★ 夏海の日記 ★

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2002年12月11日(水) 私の最大のトラウマ

いや〜
久しぶりに 大泣きしましたよーーー
この前の土曜日に
東京に居た頃は、毎日のように泣いていたんだけど
(それも1回に1時間以上も!だから、わたし用にティッシュを2箱 蟹さんの診療室に用意してあったのです!在京中に何箱空けたかしらん ーー;)
ここ2週間ばかり 体と症状に合ったお薬のお陰で 何とか安定した生活を送っていたの。そのせいでみんなが気を抜いたんだよね。私も含めて。

東京にいる間、蟹さんから信じられない程の愛情を浴びるほど浴びて、『無償の愛』ってものが この世に存在するってことを知りました。また、鴨川ファミリー(行きつけの小料理屋さんに集まる常連さん達)からも、とても大切に 親切にして貰えた幸せな日々。常連さんたちの 見返りを求められたりしない無償の愛情たっぷりの中で過ごすことができて、『そこに居るだけで許されている存在』でいられる、『私が私でいるだけで良い』空間。全ての心のスイッチを切って無防備でいられる、その心地よさを生まれて初めて知りました。こんな異邦人の私をこんなにも無条件で受け入れてくれる街や人の中で3ヶ月半を過ごして(その頃のことは、またゆっくりとお話しますね)いざ地元に帰るとなると怖くなったんです。あの『他人』の中に帰っていくのか...。それは それは、恐怖に近いものでした。

この家に帰ってからしばらくの間は、小動物のように何に対してもビクビクと怯えていて、何に対しても、どんなことに対しても「怖い」それしかありませんでした。東京のファミリーから1人抜け出して、私にとって『他人』(本当はこちらの方がファミリーなのにね)の中で過ごすことは、それはそれは心細くて、寂しくて、そして怖かった。
何をしても大丈夫なんだ。素のままの私で良いんだ。何をしても受け入れて貰えるんだ。それが東京の私で、小さな子供のように大切に大切に扱われることに慣れきっていて、そう、まるで人見知りをする赤ちゃんのように、同居している義父母や夫にさえ人見知りしたんです。

人見知りって知ってます?
赤ちゃんに初めて自我が目覚めるでしょ?そうすると、知ってる人と知らない他人の区別がつくようになるよね?
そうなると、相手に恐怖を覚えるんだって。この知らない人は自分を傷つけるんじゃないかってね。
で、大抵の子供は、そのうちに人に会うことに慣れてきて、普通の人は自分を傷つけたりしないってことに気が付いて、人見知りしなくなる(まぁ、親の陰に隠れることはあるにしても、泣き出したりしない)ようになるんだって。
東京に行って、蟹さんの元で子供にかえった私の魂は、知っている人 誰に対しても人見知りし、初めの一歩からやり始めないといけなかったんです。
この人は大丈夫。私を傷つけない。私を泣かしたりしない。苛めたりしない。私を置いていかない。どんな私でも嫌いにならない。泣いても良い。怒っても良い。何をしても私は私という存在として許されている。
そう心の底から信頼できて初めて私の東京での生活が完結するんです。その安心感こそが、家が箱(ハウス)ではなく、家族(ホーム)になるってことなんですよね。(そしてそれは未だに完結できてないんですけど...)

家が安心していられる場所じゃないとどうなると思います?家にいられないんですよ。じゃぁどうするか?
私の場合は、自転車でフラフラと一日中 色んなところを走り回るんです。朝心臓をバクバクさせながら起きて、何とか食事ができたらまだまし。朝食を食べられる程度に落ち着けない状態だったら、着替えてすぐさま外出です。コンビニでおにぎりかサンドイッチを買って公園で朝食。午前中自転車で走って、コンビニかお弁当屋さんで何かを買って、食事できそうな場所で昼食を摂る。夫が帰った頃に家に帰宅する──。夕飯なんて作ってなんていられません。自分一人の食事さえ作れない、じっと食べていられない のですから。
同居している家族には、私は東京で食事を作ることができなかった。今もできない。体は大人だけれども、心は小学生程度だと思って欲しい。今はここの生活に慣れるだけで精一杯だから、家事を期待しないで欲しい。私に何も期待しないで欲しいってことを 東京から帰って最初に伝えました。私には傷ついた過去がある。それを癒すには、時間をかけて本当の意味で心から納得するしかないこと、誰も私の敵じゃない、誰も私を傷つけない、そう心から思える生活をさせて欲しいとお願いしました。

自転車で1人で走っていて、止まっていられそうな時は蟹さんに電話をして泣いて、孤独だよーーー寂しいよーーって夫にメールを出して...。そういう生活が1ヶ月半程続いたかな...。朝ご飯を家で食べることができるようになって、洗濯ができるようになって、少しずつお昼ご飯を家で食べることができるようになってきました。
ご飯を作れる私じゃないと、洗濯ができる私じゃないと、お風呂掃除が出来る私じゃないと、部屋の掃除が出来る私じゃないと、○○が出来る私じゃないと...。そういう『付加価値』の何もない、何もできない ただ生きているだけの私でも存在して良いんだってことを 少しずつ体に吸収して(でも、まだ信じ切れてないんだけどね)少しずつ家にいても緊張しないでいられるようになってきました。でも、何の前触れもなく急に不安になって、夫に確認するんです。何もできなくても良いの?私が私であるだけで良いの?って。

ここでの自分の居場所を作るだけで精一杯だったので、帰ってから誰とも会えずにいたんだけど、やっとメンタルクリニックの先生にも会おうと思えるだけの心のゆとりが出てきたので、2ヶ月近くたって病院へやっと行くことができました。東京にいる時にお薬が合わなくなって、副作用がどんどん出てきて、メンタルクリニックの先生に夫から伝えて貰いながらお薬を減らし続けて、殆ど飲まなくなっていたから、何だか怒られそうで病院に行くのが怖かったっていうのもあるんだけどね。だから、病院に行くのも緊張したし、診察も夫と一緒に部屋に入って貰うほど、本当に本当に緊張しまくりでした。....そしてまた薬を増やされた私なのであったマル。ああ...(。。;

例の如く長くなったので、また明日ね(って、これ入力してるの もう年越しちゃって、1月22日だよ〜 汗)


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