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2001年11月22日(木) トゲトゲの棘

その種はずいぶん前から私の胸に蒔かれていたに違いない。


私はどうも、人との距離の取り方が上手くないらしい。
なんだかねー、相手に極力合わせているつもりなのに
いつのまにか目測を誤っているのか
どうも相手の思うスタンスとのズレを感じてしまうのだ。
そうして私は、どんどん深読みして
疑心暗鬼の泥沼にはまる。

いやそんなことより
要は自分がその相手とどのくらいのスタンスでいたいか、じゃないの?
そこんとこを自分の中ではっきりさせないから
後から気がついたその距離感のズレに、イライラしてしまうのだ。

もどかしい。
所詮ネットでの友人なんてメールで繋がっているようなものだし
たとえ、メッセンジャーとかで連絡がとれるとしても
結局返事をしなければ同じではないか。
そんなもの立ち上げなければいっしょだし。

と、今日はかなり穿った物言い。


おまけに私は気分の切り替えが下手らしい。

やれやれ・・・

愚痴っぽくてスマンです。


どこかにいいトゲ抜きはないだろうか?




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2001年11月20日(火) 片づかない部屋

私の母は若い頃から片づけ下手だった。

年取るにつれてそれはひどくなり
というより、段々片づけなくなっていって、実家は物に溢れ
父が亡くなる前など二階の二部屋は、物置状態だった。

私が高校生くらいの頃、東京から所用で帰省した叔父がうちに泊まった時に
部屋の散らかり方を目の当たりにして
露骨に母を非難したことがあった。
私は、私の母を悪く言う叔父を憎んだけれども
同時に
そんなことを言われる母も、ひどく嫌悪した。

現在は、実家に戻った弟がやっとのことで不要な物を捨て
なんとか整理して、二階の部屋も人を泊められるくらいには片づいている。
それでもあいかわらず物は多いが・・・


だから私は結婚したときに
ほんとに物が少ない、シンプルな部屋を理想としていた。

けれどもやはり、DNAには勝てないらしい。
「捨てられない」
これが母の性格の元凶だったのだ、と思い知る。

引っ越すたびに、家族が増えるたびに
私の「家庭」もどんどん物は増えていく。
いつのまにやら
片づかない部屋になっている。

それでも、それが限界点に達すると
「母のようにはなりたくなーい!!」という母への反発が
私の片づけの原動力となるのだ。


ある意味、これも「反面教師」。


2001年11月19日(月) ちょっと重い話だけれど… 夫との関係

もう10日くらい前だけれど、何年かぶりに大学時代の友人と会った。
彼女は隣の市に住んでいるので、会おうと思えばぞうさもないことなのに、なかなか会わず終いだったのだ。
久しぶりにあっても学生時代の友達というものはいいもので、会わなかった時間はたちまちのうちに解消される。
話は尽きることなく盛り上がり、そして私は、自分でも思いがけないことを彼女に言ってしまった。

「ダンナとうまくいってないの」

私自身、特別にそんなことを思い悩んでいたわけでも、いや、というより、そんな自覚も意識も持っていなかったつもりなのに、その言葉は口から離れるやいなや真実みを帯びて私の心に貼りついたのだ。
だからきっと、それは無意識に私の中に沈んでいた小さな棘だったのかもしれない。

結婚して15年目。
その間一度たりとも、たとえ他に好きな人がいても、夫と離婚したいなどと思ったことはないつもりだった。
ずっと何の不満もないと思っていたのに、あることをキッカケに、実は不満があったのではないか?と思いはじめた。
それでも。
もし男と女としての「愛情」がなくなったとしても、嫌いでなければ、ふたりの息子がいるのだから夫婦としてやっていくことは難しいことではないと思っていた。
けれど、夫の長男に対する扱いを見ていて、私の中ではっきりと声がしたような気がする。

友人は、良妻賢母タイプの温厚で明るい人である。
でもその彼女が私の話を聞いて、「ちょっと離れて暮らしてみるのもいいかもね」と言ってくれたのだ。私はなんだかとてもとても救われた思いがした。
いや、何も直ぐさま別居しようとかいうのではない。
うちの夫はおそらく数年のうちには転勤になる。そうなると単身赴任の可能性が高いのだ。
私が心の奥底でそれを…夫の単身赴任を願っても、私はそれに罪悪感を持たなくてもいいのではないか?
と心が少しだけ軽くなった。

それは単に夫との別居ではない。
私たちの夫婦関係・長男との親子関係を見直すための機会、試される期間だと私は思いたいのだが。


2001年11月15日(木) 本日もとりとめなく

うちの夫のわが家において最大かつ必須の任務は、
ゴミ出しなのです。

なんでって、わが家がマンションの10階だから。

この10階からエレベーターを使って地上に降り立つには
私としてはかなり準備が必要なので、ゴミ捨て場までだからとて
ほいほいとは行けないのであります。

以前、マンションの上階に住む子供は
下の方の階に住む子供よりも外で遊ぶ頻度が少ないって
TVで言っていたけれども、それってわかる気がします。ええ。

それはともかく、「それだけは譲れないの!」と言い放つ私に
夫は苦笑しながら「わかってるよー」と頷いてくれましたのです。

双方の同意により承認されました。(?)

わが家では夫にかぎらず、私の真顔でのお願いは
みんなすみやかに聞いてくださる。 

・・・・・よっぽど


怖いんでしょうか?

(怖いらしいです。はははは・・・)


で、何が言いたいかというと、わが家は10階なもので
たとえば、物売りやらが下を通っても
「ちょっと待ってー」と呼び止めるわけにはいきません。

今日もベランダで洗濯物を干していたら
「手作りパンの○○がやってまいりました〜」と
最近時々見かける、手作りらしいパンを移動販売している車が
拡声器で音楽を流しながらマンションの前の道を通過したのだけれど、
たとえ私がその時にいつでもすぐ外に出ていける戦闘態勢であっても
玄関を飛び出して鍵をかけ、ゲイトを閉めてエレベーターのボタンを押し
やっと上がってきたエレベーターに飛び乗って1階へ降りて
玄関ロビーを通り駐車場のある敷地を抜けて、前の道路に出るまでには
どう少なく見積もっても軽く2分以上はかかってしまうので

考えただけで、直ぐさま諦めてしまうのです。


いや、そのパンが食べてみたいなーと
かなり以前から思っているという
ただそれだけの話なんですけどね。(笑)


2001年11月12日(月) こたつdeみかん

一昨日、ちょっとしたオフ会があったもので東京駅まで行った。
冷たい秋雨の降る寒い天候も雑踏の中では全く係わりがないように
土曜の午後の東京駅は人の波であふれていた。

改札口前で友人と合流して、いざ飲み会!と踵を返したら
「愛媛みかん」のキャンペーンで、蜜柑がもらえるというので
人々が行列を作って小さなビニール袋をもらっていた。
ふと見ると、いつのまにか友人ふたりも並んでいるではないの!?

みかんは・・・うちには売るほどある。
なんたって夫の実家がみかん農家ゆえ。
いま収穫のまっただ中である。手伝いには行けない(行かない)けれど
しっかり送っていただいている。
だから、ライバルの愛媛みかんなんて食べれるかーー!と、(夫はよく言うのだ)
思ったのだけれども
しかし、「ビニール袋がなくなりしだい終了でーす」とメガホンでの呼びかけが耳に入ると
なんだか・・・主婦の血が騒ぐではないかー。

ってわけで、すべりこみセーフで並ぶと、愛媛みかんをもらってしまった。にこやかに。


さて、帰宅するとまだ起きていた母親似で夜更かしなお子達がすぐさま「おみやげは?」と駆け寄ってくるもので、「はい、これ」と戦利品(?)のみかんの袋を渡したことは言うまでもないが、パソコン部屋におかれた「熊本みかん」の段ボール箱の中の、夫の母が送ってくれたみかんのきらめきが目に入ると、再び
不出来な嫁ですみません」という思いが胸をよぎったのはなぜだろうか。


にしても、こたつでみかんは素敵だ。



2001年11月11日(日) ふーふ生活

あ、いや、いきなり濃い話ですみません。
めずらしくアダルトな話です。嫌な方は読まないでね。

今月の初め頃に友人とチャットで「今年ももう、あと2ヶ月かぁ」なんて話していたら、
その彼女が「ああ、ダンナとのHが今年は昨年比の20回も少ない」なんて言うのでえらく驚いてしまったわけです。
だって、まず、そんな回数をきっちり覚えているのかー!!?ということにびっくりだったんだけど、彼女はいかにも当然のように「カレンダーにチェックしている」とおっしゃいまする。

いえ、彼女は新婚さんでもそうお若いわけでもありません。
年の頃はほとんど私とかわらないし結婚して10年以上たっているし、お子さんもいる。
でー、20回少ない・・・・ってことは昨年はまさか21回だったということもないでしょうし。
月に2回もしてりゃあ、年に24回になるんですよー。ってことは昨年は・・・
(あらら、なにを考えてるんだか。はしたなくて申し訳ないっ)

誤解しないでいただきたいのは、主婦はいつもこんな会話しているわけじゃないし、
年がら年中こんなことを考えているわけでもありませんって。断じて。
しかしながら、たまにぽろっとこんな話が出ると、「自分ちとは違うー!」というのをひどく痛感させられるわけです。いや、この手の話題だけじゃなくてね。
夫婦はそれぞれなんですねぇ。ほんとに、やっぱり。

だってカレンダーにつけるなんて(いや、子作りのためとかならば別ですが)考えたこともなかったし、もちろん回数なんかいちいち数えてないもの。(数えるほどもない・・という気も・・・ごにょごにょ)
夫婦にとって「それ」は大事なことでないと否定したりはしないけれど、自分とこがそうだからってよそも同じだなんて思っちゃいけませんね。いゃあ、ほんと。
彼女は彼女で私がとてもびっくりするのが意外だったかもしれない。
「夫婦なんだもの、あたりまえじゃない」って思ったりしたかも。

「夫が妻を女として見てくれない」なんてよく聞く話で、たとえばTVの悩み相談なんかでそんな話題が出ていたら、「それはいけないよね。女はいくつになっても女でいたいもの」なんて正論のように言ってしまいそうだけれど。
うちも結婚して15年目。
夫との「ふーふ生活」のことなんて、正面から考えたことなかったなぁ・・・
と、ふと考えてしまった晩秋の一日。


いや、今回の日記はあまり深く考えずに読み流してね。ツッコミはなしよ。
なんといっても「とりとめのない話」ですから。 (←逃げ?)


2001年11月08日(木) 嫁運

夫の実家から送ってくる味噌は甘い。薄味で塩気がない。
酒粕っぽいこうじ味噌である。
このみもあると思うが、私はあまり好きではない。
でも・・・ 夫には言えない。
義母の手作り味噌だから、よけいに言えない。

夫の母は働き者で懐の広い、できた方である。
もしかしたら実母よりも好きかもしれないと思うほど
私はついつい甘えてしまう。

夫の弟は早く結婚して、みかん農家の跡取りとなった。
できちゃった婚だった義弟の奥さんはやはり農家の娘さんで
いまだにとても三人の子持ちとは思えない若々しさ。

その「お嫁さん」が今年の春
高校生の長女を連れて家を出ていってしまった。
「もう農業はしたくない」
それが彼女の言い分。

義母は嘆いている。
遠方に住んでいるお気楽な長男の嫁の私は、
姑の愚痴を聞いてあげるというとても得な役回り。
農家の嫁の立場を知らない不出来な嫁の私だけれど、
農業の片手間に家事の大半を受け持ち、家計のやりくりをこなし
孫の世話まで丹念に見てきた『花マル合格点な姑』の義母には
とても同情してしまう。

お義母さん、お気の毒でなりません。

あなたの息子(たち)は

 嫁運が悪すぎます。
            


2001年11月04日(日) 引き続き

昨日の日記の補足になるけれど
「冷静と情熱のあいだ」もなかなか興味がある。
いや、竹野内豊が見たいとかじゃなくてさ。
正確に云えば、江國香織版のほうの原作を読んでみたいと思っている。


いささかミーハーな気もするが、最近どうもそういう耳から入る情報でないと
なかなか気持ちがキャッチしてくれない。
目で見た情報をレーダーのように自分から捕らえるのではなくて
どうも受け身の態勢という気がする。
たまたま体内に入ってきて心にひっかかった情報のみが
興味の対象となるというのは、以前の自分からすると
とても気持ちが冷めているような気がする。

心が外気を充分に吸収してくれないのか?
柔軟でなくなったのかもしれない。
                     


2001年11月03日(土) ちょっと邦画気分

昼間「王様のブランチ」の映画ランキングを見ていたら
やたらと映画が観たくなった。
しかも邦画。
なぜか今、観てみたいと思ったものが全部邦画だったのである。

「プラトニック・セックス」
は、まあひとえにオダギリジョー君が見たいからだけれど
「GO」
は、窪塚洋介くんが見たいだけじゃなくて(いや、見たいのは見たいけど)
ストーリー的にもとても興味深いし
「陰陽師」
・・・阿部晴明。うん、やっぱり一見の価値ありかと。

今なぜ突然邦画なのか自分でもわからないが。


でも、いちばん観たいのはやはり「千と千尋の神隠し」なのだけど、けど
これはもう、DVDを買おう、と決めている。
(きっと発売されるだろうから)

え、ハードはあるのかって?
だからその時にそれを口実に、PS2を買うのですわよ。(笑)
 


2001年11月02日(金) 活字中毒

最近、まともに本読んでないなあ・・・ ええ、漫画すらも。
なぜだろうと考えると、家にいるときはパソコンの前に坐っていることが多く
宵っ張りで慢性睡眠不足な私は、ソファーに坐ってちょっと本でも読んでいようものなら
すぐに意識が遠のいて、いつの間にか本は手からすべり落ち寝息をたてていたりする。

それなのに、いつも目は活字を追っていないと落ち着かないのだ。
私がネット上で常に廻っているサイトは、いわゆる「テキスト系」が多くて
他人様の日記やらエッセイやらを出歯亀のように熱心に覗いては
自分の気持ちに近いものやとても好きな感じの文章に出会うともうワクワクして、
ああ、そうそう、これが私の最近ハマッているものかもしれない。
テキスト系サイトめぐり。ええ、もう日々活字を追っています。
今やネット上で小説も読めたりするし、私の目はもう疲労困憊かも・・・

でもね、本のページを開くというのはWebにはないときめきがあるものね?
私の友人が自分のサイトで
『「本」という形が好き。四角く切られて、閉じられているあの形が。
開いた時に世界は広がる…。
そのせいか「メールマガジン」はあまり好きではない。』
と書いていたけれど、うんうん、それってわかる気がする。
私もなぜかメールマガジンは嫌い。やはりメールは温かみのある
ひとりからひとりへ送られてきたものが好ましいと思うのだ。


季節は秋。どこかのカフェテラスでコーヒーを片手にゆっくり本を広げたい気分。
それなら、そうねー、ちょっと目にも優しいような
写真集とか画集とか、詩集なんかもいかにも秋らしいよね。
                  


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