2008年12月31日(水) 整理。
淡古印体で喋れるようになりたい衛澤です。
先日逝去しました同居猫まめの遺品を整理していましたところ、友人が携帯電話で撮ってくれた動画が出てきました。生後三週間で海辺にひとり放り出されていたまめが人間のおとうちゃんの家に来たばかりの頃の動画です。状態のいいものではありませんが、見てやってください。
遊びに来てくれる人みんながまめと遊んでくれました。みなさん有難う。
かなり粗い動画ですが、いなくなった後も生きていた頃の動きまわる様子が手軽に見られるのは有難いですね。三〇年も前なら考えられなかったことです。
私にも、そしておそらくみなさんにも、二〇〇八年という今年はいろいろなことが沢山起こった一年だったと思います。いいことも、よくなかったことも、合わせて私という存在をかたちづくってくれたものとして、受け容れようと考えております。
直接、間接を問わず衛澤と関わってくださったみなさまにも有難うございます。二〇〇九年も多分ずっと生きていくので、新しい年もよろしく御願いします。
よい御年を。
あーそうそう。二〇〇八年最も男前だった人は、夏季五輪ソフトボールチームの上野投手だと思います。
2008年12月29日(月) お別れ。
こんなに早く別れのときがやってくるとは思いもしなかった。
今朝のこと。携帯電話の目覚ましをセットしていたにも拘わらず、いつまでも起きられずに床の中でぐずぐずしていた私は、玄関の呼び鈴に起こされやっと床を出た。扉を開けるとそこにはうちの真上の階の部屋にお住まいのおばあさんがいて、仰ることに「向かいの空き地に倒れてるのは御宅の猫じゃないか」。
寝起きの恰好のまま、私は靴を履いて外に出た。
「向かいの空き地」というのは、私が住むアパートのベランダ側の窓から見える場所だ。うちの猫だけでなく、ほかの猫もちらほら通りかかるのを見る場所だ。
行ってみると、確かにそれはうちの猫で。
身体を長くして手脚を放り出す恰好で身体の左側を下にして倒れていて。目は開いていたけど瞬膜が半分出ていて眼球は白く濁っていて。口が半開きで舌が横っちょから出ていて。そんな状態だけど表情はあまり苦しくはなさそうだった。
抱き上げると身体は既に硬くなっていて、でも冬毛のせいかそんなに冷たくはなかった。
うちの猫―――名前をまめと言った―――は日中はずっと自宅で寝ていて、日暮れの頃から外出するのが日課だった。出て行っては帰り、出て行っては帰りを繰り返して、帰ってくる度に「ただいま」の挨拶に来てくれた。その外出が昨夜は随分長くて……でも、そんなことは以前にも何度もあり、そういうときも朝にはきちんと帰ってきていた。
だから、昨夜も、きっと帰ってくるものだと思って、私は床に就いた。
私が眠っている間にどんなことが起こったのかは判らないけれど、何があったにせよ、まめはもう帰らない。抱いて帰ってきた身体は抜け殻で、もう死んでいる。
まめを抱いて帰宅した私は、先ずまめの身体を何かでくるんでやらないといけないと思った。できるだけ新しくて暖かくて肌ざわりがいいものを、と思ったけれど、見当たらなくて、まめが生前おもちゃにして遊んでいたブランケットを出してきて、それでくるんだ。それから箱に入れてやらなければと考えたが年末でダンボールの類いは資源ごみの日に出してしまっていて選択肢がなく、掃除機が入っていたダンボール箱を棺代わりにした。
それから、まめのことを知らせてくれたおばあさんに御礼を言いに伺った。市役所に電話をかけて、まめの身体を引き取って処分して貰えるように手配した。
まめのカリカリ餌が、山のように残っている。貰い手を探してメールを出した。それから、まめのトイレを掃除した。まめが使うことはもうないから、中に入っている紙砂も底に敷いているシートもごみに出してしまおう。明日は今年最後のごみ収集日だ。
私が住んでいるアパートの間取りは3Kで、そのうち一室はまめのものだった。私はその部屋を先ず掃除した。掃除機をかけて、雑巾で拭き掃除した。ほかの部屋も同じようにした。大掃除なんて今年はもうしないつもりでいたのだけど、何かをしなければならないような気がして、とにかく掃除をした。
一ト通り掃除をして、多少はきれいになったまめの部屋で、ダンボールの棺の傍にすわり、私は少し喋った。
まめくんがいてくれておとうちゃん愉しかったよ。おとうちゃんもおとうちゃんの家族もおとうちゃんの友達も、みんなまめくんが好きだったよ。まめくんがいるだけでおとうちゃんは倖せだった。おとうちゃんはだめにんげんだけど、これからはちょっとがんばってみるよ。
喋り終える頃に、電話が鳴った。市役所の収集車からの連絡で、直ぐ近くまで来ていますとのことだった。
ダンボールの棺をまめの部屋から玄関に出して、市役所の車を待った。「お別れだね」と言ったときに呼び鈴が鳴った。
市役所の人にダンボールを引き渡して、手数料を支払った。まめは白いトラックに積み込まれて、部屋にはいなくなった。私が住んでいる部屋に、私は一人になった。
まめが私と一緒に住みはじめたのはついこの間、二年も経たない以前で、その更に前は私はやっぱり一人暮らしだった。だから何も変わらないはずだった。だけど。
まめの身体を送り出した後、部屋がひどく広いように感じられた。「一人ってこんなに寂しかったっけ」と思った。十数年振りに、大声を上げて泣いた。頭が痛くなって目眩がするほど泣いた。涙が一杯出た。
ここに書いたことが、たった三時間のできごと。
もう一度眠って起きたら、明日からはまた二年前の続きのような日が繰り返すのだろう。死は日常のことであって特別なことではない。何れ自分にも来る。
死後の世界があるかどうかは死んでみないと判らないが、もしもそうしたものがあるのならば、そこでまた会えたらいいね、といまは思っている。
2008年12月26日(金) メリークリスマした。
愛の話は沢山しましょう恋の話はもう沢山だと思った衛澤です。
みなさんクリスマスという祭事を愉しみましたか。クリスマスイヴを愉しんだ人の方が多いでしょうか。十字架を掲げた教会へ行きましたか。聖書を開きましたか。讃美歌を歌いましたか。信心がなくてもできることです。クリスマスを愉しんだという人はいまからでも遅くないので、これ等のことをやってみるか、せめて「
聖☆おにいさん」を読んで頂きたいと私などは思います。
他人さまの誕生日をダシに愉しんだのなら、その御本人のことを少しくらいは知っておく努力をしてもいいのではないでしょうか。
そう言う私は今年のクリスマスをどう過ごしましたかと申しますと、イヴと当夜は平日と何ら変わりなく。この両日は世界中で多くの人がメリークリスマスを唱えるでしょうから、その日は敢えて外し、後夜祭のみ執り行うこととしました。
月末で懐事情もあまりよろしくありませんが、今年最後の定期通院の帰りに某有名フライドチキン専門店でフライドチキンを数ピース買い求め、コンビニエンスストアで小さなケーキを買い求めました。これは、私の幼少時に家人がクリスマスのために整えた用意に沿っています。
私の生家は誰もクリスチャンではありませんでしたが、「クリスマス」という祭事によって家族がささやかに晩餐を企画し用意を調え一同がそれを共有できたということは、まことにまことに、主イエス・キリストがこの世に人の子として御生誕くださった御陰であります。
あなたも人の子私も人の子。この世に生まれためでたさに変わりはありますまい。美味を喫し、讃える歌を歌い、聖句を唱えましょう。
御誕生日おめでとう。あなたが生まれて有難う。
主イエスよ。私はあなたの御陰で「愛」という単語を早い時期に知りました。とても幼い頃から愛について考えることができたのはあなたの御陰です。
そして宗教という思想形態を知り、思想によって人は集い、そして別れることを体験しました。集うこと、理解すること、許すことの原型を、私は主の名と教えを説く場所で学びました。限られた時間ながらクリスチャンであったことによって私は仏陀の教え、イスラムの教え、そのほかの宗教や思想及び哲学がよく見えるようになりました。多様な思想がありそれ故の垣根はあるものの、世界は一ト連なりであると判りました。宗教や思想は争いの理由にならないと知りました。
既にクリスチャンではなくなったいまも主と主の教えには感謝しております。さいわいなるかなさいわいなるかな、主がお生まれになったこと、それを祝う私がいること。主を信ずる者にもそうでない者にも、主のお生まれを祝う私を知る者にも私を憎む者にも、それぞれに等しく一日があるが如く、さいわいもまた等しくありますように。
信じる人にも信じない人にも、よろこぶ人にも望まない人にも、等しくクリスマスはやってきます。できれば多くの人が、自分ではない誰かの誕生日をよろこぶゆとりとやさしさを持っていますように。
そして冬にクリスマスを祝う余裕がある人は、春には灌仏会もお祝いしてみましょう。
来たりませ来たりませ、生まれ来るあなたよ。あなたが何者であっても、私はあなたを祝福しよう。あなたの尊さをやがてあなたが知るように。
2008年12月20日(土) 行事予定。
ネコ缶でサンドイッチをつくって友人に食べさせたことがある衛澤です。
巷で廃止を要望する声も高いクリスマス制度ですが、当方では本年度のクリスマスを、後夜祭のみ執り行うことと決定致しました。
純粋にイエス・キリスト氏の誕生を記念し祝い、世界三大宗教の一つであるキリスト教の教義に触れ、人の人たるありよう、世界の流動、来るべき時代に思いを馳せ、パンを五つと魚を二匹食べます。ワインを私は飲めないので、グレープジュースを飲みます。
そして、きっと私は奇跡を見ることでしょう。食べ残したパンのくずを集めると一二のかごが一杯になっちゃって食べる前より増えていてうっはうはです。
然る後、日を改め、過ぎ去りしこの年を見つめます。見つめ直した後、新たな年を迎える支度として、忘年会を執り行います。年末は誰も忙しくて時間を都合し合ったりできないので、単独で行います。
しかも、今年は新たな試みとして、エア忘年会を行います。準備なし、資金なしのリーズナブルかつフレキシブルな宴会です。出しものとして「シュレディンガー音頭」を歌い踊る予定ですが、曲も歌詞も知りません。エアだからいいよね、別に。
2008年12月18日(木) 電脳会話。
もしも自由に使っていい三億円を手に入れたならブックオフとユニクロとダイソーで思うさま買いものをしてみたいと考える、生活資金が増えても生活の質でなく量が向上してしまうタイプの衛澤です。
いきなりですがメッセンジャーって御存知ですか。黒田くんとあいはらくんのコンビではなく、パソコンとソフトウェアとインターネットを介して遠方の人と実時間上で会話できるという仕組みです。
おおまかにはこんな感じで会話をします。
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ぺそ:
まいど。御晩です。
衛澤:
まいど。
ぺそ:
あのさ。
衛澤:
うん?
ぺそ:
駄菓子って旨い?
衛澤:
わしは駄菓子を愛している。
ぺそ:
ほう。
衛澤:
だが愛していることと美味であるかどうかは別のことだ。
ぺそ:
つまり美味ではないと。
衛澤:
迂遠ながら。だって「駄」菓子だから。
ぺそ:
だ?
衛澤:
駄。「つまらない」とか「粗末な」とか、何だかワンランク下っぽいことを表す接頭語。
ぺそ:
駄パンプとか。
衛澤:
差し支えありすぎる発言。ファン激怒。
ぺそ:
駄楽器とか。
衛澤:
音楽に謝れ。主にパーカッションに謝れ。
ぺそ:
駄天使。
衛澤:
それは惜しいけど違う。堕天使は堕ちてんの。
ぺそ:
じゃあ、堕パンプ。
衛澤:
やめれ。要陳謝。
ぺそ:
駄人間。
衛澤:
その場合は駄目人間。だめにんげんだもの。みつを。
ぺそ:
駄菓子。
衛澤:
旨いよ。
ぺそ:
旨いんだ。
衛澤:
チープでキッチュでジャンク。現代日本の子供がおそらくはじめて体感する合法的な社会的ノイズ。
ぺそ:
へー。
衛澤:
同じ駄菓子を一度に沢山買ったりしちゃ駄目。大人だからって大人買い禁止。子供の大人買いは更に厳重に禁止。
ぺそ:
何で?
衛澤:
駄菓子はちょっとずつ食べるようにできている。ちょっとずつ、沢山の種類を。懐石料理と同じ。
ぺそ:
京料理?
衛澤:
むしろ逆京料理。京料理は上品な薄味で上品な器に上品に盛られているが、駄菓子は濃くてしつこいお味で袋を乱暴に破ってがりがりと貪り食うもの。
ぺそ:
ふんふん。
衛澤:
袋を開けて袋ごと口に持っていってざらざらーって流し込むように喰ってざくざくと咀嚼してんがぐぐと嚥下して、早速全部なくなっちゃって、あー少しずつ食べればよかったーって。その後悔まで含めて駄菓子。
ぺそ:
旨いの?
衛澤:
旨いんじゃないかな。
ぺそ:
何で推量?
衛澤:
形容詞で表現される事象というのは、常に何らかの基準と比較されて後に表されるものであって、その基準は全人類共通では決してない。故にわしが旨いと思うものがわし以外の者にとって旨いかどうかはシュレディンガーの猫なのよ。
ぺそ:
ふーん。
衛澤:
うん。
ぺそ:
で、旨いの?
衛澤:
何が。
ぺそ:
キャベツ太郎。
衛澤:
旨いよ。駄菓子のベストセラー。
ぺそ:
キャベツ太郎ともろこし太郎はどっちが兄?
衛澤:
えっ、兄弟なの?
ぺそ:
兄弟じゃないの?
衛澤:
だって、どっちも太郎だよ? どっちも長男だよ?
ぺそ:
あーそっかー。
衛澤:
そろそろ原稿やらなきゃ。
ぺそ:
がんばってー。
衛澤:
おやすみ。
ぺそ:
おやすみ。
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人間同士が喋ることの八割以上は意味のないものだと思っています。意味がある部分にも意味のない部分にもそれぞれおもしろさがあって、その何れをも愉しめる人でありたいと思いつつ、今日もたいした意味もなく生きています。
2008年12月17日(水) 弗。
死体に嫌悪も羨望も抱かない人になりたい衛澤です。
また米ドルを買ってきました。今日のレートは1ドル=88.87円(手数料別)。これで支払いに必要な分は揃いました。
なかなかの分厚さです。これだけあれば結構な額なのですが、どうも外貨は手にしても「お金を持っている」という実感が湧きません。この束は一〇〇ドル札から一ドル札まで額面順に揃えてあるのですが、紙質や色の変わり具合いなどからしても、何だか少年漫画雑誌にしか見えません。
2008年12月15日(月) 不味。
炊きたて飯のおにぎりが食べたくて御飯を炊いたはいいが熱くて握れずに炊きたて飯のおにぎりが喰えず終いの衛澤です。
これまで好んで可能な範囲で奇食に関わってきました。奇抜な食材を用いた食べものや、奇怪な食べ合わせの食べものや、脳が捻じれた感じの方法で調理された食べものなどです。「普通に食べたら当たり前においしいのにどうして余計な一ト手間を加えるのか」というアレです。
けれども私は、これまで「不味い」ものに当たったことはありません。食べられるものを材料として調理をする限りは食べられるものができるはずです。「おいしくない」ものはできるかもしれませんが、喰えないほど「不味い」ものはできないのが道理です。牡蠣ソフトクリームだって小倉バタートーストだってうなぎパイだってみんな何処かが第四次幻想の方向に捻じれてるけどどれも美味です。
そんな幸福な三十余年の人生でした。そして今日、私は新しい邂逅に行き当たる。割りと近くにいたのにお互い気付かなかったんだねという感じの出会いです。しかも友人から紹介されました。
その君の名は……「カフェロップ」。
上記写真のパッケージに書いてある通り、「眠気防止薬」です。薬店で購入できます。眠いのに寝ちゃいけない人たちが主に使用します。稀れに寝たいのに眠れない人が自棄を起こしたり錯乱したりして使用することもあったりするかもしれません。ペンで何か書いたり描いたりする人たちは高確率でこの種の薬品を使用しているようですが、そのスタンダードは瓶入りドリンク剤です。しかしこの「カフェロップ」なる薬剤は、パッケージを見るとドリンク剤ではなくドロップタイプと書いてあります。つまり飴ちゃん状です。
上記写真で比較対象の爪楊枝と比べてみますと判ります通り、一般に販売されている飴ちゃんの類いよりも幾らか小さいくらいです。見るからにコーヒー色で、それがカフェインを連想させ、眠気がなくなるかもという気分にはなります。
では、これを使用……食べてみましょう。
口に含み、瞬間、鼻腔に漂うコーヒー香料の香り。「コーヒーの匂い」ではなく「コーヒーっぽい」匂いです。そして飴の甘み……やがて苦味。
飴が舌の上で溶け出した途端に襲い来るこの苦味はコーヒーの苦味ではありません。ちょっと高価なドリンク剤の薬草っぽい苦味と渋柿を渋柿と知らずに喰ってしまったときのえぐみと驚きと後悔をブレンドしたかのような不快な、最早や何味と言っていいやら判らない味というか刺激に口腔粘膜のすべてが一斉に塗り替えられてしまいます。申し訳程度に少しずつ溶け出してくる合成甘味料の甘みが不快な味を抑えようと働きかけているのは判るのですが、その力があまりに非力で却って腹立たしいと言うか、無理して抑えてくれない方がまだましかもしれないという絶望の一歩手前の感じ。つまりこれは。
不味い。
そう、間違いない。これが「不味い」という味覚なのです。生まれてはじめて出会う感覚です。この口腔内に広がる、痺れに限りなく近い苦味そしてえぐみ。口の中で転がして舌先の方へやれば舌先の感覚が麻痺するように感じられ、喉の近くにやれば舌の広い面積がえぐみを感じて吐き気を催します。噴門が開く感じ。要人暗殺のための毒を薄ーくしたものにちょびっとだけシュガーカットと悪意を混ぜたような。あー不味い。これは「不味い」と口に出さなければじっとしていられない不味さです。うー不味い。「不味い」と口に出して不味さを紛らわせよう。不味い。不味い。
これでは職場で幾ら徹夜を乗りきろうとやる気を出してカフェロップを食べてみても、勝手に口から「不味い」というネガティヴな単語が沢山出て行くことによって自分は疎か職場にいるみなさんの士気が下がる一方ではありませんか。ともすれば同僚のみなさんに「不味い不味いとうるさい」と袋叩きに遭うかもしれません。或るいは「こんな不味い思いをしてまで起きてられるか」という理不尽に五臓六腑が大沸騰で仕事どころではなくなるのではないかと思います。
……判った。
これは「眠気を取る」のではなく、服用した人の意識を「不味さ」に一点集中させて「眠いことが判らなく」してしまう薬なのです。歯が痛いときに身体の何処かをつねるとつねった場所が痛い御陰で歯の痛みがなくなったりましになったりするのと同じです。含まれているカフェインの覚醒作用で眠気が覚めるような雰囲気をコーヒー香料で醸し出しておいて実は意識を陽動しているのです。きっと。
飴ちゃん状のものに精神攻撃を食らうとは思いませんでした。
こうして人生初不味いだった訳ですが、そのはじめての経験を、カフェロップの不味さを、ここに記録するとともに、果たして自分はそれ等を文章で伝えることができるのかどうかを試してみるということを出発点に本日の記事を書きました。どうだったかな。
あと主文とはまったく関係ありませんが、姿見(鏡)を衝動買いしました。暮れの物入りの時期になると自分の財政顧みず散財したくなるのは何故なんでしょうね。物欲ではなくて、「買いものをしてやった」という満足感のようなものを得たいみたいです。
2008年12月14日(日) 五〇。
iPodで「パンク蛹化の女」を聴いてヘッドバンギングしながらエアロバイクを漕いでいたら気分が悪くなってしまった衛澤です。
来年二〇〇九年は吉本新喜劇五〇周年に当たるということで、関西ではプレイベントもはじまっています。昨日の午後にはこれまでの新喜劇を振り返るテレビ番組が放送されて、私もこれを見ました。
私の記憶の一番旧い方にあるのは木村進さんやら原哲男さんやら室谷信雄さんやらが出ていた頃で、これが一九七〇年代前期です。この頃には既に吉本新喜劇は関西の文化として根付いており、土曜日の午後に毎日放送(TBS系)で、日曜日の午後には朝日放送(テレビ朝日系)で、自宅にいながらしかも無料で新喜劇を見ることができました。
ちなみにお馴染みの「ホンワカパッパーホンワカパッパーホンワカパッパッパ」というオープニングテーマは毎日放送のもので、朝日放送の吉本新喜劇には別の、クラリネットの音色からはじまるモダンジャズ風の曲が付いています。
週休二日制などというものはまだ影もなかった頃、土曜日を「半ドン」で終えて帰宅した学生が(或るいは働く人も)簡単な昼食(主にうどん)を食べながら見るのが吉本新喜劇でした。週に一回の休みの日、遅く起きてブランチという名の昨夜の残りものを食べ、腹がふくれてぼんやりする頃にテレビに映っているのが吉本新喜劇でした。いや、それ以前、各家庭のお子さんがものごころつく頃には当然のようにテレビに映っているのが新喜劇だったのです。
そして意識するでもなく「ただ、そこにあるから見る」ことを中学校を卒業するくらいまでの成長過程で続けることで、関西の人間は笑いの「間」や「型」や「技」などを知らず知らずのうちに感覚的に身につけていくのです。
幼い頃からテレビの中に生きた芸を見て育った子供は、歩いて話せるようになる頃には既に新喜劇ギャグの模倣をはじめています。保育園、幼稚園はギャグの花園。テレビで見知ったネタを臆することなく披露し体感し練習します。そのような環境で育つ子供たちは誰もがギャグの素養を持つことになり、巷に言われる関西人の笑いの水準の高さはここら辺で培われるのです。
しかしそうした子供たちも年令が上がり小学校の中学年辺りになると、各個人の性格や持って生まれた性質などで個体差が生まれ、内気な者は自分では芸をせずに観賞する側にまわる一方、より率先して身体を使ったギャグを見せたり自家製の新ギャグを発表するなどで学級一或るいは学年一と呼ばれるアマチュア芸人が登場します。こういった人物は必ず誰かにこう言われるのです。「お前、吉本に行け」と。
(同じ分野に松竹芸能が興行する松竹新喜劇がありやはり関西が矜る笑いの文化なのだが、同様の場面で「松竹に行け」と言った人を私はまったく知らない。何故だろう)
しかしながら、言われた者も多少得意になることはあっても、自分がそのまま吉本芸人になれるという鼻からザラメが出るほど甘いことは毛頭考えません。既に高い水準の笑いを身につけはじめている子供は、漠然とではあるかもしれませんが、「お笑いの世界」の厳しさを早くも感じはじめているのです。死ぬほど勉強して死ぬほど稽古しなければならないことを知っており、「アホの坂田」こと坂田利夫師匠は窮極アホであるが故に尊ばれるべき偉人であると知っているのです。
だいたいこんな感じで関西の子供は常に身近に「笑い」があるために、そうでない地方からやってきた人が笑いの作法に則れない場面に出くわすと、苛立ったり悲しくなったりいたたまれなくなったり、とにかく戸惑います。関西で生まれ育った者は、関西以外を知らない者は、他の地方ではギャグ・ボケ・ツッコミが日常的なものではないことを想像しきれないのです。これほど関西人は笑いに慣れています。
このように見てみますと、旧吉本興業(現よしもとクリエイティブエージェンシー)はNSC(吉本総合芸能学院)創設よりもっと以前、昭和中期にあって既に公共の電波を使って潜在的に喜劇人の養成を行っていたと言えます。
また、これはあまり指摘する人がいないのですが、新喜劇を見慣れる過程で関西人は、「舞台劇」を見る能力も養われているのです。ドラマや映画と違って舞台劇は視点が固定されているので、慣れていない人は何処に注目すべきなのか判らなかったり、人物設定や物語を理解する前に飽きてしまったりしがちなのですが、定点で見る物語としての新喜劇の御陰で、関西のだいたいの人が(「みんな」とは言えない)舞台劇を観賞する素養を持っています。
更に付け加えると関西では一九七〇年代から一九八〇年代にかけて土曜日の夕方に「Oh!タカラヅカ」という三〇分番組が放送されていて、タイトル通りに宝塚歌劇団の公演の様子をテレビで見ることができました。ミュージカルもあればレビューもあり、羽根もありシャンシャンもありの豪華な三〇分で、この番組も同じく舞台を見る能力を育んでくれたのではないでしょうか。私は「ベルサイユのばら」も「はいからさんが通る」も宝塚大劇場ではなくこの番組で見ました。漫画よりもアニメーションよりも先に、ヅカでそれ等の物語を知りました。
一年どころか四〇年近くを振り返ってしまいました本日は師走一四日。アコー・ローシとかオーイシ・クラノ・スケとかヤトー・エモシチとか書いてみると何だか仏語(フランス語)っぽいですよね。そうでもないか。
0系おつかれさま。
2008年12月12日(金) 時の暮れ。
めっきり他人さまと話す機会がなくなり喋れなくなってしまうのではないかと怖ろしくて仕方がないので、言葉を忘れないように本を音読している衛澤です。
定期通院日。持病のためにかかりつけの心療科医に通うのも、今年は今回を含めあと二回となりました。相変わらず開院時間ぴったりに診察券を出しても一六人待ち(二時間待ち)という個人医に稀れな盛況振りです。こじんまりした待合室に人がぎゅうぎゅうに詰まって順番待ちするものですから、パニック障碍持ちの私にはつらい場面です。人が沢山の場所にいるとパニック発作は起こりやすくなるのです。
ラッシュ時の電車みたいな人口密度の待合室にはとてもいられないし用事もあるので、待ち時間を教えて貰って直ぐに他所へ出て行きます。
徒歩で別の病院に行きます。泌尿器科です。こっちの病院は待合室が混雑することがないので長時間待つことになっても平気なのですが、今日は早々に呼ばれて施術して貰いました。ホルモン注射です。定期的に定量の注射をして貰わないと精神面にも影響してくることがあるので、心療科に来たらその足で泌尿器科にも行くことにしています。
さて、この泌尿器科と心療科との間に、当市最大の銀行があります。ここで私は今日、はじめて外貨を購入しました。来年早々に海外の病院で手術を受ける予定があり、その病院の支払いは米ドルで行うので、米ドルを買っておこうという訳です。
どんどんレートが下がってくるこの頃。とうとう1米ドル=100円を割ったということで、もうこんなに下がることもないかもしれない、95円以下だったらもう迷わなくてもいいだろう、そう思って購入しました。本日のレートは1米ドル=91.57円(手数料別)。
米ドルの束を鞄に詰めて心療科に戻ると丁度診察順がまわってくるところでした。診察室に入って近況を医師に報告。一一月はとても元気で県外まで遊びに出られた日もあって調子がよかったのですが、一二月に入った途端に何だか寝起きが怠くて先日までのように速やかに起きられなくてヤダ、とか愚痴を垂れたところ、「もう直ぐ薬をやめなければなりませんから、投薬内容は変えませんよ」とさらりと。
その後はタイの話。心療科の医師はタイに度々行っている事情通で、現在でんぐり返っているタイの政情などもよく御存知です。「空港が使えるようになってよかったね」にはじまって、政情や治安がよろしくなくなっているからバーツ(タイの通貨)も安くなっているとか、米ドルも安くてもう直ぐ90円を割るかもとか、90円を割ってしまうと米国が大きく動いて為替市場もえらいことになるかも、などなど……診察時間一五分のうち一〇分くらいは外貨レートの話をしていたように思います。医師と私との間には「タイ」と「漫画(主に浦沢直樹)」という共通の話題があるので病状や薬の話をしないまま診察を終わることも儘あるのでした。
前回と同じ薬を同じ数だけ貰って、帰宅。
昼食を摂って暫くした頃に猛烈に眠気がやってきて「ちょっとだけ」と思ってうとうとしてから、半眠りのまま午後三時過ぎに見たニュースが言うことに「1ドル=88円台に……」。
後悔はしないけど、しゃきっと目が覚めた。
2008年12月08日(月) あゝ無常。
自分の身体のにおいが最近とみにおっさんくさいと感じるようになった衛澤です。
「どうしようもない御話」が大好きです。
自分ではどうにもできないできごとが次々と身に降りかかって、それでも何とか乗り越えようとがんばってどうにか乗り越えたと思ったら、乗り越えたことによって事態はがんばる前より更にひどくどうにもしようのないものになってしまった、という感じの物語です。場合によっては「残酷」だとか「救いがない」とも呼ばれる物語です。
こういう御話が好きなので、或るWebサイトで「重い」だとか「アンハッピーエンド」だとか「容赦ない展開」などなどの書評が付いていた或る漫画本を見つけた私は期待にときめきながら購入しました。手許に来た途端に早速どきどきしながら読んでみましたところ、私の初感は「あー……ひどいけどそんなにひどくない感じかなー」でした。
読んだ人間を暫く立ち直れないくらいに突き落としてくれる物語を期待している私は、多少ひどい程度の御話ではあまり気持ちが動かないのでした。
私がこれまで読んだ中で最もどうしようもなく救いがない御話を描いた人は三浦靖冬さんでした。「とわにみるゆめ。」(ワニマガジン社)や「おつきさまのかえりみち」(同社)に収録されている「とおくしづかなうみのいろ」なんて、読後に「あああ……!」とか「もう……もうっ……!」とか、そういう具体的でない感嘆詞しか口から出てこないくらい怒濤のやるせなさです。
三浦靖冬さんの御著書は成人男性向きの性描写が含まれた作品ばかりが収録されていますので万人にお勧めできるものではありませんが、「どうしようもない御話」好きの方にはぜひお読み頂きたいです。
三浦作品以上にどうしようもなく救いがなくてやるせない御話を御存知でしたらどんどん教えてください。突き落としてー深く沈めてー。
2008年12月06日(土) 本棚調査(漫画編)。
筋肉少女帯の「レティクル座行超特急」を聴くと間奏に入っている「妄想だよ」「妄想だよ」「妄想だよ」……という囁きが曲が終わった後も暫く聞こえ続ける衛澤です。
当地方は本日今冬一番の冷え込みとなり、ヒートテックタイツや軍手など「一枚余計に」各所に着けて防寒した上で出掛けた私でさえも寒さに鼻が緩みました。信号待ちなどで立ち止まったりすると身体が勝手に震えます。
「さっさと用事を済ませて早く帰ろう」と考えた私ですが、一〇年ちょっと前は夏も冬も関係なく一日中屋外を歩き続ける仕事をしていたのです。その職場は海辺の吹きっさらしで、冬の海風は冷感を通り越して痛覚を刺激しました。そんな場所でも当時の私は使命に燃えて、不平をちょっとだけ言いつつも寒さと相対していました。
あのときはヒートテックタイツなんてはかなくても平気だったなあ、なんて遠い目で遠くをぼんやり見てしまいましたが、「あのときはヒートテックタイツが存在しなかったからはこうにもはけなかったんだよ。あったらきっとはいてたよ」と考えておくことにしました。後ろ向きにポジティヴ。
私とて「欺瞞」という言葉を知らない訳ではありません。また自分に対する欺瞞を特に「自己欺瞞」と呼ぶことも知っていますが、この単語を想起するともれなく海苔の佃煮の瓶詰めが一緒に脳裏に浮かぶのであまり思い出さないようにしています。
とか何とかあんまり関係ない話をしておいて、一昨日に行いました本棚調査の結果発表三回めです。本日は「漫画」編です。
【漫画】-------------------------------------------------------------
「名探偵コナン」1〜63(続刊) 青山剛昌/小学館
「まじっく快人」1〜4(続刊)青山剛昌/小学館
「4番サード」青山剛昌/小学館
「青山剛昌短編集」青山剛昌/小学館
「さんさん録」1〜2(続刊)こうの史代/双葉社
「夕凪の街 桜の国」こうの史代/双葉社
「ツレがうつになりまして」細川貂々/幻冬舎
「失踪日記」吾妻ひでお/イーストプレス
「ヨシオ・ザ・アイドル」湖東えむ/ラポート
「ヨシオ・ザ・ファイナル」湖東えむ/ラポート
「ブリザード・センセーション」片山愁/新書館
「回転パズル」片山愁/新書館
「クリスタルEYES」片山愁/新書館
「SPEEDY AGE」片山愁/新書館
「水のフィロソフィア」片山愁/新書館
「ドラゴン・フィスト」1〜2(続刊)片山愁/新書館
「東京浪漫細工」片山愁/新書館
「メルヘンちっくに決めさせて」片山愁/新書館
「君がいた夏」片山愁/新書館
「銀河鉄道の夜」片山愁/角川書店
「ドラネコシアター」餅月あんこ/エンターブレイン
「TVウォッチャーの逆襲」荒井清和/東京糸井重里事務所
「オッパイを取ったカレシ。」芹沢由紀子/講談社
「燃えよペン」島本和彦/小学館
「笑う大天使」1〜3(完結)川原泉/白泉社
「甲子園の空に笑え!」川原泉/白泉社
「空の食欲魔人」川原泉/白泉社
「ゲートボール殺人事件」川原泉/白泉社
「カレーの王子さま」川原泉/白泉社
「銀のロマンティック…わはは」川原泉/白泉社
「中国の壷」川原泉/白泉社
「美貌の果実」川原泉/白泉社
「フロイト1/2」川原泉/白泉社
「バビロンまで何マイル?」川原泉/白泉社
「メイプル戦記」1〜3(完結)川原泉/白泉社
「小人たちが騒ぐので」川原泉/白泉社
「BANANA FISH」1〜19(完結)吉田秋生/小学館
「るろうに剣心」1〜28(完結)和月伸宏/集英社
「動物のお医者さん」1〜12(完結)佐々木倫子/白泉社
「ここはグリーンウッド」1〜11(完結)那州雪絵/白泉社
「マカロニほうれん荘」1〜9(完結)鴨川つばめ/秋田書店
「ブラック・ジャック」1〜25(完結)手塚治虫/秋田書店
「究極超人あ〜る」1〜9(完結)ゆうきまさみ/小学館
「機動警察パトレイバー」1〜22(完結)ゆうきまさみ/小学館
「沈黙の艦隊」1〜32(完結)かわぐちかいじ/講談社
「パイナップルARMY」1〜8(完結)工藤かずや・浦沢直樹/小学館
「PLUTO」1〜6(続刊)浦沢直樹/小学館
「ガラスの仮面」1〜41(続刊)美内すずえ/白泉社
「鋼の錬金術師」1〜20(続刊)荒川弘/スクウェア・エニックス
「しあわせのかたち」1〜5(完結)桜玉吉/アスキー
「カードキャプターさくら」1〜12(完結)CLAMP/講談社
「「すき。だからすき」」1〜3(完結)CLAMP/角川書店
「図書館戦争」1(続刊)有川浩・弓きいろ/白泉社
「皇国の守護者」1(続刊)佐藤大輔・伊藤悠/集英社
「聖☆おにいさん」1(続刊)中村光/講談社
「きのう何食べた?」1(続刊)よしながふみ/講談社
「ほほかベーカリー」ボマーン/双葉社
「光の大社員」OYSTER/双葉社
「そんな2人のMyホーム」樹るう/双葉社
「派遣戦士山田のり子」1〜4(続刊)たかの宗美
「バーバーハーバー」1〜6(続刊)小池田マヤ/講談社
「バーバーハーバーNG」小池田マヤ
「鉄の驢馬」ZIN/古川書房
「Four Seasons」城平海・MELU/古川書房
「五人部屋」児雷也/古川書房
「仰ゲバ尊シ」児雷也/古川書房
「おつきさまのかえりみち」三浦靖冬/ワニマガジン社
「とわにみるゆめ。」三浦靖冬/ワニマガジン社
「花喰幻燈機」三浦靖冬/ワニマガジン社
「あずまんが大王」1〜4(完結)あずまきよひこ/メディアワークス
「よつばと!」1〜8(続刊)あずまきよひこ/メディアワークス
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漫画に関しては、蔵書の数より読んだ数の方が圧倒的に多いです。というのも、私は一度読んで、ほかの誰でもなく自分がおもしろいかどうかを確認したものだけを購入するようにしているからです。私の友人には「漫画読みのプロ」が何人かいて、その人たちの蔵書を借りて読んだり書評を聞いたりした上で購入書を選定し、購入予算案を提出します(自分に)。
読むスピードと購入するスピードは決して同じにはならないので、おもしろかったけどまだ手許にない作品も少なくありません。
一昨日から申しておりますように、私は実家を出る際にそれまで買い集めた本のほとんどを売却してしまったので、改めて買い直している作品も多いです。その場合は古書店を利用するので、思うように巻数が揃わないこともあります。だから「バーバーハーバー」が完結巻の7巻だけなかったり、「ガラスの仮面」の最新刊がなかったりします。完結しているのに中途までしか揃えていないのはこういう理由からの場合と、「これ以降は読まなくていい」と判断できる作品である場合とがあります。
現在、第1巻からずっと新刊で揃えているのは「名探偵コナン」、「鋼の錬金術師」、「PLUTO」、「よつばと!」の四作だけです。
2008年12月05日(金) 本棚調査(文庫編)。
朝、目が覚めたときに、自分が寝ている布団の上に、同居猫ではない知らない猫が寝ていたので吃驚した衛澤です。
本日は、昨日行いました本棚調査の結果を引き続き公表致します。続きましては「文庫」編です。明日付の記事に「漫画」編を掲載します。その予定です。
【文庫】-------------------------------------------------------------
「宮澤賢治全集1」筑摩書房
「宮澤賢治全集8」筑摩書房
「愛が好きです」中島みゆき/新潮社
「ブルージーンズメモリー」田波靖男/集英社
「まんがのかき方全百科」藤子不二夫 監修/小学館
「スペル・コレクション」安田均とグループSNE/富士見書房
「アイテム・コレクション」安田均とグループSNE/富士見書房
「トラップ・コレクション」安田均とグループSNE/富士見書房
「シティ・コレクション」安田均とグループSNE/富士見書房
「物語の体操」大塚英二/朝日新聞社
「本日のお言葉」川原泉/白泉社
「牙」北方謙三/集英社
「走れメロス」太宰治/新潮社
「仮面の告白」三島由紀夫/新潮社
「みだれ髪」与謝野晶子/角川書店
「屋根裏の散歩者」江戸川乱歩/春陽堂
「陰獣」江戸川乱歩/春陽堂
「心理試験」江戸川乱歩/春陽堂
「ペテン師と空気男」江戸川乱歩/春陽堂
「偉大なる夢」江戸川乱歩/春陽堂
「海流の中の島々」上下(完結) ヘミングウェイ/新潮社
「われらの時代/男だけの世界」ヘミングウェイ/新潮社
「宇宙の戦士」ロバート・A・ハインライン/早川書房
「銀河市民」ロバート・A・ハインライン/早川書房
「人形使い」ロバート・A・ハインライン/早川書房
「宇宙の孤児」ロバート・A・ハインライン/早川書房
「メトセラの子ら」ロバート・A・ハインライン/早川書房
「スターマン・ジョーンズ」ロバート・A・ハインライン/早川書房
「シャーロック・ホームズの冒険」コナン・ドイル/新潮社
「ベストセラー小説の書き方」ディーン・R・クーンツ/朝日新聞社
「ウィザードリィ日記」矢野徹/角川書店
「フランス外人部隊」柘植久慶/集英社
「ザ・グリンベレー」柘植久慶/集英社
「戦場の生存術」柘植久慶/中央公論社
「ロードス島戦記」1〜7(完結)水野良/角川書店
「片想い」東野圭吾/文藝春秋社
「白夜行」東野圭吾/集英社
「時生」東野圭吾/講談社
「ブレイブ・ストーリー」上中下(完結)宮部みゆき/角川書店
「キッチン」吉本ばなな/角川書店
「今日の芸術」岡本太郎/光文社
「自分の中に毒を持て」岡本太郎/青春出版社
「聖書」いのちのことば社
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小説というものを読みはじめたときから、小説は文庫で読むことにしています。小説は大抵読むのに長い時間がかかるので寝っ転がって読みたいのですが、ハードカバーだったり大きな判型だと読みづらいのです。小説というのは「寝っ転がって読むもの」だと、書く立場になったいまも私は思っています。
とか何とか小説を語る割りには所有冊数が少ないです。これは昨日もお話ししましたように実家から出て一人暮らしをはじめる際に概ねすべての蔵書を処分してしまったからです。一部は改めて買い直したものもありますが、小説の文庫本は古書店ではなかなか見つけづらいです。正価で買い直せるほど裕福ではありませんし。
上記リスト中で最も旧い本は「まんがのかき方全百科」です。これは実家を出るときに処分せずに手許に残したものです。
1979年のこと、清水の舞台から飛び降りた気で小学三年生の私は五〇〇円札(五〇〇円硬貨が発行されるのはこの二年後)を出してこの本を買ったのでした。この本によって私は物語の組み立て方や人物造形の手法などの基礎を身につけました。絵の描き方も学ぶ予定でしたが、後年自分には絵心というものがまるでないことに気付き愕然とした私は、漫画に関しては読み手に徹することを決めたのでした。
2008年12月04日(木) 本棚調査(一般書編)。
新人さんで溢れかえる新緑の頃に大学病院に入院して点滴を失敗されまくって腕が真っ青になったことがある衛澤です。
さて本日は自宅の蔵書調査などしてみました。本棚三棹とちょっとなのでたいした数ではありません。だからこそ調査する気になったのです。数が少ないうちにデータベースをつくっておかないと、そのうち調査しなければならない量が多くなって厭になってしまうので。三つ以上は沢山だ!(Wミーニング)
調査方法は簡単。本棚に並んでいる本の名前と著者及び出版社を片っ端から紙に書いていくだけ。この調査は二時間ほどで終わりました。これをデータ化するのに更に二時間。楽なものです。実家に住まわせて貰っていた頃にも一度同じことをやったことがありますが、そのときは書き取り調査だけでまる二日かかったものです。
せっかく調査したので、その結果を公表してみましょう。簡単にジャンル分けして三つに分けてみました。本日はその一つ、「一般書」編です。
【一般書】-----------------------------------------------
「写真集 海上自衛隊護衛艦隊」グリーンアロー出版社
「VIFAM PERFECT MEMORY」みのり書房
「名探偵コナン カラーイラスト全集」小学館
「ツーリングマップル関西」旺文社
「Webカラーコーディネート」南雲治嘉/グラフィック社
「ウェブレイアウトドリル」(株)アンク/翔泳社
「カラーコーディネーター入門 色彩」大井義雄・川崎秀明/日本色研事業株式会社
「色彩検定2級問題集」ヒューマンアカデミー/アスキー
「HTMLタグ事典」アンク/翔泳社
「ナイフファイティング」柘植久慶/原書房
「サバイバルバイブル」柘植久慶/原書房
「フランス外人部隊から帰還した男」柘植久慶/飛鳥新社
「禅の本」学研
「ファイナルファンタジー�参鯊凌圭颯供Ε灰鵐廛蝓璽伐�訂版」アスペクト
「よりぬきスタパさん」スタパ齋藤/アスペクト
「スタパミン」スタパ齋藤/アスキー出版局
「旅の指さし会話帳(1)タイ」加川博之/情報センター出版局
「プロブレムQ&A 性同一性障害って何?」野宮亜紀・針間克己・大島俊之・原科孝雄・虎井まさ衛・内島豊/緑風出版
「性同一性障害30人のカミングアウト」針間克己監修・相馬佐江子編著/双葉社
「女から男になったワタシ」虎井まさ衛/青弓社
「ある性転換者の記録」虎井まさ衛・宇佐見恵子/青弓社
「ある性転換者の幸福論」虎井まさ衛/十月社
「男の戸籍をください」虎井まさ衛/毎日新聞社
「透けてゆく人」安孫子良/文芸社
「天気の好い日は小説を書こう」三田誠広/朝日ソノラマ
「スペースオペラの書き方」野田昌宏/早川書房
「少林寺拳法入門」宗道臣/徳間書房
「少林寺拳法」日本少林寺拳法連盟/講談社
「体脂肪が落ちるトレーニング」石井直方・谷本道哉/高橋書店
「自宅で30分でできるダンベルトレーニング」有賀誠二/あほうせん
「角田信朗のボディ・トレーニング」角田信朗/日本文芸社
「こんなもんいかがっすかぁ」水玉蛍之丞/アスキー
「猫とフトンとゲームがあれば今日も明日も大丈夫!」のみねこ/新風舎
「一生使える毎日の糖尿病献立 新・和食編」鈴木吉彦・塩澤和子/主婦の友社
「決定版 小林カツ代の基本のおかず」主婦の友社
「海上自衛隊のすべて」海人社
「ダーリンコラム」糸井重里/朝日出版社
「小さいことばを歌う場所」糸井重里/東京糸井重里事務所
「オトナ語の謎」東京糸井重里事務所
「言いまつがい」東京糸井重里事務所
「金の言いまつがい」東京糸井重里事務所
「銀の言いまつがい」東京糸井重里事務所
「完全自殺マニュアル」鶴見済/太田出版
「完全失踪マニュアル」樫村政則/太田出版
「図解 精神病マニュアル」造事務所 編/同文書院
「ケンの花園」虎井まさ衛/FTM日本出版
「夢ではない」虎井まさ衛/FTM日本出版
「海青色-Marin Blau-」衛澤蒼/FTM日本出版
「蒼天」衛澤蒼/FTM日本出版
「〈音速流星360〉」衛澤蒼/FTM日本出版
「英単語ターゲット1900」宮川幸久/旺文社
「ワールドネバーランド2 パーフェクトガイド」ソフトバンク
「おいでよ どうぶつの森」毎日コミュニケーションズ
「沈黙の艦隊解体新書」時尾輝彦/講談社
「宮澤賢治語彙辞典」原子朗 編/東京書籍
「国語大辞典 言泉」林大 監修/小学館
「広辞苑第三版」岩波書店
「エヴァンゲリオン用語事典 第1版」八幡書店
「小学館独和大辞典」小学館
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この中で最も旧いのは初代宗道臣先生の「少林寺拳法入門」、1982年の終わり頃にたまたま通りかかった小さな書店で見つけて購入したものです。この本と出会って金剛禅の思想との共鳴を感じ、少林寺拳法の理を知るに至り、入門したくなったのですが道院を探そうにもいまのようにインターネットなどというものもなく、大変苦労したことを憶えています。
実家を出るに当たり、身軽になるべくそして少しでも貧しさを解消するべく、蔵書はもとより本棚まで売却してしまったのですが、「少林寺拳法入門」と「VIFAM PERFECT MEMORY」(1985年購入)はずっと手許に残っています。ほかの本は一人暮らしをはじめてから購入したもので、中には以前所有していたものを改めて買い直したものもあります。
2008年12月03日(水) すっぽり。
過去に恋文らしきものを貰ったものの、受け取ったそれがあまりに文の作法からかけ離れすぎたものだったのでむかっ腹が立って、赤ペンで添削して送り返したことがある衛澤です。
「顔出し看板」というものがあります。
主に観光地に設置されている、歴史上の人物や人気キャラクタの姿が描かれて、その顔の部分だけがくり抜かれている看板です。くり抜かれた部分から人間が顔を出して、同行者がそのさまを写真に撮るという、おそらく日本発祥の特殊写真撮影スポットです。
日本では多くの観光地で見られますが、海外では顔を出す仕組みの看板はほとんど見られないそうです。
この「顔出し看板」、一説によると江戸時代後期から存在したものだとか。勿論、その頃の大衆の手には写真機などありませんから、連れ立って旅に出掛け、その土地で偉人などが描かれた看板から顔を出し、互いにその姿を見合って愉しんだ訳です。
描かれた像になりきることができる訳で、一種のコスチュームプレイとして愉しまれていたのではないか、とも言われています。
さて、「顔出し看板」はそう呼ばれる通り、だいたいは板に絵を描いて、或るいは写真を貼り付けたり印刷して、その絵なり写真なりにある人物の顔の部分をくり抜いて人間が顔を出せるようにしたものです。つまり、平面のものです。この類いのものはあまねくこのかたちなのだと私は思っていました。
しかし、「顔出し看板」の新しいかたち、「顔出し立体像」が存在したのです。昨日付の当記事に掲載したカンガルー像に続きまして、本日掲載致しますのは、同じ遊園地にありました亀の像です。
亀の甲羅が空洞になっていまして、そこに頭からすっぽりと胴まで入り込み、まさしく亀のように甲羅を背負います。人と像との一体感が愉しく、また他者から見た自分が想像しづらい分、写真に撮って貰ってそれを見る愉しみが倍加する「顔出し」モノです。愉しいヨ。
学生時代などは各種顔出し看板に遭遇しても何故か「ありふれたもの」「つまらないもの」として見向きもしなかった私ですが、三〇代になってからはこうしたものの趣きが愉しくなってきました。かぶりものはすべからくかぶるべし。顔出し看板からは悉く顔を出すべし。写真シール機より愉しいヨ。
私は今後も、顔出し看板から逃げません。
2008年12月02日(火) カニ光線。
立位体前屈測定のときに膝を支えてくれる同級生を信用しきれなくて、あまり記録を伸ばせなかったことがときどき突然悔やまれることがある衛澤です。
去る一一月末日日曜日、同級生五人で秋の遠足に行って参りました。場所は大阪府の端の端にある遊園地。プールがあったり動物園があったり海が見えたりと要素を数えると豪華なのに実際は何だか地味なプレイスポットです。
天気は晴れて時折吹く風が冷たいのさえ我慢すれば過ごしやすい一日でした。空がきれい。
この辺り(大阪南部)はまだ紅葉も残っていて目も愉しめました。
すごいスピードで疾駆したり高いところから落ちたりぐるぐる回転したりしてもそれほど愉しくない年令になってきた私どもは乗りものの類いは華麗にスルーして、動物園方面をまったり遊覧しました。
私はクマの類いが好きです。写真はツキノワグマ。その他レッサーパンダやジャイアントパンダやヒグマやホッキョクグマ等々好きです。人間のクマっぽい男性も好きですクマー。
動物は一般展示だけでなく、客である私たちがふれあうことができる場所もあります。「ふれあい広場」です。残念ながら「ふれ愛広場」ではありませんでした。
ここにはおとなしい動物が数種放たれていて、希望すれば餌をやることもできます。ブタ、ヤギ、ウサギ、モルモット、カモなどのほか、こんな動物もいました。
この動物はマーラと言って、顔がウサギっぽくて脚がシカっぽいですが、齧歯目テンジクネズミ科でモルモットの仲間だそうです。印度方面のカミサマ関係とは繋がりはないようです。
テレビなどで見たことはありましたがあまり馴染みはなく、自分の足許をするすると通り抜けていく姿など見るにつけ不思議な感じでした。
動物とふれ合った後は動物になってみましょう。観光地で顔出し看板に巡り会ったらすべからく顔を出して写真に写りましょう。その両方の要求を満たす「顔出し動物像」です。
カンガルーです。胸から顔を出しているのではなく、赤ん坊として袋から顔を出しているのです。写真を撮ったときよりも、撮った後の方がテンション上がりました。
立体の顔出しモノに出会ったのははじめてです。この後、もっと希少なタイプの顔出し像に出会い、勿論写真を撮って貰いましたが、ただいま手許にありませんので手に入り次第追って掲載します。
最後にイルカショーを見て遊園地とはお別れ。冬の夕暮れは早いです。
イルカショーは各地の水族館などで行われているものとほぼ同内容だと思います。係員が水面に放り投げた輪っかを回収したり、高いところにつり下げてあるボールに大ジャンプしてタッチ、着水して水柱を立てて観客を濡らすサービスをしたり、係員を背中に乗せて回遊したり、そんな感じです。
しかし、ここにはなかなかお目にかかれなさそうな、大ベテランがいました。芸歴二六年のバンドウイルカです。私が小学校に通っていた頃からこの場所でショーをやっているんですね。学生時代に見たイルカショーで演技していた同じ個体を見ることになるとは思ってもみませんでした。
イルカショーは見ることに専念したため写真はありません。あの迫力は実際に見て頂くのが一番いいのだと思います。
電車に乗って地元に帰り、一堂揃って印度レストランで食事をしました。その場所にその店があることは知っていたものの、誰も入ったことがない御店です。この御店が当たりでして、久し振りに「旨いカレー」を食べました。マンゴーラッシーとよく合って食が進みました。ナンが掌三ツ分ほどの大きさでびびりましたが完食しました。
さて、長い本日付記事をここまでお読みになった方への特典です。
今日の表題。
近々映画化されるという小林多喜二の「蟹工船」とはどのような物語なのかとカレーを食しながら話していて、「抑圧された労働者階級が奮起団結して両手をチョキにした指先(カニの手)からぴーっと光線を出してブルジョワ階級と闘争する大スペクタクル物語」ということにまとまりました。みなさん、以後この線でよろしく御願いします。
ほんとうの「蟹工船」を詳しく知りたい方は、これを機会に原典を読んでみてください。