衛澤のどーでもよさげ。
2010年03月20日(土) あっあはははははははははげらげらげらげらげら。

ほかに書きたいこととか書くべきこととかあって、でも時間とか体力とかなくて、という状態で放置していましたが、これはいま書いておかなくては、と思うことに出会ったので取り急ぎ書いておきます。

私は各SNSやTwitterでプロフィール写真に下の絵を使用しています。この絵はオフラインでの私を知っている人には結構好評で、実物と甚だよく似ていると言って頂いているものです。



これを、友人に教えて貰ったアバタープログラムに放り込んでみました。先頃公開されました映画「アバター」の世界でアバターになれちゃうというサービスです。

ぢゃいーん(サイバーな擬音)。



あっ……あはははははははははははははははげらげらげらげらげらげらげらげらげら。
これはひどい。
何か発音できない名前が付いてるし。シングルクォーテーションなんてどう発音すればいいんだ。

更にこのアバター写真をアバタープログラムに突っ込んでみます。


あっ、どんどん人間ぽくなってきた! ちょっと男前?

このアバターになった姿は、アバタープログラムのサイトではちょっとだけ動かしてみることができます。3D画像なので斜め四五度の横顔が見られたり。そのサイト上でいろいろ動かして見た方が、静止画像より味がある像が見られます。特に一枚めの扁平顔なんかはそうでした。

2010年03月14日(日) 整理。

私どもの仕事で行います「作業」には幾通りかありまして、「身体も道具も使わないが頭を使うもの」、「頭は使わないが身体を使うもの」、「頭は使わないが道具を使うもの」、「頭も道具も身体も使うもの」など、いろいろです。
もの書きの仕事では「身体も道具も使わないが頭を使って」いたり、「道具と頭を使って」いたりすることが多く、またそういう作業をこそたくさんこなさねばならぬのですが、ときと場合と体調などによってはそういった作業が捗らず、「頭は使わないが道具を使う」作業がやけに捗ってしまう日なんてのも儘あるものでございます。

本日の私はそんな状態です。私は忘れっぽいこともあって、物語を書く上で思いついたことはとにかくメモ書きにします。必要かそうでないかはそれから考えます。とにかく書くのです。すると大量のメモができます。
書いたメモはコンテや原稿用紙を入れてあるクリアケースに放り込むのですが、クリアケースの中がメモ用紙の花吹雪でえらいことになってきましたので、メモ用紙はメモ用紙でまとまるように、封筒をつくることにしました。材料はメモ用紙です。

私は毎年「よつばとひめくり」というカレンダーを利用しているのですが、このカレンダーは暦をめくるとその裏には罫線が引いてくれてあって、メモ用紙にするには最適であります。表で愉しみ、裏を活用。二度おいしいカレンダーであります。
カレンダーとしての役目を終えたものを束ねてメモとしているのですが、そこから二枚、封筒の材料として取り出します。



左が表、右が裏です。左は三月一二日付のもので「モスの日」と書いてあります。ハンバーガーチェーンのあのモスです。一九七二年三月一二日がモスの生まれた日なのだそうです。「よつばと!」という漫画には時折モスバーガーが登場します。



その二枚を、適当な部分に折りくせをつけたり要らない部分を切り取ります。
長さとか幅とか、あんまり測ったりしていません。洩れたら困るものを入れる訳ではないので。



折ったり要らないところを取ったりした二枚を袋状になるように貼り合わせます。口紅糊は便利ですね。手を汚さずに広い範囲に塗ることができます。
気が向いたり或るいはそういうのが上手な人は表の絵柄が外側に出るように組み立てて「モス買ってきたジャンボさん封筒」とかつくってもいいのだと思います。あ、いまちょっと萌えてしまった。
私は、自分が構想しているものが「よつばと!」の影響を受けたりしたらいやーんと思ったので中表にしました。



封筒ができ上がったらばらばらだったメモを入れて分類しておきます。これでメモたちがてんでばらばら好き勝手にクリアケースやファイルの中で泳ぐことはありません。

わざわざ切り貼りしなくても最近では封筒だって吃驚するほど安く売っているのだし、メモ用紙の大きさにあった茶封筒でも買ってくればよかったんじゃね?なんてお思いの向きもあるかと思います。
確かに封筒という用品についてだけ考えればそうなのですが、この「作業」が必要なとき、というのもあるのです。多分今日はそんな日だったのです。
封筒自体はとびきりのものができる訳ではありませんが、この封筒を切り貼りしたり、できた封筒にメモを入れたり分類したりするときに、メモ書きの内容を確認することになります。そこから新しい何かが生まれることだってあるのですよ。ないことも多いけど。

2010年03月12日(金) 身振り。


2010年03月05日(金) 同居人。

新たに同居人を迎えた。



名前は「くろにゃー」。
四十路前のおじさんですが、この存在に心和ませています。かわいいのん。

2010年03月04日(木) 自転車の。

故あって、ずっと続けていたトレーニングを一年ばかり休んでいた。今日、それを再開した。軽いウォーキングなどはできる限り行なっていたがそれでも随分身体の各所は衰えてしまっているので、使用するウエイトは軽めにして、メニューも少なめにした。エアロバイクも、一生懸命漕がないでのんびり音楽を聴きながら、本を読みながらにした。

字の本を読むのも久し振りだ。故あって文章が書いてある本が読めない時期が続いていて、読むものは漫画に傾いていた。ひどいときは漫画も読めなかった。
エアロバイクを漕ぎながら拝読したのは高千穂遙先生の「自転車で痩せた人」、昨年末辺りに書評か何かを読んで買い求めたが読めないまま積ん読本になっていたものだ。

高千穂氏についての逸話は一九八〇年代には当時購読していた雑誌などでよく見聞きしていて、バイク乗りであることは私も知っていた。しかし、一九九〇年代に入ると私のSF離れもあって、氏について聞き及ぶ機会はぱたりとなくなった。「自転車で痩せた人」で二〇年振りの再会である。
二〇年の間に、高千穂氏は苦境を越えておられた。

「十二年ほど前のことだろうか。四十代になったあたりだ。
 体調に異変が生じた。
 頸椎と腰椎の椎間板ヘルニアを発症した。首に負担のかかる([引用者註]バイク用の)重いヘルメットの使用を禁止された。(中略)肺の良性腫瘍が見つかり、人生初の入院、手術というものを経験した。」

「血液検査の数値が、予想外に悪くなっていることがわかった。
(中略)
 コレステロール値が高い。血圧も高い。体重は八十四キロで、体脂肪率は二十四パーセント。ウエストまわりは九十センチ近かったんじゃないかな。
 生活習慣病の一歩手前と診断された。いや、もう片足くらいは入りこんでしまっていたのかもしれない。」
          (「自転車で痩せた人」二〇〇六年刊、P24〜P25から部分抜粋)

前半のヘルニアや腫瘍はさいわい私にはないが、後半の血液検査の数値や体重過多、体脂肪率過多、生活習慣病一歩手前、これ等は四〇代目前の私が直面している危機そのもので、文中の高千穂氏はまさしくたったいまの自分であると思えた。
一年ばかりトレーニングを休んでいたと述べたが、その故とは体調不良だった。原因不明の倦怠感……倦怠感というにはあまりに重々しい、自重が支えきれずに床に伏せった状態から自力で起き上がれないという時期があり、医者にかかっていた。その倦怠感の理由は多血症であるとか糖尿病の予兆であるとか、幾つもの仮説は立ったが、何れも正解ではなかった。この原因や病名は、動けるようになったいまも判らないままだ。

一年のほとんどを寝込んでいたため、体重は増え、筋力は衰え、特に運動をする訳でもない日常生活の中でも実に動きづらい。たまにウォーキングに出ていても三日も寝込めば立ち上がることさえ簡単にはできなくなるほど足は弱る。
人の身体は、意識しようとすまいと、毎日少しずつ衰えている。
その衰えを少しでも少なく遅くしようとずっとトレーニングを続けていた。体力、筋力の衰えは、怖い。
血液検査の結果一覧で多くの項目が危険値を示しているのを見たからなお更だ。

しかし今日拝読した「自転車で痩せた人」には、希望が示されている。四〇歳になろうと五〇歳になろうと、遅くはない。きちんと自分に合わせて整えられた自転車に乗り、それを習慣にすれば体質改善、生活改善は可能であると、高千穂氏は件の書の中で述べている。
一日二時間の走行を二年間続けた氏は体重を二〇キログラム、体脂肪率を一〇パーセント減量することに成功したのだそうだ。この例は「成功例の見本」みたいなもので、自分にもまるきり同じ効果が得られるかと言えば、氏と同じ手段を試みてもそうでもないかもしれない。しかし、氏の例を参考に自分なりの努力を重ねれば、氏の例に準じた効果は得られるはずだ。これは理想でなく実現可能な希望だろう。

私にとって明るい話題である。しかしそれ以上に、高千穂氏が綴る自転車ライフがとても愉しそうなのだ。いわゆる「ママチャリ」に乗っている私などは想像もしなかったが、自転車での巡航速度時速二三キロメートルは「むちゃくちゃ遅い」のだそうだ。
レース用の自転車で時速三〇キロメートルで軽々と巡航するのも、年令、性別を問わず、夢ではないと言う。五四歳の高千穂氏は日帰りサイクリングで八時間走り、一六〇キロメートルを走破するのだと言う。
自転車でそれだけの速度を出せて、一日でそれほど長距離を行くことができるなら、きっと愉しい。二年ほど前に私は小さな単車を購入し、それに乗るのが愉しく、ツーリングに出たいとも考えていたが、自転車でのツーリングはもっと愉しそうだ。

このような次第で、健康云々は抜きにしてもただいまの私はスポーツ自転車に興味津々である。まだ買わない。まだ買わないが。パワーラックもほしいし。

2010年03月03日(水) 昼餉。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
     (「秋刀魚の歌」より抜粋/「我が一九二二年」(佐藤春夫)所収)

このように秋刀魚という魚を詩にうたったのは、我が郷土が矜る詩人、佐藤春夫先生である。その土地で昨日、私は一匹三九円という大変有難い安価で秋刀魚を購った。
明けて今日。昼餉のために炊く飯の中に秋刀魚を一匹と少しいい塩を一トつまみ放り込み、そのまま炊き上げる。頭と腹の中身を取っただけの秋刀魚をまるごと炊飯器に入れる。
やがて昼。炊き上がった秋刀魚飯から秋刀魚を取り出し、中骨と尻尾を外して身をほぐし、飯に混ぜ込む。その秋刀魚飯とでき合いの豚汁を昼餉とする。

旨い。
季節外れの解凍秋刀魚とほんの一トつまみの塩を足しただけの飯だが、甚だ旨い。思わず落涙せしめらるるほどの。それを、汁ものと一緒に喫することができるよろこび。これもまたさいわいであり、心に留め忘れてならぬ小さき大事なりと、飯を噛みしめた。


エンピツユニオン


Copyright © 2004- Soh Ezawa All Rights Reserved.