エスムラネット・日記

2003年10月07日(火) 座頭市

 昼頃、両親と共に家を出て、南大沢のヴァージンシネマへ映画「座頭市」を観に行った。言い出しっぺは私である。
 家から20分ほど歩くと、「南大沢」の駅に出る。忘れもしない13年前の正月、「今度ここに引っ越すんだよ」と親に連れられてこの駅へ降り立った時は、目の前に広がった荒涼たる草原を見て「何の因果で、こんな所に……」と我が身の不幸を嘆いたものだった。それが今ではどうだろう。かつて草原だった場所にはイトーヨーカドーがそびえ(その前に、そごう、ダイエーなどが次々にやって来てはつぶれていったが)、かつてDJパトリックが来て野外レイブ(?)をやった空き地には巨大アウトレットモールが広がり、かつて断崖絶壁だった場所には、スターバックスやヴァージンシネマが軒を並べている。諸行無常である。
 映画「座頭市」は、とにかく殺しのシーンが多いなあ、という印象であった。駅へ向かう道すがら、両親の間で「『座頭市』は、何が売りなの?」「殺しのシーンだろ?」「私、そういうのダメだわ」といった会話が繰り広げられていたため、人が死んで血がピューッと飛び散ったり、斬り落とされた腕がアップになったりするたびに、隣りに座っている母が気になって仕方がなかったのだが、映画が終わって母に「キツくなかった?」と訊ねたところ、「そんなの気にしてたら、観てらんないわよ。でもあの映画、外国の人はどう思って観たのかしらね」という答えが返ってきた。評判の「タップダンス」シーンは、確かに「蛇足」感はあったが、個人的には「華やかで良いなあ」と思った。何より「大楠道代がタップを!」というのが、衝撃的であった。
 ちなみに、ここでも私は、安い親孝行をしようと試みて、アイスウーロン茶を3つ購入したのだが、「映画を観ながら飲食する」というアメリカナイズされた行動様式は、60過ぎの両親には受け入れがたかったらしく、映画終了時、ウーロン茶はほとんど口をつけられないまま、破棄されることとなった。がっかりである。また、私が言い出しっぺであったにもかかわらず、映画のチケット代は全額、父が負担してくれた。両親はシニア料金で、各1,000円ずつ。私は一般料金で1,800円。これで昨日のケーキも、今日のウーロン茶もチャラである。「いつか大金持ちになったら、必ず豪華海外旅行でもプレゼントするからね」と、心の中で手を合わせた。「いつか大金持ちになったら」って……。30過ぎて、この仮定法未来は、我ながらどうかと思う。

●今日の行動
・父から「最近、読み返してみたが、やはり良かった」と、夏目漱石の「こころ」を手渡された。学校の先生からも「漱石を読め」と言われているので、「陽暉楼」はとりあえず、後回しにしようと思う。岩波文庫はリニューアルしたのか、非常に活字が読みやすい。
・今日になって発見したのだが、この枠の下にある「MAIL」をクリックすると、「森村明生(三十路・シングル・失業中)さんにメールを送る」と書かれたメールフォームが出てくる。自分でつけたタイトルなので仕方がないが、名前の後にこういうカッコがつくと、何だかダメ押しされているようで腹が立つ。



2003年10月06日(月) 帰省

 夜、阿佐ヶ谷を出て、八王子へ。
 実家へ帰るのは、8月以来である。7年前に家を出て以来、2か月の間に2回も帰省するというのは、恐らく初めてだと思う。これも退職の「副産物」といったところか。本当は、退職したら一週間ぐらい、実家でのんびりしようと思っていたのだが、女装やら何やらで、結局果たせないまま、今に至っている。それにしても、同じ都内に住んでいながら、こんなに疎遠になるとは……。一人暮らしを始めるまでは23年間、毎日顔を合わせていただけに、何だか不思議な感じがする。諸行無常である。
 電車に乗る前に、阿佐ヶ谷のケーキ屋で、3人分のケーキを購入した。孫の顔も見せてやれず(それはもう、仕方ないと思っているが)、30過ぎて、親に小遣いの一つも渡してやれない甲斐性なしな娘の、せめてもの孝行のつもりである。ちなみに、この阿佐ヶ谷のケーキ屋は、聞くところによると、漫画「西洋骨董洋菓子店」のモデルとなった店らしい。値段は割と高いのだが、美味しいし、深夜2時まで開いているので、何かと便利である。
 実家では、ドラマ「夢見る葡萄」を観ながら、母の手料理を食べた。母はとにかく、人にものを食わせるのが好きらしく、料理の品数がいつもやたらと多い。完食どころか、全品目に手をつけることすら困難である。そう言えば以前、会社の仕事で、実家の近くで写真撮影をしたことがあったのだが、カメラマンの方を連れて実家に立ち寄ったところ、母は「突然だから何もなくて……」と言いながら、菓子やらスイカやらを次から次へと出してきた。「ヘンゼルとグレーテル」の魔女さながらである。ありがたいことではあるが、満艦飾状態の食卓を見るにつけ、普段の自分の貧しい食生活を省みて、「何で一人暮らしなんかしてるんだろうなァ」と、後悔とも哀しみともつかぬ感情が押し寄せてくる。困ったものである。

●今日の行動
・またまた国内で、狂牛病の牛が発見されたらしい。「秋になったらまた現れるのでは?」という大方の予想通り、SARSも復活したそうである。あーあ。
・某出版社の契約社員に応募しようと思っていたのだが、断念する。9月半ばに父から「応募してみろ」と言われ、応募書類はダウンロードしておいたのだが、ハッと気づいたら、締め切り前日になっていた。慌てて書店へ行き「履歴書・職務経歴書はこう書く」などという本を購入してみたのだが、あまりにも大変そうだったのであきらめた。昔から、こういった書類(「当社で手がけたい企画」などを書かされるもの)は苦手だったのだが、いまだにそれは改善されていないらしい。しかも最近は、自分の努力不足を「縁がなかった」という言葉で誤魔化すようになってしまっている分、タチが悪い。父にはとりあえず、「応募書類は出したが、落ちてしまった」と言っておこうと思う。嘘も方便である。
・実家の近くには野生の雉がいるらしい。両親は早朝ウォーキングの際に、時折見かけるのだそうだ。食卓のマットの下に、父が描いた「雉出没記録」が挟んであった。何故か雉のイラスト入りである。こういうものを目にする度に、あるいは父が孫(私にとっては、姪)に振り回される姿を見る度に、私の頭に「好々爺」という言葉が浮かんでくる。
・ホームページのカウンターが20万を超えた。第1シリーズを終えた段階では確か、15万くらいだったと思うので、ロクに更新もしていない2年近くの間に、のべ5万人の方がカンカラカンカラ、無駄にカウンターを回してくださったということになる。ありがたいことである。



2003年10月05日(日) 戦争と平和

 朝、何故か起き上がることができなかったため、「おそ昼……」の音声を聞きながら惰眠を貪り、14時頃にようやく覚醒した。これは本来、平日しっかり働いている人のみに許される起床パターンである。しかも、起きてからすぐに、録画してあった映画「ピンポン」とドラマ「さとうきび畑の歌」を、続けざまに観てしまった。
 まずは「ピンポン」だが、窪塚洋介の演技はやはり鼻についたのだが、それでも2度ほど泣いてしまった。後で数人の知人から「あの映画のどこで泣くのだ?」と不思議がられたが、泣いてしまったものは仕方がない。「実は、お互いがお互いのヒーローであった」という辺りが何だか良かったので、「脚本家は誰?」と思ったら、宮藤官九郎であった。私は、クドカン作品は「僕の魔法使い」しか観ていないので、昨今の「とりあえずクドカン誉めときゃいいかァ」といった風潮(?)にはやや懐疑的だったのだが(天邪鬼)、「ピンポン」を観てやや考えが変わりそうになった。が、やはり後で知人に「ピンポンには原作があるんだよ」と知らされたため、今は再び「池袋ウェストゲートパークと木更津キャッツアイを観てから判断しよう」と思っている。などと、勝手に偉そうなことを書いているが、もちろん、「テメエの評価なんか、クドカン様には何の意味もねえんだよッ」いや「テメエに、他人様を評価する資格なんかねえんだよッ」というのは、百も承知である。というか、今さら「ピンポンを観た」だの「脚本はクドカンだった」だの「実は原作があった」だのと書いている時点で、すでに私はアウトであろう。
 そして「さとうきび畑の唄」だが、これは総計5回は泣いたと思う。涙のダンピングである(もともと私の涙に価値はないが)。ついこの間まで、「あからさまなお涙ちょうだいにはダマされないよッ」とうそぶいていた私だが、歳を取って少しは素直になったということか。それとも「泣くのは、ストレス解消の一種である」というが、よほどストレスがたまっていたのだろうか。こんな生活をしていて、一体何のストレスだ。
 というわけで、このドラマについては「史実に忠実でない」「ご都合主義的すぎる」「沖縄を舞台にしているのに、何故主人公は大阪出身なのだ」といった批判もあるようだが、私はかなり身を入れて観た。特に印象的だったのは、「アメリカ兵に会ったら、Do you kill me?と言うのよッ」と必死で叫ぶ仲間由紀恵の演技(割とファンなので)と、次男役の勝地涼のかわいさ(結局それか)であった。
 それにしても、(先日「戦場のピアニスト」を観た時にも感じたことだが)「平和な状態と戦争状態とは、地続きなんだなあ」とつくづく思う。どれほど長く平和な状態が続いていても、一度火がつけば、世の中はあっという間に極限状態に陥るのであろう。それを防ごうと思ったら、(とてもありきたりな結論になってしまうが)やはり我々一人一人が、世の中の動きに目を向けておかなければならない。
 一時期、マスコミなどで小泉首相の右傾化が取り沙汰されていた。それはもちろん、注意しなければならないことだが、本当に恐ろしい勢力というのは案外、思いがけない所から出てくるような気がする。不況が続き、人々の不満がつのっている(たぶん)今日この頃である。政治家でなくとも、もし今、「民衆の味方」のような顔をした勢力が現れたら、圧倒的多数の人々の支持を得て巨大化するかもしれない(でも、現代社会は利害関係が複雑化しすぎているので、「圧倒的多数の人々の支持を得る」ということ自体、ないかもしれない。何だかよくわからなくなってきたので、もう止めようと思う)。

●本日の行動
・深夜、友人と2人で、阿佐ヶ谷駅前の屋台のラーメンを食べた。以前から何となく気になっていた屋台である。友人が、トレイの上に重ねてあったグラスに水を注ごうとしたところ、客の老女に「それ、使用済みのやつだから」と止められた。すると屋台のオヤジが、「あ、水ね、ハイハイ」などと言いながら、まさに老女が「使用済みだから」といったグラスに水を注いで、我々に手渡した。老女は何となくこちらの様子をうかがっている。はからずも老女とオヤジの板ばさみになり、大変困った。仕方がないので、老女が席を立つのを待ってから、チョビチョビと水を飲んだ。ラーメンの味は、普通であった。と思う。世の中には「美味いラーメンしか食べたくないッ」あるいは「毎日ラーメン食べても平気ッ」というラーメン通の方が少なからずいるようだが、私には「ラーメンの味の良し悪し」が、イマイチよくわからない。わかるのは「麺にコシがあるかないか」ぐらいである。



2003年10月04日(土) 携帯電話

 私は、筋金入りのピッチ(PHS)ユーザーである。10年ほど前に、知人の薦めで今は亡き(うそ)ASTELに加入して以来、途中でエッヂに変えはしたものの、ずっとピッチに操をたててきた。理由は「地下でも使えるから」「料金が安いから」「アルファネットのモバイルアクセスポイントは、エッヂにしか対応していないから」」「携帯より、電磁波が少ないらしいから」「携帯4社の料金やら端末やらを比較検討するのが面倒くさいから」「電話番号を変え(正確には、変えた番号をみんなに知らせ)たり、電話番号を移したりするのが面倒くさいから」の7つである。そのために私は、電話番号交換の度に「070?プッ。それ、何の番号?」と笑われたり「もォ、090って入力しちゃったよォ」と叱られたり(理不尽である)しながらも、ピッチから足を洗えずにいたのである。
 しかし、である。近頃では、携帯の使える地下エリアはずいぶん広がったし、通話料金も端末の料金も、もはやピッチの方が高いくらいである(ピッチから携帯にかけた場合、1分40円くらい)。アルファネットはすでに、(エアエッヂ以外の)エッヂ対応アクセスポイントを閉鎖しているし、電磁波云々に至っては、本当かどうかさえわからない。そんなわけで、「面倒くささ」だけにしばられて、ユーミンの「シャングリラ2」の曲名をシコシコメモったり(会場外に掲示されていたのだが、他の人々は、携帯カメラで一発撮り、であった)、「写メ交換しようッ」といった会話についていけなかったりするのもどうかと思い、私はようやく携帯への変更を決意した。
 そして今日。パンフレットを何度も眺めて検討し、「J-phoneにしよう……かなァ」と(ややためらいつつも)思った私は、量販店へ赴いた。ところが!いつの間にか、事務手数料が変わっている。念のため、店員さんに「これ、事務手数料かかるんですか?」と訊ねたところ、「そうなんですよォ。10月1日から事務手数料がかかることになっちゃったんですゥ」との答えが返ってきた。vodafoneになって、かえって高くなるとは……予想外であった。ここでvodafoneに加入するのは、何だかとても悔しい気がする。というわけで、私の携帯変更計画は、あえなく延期である。「面倒くさい」とか「悔しい」とか、つまらぬ感情に支配されて結果的に損をするのは、そろそろ止めにしたいのだが。

●今日の行動
・昨夜は布団に入ってもなかなか寝られず、結局朝まで、ホームページ用の日記を書いてしまった。久々の「魔の夜」(http://www3.alpha-net.ne.jp/users/murapon/comment2.htm)である。そろそろ、生活のリズムを立て直さなければ、と思う。
・夕方から新宿で、11月に行われるイベント「PWL MANIACS」の打ち合わせ。
・その後、友人と共に、初めて「伊勢丹メンズ」に行く。
リニューアルされた「伊勢丹メンズ」は、30代男性をメインターゲットにしている、と聞いたので、「30代男性の中でも恐らく、可処分所得の多いオカマを狙っているのだろう」と勝手に予測していたのだが、客層は意外とバラエティにとんでいた。が、店員は全体的に、怪しい雰囲気を漂わせていた。各ショップの中で「アイツはゲイだろう」あるいは「ゲイ受けしそうだ」と目をつけられた人がセレクトされ、「2丁目も近いし、友達どんどん引っ張ってきてよ」ぐらいの期待を込めてあそこに集められたのだとしたら、それはそれで面白い気がする。
・夜、突然ちあきなおみの「伝わりますか」を聴きたくなり、TSUTAYAで借りる。名曲だと思う(作詞作曲・飛鳥涼)。



2003年10月03日(金) 青春の旅路

 昼過ぎに家を出て、国立へ行った。
 私は、高校〜大学時代を国立で過ごした。国立はいわば、私の青春の地である。高級スーパー「紀伊国屋」があり、百恵御殿のある街。そう。私は、ハイソなオカマなのである。
 今回、国立へ行った最大の目的は、大学のゼミの先生に「会社辞めましたッ」と報告することにあったのだが(大学は、8月頭から9月末まで夏休み)、研究室は真っ暗だった。先生はどうやらお休みらしい。がっかりである。
 仕方がないので、まずは大学内を散歩した。陸上部OBでもないのにグラウンドで走る若者を眺めたり、夏休みにアルバイトしたことのある大学図書館の入口で「知ってる職員さんいないかなァ。図書館のバイト、またさせてくれないかなァ(無理)」とウロウロしたりしていた(学生証がないので、中に入れなかった)私は、かなり怪しい人間に見えたのではないかと思う。
 大学から移動する際、学生の一人が、その友人と「留年決まっちったァ」「エーッ、夏決まり?」といった会話を交わしていたのが印象的だった。
 そういえば、最近はとんと見なくなったが、入社して5年くらいまでは時々、「卒業できない」夢を見た。夢の中で私は、すでに会社勤めを始めているのだが、何故か大学にも籍を置いている。しかし普段は会社に通っているため、出席も足りなければ試験情報もレポート情報も全くわからない。ああ、どうしよう、という夢である。不条理なことこの上もない。
 大学を出て、「大学通り」をひたすら南下し、高校へ。高校を訪れるのは、実に10年ぶりである。しばらく見ない間に校舎は建て直され、すっかり立派になっていたが、立派すぎて、ちょっと淋しくなった。
 学校は恐らく「関係者以外立ち入り禁止」だと思うが、構わず校舎内へ入る。何人かの生徒や職員とすれ違ったが、全く見咎められなかった。よほど高校生と同化していたのであろう(カン違い)。「2年前、日大豊山高校の学園祭で女装ショウをやった後、スッピンで校舎内をウロウロしていて、高校生に『あの人、さっきの女装の人だよね?何年何組?』と言われた」というロクでもない思い出が、ふと頭をよぎった。
 サッカー部の練習風景などを眺めてから(そんなのばっかり)高校を後にし、谷保駅へ向かう。大学通りの向かい側に、バカでかいマンションを発見。景観をめぐって裁判沙汰になった、いわくつきのマンションである。初めて見たのだが、確かにひどい。反対されて当然である。「繊細さを感じさせない巨大なもの」というのは、とても人をいらだたせるものだなあ、と思った。先日も、ワイドショーをボーッと見ていたら(ダメ人間まっしぐらである)、大阪市大正区の「巨大マンションによる日照妨害問題」をやっていた。どんなに住民が反対しても、地方自治体が許可を出し、建設が始まってしまったら、ハイそれまでよ、である。ひどい話だが、これからもっと、こういう争いは増えていくのであろう。
 そこから谷保までの道は、意外と変化がなかった。何軒か店は変わっていたが、なくなっていたのはいずれも「まあ、潰れても仕方ないなァ」と思われる所ばかりであった。高校3年の夏休み、文化祭の準備の合間に数人でご飯を食べた中華料理屋さんは健在で、懐かしさに胸がちょっと痛くなった。貸本屋さんは相変わらず、「BOOK LENTAL」と書かれた看板を、堂々と掲げていた。綴りの間違いを、誰も指摘しないのだろうか。
 ちなみに、書店や銀行、おしゃれな喫茶店などが軒を連ねる国立駅と違って、谷保駅前にはパチンコ屋や信用金庫、さびれた喫茶店などが軒を連ねている。これを俗に「国立の南北問題」というらしい。誰が問題にしているのかは、よくわからない。谷保駅前には「紀ノ国屋」という、恐らく高級スーパー「紀伊国屋」とは何の資本関係もない菓子屋があるのだが、今日は全品半額セールだったらしく、ジジババから男子高校生まで、幅広い世代の人たちが長蛇の列をなしていた。そういえば昔、「百恵さんがキノクニヤで買い物をしている写真」が写真週刊誌に載っていたが、あれはどっちのキノクニヤだったのだろう。
 谷保から南武線で分倍河原へ行き、分倍河原から立川へ行く。単に昔を懐かしむためだけに、時間的にも運賃的にもムダとしかいいようのない動きをしてしまった。私が高校生だった頃、「谷保と分倍河原の間に、小室哲哉の実家が見える」とずいぶん話題になったものだが、私には今もって、どの建物がそれなのかわからない。
 いい加減疲れていたのに、立川でも下車してしまった。八王子と立川は、何だかよく似ていて、時々記憶がごっちゃになる。それにしても、最近の郊外のJRのターミナル駅の駅前の改造っぷりときたらどうだろう(さて、この文章の中に「の」はいくつあるでしょう)。ひたすら立体化、である。立川しかり、八王子しかり。さびれ感が何ともいい味を出していた橋本駅でさえ、無残な姿に変わっていた。
 しかし、そんな「近代化」の影響を全く受けていない建物が、立川にはあった。それは立川駅前の「第一デパート」である。以前からこのデパートには、そこはかとない場末ムードが漂っていたのだが、今日、久しぶりに覗いてみたところ、何と言うか、立川近代化によって生じた「負」を全て引き受けたような、すさまじい姿になっていた。かつて一般書店であったオリオン書房には、耽美小説やフィギュア雑誌、戦隊ヒーロー雑誌などが所狭しと並べられ、その同じ階にはフィギュアショップやプロマイド&ポスターショップがあった。こういうのを「ニッチビジネス」というのだろうか。
 その後、立川駅ビル「ルミネ」も覗いてみたのだが、フラリと立ち寄った某ショップで応対してくれた男性店員が色っぽくて、クラクラした。めがねをかけていて、顔の造りは美形……というわけではなく、肌のきめも粗めなのだが(ってうるせえよ)、物腰が柔らかくて声が良い。「つきあうなら、こういう人がいいッ」と私の魂が叫ぶのが聞こえたが(最近、「この人いいな」「自分に合いそうだな」(ずいぶん自分勝手な言い種であるが)と思う人がいると、「魂」が反応する……ような気がする。一方で、どんなに見た目的に好みな人でも、魂が全く反応しないこともある。無駄弾を撃たなくてすむようになった、ということなのかもしれないが、何せ具体的な成果となってあらわれていないので、よくわからない)、特に欲しいものがなかったので、結局何も買わずに店を後にした。こういうのが、私のダメなところである。
 こうして、半日をかけた私の「青春を懐かしむ旅」は終わった。人間、少し時間ができると、ロクなことをしないようである。

●今日の行動
・「エンピツ」利用のため、東京三菱銀行のATMからジャパンネット銀行へ900円を振り込んだ。振込手数料が420円であった。900円の振込みに420円。ありえない金額である。「エンピツ」をやめて無料の(でも少し重くて不便)「デンパンブックス」にしようか、と30秒くらい考えてしまった。銀行間の金のやり取りというのは、そんなにも厄介なものなのだろうか。今の銀行のあり方は、やはりどう考えてもおかしいと思う。こんな阿漕なやり方を続けてたら、いつか金融中心のシステムは転覆するぞ。



2003年10月02日(木) 映画と読書

 学校の先生からはとにかく「映画(特に古典)を観ること」「本を読むこと」を勧められている。
 はっきり言って、私の映画体験は貧困である。TSUTAYAが出している「シネマハンドブック」という本が手許にあるが、試しにチェックしてみたところ、その本で紹介されている1,500本中、今までにせいぜい50本観たかどうか、というていたらくであった。
 そして、読書体験も歳を重ねるごとに、どんどんひどいものになっている。今までの人生で一番本を読んだのは、恐らく小学生の頃である。当時の私は、10歳そこそこの身でありながら、永井路子の「王者の妻」(エロ描写あり)を理解し、小遣い8か月分の「おしん」シナリオ集全4巻を買い揃えるほどの読書家であった。「神童」といっても良いほどである。しかし、それから20年たった現在、うちの本棚の前面には「ガラスの仮面」や林真理子、内館牧子の本がズラッと並び、申し訳程度に「斜陽」や「金閣寺」が置いてある。かつて私の部屋を訪れた何人もの友人が、本棚を見て「これ、わざとだよね?本当は、ちゃんとした本もあるんだよね?」と呟いた。わざとではない。ザッツオールである。
 そんなわけで、常々危機感を覚えていた私は、会社を辞め、女装もひと段落し、「まずはたまった宿題を片付けなければ」というプレッシャーから解放された(その割に、ちっともはかどらなかったが)今日から1日1本ずつ、映画を観ることにした。その、記念すべき第1号は「陰陽師」である(昨日、テレビでやっていたのを録画したので)。本格的な勉強の第1歩が「陰陽師」。前途多難である。
 「陰陽師」については以前から、行きつけの店のマスターが「とにかく今井絵里子がひどい」「(今井絵里子は蝶の化身で、蝶になったり人間になったりするのだが)ずっと蝶になってろって感じ」「1作目をあれだけボロボロにされたのに、2作目でまた起用する神経がわからない」などと言っていたので、かなり期待していたのだが、予想をはるかに上回るひどさであった。セリフの言い方がヘタなのはわかるが、セリフがなく、ただ笑っているだけの場面でも、あからさまにヘタなのである。そこだけ空気の色が違う。「わざと、違う撮り方をしているのではないか」と、製作者の悪意すら感じ(ようとし)てしまったほどである。目が離せなかった。ある意味成功かもしれない。
 映画自体は、ポイントポイントで面白い部分もあったのだが、よくわからない長回しシーンなどもあり、後味は微妙であった。テーマは「鬼は、人の心の中に棲んでいる」といったところか(違うかも)。
 ちなみに、「読書」強化の第1号は、うちの本棚に眠っていた、宮尾登美子の「陽暉楼」である。「陽暉楼」。これも微妙である。

●今日の行動
・昼頃起きて、「陰陽師」を観る。
・夜、日生劇場で「若き日のゴッホ」を観る。
桃井かおり先生はやはりきれいだったし、TVで見せる「桃井節」とは違う演技を披露していたが、芝居の内容は全体的に単調で、眠くなった。最近、暗いところに行くと、すぐ眠くなる。そんな自分に腹が立つ。
日生劇場には初めて行ったのだが、声がこもってひどく聞きづらかった。劇場の作りのせいだろうか。小橋賢児の声がよく通って驚いた。京野ことみも頑張っていた。
京野ことみは、いつも観るたびに「何か、すごくムカつきそう」と思うのだが、フタを開けてみれば意外とムカつかない。不思議な女優である。
池脇千鶴も少しだけ出ていたのだが、池脇が出た途端、後ろの席に座っていた女性が「あ、ほんまもんの人」と呟いていた。
劇場には中村獅堂が来ていた。
・観劇後、「刀削麺」(とか何とか、そんな名前だった)を食べる。うまかった。
・一緒に芝居を観に行った女性は、介護福祉士をやっている。介護福祉士を目指した動機を尋ねたところ、「痴呆老人って面白いから」という答えが返ってきた(もちろん他にも、「真面目な」動機があるようだが)。事実彼女は、ホームで起こるいろいろな出来事を、本当に楽しんでいるようだった。素晴らしい才能だ、と思う。こういう動機を、もっとみんなが堂々と言えるような世の中だったらいいのに。万が一、うちの親を施設に預けなければならなくなったら、是非彼女に頼みたい。
・帰宅後、近所に住んでいる友人から「話がある」と電話がある。何となく、一緒に、荻窪までサイクリングをする。無目的に自転車で2ケツ(というのだろうか)で走るのは、中学以来かもしれない。青春だ、と思った。
・その友人と話していて、改めて、「7年前、行きつけのバーでバイトをさせてもらった」ことと「5年前、HPを始めた」ことで、自分の考え方がずいぶん変わったんだなあ、と気づく。それまでの私は本当に、自分のことしか考えていなかった。今ももちろんそうだが、当時よりはマシになっていると思う。思いたい。



2003年10月01日(水) 打ち上げ

 夕方、学校へ行った。
 4月から半年間受けてきた「養成講座」(基礎コース)は今日で終了し、来週からは「研修科」に進むことになる。週1回、2時間だけしか会わないクラスメートなのに、来週からは会えなくなる人もいる、と思うと、何だか淋しい気がする。
 授業終了後は、青山の居酒屋で打ち上げ飲み会をやった。クラスの人数が多すぎて、なかなか他の人と話す機会がないため、5月頃につい「飲み会をやりましょう」と言ってしまったのが運のつきで、その後も幹事をやりつづけることになってしまった(といっても、場所取り等は他の方がやってくださったので、負担はかなり少ない)のだが……。宴会中はなかなか落ち着いて話ができず、結局、みなさんとあまり交流を深めることができなかった。がっかりである。
 しかし今日はその後、面白い展開になった。私が通っているのは「水曜・夜」のクラスなのだが、同じ店で「水曜・昼」のクラスの人たちも打ち上げをやっていたのである。今まで一度も会ったことのない人たちであったが、「夜」クラスの打ち上げ終了後、何となくそちらへ合流することになり、結局朝の5時まで一緒にいた。合流した「夜」クラスメンバーは、私と、もう一人の女性だけであった(彼女とも、ちゃんと話したのは今日が初めてである。しかも、彼女を迎えにきた旦那さんも巻き込まれ、朝まで一緒にいた。何だかもう、わけのわからない一夜であった)。

●今日の行動
・午前11時、阿佐ヶ谷に父がやってくる。
駅前のロッテリアで用事を済ませた後、近くの中華料理屋で昼食をとる。
・その後、宿題をやる。ギリギリまで粘ったが、途中で断念。6月頃から滞っていた宿題を、退職後に一気に片付けるつもりでいたのだが、結局全22課題のうち13課題しか提出できなかった。惨敗である。「出すからにはきちんとしたものを」という自意識に足を引っ張られているように思う。


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