衛澤のどーでもよさげ。
2005年06月30日(木) 人並みに。

三日振りに動き出しましたよ。ずっと横になっていたのが、今日は朝からトレーニングジムに行って、洗濯をして、御飯を炊いて! 何て人らしい生活でしょう!(これまでの人でなし振りが窺える)
突然動けなくなったり復帰したりというのは自分自身にも予測がつかないので、タイトなスケジュールだったりするととても困ります。勤め人にはなれないな、とこういうときに真面目に考えます。

何にせよ、三日分の滞りを解消させねばならない訳で、詰め詰めで仕事をしなければ、です。

とは言え、滅茶苦茶に忙しい訳でもなくて、そろそろ来月用の別名義の読切短編を書きはじめた方がいいかな、というところでしょうか。正直に言うとネタ切れ気味でちょっと困っています。いっそ勝手に連作にしてしまおうかと目論んでみたり。一話完結型にしておけばいつ切られても困らないだろうし(ヲイ)。
ほかに地元GID自助グループの活動などもありますが、これは収入に直結するものではないしひとりだけでできるものでもないし……収入に結びつく衛澤名義の仕事を増やしたいのですが、どうにも。

そうそう。三日間寝込んで碌な食事をしていなかったのでちょっとは体重が落ちたかな、と思っていたら増えていましたよ。月一回測ることにしている胴周りも5cmほど復元していましたし。でも、体脂肪率は落ちていたということは、筋肉がついて重く太くなったということでしょうか。と、かなり自分に好意的に解釈。


【今日のひとりごと】
「暑いんじゃボケーうわーん」(ほんとうに声に出して言ってるから情けない)

2005年06月29日(水) 不可動。

今日も動けませんです。
「動けない」というのも経験がないと「怠けてるだけじゃねえの?」とか思ってしまうのでしょうけどね。自分の身体なのに自分が思った通りに動かないって、結構焦りますよ。

こういうとき、「ひとり暮らしでよかったな」と思うと同時に、誰か傍にいて元気が出るものでも喰わせてくれたらな、などとも思ったりします。そういう存在が直ぐ傍にいる我が子に嫉妬してみたり(オトナゲない)。


【今日の面倒】
毎日髭を剃らないと無精髭が目立つようになってきました。この面倒さが出不精に拍車を掛けています。

2005年06月28日(火) 本格的に。

本格的に駄目さんです。体調不良がひどいと言いますかはげしいと言いますか、それくらいに具合いが悪いので今日の当記事は申し訳ありませんが、お休みさせて頂きます。

何せ自分の部屋にかかっている空調が冷房なのか暖房なのかの判断もつかないくらいですから、危ないでしょう。

明日は動けますように。


【今日の食事】
朝・ホットケーキとヨーグルト、昼・ホットケーキとヨーグルト、夜・缶入り流動食。もう喰えない。

2005年06月27日(月) 駄目さん。

空梅雨もいいところです。雨が降らなさ過ぎます。紀ノ川という豊かな水源を持つ当地方でも、雨が降らないばかりに紀ノ川自体が干上がりそうになっています。寒い季節は寒く、暑い季節は暑く、雨が降る季節には雨が降らないといけないのですよ、幾ら人間が過ごしづらく感じていてもね。
六月末にして早くも取水制限だそうです。

このところ少しずつ忙しくなってきて気付かぬ疲れがたまってきたせいか、暑くて湿気が多いせいか、常用薬の服み方を間違えてしまったせいか、ホルモンバランスが悪くなってきたせいか……などなど考えられる要因が沢山あり過ぎて自分でも厭なのですが、動けません。身体が動かないのです。
何もしない一日があるとどうも無駄に時間を過ごしてしまったような罪悪感を覚えてしまって精神衛生上よくありません。駄目さんです。「生きてて御免なさい」とか思います。

こういうとき、小説を書きたくなります。何も喰わなくても睡らなくてもいいから書きたい、と思うのですが、いまはそれも儘ならないのです。許される時間がないのも、書き手としての自分が整っていないのも、大きな「つっかえ」になっていて難儀です。
とか、ちょっと真面目ぶったことを昨日付のおバカさん記事の次に読んでも信憑性がありませんよねえ。


【今日のささくれ】
どうにも自分の生活振りは人として駄目のような気がしてなりません。こういうときはどーでもよさげなことを口に出して自分をごまかしてみよう。ぽえーん。ぴろーん。ぱよーん。

2005年06月26日(日) 悪逆非道。

とある催しに友人と参加してきました。その催し会場に、某有名正義の味方が待機していました。「おー、ア○パ○マンだ」と遠巻きに見ていると、マネージメントの人が「ア○パ○マン、おともだちだよー」と声を掛けて呼び寄せてくれました。

某有名正義の味方はとてもフレンドリーです。両手でしっかり握手してくれました。ライバルのば○き○まんも気さくに握手してくれました。ライバル同士のはずなのにア○パ○マンとば○き○まんはとても仲よさそうにしていました。

そんなほのぼのと平和な光景の中で、こんな非道な行為に走る悪いおともだちがいました。



握手してくれたばかりの正義の味方に背後から襲い掛かっています。しかも満面の笑顔で。悪逆非道とはこのことです。この悪いおともだちが衛澤とかいう名のもの書きをしている人だなんて大きな声では言えません。

このページを見ているみなさんは、こんな悪いオトナにならないように気を付けてくださいね。


【今日の収穫】
家電製品の展示会に行ってタダで冷たいお茶を飲ませて貰った上に食パンを三斤も貰っておきながら何も買わず、スタッフのお姉さんに「何かお気に召したものはありましたか?」と訊かれて「ア○パ○マン!」と即答して帰る。

2005年06月25日(土) ほう…。

例によってレイトショーで映画を観てきました。「戦国自衛隊1549」。前作「戦国自衛隊」は記憶にあるものの観てはいないし原作は半村版・福井版ともに読んでいないので先入観なしの観賞になります。

率直な感想は「如何にも角川映画」です。往年の角川映画シリーズが好きだった人なら観ても損はないかもしれません。それなりに愉しめます。
前作(半村良版)を基礎にはしていますが、ストーリイそのものを変えてしまっている(福井晴敏版)らしいので、前作を御覧になった人も試しに観てみるとよいかもしれません。

ただ、上映時間二時間ほどの映画に求めてはいけないことなのか、近頃の映画はみなその傾向にあるのか、御話の細かい部分が判りづらくて、かつ描写しておくべきことがされていないために基礎智識を持たない人には理解しづらい部分もあったりで、全体的に未消化という感じ。
これは原作を読むと解消されるのでしょうか。しかし、「ローレライ」(映画)と「終戦のローレライ」(原作小説)の例もあるしな……とちょっと後込みしています。でも、半村版と福井版を読み比べてみたいな、という気持ちもあります。

日本史マニア、戦史マニア、ミリタリマニアには少々もの足りないかもしれませんが、歴史ファン、自衛隊ファンには愉しめるものだと思います。つまり、マニア心をくすぐる細かい仕掛けはしていませんってことです。そういうところが「如何にも角川映画」って感じかな、と。

最新鋭の技術を駆使した迫力ある映像ですが、何もかもをCGに頼っていないところが偉いです。ちゃんと「特撮」を使っているんですよ! 邦画は特撮を能く使うのですから、そこをきちんとすれば充分に見応えがあるものができるのですよ。それを再確認させて貰いました。
ドラゴンロケット(榴弾)が装甲車に着弾して爆発する場面とか、回転翼機(ヘリコプター)が城郭に激突して城郭が崩落炎上する場面とか、CGと特撮を上手に合わせて使っていて迫力あるおもしろい映像に仕上がっていました。

しかし、やっぱり細かいところが気になる半端なマニア心が私にはありまして。
登場人物のほとんどが自衛官なのに姿勢があんまりよくなかったり挙手の敬礼があんまり上手じゃなかったり上官の命令が明確に発されていないのに各員三々五々行動開始してしまったりそんなのあってはいけないでしょ、とかいちいち思ってしまうのですね。

しかし、それの御陰(?)で、最終シーケンスにエキストラとして登場する現役自衛官のみなさんの常装の着こなしとか姿勢や挙手の敬礼のうつくしさにすばらしく感動してしまいました。この映画の一番の見どころはこの部分と、回転翼機のローターが駆動してブレード(回転翼)が空気を砕く音がドルビーサラウンドで迫ってくるところでしょうか。AH-1S(コブラ)よりUH-1J(ヒューイ)より、私はOH-1(ニンジャ)が好きです……陸上自衛隊の回転翼機の話です。

以下、ネタバレを含みますのでいつものようにあぶり出しで。これから観る予定の方はあぶり出さないように御注意願います。
 
的場一佐役の鹿賀丈史さんが私は好きでしてね。とぼけた役も二枚目役もエキセントリックな役もすべて違和感なくこなしてしまうけれど如何にも大物って感じがしないところがとっても好きです。

的場一佐はFユニットなる特殊部隊を統べていたが上層部からの命令によりFユニットは解散、そのまま第三特別実験中隊に改組されてしまい、人工磁場発生装置実験中に戦国時代に部隊ごとタイムスリップして、その時代で織田信長として生きながらえています。
その信長の衣装がなかなかエキセントリックでおもしろいデザインでした。ですから、的場一佐も戦国の世に信長として生きると決め、平成時代の戦闘技術を活かした部隊を編成して歴史再編成(世界征服?)まで目論んでいるのですから、最期はもっと衣装通りにエキセントリックで狂気に満ちた感じでもよかったんじゃないのかな、むしろ私はそういう展開の方が好きだな、と、その点少々残念です。鹿賀さんのそういう芝居を見たかったという希望も含めて。

さて、もとFユニット隊員で的場一佐直属の部下だった鹿島勇祐二尉はFユニット解散と同時に退官、いまでは民間人になり居酒屋の雇われ店長として漫然とした日常を過ごしています。しかし、鹿島は智将でもあった的場一佐のD-3作戦シミュレーションを破った唯一の人間で、タイムスリップしてしまった的場一佐を連れ戻す―――もしくは歴史への意図的介入を避けるために第三特別実験中隊を殲滅するための作戦実行部隊「R部隊」のオブザーバーとして招聘されてしまいます。これが江口洋介さんの役です。

結果として鹿島もと二尉の機転と「ちょっと小狡い」戦術とFユニット時代に培った戦闘能力によって的場一佐=織田信長の野望と第三特別実験中隊は殲滅され、歴史の意図的な書き換えと的場=信長の世界征服は阻止される訳なのですが。

鹿島たちR部隊が乗り込んだ戦国時代は第三特別実験中隊が持ち込んだ自衛隊戦力と、もともとの武士の戦い方が融合した戦術が主流になっています。銃砲火器も使えば刀や槍も使う訳です。そこで、銃砲の威力のみでなく、特殊部隊の近接戦闘技術も有効になってくる……はずなのです。幾ら電子化が進んでいるとは言え、戦闘の最後の鍵を握るのはやはり人間対人間の戦いである訳ですから。

鹿島が戦国時代の武士と刀同士で戦う場面が出てきます。フツーだと鹿島に剣道の経験でもあれば……などと考えてしまうかもしれないのですが、ここで見せた鹿島の構えがクロスコンバット(近接格闘戦)の構え方だったので、私は期待して見ていたのですが、戦い方がナイフコンバットの基礎を押さえていなかったところが残念だなー、ほんとうに残念だったなー。
江口さんが結構鍛えて胸板厚く腕太く格闘体型になっていただけに残念です。

近代自衛隊の装備の重厚さを見せつつやはり最後は的場対鹿島になる訳です。もと特殊部隊兵同志なのだから、とそういうアクションを期待した私が間違っていましたか、それとも制作側がハズしましたか。前作「戦国自衛隊」ではクロスコンバットの戦い方ではなかったものの、主演の千葉真一さんが確かな殺陣を見せてくだすってそれはそれは見応えがあったものと思われますが。

あと思ったことと言えば細かいことばかりですね。
89式小銃は連射もできるけれどせっかく三段バースト機構もついているのだし、突撃の仕方としてはそちらを使った方が無駄弾を使わずに済むのに、とか、シグザウエルが幾ら小型で扱いやすい拳銃とはいえ撃ったらやっぱり反動を逃がさないと肩が脱臼しちゃうよ、とか、ホバリング中の回転翼機に近付くときはブレードが巻き起こす風を迂回していかないと人ひとりくらい簡単に吹き飛ばされちゃうよ、とか、制帽やテッパチ(ヘルメット)を被っていないときは挙手の敬礼はしちゃいけないでしょ、とか、「R部隊」を「ロメオ部隊」と発音するのは何故なのか台詞の一部にでも組んでおいてあげないと一般の人はフォネティックコードなんか知らないでしょ、とか、そんなこと。

第三特別実験中隊がタイムスリップして以降の武士の鎧がケブラー混じりになっているのがおもしろかったです。兜はベースがケブラーヘルメットで両側に返しが付いていて、鎧は普通なら帷子を付ける部分がケブラーベストで周りに直垂やらいろいろ付けているデザインになっているのが、時代を少しずつ歪めている感じが出ていてユニークでした。

あと、三國曹長役は嶋大輔さんでしたが、今井雅之さんが演ると「如何にも」って感じでおもしろかったんじゃないかな、と思いました。森三佐に対する先任曹長の立場なのだろうからもっとしっかりしていてもいいはずなのにな、という気もしました。
R部隊長の森三佐も頼りないのかしっかり者なのか判りづらいキャラクタでしたね。でも森三佐役の生瀬勝久さんはやっぱりいい味を出していると思いました。槍魔栗三助時代を知っている者としてはいまの渋さがちょっと笑えたり。
的場一佐の副官与田二尉役が的場浩司さんで、周囲の人が彼の前で「的場」「的場」と別の人(鹿賀さん)を差して呼ぶのが何だかおかしかった。

「ローレライ」は観たし、「戦国自衛隊1549」も観たし、次は「亡国のイージス」(実はこれが一番愉しみ)だなーと思っている私は福井晴敏氏の手のひらの上で踊ってますか、もしかして。
でも、映画を観る前にうっかり「亡国のイージス」上巻を読んでしまって、しかも読んでいる途中で更にうっかり映画サイトに行って溝口が実は○○○○だという上巻の最後に明らかになる事実を先に知ってしまったりで何かと波乱含み(笑)です。

でも、一番期待しているのはイージス艦「みょうこう」(劇中では「いそかぜ」)の勇姿と真田広之さんのアクションなんですわ。


【今日の暫くは】
今年の夏はカレーしか喰えない予感。カレーそうめんとか。

2005年06月24日(金) ミュージカルバトン。

ミュージカルバトン。それはバトンにまつわる物語。不思議なバトンを巡る数奇な運命の物語が舞台上で音楽に合わせて躍動感たっぷりに演じられます。
というのはいま思いついたうそ。
昔っから何故か流行り続けているチェーンメール形式で答える相手をどんどん増やしていくアンケートみたいなものらしいです。音楽にまつわる四ツの質問に回答し、その上で次に回答する五人を指名する、というやつ。

そのバトンがですね、昨年一年間とっても御世話になった&B'zヲタクの絆で結ばれている(笑)蘇芳つぐみ絵師から不意に手渡されてしまいましたので、お答えしちゃったりなんかしちゃったりなんかしちゃったりしますよ(声:広川太一郎)。

Q1 : 現在パソコンに入っている音楽ファイルの容量
A1 : 1.92GB。重複しているファイル多数。クラシックから演歌まで。

Q2 : 最後に買ったCD
Q2 : B'z 「THE CIRCLE」
    ビンボーなのでほんとうに必要なものしか買わないです。

Q3 : いま聴いている曲
A3 : B'z 「パルス」
   トレーニングジムでの有酸素運動にぴったりのこの曲、自宅でもやっぱり聴きます……
   って、現在ライヴに備えて「THE CIRCLE」を予習中で、この曲は絶対ライヴで演るだろう、
   と。
   しかしそれにしても、「どくんどくん」に「どっこいどっこい」もイナバ兄貴らしいのですが、
   「ボクはボクを見捨てない」なんて、なかなか言えるものではありませんよ。尊敬。  

Q4 : よく聴く、または特別な思い入れがある五曲

A4−1 : B'z 「WAKE UP , RIGHT NOW」
     この曲は衛澤の直近作である「天気晴朗なれど波高し」のメインテーマとも言える
     曲であります。この曲の躍動感やポジティヴィリティなどを御手本に昨年一年間は
      がんばったつもりであります。聴けばとにかく元気になる曲。

A4−2 : B'z 「スイマーよ!!」
     挫けそうだったあの頃(いつだよ)、やっとのことで入手した「SURVIVE」なるアルバムに
     収録されていたこの曲は、あの頃の私をぎりぎりのところで救ってくれた恩人(恩曲?)
     であります。「2001」も可。

A4−3 : 白鳥英美子 「Amazing Grace」
     曲のうつくしさと御声のうつくしさに心が震えます。もともとキリスト教の賛美歌ですが、
     仏門徒の私も聴けば敬虔な、浄い心持ちになります。

A4−4 : 林明日香 「ake-kaze」
     何の予備智識もなくTVから流れてきたこの曲を聴いた私は一瞬にして心を
     鷲掴みにされてしまいました。この詩をこの年令の少女がこれほどまで確かに
     歌い上げることに驚嘆するとともに、翌日早速CD店に走ったのでありました。

A4−5 : 倉木麻衣 「Time after time」
     「名探偵コナン 迷宮の十字路」メインテーマ。劇場でこの映画を観て、EDの映像の
     うつくしさと、曲と倉木嬢の声のせつなさ相乗効果に泣かされました。
     半泣きになりながら劇場内でCDを買ってしまったという恥ずかしい経験付き。

■私からのバトンを受け取ってね五人のあなた
・ イナバ兄貴の歌真似をしたら世界一そっくりのまききいさん
・ コナン仲間でハガレン仲間でポルノ仲間の月ノ瀬りとなさん
・ さりげなく音ゲー達人でB'zファンの利江乃さん
・ B'z大好き&関西弁愛好家同志の玲美さん
・ イナバ兄貴のエロヴォイスに魅了される同志の木口アキノさん

御名前挙げさせて頂いたみなさん、バトンを受け取り誰かに渡すもよし、止めちゃって「へへへ」とほくそ笑むもよしであります。よろしかったら御願いしわすは12月。


【今日のついつい】
「ソロ」と言えばいいものをいつも「ピン」と言ってしまいます。

2005年06月23日(木) ラヂヲの時間。

性同一性障害自助グループ代表として地元コミュニティFM局FMマザーシップさんのお昼の生放送番組「わいわい広場」にゲストとして招んで頂きました。自助グループの活動を衛澤の個人サイトに書くことは極力避けたいことなのですが、衛澤個人としても貴重な体験でしたし、マザーシップさんの快諾も得て参りましたのでちょちょいと書かせて頂きます。

「わいわい広場」は1130〜1300の90分生放送。番組のほとんどの時間をぼくとグループの話題に割いてくださいました。何しろ臨機応変とは無縁でアドリブが利かないぼくですが、局長兼DJの坂口さんの見事な誘導でかなりなめらかに喋れ(たような気がし)ました。
坂口局長は過日掲載されたぼく(が関わっている性同一性障害自助グループ)の新聞記事を御覧になってぼくに連絡を取ろうとしていてくだすったらしいのですが、ぼくからマザーシップさんへの啓発活動協力御願いの方が一歩早くて、あれよあれよの急展開で番組に御邪魔させて頂くことになったのでした。

局長をはじめ、一緒に番組出演なすった地元の方や、放送後にお会いした町の人々はみな、「性同一性障害当事者」としての衛澤をものめずらしがったり気味悪がったりという偏見の眼を持たずに親切に接してくださいました。性同一性障害についてよく御存知という訳ではないけれど、理解しようと一生懸命にぼくの話に耳を傾けてくださいました。

ぼくはたびたび言うのですが、ぼく自身は性同一性障害当事者であることを理由に厭がらせをされたり、それがためにつらいめに遭ったりという経験がほとんどありません。そして、行く先々で今日のように懸命に理解しようと努めてくださる人々や協力してくださる人々に出会います。こういう体験を重ねていると、世の中に性同一性障害に対する偏見や差別があることの方が架空のことのように思えたりします。
ほんとうにぼくは恵まれています。有難く思うと同時に何だか申し訳ないのです。誰に対して、ということはなく。

FMマザーシップさんは今後も性同一性障害の啓発活動に協力してくださると言ってくださいました。来週6月29日(水)1000〜放送「みどりの部屋」にもぼくのゲスト出演が確定しています。受信可能地域に在住・通勤なさっている方はどうぞお聴きください。
そして、放送で同席させて頂きました地元シンガーソングライターのヒロノコテツさん(FMマザーシップで番組を持ってらっしゃいます)は御自身のアルバムに何とサインを入れてプレゼントしてくださいました。初対面のぼくによくぞここまで……! ソウルフルな歌声、忘れません。有難うございますo(_"_)o


【今日の業務連絡】
絵師、御指名のバトンは明日がんばります。御名前出しますが、いいですよね?

2005年06月22日(水) うわーん。

通信販売を利用して或るものを購入しました。それが宅配便で届きました。届けてくれたのはセールスドライバーの兄ちゃんではなくて、子連れのおばさんでした。
代金引換だったのでお金を渡して、おばさんが手続きをしている間に幼稚園に通っているくらいの子供さん(もしかしたら孫さんかも)が荷物にいたずらしようとします。それを制しておばさんが言いました。

「それはこのおじさんに渡さんとあかんのやからさわったらあかんよ」

生まれてはじめておばさんに「おじさん」と言われました……結構ショックです。気持ちはまだ「お兄さん」どころか「お子さま」なのに。orz
おじさんに「大将!」って声を掛けられたときは何となく気分がよかったのですけどね?

そんなぼくはTOKIO城島くんやTMR西川くんやナイナイ岡村くんと同い年です。

さてさて、連日掲載しております新聞各社の「性転換手術」表記について。
過日起こりました大阪の形成外科医が性同一性障害当事者に対する外科手術で患者を死なせてしまい書類送検された事件の報道で、各新聞は揃って「性別適合手術」と表記するべきところ「性転換手術」と書いていたのですね。
「これは間違った言葉だし当事者は不快に思いますよ、どうして間違った言葉を使っているのですか」という質問メールを大手新聞社四社に送って返事待ちしているのですが、今日、三通めの御返事が届きました。
______________________________________

衛澤 蒼 様

 メール拝読しました。貴重なご意見をいただき、ありがとうございます。
 ご指摘の趣旨は、医療現場では「性別適合手術」が一般的に用いられ、性不一致を解消するという意味からもその名称がふさわしい、とのことだと理解しました。
 手術の呼称についてですが、1998年に初めて公に手術を始めた埼玉医大が、学内の倫理委員会の議論経過をまとめた答申では、「性転換手術」とされ、当時、本紙をはじめとする新聞各社の記事もこれにならった表記がなされました。その後も、新聞やテレビ、雑誌などの報道では「性転換手術」と表記するケースが多く、現時点ではこの表記をもって手術の意味や内容をイメージすることが一般的ではないかと考えます。ただ、性同一性障害の人たちの中にはこの呼称を嫌う人がおり、「sex reassignment surgery(SRS)」について、性同一性障害研究会が「性別適合手術」と呼称することを提唱し、医療関係者が日本語で記述する場合はこの表記が定着しつつあることなども承知しております。
 こうした実情を踏まえ、本紙は、記事によって「性転換手術」、「性別適合手術」のいずれの表記もケースバイケースで使っています。例えば今回の記事では「性転換手術」を用いましたが、今年5月18日から5回掲載された企画記事「両性の間で」(西部本社発行版)では「性別適合手術」としています。
 今回の衛澤様からのご指摘をはじめ、各方面のご意見などを参考にしながら、今後は、両方を併記するなどの方法も検討中です。ご理解をお願いするとともに、今後ともご愛読をよろしくお願いいたします。

○○新聞大阪本社 社会部次長
        ○□ △(署名)
______________________________________

この御回答は先に届いた二社からとは違い、メール本文に書かれてはおらずWord文書として添付されてきました。一通したためてくだすった訳です。メール本文は素っ気なかったですけどね。

この○○新聞さんは、何故「性転換手術」の表記を用いたかをきちんと答えてくだすっていて、今後はどうするのかも教えてくだすっています。これまでで一番詳細で適切な回答ではなかったでしょうか。文章自体も卓抜しております。好感度ワンランクUPであります。


【今日の予告】
明日はラジオ出演するです。22年振りですな。

2005年06月21日(火) ぼくの罪。

炊飯器でホットケーキを焼けるということを知ってからというもの、あまりに簡単で安価に数日分の食事がつくれてしまうので、ずっとホットケーキミックスと炊飯器に頼りきっていました。
でも、もう三箇月が経ち、そろそろ飽きてきました。同じものが三食続いても平気な方ですが、それでも三箇月が限界のようです。

で。同じように粉を練ってつくるもので、近頃食べたくて仕方がないもの……お好み焼きを炊飯器でつくるとどうなるのか。それを考えて、やってみました。巧くいけば向こう三箇月、夕食は(具なしの)お好み焼きですよ。

結果。すんごくもちもちした弾力性あふれるでっかい団子ができました。これは……百歩譲ってもお好み焼きとは呼べない。だーいしっぱーい!
同じ粉ものだからと、安易な考え方をしたぼくが悪いのです。アイノウアイノウ判ってる完全にぼくの罪なんだ罪がはじまって……繰り返したくないなあ(苦笑)。

さて、昨日に引き続き「性転換手術」という表記について。

過日、大手新聞社四社に「何で性別適合手術じゃのーて性転換手術って書いてんのん? 性同一性障害の治療で行なわれる手術は「転換」じゃのーて「適合」のために行なわれるんやで」というメールを送りました。それに対する返事が今日も一通、届きました。転記しておきます。
______________________________________

平素は△△新聞をご愛読いただき、ありがとうございます。
先日、6月17日付夕刊、××形成クリニック院長の書類送検の記事に関し、貴重なご指摘ありがとうございました。
衛澤様のご指摘につきましては、弊社用語幹事をはじめ社内で論議が進んでいるところです。もちろんご趣旨について異論はなく、ご指摘を真摯に受け止め、ご指摘の意を十分に尊重しながら、広範な読者の理解を得られるよう、論議を煮詰めたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
なお、いいわけがましくなりますか、他紙の同じ記事では、○○、□□、■■、▲▲とも見出し、本文とも「性転換」という言葉のみを使用しておりますことを付記させていただきます。
今後ともよろしくご愛読いただきますようお願いいたします。

       △△新聞大阪本社広報部
______________________________________

議論が進んでいるのはよろしいが、議論している間は間違った表記をしてもいいとでも言うのでしょうか。他所も使っているからどうだと言うのでしょうか。何か変だぞ△△新聞。

昨日の□□新聞といい、この△△新聞といい、「何故、間違っている表記をしているのか」という点については答えてくれていないんですよね。
ぼくは確かに
「わざわざ不適切な表現である「性転換手術」としたのは、如何なる理由からなのでしょうか。★★新聞社さまの見解を教えて頂きたく思い、本状を差し上げる次第であります」
と、何れの新聞社に宛てたメールにも等しく書いたのですが。

あ、▲▲新聞さんにはメール出してませんわ。▲▲さん、視界に入っていなくて済みません。


【今日のおめでとう】
青山剛昌センセ、御誕生日おめでとうございます!

2005年06月20日(月) 表記についての諸々。

昨日六月一九日は太宰治氏の誕生日であり命日(玉川上水に入水した遺体が発見された日)でもある「桜桃忌」だったのですが、六年前からはそうは呼ばれなくなったのだそうです。知りませんでした。
何と呼ばれるようになったかというと「生誕祭」。何でも御遺族の意向でそうなったのだとか。

こういうことを言ってはナニですが、太宰の御遺族のみなさんは御気持ちが×××と思うんですよね。「人間失格」というタイトルのドラマが放送されるときも、内容自体は太宰の作品と何ら関係がなかったのに何かと文句を言って結局改題させたし、「桜桃忌」だって太宰が亡くなった翌年から九〇年もの間使われ続けた趣きある言葉なのに、「おたんじょうび」とたいして変わらない、誰に対しても同じように使われてしまう言葉に変えてしまうなんて、御遺族の意向があるとしても太宰自身はあまりよろこばないんじゃないかと思います。

さて、まるっきり話題が変わります。

過日当記事に書きました各新聞の「性転換手術」という表記について。
性同一性障害治療の外科手術は「性別適合手術」と呼ぶのが正しいのであって、「性転換手術」は間違いだし当事者には不快な表現ですよ、というメールを大手新聞社四社に送ってみたところ、早速本日、或る新聞社から回答が届きました。転記してみます。
______________________________________

メールをいただきました件につきまして、ご回答申し上げます。
まず、記事の表現につきまして、不快な気持ちを持たれたことについて、おわびを申し上げます。
ご指摘をいただきました「性転換手術」という表現ですが、○○新聞ではこれまでも、当事者の方の意見を踏まえて「性別適合(性転換)手術」という表記の仕方を、おおむねしてきておりました。手術を受けた選手の五輪参加をIOC(国際オリンピック委員会)が認めたことを報じた記事などです。
しかし、今回の記事では、「性転換手術」という表記のまま掲載されてしまったものです。
当事者の方が不快の念を覚える表記は、報道機関として避けるべきだと考えています。
社内でこの手術の表記の仕方についてさらに共通認識を深め、ご指摘に応えたいと思います。
指摘のお礼を兼ね、ご報告いたします。さらにご意見等ございましたら、お寄せください。

  6月20日 ○○新聞大阪本社社会部副部長 ○○□□(署名)
______________________________________

つまり、校閲が巧くいっていなかったということですね。新聞は日刊ですから大変だとは思いますが、次から気を付けてくださいね。
でも、これまでは併記はしても、どうして「転換」ではなく「適合」と言うかを紙面で一般の人に説明することまではしてくれていないのですね。そこまで求めてはいけないのでしょうか。
しかし、一番早くに御回答くだすったのがこの社であります。


【今日の豆智識】
B'zの「スイマーよ!!」のリズムに合わせて歩幅65〜70cmで歩くと時速5kmになります。

2005年06月19日(日) むこうみず。

昨日は県の催しに出たり過度に緊張したり満足に眠れずにいつもの三倍の眠剤と精神安定剤を服んだりいろいろ大変で、今日は一日寝込むだろうなという予想はできていました。
が、一ト晩寝んでみると思いのほか疲れは少なかったので、プールに行くことにしました。

トレーニングジムは一箇月定期券を毎月購入しているので、何回行っても行かなくても支払う金額は変わりません。身体が動かせるならジムへ行くのがいいのだけれど、筋力トレーニングをするほど元気でもなさそうな感じだったので、ゆるーくプールで水中ウォーキングすることにしたのです。トレーニングとトレーニングのインターバルに入れる有酸素運動としても有効ですしね。

て訳で、ゆるーくちゃぷちゃぷ歩くつもりでプールに入りました。いつも行くジムと同じ建物の中にあるプールです。そのプールは、ウォーキング用の「歩く」レーンと普通にスイミングしたい人のための「泳ぐ」レーンとに分かれています。最初は「歩く」レーンをゆるゆると歩いていたのですが。

「泳ぐ」レーンをすいすい泳いでいる人を見るととても気持ちよさそうだったので、レーンを仕切っているロープをくぐって「泳ぐ」レーンに入ってしまいました。そして、泳ぐ。泳ぐ。泳ぐ。
思いのほか一生懸命泳いでしまって、結局ジムでトレーニングするのと同じくらい身体を使いました。

しかも、ジムでの筋力トレーニングとは使う筋肉も筋肉の使い方も違うものだから、プールから上がった一時間後に軽ーい筋肉痛が来ました。
でも、一日くたばるかも、と思っていたのが運動に出掛けられたのだし、筋肉痛が翌日とか翌々日ではなく一時間後という早い時間にやってきたのは、やはり普段から身体を使うように心掛けている効果がきちんと出ているのだなと、ちょっとうれしかったりしています。


【今日のこれはよい】
明治「きのこの山」のハイカカオがこの頃のお気に入りです。小さい袋で少しずつ食べるのがよい♪

2005年06月18日(土) しんぶんし。

大阪で起こった性同一性障害者の手術での医療事故。各新聞の記事を見てみたけれど、「性同一性障害」の説明はきちんと入れてあるのに、どの新聞も手術の呼び方は「性転換手術」。この言葉は、性同一性障害の治療には使わない(使うべきではない)ということを、各新聞社は知らないのだろうか。それとも、判っていながら、現在使われている「性別適合手術」という言葉が一般的でないという判断のもとに不適切な言葉を用いているのだろうか。何れにせよ、当事者としては不快を禁じ得ない。

つー訳で、抗議という訳ではないけれど、主要新聞四紙宛てに「何で性別適合手術じゃのーて性転換手術って書いてんのん?」という質問メールを送ってみた。御丁寧に「御回答御願いします」の一ト言付き。
返事が来るか来ないか。来たらどんな返事か。
返事が来たら届き次第当記事で公開します。大手新聞社がどのような対応をするのか愉しみではある。


【今日の懐古】
一〇年と少し前にB'zの「TIME」のイントロ部分がプライムタイムのニュース番組のオープニング曲として使われていたなんて言っても、信じない若い人は多いのだろうかねえ。

2005年06月17日(金) ちょっとそれはな。

定期通院日。心療内科受診とホルモン注射の日です。心療内科は診察券を提出してから診察して貰うまでの待ち時間が長いので、その時間を利用してホルモン注射をして貰うために別の病院へ行きます。そこでの御話。

いま注射して貰っている病院には、一〇箇月ほど以前から通っています。二週間に一回のペースなので、お勤めの看護師さんたちも私の顔を憶えていてくだすっています。院長先生は滅多に顔を合わせることがありませんが、憶えていてくだすっている様子です。

と、言いますのも、いつものように注射をして貰って会計をしようというときに、受付窓口で問われたので判ったのですよ。
いつもなら「○○円です」と金額を告げられて、その金額を支払って「有難う」を言って病院を出るのですが、今日は金額を告げられた後に「あの、これなんですけど……」と一枚の紙片を看護師さんが出してこられました。その紙片とは、先日新聞に掲載された私(が関わっているグループ)の記事です。

「院長がですね、気にしてるんですよ……御名前が違うって」
看護師さんがカルテとその記事の切り抜きとを並べて窓口越しに私に差し出します。新聞記事に掲載されている「衛澤蒼」という名前と、カルテに記載されている本名とが違うのでこれはどうか、ということを院長が仰っているらしい。
いや、普通は筆名で病院受診しないでしょう? 少なくとも私はそう思っていますが何か間違っていますか。

性同一性障害者のためのホルモン治療は健康保険が適用されない、つまり自費診療で保険証を提示しないので、私が名乗った本名が偽名かもしれない(「衛澤」が本名かもしれない)、と院長は考えなさったのかもしれませんね。
「あー、衛澤は筆名でですね、これ(カルテ記載の名前)が住民票や戸籍に載ってる名前です」
という説明とも言えないことを言って、あっさり「そうですか」と納得して頂きました。

しかしそれにしても、性別を疑われたことは何度かありますが、名前を疑われたのははじめてですよ。予想できないことではありませんが、ほんとうに起こったということにちょっと吃驚しました。
みなさん、新聞を定期購読していて、地方版まできちんと読んでいらっしゃるのですね。いろいろなところで「新聞見ましたよ」と言って頂きます。私なんぞ取材して頂きながら(以下省略)。


【今日の自己催眠】
イメージトレーニングとケースシミュレーションと音楽による気分昂揚を継続中。私は「臨機応変」とは無縁の人間なんですよ。アドリブが効かないんですってば。

2005年06月16日(木) 上げてはみたものの。

昨夜、こっそり更新記事をアップロードしました。一応トップページに「new」マークを付けて最終更新記録を更新してあるので注意深い方は御気付きだったかと思います。

新しくアップロードしたのは短編小説の習作です。題材は昨年一年間連載した作品。本編で書ききれていない部分を少し切り取ってみました。
試みとしては、某出版社の編集記者さんに言われた「感覚的な文章」をできるだけなくして、ひとつひとつきちんと言葉を構成して一本の作品を構築することを目的とした制作だったのですが、どうもいまひとつできていないようです。

半年振りの小説執筆だった訳で、それだけで私自身が随分昂奮してしまったのでしょうね、推敲が巧くいっていません。もっと構成を考えるべきだったなあと公開してから後悔するという洒落にもならないことをしてしまいました。これでも第四稿なのですけどね。
書いていて愉しかったのですが、書いて愉しいだけでは駄目なんですよ。素人じゃないんだから。いま更言うほどのことでもない当たり前のことですが。

ただ、ここ幾らかの間に「経緯を知らない人は予想もつかない解釈をしてしまう可能性もあるのだからその場限りに書くことをしてはいけない」というようなことを訳知り顔で周りの人が私に言ったことに対してのアンチテーゼを今作には含ませてはいます。
たとえ連続したものの一部であろうとそれは独立した読みものとして成立させておかなければならないという私の持論とその結果、そして「予想もつかない解釈」は書き手の予想のうちに既に入っているのだということを、作家の方法で明らかにしたつもりでいます。

仕上がりは、書いた本人としてはあまりよいものではないと思います。しかし今作を執筆することで、私という存在は「小説を書く」ということにほんとうにいつも救われているのだということを改めて感じました。


【今日の新しいもの】
デジタルオーディオプレイヤを購入しました。一番重宝するのはトレーニングジムで有酸素運動をするときです(エアロバイクを漕いでいる間って暇なんですよ)。

2005年06月15日(水) ほんとうにどーでもよさげなことを。

自分はほんとうにこの世にはいない方がいいのだと思いました。いえ、早や三〇年ほど前から絶え間なくずっとそう思っています。
過日当記事に書きました「世の中がなくなってしまったかと思うほどの集中」が心地よかったのは、つまり現実との乖離が心地よかったということで、ぼくはほんとうにいつもいつもこの世から乖離してしまいたいと思っているのです。

誰か、殺さなくてもいいからぼくを死なせてはくれないだろうかと、「宝くじが当たるといいな」と同じほどに渇望しています。

こういうことを書くと「落ち込んでいる」と大抵の人が思うようですが、別に特段落ち込んでいる訳ではなく、ぼくは常にこんなことを当たり前のように考えているのです。ただ、あまり人前では明らかにしないだけで。

2005年06月14日(火) 逃避行動中。

書かなければならない原稿が山積しているというのに、それを書かずに私的なものを書いている。身体も頭もとてもしんどいが、そのしんどさが愉しい。小説を書く愉しさとはこういうものだ。久々に感じる心地よい倦怠感、疲労感。世の中がなくなってしまったかと錯覚できるほどに集中できる原稿。何と甘やかなることか。

いま書いているものが、抱えている仕事の中で最も優先順位が低いものであるということが、判っていない訳ではない。それだからこそ余計に始末に悪い。
自分でない者が必要としている、そしてその仕上がり期限が近いという点で仕事の優先順位は高くなっていく。けれども、それを為すためには自分を整えなくてはならない。自分を整えるために、自分でない者のための優先順位が高い仕事をするために、自分でない者にとって優先順位が最下位であるものが最も高い優先順位を得てしまうというどうしようもない状態。

逃避行動ができなくなったら、きっと不安発作を起こして動けなくなってしまうんだ。そうなってしまうのと、逃避行動をしているのと、果たして自分でない者たちにとってはどちらがよいことなのだろう。
自分の状態を決める現場に自分がいないことの何と不安定なことだろう。


【今日の1/2】
「1/2」の表示がついているマヨネーズを購入。カロリーが1/2なのかと思ってたら、チューブの絞り出し口が従来の1/2サイズなのな。知らなかったよ。

2005年06月13日(月) 快感と昂揚と安堵と。

久し振りに小説を書きはじめた。半年ぶりくらいだろうか。

いや、「小説」という体裁のものを書いていなかった訳ではない。衛澤とは別名義ではあるが、毎月毎月、四〇〇字詰原稿用紙にして三〇〜四〇枚程度の短編読切小説を書いて少なくとも一本は納めて、原稿料を貰っている。だがしかし、昨夜から今朝にかけて書きはじめたものを書いているときと、別名義作を書いているときとでは心身の状態がまったく異なる。

昨夜書きはじめた小説は、一部の人には既に存在を御存知頂いている人物たちをモチーフとした物語で、勿論衛澤名義作である。冒頭の一行が万年筆の先から生まれ出した途端にぼくの脳と利き腕と万年筆とは直結して、ぼくの身体の奥深いところから次々と溢れ出してくる言葉を原稿用紙の上に休みなく綴り続けた。時計の上での時間にして六時間、ぼくは休みなく書き続けた。ずっと書机に向かって万年筆を動かし続けていた。筆を止める暇もないほどに次から次へと言葉が身体の深奥から湧いて出てくるのだ。

そのときの気分の昂揚は、これまで経験がなかったかと錯覚するくらいに長い間感じていなかったものだ。どのような言葉を用いれば形容し得るのか見当がつかないほどの昂揚感。これほど気分が高まったことなど、今年に入ってからは一度もなかった。そしてその昂揚はこの上ない快感となってぼくを衝き動かした。夜が深くなって、翌日のスケジュールに差し支えるから早く床に就かなくてはならないと時計を盗み見ながら思ってはいたが、なかなか進み続ける万年筆を止めることができなかった。

これが「小説を書く」ということなのだと、ぼくは改めて実感した。書いている間の昂りは安堵でもあった。暫くの間使われずに収い込まれていた言葉たちが意識しなくとも激しい奔流となって筆先へと現れ出る快感は、ぼくのもの書きとしての魂を荒ぶらせ、同時に気持ちを安らかにさせた。こんなにまで昂奮し、かつ心地よい時間を過ごしたのは、昨年の連載最終話を書いたとき以来ではなかっただろうか。
小説を書くということは、こんなにも愉しく、こんなにも快いことだったのだ。

だとすると、ぼくが毎月忸怩たる気持ちになりながら書いて原稿料を貰っている「それ」は、小説ではないのだろうか。きっとそうに違いない。
別名義作を書いていても集中力に欠け、仕上がっても碌にうれしさも感じないのは、小説を書いているつもりで小説でないものを書き続けていたからなのだろう。別名義でも「小説」を書くようにすればよいのだろうが、ぼくの芯の部分が、それはできないと悟っている。
ぼくは衛澤蒼なのであって、別名義を名乗っているときのぼくはぼくでなく、地面の上の影法師でしかないのだということに、ぼく自身が気付いてしまっているのだ。

しかしそれでも、ぼくは別名義作を書き続けなければならない。衛澤の望みを叶えるために、欺瞞を続けなければならないのだ。衛澤名義で原稿料が出る仕事が充分に入ってくれば、自分でありながら自分でない者の名など捨てることができるのだが、世の中とはなかなかそう巧くはいかない。
「つらい」と口に出すことでつらさがなくなるのならば、幾らでも口に出すのだが。


【今日の大丈夫ですよ】
「そんなに深刻にならなくても補助に先生がいるから大丈夫ですよ」……ぼくの働きはそもそも期待の範疇にはない訳ですな。だったら何でぼくをこの役に指名したのですか。

2005年06月12日(日) まとめずに書きます。

内容も体裁もまとまった、ひとつの仕上がりのかたちを持ったものを不特定多数の読み手に提供するのがもの書きの当然の仕事なのですが、今日はその範から外れて、まとまりきらない内容をまとまらないままに書いてみます。
これは試みのひとつです。

1)
「酒が飲める」ということに、とても強い憧れを感じることが時折あります。味が云々よりもぼくの身体はそもそもアルコールというものをまったく受け付けなくて、消毒用のアルコール綿で皮膚を拭うだけで真っ赤になってしまうのです。だから、「酒を飲む」なんてぼくにとってはとんでもないことなのです。
「酒が飲める」ことへの憧れとともに、「自分が判らなくなるくらいに酔っ払う」ことを狂おしいまでに欲することも、年に何回かの少ない割合ではありますが、あります。

酒を飲んで「旨い」と感じる感覚とは、いったいどんなものなのだろう。飲みものによって意識や記憶を奪われるとはいったいどんなことなのだろう。それを知りたいという気持ちは常々持っています。
それよりも、何がどうなってもいい―――何もかもがどうにかなってしまえばいい、と強く強く、衝動的と言ってよいほどの勢いで思うこともあり、それが叶わないときの苦しさとは、それこそ「狂おしい」と言わざるを得ないくらいです。だからそういうときに、「酔っ払って、その後どうなったのか判らない」などという話を聞くととてもうらやましいのです。

2)
ぼくが書くもののうち、実話をもとにした内容のもの(当日記など)を読んで、その実話の現場にいた人などがごくたまに「これ、知らない人が読んだらどう思うかなあ」と事実上の駄目出しをしてくることが、時折あります。ぼくはそのときどきで駄目出しを喰らった内容を手直ししたりしなかったりします。
「知らない人が読んだらどう思うかなあ」ということは換言すれば「知らない人が読んだら事実とは違うことを思い描いて、実話の現場にいた自分としてはそれは困るなあ」ということなのだと、ぼくは解釈しています。そして、そういうことを言う人はもの書きが書くものの本質を理解しないで駄目出しをしているのだとも思っています。

何故なら、もの書きは基本的に「知らない人」に読ませるために文章を書くのですから。

知っている人だけに向けて書くのであれば、知っている人だけに見せればいいのであって、不特定多数の人が読む可能性がある場所(たとえばWeb上だとか、たとえば雑誌上だとか)でつまびらかにする必要などないのです。そして「どう思うかなあ」の部分は書き手の企ての中に既にあるので実話の現場に居合わせた人に心配して貰うことではないのです。
書き手が「思わせたい」ことを読み手が思うように書き手は書いているのだし、実話の現場に居合わせた人がどう思ってほしかろうが、書き手の思惑の中で読み手は読み手ごとに違った解釈をするので「どう思うかなあ」などと困るだけそれは余分な心労と言えます。

「衛澤蒼」というもの書きはこのように考えて当記事のみならず書くものすべてに臨んでいますが、もの書きとしてこれは間違っているでしょうか。ほかのもの書きさんの御意見を伺いたい次第です。

3)
心身が弱ってきていると感じるときの多くは、摂取栄養のバランスを欠いているせいなのだと、ここ五年ほどの間に経験したことから知りました。気持ちも身体も怠いという状態が数日続くようならば充分な睡眠と栄養を摂れるように(まだ自分でできる状態なら)するようにしています。
そういう不調の中にもいろいろな種類の不調があって、「身体は怠いのだけれど何処かで動きたがっていて、だけど身体を動かすには気持ちが沈みすぎてできない」という不調もあります。こういうときは、ぼくの場合は獣肉を喰うと回復することが多いです。
他の生命を自分の中に取り込むと、身体の深奥に潜む生命力が「くたばっている場合じゃないぞ」と奮い立ってくるような、野性が目覚めてくるような気がするのです。

それで表裏ひっくり返したように一遍に回復してしまう訳ではありませんが、徐々に徐々に活力が滲み出るようにして動けるようになってきます。そして、そうなったときに先ず何をするかというと、ぼくはやっぱり「書く」ということをしてしまうのです。ただ、そういうときに書いたものというのは勢い先行で、体裁よくまとめるということは二の次になっていたりします。
それは、今日の当記事をお読みになればよく判って頂けるかと思います。当記事は丁度この状態のときに書きたい衝動で以て書いたものだからです。


【今日のカレー】
三月末くらいに「もう煮物はできないな」などと言っていましたがつくってしまいました大鍋一杯のカレー。夏野菜と茸と牛すじ。三分の二くらいは冷凍保存です。

2005年06月11日(土) ゆるくていい加減。

それが「衛澤」というキャラクタの基本概念である訳ですが、どうもこの基本は覆さなければならないようです。そもそも、「キャラクタ」を売りにする芸人でもないのにそのように「衛澤」というひとつのキャラクタを立てようとしていたこと自体が間違いだったのかもしれませんが。
発表する作品そのものと、それをつくり上げる書き手との落差も受け手(読者)の愉しみとなるようにしてきたつもりだった訳です。

私ももの書きの端くれですから、「ゆるくていい加減」を成立させると同時に細部にも配慮していたつもりではありましたが、それでもそれについて不快を示される方がおられるということが直に判りましたので、不特定多数を相手とするもの書きがいちいちそのような些末なことを気にしていては仕事にならないという考え方もあるにはあるのですが、「読んで愉しい」ことよりも「きちんとしている」ことを優先すべきなのかと考えを改めなければならないかと考えているところです。

ここ一〇年ばかり守り続けてきた基本を改める訳ですから混乱が生じることは避け得ません。当サイトに通ってくださる数少ないみなさまには暫く違和感その他を与えてしまうかもしれませんが、御了承を御願いしたい次第です。
今後暫く観察してみて、「改めたのが正解だった」或るいは「前の方がおもしろかった」など御意見お持ちになりましたら忌憚なくお伝え頂きたく思います。


【今日の隘路】
「きちんとしている」ことを優先させるとなると、この「いい加減」が真骨頂である【今日の】シリーズもなくすべきなのでしょうか……?

2005年06月09日(木) 夏だよ。

台風が来て梅雨に入るとか御天気の今出さんが仰っていましたが、最早や夏ですよ。あんまり暑かったから月に一度の電車に乗ってのK医大受診も膝丈ズボンにサンダル履きで行ってきました。裾五厘のスポーツ刈りに明度が低い色の衣服にサンダル履きの人は傍目に見るとちょっと怖かったみたいです(笑←敢えて笑っておく)。
半袖シャツに素足だったけど、冷房が効いた電車の中も病院の中も寒くなかったよ?

例年はそのようなことを感じたことはなかったのですが、今年の夏は、そろそろTVから聞こえてくるであろう「夏はやっぱりカレーだね!」というフレーズに深く納得しています。秋まで食事がカレーライスのみになってもいいや、という勢いでカレーが食べたいです。
今日は病院での診察が遅番(笑)だったので夕食は出来合いで済ませようとコンビニエンスストアに立ち寄ったら安価で「カツカレー」が売られていて、迷うより先に手がそれを掴み取っていました。
これはまだ思ったことがないのだけれど、そのうち「おせちもいいけどカレーもね!」というフレーズに納得するときがくるのでしょうか。御節料理を食べなくなってから早や五年以上が経ちますが。

カレーと同じくらい食べたいものが「モダン焼き」です。ひとり暮らしだとお好み焼きなんぞ食べる機会がほとんどありませんでしてね。ひとりでお好み焼き屋さんに出掛けることもありませんし、誘ってくれる人もいないし(寂)。
モダン焼き及びチョコレートパフェを一緒に食べに行ってくれる人を大募集。居住地の遠近問いません。但し、奢りません。むしろ奢ってほs(撲)


【今日のしっくり】
明治「ふんわりラテ」が私の中で大ヒット。これはサントリー「ラテラテ」以来のヒット作です。

2005年06月08日(水) 構ってないぞ構ってられないぞ。

トップページにもちょろりと更新案内してうれしげに新記事を挙げていますので既に御覧の方も多いかと思いますが、本日付の毎日新聞に私絡みの記事が掲載されました。
うひょーこっ恥ずかしー、と思っていたらWeb上にもこんな記事が出ております。写真が載っからなかっただけよかったと言えましょう。この記事は更新されて後日リンクが切れると思います。今日近辺の日にお読みでない方、済みませんです。

毎日新聞さんの取材は偶然と御厚意とのコラボレーションにより実現したのですが、調子こいて私という奴はなりふり構わず他社さんにも取材申込をしまくっています。どれだけの数の新聞社さんが応じてくださるのかは判りませんが、下手な鉄砲だって数多く撃てば幾つかは当たるものです。しかも「出版局の人も出せ」とか言ってますしね。厚顔無恥もいいところです。
なりふり構っている場合じゃないんですよ。必死なんですよ。傍目に見るとかっこわるくて馬鹿っぽいのかもしれませんけどね。

しかも、県の某部署には「オレ様を講師として登録しろ」とか迫ってきといたし。これで某部署が許可を出した場合には行政だとか企業だとか教育関係だとかに講師先生として招かれたりしてしまう可能性が多分に出てくる訳です。何だか世の中間違ってるよな(笑←笑っていいのか)。


【今日の厳重注意】
ハーフカーゴから毛脛出して素足にサンダルとゆー緩すぎる恰好で県の施設に行くのはよしなさい>自分。

2005年06月07日(火) 年寄りくさい。

インタビューなどを受けているときに、時折「いまの若い人たちの一部には……」という話しはじめ方をしてしまうことがある。ぼくからみて一〇歳代や二〇歳代前半の人たちは「若い人たち」になってしまうのでそういう言い方をしてしまう(せざるを得ない)のだけど、「こういう言い方をすると何だかとても年寄りみたいですけど」と予め付け足しておくくせもついているところを見ると、まだぼくは若者ぶりたいようだ。
とは言え、ぼくがまだまだ若造であることは間違いない訳で。

そう言えば、先日某研究会が終わった後で講師先生と少し御話したときに、T井講師が或る人の衣服を見て「サイケな感じでいいですね」と発言なさったところ、別の人が「サイケって懐かしい言葉ですね。サイケデリックっていまどき言いませんよね」とツッコんでいましたが、ぼくはそのツッコミを耳にするまで「サイケ」が「懐かしい言葉」であることに気付かなかった。まだ現役の言葉だと思っていたのだ。
ぼくの感覚は現代という時代から少しずつずれてきている?

そして今日のことに。
実家に立ち寄ったところ、母が「あんたはこんなのが好きでしょう。貸してあげる」と一枚の音楽CDを差し出してくれた。その表題は「懐かしの戦後歌謡選集 Vol.2」。
「湯の町エレジー」(近江俊郎)、「誰か故郷を思わざる」(霧島昇)、「イヨマンテの夜」(伊藤久男)、「東京ラプソディ」(藤島一郎)etc.etc.……という錚々たるラインナップ。確かに好きです。
でも、ぼくと同年代の人はこういう系統の曲を好んで聴きませんよ?

そんな風に年寄りじみてきたかと思うと、たまたま一緒に食事をした人に「口許、ついてるよ」と口の周りについたソースを拭って貰うという子供じみたことをしてしまったりもして、もっとしっかりしろよオトナなんだから、と自分でツッコんでしまう三十路なのでした。


【今日のどうにも】
「終戦のローレライ」(福井晴敏/講談社)文庫版全四巻をようやく読了。あの「切り離し」の部分は映画だけでなく原作でもそうだったんだ……「それはないやろ」と一番強くツッコみたい部分が原作から生きていたとは(悶)。
結び方には「福井氏はやはり『富野の子』世代だな」と実感させられました。

2005年06月06日(月) 筋肉の不思議。

トレーニングしていていつも思うことがある。
上腕筋や大胸筋にウエイトで刺激を与えてそれが効いていると、その痛みに似た急激な疲労感が心地よくさえ感じる。しかし、同じ感覚が腹筋―――腹直筋・腹斜筋にあってもちっとも心地よくないのだ。つらくて苦しいばかり。

同じように筋肉に刺激を与えているのに、片や心地よくて片や苦しいのは、何故なんだろう? 腹筋への刺激が心地よかったら幾らでも腹筋運動ができて、6パック腹も遠い憧れではなくなるのになー。


【今日の昼食】
カレーライスです。明日もそうです。明後日もそうしたいです。カレー大好きです。でもからいものは苦手です。
……つまり子供です。

2005年06月05日(日) おやすみの予定でしたが。

昨日は帰宅したのが日付が変わる少し前で、二〇〇人近くが集まっている中で四時間もいた上にラッシュ時の大阪環状線に乗ったりして心身ともに疲れていたはずなので、翌日である今日は一日寝くたばる予定でいました。
しかし、帰宅して一服した後眠剤を服んで就寝態勢に入っても一向に眠くならず(これは空腹が強かったせいらしく、軽く腹を満たすと眠れました)、眠ったのは明け方に近い時間でした。

なのに、毎日起きている時間にきっちり目が覚めて、しかもいつもは一旦目が覚めても直ぐに眠くなってしまうのに今日に限って眠くならないものだからジムに行ってきましたよ。疲れて帰ってきた上に二時間ほどしか眠っていなかったからふらふらになりながらウエイト上げ下げして自分で危なっかしかったですよ。

ここ暫く朝食にホットケーキを食べています。毎日焼くのが面倒なので、まとめて炊飯器で調理して切り分けて保存しています。しかし、私の炊飯器は古くて内釜のホーローが剥がれてきていて焦げやすくなっています。御飯は焦げませんが、ホットケーキはこんな感じです。



上図は、一応周囲をへらでなぞって剥がしてから釜を逆さにしてホットケーキ本体を取り出した後です。見事なまでにきれいに焦げの部分を脱ぎ捨ててホットケーキ本体が釜から出て行ったことがお判り頂けるかと思います。「脱皮したか!」と思いました。
新しい炊飯器だと焦げることもなくきれいに仕上がるらしいのですけどね。何しろ私が使っているのは一〇年以上も前の型だから。


【今日の告げ口】
現在「限定・お試しサイズ」として出まわっている「ジョー○ア黒豆珈琲」は、おいしくないぞ!

2005年06月04日(土) 京都出張(自費)。

今日と明日と明日と京都。京都へ行ってきました。
御婦人用の下着類で有名なワ○ール本社内で「乳房文化研究会」というものが開かれたのですよ。それにお誘い頂いたので行って参りました。よもや御婦人用の下着類をつくっている会社の中に御邪魔できるとは思ってもみませんでした。すっきりと整ったきれいな社屋でした。

今回の乳房文化研究会公開研究会のテーマは「性の多様性とこれからの日本社会」。
先ずは精神科医の針間克己先生の「性の多様性と医療」、続いて法学の大島俊之教授の「性の多様性と法律」という講演が各五〇分間。引き続き作家の虎井まさ衛さん、必殺女装人阿部まりあさん、草の根文化系レズビアンアクティビスト溝口彰子さんの各二〇分間の講演。
これだけでもかなりの聴き応えでした。講演と一ト口に言ってもその人の個性が強く出てくるものだなあと感心。

更にはこの五人のみなさん揃ってのパネルディスカッションがあったのですが、この辺りから日頃ぽーでぱーの私には難しい内容になってきて、しっかり聴いていたつもりでしたが記憶が曖昧に(喝)。
パネルディスカッションのコーディネーターとはどのようにやるものなのかも参考にさせて頂こうかと考えていたものの自沈しました(がっくり)。

更に更に、研究会が終わった後には講師のみなさん方との交流会(無料)もありまして、これにも参加させて頂きました。ワ○ールさんの社員食堂で立食形式。タダで飲み放題喰い放題。なのに空腹感がなかったどころか何だか昼から腹がふくれたままだった私は碌々お呼ばれしないままでした。が。

沢山の方々と出会いました。
双葉社さんの「性同一性障害30人のカミングアウト」で御一緒した……とは言っても直にお会いしたことがなかった方々と少しずつですが御話させて頂きました。
お互い顔は知っているけれど実際に会うのははじめて、という何だか不思議な体験でした。

先日G-FRONT関西トランスサロンで御世話くだすった森村さやかさんも御出席で御声掛けくださいました。人を見つけるのが苦手な(と言うか動く人の顔は近眼も手伝ってきちんと見ていない)私と違って目配りが違います。

土肥いつきさんも本の上でしかお会いしたことがなかったのに御声を掛けてくだすって、「よく憶えていてくださいましたね」と言ったらば「インパクトが強かったから」と言ってくださいました。……「インパクトが強い」っていろんな方に言って頂くんですが、そうなんですか私(自覚なし)。

めっちゃ気さくな土肥さんが針間先生や大島教授と私とを引き合わせてくださいました。大島教授は私を見て「ネット上でよく見る」と仰っていましたが、どのプチ悪党振りが露見しているのか冷や汗もの(苦笑)です。
緊張していたのかテンパっていたのか「仕事まわしてください」とか口走ってしまったしな。そのときの針間先生の視線が痛かったよーに感じたのは気のせいでしょうか(焦)。

で。今回も虎井さんにひっついていろいろ御相伴に与ってしまいました……毎度毎度済みません、と言いつつちゃっかり御世話になってしまう自分の小ささが(以下略)。して頂くばかりでなく御返しできる人間にならないとなあ。という反省は一応するんですよ一応?

ええと、ほかにも御話させて頂いた方がおられたかと思いますが、何しろ沢山人がいる場所に長い時間いたもので精神面が一杯一杯で、ワ○ールの人にまで名刺を渡して「仕事ください」などと言ってしまったくらいなので、そのほかの方済みません。



さて、突然出てきましたピンボケの白いポスト。これはワ○ール玄関前にある集配ポストです。白いポストってめずらしいなと思って撮影してきました。京都駅前の中央郵便局には茶色いポストがあって、それもめずらしいので撮影したのですが、デジタルカメラからパソコンに転送し損ねてデータが消えました。茶ポストの方がきれいに撮れていたのですけどね。ちなみに当市内には青いポストがあるのですよ。
という話をしましたら虎井さんに「ポスト好きなんですか?」と訊かれてしまいました。いえ、ポストが好きな訳ではなくて、色彩関係が多少気になるだけです。一応カラーコーディネイターの資格を持っているので(持ってるだけ)。


【今日の贅沢】
久し振りにオーシャンアロー号(JRの特急列車)に乗ったぜー! ……片道だけ。

2005年06月03日(金) カレーうどんと白い着衣との関係におけるその危険性について。

今日の表題については誰もが関心や興味があるものと思うのですよ。かく言う私も今朝、カレーうどんを食していて(朝っぱらからカレー喰ってるぞこいつ)眼鏡にターメリック色の洗礼を受けつつ、海上自衛官時代に所属分隊の分隊長が第一種夏服(上下純白)を清潔に保っておくことの重要性を説くときに例としてカレーうどんを食べた後を挙げたことを想起しておりました。

でも、食べ終わったら満足して関係だの危険性だの考えなくなっちゃった。旨くてお腹一杯になればそれで倖せなのですよ。うん。小難しいことは要らなくなっちゃうんだ。
表題を見て期待して読みはじめた人、こんなオチで御免ねん。


【今日のこだわり】
せんべいやクッキーやビスケットは、湿気っている方が好きです。

2005年06月02日(木) 本末転倒と言うか。

【今日のめっさびっくり】
青山剛昌センセー(「名探偵コナン」原作者)と高山みなみさん(コナン役声優)が御結婚なすっていたのだそうな。朝の情報番組を寝ぼけながら見ていて、この話題を耳にした途端に一気に目が覚めたよ。
このパターンは「キャプテン翼」の高橋陽介さんと小粥よう子さん以来のような。
後から確認したら新聞各紙も割りと大きな記事として扱っている様子。この話題を大きく取り上げるのは読○系列だけかと思ってたけど(^^;)。

で。おまけだけ書いて今日は本文がないのねん。


エンピツユニオン


Copyright © 2004- Soh Ezawa All Rights Reserved.