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セキララな思考。
安井 文
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2009年08月05日(水)
この空にはばたく前に

ふっと思った。



私はずっと"何か"を目指していて、いつも"ここではないどこか"に自分の居場所があるに違いないと思っていた。
でも、そう思っていたんだなと自分で理解するようになったのはここ最近のことで、それまでその思いは漠然としたものだった。

ある日突然、周りにあった壁が取り払われたような気分になることが時としてある。
多分、人生における過渡期にはいつもそういうことが起きているのだろうけど、年齢が上がればあがるほど、その衝撃度は増している。

それはきっと、自分の中にいろいろな情報や感情、思考が蓄積したことで自分の持っている世界とその向こうに広がっている(本当はずっと広がっていた)世界とのギャップを強く感じるせいなのだろう。
意識して過去を思い出し、自分を見つめなおす作業を繰り返していた時期がある。
その頃は、そのギャップがとても怖くて、痛くて、いちいち落ち込んでいた。
でも私にとっては、その痛みが必要だった。
私の価値観に、自分以外の人がいて自分と同じようにいろいろなことを感じているんだということが正しく認識された証拠だからだ。
・・・・なんて、今そのときを振り返ってそう思うのである。

でも1つだけずっと変わらないものがある。
それは漠然とした"何か"を目指す気持ち。

人はそれを夢と呼ぶのかもしれない。
つい最近まで私もそう呼んでいたのだけど、今はその表現では違うような気がしている。
そう、ふっと違うと思ったのだ。

今もう中年という時期に達しているというのに、やりたいことは今でも山ほどある。
残りの人生を考えると・・・実際には後どれだけこの私が生きるのかは分からないけれど・・・やっぱり出来そうなことと出来そうにないことを分けなくてはならないんだなと考えている。

映画『おくりびと』の中で主人公が長年の夢に終止符を打ったとき、こんな独白がつぶやかれる。

"夢だと思っていたものは夢ではなかったのだ"

映画館で、私はこの科白を聴いてはっと目が覚めた・・・感じがした。

ざわわわっと軽く鳥肌が立って・・・・"なんだか今、すごく重要なことを聴いた気がする"と、妙に心が騒いだ。

漠然とした"何か"を目指す気持ち・・・というものに気がついたのは、それからしばらくしてのことなんだな。

"何か"というのは、具体的な職業やいわゆる理想の生活といったものだと私は思い込んでいたのだけど、そういうものを思い浮かべてみてもなんだかぴんとこない。
いや、ぴんとこなくなったのかな。

ふしぎなのは、それを自覚してあせったりとか、悔しかったりという気持ちは生まれず、なんだか肩の荷が下りたような気持ちだったことだな。

そこら辺は多分、いわゆる"年をとった"ことによる変化なのだろう。

いろんなことをやってみたな。
今ここにそれを書かないけど、どれも今となって楽しかった。

その中で、今でも続けていることは、音楽を聴いて思考のカケラを飛ばすことくらいだ。

ここまでだらだら書いてきて、結局"何か"が何なのかは今のところ分からない。

だけど、それを突き詰めることよりも、今は、毎日無理しないで少しだけ幸福を感じながら生活するほうがいいような気がしている。

そんなわけで、昔夢見たいろんなことを今は少しずつあきらめていて、ほんとに微量な寂寥感なんかも感じるわけだけど・・・そういうのも心地いいのである。
これはまた形を変えた進化なんだと素直に思える。

守りに入ったと言われればそれまでだけど、今の私は"きっとそうなんだろうね"と素直に認めてしまうので、かつての瞬間湯沸かし器のような私の反応を楽しみたい人には面白くないかもしれない。

よくよく考えたら、10代の頃から目指していた境地に近づいている気がしなくもない・・・やっと梅雨のあがった今日この頃。



「この空にはばたく前に」
WORDS & MUSIC BY 鈴木康博、PLAY BY オフコース