初日 最新 目次 MAIL HOME


セキララな思考。
安井 文
MAIL
HOME

2009年01月31日(土)
私が踊る時

小雨まじりの大阪へ懲りもせず『エリザベート』を見に行ってきた。
なんてったって、とうとう千秋楽ですから。
普通なら、2回分のそれぞれの感想を書くところだけど、今回は、そういう枠を取り払ってとりあえず2回感想を書こうと思う、
まずは、『エリザベート』という作品について。



気に入った映画を何度も見ることが良くあった。
今は半年もせずにDVD化されることが多いので、それほどたくさん見に行くことはなくなったけれど。
でも、映画を何度も見ることと、毎回ライブで繰り広げられるミュージカルを見るのとでは、気持ちがぜんぜん違うんだと今回の体験で思い知った。
私は舞台演劇の観劇回数は極端に少ない。
しかも、同じ演目を2回見るという体験をしたことがなかった。
『エリザベート』は、見るたびに違う印象を受け、物語について毎回新しい発見があった。
今回最後だったけど、やっぱりまた新しい発見があった。

結局私には、最後までトートを擬人化できなかったので、彼が人間の男のようにエリザベートを愛していたとは解釈できなかった。
トートはあくまでも"死"そのもので、それを望む人間の前に現れるとき、彼らが最も望む存在として現れるもの。
エリザベートは、最後まで自分しか愛せなかった。
ふたたび棺に戻る前、トートと歌いながら、結局トートのほうを見ることがなかったのがその証拠だと、千秋楽の時に思ったんだよね。
2人の間に私は最後まで、エリザベートとフランツが出会ったときのような恋愛感情を感じられなかった。
ルドルフの前に現れるトートのほうが、私には強烈だった。
トートはルドルフをいのままにするためにあらゆる手を使っているように見える。
母のように、父のように、そして、恋人のように。
特に、子供のルドルフの前にはじめて現れ、彼を抱き寄せるときのトートはとても女性的で美しいが、ルドルフが手から離れた一瞬後の表情に、私は毎回鳥肌が立ったものだ。
自分の意のままに出来る存在。
いつ、どこでそれを実行するのかは、トートの気分次第。
だけど、エリザベートに限っては、それがなかなか難しい。
彼女は死ぬことと同じくらい生きることに執着しているからだ。

今回、涼風エリザベートと武田トートの取り合わせを始めてみた。
私は朝海さんとやるときの武田トートとの違いはあまり感じなかった。
涼風さんはやっぱり歌がうまくて、感情表現がお上手。
だから、その分、武田トートの演技にも多少のエッセンスが加えられたように感じられるのかもしれない。
それは見ている人の解釈によってずいぶん変わるように思うんだよね。
私のように、エリザベートとトートの関係は、決して人間同士の恋愛のそれじゃないと思ってみている輩には、トートの態度に微塵も切なさとかは感じなかった。
いや、感じなかったわけじゃない。
トートは純粋に"死"だと私は思っているので、エリザベートの望む姿で彼女を誘うのにうまくいかない・・・そのうまくいかないという部分に対してトートは切なさを感じているかもしれないなと思う。
トートはエリザベートの心の裏を映しているから、彼女の生きたいという気持ちが強くなるとトートの力が少し小さくなり、その逆のときはトートの勢いが増す。

やっぱりこの演目は、ハプスブルグ家の滅亡の歴史を死というものに指揮を取らせて"再演している"物語なんだなあと今回見て改めて感じた。

フランツは、最初から最後までエリザベートに夢中で、彼女に自分の思いを理解して欲しいと思うだけだった。
エリザベートは、トートのいうとおりフランツのことを愛していなかった。
恋には落ちたけれど、結局彼はフランツの思いを理解する気には最後までならなかったし、彼女もまたなぜフランツは自分の思いを理解してくれないのだろうと思い続けていた。
トートが叫ぶ"エリザベートは俺を愛している"は、つまりはエリザベートは彼女自身しか愛していないという意味だと私は解釈することで折り合いをつけた。

ゾフィが言う。
"義務を忘れたものは滅びるのよ・・・"
フランツもエリザベートも国のことは一回も考えなかった。
少なくとも、この物語を見る限りでは、そんなシーンはなかったように思う。
ルドルフは、ハプスブルグ家をなんとか滅亡から救おうとしていた。
でも、その思いも、フランツとエリザベートの身勝手な思いによって断ち切られる。

滅び行く王国の宮殿の外には、飢えた民衆たちが立ち上がっている。
結局最後までエリザベートはそのことに向き合うことはなかった。

この物語は、他国の歴史を"死"に人格を与えることで、ドラマチックな物語に仕立て上げたものだけれど、今日冷静に見ていて、案外よその国のことでもないように感じた。
なんとなくね・・・。

WORDS & MUSIC BY MICHAEL KUNZE AND SYLVERSTER LEVAY、Japanese Words BY 小池修一郎、 PLAY BY 涼風真世



2009年01月25日(日)
New World

昨日は、雪が降っていてめちゃめちゃ寒かった。
今日も寒いけど、昨日のように雪がちらつくことがなく日差しは暖かい。
風は冷たいけれど。

今年はどうしても数年越しで行きかねている場所に絶対いく!というのが目下の目標。
しかもすでに春の予定が秋にずれてしまっているので、今からかっちり予定を考えて、体力づくりも時間作りもしなくてはとあれこれ考えている。
まあ、そういうのが楽しいんだよね。



去年3月に突然の異動があって、まったく違う仕事をするようになってそろそろ1年がたつ。
週明けにはまたちょっと異動があって、今まで補助としてやっていた仕事をひとりでやらなくてはならなくなる。
たくさんの人の実生活にかかわる手続き業務が主なので、いろいろ考えると不安もある。
でもきっと、一つ一つを確実にこなしていけば、きっと大丈夫なはず(・・・と自分に言いきかせている。)

会社に入って結構な年月が過ぎて、その間にわりといろんな種類の仕事をする機会に恵まれた。
気がつけば永年勤続なんてものをもらえるくらい勤めていた。
若い頃は、転職を繰り返して自分の好きな仕事を探している友人をかっこいいな、うらやましいなと思っていたこともあった。
そんな友人たちと比べて、自分は動くことさえ出来ないかっこ悪い人間だなとへこんでいた。
けど、今になってみると。
いろいろあってそれでも我慢して勤めている自分も結構かっこいいんじゃないかって思う。

私の勤めている会社はいわゆる製造業で、本社は東京にあるけれど、私は地方のプラント工場に在籍している。
入社当時は、そういうプラントの現場事務所の事務をやっていて、3交代勤務の方々と接する機会もあった。
化学薬品を扱うので、とても危険な職場だったから、危機管理や安全管理は常に行われていて、上下の礼儀にもうるさかった。
おじさんたちは自分の仕事に責任と誇りを持っていて、とてもかっこよく見えた。
仕事はとてもきついと思うけど、仕事なのだから当たり前だという姿勢で取り組む姿は、結構感動的だったりもする。
つべこべ言ってないでとにかく作業をこなす・・・それって、簡単なようで実は簡単なことではない。
何十年もそうやって、プラント管理をしているおじさんたちを見ていて、私は少しずつ考えが変わってきたと思う。

仕事は、自分が好きなものを選べればそれに越したことはないけれど、もし、そうできたとしても、好きなことだけやっていればいいわけじゃない。
楽しく仕事できれば、そりゃその方がいいに決まっているけれど、そうできない職場だってある。
嫌なやつはいるだろうし、邪魔する奴だっているかもしれない。
学校は、嫌いな奴とは口を聞かなくてもいいところ、でも、会社は嫌いな奴とも口を聞かなくてはならないところ。
そう言ったのは誰だったかなあ・・・そう、会社はそういうところだ。
去年、10数年勤めた職場で、身を持って私はそれを体験した。
今では、その職場で苦しかったことをあまり思い出さない。
今では、あの年月があったから今の私があるんだなあと素直に思う。
あの年月がんばったから、明日から異動で仕事が大変になるけれど、なんとかなるよ・・・と思える自分がいるんだと思う。
どこへ行っても何とかやっていけるんじゃないかなという自信も多少なりともついたようだ。

世の中のすべての事象は、いつも流れている。
何かを好いたり、嫌ったり、そういう感情も流れ続けている。
だから、180度考えが変わることだってそう不思議なことではない。
そういう変化は、どうだっていいのじゃないかと思う。
それで誰かの信頼を裏切ることもあるかもしれないし、誰かの信頼を得ることもあるかもしれない。
誰かが涙を流すかもしれないし、自分が涙を流すかもしれない。
けど、どんな事象でも自分にとって意味のあるものなら、長い年月がかかるかもしれないけれど、それはきっと自分のところへまた戻ってくる。

人は誰でもうまれついて孤独を抱いていると私は思う。
その孤独は、どんな人や事象が現れても、癒されることはないものだとも思う。
この孤独を誰かに癒してもらうことは、とても難しい。
この孤独を完全に癒すこともとても難しい。
(そうすることが出来た人たちが、神と呼ばれる人たちなのかもしれないな。)
だけど、誰かや何かと共鳴して、ある日暖かいつながりを運んでくると思う。
そのつながりを感じることで、安心したり、勇気をもらって強くなれたり・・・そういうことは日々大なり小なりあるはずだと思う。

でも悲しいかな、今ここで私が書いていることは、ほかの人に私が感じている通りには伝わらない。
私が今までかかって自分の中で消化してきた結果だから。
きっかけを与えることは可能かもしれない。
でも、具体的な方法はその人自身が考えて行動しなければ、自分の中に残すことが出来ないんだ。

人は誰でも同じような悩みと孤独を抱えていることをその人自身が理解するしかない。
それが出来たとき、人はほんの小さな幸せの力を知ることが出来るんだと思う。

この頃、私をここまで導いてくれたすべての事柄に感謝するようになった。
いいことも悪いことも・・・すべて。
今日、寒いけど、暖かい日差しの中で、そんなことを考えていた。



「New World」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 鈴木雄大



2009年01月24日(土)
MAD DISCO

年末にSHERBETSの「MAD DISCO」のリミックス版がiTuneなどでダウンロード販売されるってことは知っていたんだけど、なんとなく、敬遠していて。

昔ッから打ち込み系音楽が好きになれない。
なので、某TK氏世代真っ只中であったにもかかわらず、何一つ聴いてこなかった私なので、このニュースを聞いた瞬間固まってしまった。
よりによって、SHERBETSで???
でもやっぱり気になるので、ダウンロードしてしまった。

正直、気分はかなり複雑。



今回この曲のリミックスをした人たちがどれくらいすごい人たちなのはまったく分からない。
よく知ってるこの曲が、まったく違うものになっていてびっくり。

「80kidz Remix」は、まるで原形をとどめていなくてどこかで耳にしても"あれ?"と思うくらいはするだろうけど、分からない可能性がある。
そうは言っても、浅井氏の声はすぐ分かるので、1曲聴き終わる頃には曲名を思い出せるだろう。
こちらは、ほとんど歌はリミックスされておらず、浅井氏のギターフレーズの印象的な部分が何度もリフレインする感じ。
だけど、バンドサウンドはぜんぜんリミックスされておらず、原形をほとんどとどめていない。

「THE LOWBROWS REMIX」は、浅井氏の歌がメインのリミックス。
いわゆるディスコミュージックっぽい感じ。
バンドサウンドの部分は原形をとどめているにはいるが、その音がほとんど作り変えてある。
SHERBETSの特徴である浅井氏のギターサウンドがまったく消されている(いじられている)ので、気持ち悪い。
歌以外のバンドサウンドの部分がかなりいじられていて、"作りモノ"度がかなり高い。
そういうサウンドに浅井氏の歌声は、まったく合ってない・・・と思う。

SHERBETSのバンドサウンドが好きな私にとっては、どちらもその特徴的な部分がかき消されていて好きになれなかった。
つまりは、SHERBETSのサウンドはリミックス向きじゃないってことなんだろうな。
だけど、リミックスの世界での評価はまた違うのかもね。
それは分からないし、申し訳ないが、今のところ知りたいとも思わなかった。

まあ、踊るんなら、「80kidz Remix」のほうがノレそう。
でも、ディスコでこれを聴く機会はきっと、まったくないな。



「MAD DISCO」
WORDS & MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY SHEBRETS、Rimix by 80kidz、THE LOWBROWS



2009年01月22日(木)
森の湖畔の図書館は

関西ローカルで木曜日の深夜、妙な番組が放送されている。

関西テレビの『タナゴコロータス〜レンコンの穴から見える明日の幸せ〜』
レギュラー出演者は、武田真治(!)とりょう。

ドラマのような・・・そうでないような・・・。
妙なノリと微妙に知的なセリフ運びにひそかに嵌っていたりする。

素敵なめぐりあわせでお友達になった関西の友人にお願いして、2週間に1回届けてもらっている。
(本当にありがたいことです。東に足を向けては寝られませぬ・・・涙)



森の中にあるタナゴコロータスという図書館で、半年くらい前に新規採用されたらしい司書の田中五郎(武田真治)と足吉さわ子(りょう)が働いている。
田中五郎は受付嬢の晴美ちゃん(誰かは不明)との恋愛に夢中で、無駄口ばかり叩いてちっとも仕事をしない。
そのせいで、足吉さわ子は毎日残業につき合わされている。
館長(誰かは不明)は、そんな状態を見かねてか、定期的に新しい司書の面接を行っている。
面接には五郎とさわ子も参加しているのだけど、なかなか司書は決まらない。

というのが主な設定。

番組は、武田真治とりょうの2人芝居と面接に来たゲストに質問をするコーナーとで構成されている。
面接後は、再び2人芝居に戻り、エンディングテロップでゲストに合否が伝えられる。
ゲストはゴールデンタイムでよく見かける芸人やタレントか、マニアックに人気のあるアーティストかのどちらかというパターン。
だいたい回をおいて2回登場するのが常らしい。
レギュラーの2人のショットはおそらく別撮り・・・回によっては、その場にいる可能性もあるけれど、少なくとも面接開始時と終了時は第1話から同じものが使われていると思われる。
質問内容はゲストによってまちまちだけど、芸人の場合は最初から笑いを要求されているらしく、観客がいない分やりにくそうである。(結構スベってる)
アーティストの場合は、しゃべりのうまい人は笑いも取っているけど、真面目一辺倒の人はちょっとかわいそうな感じ。
(ちなみに笑っているのは、収録に立ち会っているスタッフと思われる。)

面白いのは2人芝居の部分。
シチュエーションコメディーと呼ばれる形式らしい。
日本ではあまりなじみのない言葉だけど、日本では外国製のものが結構放送されている。
去年映画がヒットした「セックス・アンド・ザ・シティ」もそうだし、NHKで放送されていた「ファミリータイズ」や「フルハウス」もその中に入る。
日本製のものはほとんどなく、おそらく三谷幸喜さんが演出した「HR」くらいじゃないかな。
「ファミリータイズ」や「フルハウス」はすごく好きで、よく見ていたんだよなあ。
「HR」は、舞台形式(つまり、編集なし)で役者に演技をさせていて、役者たちがあたふた演技していた印象があり、あまり私は嵌れなかった。

この番組は厳密な意味ではシチュエーションコメディーと言えないかもしれないけど、2人芝居の部分に関しては完全にその形式に嵌っていると思う。

図書館が舞台なので、毎回なんらかの小説から、印象的な一文が引用される。
テーマが先なのか小説選びが先なのかは分からないけれど、その2つをうまく結びつけて話を広げている。
脚本家は毎回大変だろうなあ。
でも、いい仕事していると思う。
大変だろうけど、楽しそうだ。

知ってる小説が引用されると、"なるほどそうきたか〜"とうならされたり、"そういう解釈も出来るか〜!"と目からうろこが落ちたりする。
知らない小説が引用されると、"へえ〜面白そうじゃん"と思わず読書欲をそそられたりする。
本好きにはたまらないネタふりが満載である。

役者2人は、きっちり台本どおりに演じていると思われる。
アドリブはほとんどないはず。
そりゃもちろん、流れで演技するのだから、微妙にアドリブは取り入れられているだろけどね。
武田君もりょうさんも、役者としてはうまい人なので、役作りにしても掛け合いにしても安心してみていられる。

小説のあらすじや引用されている部分に関する個人的な見解をどちらかがさらっと喋ったり、簡易な表現をむずかしい漢字表現に言い直したり・・・とにかく言葉遊びやなぞかけ風のセリフがすらすらと2人の口から語られるので、耳がものすごく喜ぶ。ああ、"日本語でしゃべってる〜(涙)"って感じ。

近頃はアドリブだけの笑いがあふれてて、会話も単語のみでつなげられるようなものが平気でTV内で繰り広げられているので、私は少々うんざりしていた。
この番組みたいにきっちり計算された笑いとセリフを久しぶりに見て、"これがプロの仕事なんだよ〜"と拍手を送ってしまう。
(面接部分はもう少し何とかしたほうがいいと思うけどね。)

最初に書いたとおり、残念ながら関西ローカル。
しかし、収録は東京で行われているという話。

だったら、何とか全国放送してくれない??

"タナゴコロ"とタイトルについた番組はどうやらシリーズ化しているらしく、この番組の前に放送されていた『タナゴコロッジ』というのも面白かったらしい。
土屋アンナちゃんや村上淳氏、佐藤江梨子ちゃんがレギュラーだったらしい。

ああ、それも見たかったな〜。

せめて、DVD化してほしい!!

音楽もかっこいい。
ブラスロックなナンバーがそこかしこにちりばめられていて、最高にご機嫌になるのだ。
オープニングでは、田中五郎と足吉さわ子のちょっとエロティックでおしゃれなステップもチラッと見られる。
『タナゴコロッジ』は、ピストルバルブが担当していたと確認できたのだけど、こちらのほうはどうやらそうらしい・・・程度の情報しか転がっていなかったので、未確認。(情報がほしいところである)

YouTubeにいくつか動画がアップされているようなので、興味のある方はぜひ田中五郎と足吉さわ子の妙な会話を楽しんでみてくだされ。

「森の湖畔の図書館は」はタナゴコロータスの図書館司書募集CMのテーマソング(笑)

「森の湖畔の図書館は」
WORDS & MUSIC & PLAY BY --sorry unkown--



2009年01月21日(水)
振り向いた時そこに見える階段を数えたことがあるだろうか


やっとこさ、伊坂幸太郎さんの「モダンタイムス 特別版 (Morning NOVELS)」を読み終えた。
予測よりもかなり時間がかかってしまった。

ちょっと色気を出して、"特別版"を購入したためである。
これは、モーニング連載当時の挿絵もそのまま入っているやつで、表紙カバーががとてもきれいなブルーだったので、心惹かれて買ってしまったのだった。
普段、文庫本を好んで読んでいる私には、その重さと大きさが、非常にきつかった。



前回読んだ「魔王」が面白かったので、「モダンタイムス」はその続編だということだったので、どうしても早く読みたくて単行本を買ってしまったのだった。



伊坂作品は、続けて次の作品を読みたいと思えない。
とても面白いと思うのだけど、読み疲れてしまう。
そういうところは少し、ティーブン・キングの作品のようだなと思う。

伊坂作品というと。
イメージとしては、軽めの文体、極端な状況、わけの分からない会話。
面白いんだけど、読みながらちょっといらついたり、うんざりしたりする。

この作品は、「魔王」と「呼吸」という作品の続編に当たる。
「呼吸」は「魔王」の続編で、主人公の弟夫婦が主人公。
「魔王」文庫版に入っている。
「モダンタイムス」は、この2つの作品の続編で、両方の主人公が出てくる。

私は「モダンタイムス」を読んでから、「魔王」「呼吸」を読んでも別に面白さは変わらないと思う。
もちろん、先に読んでおくと多少混乱は避けられるのは確かだけど。

そう、「モダンタイムス」は、読みながらものすごく混乱した。
分からないことだらけで話が進むからだ。
今ここで、その内容を抜粋して書き出したとしても、この物語の全貌を説明するのはきっと難しい。

そして、中盤以降でいろんなことが見えてくるようになると、伊坂幸太郎という作家は、どういう頭をしているのだろうと感心の境地に達した。
この作品には、今、私が漠然と抱えている不安な事柄が、ひとつの形を成して表現してあるように感じた。
どういう順序でこの物語を伊坂氏が組み立てたのか非常に興味をそそられる。
この物語の種明かしは、そういう意味で非常に衝撃的。

彼の表現している内容だけでなく、そこで脈々と綴られている文章さえも信じていいのかどうか・・・そんな気分になる作品だ。

伊坂作品をどうしても好んでしまうのは、私の中にも彼のようなひねくれた視点があるからだろうと思う。
伊坂氏の作品では、しばしばあるひとつの視点で語られた事実や状況が、別の視点でひっくり返るという表現が出てくる。
彼の中では、すべての事象には少なくとも2面性があり、勧善懲悪な事象なんてありえないというのが大前提となっている気がする。
私もどちらかというとそういう見方をするほうなので、伊坂作品で表現される斜に構えた表現をほんのちょっと違和感や嫌悪感を感じながら楽しんでしまう。
そんな微妙なゆがみがだめな人は彼の作品は向いてないかもしれない。

そういう意味でも、伊坂作品はスティーブン・キングの作品に似ているかもしれないな。

同時期に「ゴールデンスランバー」という似たような状況の物語を彼は執筆していたそうで、このまま流れでそちらも読むと面白いらしいのだけど・・・、ひとまず休憩。



「振り向いた時そこに見える階段を数えたことがあるだろうか」
WORDS BY 秋元康、MUSIC BY 松尾一彦、PLAY BY 稲垣潤一



2009年01月14日(水)
青い月

Ts3e0168 北野異人館街は、想像していたものとちょっとだけ違った。
印象としては、広島の尾道に似ている。
もっとも、立ち並んでいる建物はまるで違う。
坂の角度と家々の佇まいが尾道みたいだなと感じた。

なんとなくもう少し広くて勾配のゆるい高台というイメージを抱いていたのよね。
何の影響なんだろうな。



ts3e0169 年末も押し迫っているのにとにかく人が多い。
そんな観光地特有の風景にちょっとうんざりもしつつ、人気のない道を選んで坂を上り始める。
人は多いが路地は静まり返っている。

誰かの日常が繰り返されるこの場所は、私にとっては非日常な時間と場所であるということに気がついて、なんだか妙な気持ちになる。
静まり返ったあの窓の向こうではどんな会話が繰り広げられているのだろう。

そんなことを想像しながらゆっくりと歩く。

有名な館がいくつもあるけど、いちいち入場料を払わなくてはならず外から見上げる。
それに、入り口あたりに人が列を成している図はなんだか滑稽で・・・。
自分はその中に入りたくないなと思ってしまった。

ts3e0171 ふらふら歩いていると神社を発見。
異人館街に神社とはちょっと不思議。
しかし、この神社の歴史は古いようで、異人館街のほうが後に出来たらしい。

北野神社という名のその神社は神戸の町が見渡せると書いてあったので、石段を登る。
ここの階段は異人館街で最も勾配がきつかったな。

Ts3e0172 ここは学問の神様が祭ってある。
まあ、いい年齢の私ではあるけれど、まだまだ現役のつもりなのでよろしくお願いします・・・なんてことをお願いしておいた。
施設内にユースホステルがあった。
妙だなと思ったけど、学問の神様だからかあ・・・と分かったような分からないような納得をする。
そして、さらに高台にある展望台へと足をすすめる。

Ts3e0173 少々霞みがかっていてはいるものの、はるか海まで見渡せる景色は汗だくになって上った甲斐があった。手前には優美な異人館の屋根がこんもり茂った木の間から姿を見せていて、情緒豊かな風景とはこういうものをいうのかしら・・・なんて思ったりした。

えっちらおっちら神社の石段を降りて、街の中心あたりにある観光案内所にふらりと入ってみた。
素敵な手書きの観光地図が掲示してあったので、カウンターの係りの人に聞いてみたら、すでになくなったということ。
人気があるのだって。
ちょっと残念。
ひそかな楽しみとして、観光地に行くと観光案内所を覗いては無料で配られているこういう観光地図を持って帰る。

友人が昔そういう仕事をしていたことがあり、原画を見せてもらった。
絵を描くだけではなく、地図の中に書き記す情報も当然ながら自分で調査するという話を聞き、製作者の楽しい気持ちを想像してみたりするのだ。

Ts3e0180 ここはどうやら有名な異人館が集まっている界隈らしく、丸い大きな広場が作ってあってひときわ観光客でにぎわっていた。
シティーループバスが通る比較的大きな通りまで下っている坂道には、お土産屋がずらりと軒を連ねている。
その風景はなんとなくちょっと人通りの少ない原宿を思い起こさせた。
勾配はこっちのほうが急だし、お土産屋に並んでいるものはちょっと高価Ts3e0187そうだったけど。

新神戸駅で貰った異人館街の地図を頼りにティディベアー博物館を探す。
ちょうど広場の裏側にあったのだけど、行ってみると小さな館でしかも
入場料がちょっと高かったので、入り口から様子を伺うだけにとどめる。

Ts3e0193 そろそろ時間も押し迫ってきたので、一番最初に見かけたこじんまりした手作りワッフルのお店でランチを取るためにいそいそと移動。
5分ほど早かったのだけど、ランチメニューをお願いする。Ts3e0191

ワッフルを食べるつもりだったのだけど、ランチメニューはワッフルではなくちょっとがっかり。
自分が間違ったのでしょうがない。
でも、ピラフとスープのかわいいランチで、ハーブのよく効いた優しい味で大満足。

それから時計を見ると時間がいよいよ迫っていたので、いそいそとバス停まで戻る。

ts3e0195でも、バスを待つより駅までの遊歩道を歩いたほうが早そうだったので、新神戸の方向へ歩く。
歩き始めは長そうだなあ〜とちょっと後悔モードだったのだけど、遊歩道はとてもきれいで、景色もきれいで・・・十分散歩を楽しめた。
思ったとおり、駅までは10分弱で、バスを待つよりもずっと早く到着した。
予定よりも早くついたので、お土産をゆっくり物色する時間もあった。

最後は歩きどおしだったけど、空気はきれいで観光客は結構いたけどそれなりに静かで、ゆっくりした時間をすごせて大満足。

ひとり散歩もだんだん板についてきたね・・・なんて思ったり。
味をしめてやめられなくなりそう。

帰りの新幹線は爆睡していて、到着駅をすぎそうになってしまった。

「青い月」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 鈴木雄大



2009年01月13日(火)
愛の唄

話を12月29日に戻す。Ts3e0197

前日、昼夜で2つのライブを楽しんだ私は、2つ目のライブ後に友人と合流し、新神戸まで戻っていた。どっちにしろ帰ってくるのだから、1人よりは2人のほうが道中楽しいだろうと考えたので。

結構長い時間だったのだけど、話が尽きることはなく駅についてもしばらく話をしていて駅員さんに出て行くように言われる始末だった。
でも、それはそれで楽しい思い出なのである。

そして翌日、せっかく神戸にいるのだから少しは観光して帰ろうと考えた



新幹線は昼過ぎの便にすでに予約済みなので、それまでの3時間あまりをどうすごそうかとチェックアウト前に思案。

チェックインのときに手に入れていた観光地図を見てみる。
神戸はとても広そうで、まったく何も知らないドシロウトでは初めての町を堪能できないだろうなと途方にくれる。
しかし、シティーループバスというものが新神戸駅から出ていることを発見。
なんと、乗ったまま新神戸駅に帰ってこれるようだ。
これならとりあえず神戸の町の様子を見ることは出来そう。

11月に再会した大阪の友人の"神戸行くなら異人館街だけは行っとかなきゃ!"というセリフが妙に耳に残っていたので、北野異人館街のみ散歩しようと決定。
幸いにも北野異人館街は新神戸駅に最も近く、バスの終点1つ前の停留所だ。
うまくすると徒歩で帰れるかもしれない。
さて、計画も決まったので、いそいそと駅に向かう。

Ts3e0198 案内所でシティーループバスのことを聞く。
1日乗車券を買うつもりだったが、乗ったままなら250円でいいんじゃないですかと言われたので、そうすることに。
10分ほどでレトロなバスが到着。
なかなか趣がある。
実は、新神戸駅は最初の駅というわけではないのだけど、観光客は最終的には新幹線駅を目指すので結果的に新神戸駅ではほとんどの乗客が下車する。
おかげで私は一番後ろの角席に座ることが出来た。
バスはマイクロバス程度の大きさで、運転手と社内での切符販売と観光アナウンスを担当するお嬢さんが一人乗っている。
1日乗車券は車内でも購入できる。
私はほぼ終点まで乗るつもりなので切符は購入しないで後ろに陣取った。
車内は前のほうは窓に向かって設置されたベンチが左右にあって、通常のバスより座席数は少なかった。
三ノ宮の駅を抜け、大きなデパートの並ぶ大通りへ出る。
神戸の町はとにかく大きくて整然としている。
広島の100m道路級の大通りがいくつも交差していてまさに巨大といった感じ。
東京よりもスタイリッシュで分かりやすい感じがした。

でもそれは、震災があったからこその整備なのだと思い出し、なんだかやりきれない気持ちも生まれる。あの日、TVニュースのヘリコプターの映像で見た街が・・・ここなんだ。

話によく聞く元町商店街の字が見えた、中華街の門も。
多分歩いてそこへ行っていれば、門の大きさに声の1つも出ただろうけど、バスの中から大きなビルにはさまれたその2つの通りはとても細くみえた。

車はゆっくりと海のほうへ向かう。
だんだんと車と人通りが少なくなる。
港にクルーザーが並んでる!
思わず振り返ってみてしまった。
あのくらいのクルーザーなら地元でも見たことがあるのに、神戸というだけでおしゃれな感じがするのはなぜなんだろうね。

メリケンパークというところの入り口に巨大な魚が立っている。
正確には身をくねらせて踊っているような感じ。
あまりの大きさに見ほれてしまい、写真に収められなかった、ちょっと残念。

そこの停留所で結構な人数が乗り込んできた。
神戸海洋博物館という建物が目に入る。
このあたりの景観がとても興味をそそったので、次回はぜひこの海洋博物館を目指してこようと思いをはせる。
後日、正月に再会した神戸で働く一回り以上歳の離れた従兄弟に、この博物館のそばには川崎重工(彼はその関連会社で働いている)の博物館があることを教えてもらった。
Kawasakiのバイクも展示してあると話していたので、再度次は絶対メリケンパークだぜと強く心に誓う。(しかし、いつ行くっていうんだ??)

きれいな遊歩道のそばをバスはゆっくり進み、赤いタワーのそばで停車。
ここで10程度停車とのこと。
赤いタワーが気になり下車したかったが、お金はかかるし人は増えるばかりなので、やっぱり私は座席に座ったまま赤いタワーを見上げていた。
後で確認したら、それは神戸ポートタワーだったんだな。
あんなに有名な建造物が分からないなんて・・・^^;

バスは再び動き出し、繁華街に近づくにつれ乗客は増えるばかり。
大きな旅行かばんを持った人もけっこういて、大混雑になってくる。
来るとき通りの反対側に見えた中華街や元町商店街が近くに見える。
どちらの通りも人でごった返している。
年末も押し迫っているから・・・かな。

平日ならば、モザイクという巨大複合商業パークにも立ち寄るらしいが、この日はそばを通っただけ。
モザイクと聞いて、きれいな遊歩道があるのだろうと勝手に想像していたら、いろんなショップが集まった建物のことだった。
しかもショッピングモールなので、とりあえず私には縁がなさそう。

そしてバスはゆっくり坂道を登り・・・私の目指す北野異人館街へ・・・。
ちょっと長くなったので、続きはまた明日。

「愛の唄」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 鈴木雄大



2009年01月11日(日)
愛と死の輪舞

そして、2日目の1月11日(日)昼の部。

Ts3e0202

大本命^^



Ts3e0206

今回一番すごかったのは、武田トートの「愛と死の輪舞」だ。
今まで2度ほどこのトートで見たけれど、実は一度もこの歌に心動かされたことはなかった。
しかも、私、個人的に「愛と死の輪舞」は、東宝版では必要ないと思っている。
別にこの曲が嫌いなわけではないが、物語の流れの中であまりにも唐突にこの曲のシーンが挿入されて、強引過ぎると思うから。
そんなわけで、あまりこの曲には思い入れがない。
だけど、今回の武田トートの「愛と死の輪舞」はかなり鳥肌が立った。
相変わらず、物語の中に必要ないとは思うけど、このシーンのみでのこの歌はすばらしい出来だったと思う。
まだ耳から離れん!!

これまで2回博多で朝海ひかるさん、武田真治君のとりあわせで「エリザベート」を見たのだけど、今回のバージョンが一番私の思い描く「エリザベート」という物語の形に近かった。
そして、新しく気がついたこともたくさんだ。

エリザベートとフランツは、最初から最後まで結局自分のことしか見えていなかったんだよなあってこと。
2人は一度も相手の立場に立って考えることをしなかった。
ゾフィーのせいで二人の愛が引き裂かれたわけではなく、最初から2人は分かり合っていなかったのだなと、二人が恋に落ちた瞬間と完全に道が分かれるラストのシーンで思った。
だからうまくいくはずはなかったのよね〜。
でもまあ、この2人が自分のことしか考えなかったがためにハフスブルグ家は滅んでしまうんだよね。
そういう意味でゾフィーは常に正しいことを言っていたわけだけど、いかんせん彼女もまた自分のことしか考えていなかったので、2人には気持ちが通じなかった。
一番かわいそうなのは、やはりルドルフ。
彼は多分、一番ハフスブルグ家の未来のことを考えていたけれど、その気持ちをテロリストに悪用されちゃった。

でも、これって、現代社会のうまくいかない家族像だよなあ・・・・と帰りの新幹線の中でどよ〜んと考えてしまった。

トートは、それぞれの心の中にある滅亡(=死)に対する憧れが具現化した存在じゃないかなと思った。
死の帝王という定義は武田トートを見ている限り当てはまらない気がする。
今回思ったんだけど、トートは誰かに依存したいという気持ちが強い者ほどとらわれやすいんじゃないかな。
ここではないどこか楽になれる場所へ連れて行ってくれる存在はいないだろうか・・・と考えたときに目の前に現れる存在。
たった今の状況から抜け出す一番簡単な方法って何だろう・・・?
それは死ぬことと考えると自然な気がする。

そういうふうに考えると一番死に近かったのは、ルドルフ。
彼には優しく抱きしめてくれる父も母もないも同然、祖母はひたすらきびしかったからそんなことを望む相手ではなかった。
とにかく彼は理解者が欲しかった。慰めて抱きしめてくれる存在が欲しかった。
だからトートは、彼の前に現れるときとても女性的なイメージで現れるのだ。
時に母のように彼をいたわり、別の時には父のように彼を叱咤激励し心を奮い立たせる。
そして最終的に、恋人のように彼に甘い声でささやき・・・・死にいざなう。

テロリストたちは、自分たちを導いてくれる力強い存在を願っていた。
自分たちの行く先には死が待ち受けていることを彼ら自身が自覚していたと思う。
トートは彼らが思うとおりの存在として表れ、そして彼らを死にいざなった。

エリザベートは、誰かに頼りたいと思いながらその気持ちがフランツに伝わらなかったため、自分自分だけを信じて生きるようになる。
そのため、常に死への憧れがありながらも生への強い執着を持つようになる。
トートはあの手この手で彼女を手に入れようとするけれど、うまくいかない。
トートが常に彼女にとっていた態度は、彼女が本当は望んでいる頼りたい存在像なんだと思う。

トートがエリザベートやルドルフにささやきかける時が一番エロティックで扇情的なのは、それが彼らの心のゆれを刺激するからなのだろうな。
甘い言葉で囁いて・・・彼らを手に入れようとする。

あとひとつ。
トートダンサーズは、トートの手下なのではなく、トートの一部だと見るほうが自然な気がする。
ゾフィーの死のとき、トートではなくトートダンサーが現れるのは、彼女が最後まで死に憧れを抱かなかったためではないかなと思う。
逆にエリザベートは口に出さなくとも死を漠然と待ち望んでいたから、ルキーニを引き寄せたといえるんじゃないかな・・・。

な〜んて、勝手に帰りの新幹線の中で解釈していたら楽しかった。

2009.1.11(SUN)『エリザベート』昼の部(at 梅田芸術劇場)
「愛と死の輪舞」
WORDS & MUSIC BY MICHAEL KUNZE AND SYLVERSTER LEVAY、Japanese Words BY 小池修一郎、 PLAY BY 武田真治



2009年01月10日(土)
エリザベート泣かないで(愛のテーマ)

Ts3e0203
週末、大阪行ってきました。
なにって・・・、ミュージカル「エリザベート」を見にです^^;
でも今回は、武田真治君だけ見てきたわけじゃないのさっ。

うまい具合に配役違いでチケットが取れたので、同じ演目なのにまるで違う作品を見たような感覚。
役者が違うとこうも違うんですなあ。

まず、1日目の1月10日(土)夜の部。



Ts3e0204

エリザベート:涼風真世
トート:山口祐一郎
フランツ・ヨーゼフ:石川禅
ゾフィー:初風諄
ルドルフ:伊礼彼方
少年ルドルフ:太田力也

まず、博多で見たときとかなり演出が変わっている部分がいくつかあった。
その中で私がわかりやすくなったなと感じたのは、「マイヤーリンク(死の舞踏)」のシーン。
確か、博多で見たときは、雑多なカフェの中だったように思う。
皇太子ルドルフが、テロリストたちに祭り上げられ、挙句、皇帝に見放されるまでの一連の流れが、目に見えて分かるようになっている。
次の皇帝として祭り上げられ馬車に載せられるあたりはなかなかすばらしい。

こういう風に大きく演出が変わることって舞台ではよくあることなのか分からないけど、舞台って生き物なんだなあと今回はびっくりするとともに、その面白さにますますはまりそうだ。

ここは、翌日も同じ演出だったのでかなりうれしかった。
大まかな演出は、どのバージョンも同じなのだろうなと今回配役違いのものを2つ見て感じた。
同じ流れの中で、配役違いによる演出の違いが発生するので、この作品は何度見ても面白いと思わせてくれる。
機会があれば、いろんなパターンの配役で見ると自分の好みのバージョンが見つかるんじゃないかな。

とにかく、山口さんと涼風さんは歌がうまかった。
うわさには聞いていたけれど、そのとおりだった。
基本に忠実な発声と積み重ねられた経験とが現れている歌声。
プロやなあ〜という感じ。
「エリザベート」はミュージカルだけど、ちょっとオペラっぽいイメージもある作品だと思っていて、この2人が組むとよりそういう感じがする。

より歌がメインの作品になると思った。
それと、個々によるキャラクターの解釈の違いもはっきり出ていて、トートもエリザベートもまるで違う。
へええっと思った。
トートは見た目の違いがすでに大きいので、おのずとキャラも変わるだろうなとは予想できたが、エリザベートは、朝海ひかるさんとまるで違うイメージで驚いた。
ここまで解釈は個人によって違うのかと思った。
もしかしたら演出家によって、違うものになるように導かれているのかもしれないけどね。)

このバージョンは、全体の雰囲気も抑えた感じで淡々と物語が進んでゆく。
何度も繰り返されている劇がまた今夜も繰り返されている・・・まさにそんなイメージだ。

そう、今回のバージョンは、ミュージカル「エリザベート」のプロトタイプといった感じだった。
基本はこれです・・・ってやつ。
だた、このバージョンを最初に見ていたら、私はここまでこの作品にははまらなかっただろうなというのが一番正直な感想。

2009.1.10(SAT)『エリザベート』夜の部(at 梅田芸術劇場)
「エリザベート(愛のテーマ)」
WORDS BY MICHAEL KUNZE、MUSIC BY SYLVERSTER LEVAY、(日本語詞:小池修一郎)、PLAY BY 山口祐一郎 & 伊礼彼方