自分が気持ちが良いこと が 一番だぞ。
そして、お医者さんでも、薬局でも、鍼灸医でも、スポーツジムでも、とにかく何でも良いから、
メンタルな話ができて、弱音を吐けて理解して貰える場所を作ってください。
自分の内臓をさらけ出す勢いで 話ができる場所をね ^^




●夏海(334) 題名:青虫がアゲハになりました ^^ 投稿日 : 2006年8月19日<土>21時59分 返信

丸裸になった我が家の山椒に代わって、ミドリちゃんに山椒の枝と養子君を貰ってきて、
でもやっぱり水の吸い上げが悪くて、おっきい君たちが家出(枝出?)をしてしまいました。
...踏んだら嫌だな...って思ってたら、
昨日の夜に 茶色い君がカーテンにいるところを発見!救出!!
あとは、おっきい君2匹だーって思っていたら、
今朝、スーパーのレジ袋が ガサゴソ言っていたので、
「ゲッ!ゴキブリ?!」って思って見てみたら、アゲハが!!

部屋のどこかで蛹になって、アゲハになってたのね。^^
早速外に出して、旅立っていきました。
大きさからいって、たぶんミドリちゃんちからの 養子君ね。
あとは、もう1匹...

んでもって、枝を貰うのは諦めて、今日山椒の鉢を買ってしまいました。
甘甘の私達です ^^;

さて、『しあわせになろうね』でご紹介した あづまさんのアファーメーションの紹介です。
今日のメルマガのタイトルは、『【ココヘル121】パーフェクトってことは、異常なんです。』

(今日のアファメーション)

 「(完璧じゃないけど)私は私。」

 完璧な人間というのは、実はちょっと異常。
 怒ることも泣くこともあり、疲れたときはやる気が出ないのが普通。

 ネガティブな感情も、体にとって必要だからあるのです。
 全ての ことが自然で必然だと思えるようになると、
 完璧ではない自分のことを許せるようになります。

 そう、完璧じゃないけど、それでいい。私は私。
 
 
あづまさんのブログは、下記アドレスです ^^

http://www.556health.com/


2006年08月16日(水) やっと復活して来ました

●夏海(333) 題名:復活 ^^ 投稿日 : 2006年8月16日<水>09時14分 返信

やっと復活して来ました。
誘われていた穂高への登山も、
「生命力が落ちているから」ってsea姉さんに説明して断りかけました。
14日に出掛けた郡上の徹夜踊りへの参加も 本当はとっても怖かった。
(車での長距離移動なので、途中で『怖い』が来ることが怖かったの)
でも行って良かったです。
穂高へも何とか行ってみようかなってとこまで復活してきました。

夜中の2時に目が覚めて 眠れない日が続いたんだけど、
今朝は 一度も目が覚めることなく 朝を迎えられて嬉しいです。^^


うちの丸裸になっていた山椒の代わりに
 山椒の枝を 昨日ミドリちゃん家から貰って来ました。
(ちっちゃい君たちの食糧の為に、山椒を買おうかって話をしていたのだよ)
ミドリちゃん家から養子に貰ってきた青虫君と
うちのちっちゃい君&極小君もバクバク食べてくれて、
これで食糧の心配をしないで アゲハになるのを観察できます ^^v
(箱(家)入り 激甘 アゲハに育てます 笑)
 
 
夜中にパキっと目が覚めてしまって 眠れなくなった時は、
またウツが復活したのかって怖かったけど、
私には  
あの人たちが住んでいる異世界じゃなくて、
私の心が帰ることができる 私の世界があって、幸せだなぁって思います。

生まれてから ずっと それを空気のように当たり前だと思って暮らしてきて、
たぶん とっても『無意識』に無理をしていて、
自分が自分でいたいものと、周りが求めている自分とのギャップに疲れちゃって
みんな 壊れていくのかなって思いました。
恐ろしいことです。
 
 
『無意識』に。

その『無意識』の存在に気が付いて、
『本当の自分』と
『作られた自分』『理想に答えていた自分』とのギャップの存在に気が付いたら、
最初の一歩が踏み出せるのかも知れないね。

遠くにある『点』にしか見えない明かりの存在に気が付けたら、
足元に気をつけながら 一歩一歩 明かりに向かって 歩いていけば良い。

大丈夫。
お薬を飲んでいるけど、
『正常』なのは、私。
『正常』だからこそ、壊れたんだから。
私こそが 私の人生の主役。
私は 私の好きに生きても良い。

忘れないように 何度も 自分に言い聞かせるの。


2006年08月13日(日) 殺される

金曜日(8月11日)金華山へ登り、『PO』で楽しい時間を過ごし、市役所へ出掛けて住所変更をし、
市民花火の協賛を募集しているのを見て、今年こそ1発 自分の花火をあげるか〜って
紅葉ちゃんに「紅葉好きだーー ドーン!」って言われるって、どうよ?って楽しい話をして、
teaと楽しく夕食を食べ、ご機嫌気分なまま私の実家へでかけました。

妹に用事があったのと、ある報告に。

申し送れました。
私、結婚します。

友達に言われました。
「『結婚って、自分に向いてない』んじゃなかったんかい?」
『結婚制度』という点については、私には向いていない。
自分の好きな人と一緒に暮らすだけで、『嫁』として扱われるのは我慢できないから。
自分の親だけでも『勘弁してくれ』って思っているのに、
相手の親まで出てきて「私は親よ」って保護者面もしくは 面倒見るのは当然!面されるのは、まっぴらだと思う。

teaも同じ。
二人とも『入籍』自体には興味がない。二人だけの生活なら、別にどちらでも良い。
ただ、teaの親と同居するなら、名前は同じの方が、うざい詮索や説明をしなくて面倒臭くない。
ただそれだけの理由で、入籍をします。

二人とも結婚制度に興味がなく、入籍したことによって契約が交わされるとは思っていない。
入籍したからって、何が変わるのか?
人の心なんて、変わらない保障なんてどこにもないし、
『入籍』したことによって 心に油断が生じて 色んなところに手を抜くことや
相手に対して努力をしなくなるくらいなら、同居のままで良いと思っています。

??って思われた方。
ごめんなさい。ルームメイトteaは、恋人でもありました。
当時、夫婦生活は破綻していましたが、まだ『離婚』が正式に成立していなかったので、
もし うーたん(元夫くん)がHPを見て、揉めると思って、恋人と同居しているとは書けなかったのです。


で。
teaの父親の葬儀で、teaの家族、親戚には顔見せが終わっていて、祝福されていて、
私の母や妹にも(会うのを避けていたので、出会い頭のゲリラ会わせでしたが)紹介はしてありました。
叔母へは、叔母の別荘へ一緒に泊まりに行き、別荘の管理人さんとも挨拶をして知っていたのですが、
『離婚も済んでいないのに、汚らわしい』と、『叔母の倫理観や正義』で避けられ、離婚後も紹介できない状況でいます。

ねぇ?
私の精神状態を知っていて、離婚の意思があって、でも手続きや話し合いができない状態でいて、
婚家を出て1年以上経ち、「(この土地に)帰ってくるな」と うーたんに怒鳴られたことも知っていて、
私は十分貞操は守ったと思うのよ。
汚らわしいって言われる筋合いはないと思うんだけど。どうよ?

夫がいる身で、恋人がいるなんて、色狂いしてる。
ロクデナシの夫を持って、(たぶん無意識に)自分の性に飢えている彼女たちにとって、
私は 色狂いしてるんだろうね。
そりゃー 汚らわしいだろうよ。

私の友達の誰もが、離婚成立する前でさえ恋人の存在を受け入れ、
一緒に住んでいるということに おめでとうと祝福してくれ、私の幸せを願っていてくれているのに、
私の血の繋がった人たちだけが、頑なに拒絶している。
『うーたん』という存在がありながら、何をやっているんだ。
家を出た時に 既に破綻しているにも関わらず。

私がいつ自分を刺さないとも限らない酷い極限状態にいた時に、絶えず傍にいてくれて、
一緒に病院へ行き、診察にも立会い、「自分はどうしたら良いのか?」って先生に聞き、
過保護にする訳でもなく、見守って支えてくれたtea。
GWなどの長期休暇には、一日中一緒に歩いてくれたtea。
電車に乗り、会社に行き、仕事ができる状態になっていられたのは、teaが一緒にいてくれたからだと思う。
離婚の話し合いができる精神状態になれ、自分の力(友達の力を借りてだけど)で、頼れと言ったまま見捨てた叔母や
私の味方だと言い、その実 うーたんの味方だった母や妹に比べ、
その『最悪な』状況を支え、この世に私を繋ぎ止めていてくれたのは、teaだった。
甘やかすでもなく、手加減なしに喧嘩をし、心の中身を吐露し合い、本音で付き合った
私にとって、戦友でもあるtea。


父親の弟が離婚をし、離婚後も元妻と仲良しなのを知っていたので、叔父にメールで伝えた。
「結婚するんやわ。会わせたことは会わせたんやけど、認めてへんねん。
どうしたら良い?」

帰ってきた返事は、やはり
 「何やかんや言うても、やっぱり心配な夏海ちゃんのことやから、言うた方が良いと思うよ。
  何も慌てる必要ないんやから。祝福して貰った方が、良いやんか」

で、妹に取り合えず言ってみた。
 「はぁ??????????」

妹の反応だ。
ありえないって顔をされて、
信じられないって顔をされて、
この人、何を言ってるんだろう?って顔をされて。
そして次の言葉を聞いて、愕然とした。

「お母さん、向こうの家に挨拶行ってないから、まだ決着ついてないと思ってるよ(私もだけど)」

はぁ????????
今度はこっちの番だ。
この人たちは、何を言ってるんだろう?
意味が解らなかった。

自分が向こうの家に「娘がご迷惑をお掛けしました」と
ごめんなさいをしに行かない限り、『離婚』の事実は、まだ未解決なのかい?
意味が解らない。

私は、モロモロのファクターがあったにしても、あの家で発病し、苦しみ、死のうと思い、
生きる為にあの家を出て、今まで生き残って頑張ってきて、やっと幸せだと感じてきたところなのに。
やっと自分が好きになって来たというのに。
あの(善人ではあるが)諸悪の根源の家の人たちに向かって、
自分の娘をうつ病という病気にされた あの家族に対して
申し訳ありませんでした と言う事が、母親のけじめだと言うのか?
娘と二人で 謝りに行って 初めて離婚が成立するのだと本気で考えているのか?
母にとって、それが正義なのか?
母にとって、それが常識なのか?

いかん!ここにいては、不幸が移る(その他のモロモロの不幸話を聞かされていたし)と思って、逃げ帰った。
血が冷たくなった。

teaに言うと、まぁ家具やらが向こうにあるし、問題はあるわな。ってゲラゲラ笑って、
まぁ、そうだよなって、私もゲラゲラ笑って。

この家には、青虫を観察して大きくなるのを楽しみにするような平和さがあり、
山に登ったり、公園を散歩したりして、季節を感じる幸せがあり、
季節の食べ物を美味しく笑いながら食べられる幸せがあり、
意見を戦わせたり、楽しいお喋りをしながら床につく 平和な眠りがある。
ファイティングポーズを日常的にとる必要のない 平和な生活がある。

確かに家具は置きっぱなしにしてある。
それは、私が甘えているせいもあるが、うーたんが病んでいるせいもある。
神経症のうーたんは、『そのにあるもの』が、なくなってしまうことが怖い。
私の荷物がなくなってしまって、離婚が決定的な事実として 空いてしまった空間を見ることによって思い知らされるのが怖いと言った。
現実を見るのが怖い。
だから、置いておいて貰った方が助かると。

そういう事情も知らず(まぁ軽くしか教えてないないんだから当たり前だが)
私が一方的に我侭を言って家を出たにも関わらず、
(本当は一番困っている時には、怒鳴る以外何もしてくれなかったのだが)生活費を援助してくれて、
私のことを心配してくれる 私より頻繁に私の実家に顔を出す元夫くんに肩入れをし、
うーたんが 壊れていく『さま』を見(本当は、とうに壊れていたんだけど)
迷惑を掛けたと謝ることで、『自分の娘が』という贖罪をしたい。
そこには私の姿は ない。

母が言った言葉。
何でも言って。
夏海ちゃんが、言ってくれたら、何でもするから。

『何でもする』
それは、一緒に相手に挨拶に行くことだと、勝手に使命感に燃え、
未だ私が挨拶にいけないのは、私が病んでいるからだと思っている母と妹と。


昨日、迎え火の日だった。
実家に行こうか ずっと一日迷っていた。
teaの姉一家が来ていて、一日teaの実家で犬と遊びながら、夕方迎え火に行こうか迷っていた。
犬たちがいて、子供らしい子供たちがいて、ゲラゲラ笑って、何一つ不幸の影のない平和な一日だった。

結局行かなかったのだが、夜シャワーを浴びて 「迎え火に行けなかったな」って思ったら、やっと泣けた。
声をあげて いっぱい泣いた。

お盆休みの間に、うーたんの家に出掛けてみようかなと思っていたので、
うーたんは、たぶん誘われると 躊躇なく「別に良いよ」って言うと思い、
母がそんなに挨拶がしたいのなら、ランチでも一緒に食べに行って、願いを叶えてやろうかとも考えた。

私の幸せを願っていると言いながら、私を病気にさせた相手に何を謝るのだろう?
私を病気にさせた家族に 何を謝らなくてはならないんだろう?
私は あの家にいたら、今頃死んでいた。
私を殺したあの家で、私は殺されていた方が母にとって良かったんだろうか?
そう思った途端に涙が出た。
私は殺される。
あの輪から出られて良かった。
私が死にたかったのは、あの家で20年以上も育ち、母お気に入りのうーたんと母理想の結婚をし、
母理想の娘に変身したせいだった。

私は ずっと洗脳されて育ち、そこから抜け出す為には死ぬしかなかったんだ。
死ななくても良い方法を誰も教えてくれなかった。

ずっとずっと 呪いにかかっていた。
死ぬように 仕組まれていた。
『愛しているのよ』との 甘い言葉で縛られて。

母性嫉妬の存在にたどり着いていて、私は幸運だった。
私が死ななくて済んだのは、祖父母や伯母夫婦に 夫婦が愛情で結ばれている家庭で育った経験があったからだった。

私は 母に殺される。
私の敵は、父だけではなかった。
私は 本当は解っていなかった。
そして、今度こそ 本当に心から やっと気が付いた。
このままでいたら、私は 母に殺される。


実家での出来事を土曜日に『PO』で話した。
sea姉さんは、「実家に対して、あなたは『ドライモン』になりなさい」って言った。
(ドライモン = ドライな感覚の人)
「なっちゃんは、なっちゃんで幸せになりな。
そして、実家へはドライモンになって、何があっても、何を言われても心を動かさないように強くなりなさい。」


私はあの不幸のサークル(輪)から抜け出せて幸せだ。

お風呂で泣いている私に気がつき、teaが声を掛けてくれた。
「一人で泣いていないで、早くあがっておいで。」
しゃくりあげている私に何を言うでもなく、何をするでもなく、ネットの釣り情報を見ていて、
暑いのに背中にべったり張り付いてしゃくりあげている私を 泣き止むまで放っておいてくれた。
私が 私の意志で 喋り始めるまで。
私が落ち着くまで。
HPを見ながら釣りの話を少しして、
「さぁ寝るよ。早いけど」って言って、お布団の中で話をした。

私は殺されるって言ったら、teaが、何も食べられやしないだろうから、安心しなって言った。
それに夏海ちゃんを食べても美味しくないと思うぞって。
赤味の筋肉と、脂肪がぱっきり割れていて、美味しくないと思うぞって。
美味しくなるように、マッサージしておくよって、ちゃんと霜降るようにマッサージして、
いざと言う時に、teaに美味しく食べてもらえるようにするよって言って、
あ...teaは、赤味の方が好きだったんだよねぇ。
固くて、たくさん噛まないといけないようなお肉が好きなんだったよねって言って、
なぁんだ。今が好みのお肉だったんじゃんって笑って。

「テトもいるから、大丈夫だよ。テト、可愛いでしょ?」ってteaに言われて、
私は 何て幸運なんだろうって思った。

呪いとは、ここまで凄いのか。
私はもう実家へは行けない。
あそこに行けば、私にはまた 死が付き纏う。
真綿で首を絞められて、殺されるのを待つのはごめんだ。

直りかけた心の傷に 塩やタバスコを摺りこまれ、タワシでゴシゴシ擦られて、また血が噴出す。
それも笑いながら 気持ち良い?って 満面の笑顔で聞かれて ゴシゴシゴシゴシゴシ

私は 私の人生を もう自分の意思で生きても良いだろう。
もう十分苦しめられたんだから、
もう良いだろう?もう十分だろう?

死ぬことよりも 生きることを選んで 婚家を出たんだから、
生きる為に 親を切っても良いだろう?
親不孝だと 誰に言われても言い。

私のことを親不孝だと言う人は、私を知らない人だから。
私は 私が一番大切だ。
私を殺そうとしている親よりも、自分の人生の方が大切だ。

『PO』で言った私の言葉
私はもう死んだと思ってくれ!
死んだと思って、諦めれくれ!!

ここまで頑張ったんだから、
私は もう 私の人生を生きても バチは当たらないだろう。


2006年08月11日(金) 金華山へハイキング with 紅葉&noby

10日からお盆休みに入りました。
1週間って、長いーーっ!
軽井沢&PC購入と、お金を使いまくった私としては、お盆休みは地味〜に過ごさねばって思っていて、
そこへも行く予定もない、お金を使えない休みが、1週間...!
どうする?オレ?!って感じだったのに、
もう2日が過ぎてしまいました。
お盆休みに入る前に、職場のみんなで、上司のお友達のお店へ出掛ける『お食事会』を企画し、
その席で、はずみでなぜか「金華山へ行こう!」ってことに決まって、
それなら、近所だし、nobyも誘う?ってことで、
(同僚の紅葉ちゃんは、nobyに癒されていたので、自分から連絡を取ることはしないけど、気にはしていました。)
紅葉ちゃんとnobyの3人で 金華山へ行くことに決定しました。(不思議な組み合わせだー)

夏の登山は暑いので、早めの時間に登って降りるってしないと、暑すぎて熱中症が出てきたりして危険なので、
(十分遅いのだが)紅葉ちゃんに私の街の駅で9:00に集合。
nobyとは、金華山へ9:30集合ってことで予定を立てました。
とっても汗をかくので、着替えのことを言うのを忘れていたのと、
山登りに最適な服というと、汗をかいてもいつまでも濡れていないコットンじゃない服って説明も面倒臭かったので、
私の服を持って行って、駅で着替えて貰いました。
(色の配色が ダサダサでごめんよ ^^;)

汗を放出できないと、体の中の温度が下がらない。
それでは熱中症になりかねなからね。
それと、いつまでも濡れたままの服では、体を冷やしてしまって、これも体に良くない。
(今は夏なので、よっぽど大丈夫だけど、秋や冬は低体温になるからね。)
何だかんだで駐車場に着いたら、9:45。
おっと!遅刻しちまったい!って思ったら、nobyからメールが。
遅い!ってメールだと思ったら、こう書いてありました。
今、金華山付近にいます。(迷ってしまったので)
ナビに入れるのに、目印になる 何か建物を教えて下さい。

...nobyは、相変わらずnobyなのね。
連絡したのは直前ではなく、そこはnobyの地元。
学校の遠足で、1度や2度くらい登ってるよなぁ。
花火で有名な場所だし。
しかも、メールで変なことを書いてたから、不安になって、山の北側の川のある方の駐車場に停めるよって送ったのに。
もし行ったことがなくても、普通地図見て、調べるよなぁ。
待ち合わせ時間に間に合うように、道に迷わないように事前に調べるよなぁって思って。
で、電話をしました。
「いま どこにいるの?」
「金華山ドライブウェイです」
んっとーー
登山するのに、その山の上に車で登ってどうするよ?少なくとも普通山すそを走るくらいの頭はないのかい?って思いながら、
駐車場の横にあるコンビニを教えました。
確か金華山ドライブウェイの入り口辺りは、一方通行だったよなぁって思って、
どれだけ迷って来るんだろう?って思っていたら、15分くらいで到着したかな。

待っている間にコンビニで買い物をしました。
汗が出るので、塩分の補給っちゅうことで『アクティブダイエット』をね。
塩分が体から出切ってしまうと、体の体温を下げない汗に変わり、
体の中の熱を放出できなくなり熱中症になる危険があります。
登山中に足がつるのも、塩分が足りなくなるのが原因だそうです。
そう紅葉ちゃんに説明をして、水ではなくスポーツドリンクをすすめて、
それならば、痩せられる(ウソウソ)アクティブダイエットをと (実は私も持参 ^^;)

駐車場に到着したnobyは、すでにテンパっているので、まずは黙らせて後ろを振り返らせ、
「駐車場は、あそこだからね。気をつけて走るんだよ」って言って、私と紅葉ちゃんは歩いて駐車場へ行きました。
無事出会えたところで、公園のトイレへ行って用を足し、
いざ登山開始...何時出発だったんだろう?

私が先頭でサクサク歩き初めて、ハッて気がついて、
私が先頭で歩いてたら、私のスピードで歩かなきゃいけないじゃん。
それじゃー歩きなれてない二人は大変だーって思って、紅葉ちゃんを先頭に 私が2番目その後ろにnobyという順で歩き始めました。
いつもは 私が一番『ヘナチョコ』なので、「大丈夫?」って気を使って貰うのですが、
今日は私が一番経験者なので、どうして良いのか困りました。

金華山は300mちょいの低山で、その中の一番メジャーな『ハイキング』コースを登ったのですが、
二人とも登山をしている感覚ではなく、紅葉ちゃんは、(何と!『冒険部』出身!!)上手に歩いているんだけど、nobyは がむしゃらに あきらかに疲れる歩き方をしていて、
低い山で、疲れたらロープウェイで降りたら良いやって思って、半分くらいまでは歩き方をわざと教えないで疲れさておきました。
疲れる歩き方・・・
nobyの歩き方は、足を高い位置に置いて、よいしょって登っていく 体の上下運動や、屈伸を思いっきり使う、体重を片足に乗せる歩き方です。
そして、前の人に関係なく、ガシガシ登って行って、つまっては止まるを繰り返し、
前の人に圧迫感を与え、自分は同じペースで歩けない 最悪な歩き方でした。
それは、nobyの性格そのものです。

途中、展望が開けて、眼下のきれいな景色が見える『ビューポイント』で休憩したときに、
「できるだけ 小刻みに少しずつ 体の上下動をしないで歩くのが、疲れない歩き方だよ」って教えました。
紅葉ちゃんは、無理しない足の高さに足を置いて、力を使わないで良い登り方をしてて、上手に登ってるよって。

『ハイキングコース』とは言え、途中何度も『危』のマーク付きの岩場があり、
紅葉ちゃんの口数が少なくなり、不機嫌になってきました(笑)
休憩する?とか、景色を見る?って誘っても、「ここで止まりたくない」って 
最後なんて、「景色なんて、どうでも良い!!」ってね ^^;

やっとお城の石垣が見え、頂上だよって言って、登り切ったら、
「嬉しーーい!」(やっと もう 登らなくても良いーーー!!)って叫んでました。
紅葉ちゃんは、イイキャラしてて、可愛いです。

ベンチに座ったまま、動きたくなかったらしく、お城の入り口にあるお城しか見えない場所で休憩タイム。
まぁ、ビューポイントのベンチは、日向だから、暑いわなぁ ^^;
11:30というのに、お腹がめっちゃ空いてきたので、レストランでカレーを ^^
カレーを食べながら、nobyの家族みんなが 今現在 どれだけ病んでいるかの話をし、
そーじゃないかと思っていたんだけど、やっぱりみんな病んでいるのねって それぞれの良いキャラの話を面白おかしく聞きながら、食事しました。
話に興味がなくなると、紅葉ちゃんは ロコツに『話を聞いてないオーラ』を出します。
あまりにnobyが暴走して、紅葉ちゃんの興味がない話になり始めたら、ちょこっと軌道修正して、
おもにnobyにお喋りさせる方向で会話をしました。

カレーを食べ終えて、またもや休憩タイム。
やっと紅葉ちゃんが動く気になったので、紅葉ちゃんリクエストの『リス園』へ出掛け、リスにえさを与えながら、紅葉ちゃんは写メを撮ってました。

さて、降りるかって下山を始め、最初は紅葉ちゃん先頭だったんだけど、どうも様子がおかしいので、
私が先頭の方が良い?って聞いたら、「うん」って言ったので、
今度は私・紅葉ちゃん・nobyの順で降りることにしました。
岩場への足の置き方が判らないので、私が降りる姿を見たかったって。
そうじゃないかって思ったよ。もっと早く気が付くべきだったね。ごめんね。
で、私は良かったんだけど、紅葉ちゃんにはプレッシャーになるので、
nobyに、前に詰めて来ないようにって、自分のではなく、紅葉ちゃんにプレッシャーを与えないように、
紅葉ちゃんのペースに合わせて、間隔を開けて降りるようにって言いました。
nobyにとっては、
プレッシャーを与えること = 背後に立たれること で、
背後に立たれると、プレッシャーになり、横を歩くならレッシャーにならないと 最後までnobyは勘違いして、
「迫ってくるな!」っていう紅葉ちゃんの言葉に対して、「後ろを追いかけてない」って言い張ってましたが。

下山しながら、会社の人がもう一人、もうすぐ辞めるって話をし、その理由は「この仕事は自分に合ってないから」って理由だって話したら、
nobyが「こんな仕事、合う人なんて誰もいない」って言うから、
(私は好きだぞ)って心の中で思いながら、
edamのように、会社の門を出たら、会社のことなんて、すっかり頭の中から消える人じゃなきゃ、
この業界じゃ 働けないよねって話をしました。
同じフロアに チック(神経症の一種の症状)で頭を振っている人がいて、
その人の頭の振り具合が最近酷くなってきているので、いつ壊れるんだろう?って思って見てるって話をしました。

プログラマーのウツや神経症の発症率は高く、
それは太陽に当たらない仕事であること、
運動するのが苦手で頭脳系の人が多いこと(頭と体を使うことのバランスが崩れやすい)
パソコンという無機質なものが相手であること、
パソコンから放出している電磁波が脳に悪影響を与えていること、
パソコンの残像(目では認識していないが、脳は認識しているので)が、脳に負担を与えていること
長時間残業が当たり前なこと、食生活が不規則になること、食事が『エサ』になってしまうこと
納期が厳しいこと、バグを出してはいけないと言うプレッシャー
などなどなど

だから、気分の切り替えが上手なB型やAB型の人が、プログラマーには圧倒的に多く、
プログラムやバグが夢に出てくる(夢の中で解決することもあるのよーー!)ようなタイプの人は、
プログラマーには向いていない。
ただし、仕事以外に体を使うとかして、体や脳のリフレッシュがきちんとできる『仕事以外の何か』を持っていて、『仕事が生活の全て』ではない人なら、それはそれで全然OKなのだが。

究極の状態になって、壊れていく人を何人か見ているし、話もそりゃー沢山聞いている。
窓から飛び降りようとしたのを止めたとか、
何かわからない言葉を叫んで、走り出して、3日間くらい行方不明になった話やら。
「気がついたら、会社と反対方向に走っていたんですー」って 1日行方不明になった子もいる。

どの業界もそうだが、この業界は あきらかに合う、合わないがあり、
nobyは合わない人、今度辞める人は、『自分』というものを確立しているので、合っていると思うのだが、仕事が嫌いなら し方がないやね。
歳のこともあるし、初心者としてやり直せる年齢が、どんどん迫っているし。

で、nobyに、昔から思っていた「あなたには、介護の仕事が合っているのでは?」という提案をしてみた。
nobyの 『最近何かに目覚めて「天使が」とか言い始めた姉』が老人介護の仕事をしているらしい。
その姉の話を聞いているから、介護がどれだけしんどいか 介護の現場がどれだけ酷いかを力説していたが、
あなたは 人と会って、人と接して、「ありがとう」と言われる仕事をしなさい。ってアドバイスしました。
子供好きではないけれど、子供の相手が上手なので、子供相手でも良いんだけど、
なぜか子供より老人の方が良い気がしてます。
それは、(私が現場にいないからよく分かってないのかも知れないけど)時間がゆっくり流れている気がするから。

上下女に挟まれた長男。
両親もそのうち歳を取るし、覚えておいて損はないぞって 職安の講座を薦めてみました。

☆☆(会社名)を辞めるか、職業訓練所に通うか、迷ってるって言うから、
ん?学校って、会社から通わせてくれるの?そういうシステムがあるの?って聞いたら、
いや、会社のじゃなくて、職安のだって言うから、
んじゃ、どっちにしても、会社辞めるんじゃん
じゃぁ、答えは決まってるんじゃん!って言ったら、
その瞬間、nobyは、「自分は会社を辞めることを選択していたんだ」ってことを自覚したみたい。
自分のことは、見えないもんだね。

コンビニで朝会ったときに、ロレツが回ってなくって、怪しい喋り方をしていて、
ああ、ヤバイなぁって ここまでの状態なんだ、これは 薬のせいか?っ思ってたんだけど、
喋り方がどんどん普通になってきて、お腹から声を出すようになってきたので、
「気がついてる?喋り方が変わってきてるよ?」って言ったら、本音で喋ってるからだって言ったので、
口調や内容じゃなくて、発音の仕方が違ってきてるんだよって教えました。
口先だけで喋ってたけど、お腹から声が出るようになったんだよって。

登山という運動をしながらお喋りをしていると、「喋ること」を意識しないと声など出せません。
ゼーハー ヒーハー状態なので、『言葉を出す』ことを(無意識ながら)意識しないと言葉にならないのです。

自分の進路が見えてきて、ちょいと元気になって、
日ごろ全然人と喋ってないって言ってたけど、今日は たくさんお喋りして、
自分の考えを人に喋って、
家族の困ったことを人に喋って、ネタとしてオイシイと笑い飛ばされて
心の中身を声を出して 口から外に吐き出すという行為は、やっぱりとても大切なことだなぁって改めて思いました。
誘ってみて良かったです。(それも 引きずられるから、私一人では無理だったので。)

駐車場に着き、別れの挨拶をしていたら、朝の声に戻っていました。
口先だけで発音している ロレツが回っていない声。
毎日 山に登りに来なさいって言っておいたけど、たぶん無理かな。
すれ違う人に、「こんにちは」「おはようございます」って言う
それだけでも違うのにな。

聞いてみたら、男友達は1人しかいないらしい。
「悩みを相談する」目的だけではなく、言葉を吐き出せる人がいないのが、一番の問題だから、
友達を作る方向で頑張ってみるようにってアドバイスしてみました。

紅葉ちゃんと一緒に走り出し、『PO』のエステへ出掛けて、紅葉ちゃんは毛穴掃除(2100円!!)を
私は干してあったお布団を取り込みに一度家に戻ったら、teaがいて、テトの『PO』デビューするかー!って 何か浮き浮きして
でも、本音は紅葉ちゃんを見たかったらしい(決して本音は言わないが 笑)
透さんにしても、一緒にお昼ご飯を食べていたノムラさんにしても、teaは人嫌いを自称していながら、自分から積極的に会いたがる。
面白いなぁって思いながら 二人が話をしているのを見ていたよ ^^

夜、筋肉痛が始まって ちょいとホッとしました。
(久しぶりにクライミングをしたら、2日後に、御岳登山のときは、半日後に筋肉痛だったので、ちょいとお歳を感じていたのさ ^^;)


2006年08月10日(木) ずっと ずっと ずーっと

●夏海(330) 題名:ずっと ずっと ずーっと 投稿日 : 2006年8月10日<木>08時11分 返信

忙しかったーーー
って言うか、難しかったーー

先週の土曜日は、持ち越した問題で午前中出社
午後から講義で 何だか チンプンカンプンなものを 眠気と戦いながら聞いて
今週は 毎日毎日『わからない』から 上司に質問しに行くのに、
反対に質問返しされて、キーーーーー!ってなって、
一昨日は、
『分からんもんは、分からんのじゃーーー!!』って友達にメールしたよ。
上司に「透さんなんてキライだーー!!」って言ったら、
「キライって言われた〜 ばんざーい!」だって。
確かに『キライ』って言われると、ガッツポーズする人だけどさ。
もう少し優しくしてくれたって...(;_;)しくしく
って、十分優しいし、面倒見も良いんだけど、
優しさのベクトルが私の欲しいものとちゃうんや。
課題が山積みで焦ってるのだから、いぢわるしないで答えを教えてくれーー!!
 
 
昨日、一昨日家に帰ったら、でっかくなっていた青虫がさなぎになりかけていて、
寝なきゃって思いながら、ずっと観察してました。
昔は毛虫を平気で触っていて、一時触れなくなって、
今 また触れるようになりました。

今年の春に飛び立った蝶は、1匹。
今 山椒の木にいる青虫は6匹なので、今年は羽化が見られる〜って思ったら、
今朝木をみたら、さなぎと まだ茶色い色した ちっちゃい君が2匹しかいない...
犯人は、屋上で ちゅんちゅん言ってる鳥ね。
確かに 丸々太って おいしそうだろうけどさ。
私の可愛い青虫をよくもーーー

私の愛する山椒の木は、見事に『松』?って感じで、葉っぱを食べられて
丸々太った おっきい君たちが全滅。
なんてこったい。


2006年08月09日(水) 逃げ場所になってあげたい

1週間ほど前に
ずっと伝えたかったことを手紙に書いて甥に送った。
それに対して、返事が返って来た訳でもなく
電話があった訳でもない。
甥は来年中学受験を控えていて勉強三昧の日々を過ごしている。
疑ってはいけないんだけど、妹のところでブロックされて、甥っ子の手には届いていない可能性もなくなはい。
なぜなら、妹にとって 私の存在は妹が理解できないところにいる『心が病気』の人だから。
何を送ってきたのだろう?
私に何も連絡をしないで、私ではなく、息子に送られてきた手紙。
妹は、封を開けないでいられるだそうか?
『母親なんだから、(息子を守るために)見る権利くらいあるだろう』
その誘惑に勝てただろうか?
ママにも読ませてくれる?
甥っ子は、否とは言わないだろう。
(たぶん)大好きなママにそう言われて、差し出さない訳はない。
私が知っている限りで言えば、甥っ子は、そういう性格の子だから。


昔から甥は反応の薄い子で、何かしてあげても
甥っ子が本心で喜んでいるのか、
『自分が喜んでいる姿』を見た私(が喜んでいる姿)を見て喜んでいるのかが判らない子だった。
長男で妹が生まれたのが6歳の時。
充分可愛がられて人の顔色を窺わなければならない環境にはいなかったはずなのに。
とても とても大人に気を使っている子供だった。
今回のお受験もそう。
自らの意思で受験をしているのなら良いが、
受験をすることで親が喜ぶと思って(無意識に)受験することを選んだのであったなら。

そして、これを一番心配しているんだけど、
小さい頃から『失敗することを怖がっていた子』だったから、
もしも もしも 来年の受験で落ちてしまったら。

甥っ子は ちゃんと理解して受験に臨んでいるのだろうか?
受験とは、受かる者と落ちる者がいて、
受験を受けることによって、誰でもその学校にいける訳ではないことを。

なぜこれが必要なのか が イマイチ 本当の意味で理解できていないらしく、
頭が悪い訳ではないんだけど、効率が悪く、試験に結果が残せないらしい。
甥っ子が弟と同じタイプの人間なのであれば、甥っ子が『頑張る力』を発揮するのは、中学卒業してからかも知れない。
勉強の必要性や、自分なりのスタイルを構築するまでには、大器晩成型の弟には、それだけの経験値が必要だった。

同じタイプのように見える甥っ子が『頑張る力』を発揮できるのは、今じゃないかも知れない。
子供の時間は 『今』が全てで
でも、大人時間で考えると、人には力が発揮できる『時期』があって、
それが『合う』『合わない』が 『向き』『不向き』があって、
『できること』と『できないこと』があって、当然で、
だから、ことを成し遂げることは『今』じゃなくても良いんだってことを伝えたいとずっと思っていた。

甥っ子と二人っきりでドライブしたり、喫茶店へでかけたりして、妹の監視のないところでじっくり二人で話しがしたいと ずっと ずっと思っていた。


今まで、母親の期待にこたえられないことはなかった。
人生初の精神的ダメージを受けた時に、そこから這い上がっていける心が、あの環境の中で育っているのか不安だ。

期待に答えることによって、自分の価値を感じているのであれば、
人が喜ぶことで 自分が喜んでいるのであれば、
期待に答えられない自分を 甥っ子は 自分の心の中で、どう処理するんだろうか?

そのために、手紙を書いた。
妹のブロックは とても固く、甥っ子と二人っきりで会える確立は かなり低く、
そして、それを伝えなくてはいけない時期が すぐそこに迫って来ているから。



勉強ができても できなくても 大好き。
かけっこが 早くても 遅くても 大好き。
怒っているときも 大好き。
泣いているときも 大好き。
機嫌が悪いときも 大好き。
私は、あなたが あなたでさえいてくれるだけで 大好きだよ。

もう少し大きくなったら、ママや パパや じーじや ばーばや お友達に相談できない 困ったことがあるかも知れない。
その時には、連絡してね。
こう見えても、私は大人だから、助けてあげられるかも知れない。
一緒に どうしたら良いか、考えよう。

どうしたら良いのか分からなくなったら、連絡をしてね。
絶対に助けに行ってあげるからね。



そう書いて、携帯の電話番号を書いた。


大切な時期に 私は 東京へ治療に出かけ、その後 実家へ行けなくなった。
4年間。
子供の4年は、とても大きい。
甥っ子が小学校2年生か3年生の時に会えなくなってしまった。

実家へ行くと、幼稚園の年長さんの姪っ子は 私に会いに階下へ降りてくる。
甥っ子は、わざわざ顔を出さない。

数ヶ月前、あなたを愛しているんだよ。
そう言いたくて(実際は言わなかったけど)「顔を見たい」って言って、妹に呼んで貰った。
そして、ずーっと会いたかったんだーって言って甥っ子と握手をした。
照れたような 嬉しいような顔をした甥っ子。
呼んで貰って、甥っ子に直接会って良かったって思った。

何かあった時の 逃げ場所になってあげたい。
あの家は おかしい。
私は 病院へ行って、お薬を飲んでいるけれど、
精神を病んでいるのは、あの家の大人たちだと思う。

愛する甥っ子 姪っ子が 自分のことを好きな大人になれるように、
人が ではなく 自分の意志で 行動できるよな大人になれるように、
色々な重圧で壊れてしまわないように
「助けて」って言える居場所になってあげたいと 切実に思う。


2006年08月07日(月) 5分だけ抱きしめること

昨日、御嶽山へ登山に出掛けました。
休日だと言うのに、登山者の朝は早い(なぜなら、早く下山しないと日が暮れるから)。
と言っても、5時起きの5時半出発だったんだけどね。

御嶽山は、御岳教の総本山?としても有名らしく、
tommyの登山歴は、小学生の時の御岳教の人に連れられて行ったのが最初の一歩で、
それ以来病みつきになったのだそうな。
小学生から、よぼよぼのご老人(両脇を支えられながら)、子供を背負った20代くらいの若いお母さんや 
祖母?母?の大荷物を代わりに背負った息子(30代くらいかな)と、その息子の娘(小学校5年生くらい?)やら、
登山というイメージとは 全然違った人達で 登山道は 満員でした。
「ご苦労様です」
いつもは「こんにちは」と挨拶するだけなのに、登山者ではなく白装束の参拝者の方々がすれ違うとそう挨拶を交わす。
私達にもそう挨拶をしてくれて、参拝者の方達は山頂に宿泊するのに対して、私達は登山が目的なので、日帰りで登って下りてするので、
「元気だなぁ〜」って反対に励まされたりしました。

人生初の3000m超えです。
酸素がどんどん薄くなっていくのがわかって、
足がどんどん重くなって、持ち上げられなくなりました。
遠回りしても良いから、段差の少ない場所を歩きたい。
足を上に持ち上げるのが 凄く嫌。
あと少しなのに、その少しを元気良く動くことができない。
疲れているんじゃなくて、辛い。苦しい。
足は元気。体も元気。
でも、自分の思うように体が重くて動かない。
それを、子供を背負ってスニーカーで登っている人がいるんだから、宗教(信仰)の力って凄いね。

山頂の神社から、もう一つ上(奥殿?)があって、私は高度的にいっぱいいっぱいだった(頭がくらくらしていました)ので、
友達と一緒に行かずに、二人が帰ってくるのを待っていました。

家族連れがやってきて、小学校高学年くらいかな?の女の子連れで、神殿の前で長い間何かを唱えていました。
小さい頃から、怪しくない宗教が無理なく空気のように存在しているって良いなぁって思いました。
何かを強制されるわけでもなく、自然と人と動物を愛して、
自分と他人を愛して。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
そんな質問などすることなく、真っ直ぐに伸びていけたら。

それが何であれ、絶対的にかなわない『何か』大いなるものが心の真中にあったら、
人を傷つけたり、殺したりしないで良いのに。
そして、自分の信じている宗教だけが『真実』ではなく、
他人さえ、他の宗教でさえ許容できる度量のある宗教であったなら。
もしくは、導く人が曲解したりしないで、昔の教えそのままに導いているのなら。
世界は争いのない 平和なものになるだろうに。

で、御岳教とはなんぞや?って思って、例の如く検索してみたら、こんなHPがヒットしました。
館長?の人の言葉を読んで、こういう事なんだよなって、こういう事の積み重ねが
あるか ないか で、人の形成のされ方が全然違った方向に向いちゃうんだよなって思いました。

帰りに 高速が炎上しているとかで不通になっていて、19号線は大渋滞でした。
私達は大人だから、大丈夫だけど、子供が乗ってるのに渋滞って大変だよねぇって話を車の中でしていました。
子供は我慢することができません。
喉が渇いたって言ったら、『今』飲みたいんです。
おしっこ!って言ったら、もう洩れる寸前です。
お腹が空いたと言えば、『今』食べたいんです。
我慢ができない以前に、直前にならないと要求を言わない。
そこまで成長していないんです。
子供の時間は『今』なんです。未来も過去もなく『今』が一番大切。

館長の言葉は こうです。

『良くある母親の例ですが、子供が寂しさを我慢して親の帰りを待っているにもかかわらず、帰宅すると夕食の準備に追われてしまい、子供の気持ちなど理解せずに自分の役割を優先してしまっている方がほとんどではないでしょうか。
食事の準備をしている母親の背中に向かって話しかけても取り合ってもらえず、おまけに邪魔者扱いまでされてしまう子供の様子を思い描いて下さい。
母親の対応する言葉は、 「後でね」  「待っててね」  「うるさいわね!」  ・・・・・身に覚えのある言葉ではないでしょうか?』


そしてこう続きます。

『「子供が話しかけた時が親を必要としている時なんです」       
ですから 「五分間」 子供に時間を与えてください。
我が子を優しく抱きしめて、話を聞いてあげてください。
たった五分夕食が遅れたとしても、誰が文句を言うのでしょうか。

この 五分間 の繰り返しですが、必ず何かが違って来るはずです。
こんな単純な事で・・・・・と思われる方もいるとは思いますが、これだけでいいと言っているのでは無く、あくまでも一つの方法として考えてください。
この事が習慣になるまで、毎日面倒がらずに実行することはとても大変なことですが、自分の意識が子供に向けられているかどうかのバロメーターになるとも思います。  
言うまでもなく、面倒になってきたと言うことは子供に目を向けていないことだと認識すべきでしょう。』


子供が本当に求めているのは、話を聞いてくれる誰かがいることではなく、
その人(親)が自分を見守っていてくれること。
自分を放ったらかしにしないで、自分の方を見ていてくれているかどうか?
自分の仕事を後回しにしてまで、私を優先してくれるかどうか?
家事などを中断して、抱きしめてくれること。
子供にとって、それは 何て素敵なことなんでしょう。
この人は信じても大丈夫な人か?
それを見る為の最初の一歩は、その人と比較する対象は、親の姿なんですよね。

山の帰りの車中で話していた、「子供がこれって言ったら、『今』なんだよね〜」って言葉。
その言葉 そのままが載っていて、あまりのタイミングのよさにびっくりしました。

何か話したいことがあるようだ。
それは、『今』なのか『後で』でも良いのか。
きちんと見分けて、きちんとゆっくりと話を聞いてあげられる心の余裕を持ちたいと思います。

HPはこちら。
http://homepage3.nifty.com/na-ontake/index.htm

今日の日記の内容は、『頭と心』に書いてあります。

良い話と、怪しい話が満載で、アヤシイ物好きの私には 結構楽しめるHPです ^^
うつの方の、『幻聴』の話は、なるほどなぁって思って。
『何かに憑かれた』からお祓いを!っていう 怪しい宗教ではなく、
きちんと考え、対応していて、人間として 素敵な人だなぁって思います。


2006年08月03日(木) 『昨日ね』

『昨日ね』
こういう題名で同僚へ送ったメールを発見しました。
日付を見たら、
2005年8月4日

夏と言う事で、日記に転記します。
『PO』で、この間『熱中症にならないため』には、塩分を摂ること。
それも、塩ではなく、吸収の良いスポーツドリンクが、山登りには良いという話をtommyから聞きました。
熱中症には みんなも 気を付けてね。




題名:昨日ね

「ためしてガッテン」でやてたんだけど

熱中症になるメカニズムは、汗を大量にかいた時の
体内の塩分濃度が低下することによる
「汗をけない状態になる」体温の上昇の為におこるんだって。

汗をかく→気化熱によって体温を下げる
って働きをするんだけど、
汗をかくと 塩分も一緒に排出されるのね。当然だけど。
で、塩分が体内に不足すると、水分を入れても
汗として か 尿として体外に排出されるだけで
体内に取り込まなくなるんだって。

だから、水分だけ摂ってもダメらしいの。
水分と一緒に 塩分も取らないと、体内に吸収されないから、
多量の汗をかいた時には塩分も摂りましょうとのことです。

とね、
日ごろ 汗をかく習慣がない人は、
「(汗をかいて)体温を下げなきゃ」って脳が命令を出すのが遅いんだって。
んでもって、でも大量の汗をかくんだけど、
それは気化熱として蒸発しないタイプの汗らしくって、
だから、どれだけ大量の汗をかいても体温を下げないらしい。

私が 部屋に入ったとたんに 寒いって言うでしょ?
あれ、汗が 凄い勢いで蒸発するから、寒くなるのね。
ああ!そんなメカニズムになってるのかーーって昨日初めて知ったよ。

タロウさん、大量に汗をかくけど、
たぶん 体温を下げないタイプの汗をかいてるんだと思うの
だから、私に付き合って外に出てて、毎日軽い熱中症になってたんじゃないかな

汗をかくことに 慣れる のが 
熱中症にならないような体を作るためには 必要は 必要らしいから、
少しずつ 外にいる時間を増やしていこうね。

と、いうことで、今日は ユニクロへ お昼休みに行きましょう^^




そして この日のお昼休みには、二人でユニクロへ出掛けて、
汗を吸収&放熱してくれるシャツを見繕って タロウさんに数枚買わせたのでしたマル
もう一年経つのね。
懐かしいなぁ...

一緒にお昼ご飯を食べてくれていたタロウさんは、違う会社へ行ってしまい、
もう1年が経つのね。
早いなぁ...


2006年08月02日(水) 女であること

友達からメールがありました。
友達の友達が パートナーの暴力にあっている。
私は直接の知り合いではないので何もしてあげられないけど、
相談にのってくれる場所と、共依存の関係になる危惧を友達に知らせてあげてねってお返事を返しました。

友達の友達の生い立ちをほんの少し聞いた私のイメージですが、
彼女は碧色(みどりいろ)のイメージです。

何となくですが、女であることを嫌がっていて、女である現在に不自由を感じていて、
今度生まれ変わったら、絶対男に生まれ変わるんだって そう思っている感じがします。
自分の性を認められないことは、不幸です。
(これは、心が異性という『性同一性障害』の問題とは別と考えてね)
男性の心を持っている訳じゃなくて、
女性であることの不自由さ、女性であることでハンデを背負っていると思っていると思って過ごすことは、精神衛生上よろしくない。
女性に生まれたからには、女性ならではの楽しみ方や 面白みを感じて欲しい。
そう思って、これは、そのお友達へ そして女性であることに不便さ(怒りかも知れない)を感じている人達へのメッセージです。
(んっとー 男性には ちょいと不愉快かも知れないです ^^;)


私もずっと 女であることを不便だと思っていました。
(腕力としての)力はないし、自分の力で道を切り開いていくことができない『弱い存在』だと。
父親の横暴さを見て育ったので、そう思って『強くなりたい』と ずっと思って育ちました。
父親は、自分がなりたかった弁護士という憧れの職業に 私をつかせようとしていた時期があり、
『女弁護士』という言葉の響きを 『格好良い』と 何度も私に入れ知恵しました。
格好良いから、『女弁護士』になれ
美人○○
女○○
男は 何も形容詞は付けられないのに、女性は頭に美人やら女やら 余分な形容詞が付けられます。
その昔
女性が表立って働くことを良しとしなかった時代に
『女だてらに』(女のくせに)男に混じって働くなんて と男からも 同性である女性からも 特別な目で見られていた時期がありました。
その名残を今でも背負っているのでしょうか...?
女医さん(男医とは言わないよね?)とか
看護婦さんも、保母さんも、男看護師 男保父なんて、女性が多かった職場に男性が進出して来ても、頭に『男』と形容詞が入ることはない。

女であることは、何て不便なんだろうって思ってた。
思春期に入り、胸が大きくなると、その大きさで好奇の目にさらされ、
根拠のない 『頭がわるそう』などと言われ、ちかんに合い 夜道の背後にはいつも怯えていました。
今現在でさえも、公務員意外は、お給料の男女格差の何て大きいことでしょう。

私の友達も同じでした。
女であることが嫌だったって言ってました。
何もできないからと。
彼女は「お前は 一人では何もできないんだから、家から出るな」(自分の傍を離れるな)と父親に言われて育ったのだそうです。
ずっと、自分は 何もできないダメな子だと思って大人になり、
会社に就職したら、みんなが自分に仕事を与えてくれて、それを普通にこなすことに快感を覚え、
私は何もできなくないんじゃん!!って、20歳を過ぎて初めて知ったと言っていました。
凄く楽しくて 嬉しかったと。

その友達と もう一人の友達と私と3人は、よく食事に出掛けました。
色んなお店に食べ歩きをし、新しい場所を知ったら誘い合って よく出掛けました。
3人とも 食べるのが大好きで、料理をするのが大好き。
食事をしながら、これは 何で味付けしてるんだろうねぇ?なんて話をしながら わいわいと美味しく幸せに食事をしていました。

美味しいものを 楽しい人と一緒に食べることは とっても幸せです。
「はぁ〜 幸せ〜 女に生まれて 良かった〜♪」って私が言うと、彼女が言いました。
「あっ!そうだねぇ。今まで 女になんて生まれるんじゃなかったって思ってたけど、そうだよねぇ。
男同士だと、こんな場所には 来れないよねぇ。
いつでも好きな時に 気の合う友達と食事ができるって、女の特権だよねぇ」

edamが言います。
「女は、少しずつ 色んなものが食べたい」のだと。
edamの彼女は少食なのに、色んなものを食べたがり、その残りを食べるので大変なのだそうな。

で、質問しました。
「男の子同士で食事をすると、注文したものをシェアし合わないの?」って。
女の子同士で食事に出掛けると、多くの場合、メニューを見て、注文するものが重ならないように注文します。
あれも これも食べたいから。
みんなで違うものを注文して、みんなでシェア(分け合い)します。
カップルだと、女の子に 「ちょっと味見をさせて」 とか言われてシェアしている光景を見ます。
男の子同士だと、居酒屋でない限りって言うか、居酒屋でさえも、これは俺が注文した皿って感じで、
自分のもの 人のものって 誰かの注文を当てにして 自分の注文を考えることはしないのだそうです。

イタリアンや フランス料理、おしゃれなカフェなど、女性同士で気軽に行ける場所も、男の人は 男同士で行き辛いと言います。(だよなぁ...何となく)
女性同士で旅行に出掛けても 好奇の目で見られたりしないのに、男性同士で泊まりで旅行となると、(それがアリ・ナシに関わらず)邪推されたりしたりして。
そう考えると、女性であることの 特権って 結構オイシイなぁって思います。


また、私達女性には『生理』があります。
1ヶ月に1週間も鬱陶しい日があって、それも激痛で動けなかったりしたので、女ってやだっ!!
生理なんてなくなれば良いのにっ!!!って ずっと思ってました。

でも。
この生理のお陰で 私達には 体内に時計があることを感じることができ、
生理のない男性にはできない 色んなことを 知ることができます。
ニオイに敏感な時
体温の調節ができない時
眠い時
ダイエットの周期(痩せる時期、痩せない時期)
お薬を減らす時期、止める時期
この体は劇的に変化するために、更年期がとっても判りやすく、
現在は男性も更年期があることが判ってきているけど、それが更年期なのかどうかの判断は、女性のが圧倒的に有利です。
生理が来ないことによって、体調が悪いことがわかり、
生理が順調に来ることによって、体調が良いことが判る。
1ヶ月に1回来る このリズムによって、毎日の変化に敏感でいられるんです。
(365日 どの日も同じ男性には、きっと解からない感覚でしょうね)


んでもって、仕事。
私の友達で、性同一性障害(う〜ん どうも差別っぽくて嫌だなぁ)
戸籍は女性なんだけど、男の子の友達がいます。
もう何年もの付き合いで、とっても礼儀正しくて、とっても『普通』です。
特に 男言葉を喋る訳でも 乱暴だと言う訳でもなく、本当に『普通』です。
ただ、スカートを履かないだけで。

スカートを履かなくても、女性は奇異の目で見られない。
女性には、ズボンを履く権利が スカートを履く権利と同じく『普通』にあります。
それに比べて、男の体を持ってしまった女の子は、大変だなぁって思います。
男性がスカートを履いて外を歩くことは、やはり勇気がいることでしょうから。

でね、仕事。
その気になったら、女性は 何でもできます。
そうね。
自分で自分を貶めたり、嫌いにならないのであれば、体を使ってお金を稼ぐことも可能です。
男の子の心を持った友達も、普通に働いています。
そう言った意味では、不自由さはありません。

掃除のおばちゃん、家政婦さん
今でも女性の需要が多い仕事はたくさんあり、
その上 今まで男性の職場であった運転手や警備員などの肉体労働でさえ、女性の姿が目立つようになってきました。

そして そして
女性が 女性であるだけで、国は 県は 市は その生活を保障してくれます。
補助と言う名のお金を援助してくれるのです。
住む場所さえ与えてくれます(一時的でしょうが)。

今の時代、女であることの方が、どれだけ自由なのかと思います。
私はうつになってみて、うつの男の人って、大変だよなぁってつくづく思います。

仕事もそう。
体調の良い悪いを測るのも、自分のバイオリズムを見付けるのも、お薬を減らしたり 止めたりするタイミングもそう。
女性の方が 自分のバランスをコントロールすることが『生理』があることによって、男性より上手くできるような気がします。

男になる必要なんて、何もなくて、
自分が女であることを認め、容認し、
もっと狡猾に 女であることを 生かしていったら、
もっと もっと 楽になれると思います。

自分が 自分であることを否定しないで下さい。
あなたを押さえ付けていたのは、『男』ではなく、『その人個人』なんです。
あなたが男にならなくても、あなたが男であってさえも、その人は あなたを押さえつけていたでしょう。
だから、どうか過去の傷を背負って、自分で自分を傷つけるのは もう止めにしましょう。
もっと頭を使って 上手に戦うことを覚えたら、女であることは 何て有利なんだとろう思うの。
女こそが、自分の意志で男にもなれ、女にもなれる 『自由な性』なのですから。

どうか 自分が女であることを否定しないで下さい。
自分を肯定して、冷静に考ることができた時、そして過去の傷を乗り越えらえた時、
自分から喧嘩を売ることなどしない
暴力で愛情を測ることなどしなくてもいい、
穏やかで 平穏で 本当の意味での愛情を得られると思います。




ゲスト さくら色さん (ありがとう ^^)

◎さくら色(329) 題名:おつかれさまです^^ 投稿日 : 2006年8月5日<土>23時58分

夏海さん こんばんは
日記読みました〜^^

女であることに不自由をかんじる・・・
確かに言われてみればそう感じているかもしれません。
私も次は、どちらかというと男に生まれたいし・・・。

夏海さんからのメッセージはいつも私の心に
ヒットしまくりですよw
ホント、自分でもびっくりするくらい^^
素直に、すぅーと私の心に入ってくるんです。
この出会いに、感謝感謝♪


夏海@夏海のお部屋 |★お手紙★夏海のお部屋★

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