浅間日記

2004年11月30日(火) 空調考

朝、寒いさむいとAが泣くので外をみたら、雪だった。初雪である。

スカスカの家だから、
部屋全体を暖めようなどという贅沢は、もうはなからあきらめている。
だから、部屋は寒くても身体は暖かく、という方向で対策するのだ。

まず頭部からの放熱を帽子でバリア。
次に、首と名の付くところは全て一枚多く被覆する。
なくてはならないのが、厚手の靴下。
血管やリンパ節の集まっているところを局所的に暖めるのが、
効果的に体温をキープするポイントだ。

最後の仕上げに、白金カイロをジーパンの後ろに挿む。
使い捨てのカイロよりも熱が力強く、「火の塊を身につける」というのも何だか粋だ。
かすかに香る炭の匂いも好きだ。
これで、熱い朝風呂に入っているように身体全体が温まる。

そうしているうちにポットに熱々のお湯が沸くので、
ショウガの蜂蜜漬けをこれで割り、今度は身体の中からも暖める。



胃がカーッと温まるのを感じながら、
空調暖房というはいつ頃から普及したのかなあと思う。

確かにそれは、部屋の寒さとは無縁で素晴らしいけれど、
空気が乾燥し喉がガラガラとか、ウィルスが蔓延しやすいとか、
いいことばかりでもないと思う。
それにどんなに部屋の温度が上がっても、
ポカポカする、という感覚ではないように思う。

朝の台所で白い息を吐きながら考えた負け惜しみであるが。



2004年11月28日(日) 化学変化

横浜で遊び呆ける。

TもDもMも、皆元気で、嬉しかった。

子の親になったり、会社を経営してたり、転職してスキルアップしていたり。
今在る自分の状況を、みんなちゃんと引き受けているところが、気持ちいいと思った。

現在もこの先も、
必ずしも職場や家庭ではいいことばかりではないだろうし、
よい評価をしてもらえるとは限らないかもしれない。

でも、こうして一同に会する時だけは絶対に、
全員が楽しい人で、お互いを好きでいられるだろうなと思った。
旧友が集まる時というのは、人間関係にそういう化学変化がある。

身体だけはみな大事にと、本当に心から願いながら、散会。



2004年11月26日(金) 文芸の話

木枯らしが吹き、落ち葉が道路を横断するように舞っていく。
掃き清められた都会の歩道のような、10枚、20枚というささやかなものではない。
遠足で出かける小学生集団のように、
落葉の群集が塊となって、どどどっと移動する。

俳句や短歌のたしなみがある人なら、さぞ素敵に詠むのだろう。
そういう素養のない自分は、ただこうして味気なく記録するのみである。



本当は、俳句よりも短歌よりも、私は、都々一(どどいつ)というのが好きだ。
「信州信濃の蕎麦よりも あたしゃアナタのソバが好き」、とか
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬホタルに身を焦がす」の、アレである。

古典の都々一などには、恋愛や夫婦など、男女間の妙味や細やかな情感を、
短歌などにはない、チャーミングな味わいで表現したものが多い。

頭文字にお題を入れて詠む、折り込み都々一などはかなり難しく、
高度な大人の言葉遊びなのである。

でも残念ながら、短歌や俳句ほどお目にかかれない。
遊郭での芸事として発展したせいだろうか。残念なのである。



2004年11月25日(木) 相互承認の時代

ドイツの社会学者で哲学者のハーバマスという人のインタビュー記事。
以下引用する。

文化を異にする他者との断絶、そこから引き起こされる憎悪と暴力の連鎖を、どう乗り越えていけばいいのか。ハーバーマス氏が着目したのが、公共性の概念だった。
「すべての人の平等を尊び、相互に承認しあう道徳律が、人間の安全装置となる。社会の中心から追いやられ、周辺化されがちな少数者を、相互承認のネットワークに受け入れる。それが、人がつながりあう時の基礎となる行動規範になりうる。」

ハーバマス氏は言う。
「現代世界は確かに、袋小路に陥っているかに見える。ただ私たちはゼロから出発するわけではない。国連憲章をはじめ、対話のための形式は、世界を形作るルールとして定められてきている。今ほど異文化間の対話が必要とされている時はない。その中からコスモポリタン的な、世界市民的な秩序を構想していくことはできないだろうか。」

引用終り。



欧州の歴史に対する絶大な自信が、アジア人としてはいささか鼻につくが、とはいえ、
昨今の、諍い事というのは、武力や権力でなければ解決できない、と、
そういう錯覚を起こしそうな嫌な世の中でこういうメッセージは大変ありがたく、
極東の小さな島国の、さらに山奥に暮らす私にまで届くのである。

これは、国家間や地域紛争やテロなどの大きな諍い事だけの話ではない。
家族、学校、職場、全ての社会の中で、改めて確認すべきことだと思う。



同じ日の新聞記事では、
エジプトで開催されたイラク支援国閣僚会議では、
民間人に多くの犠牲者を出している米軍などの過度の武力行使の回避を求める共同声明が出された。とあった。

武力で何かを鎮圧することはできるかもしれないが、
武力で何かを解決することは決してできはしない。



2004年11月23日(火)

駄文ばかりが続くのである。

遊び疲れて駄々をこね、玄関先で泣き叫ぶAに手を焼いていた。

その最中の呼び鈴に応じてドアを開けると、通りがかりの20代と思しき男性が、
家の前に投げ捨ててあったAの靴を届けて下さった。

多分、泣き声がものすごかったので、心配したのだと思う。
靴が家の前に放置されているのも、ただならぬ雰囲気と思ったのだろう。

恥ずかしさ半分で、通り一遍の礼しか述べられなかったけれど、
そのまま通り過ぎてしまうこともできたところを、
Aを案じ、知らぬ家のインターフォンを押して下さったんだな、と
後からしみじみと嬉しくなった。



2004年11月22日(月)

一昨日から東京にいる。
ずいぶんと暖かく、上着は必要ないように感じる。

もうそろそろ、こっちに帰ってきたらどうか、と説得される。
ありがたいが丁寧にお断りする。

別に、信州が熱烈に好きなわけではないけれど、
今、東京近辺で生活する気にはあまりなれない。



2004年11月21日(日) 善意の総量

HとAと3人で上京。

新潟中越地震の義援金の、一時配分が決まった、とのニュース。
県や日本赤十字社などに寄せられた義援金は、
19日の時点で142億円だそうである。

この金額が十分であるかどうかは判断できないけれど、
すごい金額が集まったものだと思う。142億円である。

受付数の総数はわからないが、日本赤十字社だけで
327,286件(5,970,442,958円 11/18日現在)もの寄付があった。
32万7千人の、善意である。

これに、赤十字社以外の寄付や、救援物資の寄付、ボランティア活動などを
含めると、
今回の震災について、相当の支援の手が差し伸べられたことと思う。
十分であるかどうかは、わからないけれど。

復興は息の長い仕事だから、これでよしとは言うことはできないが、
こういう「善意の総量」は、別に確認していけないということはない。
何事も数値化されて何ぼの世の中であることだし。

国民は、国の指導や法律などなくても、災害などの有事には
困った者へ手を差し伸べている、ということに、
少し確信を持ってよいと思う。

本当を言うと、
不安や不信を煽る出来事ばかりクローズアップされる毎日だからこそ、
この事実に、私はしがみついていたいのだ。



2004年11月20日(土) 不安な気持ちはどう表すか

Aが風邪を引いたので、仕事をキャンセルし看病に2日つきあう。

福島県下の小学校で、香田氏殺害の画像が小学生の中で出回る、というニュース。

佐世保の事件の二の舞になることを恐れてか、
学校側が火消しに必死になっているようだけれど、無駄である。
ニュースにすればするほど、全国に広がる。

子ども達は、知ってしまったのだから。
自分と同じ日本人が、本当に首を切られて殺されたことを。
そういうストレートな事実を。
残虐な場面故に年齢制限のかかるホラー映画の画像や、
たわいもない怪談話どころの比ではない。

同時に、子ども達は知りたがっている。
何故この人は殺されたのか、どうやって殺されたのか、
今イラクで何が起きているか。誰がそうしたのか。



悪意のない好奇心の向こう側にある、子ども達の
「時代に対する不安な気持ち」を汲み取ることができる教師や校長は、
果たしてどれだけいることか。

不安と攻撃は裏表一体なものである。
だからこれは、子どもからのサインだと受け止めた方がいい。
これを取り除かなければ、色々な社会不安の中で、
子ども達は一層、攻撃性を増すのではないかと想像する。

ダイジョウブだから、日本にいれば安全で香田さんは異例のことだから、
そんなもん見るのはよしなさいよ、
と言い切れない、無念さである。



2004年11月18日(木) 孤独と自尊心

自民党が、集団的自衛権を盛り込んだ憲法改正大綱原案を発表

国・地方財政の三位一体改革で、義務教育費の削減が決定。

日本人はこれから、「自立して生きる」ことを相当に意識していかなければ、
自分の尊厳を維持することはできないだろう、と、この二つの出来事から思う。

もともと、世の中を大きく動かす法律や制度があろうがなかろうが、それは必要だ。
何者かに拠って生きていてはならないし、
何者かに生き方の判断を委ねてはならない。
悩み、考え、勇気を出し、自立しなければならない。
孤独になることを恐れてはいけない。
一人ひとりがそうやって歩きだすことなしに、国家の未来などないのだ。



それは戦後民主主義の立ち上がりの時に、知識人が強く訴えていたことでもある。
日本人の個人としての自立について、多くの優れた書物がこの時期に書かれている。

戦後50年以上もの間、結局そういう努力を、
日本人一人一人が怠ってきたということだろうと思う。
全てがそうだとは言わないけれど。



2004年11月16日(火)

初冬の山の中。静かである。

平野部に暮らしていれば分かりにくいが、
日本は、とにかく地形が急峻な国である。
関東平野は異例に平らな場所なのである。
だから森林のことを「森」とはあまり言わず「山」とよぶ。

日本に治水技術を伝授したヨハネス・デレーケという技術者が、
「日本の川は滝のようである」と表現している。全くそのとおり。

えっちらおっちら、つづら折りの山道を尾根まで上がる。
何をどうするにも、この山道と付き合わなければ、はじまらないのだ。



かいつまんで言うと、とにかく、
身体のきつい一日だったというわけである。



2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人

何故、ファルージャであんなにも一般市民が巻き添えにされるのか、
考えを続ける。



アメリカ兵の多くは、貧困層であるという。
動機の一つに、わずかでも「金目」があるとしたら、
これは、国民の傭兵化がなされているということだ。

軍事産業の人的資源として貧困層がマークされ、異国の貧困層を殺させる。
こういう貧困層同士の殺し合いで金を儲ける産業システムができあがっている。



金で雇われた傭兵に、個人としての倫理的判断を期待することは、
残念ながら無理のように思う。
彼らには自分が生きて帰り、報酬を受け豊かな暮らしをすること。それだけだ。指令官が「殺せ」と言えば、従うだけである。

だから一般市民が、子ども達が、巻き添えにされる。
そしてきっと攻撃した兵隊自身にも、その後の豊かな人生などない。





自衛隊陸自第四次隊がイラクへ。

自衛隊を辞めらるよう我が子を説得したが駄目だった、という老人の話。
不安の中で見送りをする家人の話。

こういう話は、もう少し報道の正面に据えられるべきと思うが、
そうならないということは、逆から光を当てるようなもので、
タブーであるという事情を浮かび上がらせる。
自衛隊を辞めてしまった人だって、きっといるはずと思うが、
そういう話はとんと聞かない。ジャーナリストも書かない。



非戦闘地域だの戦闘地域だのの、法の解釈上の問題はこの際どうでもよいとして、
人が人によって大量に殺されている、そういう異文化の国へ仕事で「出張」するということを、
派兵される一人一人は、一体どういう動機でもって決断しているのだろう。
国際協力のため、という謳い文句は、個人レベルで果たしてどれほどなのか。

ただでさえ世論が厳しく分かれる中で、
サマワ行きを決断するに至った、自衛隊員やその家族の
つ一つ一つのストーリーは、一体どういうものなのか。
何をどこまで覚悟してのことなのか。

私は、批判するでも賞賛するでもなく、
純粋にそれを聞かせてもらいたい、彼らに自分の言葉で話してもらいたい、
と思うのである。



2004年11月14日(日) 武装

Hはいそいそと山へ。

ラジオで、イラク中留米軍とイラク国家保安部隊による
ファルージャ制圧のニュース。
武装勢力が、という言葉を、アナウンサーが連呼する。

どっちだよ、武装勢力は、と、ひとりごつ。



世界の市民は、−否−、私は、今回のファルージャ攻撃を
米軍とザルカウィの交戦という図式ではなく、
米軍とイラク一般市民の間で起きている、ひどい出来事と理解する。
一般市民の中には、幼い子ども達ももちろん含まれている。

だから、武装勢力は果たしてどちらか、と思うのである。



2004年11月11日(木) 月と暦

遅くなった晩御飯の用意に、慌てて着手する。
無我夢中の手作業の傍ら、ラジオを聴く。旧暦の話をしていた。



月の満ち欠けを基本とした旧暦は、日本では「旧」などと
いささか不名誉な冠が付いているが、太陰暦、つまり
月の満ち欠けに基づくサイクルを、太陽暦に組み込んだ太陰太陽暦と呼ばれるもので、
日本をはじめ四季のあるアジアの地域では、季節の変化に応じた
大変適した暦なのらしい。

沖縄や中国、台湾などでは、今でも旧暦が日常的に意識され、
節目の行事も旧暦ベースで行われている。

旧暦の仕組みは難解である。江戸時代に6回も改訂されている。
「閏(うるう)月」というイレギュラーな月が追加されるため、
1年が13ヶ月あったり、365日に満たない年があったりする。
今年は、2月が2回来るという解釈になっているそうだ。

難解な計算方法のため、一般人には新年に暦が発行されるまで、
来年の節目が定かでなかった。
「来年の話をすると鬼が笑う」という諺は、これに起因するらしい。



季節感と暦が整合して、自然のリズムと共に生活することは、
確かに心地よかろうと思う。
身体にピッタリと馴染む服を着て暮らすような感じかもしれない。
農作業などに従事する人にとっては、快適以上の意味もある。

ちなみに今日11月11日は、旧暦では長月、つまり9月の29日で、
秋の一番最後の日にあたるそうだ。
明日からは、ついに、冬である。



2004年11月10日(水) バーチャル懐古

落ち葉が舞い散る道で、Aに焚き火の歌を歌ってやったら、
意味が分からないと聞く。

寒い冬の日に、道端の焚き火で暖をとろうか
どうしようかと、子どもが相談しているんだよ、と
かいつまんで説明したが、今ひとつぴんとこないようだ。

そういう経験をしてないからしょうがないね、と言いかけて
そう言う自分自身もそんな経験をした覚えがないことに気付き、
可笑しくなった。

垣根の曲がり角も、落ち葉焚きも、よその人の焚き火の輪に加わることも、
童謡絵本に描かれる世界で、
私は高度成長期のビルの谷間のアスファルトの道路や、
三面張りのコンリート護岸の川で遊んでいたのだった。

それに比べれば、信州で幼少期を過ごすAの方が、
よほど牧歌的な毎日を送っており、私は参りましたと降参するのであった。



2004年11月09日(火) 支給日

終日、色々な段取り。

隣に住む家主のKさんから、干し柿用の渋柿を支給される。
実は、今か未だかと心待ちにしていたので、大変嬉しく頂戴する。



ここに住み始めて数年経ち、徐々にその全貌が見え始めてきたが、
Kさんの野良仕事の内容は、毎年、ほとんど変わらない。

春には春の作業、夏には夏の作業、そして秋、冬。
これらを粛々とこなす。同じことを何年も何年も。
家の周囲にある柿の木から柿を収穫することも、もちろんその一つである。

Kさんは一体、この庭の柿の木から、
何年間柿を収穫しつづけているのだろうか。

こういう勤労のしかたを間近で見ていると、
無意味とか退屈とか素朴とは対極にある、
勤勉な日本人の強さとでも言うべきものが、しみじみと伝わってくる。

上手く形容できないが、世の中が変わらず、Kさんが来年も再来年も
自分の仕事に邁進でき、その勤勉さを発揮できますようにと、
願ってしまうのであった。



勘定したところ、今年我が家に支給された柿は100個弱である。作業は明日。



2004年11月08日(月) 戦場は自然現象ではない

疲れて午後は何もできず。

サマワで非常事態宣言が出されるも、「サマワは非戦闘地域」という
解釈に変更はない、と小泉首相。

自衛隊の派遣延長問題は、期限である12月14日に近づいてから決める、
としているが、要するに、アメリカ軍の大規模作戦の結果で決める、
と言いたいのであろう。



こんなに日々、戦争や殺戮のことを聞かされる生活は初めてだ。
そしてもう、このことに私はうんざりしている。



今年、沢山の自然災害で、日本人はヒューマンスケールを超えた
現象を度々経験した。

轟音、激震、崩落、増水。

台風や地震は自然現象だから、「大変だった」という思いで留まる。
それだけでも悲しみや恐怖を乗り越えるのはただ事ではない。

そういう経験に、さらに人の意志が加味されていたら、と想像する。
轟音の一つ一つに、激震の一つ一つに、家が倒壊することの一つ一つに、
アメリカという国の、ブッシュという人の、「攻撃」という意志が込められている。

人がやらなければ起きない轟音、激震、崩落が起き、人々は震えている。
自然科学に答えを求めても、どうすれば予防できるかの答えはない。

もしも自分がイラクの市民だったら、「怖かった」だけでは終われない。
あいつがやったんだ、という気持ちなしでは、惨状を受け止められない。



自然現象に見舞われた新潟中越地震の方々でさえ、大変な心痛、心労を抱えているのだから、
ましてやイラクでは、そんな経験の後に平和がやってくるなどとは、
到底思えない。



2004年11月07日(日) お休みの日の男親は

都内の庭園で一日を過ごす。沢山の来園者でにぎわう。
日本庭園の水際や植栽のしつらえは本当に美しいなあと、うっとりする。



中高年層に混じって、子どもを連れた家族もやってくる。
お休みの日の男親は、微笑ましい。

ご一行様の先頭を、赤ちゃんを抱っこして、さっさか歩く。
自慢気に、得意気に、ベビーカーを押す。
おんぶまでしている人もいる。同じく得意気に、誇らしげに。
「みんなちょっと俺とこの子を見てくれ」と顔に書いてある。

平日一緒にいられないこともあるだろうし、お休みの日の男親は、
みんなみんな、父親を楽しんでいるみたいだ。
小さい頃、正義のヒーロー役に夢中になったように。
男親にとって子を持つとは、自分が再びヒーローになれる幸福なんだなあと、勝手に解釈した。

その後ろをゆったり歩く女親も、幸せそうである。



夕刻遅く家に戻る。あっちこっちへ移動し、ハードな週末。



2004年11月06日(土) 為政者ではない私達

収穫の時期を過ぎてしまった棗(なつめ)の実を、それでもいくらか採る。
アシナガ蜂の牽制をかわしつつ、よさそうなところを、籠に一杯。



焚付けにもってきた新聞を、陽のあたる縁側でぼんやり読む。
共同通信ワシントン支局長の、大統領選結果についてのコメント。

「…多くの国の人々が初めて真剣に、冷戦後唯一残った超大国の指導者を、
米国人だけで選んで欲しくはないと願った選挙として記憶されるだろう。 
−中略− 世論調査機関は幾度も幾度も各国の世論を調べ、米メディアはそ
れを大きく伝えた。世界の(政府ではなく)人々は、ブッシュ氏を望んでい
るのか、ケリー氏を望んでいるのか。」

イギリスでは「米大統領選挙に参加しよう」という手紙を、
米国の選挙激戦区の住民宛に送る運動というのがあったらしい。



いっそのこと、米大統領選だけでなく、
他の国の国政選挙も同じように−大統領制であろうがなかろうが−
世界中でリアルタイムにウォッチしたらどうだ、と思う。

あの派手なショーアップぶりや、
まるで戴冠式のような「勝利宣言」なる仕掛けも、アメリカに倣って。



経済や環境や平和など、世界には一国で片付けられない問題が山積みだ。
だから、他国であっても、そのリーダーが誰になるかは、
重要な問題として、関心を払わなければならない。
経済や政治の場面では、もちろんそんなこと常識だ。

しかし今大切なことは、有権者の市民が、市民の視線で、
選挙という行為を通して、世界中の為政者をウォッチすることではないかと思う。

誰を選べばよいかについては、意見が錯綜するし、
火花の散る議論もあるだろう。当然のことだ。

そういう議論を超えたところで、
「為政者でない私たち」、という同じ土俵で共有できるものや
共有しておかなければならないものが少なからずあるはずである。
そういう切り口でしか前にすすまない問題というものが。

だから、自分の投じる一票が、自国以外の市民の生活や生命に
大きな影響を与えるかもしれない、ということを、
世界中の有権者達が自覚することは、必要な時代かもしれない。



2004年11月05日(金) 小春日和

打ち合わせで外出。夕方から山の家に出かけるので、
善光寺だの新そばだので寄り道をせず、まっすぐ家に帰る。

いつの間にか家の前のケヤキの葉は黄金色である。
面倒臭そうに、少しずつ落葉している。
そのうちあきらめたように、一斉にどっと落ちるだろう。



今年は雨ばかりで紅葉はないと思い込んでいたが、
その気になって周りの山々を見渡せば、
こんな穏やかで静かな日和と相まって本当に美しい。
経てきた季節の全てを燃やして、輝いている。

季節のクライマックスと呼ぶにふさわしい、これほど見事な秋の日を見せ付けられては、
あなた方がそこまでするのならば、もう冬になってもいいです、我慢します、
と思わざるを得ない。



2004年11月04日(木) 大統領の選び方

先に起きて新聞を読んでいたHから、ブッシュが当選確実みたいだと聞く。
コーヒーを飲み下して、新聞を横取りする。

がっかりだ。心の底から。

アメリカ国民以外の市民から、選ばれてこんなにがっかりされるような
大統領はめずらしいのではないか。

他国の自分にも影響を及ぼすほどの大統領選挙なら、
自分にも投票権をよこせと、無茶を言いたくなる。

いっそのこと、アメリカ国民を除く世界中の人々による投票を、
ネット上でやればよかったのだ。
ブッシュとケリーの、どちらがアメリカ大統領ならよいかの世界投票である。
集計だってきっとフェアにいく。

そして小泉首相は今頃小躍りしていると思うと、がっかりがいらつきに変わる。



2004年11月03日(水) お家に帰ろう

小泉首相が、参院本会議で、
サマワの治安情勢は予断を許さないものであると認識している」と発言。
大野防衛庁長官も、「安全に仕事ができなければ、撤退もあり得る」と
これに関連した発言。

不肖の家出息子達に「やっと分かってくれたか」と胸をなでおろす心境。
分かってくれたら、まずはそれでいいのだ。さあ家に帰ろう。

イラク市民の反感と、日本国民の不安をこれ以上増幅させないうちに。
今以上ひどいことに、ならないうちに。

大統領選挙をにらんだタイミングのコメントと言えなくもないが、
そのあたりは、この際、目をつぶろうではないか。

水汲みしながら砲弾の的になるよりも、他に貢献できる方法はあるはずだ。
家に帰って、頭を冷やしてやりなおすのだ。



2004年11月02日(火) 避難とは何か

新潟中越地震の、避難者の方が亡くなった。
他の人々も、厳しい避難所生活で、疲労が極限に達している、というニュース。

こんなのは、避難ではない。難をちっとも逃れていない。
「大変なのは皆一緒だから、我慢だ」などと言わせたり、思いあったりしてはいまいか。
災害にあったからこそ、我慢などしてはいけない。



今回の震災のような、大規模な災害の場合は、
住民を分散させる二次避難体制というものについてもう少し考えたらどうかと思う。

災害時に一箇所に人を集めるのは、一時的には有効であっても、
3日以上これが続くことは非効率であるような気がする。
マスコミの格好の標的にもされる。
被災者同士ばかりのコミュニケーションがよいとも思えない。

牛や錦鯉の心配が残る人は別にして、できるだけ多くの人が、
災害の起きた地域そのものから避難するという処置はできないのだろうか。

例えば、少なくとも200km以上離れた地域に、非常時の受け入れ先となる
ホストファミリーや病院、ホテル、学校などを平常時から確保しておくなど、できないのだろうか。

民間ベースの保険のような年間契約のような方法でもよいし、
行政が手配することももちろん必要だと思う。平常時から交流をもっておけば地域交流にもなる。困った時はお互い様という考え方も根付く。

効率的な住民輸送の方法を考えて住民を地域そのものから避難させることで、
地域に残った自治体職員は、被災状況の把握や土木での復旧の段取りなどに専念することができる。



素人考えであるから現実的には色々課題があるのだとは思うが、
何しろ今の避難生活の様子は、これから雪の季節を迎えることを考えても、
心配で胸が痛む。



2004年11月01日(月) 張子の虎の不屈の意志

新潟では「大地」と名付けられた赤ん坊が、
この世に生を受けてわずか二ヶ月で、大地の震えによって命を落とした。

バグダッドでは「生きる証」と名付けられた青年が、
生きる証を求めてさまよった結果、人質にとられ首を刎ねられ死んだ。

親の願いとは、はかないものだ。
はかないからこそ、無駄に死んだり危険に身を晒したりして、
親を悲しませてははいけない。親より先に死んではいけない。



それはそれとして、
イラク国内で「日本人の首を刎ねて殺す」
という経験を与えてしまったことは、恐ろしいことだ。

経験の記憶は、現実を乖離して、新しい殺戮の動機と可能性を生む。
「米国寄りの日本人の首を刎ねる」という行為が、何かを意味するようにならないよう、
不安の中で祈るばかりである。

日本政府の対応が、これを方向付ける上で重要であることは言うまでもないが、
「テロに屈しない」の一点張りは、揺るがない意志、というより
大変残念なことだが、何だか、馬鹿の一つ覚えと感じてしまう。

結局救えなければ、意味がないのだ、そのような言葉は。
救えないのなら、原因をつくらないことに邁進せよといいたい。
イラクに絶対日本人を入国させないとか、自衛隊を撤退するとか。

日本語を解さないイラク人に日本政府の空元気がばれる日も遠くない、きっと。


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