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 セドリック・クラピッシュ『猫が行方不明』 (1996 仏)


 猫が行方不明、婆ちゃんも行方不明、誰も彼もが行方不明、町そのものも行方不明。ところがその肝心の行方不明になったはずの猫(グリグリ)はなんとレンジのかげに隠れていた。と、これはまるでチルチルミチルじゃないのかと言ってしまえば、はい、それまでよで、俄然つまらなくなる。だからそんなことは言わないのって、もう言うてしもてるじゃないですか(^_^;アハハ…
 そんなことよりか、出てくる人間たちの人間模様というたらいいのか、それがすごくおもしろい。何度も、うんうんと頷かされること。
 例えば、預かっていた猫がいなくなったと、マダム・ルネが彼女の電話ネットワークを通して婆ちゃんたちに呼びかけて出てくる、出てくる、婆ちゃんたち。思わず、別府の浜田温泉の婆ちゃんたちを思いだしてしまったよ。この婆ちゃんたちの電話ネットワークですごく象徴的なことがある。ほれ、病院の待合室で「この頃、山田さんのおばあちゃん、来やりまへんなぁ、どっか具合が悪いのかしらん」の類ね。それでこの映画のいいところはそういうエピソードをやたらとひっぱらないこと。ふっとさりげなく切り取って見せてくれる。これってセンスいいんだよなぁ。この婆ちゃんのお頭、マダム・ルネ(ルネ・ル・カルム)、この婆ちゃん、78歳にしてこの映画がデビューだってね、ん?ということはこれが最初で最後の、素人のようなもの。ところがどうしてどうして。他にぞろぞろ出てくる婆ちゃんもみんな素人だってさ。
 男連中もかなりの部分、素人さんらしいよ。ヒロインのクロエを演ってるギャランス・クラベルにしたって、これがデビュー作だっていうし、なんかみんな地で演ってんのかい。ジャメール(ジヌディーヌ・スアレム)ね、恋愛対象にしてもらえない男って。。。。おるねぇ(^◇^;) 一人、夜の街を「グリグリ、グリグリ」とさがして歩いているジャメールに愛の手を!
 町の人だけでなく、町そのものの切り取り方もいいねぇ。 町の描き方もさらっと描いてくどさがない。クラピッシュにはまだまだ出してこれるものがあるんだぞって、全部手駒を見せないと気が済まないようなのとは大違い。ちゃんとトマソン映ってたし(笑)、思わずきのう歩いた尼崎を重ねて見てしまっていたよ。

 男にしろ女にしろベッドでの他人からの電話は厳禁だぞ! ところでうちにはマダム・ルネの家よりもようさん猫がおります。へたな女(男)と寝るよりか、猫と寝てるほうがなんぼ気持ちいいか。そしてきょうまた1匹うちの家に猫がやってきました。グリグリとは正反対の白猫。ぼくはその猫にグリグリと名付けたいんだけどなぁ。

Chacun cherche son chat
監督・脚本 セドリック・クラピッシュ
撮影 ブノワ・ドゥロム
美術 ランソワ・エマニ
出演 ギャランス・クラベル / オリビエ・ピイ / ジヌディーヌ・スアレム / ルネ・ル・カルム
★★★★☆



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2002年09月30日(月)



 勅使河原宏『他人の顔』 (1966 日)


 高校生の頃(30数年前)、安部公房の『赤い繭』という短編が教科書に入っていて、授業の時にその感想文を書かされた。その感想文に対して吉本先生が「現代文学というのは謎解きじゃないんだよ」と言われたのがすごく心に残っている。その『赤い繭』がきっかけになって、一時立て続けに安部公房ばかり読んでいたことがある。そして安部公房に限らず、難解で読んでもわけのわからないようなものばかり好んで読むようになったのは、その吉本先生のおかげだといまでも感謝している。

 さて当然『他人の顔』も読んだけれど、どんなんだったか、忘れましたぁ(^◇^;) その当時、「アイデンティティ」なんて言葉を語ることはなかったけれど、自分の顔を無くしてしまった男(仲代)が「他人の顔」をもつことによるアイデンティティの喪失、なんて今なら言うのだろうな。事故で顔を火傷してしまった男(仲代)が、妻にまで拒否されたのに対して、他人の顔のマスクを得ることで他人になりすまして、その妻を誘惑しようと企てる、というのが話の本筋。
 この『他人の顔』は原作以上にシュールだし、むちゃくちゃ品のいいホラーだと思う。もちろん脚本も安部公房が自ら書いているので、原作以上に濃くなっている、なんて原作は忘れてしまってんだけど、もっともらしく書くでしょ(苦笑) 
 どういうわけだか、精神病院の医者(平幹二朗)と看護婦(岸田今日子)の病院の診察室というのは全くもって演劇的。さまざまなマスクや、医療器具といったオブジェを配しただけの演劇舞台にしつらえてしまっている。とくに最初にこの診察室が出てくるシーンの壁に注目。壁面いっぱいに耳をかたどってあるぞ。(と、いま気がついた、美術が磯崎新なのだ!)もちろん最初の義手や、レントゲン写真の顔、というか骨格がしゃべるとか、人体模型が即物的に恐怖を語るように、無機的なオブジェによってホラー感を誘っていく。そして岸田今日子、ボクはむちゃくちゃ好きなんだけど、彼女がここで思いきり看護婦の役にはまっている。京マチ子と好対象な存在で、あぶない、あぶない。彼女の存在で、この診察室が怪しくてたまらなくなっている。
 一方京マチ子は、仲代が京マチ子を誘惑するくだりでの、二人の足の演技はそれはそれはすごい。それにあの京マチ子の裸はスタントじゃないよな。ただときどき関西弁がぽろっと出てきたりして、あれ?って思ってしまう。そうすると、やっぱりこれは仲代達也の一人舞台なんでしょね。
 ところで並行して進む、今でいう「ユニークフェイス」の入江美樹の話って必要なのか。原作にはなかったはずだと思うのだが。「ユニークフェイス」に対しては最近になってようやく動きだしたばかりで、当時としてどうにもならなかったにせよだ。それとも医学部出身の安部公房の提議だったのか。
 「顔」そのものでなく「仮面」、好む好まざるに関わらず、仮面を被らざるをえない不条理性が大きなテーマであったはずなのに、文学でなく映画としてあからさまに提示されたときに、そこから逸脱してしまう危険性をはらんだ両刃の剣に思えてしまう。


製作 堀場伸世 / 市川喜一 / 大野忠
監督 勅使河原宏
脚本・原作 安部公房
撮影 瀬川浩
美術 磯崎新 / 山崎正夫
音楽 武満徹
出演 仲代達矢 / 入江美樹 / 京マチ子 / 平幹二朗 / 岸田今日子 / 岡田英次
★★★★



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2002年09月28日(土)



 ペドロ・アルモドバル『私の秘密の花 』(1995 仏,スペイン)


 『オール・アバウト・マイ・マザー』でアルモドバルにまんまといっぱい食わされた人、この『私の秘密の花 』こそ、《全世界の女性たちひとりひとりの心を深く揺り動か》すでしょう。あ〜ん、またんなこと言うて騙すんでしょって、いや、これはアルモドバル150kmのど真ん中ストレートだぁ。ずばっと
 スペイン映画ってこんなにおしゃれでカラフルだと思わせてくれたのはアルモドバルでした。その中でも、とびきり色の使い方のきれいなのが、この『私の秘密の花 』。ほんと色の出し方がすごく好きなんだよね。ため息がでるくらい。ヒロイン=レオ(マリサ・パレデス)の赤いドレスはそのまま『オール・アバウト〜』に引き継がれていってるといってもいいでしょう。もちろん、このドラマの決めセリフも色。多分、この映画では色というひとつの映画のエレメントをもっとも重要視したんじゃないかな。例えば、睡眠薬を取りだす皿の色、マッチ針の頭の色。。。。
 それと映像としても、ガラスの反射、屈折をうまく使ったシーンだとか、籐の編み目、またレースを透かして見た映像であるとか、凝ってはいるのにそれが鼻に付くことなくすっと受け入れてしまえるのは全体のセンスの良さなんだろな。
 さてドラマのほうはちょっと20代にはしんどいかもしれない。せめて30,欲を言えば40かな。大人の恋愛感情というか結婚観というか、何なんしょ(^◇^;) それでね、アルモドバルはどれだってそうなんだけど、いわゆる「熟女」を描くのがとてもうまいなぁと思う。よおくわかっていらっしゃるというかね。
 それからほんとど真ん中の直球勝負というように、『ライブ・フレッシュ』のようにみんなで遊びまくっている中から滲みだしてくるのでなくて、脚本からして無駄というのが感じられない。頭のいわゆる「つかみ」の部分が、一見なんじゃこりゃもんなんだが、なかなかどうして効果的。起承転結の転での学生のデモのシーン、そして何と言っても、スペイン広場(だよね)のシーン。切ないねぇ。。。。

La Flor De Mi Secreto
製作総指揮 アグスティン・アルモドバル
製作 エステル・ガルシア
監督・脚本 ペドロ・アルモドバル
撮影 アフォンソ・ベアト
音楽 アルベルト・イグレシアス
出演 マリサ・パレデス / ロッシ・デ・パルマ / イマノル・アリアス / チェス・ランプレアベ<
★★★★★



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2002年09月27日(金)



 ウォン・カーウァイ『楽園の瑕』 (1994 香港)


 なんちゃらゆう武侠小説ね、要はチャンバラ....興味ないです。なんかちゃんちゃんバラバラやってましたね。ドンパチな毛唐さんにとってチャンバラはもの珍しいのかもしれんがね、赤道鈴之助で育ったボクなんかにチャンバラったてねぇ、そもそも映像をいじくりまわさないと見られないようなチャンバラなんて、まともな殺陣師っておらんのかねぇ、と思ってしまう。とにかくチャンバラ・シーンは極度に退屈、ほとんど居眠ってました。
 それに、お馬さん、ひっくり返されて可哀想としか。黒澤でもそうなんだけど、もっとお馬さん、大事にしてやってよねぇ。そりゃね、一大スペクトルに見せたいからなんでしょが、なんか必要あるんかい、と思ってしまう。
 う〜んと、そういうとこ見てたら、ん?これ、王家衛なんかいと思ってしまうんだがね、いざ話が始まってしまうと、王家衛でほっとしたんだけど、どうもしっくり来ない。武侠小説の突拍子のなさと、メロドラマのもっちりとしたところが、かみあわない、ケンカしてる。どこかで一歩退いてしまってんだね。『天使の涙』のようにはまりこんでいけない。
 それから砂漠ね、自然とねちぃーっとした人間とのコントラストってのつもりなのか、ところが、そのねちぃ〜っこい人間というのはオリエントであるのに、この砂漠が、全然オリエントでない。パゾリーニの荒漠な砂漠でなくて、『ザ・セル』の頭の砂漠のような妙なただもってきましたって感じ。これってクリストファー・ドイルというフィルターのせいなのか。描かれている人間に対して、タイマン張れてないんだよなぁ。

 だるくてエエ加減に見てたせいもあるし、一大スペクタルちゃんばらに拒否感を感じてたせいもあって、まともに見れてない。ぼーっと、まぁそれはそれでいいんだろうけれど、時間軸が飛ぶしね、それに何と言っても王家衛への過度の期待感が邪魔をしたってところ。
 見ていてぞくぞくしたのは手の動き、桃花(カリーナ・ラウ)が馬を撫でる手のエロチックなこと、触覚フェチのボクにとってはたまらない。手の動きがたまんないのは、これだけじゃなくて、にょほほほ。
 山の向こうがどうちゃらこうちゃらっての、ひねりもなんもないね。

東邪西毒(Ashes of Time)
製作 ツァイ・ムホー
監督・脚本 ウォン・カーウァイ
原作 キン・ヨウ
撮影 クリストファー・ドイル
美術 ウィリアム・チョン
音楽 フランキー・チャン / ローエル・A・ガルシア
出演 レスリー・チャン / レオン・カーフェイ / ブリジット・リン / トニー・レオン / マギー・チャン / ジャッキー・チュン / カリーナ・ラウ / チャーリー・ヤン / バイ・リー
★★☆



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2002年09月24日(火)



 アニエス・バルダ『幸福』 (1965 仏)


 これ、いまを去ること30数年前にリアルタイムでちゃんと映画館で見てフランス映画に萌えてしまったといういわくつきのボクにとっての記念碑的映画。そしてその後の30数年間に1度も見たことがなかったのに、見直してみて、なんでこんなに鮮明に覚えているのか、ちょっとビックリしてるところ。
 フランソワを演ってるのはいちおうジャン・クロード・ドルオーという俳優さんだけれど、それ以降出てるの見たことない。そしてフランソワの家族、奥さんのテレーズ、娘のシズー、息子のピエロとも、このジャン・クロード・ドルオーの本当の家族。つまり家族がそのまんま、家族の役で出演してしまったという、これはアニエス・バルダのまさに飛び道具なんだろう。
 話としては、ごく平凡な家庭を営んでいるところに、旦那のフランソワが郵便局のねえちゃんエミリー(マリー・フランス・ボワイエ)とイケナイ関係に陥ってと、非常につまらない不倫話。フランソワの論理にぶち切れてしまう女性もたぶんいるだろうな。男のボクでさえこいつ何を身勝手なことほざいとるねんと思ってしまうんだけれど。
 そのことは棚に上げといて、ごくごく平和でいわゆる愛に包まれた家庭を、短いカット割でつないでいくのはすごく気持ちがいい。これって小津が家族を描くのとは全く逆の手法なのに底で通じている。家庭の中にあるものをオブジェとして扱うことで家庭の平和を描き出す。例えば鉢植えにコップで水をやるシーンであるとか。それがエミリーとの関係においてもそう。ここではさらに、フランソワとエミリーとの肉体をオブジェ化することで二人の関係を描き出してしまう。二人の肉体関係をその動作でなく、このようなオブジェで描き出してしまってるのはほかに見たことがない。それから多用されている映像が、深度の浅いカメラを使って、それを前後にピントを変えていくこと。それで奥行き感や見る側の目を操作してしまっている。これらの映像がモーツァルトの流れるような音楽で淀みなく繋がっていくんだから気持ちよくてたまらない。
 棚にあげておいたのをもう一度下ろしてくると、それはある種のいたたまれなさというか、怖さというか、要するに残酷な結末をつきつけてくる。これって男じゃ描けないでしょ、女って怖い。ラストの黄金に染まる枯れ葉の林のシーンなんて凍りつきそうなくらい。そう思うと、一生懸命、弁明しようなんて男って可愛いもんだわ。
 ラスト近くで、ちらっと挿入される1カットに悩んでね。

Le Bonheur
製作 マグ・ボダール
監督 アニエス・バルダ
脚本 アニエス・バルダ
撮影 ジャン・ラビエ
出演 ジャン・クロード・ドルオー / クレール・ドルオー / マリー・フランス・ボワイエ
★★★★★



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2002年09月22日(日)



 侯孝賢『戯夢人生』(1993 台湾)


 同じ侯孝賢監督の『悲情城市』『恋恋風塵』で渋々の爺ちゃん、李天禄(リー・ティエンルー)、彼が日清戦争直後の1910年に生れてから、戦争が終結して台湾が日本から独立するまでの半生をごくごく淡々と描いた映画。この李天禄、実は台湾の民間芸能=布袋戯(ポテヒ)の第一人者でもある。なんでも人間国宝級だとか。詳しくはここ

 固定された長回し、それもむちゃくちゃ長いのだ、の映像が印象的。ひとつの額縁の中を人間が動いていく。ん〜と、李天禄の記憶の断片の枠とでもいうのか、考えてみれば、自分の半生を振り返ったときに、いくつかのステージが思い起こされてきて、その中に感情なり風景なりが封じ込められることってある。それをそのままに描いたからこそ、それ以上にリアリティーを生みだしている。
 あくまでも李天禄その人の個人史に徹したこと。当然、個人史であっても、この映画で描かれた40年ほどの間には、日本による台湾の植民地化であるとか、その後の日中戦争であるとか、いわゆる歴史が必要以上に描かれていないこと。だから逆にその歴史の重みを感じさせる。
 それと、これはこの映画を支えているもっとも大きな要因、李天禄自身が語ることで時間の流れを構成していくこと。これがさらにリアリティーを生みだしている。あと、これはわからないけれど、布袋戯によって語らせる部分は、これはかつてあった布袋戯を再現したのでなく、この物語に合わせて再構成されたものじゃないのかな。
 『悲情城市』でもひどく印象的だったのが、そのラストで、李天禄が何事も起きなかったように、同じように黙々と食事をするシーンがあった。この『戯夢人生』でも食事シーンのなんと多いことか。台湾(あるいは中国)では生活、家族、その中心に食事があるのじゃないか、食事という生活で、すべての生活が動いていく。外的な歴史以上に、内的な歴史=個人史が優先していくのでないか。それが近代、またそれ以前から、(ちゃんと勉強してるわけないから迂闊なことは言えないけれど)歴史に翻弄されながらも民衆レベルの根強さがあるのじゃないか。それが4000年の歴史を支えてきたのかもしれない。

Hsimeng jensheng
監督 ホウ・シャオシエン
脚本 ウー・ニエンジェン / チュー・ティエンウェン
撮影 リー・ピンビン
美術 ジャン・ホン / ツァイ・ジャオイー / ルー・ミンジン / ホー・シエンクー
音楽 チェン・ミンジャン / ジャン・ホンター
出演 リー・ティエンルー / リン・チャン / ヤン・ソーイン
★★★★



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2002年09月21日(土)



 アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』 (1997 イラン)


 率直に言うと、この『桜桃の味』ではしゃべりすぎだな。いきなりこれを見てたらもう少しは、をーこういう映画もありですねとも思えたはずなんだが、ジグザグ三部作を見たあとでは、ごくふつうにしか見えない。しかも前日に見たのが『エンジェリック・カンバセーション』だったから、よけいそう思えるのかもしれない。
 例えば、ブルドーザーが土砂を流すシーンでも、それにバディ(ホマユン・エルシャディ)の影を重ねるのだけれど、キアロスタミとして見たときに新鮮味がない。ごく平凡に見えてしまう。これがほかの監督がやってたのなら、うんうんとなるのだけれど、作りすぎという感を否定できない。
 パゲリ(アブドルホセイン・バゲリ)の桑の実の話だってほんとは好きなんだよ。桑の実っていうのはパゲリが言うようにほんとに甘酸っぱくて美味しい。あそこで桑の実(桜桃じゃなくて)をもってきたというのはとてもよくわかるし、イランの人間からすれば普通なのかもしれないけれど、現代の日本では、へぇー、そこで桑の実ですかぁという新鮮さがある。なのに、パゲリがしゃべりだしてしばらくパゲリの姿を見せないというのは、キアロスタミにあっては、また見え透いた手を、という感じになってしまうのが、なんか辛い。
 さてと、賛否両論のラスト。そのラストに至るまでに、答えは見えてしまっている、というか、答えがああでないと成り立たないよね。だから、『オリーブの林を抜けて』のような、どっちなんだ?というどきどき感がないのは仕方がない。異常に長い夜に、うん、うん、そのままエンディング流してくれよと思っていたのに、夜が開けてしまった。なんで?夜を明けさせるのだぁぁぁぁ、と思っていたら、やけに映像がざらついている、16mm?  このざらついた絵に少しは自分自身も納得しようとしていたのに。。。その16mmが、バットで後頭部殴られたような、何やってくれんだよ(-_-)

 ビデオでは、おまけについてる『パンと裏通り』、こっちのほうが10倍好き!

Taste of Cherry
製作・監督・脚本 アッバス・キアロスタミ
撮影 ホマユン・パイバール
出演 ホマユン・エルシャディ / アブドルホセイン・バゲリ / アフシン・バクタリ / アリ・モラディ / ホセイン・ヌーリ
★★★☆



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2002年09月20日(金)



 デレク・ジャーマン『エンジェリック・カンヴァセーション』 (1985 英)



 なんとも心地よいというか、かんともわけわかりませぇーん(^_^ゞ 
 まずは8mmで撮影したんやて、それをコマ落としにしたり、色調変えたり、色付けしたり、いじりまわしてビデオに録画して、さらにそれを35mmで撮りこむという、なんとも手のこんだ技を駆使したというしろもの。ところがこれがまぁ見事であります。ボクがデレク・ジャーマン好きだからもちあげてるところもあるけれど、わけなどわからんでもよろしい。たまにわけのわからんイメージを繋ぎあわせたという映像に溺れるのも非常にエキサイトなものよ。

 わけわからん一つには一切のセリフがない。あるのはジュディ・デンチのナレーション、どうもこれはシェークスピアのソネットとかなんとからしいのだが、それが英語であってもわからない。字幕は、なしよ。これで英語がもっと聞き取れて意味がわかる人間なら、また別の感じ方もありなんだろうが、考え方によれば、言語がわからない分の感じ方ができているわけですね。言葉によるイメージの膨らみを排斥してしまった見方、それに耐えられる映像だからのこそってところかな。もう少し別のとらえかたをしてみると、例えばロックを聞いていてもそこで歌われている歌詞など聞き取れない、わからない、それでも十分に伝わってくるサムシングがあったりするでしょ。逆にことばがわかったりすると興ざめしてしまうような歌もあるよね。それにジャズにしろ、クラシックにしろ、ことばを排斥してしまったところで成り立ってる。だからナレーションのわからないというのはわからないでいいものだなと思う。でもやっぱりわかったほうがいいだろうけれど、字幕で翻訳されたのを流してもらってまでわかりたいとは思わない。
 デレク・ジャーマンの映像というのは非常に絵画的だと思うのだけれど、もちろんこの『エンジェリック〜』でもそう。はじめのほうで明りがぎらっと光るその光線であるとか、絵画そのものだったりする。その上で、何がどう撮られているのがしばし判然としない映像があったりして、カメラが動いて初めてああそうなのねとわかったりするのだが、その判然としない映像の中に、なんらかの絵画が埋め込まれているように見えて、それがまた非常に心地よいのだ。
 さてと、わけわからないまでも、大きなテーマとして扱われているのがゲイで、ゲイに対して偏見を持っているのならパスしといたほうが無難。(^◇^;)ゲロゲロ〜ものになってしまうおそれあり。こういうのを見ているとゲイと「オカマ」というのは違うねぇ。ごくごくふつうのセクシャリズムとして見える。こういうのを若いころに見ていたら、ゲイとまで行かなくてもバイになった可能性ありだな(^_^ゞ そして、この『エンジェリック〜』直後に、デレク・ジャーマンはHIVに冒されていることがわかったといういわくありの一本なのでした。
 をー、そうそう、コイルの音楽が、なんでこんなにはまるのか、映像、音、ナレーションにほとんど陶酔しきって・・・・

The Angelic Conversation
製作 ジェームズ・マッケイ
監督・撮影 デレク・ジャーマン
音楽 コイル
出演 ポール・レイノルズ / フィリップ・ウィリアムソン / ジュディ・デンチ
★★★★☆



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2002年09月19日(木)



 石井克人『鮫肌男と桃尻女』(1998 日)


 がさがさと落ち着きのない映画とはこういうのでしょう。
 まるで漫画やんか、って、原作が望月峯太郎の漫画なんだからそれはそれでいいのか。でも『鮫肌男と桃尻女』どころか、望月峯太郎のほかのもまったく読んだことない。ボクのアンテナに引っ掛かってこないんだから、たぶんボクがあまり好きじゃない類の漫画なんでしょ。きっと面白いんだ(笑) 原作はおいといて映画だけにしぼってみると


 山田クン(我修院達也)がキーになってるのは確かね、だからって目立ちすぎよ。あんたが本線じゃないんだからね。彼を抜きにしたら成り立たないんだけれど、2つ3つまで許せても、ずばっと言うならば、くどいっ! そう思うのはボクだけか、少数派なんでしょうが、これでもか、これでもかの最近のコント漫才の乗りで好きになれない。いや、ホント面白いだよ。だけど哀しい。せっかくプレミア付きのブルーバードに乗せてもらってんだからさぁ、あ、山の中をガンガン走らせてもったいないなぁ、と思うことしきり。
 鶴見辰吾でもっと引っ張るのかと思ってたら、後半はすっかり山田クンのおかげで影が薄くなってしまって、ヤクザの舎弟がぽこぽことあちこちでそれはモグラ叩き状態で出ては引っ込んで、それも単発的に笑いとるだけなんだもんなぁ。
 一徳にしても琺瑯ネタをひっぱり過ぎ。彼のキャラとして琺瑯ネタは一発だけで十分。それも出してくるのならプレミア付きの浪花千栄子だろ、昆ちゃんでは安易すぎやしないか。一徳までコント漫才の乗りに巻き込んだら話が成り立たないでしょ。きわどいラインで踏みとどまってたから何とかなったって、何とかならへんかったら最後のシーンつくられへんっちゅうねん。
 そう考えると、浅野がいいねぇ。たんたんと浅野のペースで。最初にパンツいっちょで山の中を走って逃げたのは心配してやったよ。ちっこいすり傷だらけになったんだろうな。異様に目立ちすぎるということもなく、一番話に馴染んでたね。
 それでずこーんとバズーカー砲みたいな一撃がなくて、喩えればマシンガンでめったやたら撃ちまくるだけの戦争やってるみたい。演出そのものに小技ばっかり。小技が多くなればなるほど、またかいなと白けてしまう。センスないよ。
 気楽にぼーっと見てる分にはおもしろかったってところ。罪がなくていいです。

Freaks
製作 竹本克明 / 滝田和人 / 公野勉
監督・脚本 石井克人
原作 望月峯太郎
撮影 町田博
美術 丸尾知行
出演 浅野忠信 / 小日向しえ / 岸部一徳 / 寺島進 / 鶴見辰吾 / 我修院達也 / 島田洋八 / 真行寺君枝 / 津田寛治 / 森下能幸 / 堀部圭亮
★★★



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2002年09月17日(火)



 トッド・ブラウニング『怪物團 (フリークス)』(1932 米)


 監督のトッド・ブラウニングは、かのベラ・ルゴシの『魔人ドラキュラ』を撮った監督で、これがバカあたりしたもんだから、MGMはブラウニングにもっともっとこわぁ〜いの作れと命令したはいいけれど、いざブラウニングが持ち込んだのがこの『フリークス』だった。MGMはこれは行けると踏んだのか、踏んだから公開したんだろうけど、非難ごうごう。アメリカの「わしが正義や!」的ヒューマニズムの伝統ですね、ようわからんわ。種を蒔くのも狩るのもこいつら。真っすぐ育ったら育ったで「わしの畑は立派だ」と、要は結果オーライな連中なんでしょ。で、この『フリークス』は知っての通りで、その後30年間オクラ入り、ブラウニングもこんな危ない百姓に立派な畑はまかせられんとばかりにこれ以後ぱったり。
 主演のハリー・アールズとともに暖めてきたものを出してきたらしいけれど、実際、ブラウニングの真意はどこにあったんか知りません。ブラウニング自身が書いている伝記的な本もあるみたい、興味ある人はどうぞ。
 映画に限らず、芸術全般に、一度表に出してしまうと、創る側の真意などにはお構いなく、受け取る側の手に委ねられてしまう。とくにこの『フリークス』のような作品の場合、見る側がどういう目でみるかによって大きく評価が変わってしまうでしょ。そういう意味で非常に危険なわけで、そう考えると、『魔人ドラキュラ』の延長で世に出してしまったMGMに問題があったんじゃないかと思うんだけどね。
 ストーリーは勧善懲悪ごくごくつまらないし、それに芝居にもなってなくて退屈。そう考えると、フリークスをずらっと並べただけの、それこそキワモノでしかないように思える。ブラウニングの真意が疑われても仕方がないかと思える。
 だけど、だけどなんだよなぁ。逆に演出過剰でないからか、素に出されたせいなのか、例えば、両手両足のない黒人が口だけでマッチを擦ってタバコに火をつけるなどという離れ業がごくごく自然に撮られていること。これはフリークスによる芸なのでなくて生活そのもの。見せ物という形で表舞台でしか見られない芸ではなくて、人間そのものが描かれてしまっている。だからけったいなこそばゆいばかりのいやらしさというものが全く感じられない。それが瓢箪から駒だったのか、だからよけいにブラウニングの真意というのはどこにあったのか計り知れないんだよ。ラストの嵐の中の泥水に這いつくばったフリークスたちの形相、あれは見せ物、作り物をはるかに越えてしまっているし、フリークスを曝すことの是非などという陳腐な議論を軽くクリアしてしまっていた。

Freaks
製作・監督 トッド・ブラウニング
脚本 ウィリス・ゴールドベック / レオン・ゴードン / エドガー・アラン・ウールフ / アル・ボースバーグ
原作 トッド・ロビンス
撮影 メリット・B・ガースタッド
出演 ウォーレス・フォード / オルガ・バクラノヴァ / ロスコー・エイツ / リーラ・ハイアムズ / ヘンリー・ビクター
★★★★



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2002年09月16日(月)



 デレク・ジャーマン『テンペスト』 (1979 英)

 先に『ラスト・オブ・イングランド』『カラヴァッジオ』見てしまってたから、特におどろくわけでもないけれど、デレク・ジャーマンの絵とういうのは多分に絵画的。キャリバン(ジャック・バーケット)が初めに生玉子をつかむところで、果物などが乗せられたかごに手を伸ばすのだけれど、そこなんかは静物画を見せられているような錯覚に陥る。これがどうだかわからないけれど、『カラヴァッジオ』で見せたようなその果物の配置などは何らかの絵画からのコピーなのかもしれない。
 『テンペスト』はもちろんシェークスピア晩年のということは知っていても、それがどんなんだかまで知りませーん。何でも見てたり知ってたりするわけないじゃん。だから、なるほどねぇ、『テンペスト』というのはこんなふうだったのだ、シェークスピアの時代だから、呪術・魔術がごく当たり前に描かれていて当然かなどと見ながら考えてた。
 元ミラノ大公プロスペロー(ヒースコート・ウィリアムズ)とその娘ミランダ(トーヤ・ウィルコックス)は、プロスペローの弟によって追放されていた。これをプロスペローが魔術によって嵐を起こし復讐を企てるという話なんだけど、どこまでがシェークスピアの原作なんかは知らないよ。なんか、その原作にエドガー・アラン・ポーもかぶっているというらしいけれど、これもようわからん。そんなのどうでもええといえばええわけです。
 それはともかくとして、と、いうことは多分に幻想的で、デレク・ジャーマンもそのラインをメインで描いてる。だからかなりキワモノ的に仕上がっているわけで、そうしたキワモノ好きなボクにはうれしい。とくにジャック・バーケットの怪優ぶりったら、それもそのはずでこの人はイギリスの劇団リンゼイ・ケンプ・カンパニーの役者だったのだ。言うてみれば、鈴木清順が麿赤児を引っ張り出したような。もちろん美術においてもかなりキワモノ的でわくわくしてしまうことうけあい。をっと、"Stormy Weather"を歌うディーバはエリザベス・ウェルチ。貫禄勝ちでしゅ。
 でもな、ただデレク・ジャーマンは『ラスト・オブ・イングランド』での別種のキワモノの印象が強烈だっただけに、この種のキワモノじゃ満足できないなあと贅沢なこと言う。蝋燭がずらぁーっと並んでるのにしても、一瞬目を瞠りはするのに、「デレク・ジャーマン」という名代にごくふつーっぽくにしか見えないのが辛いなぁ。それにプロット的にもまとまってしまったって感じ。これを先に見てたら、まちがいなく★5つつけてるのに。
 余談ですがデビッド・メイヤーが全裸で海から上がってくるときはしっかりボカシ入ってます。が、しかし、酔っ払いのイチモツがぶらぁ〜んと見えるところあるんだよなぁ。

The Tempest
監督・脚本 デレク・ジャーマン
原作 ウィリアム・シェイクスピア
撮影 ピーター・ミドルトン
出演 ヒースコート・ウィリアムズ / カール・ジョンソン / トーヤ・ウィルコックス /デビッド・メイヤー / リチャード・ワーウィック / ジャック・バーケット
★★★★☆



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2002年09月15日(日)



 フェデリコ・フェリーニ『道』 (1954 伊)


 いつかこれは書いてやろうと思いながら、ついつい。ということで、まごれびゅ1周年記念のとっておき。
 で、何から書けばいい? というか、何を書けばいい? だいたい、みんなが「いい、いい!」と絶賛するような映画にはすすんでケチつけてみたくなるへそ曲がりでありますが、こと『道』に関しては文句の付けようが完璧な映画。何か文句ある? そしてあまりに簡潔で誰にでもわかることこの上なし。正直なところ、これ、わからんという人とはつきあいたくないです。 
 だからほんと何を書いたらいいのかわからんというか、書きたくない。これに人生を求めるもよし。でもボクはそれも書きたくないね。書いたらウソになりそで。。。。で、仕方がないので、ボクの好きなとこをちょこちょこと。

 ザンパノが他の女を連れて夜の街に消えて行ったあと、ジェルソミーナはオート三輪の脇に一晩座ってるでしょ。朝になって子どもがジェルソミーナになんか食べ物を持っていってやるんだけどあの子ども可愛い。
 子どもといえば、村の結婚式で、この結婚式の乱痴気騒ぎのシーンも好きなんだけど、そこで子どもらが、この子を笑わせてくれととっとことっとこジェルソミーナの前を走って行くのね、あの子どもの走る格好がむちゃ好き。あとほかのシーンなんかでも子どもが出てきてたけど子どもの使いかたが、ゑっ?と思うくらいにいい。何というのかなぁ、ボクのルーツ的なことどもの中に見え隠れする子どものイメージが描かれているんだよ。
 ワン公。あのキリストの行列のとこでうろちょろしてるの。このワン公もボクにとっては犬のイメージなんだよね。その行列に入っていくところで、三人の男がラッパを吹きながら、ジェルソミーナの上を歩いていく。このシーンもゑっ?と思うくらいに、何だか好き。
 上にちょっと書いた結婚式の乱痴気騒ぎね、その新郎新婦が出ていったあと、風に紙くずなんかが舞っている中にジェルソミーナが立っている。せつない。むちゃせつないんだよ。あそこは。このシーンに限らず、せつないづくしなんだけど、とりわけこの結婚式後のシーンはせつないねぇ。
 ほれほれこうして拾い上げだしたらきりがない。なんであのシーンを書かないんだって、そこはそれ、ヘソ曲がりだから。ただそれだけ。見てない人もいるんだからさ(^^;)
  ところで綱渡りは通称「キチガイ」と呼ばれてんとちがったっけ。いまのビデオの字幕では「まぬけ」になってたんですけど。じゃあゴダールのも『おまぬけピエロ』なのかい。

 じゃ最後に、とっておきのネタ。ザンパノのオート三輪の幌に描かれた絵、いいねぇ。え?何、なに? と聞くより自分で見なさい。 ロゴにもらってきたいくらい。

La Strada
製作 カルロ・ポンティ / ディノ・デ・ラウレンティス
監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ / トゥリオ・ピネリ / エンニオ・フライアーノ
撮影 オテッロ・マルテッリ
音楽 ニーノ・ロータ
出演 ジュリエッタ・マシーナ / アンソニー・クイン / リチャード・ベースハート
★★★★★


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2002年09月13日(金)



 デビッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』 (2001 米,仏)


 あー、ごめんなさい。やっと見ました、ビデオで。。。。むちゃ悔しい、なんで映画館で見なかったのだ、アホです。これ映画館でぎゅいんぎゅいんに型にはめこまれて見たら快感80倍のはず。あぁ、ほんま悔しい。マイコロリさんはフランスで去年の11/26にすでに見てるんだよなぁ。それ読んだときに思わず、「むちゃうらやましいぞ」とメールまでしたというのに。。。ほんまアホです。

 で、いきなりのローラ・ハリングの視線でもうきれいに引っ張り込まれてしまってた。ロスの街明かりできっちり『ツインピークス』やってくれてんのにニンマリ。このニンマリ感は最後の最後まで続くのだが、もちろん顔はたぶん引攣ってたでしょう。
 これって『ツインピークス』と同じようにABCかどっかのテレビドラマとして企画されたってことオフィシャルにも書いてあったっけ。ところがテレビ局がこんなものテレビで流せるかいとビビってしまったのを劇場用に練り直した。元のテレビ用にはレスビアンシーンやらオナニーシーンあったんやろか。ひゃっひゃっひゃ、誰や、それやったら、ボクも見ようとそそられてるのは(爆汁)
 ナオミ・ワッツがね、すげぇぇぇ〜〜〜!!と言うわけではないのだけれど、一見ふつうっぽい彼女を、見せるように見せるように作られてる。実際、幾通りもの役柄を演じ分けさせている、これがすごい。でもよく考えてみればすごいことでもなんでもなくて、人間なんてひとつのキャラで通してるわけじゃない。相手によって幾通りものキャラを演じ分けてるはず。そんなベタなことをすっと表現してしまっているリンチというのはやっぱりすごいのだった。で、その中には、かのシーン(見てみたいだろう(笑))やら、オーディションでも同じセリフを全く違うように演じ分けさせてんだよね。このオーディションでの演じ分けというのは、プロなら当たり前だろうけれど、すごくない?
 そして一方のローラ・ハリング、彼女、上にも書いたように、最初の視線からボクはもう逝ってしまっていて、うっとり、かのシーンの肉感的なことといったらきっちりオカズに。。。ごめんなさい、少々下品でした。。。。でもエエやんかぁ、ナオミに負けないよう励みます。励んでる最中に電話かけてきてね、すっ飛んでくから。
 文句たれたら、少々蛇足っぽいとこもあったりして、気をもたすだけもたせておいて、何、それ?ってとこもなきにしにあらずなんだけど、そんなんも許す。しばしふっきれないものを感じ続けてたのがウソのようなリンチ・ワールド全開! わけわかめ(古っ!)、いみふめ(死語っ!)だろうが、『ツインピークス』に比べれば、それなりに理路整然ともしていて、ありきたりの言葉で言い表すなら、メヴィウスの輪。これ、これ、これ、これでなきゃリンチじゃない。
 
Mulholland Drive
製作 ニール・エデルスタイン / ジョイス・エライアソン / トニー・クランツ / マイケル・ポレール / アラン・サルド / メアリー・スウィーニー
監督・脚本 デビッド・リンチ
撮影 ピーター・デミング
美術 ジャック・フィスク
音楽 アンジェロ・バダラメンティ
出演 ナオミ・ワッツ / ローラ・ハリング / ジャスティン・セロー / アン・ミラー / ダン・ヘダヤ / マイケル・J・アンダーソン
★★★★★



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2002年09月11日(水)



 ジョゼフ・フォン・スタンバーグ『西班牙狂想曲』(1935 米)


 ボクにはまずこの『西班牙狂想曲』より先に『欲望のあいまいな対象』があって、ついそれと見比べてしまうわけ。『欲望の〜』のほうに書いたけど、ピエール・ルイス『女とあやつり人形』が原作。もちろん原作も読んでないです。すんまそん、と謝る必要などないか。
 コンチータがアントニオ(『欲望の〜』ではマチュー)を手玉に取る、いたぶりまくるということにかけては、ブニュエルの『欲望の〜』のほうが数段上。というのも、『欲望の〜』ではブニュエルがマチューにのりうつっていた(だからこそ、ブニュエルは自分の懐刀とでもいうべきフェルナンド・レイをマチューに使っていたと言えるのだけれど、はっきり言って、『欲望の〜』は男の立場から見た物語。それに対して。この『西班牙狂想曲』は語り手こそ、男ではあるけれど、女の立場から見た物語だと思った。
 そりゃそうだ、マレーネ・ディートリヒだもん。彼女を使うからには女を描かなければウソでしょ。そしてそのためには、豪華絢爛、当時としては考えられないほどの道具立てでマレーネ・ディートリヒを飾り立てなければ。この道具立てのすごさは、いまのちょっとしたハリウッド映画だって到底太刀打ちできない、すごい、すごい。こんなセットをよく作れたなと感心することしきり。それから衣装にしてもそう、ディートリヒだけすげえ衣装というのならともかく、エキストラ然とした隅々に至るまで気の配りようは大変。それでもディートリヒばかりに目が行くのは当たり前ですけど。
 モノクロなのがほんともったいないくらいの装置、美術。もちろんモノクロはモノクロでいいんだけど、カラーだとどんなにすごいかと想像してしまう。ただカラーになったら薄ぺらくなってしまうんだろうなという気がしないでもないんだけどね。ただ豪華さにスペインの空気は薄れてしまってるのも事実で、邦題は『西班牙狂想曲』でも原題はそっけなく『The Devil Is a Woman』とスペインのかけらもなく、ただ原作がスペインだったからそのまま持ち込めるものは持ち込んだという程度なんでしょ。見るほうも、とにかく『モロッコ』からスペインに舞台を移したとしか見てないからいいか。このマレーネ・ディートリヒを見てると、ブニュエルが二人一役などという反則技を使ってしまうのも頷けるな。
 あ、そうそう、ディートリヒがアヒルを抱きかかえてるのは笑えた。思わずブニュエル!

The Devil Is a Woman
製作・監督 ジョゼフ・フォン・スタンバーグ
脚本 ジョン・ドス・パソス / S・K・ウィンストン
原作 ピエール・ルイス
撮影 ジョゼフ・フォン・スタンバーグ / ルシアン・バラード
音楽 ラルフ・レインガー / レオ・ロビン
出演 マレーネ・ディートリヒ / ライオネル・アトウィル / シーザー・ロメロ / エドワード・エベレット・ホートン / アリソン・スキップワース
★★★★



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2002年09月10日(火)



 ゴードン・チャン『恋戦。OKINAWA Rendez−vous 』(2000 香港)


 フェイ・ウォン=『恋する惑星』のラインで見るとこける。レスリー・チャン=『覇王別姫』、『ブエノスアイレス』のラインで見ても同じ。ボクはこの『恋戦。』に関して何の前触れもなくて、ただAzが借りてきてたから見たってだけ。それも「パパ(笑うな)、『恋する惑星』好きやろ、フェイ・ウォンの新しいのん出てたで」とまた借りして見たもんだから、正直、見始めてしばらく、ゑ?と戸惑ってしまった。
 そりゃそうだ、監督がウォン・カーウァイでもチェン・カイコウでもなくて、ゴードン・チャン。この監督は元々アクションらしいんだけど、かと言って、ただ派手なだけのドンパチに終始してるわけでもなくて、どこか『ルパン3世』にも通じるようなところもある。何やねんと言われればラブ・コメディ。それにしては本筋が見えにくいなぁ。筋としては簡単な話だけれど、どこか散漫で焦点があっていない。なんてことを感じるのも、まだ『恋する惑星』のラインから頭が離れていないせいなのか。ほんとそのラインで見たら楽しめるものも楽しめないね。気楽に香港映画のスターを寄せ集めて作ってみたら、こんなんができましたという軽い乗りで見ないと。
 同じことが「沖縄」ということばの中にも潜んでいて、香港から見たときに単に沖縄は日本のリゾートというにすぎないのか、妙な意味をもちこまれるほうが迷惑といえば迷惑。加藤雅也の沖縄ヤクザご一行様が、あの何て言うの、ウィングをつけた改造バンでぞろぞろ走り回るのには笑えた。ただ撮影が沖縄の梅雨期にあたっていたらしく、リゾート〜っ!というにはちょいとさみしかった。リーフに潜ったりして、もっと能天気にいってほしかったって思う。
 あ、話は大泥棒ジミー(レスリー・チャン)と、しょぼくれ刑事(レオン・カーファイ)、それと沖縄ヤクザ(加藤雅也)の四角関係の他愛のない話でした。


製作 チェフ・ツァン
監督 ゴードン・チャン
脚本 ゴードン・チャン / チャン・ヒンカ
撮影 チェン・チュウキョン
美術 ホーレス・マー
音楽 アルビン・レオン
衣装 ドラ・ン
出演 レスリー・チャン / フェイ・ウォン / レオン・カーファイ / ジジ・ライ / ビンセント・クォク / ステファニー・チェ / 樋口明日嘉 / 加藤雅也
★★★



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2002年09月09日(月)



 ビガス・ルナ『ハモンハモン』 (1992 スペイン)


 このビガス・ルナはよっぽどおっぱい好きだったのだ。しかも巨乳好き。おっぱいにむしゃぶりつかせて「どうおいしい?どんな味?」って、あらこのフレーズは『おっぱいとお月さま』でも使ってたか。ちなみに「jamon」はもちろんハムのことだけど、原題「Jamon, Jamon」は「ふるいつきたくなるくらいエエ女」ってことらしい。
 ペネロペ・クルスのデビュー作、と聞いて、ハリウッドに移ってからの彼女からこれにたどり着いてきた彼女のファンなら怒るだろうな。彼女自身もこの映画に出て後悔してる、などと言うてるらしいが、ボクは『ブロウ』も『バニラ・スカイ』も見てないから何とも言いようがないけど、そうなのか?と思ってしまえる。なんだかんだ言いながら、ビガス・ルナとは『裸のマハ』(1998)演ってんでしょ。
 良くも悪くも、かつての日活ロマンポルノ。マザコンお坊ちゃまホセ(ジョルディ・モリャ)、そのホセとの子どもを妊娠してしまったシルビア(ペネロペ・クルス)。できちゃった結婚に反対するホセの母親コンチータ(ステファニア・サンドレッリ)は、ハム造り男ラウル(ハビエル・バルデム)を雇ってシルビアを誘惑させこの結婚を壊そうとするのだが・・・・ 一方、シルビアの母親カルメン(アンナ・ガリエナ)は酒飲みの夫と離婚して娼婦まがいで生計を立てている。そのカルメンにマザコン男が入れ込んで。。。。これかなり無理がありまする。あ、このことだけじゃなくて全体にストーリー的には無理があるなぁ。マザコン男に迫らせるアンナ・ガリエナのいやらしさ、ここエロい、エロい、これでもかというくらいエロい、きっとストーリー的な無理は承知の上の確信犯だね。あ、ここは何も見えませんよ(^_^ゞ 揚げ句の果てにはシルビアの鉾先は、ホセの父親に向かわせるにいたっては、無理も無理。それでも強引に運んでしまう筋立てはロマンポルノなんだって。
 ネタばらしついでに書いてしまうと、ホセの母親コンチータは男性用ブリーフの会社の社長。そのブリーフの宣伝のオーディションにやってきたのがラウルで、そのもっこりに惚れたというわけ。豚だとか、闘牛だとか、消化しきれていない道具立て、さまざまな小ネタ、それらの粗さも目立つけれど、なんかスペインの大らかさに見てる側が振りきられてしまう。
 思うに、ペネロペ・クルスのFカップの肢体にばかり目が行くけれど、実のところ、2人の中年女の情感的エロチックさを見るというのが正しい観賞方法でないかと。

Jamon, jamon
製作 アンドレス・ビセンテ・ゴメス
監督 ・脚本 ビガス・ルナ
撮影 ホセ・ルイス・アルカイネ
音楽 ニコラ・ピオバーニ
出演 ペネロペ・クルス / アンナ・ガリエナ / ステファニア・サンドレッリ / ハビエル・バルデム / ジョルディ・モリャ
★★★★


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2002年09月08日(日)



 ホアン・ルイス・ブニュエル『赤いブーツの女』 (1974 仏,伊)


 ホアン・ルイス・ブニュエルはかのルイス・ブニュエルの息子。そして脚本は晩年のブニュエルを支えたジャン・クロード・カリエール(『蘭の肉体』『存在の耐えられない軽さ』、『ブリキの太鼓』、『マックス、モン・アムール』と代表作を並べただけでもどんだけすごいかわかるでしょ)、そして『哀しみのトリスターナ』の変態コンビ、ドヌーブとフェルナンド・レイ。フェルナンド・レイも晩年のブニュエルにはなくてはならない人だったし、それにもまして世界一の性格俳優。こんなすごすぎる人間を集めることができたのは、ずばり親の七光り! 何も知らないでこの『赤いブーツの女』を見たら、ゑ?ルイス・ブニュエルじゃないの、いつから「ホアン」が付くようになったのと思ってしまうこと間違いなし。実際のところ父ちゃんかなり影で動いてたんじゃなかろか(^_^ゞ
 かの『エクソシスト』が73年で、つまり時代はオカルトブーム。というわけで、この息子も『赤い〜』の前後でいくつかのオカルト映画を撮ってるようだけれど知らない。そしてこの『赤い〜』でも、ドヌーブが予知能力をもってたり念力が使える女として、ちょっとオカルトチックな味付け。けれど大筋は大ブニュエルの変態路線。
 ドヌーブがカフェで着ていたコートをぱっと広げると、その下は全裸! 一瞬のことなのでボカシなのかヘアなのかもわからなかったが、ドヌーブの真っ正面からの全裸ですよ、全裸。ドヌーブの全裸が拝めるなんて、これ以外にないよ。どうせスタントだろうけれどね(-.-;) 
 ドヌーブにはつきあってる画家(ジャック・ウェベール)がいるんだけれど、変態富豪(フェルナンド・レイ)はカフェでドヌーブに問題の全裸を見せつけられたことでイチコロになってしまい、彼女を囲おうと画策。そこに出版社の経営者(アダルベルト・マリア・メルリ)もまきこんで、ドヌーブを頂点とした男の三つ巴。こうなると、それはもうねちーっとした大ブニュエルの世界なわけだけれど、どこか、ねちーーっがさらっとしてしまってる。思うに大ブニュエルは彼の映画そのものが幻覚、妄想であったのに、小ブニュエルは幻想を描こうとしてる差なのか。
 こんなふうに、大ブニュエルがでかすぎただけに、つい比較してしまけれど、そのことを抜きにしたらボクは楽しめた。ことこの『赤い〜』に関してはカズシゲ君の域は越えてるね。ドヌーブが一番ピカピカのときだし、一見の価値あり。

LA FEMME AUX BOTTES ROUGES
監督 ホアン・ルイス・ブニュエル
脚本 ジャン・クロード・カリエール / ホアン・ルイス・ブニュエル
撮影 レオポルド・ヴィラセニョール
音楽 セザール・フランク
出演 カトリーヌ・ドヌーヴ / フェルナンド・レイ / ジャック・ウェベール / アダルベルト・マリア・メルリ / ラウラ・ベッティ
★★★☆



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2002年09月07日(土)



 矢口史靖『ウォーターボーイズ 』(2001 日)

 Azが借りてきてとずいぶん前から言うてたんだけど、いつも行くレンタルビデオ屋には2本しか入ってなくて、ずっとずっとレンタル中。それをいいことに先延ばし、先延ばしにしてた。やっとこないだ1本残っていたので借りてきたったら、「もう見た」だとぉーー しかも「きっとパパおもしろないというわ」(-.-;)

 はい、おもしろなかったです。
 まずは、女教師(眞鍋かをり)、下手過ぎ。なんぼなんでも、なんぼ「それはシャレ、シャレだ」と言われてもああいうのがはなから出てくると、ふん、この程度なのかいという感がずっと払拭しきれないまま。それが平山綾のお目めキラリ☆だけのクソ大根で絶頂に達する。とにかくドラマとしての部分での演技力の無さが鼻についてどうしようもない。それは竹中直人しかりだよ。
 わざとらしい、あざとさばかりが目についてどうしようもないんだよなぁ。見せたくて見せたくてしようがなかったラストだってくどすぎ。
 そんなことをどんぴしゃ、CinemaScapeでピロちゃんきゅ〜さんがコメントしてくれてたのでそっち読んでくれや。もうあんまりボクがコメントする必要もいくらい詳しく書いてくれてる。
 ん? 《「深く考えずに笑って楽しんでください」と監督談(ビデオ冒頭にて)》って、ビデオの予告編みたいなあとにナニやらしゃべっていたのが、それかい。ちっ。さっさと早送りしたよ。

 ただ最後まで見ちゃったけどね、見てしまうというのもいらつくんだけれど、30数年前、高校生だった頃に『青春とはなんだ』に夢中になったのと同じだな。


製作 宮内正喜 / 平沼久典 / 塩原徹
監督・脚本 矢口史靖
撮影 長田勇市
美術 清水剛
音楽 松田岳ニ / 冷水ひとみ
出演 妻夫木聡 / 玉木宏 / 三浦哲郁 / 近藤公園 / 金子貴俊 / 平山綾 / 眞鍋かをり / 竹中直人 / 杉本哲太 / 谷啓 / 柄本明
★★



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2002年09月05日(木)



 ミカ・カウリスマキ『GO! GO! L.A. 』(1998 英,フィンランド,仏)


 まずは何なんですか、この邦題、ほんとセンスの無さにはあきれ返るばかり。わざとそれをねらったというのならわからんでもないけれど...
 さて、ミカ・カウリスマキは、いまボクがはまってるアキ・カウリスマキの兄貴のほうですね。だからルーツ的には同じ、なもんで、ヨーロッパから、しかも影のヨーロッパからアメリカの日向ハリウッドに殴り込みをかけたというシロモノ。ほら、しっかりレニングラード・カウボーイも友情出演(笑)しとるでしょ。あのダサダサでハリウッドに殴り込もうってんだからその心意気に拍手。前にも書いたけど、このカウボーイ連中、生でみたことあるけどほんとダサい、あまりのダサさにのけぞったのだったよ。
 ところでヴィンセント・ギャロのアナウンスがでかすぎんだよ。ギャロの話かと思ってみたらこけてしまう。同じようにジュリー・デルビーの映画でもなくて、デビッド・テナント、その次にビネッサ・ショーの映画なわけで、ギャロはあくまでもバイ・プレーヤーに徹してる。どこか、バイ・プレーヤーとしての原田芳男っぽくないか。存在感がありすぎて、カッコよすぎて、メインを食うてしまう。同じことがジュリーにも言えて、ジュリーとビネッサ・ショーを比べたら、どうしたってジュリーでしょ。そこでじゅりーのほうは元来のジュリーを崩そうとしてるんだけれど無理がありすぎ。ジュリーが「やりまくるのよぉ」ってセリフをはいたところでなんか虚しい。この二人よりジョニー・デップがいいや。
 だからって、デビッド・テナントとビネッサ・ショーが良くないかといえばそうでなくて、この二人がきっちりクササをふりまいてくれる。だからって「おら、東京さ行ぐだ」と吉幾三のような上昇志向でもなくて、寺山修司のようななんていうと褒めすぎか、単なるネイティブがたまたま青森に遊びに来ていた東京のキャンギャルに惚れ込んで、いきなり六本木をわけわからずうろついているといったところ。原題の『L.A. Without a Map』というのはとてもよくわかる。だって東京も地図なしに歩けたもんじゃないでしょ。そういう町、L.A.なかんずくハリウッドの表層性、虚構性をリアルに描いているのはさすがとしかいいようがない。ギャロとジュリーはその町のジョーカーとしてあるはずだったのに、宣伝がいけないんだね。結局、制作側でなくプロモートサイドで、その表層性にまんまとはまって、いわばミイラ盗りがミイラになったような。ギャロはギャロでいいんだけど、「映画監督、俳優、ファッションモデル、フォトグラファー、ミュージシャンとイカした肩書きをいくつももち、世紀末アメリカのサブ・カルチャー・シーンを疾走する男、ヴィンセント・ギャロ」(オフィシャル・ページ)以外にもってきたほうがもっと楽しめたかもしれない。
 

L.A. Without a Map
製作 ジュリー・ベインズ / サラ・ダニエル
監督 ミカ・カウリスマキ
脚本 ミカ・カウリスマキ / リチャード・レイナー
原作 リチャード・レイナー
撮影 ミシェル・アマチュー
音楽 セバスチャン・コルテラ
出演 デビッド・テナント / ビネッサ・ショー / ヴィンセント・ギャロ / ジュリー・デルピー / ジェームズ・ルグロス / キャメロン・バンクロフト / サスキア・リーブス / ジョニー・デップ / アヌーク・エーメ / アマンダ・プラマー / レニングラード・カウボーイズ
★★★★



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2002年09月04日(水)



 宮崎駿『ルパン三世・カリオストロの城』 (1979 日)


 これはずばり名作だよなぁ。だからあえて・・・・
 宮崎駿の劇場第1作。ある意味で良くも悪くも宮崎駿。第1作からしてかなり宮崎駿の色が出てるでしょ。たしかにルパンはルパンで、山田康雄の名調子「おや〜す〜み〜とっつぁぁ〜ん」でぐいぐいひきこまれて、銭形や次元、五右ヱ門といった常連組でああ、いちおうルパンの世界ではあるんだけれど不二子はダメぇ〜。エロくない、全くもってエロくない、スカみたいでしょ。それにルパンと不二子のカラミが全くといっていいほどないんだもん。そして脇役陣となるともう完全に宮崎駿の世界。クラリスの爺ちゃんや犬なんて、駿の脇役常連でしょう。あーほんと宮崎駿っていうのはほんとすごかったのだと思わずにいられない。ルパンを食ってしまってるもん。
 だから最初から、ルパン=モンキー・パンチとして見るよりも宮崎駿のルパンとして見たほうが10倍楽しめる。スピード感はあるし、浮遊感はあるし、そしてきっちりはらはらどきどき。でも、でもなんだなぁ。クラリスとシータとはくらべものにならないしね。
 ほんと不二子を筆頭に毒気を抜き去ったルパンだと。いやほんとにルパンだと思うからいけないので、逆にうがった見方をすれば、宮崎駿にバズーを引っ張り出してこれるだけの力がなかったと、だからルパンを借りたのだと思えてしまう。
 それでも2つの指輪がはめこまれてそこに出現する駿の世界は好きだ。


監督 宮崎駿
脚本 宮崎駿 / 山崎晴哉
原作 モンキー・パンチ
音楽 大野雄二
出演 山田康雄 / 納屋悟朗 / 島本須美 / 石田太郎 / 増山江威子 / 小林清志 / 井上真樹夫
★★★★


2002年09月03日(火)



 ナンニ・モレッティ『親愛なる日記』 (1994 仏,伊)


 これは見てて何とも楽しくてたまらない。この軽妙さはどうよ、さすがラティーノってところかい。
 まずはパート1「ヴェスパ」ではモレッティ自身が自分の愛車ヴェスパでローマの街を走り回る。これ、ボクもやりたぁ〜い。ボクの場合はヴェスパなんてオシャレなものでなくて泥まみれバハだけどね、そうしたら、ががががががっとブレた映像にせなアカンのでしょう(^_^ゞ ヴェスパなので当然映像はスムーズ、超長回しでいやほんとに自分でローマの路上観察をやってる気分に。集合住宅を年代とともに次々並べたてるのはまさにモレッティ流都市論。
 さらにホンモノのジェニファー・ビールスをゲスト出演させて大笑いさせてくれるサービス精神。そうかと思うと、ジョン・マクノートンの『ヘンリー』をやってる映画館に入って、急に『ヘンリー』を称賛した評論家をやっつけに行っく「キレまくり」。そして、パゾリーニが殺害された現場に走って行こうと、この延々長回しの荒れた海岸沿いを走るのにキース・ジャレット「ケルンコンサート」がなんてどんぴしゃなのだ。ここが一番好きだな、最高!
 パート2「島めぐり」 パート3「医者めぐり」はパゾリーニに会いに行く、好きならばその殺害された現場に行くことが会いに行くという行為になるだろ。そんなシーンを見せつけられたら、つけたしのように思えてしまうんだけど、なかなかどうして。ストロンポリの火山のシーンではパゾリーニの『豚小屋』を思いだしてしまってたよ。そこでがしっと決めないで、ズッコケたこと(このズッコケはバラさないどこ)やらかしてくれる。しかしあの村長さんはどこかの長野県知事に似てないかい。皮肉のオンパレード
 それで「医者めふり」は実話も実話で、パート3に入った途端に16mmの荒れた映像になるのは実際にモレッティが映像日記を撮っていてそれをもってきたらしい。このパートはありがちな話といえばそうなんだけど、朝起きたらまず水を1杯飲めよ。

Caro Diario
製作 ナンニ・モレッティ / アンジェロ・バルバガッロ / ネラ・バンフィ
監督・脚本 ナンニ・モレッティ
撮影 ジュゼッペ・ランチ
音楽 ニコラ・ピオバーニ
出演 ナンニ・モレッティ / ジェニファー・ビールス / アレクサンドル・ロックウェル / カルロ・マッツァクラティ / レナート・カーペンティエリ
★★★★★


2002年09月02日(月)



 ジェラール・コルビオ『王は踊る』 (2000 独,仏,ベルギー)


 オフィシャル・サイトに「時代を輝かせた二人の男の秘められた苦悩と禁断の愛の物語」だなんて書かれてるけどねぇぇぇぇ、はてさて、かたや裸の王様ならぬ金粉の王様で、かたや権力志向を愛とはきちがえておる勝手な男。どこに「秘められた苦悩と禁断の愛」が読み取れるのやら。まさかホモセクシャルをさして「禁断の愛」などとはきちがえてるんじゃなかろかと。
 ラインハルト・ゲーベルが指揮したと言われてもそっちのほうはとんと門外漢なのでふぅーんとしか思いようがないんだけれど、実際にベルサイユ宮殿でロケをしたとか、これはラストシーンのところか、そのような映画そのものよりも話題(=ゴタク)先行でつまらない。
 元来ルイ14世なんてのはフランス権力者にとって飾り物でしかなかったわけで、その人物自体がおもしろかった(興味深かった)のかどうか疑わしいわけで、非常に「裸の王様」然としておったんじゃないかと思えるのね。そういう意味でいえばブノワ・マジメルはきっちりそうしたルイ14世を演じていたと思える。と、これは思いきりの皮肉ですね。CinemaScapeのコメントにも「王様は踊らない」とか書かれているように、肝心の踊りにしたって、へ???と?が3つほど付いてしまう。リュリ(ボリス・テラル)にしても自分を同化させてしまえるような人物とは程遠く、この二人に「二人の男の秘められた苦悩と禁断の愛」を語らせるにはちょっと無理がある。唯一モリエールを演ったチェッキー・カリョだけがこれまで聞き知っていたとは別のモリエール像を垣間見させてくれて、かの二人より格がずっと上の役者だと感じさせてくれた。

 中身がなくて、美術、音楽、装置その他もろもろで飾り立てただけ、まさに末期的フランス王朝を象徴しているかの様な映画だった。

Le Roi danse
監督 ジェラール・コルビオ
脚本 ジェラール・コルビオ / エーブ・ド・カストロ / アンドレ・コルビオ
原作 フィリップ・ボサン
撮影 ジェラール・シモン
美術 ユベール・プイユ
衣装 オリビエ・ベリオ
出演 ブノワ・マジメル / ボリス・テラル / チェッキー・カリョ / クレール・ケーム
★☆


2002年09月01日(日)
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