衛澤のどーでもよさげ。
2016年09月01日(木) 恩人。

■朝日新聞DIGITAL和歌山版
連載: 紀伊パーソン/全盲の精神科医

生駒先生は私がうつで倒れて動けなくなったときに入院した五稜病院(現在の県立こころの医療センター)で診てくださった先生で、私の恩人だ。生駒先生がおられなかったら、いま私はきっと生きて動いてはいなかった。
半年ほどの入院で動いてまわれるようになったのは生駒先生のおかげだし、実は家族へのカミングアウトも先生からして頂いたのだった。恩人も恩人、大恩人だ。
 
やさしい容貌と声音で話しやすく、こちらが話すことはすべて聞いてくれて余計なことは言わず、しかし訊ねたことには確実に答えてくれて、ドラッグコントロールがとても上手で少ない手数でぴたっと投薬内容を合わせてくれて、PCを能く使われる。私がお世話になった頃はまだうっすらと見えていらっしゃったそうで、ご自身でカルテ(電子カルテではなく、手書き)を書いてらっしゃった。
 
後年、全盲になられてからもお世話になる機会があったのだが、そのときもご自身でカルテを書いてらっしゃったし、病院はお住まいから二つほど市を跨いだ町にあったのだが、お一人で電車とバスを乗り継いで通ってらっしゃった。ほんとうに見えてらっしゃらないのだろうか、と思うこともしばしばだった。
病院があるのは小さな町だったのだが、町の人は皆、先生の姿を見ると頭を下げて挨拶をしていた。バスの運転手などは先生の昇降時には毎回「先生、気を付けて」と添えていた。先生の徳が窺い知れる。
 
30年ほど五稜病院(こころの医療センター)にお勤めの後、定年退職されたのだが、その後お住まいの街で別の病院に勤めていらっしゃる。私は何度もこころの医療センターに入退院を繰り返したが現在はかかりつけ医に定期通院するのみにとどまっていて、いまは甥っ子が生駒先生の許に通っている。
私はとても薄情な人間で、恩を受けても有難いと思いはするが何か返そうとまでは思わない。しかし母親と生駒先生にだけは何らかのかたちでお返しをせねばならないと考えている。

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思い出したように一ト月ほど前に別所に書いた記事を転載。


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