重 い 月

も く じま えあ と

2010年11月17日(水)  2回目

4日(木)に続いて、16日(火)、2回目の『K2』に行って来ました

4日は先行で取れた1階の最後列の左の方の席でした
ちょっと用事が有り、その日ご一緒する方に付き合って頂いて、1カ所寄り道をしてから、劇場に行きました。
17:30頃劇場に着くと、60人程の当日券を待つ方達が並んでいました。
予定より少し早く、17:45頃から当日券の販売が始まりました。

ご一緒した方は横浜の方だったので、「もう少し早く来れば、入れるかも知れないね〜?!」なんて話していたのですが………。

この日は並んだ訳でも立ち見だった訳でもなかったのに、帰る頃にはかなり脚が痛くなってました。
帰りの新幹線でうとうとして乗り越しちゃったりで、余計ぐったり…。 (´。`;)
0時過ぎて家に着き、ねまきに着替えて座り込んだら動けなくなってしまいました。
寝たいのですが、化粧を落としたり、階段を上がる事を考えると立ち上がれなくて、録画してあった『99年の愛』を見る気力もなく、寝たのは結局5時過ぎでした…。

その後、数日は疲れと脚の痛みで出かけられず、予約してあった鍼もキャンセル…。(本末転倒…)
結局、16日まで鍼には行かなかったのですが、2〜3日前からは脚の調子も良くなり、大丈夫そうだな〜、行けるな〜と思い、チケットが無いのに、行ってしまいました

16日は偶然にも、地元のお友達が昼の部を、大阪のお友達が夜の部のチケットをお持ちでした。
大阪の方が、昼も見たいので当日券に並ばれるという事だったので、私の分も買って頂くようにお願いして、の〜んびり(^-^)と出発


ところがこの日はとんでもない事が起きていたのです。
伺った話では、8時前に80人以上が並び昼の部の当日券は絶望的、11時過ぎには夜の部も買えるかどうか判らないと…。 (@ o @)
電車に乗る前なら、行くのを諦めたかも知れませんが、メールを頂いた時にはもう乗っていたので、行くしかありません。
ダメ元を覚悟で劇場へ…。
大阪の方と、そのお友達の方のご協力で、何とか夜の部のチケットが買える位置に並ぶ事が出来ました。

元々、お友達のお友達が並んでいらした場所を譲って頂いたのです
昼の部狙いでいらしたそうなんですが、昼の部は無理、夜の部なら買えるかも?という位置で、夜の部はご覧にならないのに、私達が着くまで2時間もそのまま並び続けて下さっていたのです

お名前も伺いませんでしたが、お陰様で夜の部を見る事が出来ました。
本当にありがとうございました! m(_ _)m


そのまま、17時過ぎまで4時間程並んでいましたが、お友達が話相手になって下さいました。
並んでいる前後と言うか左右と言うか?の方達は、剛くんのファンなのか堤さんのファンなのか判りませんでしたが、昼の部をご覧になりに大熊アナがいらっしゃると、
「大熊さんじゃない?」「どこどこ?」「グリーンの人?」で、私の前後の方達は剛くんファンと判明?!しました

大熊さんは、お帰りになる時にも、握手を求められたりして、恐縮されてました。
エスカレーターで下りて行かれる間も、上からみんなが手を振ったりしているので、又々恐縮されていました。(^_^)
私、大熊さんと遭遇するの、2回目なんです。
ご縁が有るのかしら???



夜の部は、1階右側の立ち見席になりました。
私が先行で取れたのは2回とも左の方なので、右側で良かったです


通路に傾斜が有り、4時間で既にかなりキていたので、正直、脚はかなり辛かったです…。
少し動くとポキンポキン鳴るし、通路に座り込んで見たかったです…。

でも、並ばなくて済むならば、1階の立ち見は結構良い場所だと思います
(折り畳み椅子でも置いてくれればねぇ…。
立ち見じゃなくなっちゃうけど…)


4日に1階最後列で見た時には、普通のテンションで話してる場面では、セリフが判らない(聞き取り難い)所が有ったのですが、16日にはちゃんと聞き取れましたし、テイラーが左側に居て、右に居るハロルドの方を向いてる事が多いので、表情も見やすく、1回目よりも判った事が多かったです。(^-^)v

幕開けの雪山(氷山?)の冷気も少しですが流れて来て、微かに匂いも感じました。
苦めのレモンのように思いましたが、人によって違うかしら。

右側からなので、4日には見えた、テイラーが登って行って裏側に回った時の足元などはやはり見えませんでしたが…



ネタばれになっちゃうかも?な事を最後に書きます。
知りたくない方は、ここまでで…。



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もしも、チケットが余っていると言う方がいらっしゃいましたら、譲って頂けないでしょうか?


1枚で構いません!

何日でも何曜日でも、昼でも夜でも、S席でもA席でも補助席でも、どんな場所でも構いません。

一緒に行く筈だったお友達が行けなくなった…、なんて場合は、私にメールを下さい!


絶対に、オークションに出したりしません!
堕腐屋に売ったりもしません!!

私が行くか、私のお友達の剛くんファンに譲ります!!!
お友達に譲るにも、ぼったくったりしません!!!!

もし、余る事が有りましたら、私にメールを下さい!
よろしくお願いします!!
 m(_ _)m (^人^) m(_ _)m


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今回判った事…。
テイラーが独りで下りると決意してからは、2人は笑顔で見つめ合っているんですね…。
ずっと笑顔で…。
テイラーが下りる為の準備をしている時、最後にザイルをほどく所、4日もかなり手こずっていましたが、この時は本当に堅かったらしく手こずっていると、ハロルドが笑顔のまま、手を差し伸べ、ほどいてくれました。

「しょうがないなぁ…。(^-^)」って、言ってるような笑顔で…。
「ごめんね…。(^_^;)」って言ってるような笑顔で…。

そして、テイラーが2人のいた場所の壁を蹴って下りて行く瞬間まで、2人は笑顔で見つめ合っていました…。

あの、お互いを思う信頼感のような笑顔は、相思相愛の?堤さんと剛くんだからこそ表現出来たのかな…って思いました。

その笑顔の後だからこそ、独りになったハロルドの淋しさ、それでもテイラーを気遣っている優しさが哀しいです…。 (>_<。)



2010年11月07日(日)  一郎さん達のお墓のある場所…

オープニングの太陽の中のシルエットは、現代のしのぶさんと次郎さんだったのね…。
てっきり、若い頃の長吉さんとともさんだとばかり思ってました。
そう思ってた人、多くないですか???


ホワイトハウス(だっけ?)の前の、軍服姿の男性と3人の子供と女性の映像も、誰なんだろう?って、ずっと思ってた。
剛くんとは思えないんだけど、じゃあ誰?って。

第1夜に現代のしのぶさんが家族の写真を見せた時、息子が3人って言ってたっけ? 孫(息子の息子)が3人って言ったんだっけ?って、訳判らなくなっちゃって…。
見直せば良かっただけの話なんですけど、そんな暇なくて…。

一郎さんのひ孫が“マイケル・タクヤ”くんなのは、橋田壽賀子さんの遊び心?って前に書いたけど、タクヤくんのおじいちゃんが“ケン・大和”さんとなると、橋田さんじゃなく、TBSの映画の宣伝?って思ってしまうのは、うがち過ぎ???

“大和魂”“大和”なんだろうけどね…。

でも、その名前は誰が決めたんだろう?
妊娠した事は手紙で伝えたでしょうから、一郎さんが考えて、男の子が産まれたらこの名前、女の子ならこれ、って手紙を送ってたのかしら?
その辺りの説明は無かったでしょ?
長吉おじいちゃんが決めたのかな?


私が1番良いと思ったのは第2夜。
一郎さんの青春時代…。 (*^.^*)
キス・シーンは本当にはしてなかったみたいだけどね…

ま、期待はしてませんでした。
橋田さんのドラマじゃ、そこまでは無いだろうな…って。
でも、愛の告白をしたり、抱き締めたり…素敵でした

今回は、いろんな人を抱き締めてたよね。
抱き締められてもいたけど…。

妹のしづちゃんの髪を撫でてあげたり、涙を拭いてあげながら、自分も泣いている一郎お兄ちゃんが、一番好きでした


見事だと思ったのは、第4夜。
バレーボールが10分延長しなければ、一郎さんは22:58頃、戦死していた筈だったんですね
『Sma STATION!!』が始まる前に…。
律儀だなぁ…



しかし、戦争は嫌だ! 恐ろしい!! 残酷過ぎる!!!

個人的には何の恨みもない、見ず知らずの人を殺さなければならないなんて…。
自分が生き残る為に、他人を殺さなければならないなんて…。

家族の為に生きて帰りたい! 家族を守りたい!!
でも、闘っている相手にも、守りたい人達が居て、生きて帰りたい場所が有る筈…


本当に戦争をしたい人達、戦争を始めた人達は、戦場へは行かず、遠くから命令を下すだけ…。

実際に戦場で命を懸けて殺し合いをするのは、本当は戦争なんかしたくない、人なんか殺したくない人達がほとんどだ

戦争は嫌だ! 恐ろしい!! 残酷過ぎる!!!



一郎さんは、22〜23才で戦死した
しのぶさんは、同い年か1つ下ぐらいで未亡人になった。

一郎さんより1つ年上の私の母も、多分同じ頃戦争未亡人になった。
結婚して半年で夫を戦争に取られた母には、子供は出来なかった。

戦死の公報が入っても、骨箱が送られて来ても、一片の骨が入っている訳でもなく、名前を書いた紙が一枚入っているだけ…。
だから、戦死した筈の人が終戦後に生きて帰って来た、なんて例はいくらもあったそうです。
再婚した後に、それも、夫の弟と再婚した後に、死んだ筈の夫が帰って来たなんて事も、実際よくあったそうです。
悲劇ですよね…。

私の母は、死んだ筈の夫が帰って来るのをずっと待っていた…訳ではないでしょうが、再婚したのは15年ぐらい経ってからです。
その後、私が生まれました。

その私に、母はこう言った事が有ります。
「戦死した夫との間に子供が産まれていたら、再婚はしなかった」と…

母は恋愛結婚等ではありませんでしたが、それでもそう言ったぐらいですから、しのぶさんが再婚しなかったのは、私には当然に思えます

でも、あのドラマの中で1番幸せだったのは、本人も言っていたけど、やっぱり次郎さんでしょう。
結婚は出来なかったけれど、好きな女性のそばに居て、ずっと守り続けたんだし、天職とも言える仕事を続けられたんですから…




しかし、剛くんは実年齢より若い役をやる事が多いですね。
と死を見つめて』では、高校生から大学生

数年後に、小雪さんと結婚する所も有ったけど…。
『 BALLAD 』の又兵衛さんは、老けてたけど(失礼!)25才。
今回の『99年の愛』では、長吉さんが19(?)才から29才。
一郎さんが18才から22〜23才

(本人は24才って思ってたみたいだけど。
台本にそう書いてあったのかしら?)

Why?


一郎さん達のお墓があった場所は、『華麗なる一族』の万俵家のお庭だった所よね?
船の音が聞こえてるけど、あれは効果音じゃなくて、本物なんじゃないかしらん?


2010年11月03日(水)  間違ってました…。

30日の日記で投票ボタンを押して下さった方、ごめんなさい! m(_ _)m
私、間違ってました!!

一郎さんが、戦争から生きて帰って来るのかどうか、ずっと気になってて、やっぱり死んじゃうのかな…?って思っていたら、30日の番組で、制服姿の一郎さんが、お父さんと次郎くんに抱きついてる映像を見て、お父さんは収容所には行かない筈だから、あれは、戦争に行く時じゃなく、帰って来た時だ!
一郎さんは生きて帰って来るんだ!!って思って、気になってた事が判った、ネタばれ、って書いちゃったら、何と!第一夜の放送で「戦死した」って…。

ひぇ〜〜〜! 何故? Why? (@ o @)

1回帰って来て、又行って…、それで…って事なの???
判らん…。

I'm sorry…. (スペル合ってる?)



見てて不思議だったのは、噂?によれば、アメリカ・ロケでも、国内でも、長吉さんと一郎さんをワッタカッタ(行ったり来たり)して撮影してたらしいのに、ブランケ担ぎだった頃の長吉さんは、痩せてて、ちょっと華奢なぐらいに見える。顔も体も…。
少しでも多く日本に仕送りをする為に、自分の食費も切り詰めてたんだろうな…って感じ。
それが、結婚して、一所に落ち着いて、子供も産まれると、顔も体も逞しくなって来る。
子供を産んだばかりのともさんが、「私は幸せ」と言うのを聞いてる時の顔は、すごく綺麗だった…。

そして、第二夜の予告の一郎さん…。
何かすっごくガッチリした体をしていて、平松ファームが成功していて、恵まれた生活をしているのが判る…。

何故、2人をワッタカッタ(シツコイ?)して撮ってるのに、そんな事が出来るの??? Why?(シツコイ?)

不思議な人…と言うか、凄い人だなぁ…、剛くんて…。



アメリカ人にも愛され、応援されている野球選手のイチローさんと対比させる為に、“一郎”という名前にしたんだろうけど、そのひ孫が“マイケル・タクヤ”って名前なのは、橋田壽賀子さんの遊び心なんだろうか?って思ったり。
配役では、『父帰る/屋上の狂人』の時のおたあさんが、長吉さんのお母さんだったり、さちさんの孫(役名忘れた)の男の子は、『私は貝になりたい』の時の中居くんと仲間由紀恵さんの息子役だった子だな…って思ったり。

後、剛くんと中井貴一さん、仲間さんと八千草薫さんは似てるのかも知れない、って思ったり…。

長吉さんが渡米したのは、私の父が産まれる1年前、一郎さんは、私の母より1つ年下なんだ?って思ったり…。

そんな事まで考えてしまった、第一夜でありました…。



も く じま えあ と

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