しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年12月31日(月) 「ワクワク・ドキドキする生き方」

私にとって、今年は大きな「転機」だった気がする。
2月3日(節分)、はじめて自分のホームページを開設した。
紆余曲折を経て、なんとか今日まで続けてこれた理由に、
新しい人との出逢いがあった。
「はじめまして、ホームページを見てメールしました」、
「日記を読んでます、感想は・・・」など
全国から温かい声援にも似たメールを戴くと、なぜか嬉しく、
毎日、毎日が「ワクワク・ドキドキ」の連続となった。
年甲斐もなく・・と言われようが、正直な心の動きである。
そして、とても楽しかった、と振り返ることが出来る。
何か面白いことない?という前に、自分から試してみたらどうだろう。
私の場合はメールだったが、何でも構わない。

毎日が「ワクワク・ドキドキする生き方」はいかが?



2001年12月30日(日) 「何かを書かずにはいられない生き方」

年末になって「いろいろな場面で一年を振り返って・・」
というパターンが、マスコミを中心に飛び交っている気がする。
昨年も、そしてまた一昨年も。
逆に来年も、再来年も「一年を振り返る」こととなる。
その場で考え、その場でコメントするのもいいが、
是非一度、紙に書き出してみることをお薦めする。
一年に一度が、今度は一ヶ月に一度、そして一週間に一度とかわり、
ついには一日に一度は、自分の生活を振り返ることが苦痛ではなくなる。
それが日記なのだと思う。
難しいことやカッコイイ文を書こうとするのではなく、
その日に感じたことを書けばいい。きっと何か見つかるはずだ。

明日から「何かを書かずにはいられない生き方」はいかが?



2001年12月29日(土) 「風景のすみずみまで友達、という生き方」

以前は素晴らしい風景をみると、その中心にばかり目がいってしまう。
ところが、年末の大掃除をしながら、昔撮影した写真に目をやると、
四角いプリントのすみにも、しっかり思い出が詰まっていた。
面白いものだなぁ、と一人で感心し、
なんとかこのちっちゃな発見を言葉にしたい、と思っていたら、
捨てようと思っていた、京都のパンフレットにこう書かれていた。
私の気持ちとピッタリしたフレーズだった。
これからは、輝いている部分だけでなくまわりにも目を向けたい。

広い心で「風景のすみずみまで友達、という生き方」はいかが?



2001年12月28日(金) 「小さな博物館を作ってみよう、という生き方」

年末で、部屋の掃除をしていて思った。
いろんなコレクションをして、捨てきれずに残っているなぁ・・と。
最近では「耳掻き」がご自慢。
日本国内はもとより、外国に旅行へ行った人まで
お土産に「耳掻き」を探してきてくれる。
多くの方の協力により、集まった数は100本を超えた。
頭についた地域独特の飾り、見ているだけで楽しくなる。
こんなちょっとしたマニアは、町内あちこちにいるはずだから、
もう少し真剣に集めて、みんなに見せてあげたいな、と思う。
それが私の提案する「街中が博物館」

自分のコレクションにちょっと工夫して
「小さな博物館を作ってみよう、という生き方」はいかが?



2001年12月27日(木) 「年末の忙しさを、笑いで吹き飛ばす生き方」

システム手帳をめくりながら、ここ数ヶ月を振り返ってみると、
出てくる、出てくる駄洒落のような言葉たち。
彼らにも、輝きを与えてあげようと思い立った。
「あれや、これや、それや。どれや?」
「ミハエルシューマッハ、みんなチャーシューメン」
「あっ、山本リキンダ」
「ピンポーン、乳輪で〜す」
「モー娘。とモーブス」
「座右の銘は?」「・・・・・・・・ざりがに」
「北海道って、日本の何倍あるんだっけ?」
一つくらいは、笑ってくれましたか?
重苦しい年末は笑って吹き飛ばしたい。
ただ怖いのは、どうしてこんな言葉をメモしたのか
私自身が覚えていないこと。(笑)



2001年12月26日(水) 「40代の夫婦が手を繋いで歩ける生き方」

年末、大型ショッピングセンターで買い物だろうか?
40代の男女が、仲良く手を繋いで歩いていた。
その場に居合わせた仲間で「あの二人は不倫だな」とボソボソ・・。
失礼なことをしてしまった。m(。_。;))m ペコペコ…
だけど、やっぱり見慣れない光景に、こちらが照れてしまった。
若い二人は、いいな、新婚かな?と思い、
逆に、おじいちゃんとおばあちゃんだと、ほのぼのしていて頬笑ましい。
なのに40代、50代の男女が手を繋いでいると、もしや・・・と
思ってしまう私たちがおかしいのかも知れない。
20年近く一緒に生活してきて、一番気心が知れてくる関係なのに・・。
ちょっぴり憧れるね。

照れることなく「40代の夫婦が手を繋いで歩ける生き方」はいかが?



2001年12月25日(火) 「亡くなった人の為にも・・という生き方」

知人のお通夜から帰ってきた。79歳であった。
一緒に仕事をしたわけでもないのに、なぜか顔が見たかった。
数少ない私のコラムのファンでいてくれた人であったから。
「最近、新聞の投稿してないのかい?楽しみにしているのに・・」と言われ
「えぇ、今はインターネットを通じて書いています」と答えたのを覚えている。
その時の淋しそうな顔が、浮かんできてたまらなくなった。
棺の前の写真は「にこやか」で、
今にも「また、新聞にも投稿してよ」という声が聞こえてきそう。
この思いを契機に、また少しずつであるが、
インターネット以外の場でも、楽しみにしてくれる人のために書こうと思う。

遺影を見て「亡くなった人の為にも・・という生き方」はいかが?



2001年12月24日(月) 「占いは人生のアドバイス、と思える生き方」

人間は本当に占いが好きである。
よくもここまで・・・という占いもあるが、
ついつい、解説を読んでしまう自分がいる。
同じ運勢だって、占いによっては正反対の結果さえあり得る、
そんな不確かなものに、私達はなぜ夢中になるのだろうか?と
以前から、少しだけ疑問があった。
しかし、その疑問は、同じように日記をWEB上に公開している方の
一言で解決した。
「占いは、上手く生きるためのアドバイス」
そう定義された占いは、いいことだけ信じればいい、という考え方より
一歩進んだところで輝いていた。
悪い運勢は、その日、ちょっとした事に注意すればいい。
まるっきり信じる、信じないというよりも生き方が楽である。

「占いは人生のアドバイス、と思える生き方」はいかが?



2001年12月23日(日) 「絶対、という単語を使わない生き方」

人間の生き方に「絶対」ということはないのかも知れない。
言い切ることにより、多くの敵を作ることになる。
そんなことを、テレビで言っていた気がする。
(掃除をしながらなので、はっきり覚えていない・・)
今年を振り返って見ると、大きな事件のキーワードとなる。
「オフ・コース(勿論)」とは違う、圧力的な意味を感じる。
私達が絶対正しい、あなた達が間違っている。
絶対に安全だから・・。
相手を受け入れない「絶対」という考え方が、大きな歪みを生んでいる。
今後、気を付けていこうと思う。

相手のことを考えた「絶対、という単語を使わない生き方」はいかが?



2001年12月22日(土) 「困っている人にお金をあげない生き方」

あるテレビ番組の実験。
お金に困っている人の話を聞いて、
助けてあげたいと思ったら1万円のカードをあげる、という簡単なルール。
しかし、ゲストの大竹しのぶは、番組と言うことも忘れ、
彼女らにお金をあげることを拒み続けた。
実験とはいえ、忘れていた大切なことを気付かせてもらった気がする。
年末になると、やたらと乞食が目立ち、
「電車賃がないから、100円恵んでください」と近寄ってくる人が増える。
気持ち悪いからと100円を恵んでしまうケースが多い。
お金を恵むより、魚の釣り方を教えてあげるべきだったな、と反省した。

簡単には「困っている人にお金をあげない生き方」はいかが?



2001年12月21日(金) 「知らない友達?なんて認めない生き方」

冬休みに入る前に、街頭補導をする機会が何度かある。
いろいろな立場の大人達が、青少年健全育成を願ってやまない。
しかし、そんな大人達の願い空しく、
子ども達による自転車の盗難は、頻繁に起きているらしい。
雰囲気がおかしいので「その自転車どうしたの?」と聞くと
「友達にもらった・・」と言い張る。
「どんな友達?」と聞き返すと「うん?知らない友達」と言い返す。
もう少し、ましな嘘をつけ、と思いながらも、
私には理解できない「知らない友達」という友達。(笑)
絶対、そんなもの認めるわけにいかない・・。

時には頑固に「知らない友達?なんて認めない生き方」はいかが?



2001年12月20日(木) 「早起きの高齢者に呼びかける生き方」

最近、早く目が覚めてしょうがないよ、という台詞を耳にする。
寝ることは、体力がいる。だから、長く寝てられない、という論理。
高齢者が増えると、早起きをする人が増えるということである。
さて、まちづくりの視点で考えると・・。
「ラジオ体操に参加してもらう」なんてアイデアが浮かぶ。
以前は、大勢で行っていたラジオ体操。今は、子どもたち数人で・・。
地域全体で、爽やかな朝を迎えられる気がする。
幼児から高齢者まで、希薄になってきたコミュニティ意識の高揚にも役立つ。
これからは、もっと連帯感が必要になってくるだろう。
人生の先輩の力を借りる

「早起きの高齢者に呼びかける生き方」はいかが?



2001年12月19日(水) 「クリスマスイヴは、お店もお休みという生き方」

忘年会の二次会で連れて行ってもらった、お洒落なクラブ風。
定休日を聞いたら
「休みは大晦日と元旦だけ、宜しくね」という答えが返ってきた。
そしたら続けて「今年から、クリスマスイヴも休む」という。
女の子を大勢揃えているお店は、当日ガラガラらしい。
中年のおじさん達も家族サービスに努め、若い男性は彼女に夢中。
そこで、思い切って臨時休業。
裏を返せば、お店の女の子達もクリスマスイヴだけは、
普通の女の子に戻りたいはず。そんな配慮がなんとなく感じられた。
クリスマスだから、稼げるだけ稼げ、ではなくて
クリスマスだからこそ、スタッフも楽しんで欲しい、そんな発想がしたい。
ばかみたい、と言う前に

「クリスマスイヴは、お店もお休みという生き方」はいかが?



2001年12月18日(火) 「たまたま隣り合わせたグループと楽しめる生き方」

忘年会が続くと、いろいろな人達と隣り合わせになることがある。
自分たちも含めて、お互い陽気に飲んでいる。
もちろん、アルコールの力を借りながら、楽しい時間を過ごしたいと思う。
今では、主婦を中心にした女性の方が積極的。
デュエットしよう、ダンスしよう、店内を所狭しと楽しむグループが多い。
そんな時、よくやるよ、と冷たい視線で対応するより、
「私でよかったら、いいですよ」と一緒に騒げる姿勢が欲しい。
不景気の世の中、忘年会まで沈む必要はないのだから。
確かに気の持ちようだけど

「たまたま隣り合わせたグループと楽しめる生き方」はいかが?



2001年12月17日(月) 「過去は振り返らない生き方」

年末の大掃除を控え、部屋の片づけを始めたが、いっこうに進まない。
捨てようと思って手にするが、思い出が蘇ってきて・・。
そんな時「大掃除の秘訣」がラジオから流れてきた。
単純に「過去は振り返らない、そう決めればいい」だった。
長く生きれば生きるほど、思いでは増えていく。
しかし、毎日の生活、そんな思い出に浸っている時間はない。
そんな暇があったら、未来に向けて、ハツラツと生きていこう。
そう言いたかったのかも知れない。
自分の小さい頃の写真から、ほとんど聴くことのなくなったカセットテープ。
確かに、一年に一度も見ることもない、聴くこともない。
今年こそ、思い切って過去を捨ててみようかな、と思う(笑)

大掃除の秘訣「過去は振り返らない生き方」はいかが?



2001年12月16日(日) 「意識的に、無駄なことを楽しむ生き方」

NHK「ようこそ先輩・課外授業」。
今回は、明和電機の土佐さんが先生。講義は「役に立たない物づくり」
ナンセンスにこだわり、常識なんてないです、という彼に、
子ども達はとまどいながらも、楽しみながら、
くだらない物づくりに真剣に取り組んでいた。
最近、私達が忘れていた、何も意味がないようなことに熱中すること。
とても羨ましく思った。
いつでも能率を考え、無駄を省くことばかり考えていた大人の私達。
ストレスがたまってしょうがないよ、とぼやく前に

時には「意識的に、無駄なことを楽しむ生き方」はいかが?



2001年12月15日(土) 「指導者というより、成長サポーターという生き方」

何かに秀でると、つい「先生」と呼ばれがちである。
しかしそれは、言葉の錯覚である。(笑)
「指導者」なんてまわりが呼ぶから、本人もその気になってしまう。

だから新しい提案をひとつ。
「成長サポーター」と呼んでみよう。
それは何もこども達だけに限った事ではない。
「指導者」の定義が堅苦しいいから「成長サポーター」を勧めたい。
呼び方ひとつで、イメージも変わることを実感した。

気の持ちようなのだけれど。。
「指導者というより、成長サポーターという生き方」はいかが?



2001年12月14日(金) 「文字を声に出して読む生き方」

昔は、声を出して読むことを基本としていた。
だから、自然と会話の表現が豊かだったという本を読んだ。
確かに最近は、知識は豊富だけれど、表現が下手な人が増えた気がする。
耳元で囁くのも、相手を威嚇するのも、すべて声に出さなくてはいけない。
黙っていて、コミュニケーションがとれるほど、顔に表現があればいいが。
そこで、久しぶりに「声を出して本を読んでみた」
始めは恥ずかしかったが、慣れると不思議なことに、とても気分が良くなった。
是非、お勧めする。騙されたと思って試して欲しい。
私は癖になりそうである。

言葉の力を実感する「文字を声に出して読む生き方」はいかが?




2001年12月13日(木) 「大人の〜運動を子どもに理解させる生き方」

一年中、いろいろな記念日や〜週間が制定されていて、
それに合わせて、大人が意識啓発を中心に、〜運動を展開している。
他にも、まちづくりや青少年健全育成をお題目に
「あいさつ運動」などを全国的で実施している市町村が多い。
しかし、開催することに夢中になり、何故、こんなことをしているのかを
子ども達に教えているだろうか?
神戸の震災などの教訓から、地域コミュニティの大切さ、
必要性が叫ばれていることも知っているだろうか?
朝から、校門の前で保護者が子ども達に「おはようございます」と
声を掛ける意味を教えないと、反復横飛びの活動になってしまう。
(疲れるだけで、前には進まない、の例え(笑))
活動の目的と目標を間違えてはいけない。

まずは「大人の〜運動を子どもに理解させる生き方」はいかが?



2001年12月12日(水) 「裏切りを想定しない生き方」

深夜、テレビで「司馬遼太郎と松本清張」の比較をしていた。
天下分け目の関ヶ原の合戦。
「裏切りさえなければ、この布陣、どう見ても西軍の勝ち」という司馬。
「戦国の世、裏切りなんて当たり前。裏切りを想定しない西軍が甘い。
負けは負け」という松本。
どっちが正しい、間違っているという問題ではない。
ただ、私は「裏切りさえなければ・・」という方がいいな、と思うだけ。
「人生そんなに甘くない」と考えるより「人生、思ったより甘い」と考えたい。
ホームページでもよく指摘される。
そんなことまで、公表していいの?、ネットの怖さを知らない、って。
(ただ、いろんな自分を管理できないというだけなんだけど・・)

それでもなお「裏切りを想定しない生き方」はいかが?



2001年12月11日(火) 「他人の感情を刺激しない生き方」

マスコミの力で、公務員ボーナス支給の話題が
テレビ・新聞・ラジオを賑わせている。
しかし、リストラされ失業している人達、
業績不振でボーナスが支給されない人達がみたら、どう思うだろう。
「頭に来るよなぁ、こんなの見ると・・」が本音であろう。
いや、現にそう言われたから、間違いない。
好景気のときは、誰も騒がない。年末の風物詩程度にしか意識していない。
しかし、この不景気となると話は別となる。
なにも、彼らの感情を刺激するような報道は必要ないのでは・・と思う。
毎年のことだから・・では済まされない気がする。
いつ、自分がその立場になるかわからないから・・。

いつの時でも「他人の感情を刺激しない生き方」はいかが?



2001年12月10日(月) 「お世話になった人に、感謝状を贈る生き方」

講演が終わった後で、私に少し時間を下さい、と彼はみんなの前に立った。
自分のイベントに対する想いを熱く語り、
今年、突如、くも膜下出血で倒れ生死をさまよったこと、
そして驚異的な復活で、その場に立っている幸せをかみしめているようだった。
そんな彼が、この場を借りて「感謝状を贈ります」と始めた。
なるぼとな、と思いながら、
私も大晦日に一年間を振り返りながら、感謝状を贈ろうかな、と考えた。
私の感謝状なんて、全然価値も何も無いけれど、
本当にお世話になったな、という気持ちを何か形にしたい、と思う。
写真入の年賀状もいいけれど、

一年を振り返り「お世話になった人に、感謝状を贈る生き方」はいかが?



2001年12月09日(日) 「水臭いな・・夫婦じゃないか、と言える生き方」

インターネットで「恋愛小説」を、毎日書き続けている女性がいる。
その展開に、私はワクワクドキドキしながら読み続けている。
内容は妻の切ない不倫なんだけど、不倫を知らない夫の前で
彼女は、夫のやさしさに触れ、泣き出してしまうシーンがあった。
何も知らない夫は、どうしたんだ?と驚き、
ただただ謝る妻に「水臭いな・・夫婦じゃないか」と呟く。
この台詞が妙に私の記憶に残った。
夫婦と言えども、もとは他人。
それが「水臭い」といえる関係になるには時間がかかる。
結婚して、何年でこんな気持ちになるんだろうか?
妻が悩んだり、体の調子が悪そうでも、声を掛けることは少ないな。
これからは、ちょっぴり気にしてみようと思う。

照れくさいけれど
「水臭いな・・夫婦じゃないか、と言える生き方」はいかが?



2001年12月08日(土) 「自分の責任で管理できる生き方」

核兵器の怖いところは、作った本人でも管理できないこと。
「核とテロリズム」をタイトルに講師は、こう語った。
科学者は、自分の研究として核融合を発見する。
しかし、それが「政治・軍」を始めとした、第三者の手に渡ると
それは、もう自分の手の届かないところで利用されてしまうという。
これからの時代、もっともっと高度な研究が進み、いろいろな分野で
新しいものが発見、製造されてくる。
その時、大切な考えは「本人が管理できる範囲」であろう。
さて、私たちの生活のレベルはどうだろうか?
返すあてのない借金から、育てる意思がないのに産んだ子ども。
言葉はきついかもしれないが、今一度自分の責任能力を知ったほうがいい。

心に刻んでおきたい「自分の責任で管理できる生き方」は、いかが?



2001年12月07日(金) 「どうぞ、○○にして下さいと言える生き方」

今、全国で市町村合併が話題を振りまいているが、
注目は、新しい市の名称をどうするか?であるという。
静岡県でも「静岡市」と「清水市」が新しい都市の名前で綱引きをしている。
お互いの市民が、わがまちの名称を残したい、と主張するからである。
しかし、ある人がこう言った。
静岡市の住民が「どうぞ、清水市という名称にしてください」と言えば、
「いやいや、県庁所在地だから静岡市にしましょう」と
清水市の住民は言うと思うよ、と。
私は「押しても駄目なら引いてみな」「負けるが勝ち」という言葉を
思い出していた。
自分の主張ばかりせず

たまには「どうぞ、○○にして下さいと言える生き方」はいかが?



2001年12月06日(木) 「若い人はエレベーター、高齢者は階段という生き方」

3階で研修会があった。メンバーは若い人から高齢者まで。
さて、エレベーターは小さいのが一つ。
我々世代は、ついいつものように
「どうぞ、私たちは歩いていきますから」と階段へ足を向ける。
その時、いやいや・・と私たちに待ったをかけて、冒頭の台詞。(笑)
笑いながら「私たちの足腰を弱くさせるつもりかね?」と尋ねられ、
思わず笑ってしまったのは、私だけではないはず。
こんな発想があったのか、と嬉しくなってしまった。
高齢者をお年寄り扱いするのはよくないな、と感じた場面である。
きっと、大事にしなけりゃしないで、あいつらは・・・と
反発が来ることを意識している。
しかし、それを差し引いても、
まだ余りあるくらいのユーモアのセンスであったと思う。
高齢者のみなさん

「若い人はエレベーター、高齢者は階段という生き方」はいかが?



2001年12月05日(水) 「安全はシステムより神様頼みという生き方」

某会社の最新鋭のコンピュータが並ぶ、管理の現場を見せていただいた。
モニター等で何箇所も画面に映し出し、万全のチャック体制を整えている。
セキュリティシステムが稼動して、完璧に等しい管理をしている。
ところが、ふっと部屋の片隅に目をやると、神棚が・・。
担当者曰く「やっぱり何かあると困るので・・」(笑)
でも、人間らしくてホッとした瞬間である。
仕事のほとんどがコンピュータに移行しつつあるが、働くのは人間。
そんなことを感じた場面であった。

やっぱり「安全はシステムより神様頼みという生き方」はいかが?



2001年12月04日(火) 「玉虫に悪いよ、と言える生き方」

TVタックルで「最近、政治が玉虫色だよね」という発言を受けて
作家・野坂昭如氏は、真面目な顔してこう呟いた。
笑いながらも、はっと気が付きメモをした。
「気になる一言」では「うじむし」の話を取り上げた。
悪い例えに使われる生き物には、何も罪がないはず。
奇形、気持ち悪い、臭うなど、いろいろ理由はあると思うが
彼らには彼らなりの進化を遂げているはずである。
良い例えならいくらでもいいと思うが・・・。
悪い例えはやめようって、ちょっぴり反省をした。

玉虫の立場で「玉虫に悪いよ、と言える生き方」いかが?



2001年12月03日(月) 「こだわるけれど、固執しない生き方」

ホームページを作り始めると、その人の個性が見え隠れする。
ひとつのテーマにこだわり続ける人、
他人の指摘を受け入れ、修正していく人、
誰がなんと言っても変えない、と意地を張る人。
私のお気に入りのサイト管理者に聞いてみたら
「私はこだわるけれど、固執はしないなぁ」という回答。
確かに自分のホームページだから、あるテーマにこだわっていきたい。
しかし、それを楽しみにしてくれているのは他人だから
あんまり固執していくつもりはない、ということなのだろうか。
生活でも、仕事でも、こだわるものがあることは素晴らしい。
しかし、固執しすぎてすべてをなくすことがないよう注意したい。

何事にも「こだわるけれど、固執しない生き方」はいかが?



2001年12月02日(日) 「仲人令夫人のお色直しを許せる生き方」

知人の結婚式の写真を見て、驚いたことがある。
なんと「仲人令夫人がお色直し」をしている。
仲人から新婦へ、ウェディングドレスをプレゼントしたらしい。
そのお返しが「ブルーのドレス」。
結婚にたどり着くまで、本当にお世話になったお礼、とさらっと言うが
新婦との本当に強い気持ちの絆が感じられた。
「仲人がお色直しなんて、とんでもない」と反論する前に
一番お世話になった人に、ありがとうの気持ちを伝えたいという新婦の心遣いを
汲み取り、拍手をしてはどうだろう。
今までの既成概念では考えられないことも、
当の本人たちの嬉しそうな顔をみれば、素敵な披露宴だったことが想像できる。
私たちができることは、本人たちの笑顔を支えることだと思う。

枠に縛られず「仲人令夫人のお色直しを許せる生き方」はいかが?



2001年12月01日(土) 「切なくて泣ける生き方」

劇団四季の「オペラ座の怪人」。前から七列目で大喜びだった。
俳優の表情までわかる位置であったが、
舞台全体が見渡せる後方でも見てみたかった、というのが感想である。
内容はさておき、劇後半、観客の女性陣はハンカチで涙を拭うシーンが
あちこちで見ることが出来た。
もちろん、私も感動はしたが涙が溢れるほどではなかったので、尋ねてみた。
「感動して泣いてるの?」って。その答えは「切なくて・・・」。
もう完全に主人公に感情移入している女性を見て、羨ましく思った。
たぶん「切ない」という感情は人間だけが持っている感情かもしれない。
「胸が熱くなり、切ない気持ち」文字には出来るが、実際には・・・。

豊かな感情のひとつ「切なくて泣ける生き方」はいかが?


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