koube イベント週間修了。 期間中(笑)大阪方面へ行っておりました。 いろいろな体験をし、いろいろな人々に出会い、いろいろな思考及び感情がめぐりました。
彼らの中にはもう二度と会わない(会う機会のない)人たちもいるけれど、この小さなイベントで起こったことはどれも興味深かったので、私の心の引き出しにちゃんと収まった。 なんとなく忘れたふうでも、なにかの拍子にふたたび思い出すはず。 出会った人すべてに感謝と愛を!
写真は、最後の日に訪れた新神戸駅の北側にある布引ハーブ園より海のほうを撮影したもの。 山の斜面は見事な紅葉だった。
一番メインだったのは、もちろん(!)仕事で。 新しい職場で担当となった仕事の基本的な事柄を学ぶ研修だった。 2日間みっちり。 自身も実務をこなした経験者である偉〜い先生による細かい配慮が隅々まで行き届いている資料と口頭説明にほとんど素人の私は口をぽかんと開けて聞きほれ、読み惚れた。 定年後に社会労務士の資格を取られたそうなので、結構なお年だと思うのだが、よく通るとてもよい声をしておられるので何かやってる人なのかなあと思っていた。 その予感は的中。 な、なんと先生は能楽師だったのである。 そりゃ・・・よく通るはずだわ・・・。 研修生がちょっと眠くなると声の調子が強くなり、机もたたくのでそのたびびっくりはするのだけど、あとで考えるとそれは先生の計算だったんだろうなあ。 自分が同じ研修を受けても眠くなるはずと言ってらっしゃったしね。 この研修を仕事に生かしたいと切に願う私である。
とは言うものの、やっぱりあと半分のメインは友人と遊ぶこと! もう数年来あえていない友人に連絡を取り、夜通し遊ぶ約束を取り付けておいた。 友人の友人にも付き合ってもらい、とても貴重で楽しい時間をすごした。 普段の私なら絶対に出会う事のないかっこいい人たち(もちろんそこには友人も含まれている!)に囲まれて、めっちゃめちゃ楽しかった。 かなり人見知りの激しい私なのだけど、友人のおかげで臆することなく(と言っても、一部臆してしまった部分もあったのだけど・・・・^^;)彼らと会話を楽しめた。 まあ、その分、いつもの濃い会話は展開できなかったけど、それはまた別の機会に出来るだろう。 かっこいい人たちにふたたび会うことは多分ないだろうけど、私にとってはとても貴重で忘れられない時間になったことだけは書いておこうっと。 人それぞれ・・・何かしらを考え・・・生きているんだな・・・と妙に実感した。
そして、実はもうひとり友人に会った。 その人とは今回が初対面。 メールでは頻繁にやり取りをしているのだけど、実物はどんな人なのだろうとどきどきワクワク。 あ・・・、念のために書くけど、色っぽい話ではないのであしからず^^; そういう話があれば、それこそソッコーねたにするのでお楽しみに・・・なんて、そんな時がいつかくるのだろうか・・・・^^;
時間も忘れそうなくらい中身の濃い話を延々と・・・。 初めて会ったのに、そんな感じがないくらいに話は盛り上がり続けた。 それもそのはず、2人とも同じような思いを抱えているので、共感する部分もあったわけなんだな。 なんのこっちゃ・・・内容を知らないと分からないかもなあ^^; でも、共通の話題だけではなく、それぞれの生活についてもいろいろ話をして、内面のちょっと深い部分についても意見交換をした。 これは奇跡に近いと思う、こういう出会いは大切にしなくちゃね^^
明日からは、またいつもの私の生活に戻る。 きっと、あっという間に飲み込まれてこのイベント期間のことは棚上げになってしまうだろう。 まあ、生活するとはそういうものである。 だけどね、ふとした瞬間に出会った誰かの顔や言葉を思い出して、思考にふけっちゃうと思うんだよね。
そういうことが、結構楽しみなんだよね。
「太陽の靴」 WORDS & MUSIC & PLAY BY 鈴木雄大
司馬遼太郎さんの新撰組を描いた小説3作品を読んだ。 「新撰組血風録」と「燃えよ剣」(上)(下)だ。
読もうと思ったきっかけは大島渚監督作品の映画『御法度』 この映画がとても意味深で不思議な物語なので、司馬遼太郎さんの描く新撰組の世界を体験したあとにこの映画の物語について考えてみると面白いかもな・・・というところから始まっている。 また、その物語で重要な鍵を握っているのが沖田総司なんだけど、武田真治君が演じているんだなあ〜^^; そして、彼の演じた沖田総司が司馬遼太郎さんの描く総司像を良く表しているという意見をいろんなところで読んだので、俄然興味が沸くってもんさ。
映画についてはまた別の日に、今回は司馬さんの小説を読んで感じたことを書くことにする。
実は、武田真治くんのことは関係なく、司馬遼太郎さんの作品はいつか読んだほうがいいのかもな・・・と20代の前半から漠然と思っていた。 その頃、やたらまわりに幕末の歴史が好きな人が多く、よく知らないと言うと日本人として恥ずかしい奴とよく言われたものだった。 それでもやっぱり興味があまり沸かなくてね・・・つい最近まで読む気がしなかった。 (そんな私に読むきっかけを与えてしまう武田真治ってすごい・・・でしょ^^;)
新撰組というと、私は極悪非道な殺人者集団というイメージを持っていて敬遠していた。 どんなに美化したところで、人を切って殺しまくったという事実は変わらないのだし。 そんな人たちを司馬遼太郎という人はどんな風に美化しているのだろうと思いながら読み始めた。
司馬遼太郎さんの文章はとても簡潔で読みやすかった。 人を切るシーンの描写も簡潔でそこに感情をこめる事はなく、事実のみを語っているという感じ。 人物描写がとても深く(細かいという意味ではない)、魅力的な人物像を描くのがとてもお上手だと感じた。 事実、それまでほとんど毛嫌いしていた近藤勇、土方歳三という人物を魅力的な人物だなあ・・・と、読み進めるにしたがって愛着を感じ始めた。これは自分でとても不思議だった。
『燃えよ剣』の土方歳三の最後は見事としか言いようがなく、お雪との(ある意味)純愛も美しい。 司馬さんの描く沖田総司は、摩訶不思議な存在だ。 なるほど、武田真治が『御法度』で演じた沖田総司はこんな感じだったと私も思った。 『燃えよ剣』は土方中心で話が進むので、決して沖田の登場シーンは多くない。 それでも、彼の言動はとても印象的で、いつの間にか好印象を抱くようになっていた。 沖田の最後も切なかった。 『新撰組血風録』では沖田の恋の話も描かれているが、土方の恋の話に比べるとかなりあっさりしている上に近藤勇に横槍を入れられて(!)、ちょっとかわいそうな結末を迎える。まあ、初恋はそんなものさ〜って感じかな。
しかし、どんなに人物像が魅力的でも、物語の大半は人を切る話なので、そういうところは最後までなじめなかった。
これはあくまでも司馬遼太郎という作家が創作した話なのであって、史実とはかなり異なる部分もあるし、人物像だって違うようだ。 小説を読んだあとちょっとだけネットで新撰組のことを調べてみたら、これまで私が持っていた新撰組のイメージはこの司馬遼太郎さんの作品から来ているものだったってことが分かってきた。
日本史もろくに習っていない中学生時分にこの小説をもしも読んでいたら、私は司馬さんの描く新撰組を歴史上に登場する本当の新撰組だと思ったかもしれない。 そのくらい司馬さんの文章は淡々と事実のみを語るような雰囲気だった。
この3作品を読みながら、あるいは新撰組のことに興味が沸くかもしれないと思っていたけど、そうはならなかった。 確かに司馬遼太郎さんの描く新撰組や土方歳三、沖田総司はかなり魅力的で、読んでいる間は夢中になれた。 小説だから楽しめたんだと思う。
幕末についてはこの頃結構興味がある。 なぜかというと。 私はプロフィールにあるとおり、山口県に暮らしている。 そんなわけで、日本のとある土地に行って歴史の話になったとき、ちょっと肩身が狭くなったことがあった。 そのとき、歴史が今に繋がっている過去の出来事であることをちょっと身をもって感じたので、そこはかとなく気になるようになったのだった。
『新撰組血風録』『燃えよ剣』に登場する長州人はあまり好意的に描かれていなかったように感じる。 それがちょっと寂しく感じたわけなんだけれど、実は、司馬遼太郎さんは吉田松陰、高杉晋作を主人公にして『世に棲む日日』という作品を書いているそうなので、そのうち読んでみようかなあ・・・とは思っている。 まあ、とりあえず興味を持つにはうってつけなような気がするので。
私は今のところ、他の司馬遼太郎さんの作品を読む気にならないが、今思えば、私に幕末の歴史に興味がないなんて恥ずかしい奴・・・と言った人は、司馬遼太郎さんの小説のファンだったのかもなあ。 う〜ん、ある意味はた迷惑^^;
とは言うものの、司馬遼太郎さんの小説は面白いと思う。 鵜呑みにしてしまうのは、どうかと思うが、こういう解釈もありなんでないかい・・・という方向性で捉えられれば、充分楽しめると思うので、ちょっとお勧め^^ 土方歳三・・・かっこいいぞ〜!
「38Special」 WORDS & MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY SHERBETS
おかげさまで、風邪はほぼ完治。 来週はここ最近で一番大きなイベント週間(!)となるので、それに備えて体力温存に努めたのがよかったかも。
しかし、昨夜は規則正しい正体不明な音のせいで眠りを妨げられ、真夜中に目が覚めてしまった。 私は規則正しく刻まれる音が大嫌いなのだ。(心臓の音もだめ) 気にしないで寝ようと何度も寝返りを打ったが、やればやるほど気になってくる。 その原因を突き止めようにもさっぱり分からない。
イライラしないために本を読むことにする。 昨夜選んだのは、森脇真末味さんの「アンダー」(文庫版)
「アンダー」は現在のところ森脇さん唯一の本格SF作品。 複雑な設定が綿密な物語の中で複雑に絡み合って進んでいくスリルのある作品。
連載は1991年〜1992年頃。 まだプチフラワーを立ち読みしていた頃で(最近は質が変わってきたので読んでない)、どうせ単行本を買うのだからと、立ち読みでは流す程度に読んでいた記憶がある。
その後、プチフラワーコミックスから発売された2巻(1、2)の今作品を購入。 2001年には文庫本化された(なんとハヤカワ文庫JAだっ!)ので、貸出用に1冊購入。 その後はこの貸出用文庫本を手軽なので読んでいる。
もう何度も読み直しているのだけど、最近やっと物語の全貌が判ってきたような気になってきた。
物語の舞台は地球の上下が逆転した未来の地球。 人間の住める場所は限られていて、階級別に住む場所が決められている。 高い地位に行くにしたがって住む場所も高所になるらしい。 階級が上に行くに従って出産制限が設けられていて、おいそれと子供を生むことが出来ない世界。 主人公は誰なんだろうなあ。実は未だに私は分かってない^^;
物語の中心にはサラエという少年と彼の義妹ノヴァがいる。 気まぐれにノヴァを誘うサラエのことをノヴァは愛している。 階下では殺人事件が起こり続けているある日、ノヴァはサラエに似た少年に出会う。 彼には名前がなく、ノヴァはドギーと名づける。 サラエに似ているけどサラエと違って優しいドギーにノヴァは惹かれていくのだが、彼はいつも血の匂いをまとっていた。 そしてある日・・・。
この物語は2つの物語が交錯する。 1つはノヴァがサラエを追い求める冒険の話、もう1つはドギーの父親、ケイの物語。 唐突に2つの物語は入れ替わるので、最初はどうしてそうなるのか読みながら戸惑っていた。 そして、物語が終わり近くになるとこの2つの話は最初から切っても切れない1つの物語であることが明らかになる。 それは物語の中で描かれている世界にまで影響しているのだ。
この作品を読むといつも『ブレードランナー』を思い出すんだな。
SFとしての設定は実に巧妙で、最初はその部分に目が釘付けになっていた。 何度も読み返していくうちにサラエが本当は何を求めていたのかが気になってきた。 ちょっとだけネタバレをすると、サラエとドギーは一人の人間の表と裏と表現するのが適当だと思う。 ノヴァがドギーに惹かれるのもちゃんと理由があるのだ。 サラエは生き続けることを望んでいて、でも、彼のそれまでの人生とやっていることを見ているとなぜそうまで生きることに執着するのかがよくわからなかった。 でも、昨夜読んでいて、もしかしてサラエは、ノヴァの元に戻りたかったのかもしれないなあと・・・唐突に思った。
昨夜読み終わって、"ああ、そうだったのか〜"となんかしらんがあったかい安心感がむくむくっと生まれてきた、この本を読み出してから初めてそんな風に感じた。(眠気もやってきた)
ほとんど内容に触れないままこんなこと書いて、なんのこっちゃ分からないだろうなあ。 まあ、機会があればぜひ、手にとって読んでみてくださいってとこかな^^;
さて、この本を読み終わった後、正体不明な音の正体に気がついた。 その正体とは、ベッドのすぐそばに置いてある置時計の振り子がR2D2のフィギュアにあたる音だったのだ。 なんだ・・・。 原因が分かったのと本を読み終えた達成感でその後は無事眠りにつくことが出来た私だった。 ごめんね、アールツー^^;
「MAD DISCO」 WORDS & MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY SHRBETS
うっかり風邪をひいてしまい、先週は体調不良。 しかも先週は仕事がかなり立て込んでいて(そして今週もそれは続きそうな予感・・・)休めず。
それが気になっていたせいか夜もぐっすり眠れず、ずるずると風邪を長引かせてしまったようだ。
週末だらだらとベッドで惰眠をむさぼっていたらかなり回復。 本を読んでは寝る・・・そんな週末だった。
職場が変わって半年が経つ。 仕事の内容がまるで違うので、職場の雰囲気もまるで違う。 もちろん、仕事の内容については前職場とは違う種類の制限があり、気をつけていなければならない事柄も多く、そういう意味ではちょっと気詰まりなところもあるにはある。
人の出入りと電話が多く、常に不特定多数の人とやり取りをする職場なので、人と接することが多い。 仕事の担当は個々に割り振られているけれど、横繋がりが常にあるので、別の誰かに次の手順を確認する必要があり、常に誰かとコミュニケーションをとりながら仕事を進めることになる。 私にとってはいい環境のようだ。
とにかく誰かと会話しながら仕事をするというのは、精神衛生上とてもよいと思う。 いろんな人がいるのでむかっとすることもあるが、教えられることもある。
気持ちに余裕のある生活というのは、やっぱりいいなあとしみじみ思う。
・・・ま、とりあえず、風邪を治さなきゃね、風邪を・・・^^;
「風の向こうへ」 WORDS BY 多田慎也、Rap BY 櫻井翔、MUSIC BY Pippi Svensson, Anders Dannvik、PLAY BY 嵐
『TOKYO EYES デラックス版』のDVDを見た。 フランスのジャン=ピエール・リモザン監督作品。 主演は吉川ひなのと武田真治。1998年公開。
フランス人監督の作品なのに全編日本語という不思議な映画。
どうやらこれはラブストーリーらしい・・・ということに今更ながら気づいた。
武田真治ファンの間でかなり人気の高い作品(というより役柄?)なのだけど、私はいまいちはまれずにいる。 それは冒頭でも書いたように、この作品をラブストーリーと捕らえられなかったところにあるようだ。
私は色恋に関する感性というのが欠落しているんだろうか。 (フランス映画が苦手なのはそのせいかもしれない。) かなり惚れっぽいたちなのになあ。 いや、それは色恋に関する感性とは無関係なのか・・・な?
でも、この映画は、何度も見たくなる映画のひとつになった。
1998年当時公開された日本映画にはこんな雰囲気のものはなかったように思う。 2000年以降こんな感触の映画は結構作られるようになったのではないかな。 そういう意味で、この映画は5年くらい早い感じがする。 (あくまでも個人的な感覚だけど。)
あらすじはこんな感じ。
東京では若い男による発砲事件が頻発している。 その男は度の強いメガネをかけて犯行を行うため"薮睨み"と呼ばれている。 ぼやけた視線で相手を狙うため、弾が外れどの事件も未遂に終わっている。
この事件を追う刑事(杉本哲太)を兄にもつひなの(吉川ひなの)は、兄の持っている指名手配の似顔絵に似た男を電車で見かける。 興味本位でその男の家までついていき、やがて男と交流するようになる。 彼は"K"(武田真治)と名乗る。 最初は兄にKのことを知らせるつもりだったひなのだが、Kのことを知るごとにその気持ちが薄れてしまう。 Kは何でもよく見えてしまうせいで、目の前で起こったほんの些細な嫌な出来事が許せない。 自分の怠慢を棚に上げ気に入らない客(光石研)を追い払う店屋の店長(モロ師岡)とか、外国人に意地悪をするバスの運転手(大杉漣)とか、恋人を泣かせる男(池内博之)とか・・・Kの標的はそんな男ばかりだった。 ひなのはそんなKのことをだんだん好きになって、彼の行為をやめさせようとする。 Kもひなのに惹かれてゆき、"薮睨み"と決別しようと思い始める。 そんな矢先、Kのところへ彼に拳銃を売ったヤクザ(北野武)がやってきて・・・。
東京は下北沢を中心にハンディーカムカメラが自在に主人公たちを追う。 (電車の中ではゲリラ撮影したらしい。) 普通の生活空間が映し出されているような感じ。
Kは下北沢に住んでいるゲームのプログラマーで、部屋にはたくさんのモニターがあり、時々頼まれていんちきゲームを作ったりもしているらしい。 壁一面にLPレコードが整然と並んでいて、DJの機材もあったりする。 ・・・あの当時の若もの像といった感じ。 ちょっとろれつの回らないしゃべり方で(武田真治のその辺の演技はなかなかにくい!)、ひなのに声をかける。 いつもビデオカメラと拳銃を隠し持ってふらふら街を歩いている。 ギュウギュウ詰めの電車に乗るのがすきらしい。
ひなのはおそらく高校生で、友達(水島かおり)の勤める美容院でアルバイトをしている。 毎日退屈していて、アルバイトも面倒くさいなと思っている。 おそらくほとんど地のままの彼女が映画の中に登場しているといってもいいほど普通の吉川ひなの^^; でも、人形のようにかわいいんだな・・・これが。
Kは何度もひなのに触れるのだけど、その触れかたが、すごくやわらかくて見ているこっちがどきどきしてしまう。・・・あ、そう考えるとやっぱりラブストーリーだね^^;
この映画は、視線がテーマのようだ。 見終わった後、やたら目のアップが多かったなあなんて思ったし。 視線をめぐる二人の会話もなかなかおしゃれで意味深だった。
なんだかんだでKは魅力的なので、DVDを手に入れてから何度か見てしまった^^;
なのに、私はKにははまりきれない。 Kのような繊細な人物を私は決して嫌いじゃない、むしろ好きなほうだ。 だけど、本当に繊細な人間は人に向かって拳銃を向けたり出来ないんじゃないかって私は思うので、Kの行為がやっぱり受け入れられない。 そんなの映画の中の話じゃんといってしまえばそれまでだけど・・・。 人に拳銃を向ける以外の方法があるような気がするんだよね、なんとなく。 ・・・だからそこに目が行ってしまって、この映画がラブストーリーだってことに気がつかなかったようだ^^;
そういうところを流せないのが・・・色恋の感性が欠落している証拠? だからいつまで経っても・・・^^;
まあ、そのうち(何度も見るうちに)また違う思いも生まれてくるだろう(ことを自分に期待しよっと。)
「ニテルネ」 WORDS & MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY SHERBETS
世の中のすべては流れ続けていて、決してとどまることはない。 公園の中に立てられた彫像でも、四季の風にさらされ少しずつ変化する。 人間の命も・・・もちろん、その中に宿っている心や思考も・・・今が最高というところでとどまることはない。
過ぎ去ったものを忘れることは決して出来ない。 それは記憶から消え去ったように見えても自分の中のどこかに深くしまいこまれていてふとすると表に出て来る。 その都度懐かしかったり、うれしかったり、悲しかったり、つらかったり・・・・。 繰り返される毎日の中で、時々そんなことが起きたりする。
音楽、絵、映画、誰かが書いた文章あるいは誰かが発した言葉・・・またはそれらの表現そのものをした人物。 そんなものが自分の中を通り過ぎてゆく。 何も感じることがなく過ぎ去ってゆくものもあれば、私の中の何かと共鳴して残るものがある。 その中でも時が来れば去っていくものもあれば、今もずっと私の中で残り続けているものもある。 しまいこまれた記憶の扉をしつこく叩くものもある。
感情は、そういったものが繰り返されるから起こるんじゃないかと最近思うことがある。 その感情でさえも流れるままに変わってゆくんだ。
そして、その先は・・・その先には何が待っているんだろう。 そこに私は漠然とした希望を感じる。 その希望を感じる間は、まだまだこの世界で自分が生きていることに意味があるような気がする。
過ぎ去ったものたちを懐かしむのはとても簡単な行為で、そうしているととても暖かい感じがしていつまでも留まっていたいような気もするけれど、私は自発的にそうすることはしないことにした。 どんなに辛そうに見えても前に進むことがなんだかいいことのような気がする。
・・・ちょっと風邪気味で、そんなこと考えてしまった。 三連休の最後の日。
「小さな花」 WORDS & MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY SHERBETS
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