衛澤のどーでもよさげ。
2019年03月27日(水) 運転免許証の性別訂正。

丸眼鏡でつるつる坊主なのでもう少し痩せたら正岡子規っぽくなるんじゃないかと思う衛澤です御機嫌よう。

本日、好天に恵まれ時間にもゆとりがあり、かつ身体が動いたので運転免許証の更新に行って参りました。3年前にうっかり通行区分違反をしてしまっておりますので、今回の更新では60分の講習を受けます。貰えるのは青帯5年有効免許証です。

手続きはかつてを思えば随分スピーディになっており、午前8時40分頃に受付して貰って、新しい免許証を受け取ったのは午前10時30分頃でした。私がはじめて更新に交通センターを訪れたときなどは、本日と同じように朝一番に受付に行って、免許証を受け取るのは正午過ぎでした。

スムースに手続きが済んで早く用事が済んだのですが、途中で窓口に呼び出されまして。
「こちらの記録では性別が女性になってるのですが、戸籍は変わってますか?」
そう問われましたので「変わってます」とお答え申し上げると、「性別訂正の手続きをしてください」とのこと。でも更新手続きと同時にはできなくて、何故かと言うと、性別訂正の手続きには本籍入りの住民票が必要なのですな。

実はこのとき、仕事用PCを定期メンテナンスに出すため持参しておりまして、免許証の更新手続きが済んだらその足でPC店に行く予定でした。メンテナンスには1週間程度かかるということを予め取引先にも申し出ておりまして、お仕事も一部お休みを頂いております。

それ故時間もありますので、PCをメンテナンス店に預けた後、住民票を取って交通センターにとんぼ返りしてみました。

そんな訳で、本日2つの初体験をしております。
1つは「コンビニエンスストアで住民票を発行して貰う」ということです。当市の場合はマイナンバーカードがあればコンビニのコピー機で発行して貰えます。手数料はお役所の窓口と同じ300円です。持っててよかったマイナンバーカード。憶えていてよかった暗証番号。

その時点で昼近くであったのでついでにコンビニで昼食用にパンの2〜3個も買って、その足で交通センターに取って返しました。到着すると正午過ぎで、昼休憩になっちゃったけど食事を取っていれば13時からの窓口再開も直ぐだな、と思ってたら窓口の一般受付は「14時から」と書いてあるではありませんか。
(窓口に人はいるけど更新の書類が多いので14時まではそちらを手伝っているらしい)

一旦帰宅するのも面倒なので、14時まで交通センターのロビーで仕事してました。持っててよかったタブレット。フリック入力は私の指ではミスタップが多くて(指が太くて隣りのキイが反応する)効率はよくないのだけど、何となく自宅ではない場所の方が仕事が進みやすい気はします。

そして初体験その2。運転免許証の性別訂正手続きです。

運転免許証は表にも裏にも性別は書かれていませんが、交通センターのデータには性別という項目はあるのですね。だから事故に遭ったりして免許証から「この人はどこの誰ですか」と照会したら、名前と住所と本籍と性別が直ぐに分かる訳です。そのデータに、実際と異なる性別が書いてあったら「これはどういうことかしら」と多少ややっこしいことになるかもしれません。

という訳で、戸籍上の性別を訂正したら、運転免許証を持っている人は警察にも届け出ておかないといけないのですね。私は11年ほど放置してしまいましたけども。そういえば免許更新手続きで毎回「名前・住所・性別が間違ってないか確認してください」って言われるなあ。

戸籍訂正から11年経ってようやく運転免許証登録の性別を訂正することになりました。必要なものは本籍が入った住民票1通のみでした。「記載事項変更届」の窓口に申し出ます。そうすると記入が必要な書類を用意してくれるのですが、性別の訂正なんて滅多に受け付けるものではないので、窓口の人もはっきりと要領を憶えておられなくて「これどうだったっけ」と3人ほどが呼ばれてました。

それと、私が性別を訂正するということが何故か俄かに信じ難かったらしく、「何を変更するんですか」と3回くらい確認されてしまいました。

書類に現住所と本籍、氏名、電話番号を記入して40〜50分ほど待つと写真撮影に呼ばれて、さらに20分くらい待って、新しく免許証が発行されました。免許証はICチップを積んでいるので、性別を訂正するとつくり直しになるんです。



▲おもて



▲うら。日付と「再作成」が書き込まれます。

同じ日につくり直しさせてごめんなさいという気持ちになりながら新しい免許証を貰って帰路につきました。

という当記事は、PCがメンテナンス中ですので、タブレットで書きました。

2019年03月10日(日) 図記号。

株式会社石井マーク」という会社が大阪市内にあります。私たちが日常でお世話になっている「表示」というものを専門に扱ってらっしゃる会社です。Twitteアカウントの運営もなさっていて、私もフォローさせて頂いています。大変愉快なイラストとともに興味深いTweet(以下Twと表記)をなさいますので、楽しいと同時に大変勉強になります。

その石井マークさんのTwについて、うにうに考えていました。うにうに。

「ピクトグラムに含まれる表現に『先入観を植え付ける可能性』があるかといえば、少し前提を整理する必要があります」
このような書き出しで、石井マークさんのベビーケアルームとトイレの図記号についてのTwははじまりました。9つのTwが連なっています。詳細は実際の記事をお確かめください。

その一連のTwを拝読して、私は少しもやっとしたのです。Tw4つめ〜8つめ、トイレの図記号とそれがはらむの問題の指摘について。それがどうも、「女性はスカートを履いているとは限らない」という指摘を、文面通りにしか理解していない(と思われる)Twだったからです。

女性は女性でないものを「女性である」、或るいは「女性はこれを使うものである」と、多くは女性ではない者たちによって規定され、そのために息苦しい・生きづらい境遇に追いやられてきた歴史があります。

近年浮上してきた「ダサピンク現象」なんてのも、それが目に見えるかたちになってきたものでしょう。「ピンク=女の子の色」、「女の子はピンク色が好き」というようなことが何者かによって勝手に決められてしまって、「これほしいけど、ピンクじゃなければなあ」という選択肢の狭さを生み出したり、身につけたくもないピンク色を強要されたりなんてことが、たくさん起こっている訳です。

もちろんピンク色が好きな女性もたくさんいます。それはピンク色が好きな男性がたくさんいるのと同じことです。それが何故、女性のものと規定されてしまったのか、不思議ですね。

さて、「女性はスカートを履いているとは限らない」という指摘は、石井マークさんがTwの中で仰っているように「実際の女性は必ずしもスカートをはいているとは限らないから」されているのではない、と私は考えています。そして女性の図記号の問題点はその部分ではなく、「スカート」という「衣服」によって「女性」が表現されていることなのだ、と。

何故、自分の性を特定の衣服で表現されなければならないのか。その表現は「女性はスカートをはくものである」或るいは「スカートは女性がはくものである」という根拠のない定義によって生み出されている、また、そのような女性が望んでもいない定義を勝手にしているということではないでしょうか。

特定のものを女性を表現するものに規定することで、女性はその「特定のもの」に存在を縛られることになり、さまざまな選択肢を失ってきました。私は既に女性ではありませんが、それでも現行の女性の図記号で厭な気分にはなるし、体調によっては大変苦痛に感じることもあります。そして、このように感じるのは私だけではありません。

一定の利便性を提供している一方で、女性の図記号は一定の苦痛も生み出しています。

石井マークさんはこのように仰っています。
「人間の様な『見た目で分からないモノ』を見た目で分かる様にする為のサインは『人間とは必ずこうあれという見本』を示す仕事まで請け負っちゃいないンです」

そのようなことを図記号に望んでいる人はいるのでしょうか。女性の図記号の問題を指摘する人たちは、そのようなことが問題であると言っているのでしょうか。

そして「見本』を示す仕事まで請け負っちゃいないンです」と石井マークさんが仰る一方で、「スカートをはいた人のシルエット」によって「女性」を表すという図記号は、「女性は必ずスカートをはいている」という「見本」を、女性にも女性でない人にも示すという仕事を確かに請け負ってしまっています。

それは女性の図記号をつくった人にそんなつもりがあろうとなかろうと、です。それが証拠に、ユニセックスファッションがポピュラーになって久しいというのに、いまだにスカートは「女性の衣服」という固定概念から解き放たれることがありません。

もちろんこれは図記号だけのせいではありません。しかし、「スカートによって女性を表す図記号」が長らく日常の中に入り込んで、人々の意識に刷り込まれる一因になっていることは確かでしょう。

この点については石井マークさんも仰っています。
「『ステレオタイプ』な男女表現が『学習性』によってトイレの図記号として認知されてきた経緯はありましょう」

トイレの図記号に限らず女性の図記号が「スカートをはいた人のシルエット」ではなくなる、ということがないことには、たとえこの世の女性のすべてがスカートをはかなくなっても「女性=スカート」の認知は人からなくならないのではないでしょうか。これが各人の好悪にとどまらず、「苦痛」や「苦悩」までも生み出していることを、図記号をつくっている人は、石井マークさんは、おそらくご存じない。

「『人間とは必ずこうあれという見本』を示す仕事」を負えなどとは申しません。むしろ逆で、「こうでなくてもいい」ということに加担してほしいのです。「スカート」という衣服のかたち、即ち「女性ではないもの」で女性を表すのをやめる方法を考えて頂きたいのです。

石井マークさんのTw8つめをまるごと引用させて頂きます。
「何かの目的の為に設計されたグラフィックシンボルには、常に『何の為に・誰の為に』というファクターを切り離せませんし切り離すべきでありません。
表現が適切か否かの基準も、本来の目的を担保するか否かに繋がっています。
『誰の為に』をガン無視した人の『配慮』ばっかり聞いてても仕方ねえんです」

図記号は「誰のために」?
図記号を使う人のためにではないのしょうか。「スカート=女性」の図記号によって傷ついたり苦しんだりしている人も、やはり図記号を使わざるを得ないのです。「配慮」を求めたいこの人たちは「『誰の為に』をガン無視した人」ではないのではないか、と思うのですが、どうでしょう。そして「配慮を求める」ということはいけないことなのでしょうか。

石井マークさんはTw7つめではこのようなことを仰っています。
「とはいえ男女別の脱糞・放尿シーンをリアルに表現する方が「配慮」だといえましょうかね」

この仰りようはおそらく皮肉なのだろう、ということは拝察するのですが、図記号における性別の表現について、図記号をつくるプロとして限界を認めなさったように解釈できてしまいます。

「男女別の脱糞・放尿シーンをリアルに表現」する図記号を拵えなくても、トイレの男女別は図示できるでしょう。現在のトイレの図記号はそうですよね。男性の図記号と女性の図記号がある。女性を「スカート」という「女性ではないもの」を使うことなく表せば、「脱糞・放尿シーンをリアルに表現」しなくても「配慮」につながるはずです。

「スカート」という特定の衣服を着けた人のシルエットを用いずとも、女性を表現する方法はあるのではないのでしょうか。男性の図記号は「ズボンをはいた人」では表現されていないのだから。

ということを考えて、もやっとしていたのです。うにうに。

石井マークさんも図記号や表示つくる立場の人として、うるさいことを言われて腹が立つことも多かったのだろうと思います。そんなにうるさく言うならお前が自分でつくれよ、なんて素人くさいことまではお考えではないでしょうが、此度のようなTwをした御心持ちは拝察致します。

しかし、私などのような「ど素人」ならいざ知らず、石井マークさんのようなプロなら、スカートを使わない女性の図記号を探れると思うのですよ。それも素人考えなのでしょうか。

何れにせよ、ここでひとりごとのようにもにょもにょ言うのではなく、石井マークさんに直接申し上げた方が建設的ではありましょう。しかし、この真意をお伝えするためには、抑圧されてきた女性の歴史だとか、望まぬジェンダーを押しつけられる者の苦痛であるとか、そういったものをご理解頂くことから必要になる訳で、それをどのようにすればいいものか、悩ましいのであります。

以下、余談です。

石井マークさんの中の人は私と年令や趣味がかなり近い方のようです。イラストで示してくださるネタがベタベタな感じで「私に」とても分かりやすく、共感せざるを得ないものが多いです。件のTw9つめに示されているのはTVアニメ「サイボーグ009」(1979版)のOPテーマ「誰がために」ですね。ということが私の年代のヲには直ぐに分かっちゃう訳です。

て訳で、石井マークさんはきっと40代以降のヲの方だなあ、ということです。この点で石井マークさんには勝手ながら親近感を抱いております。お慕い申し上げましてよ。


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