しもさんの「コラムニストを目指して」

2003年04月30日(水) 賢い消費者、賢い市民、賢い選手・・

最近、やたらと「賢い」という字が目に付くのは私だけだろうか?
商品として別に問題なくても、まずいとかクレームを付けて
新しいものに取り返させたりする消費者が増えている。
その為、クレーム処理担当は、そのストレスに耐えかねて自殺をしたり
ノイローゼになるケースも目立ってきた。
そんな傾向を読み取り、消費者も賢くならなければ・・とコメントが載る。
先の統一地方選挙、リコールしたはずの町長が再選を果たす、
服役中の候補者がトップ当選を果たす。
こんな記事には、市民も賢くなって欲しい、と辛口コメントが賑わう。
監督采配で逆転負けをした試合、監督が「全部、私の責任です」と
インタビューに答えれば「今更、そんなこと言うなよ」と選手が言い返す。
決して「監督に、そんな言葉を言わさて申し訳ない」と言わなかった
選手に対して「賢い選手がいないのか?」という呟きを見つけた。
これらの場合、決して本来の意味である
「頭の働きがよく知恵がすぐれている」として使われず、
別の意味の「要領がよい。抜け目がない」として利用されている。
「賢い」という文字を見つけたら、それは皮肉であると思ったほうがいい。
それだけ「ズル賢く」なったということなのだろうか?



2003年04月23日(水) 「匿名」は、言葉の暴力

最近、新聞の投稿でも「匿名」を見かけるが、
私は、ある種の危険性を感じる。
インターネットでも、匿名性を使われ、
ホームページや掲示板を荒らされ困っている人を何人も知っている。
行政に対しても、その匿名性を使って、
住民からの提言という名目で、誹謗中傷に近い表現をした
メッセージが届くことがしばしばある。
詳しい状況を知りたくても、連絡先はわからず、
自分の思うようになるまで「ばかやろう!!」の文字が
繰り返される。
いくら相手が行政であるからと言って、
何を言っても構わないというルールはないはずである。
しかも匿名であろうが、まちづくりに関する意見と捉えて、
最善の対応策を考えている現状を知ろうとせず、
暴言を浴びせ続ける住民がいることはとても悲しい。
そういった意味で「匿名」での誹謗中傷は、
言葉の暴力であると思う。
だからこそ、たとえそれが多くの人に伝えたい、
とても良いことであっても「匿名」を容認することは、
私にはできない。
自分の発言には、自分で責任を持つ。
これが今の私たちに求められている事だと思うのだが・・。
新聞社の投稿欄で見かける「匿名」には、
どういう意味があるのだろうか。是非、教えていただきたい。



2003年04月21日(月) 無神経な番組編成に憤り

「どうぞ、お楽しみに」
この言葉の使い方には、充分に気を使って欲しい、と心から思った。
実は、夫婦でテレビを見ていて、この台詞に憤りを感じたからである。
視聴者の情報や透視などの超能力を頼りに、難事件に取り組み、
少しでも解決していく番組を、
家族の悲痛なる叫びとともに祈る想いで見続けた。
そして番組終了後、次の番組に移る前に、翌日の番組予告が流れたが、
私たち夫婦は、ほぼ同時に顔を見合わせた。
まだ、先ほどの番組の余韻を引きずっていたからかもしれないが、
画面いっぱいに映し出された「悪魔の連続殺人鬼の恐怖」の文字と
「どうぞ、お楽しみに」というお決まりのフレーズに耳を疑ったからだ。
確かに、番組としては独立しているが、
前の番組の関係者や視聴者を意識していれば、
こんな無神経な言葉を繋げることはなかったはずである。
番組審議会なるものが存在するのであれば、
ひとつひとつの番組の内容にメスを入れる前に、
一日を一本の長い番組として捉え、
その繋ぎの部分に気を使って欲しい。
視聴者の私たちにとっては、流れ続ける画面を見ている。
生活者の視点にたった番組編成とは、そういうことなのだと思う。


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