初日 最新 目次 MAIL HOME


セキララな思考。
安井 文
MAIL
HOME

2008年08月30日(土)
愛と死の輪舞

9月にミュージカル『エリザベート』を見に行くことになった。
職場にあったチラシにきれいに化粧をした武田真治君が写っていてあまりに美しいので、"見たいなあ"とつぶやいたら同僚も行きたいと言うので、チケットを取った。

話が分かりにくいので予習したほうがいいと同僚が言うので、その人から宝塚花組の『エリザベート』のDVDを貸してもらって見た。
(ちなみに同僚は、大の宝塚ファンであり、大のエリザベートファンでもある。)



私はヨーロッパの歴史には疎く、あまり興味もない。
子供の頃「ベルサイユのばら」が流行っていてアンドレに憧れたが、そのときも物語の舞台になっている時代や国にはあまり興味がなかった。
日本史とかかわるヨーロッパの歴史については、ついで程度には紐解いている。

宝塚についても、やはり子供の頃にTV放送で見た「ベルサイユのばら」と「百夜わが愛」くらいしか知らず、トップスターは?と言われて鳳蘭、安奈淳、純名里沙くらいしか出てこない。

とまあ、そのくらいヨーロッパ貴族や皇族の話に興味がない上に宝塚にもあまり興味がない。
そんなんで、このミュージカルを楽しめるかというのはかなり不安だった。
そもそもミュージカル自体が初めてなので、そのノリが大丈夫なのかってのもあるし。

とにもかくにも、"見ておかなくちゃ"という半ば義務感でDVDをまわしたのだった。

エリザベートは実在のオーストリア最後の皇后。
ハンガリーを独立させた功労者と言われていて、ハンガリーでは今でも愛されているそうだ。
ミュージカル『エリザベート』はその人の人生を描いているウィーン発のミュージカル。
1992年ウィーンで初演、日本では宝塚歌劇団が上演権を取得し1996年にはじめて紹介。
徐々に人気が出てきて、2000年から東宝が公演をはじめた。
チケット争奪戦が凄まじい人気作品らしい。

少女の頃エリザベートが死に掛けた時に一目ぼれして以後勝手に彼女を翻弄するものとして黄泉の帝王(死)トートというキャラクターが出てくる。
武田真治君は3代目トートとして2006年から出演している。

さて、肝心の宝塚花組の『エリザベート』なのだけど。
これがなかなか面白かった。

本来この作品の主人公はエリザベートなのだけど、宝塚では男役トップスターが主役を演じるというルールがあるので、宝塚版ではトートが主人公。

演じているのは春野寿美礼さん。
この人がとてもかっこよくてまさに帝王然としている。
上から目線でその他のキャラクターを見下す顔がなんともいえずはまっていて、あっというまにはいりこんでしまった。

春野寿美礼さんは、音の高低が激しく入れ替わるミュージカルナンバーを危なげなく歌いこなし踊る。青み掛かった銀髪の長髪と青いアイシャドーで中世的な冷たいイメージだ。(・・・顔色の悪いオスカル^^;)

狂言回しのような役割をエリザベート暗殺を実行したルキーニという男が担当する。
一番最初に飛び出してくるキャラクターで、ルキーニが気に入らなかったらDVDも入り込めなかったかもしれない。

このキャラクターはもしかしたらトートよりも舞台を走り回っている時間が多いんじゃないかと言うくらい出ずっぱりで説明しっぱなし。
ある意味おいしい役と言える。
宝塚ファンの同僚によると、この役を演じた人は次のトップスターを約束されているとか。
DVDでは瀬奈じゅんさんが演じている。(この人は後にエリザベート役もやったそうだ。)

申し訳ないが、エリザベート役の人には余り目が行かなかった。
この人が気に入らないと言うのではなく、劇中のエリザベートの性格が好きになれなかったので、魅力を感じられなかった。
もし、エリザベートが主人公だったら私はこの作品に途中で飽きていたかもしれない。

見終わった感想。
エリザベートって、トートが入れ込むほどのイイ女じゃないじゃん^^;

DVDで繰り広げられる物語は、トートが自分の恋のためにエリザベートと彼女を取り巻く状況を自分の思うとおりに運ぼうとして翻弄するようになっている。
トートは"生きたままで自分を愛してほしい"とエリザベートに望む。
当然、エリザベートは"死"のことなんて愛せない。
結局トートは、さんざっぱら翻弄した挙句、自分のところへやってこようとしないエリザベートをルキーニに暗殺させて自分のほうへ向かせる。
で、最後一瞬2人は愛し合うってところで終わる。

・・・う〜ん。
なんかとても無理がある。

春野さんのトートがとても魅力的だったので、余計に最後が尻つぼみに感じた。
え〜、それで終わり〜??
というのが正直な気持ちだった。

そもそも。
死の帝王が普通の男のように人間の女を欲しがるかなあって私は疑問に感じた。
生きているエリザベートがトート(死)を愛するというのはどういうこと?ってのも疑問に感じた。
エリザベートが死ぬということは、トートの前も通り過ぎるってことじゃないのか?
じゃあ、トーとは何を望んでるんだ〜??

いろいろ疑問が湧き出てきた。

それでいろいろ調べたら、宝塚版はトートを主役にすることで解釈が少し変わっちゃってるようなのだ。
それでちょっくらネット検索でエリザベートという歴史上の人物のことを紐解いてみた。
そうするとむくむくと想像の翼が広がり(!)、私の中でエリザベート像が浮かんできて、それに絡むトート像というのも浮かび上がってきた。

ついでに東宝版『エリザベート』についても感想などを紐解いてみた。
その結果、見に行く予定の武田真治@トート&朝海ひかる@エリザベートは、なんとなく私が思い描く解釈に近いんではないかと・・・俄然、楽しみになってきたってわけなのさ〜♪

あとは、見てからのお楽しみ^^

「愛と死の輪舞」
WORDS & MUSIC BY MICHAEL KUNZE AND SYLVERSTER LEVAY、Japanese Words BY 小池修一郎、 PLAY BY 春野寿美礼



2008年08月29日(金)
truth

日本版『魔王』の公式サイトに行ったら、"裏魔王"にかなり重要な設定が説明されていた。
それはドラマの中で触れるべき内容だと思うぞ〜!!
なのにそんな表現は今までの放送内容ではなかった。

個人的に第9話を見る前にそこのところはチェックしたほうがいいと思う。

その設定をドラマ中できちんと表現しておけば、なんで宗田(忍成修吾)があそこまで芹沢家にたかるのか、山野(清水優)が復讐に執着するのか・・・が分かってくるのだ。



"裏魔王"は抜け落ちた設定や状況説明をかなり詳細に説明してある。
説明しすぎじゃないかなと思っていたところ、ここ2回分くらいはドラマで使用されるカードについての説明が軽くしてあって、さすがに詳しすぎると指摘があったのかなと邪推していた。
今回はどんな内容かなあ〜と第8話放送後にアップされた"裏魔王"を見てみた。

そこには11年前に直人の父(石坂浩二)が(もちろん熊田弁護士を使って)事件の目撃者と関係者に手を回して"それぞれの親から"正当防衛だったと少年たちに証言させたと説明されている。
しかも最後まで読むと、おそらく親たちは直人の父に買収されたのだと読み取れる。

たしか、直人が父に"あれは事故だったと証言する"と言ったのにだめだと一喝されるシーンは何度か出てきたが、そのほかのメンバーについてはそれらしいシーンはなかったはず。
第8話で葛西(田中圭)と宗田がもみ合うシーンで始めてそれっぽいセリフを宗田が言う程度。
この2つだけでは、私はそこまで想像できなかったんだけど、みんな違和感はないのかな。

これは結構重要なことだろう。

これ読んで私はやっとなんで宗田があそこまで嫌らしく芹沢家に入り込めるのかに合点がいった。
そして宗田の「オレまで殺人犯になった気分だ!」のセリフの意味が分かった。

宗田は嘘をつかされた−宗田にとっては直人が英雄(竹内寿)を最初からその気でナイフで刺したというのが真実−ことで、自分は傷つき人生がおかしくなった・・・だから芹沢家は自分に対して代償を払わなければならないと考えている。
葛西はずっと直人を信じようとしていて、石本(脇知弘)ははなからあの事件については目をそむけたと説明もある。
そして、山野も。
山野にとっては、直人たちにいじめられてきたことさえなかったことにされ、友達まで失ってしまった。

何かあれば宗田にとってはこれが切り札になる。
自分の要求が通らなければ、この"ネタ"をどこかに売ればいい話だくらいには思っているかもしれない。
だから、軽蔑しながらも芹沢家の面々は宗田の言動を黙って聞いていたのだ。

・・・そして、宗田は拉致された。

さて、第8話。
やっと直人が成瀬にたどり着いた。

"真中友雄"が、倒れた鉄骨が原因で死亡した事件の新聞記事から、当時もう1人少年がいたことを突き止めた直人(生田斗真)は、この2人が入れ替わったのではないかと気がつく。
"真中友雄"の補導歴を調べることで、もう1人の名前を見つける。
そして、そこには"成瀬領"と書いてあった。

なるほど〜!!
さすが警察官と思わずひざを打ってしまった。
ここまではさすがの成瀬も記録抹消は出来なかったってことか。(それともわざと残してあったとか・・・それはちょっと、考えすぎかな)
このあたりはなかなかスマートな展開だった。

しかし、池畑((六平直政)がCD−Rを成瀬の姉(優香)に送ったことを思い出せば、新聞を見た時点であれっ?と来ると思うんだけど、それは私が視聴者だからなのかもしれない。

さんざん直人に思わせぶりなことを言い続けてきた成瀬はそんな直人とは無関係に(!)しおり(小林涼子)と恋愛ムード・・・が、山野の横槍でいきなり中断^^;

しおりが積極的なので成瀬はそれにおされたって感じに見えた。(関係ないが本家では逆)
成瀬にとって(この11年間を考えれば)これはきっと初恋に違いない。
このまま流されたいと一瞬思ったのかもしれないけど、あれほど周到に用意した復讐をいまさらやめるにやめれない。
一晩の花火でその思いにけりをつけようとしている。
このあたり、あまり現実感がない流れだった。

成瀬が置いていった傘に触れると、そこからしおりの中にもある思い出がよみがえる。
11年前、雨の日にかさを差し出した少年のことだ。
成瀬は"真中友雄”だった。
直人から、"真中友雄"が犯人だと聞いていたしおりに衝撃が走る。

いや〜、このシーンはとてもスマートで印象的だった。
あの雨の日のことをしおりはいつ思い出すんだろうと思っていたので。
友雄は「僕のほうこそありがとう。弟のために証言してくれて」と言ってた。
うわ、そこまで言ってるんだ・・・と思わず画面に向かってつぶやいてしまった。

"雨野真実"は、判決の出たあの日に隠蔽された真実を指している。
最初からそれは視聴者にとっては公然の秘密だったわけだけど、直人は第8話でやっとそのことに気がつく。

なんというか、このあたりの設定が人間の残酷な一面を浮き彫りにしてるなあと思う。
人は自分の痛みには敏感。
何があっても生きるためには自分自身を守ることが何より先決。
それは人間に限らず動植物にとっては最優先な事柄。

直人は11年前、結局友雄に会っていない。
一応行ってみたようだけど、きちんと謝ってない。
出来なかったのかもしれない。

そして、そのまま直人は自分自身の苦しみにとらわれて、被害者家族のことを徐々に封印して言ったのかなあ。
それが、この復讐劇に関係しているような気がしてならない。
そのあたり第9話で詳しく出てくるのだろうか。

今まであまり深く表現されなかった直人の11年間の苦悩が表現されるのかな。

注目の第9話の放送は今夜22:00(笑)

「truth」
WORDS & MUSIC BY HYDRANT、PLAY BY 嵐



2008年08月20日(水)
雪の華

スカパー!のLaLaTVというチャンネルで、『雪の女王』という韓国ドラマが放送されている。
これを見ていたらなぜか『ごめん、愛してる』を思い出してしまったので、DVDをひっぱりだして終わりの部分を見直した。

今回見直してふと思いついたことがあったのと、今だから書いておきたい気持ちが湧き上がったので、ちょっと書きとめておくことにした。

未だにこのドラマのタイトルで検索をかけてここへ来る人も多く、この作品やソ・ジソブ君への関心の高さをひしひしと感じる。
ただし、このドラマの高評価を期待してこのコラムを読みに来た人は、以下は読まないほうがいいです。もちろんネタバレもしています。



思い出した理由はたぶん、ハン・ドックが、チャ・ムヒョクにかぶるせいだ。
見た目の服装、髪型・・・ドックのほうがものの言い方は優しいし、人当たりもいいのになあ。

当時、コラムで何度か『ごめん、愛してる』について書いていて、今読み直してみると心の迷いがはっきり出ていたなあと思う。

ソ・ジソブ君については、退役後、出演するドラマや映画の話はちらほら聞こえていたが、どれもはっきりと確定されていない感じだった。
そんな中、今年、日本映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』で初めてスクリーンで演技をする彼を見て、うれしかった。
特殊メイクを施され、セリフのない役でクールな演技を見せてくれた。
ワイヤーアクションはかなりきつそうな感じだったが、体の切れは悪くなかった。
彼の演技はまじめであればあるほどくすっと笑えて、おそらくそういう役割を期待されての登用に違いないと個人的に感じたので、滑稽であればあるほど意味が出るような気がして楽しませてもらった。
全体でたかだか5分くらいの出演ではあったけど、久しぶりに演技をする彼を見れて本当にうれしかった。

秋には韓国映画『映画は映画だ』が公開される。
今、その撮影風景などがネットに出ていて日本ではいつ公開なんだろうと楽しみだし、ドラマ出演も今度こそ決まりますようにと願っている。

私は、ソ・ジソブという俳優の次回作を待っているただのファンにすぎない。
ファンミーティングには興味がなく、そんなものを開催して感謝を示さなくていいから、もっとたくさんの作品で演技をした姿を見せてほしいと思っているファンだ。

彼の過去作品には面白いものもあったが、どうしても好きになれない作品もあった。
その中で『ごめん、愛してる』というドラマは好きになれなかった。
チャ・ムヒョクという人物をめぐる設定があまりにもあからさまで、物語全体に無理があった。
テーマはあるのだろうが、なにもこんな設定をする必要はないだろうと憤りを感じながら見ていた。
(関係ないが、ほとんど同じ感想を日本映画『涙そうそう』を見たときにも感じた。)

当時は、恥ずかしながら文字通りソ・ジソブという俳優に"夢中"で、彼を通して知り合ったファンとも頻繁に交流していたのも手伝って、正直な気持ちを自分で認めることも書くことも出来なかった。

『ごめん、愛してる』での彼の演技は好きだ。
彼の演技がこのドラマを引っ張っていると感じるけれど、今回見直してみて、その演技のためだけにこの物語が考えられたようにも思えて、なんだか腹が立ってしまった。
そんなわけで、このドラマは人に勧めない。

ドラマは作り物で、楽しむためのエンターテイメントにすぎない。
だから、自分が楽しめる作品を選んでみればいい話だし、そう思って選んでも面白くなかったりする。このドラマは、私にとっては面白くない作品だったというだけのことを当時は言えなかったんだよなあ。

ムヒョクが死んで1年後、ウンチェはオーストラリアのムヒョクの墓で自殺する。
その結末についてウンチェのためにそのほうがよかったと私は書いている。
今もそう思う。

私は公式ガイドブックや製作者のインタビュー等を読んでいないので、以下に書かれていることはドラマを見た私の私見です。

最後のほうで、ムヒョクはウンチェの父から彼らが捨てられた本当の理由とオドゥリは彼らが死んで荼毘にふされたと聞かされていることを知る。
この場面について前に見たときはあまり気にも留めなかったが、今回ここに引っかかった。

あまりにも身勝手なウンチェ父(とオドゥリ母)のオドゥリへの気持ち。
ムヒョクが現れるまで、捨てた双子のことはおそらく忘れていたに違いないウンチェ父。
オドゥリのことだけを考え、ムヒョクのことを知ってからも彼女に伝えることをしなかった。
ムヒョクの怒りはもっともで、彼が一言言っていれば、ムヒョクは母と弟を憎むことで時間を無駄にしなくてすんだし、もっと死ぬまでに出来たこともあった。
ムヒョクは言う「罪は必ず償ってくれ」

ウンチェは死ぬつもりではなかったと思うが、ムヒョクの墓を前にしたときどうしても一人で帰ることが出来なくなったのだと思う。
心の中に押し隠していた寂しさが噴出して、ムヒョクのそばにいたいと思ったのだろう。

ウンチェは父がムヒョクにしたことを聞いていなかったんじゃないかと今回見ながらふと思った。
ムヒョクはウンチェが自分を追って死ぬことを望みはしないだろう。
ウンチェもそれは分かっていたと思うが、知らないこととはいえ自分がムヒョクに投げつけた数々の冷たい言葉やムヒョクから貰った数々の暖かい思い出が何度も繰り返してこの1年は落ち着かなかったんじゃないかと推察する。
最後に聞いた"ごめん、愛してる"の言葉が墓を前にしたときよみがえったのかもしれない。
だから彼女はあそこで死ぬことを選んだ。
彼女にとってはそれで救いになる。

しかし、そのことで誰にも言えず苦しまなくてはならない人間が一人。
それがウンチェ父だ。
ウンチェの死を知り、ウンチェ父はムヒョクの「罪は必ず償ってくれ」という最後の言葉を思い出すだろう。
そして、ムヒョクに対して怒りを感じるかもしれない。
でも、それは自分に跳ね返ってくるのだ。
自分の娘がこんな形でオドゥリの子供を捨てたことと関係してくるとは考えもしなかっただろう。
そう、どんな辛い決断でも自分に関係ないことは所詮他人事なのだ。

ウンチェの自殺シーンの前に写るユンのコンサート会場で、みんな穏やかな顔をしてユンの登場を待っている。

彼らは多分、何も知らされていない。

ユンはオドゥリに本当のことをいえなかったかもしれない。
もしかすると、ソギョンとガルチはムヒョクが死んだことを知らないかもしれない。

だから、ムヒョクの墓はオーストラリアにある。
そう考えると納得できた。

みんながいろいろなことを知らされていないとすると、ウンチェの死はこの後、穏やかな顔をしたみんなに衝撃を与える。
ユンとウンチェの結婚話がどうなったのかわからないが、ウンチェがなぜオーストラリアへ行ったのか、なぜ今頃ムヒョクの墓で死んだのか、なぜムヒョクの墓はオーストラリアにあるのか・・・。

ウンチェ父のしたことは、まだ終わっていない。
そこまで考えてみると、この物語も里子に係るいろいろな問題が解決されることはないというメッセージを含んでいるようにも感じられたのだ。





「눈의꽃」
WORDS BY Satomi、 MUSIC BY 松本 良喜、Arranged Korean Lyrics by Kenzie、PLAY BY 박효신(パク・ヒョシン)



2008年08月18日(月)
Johnny Hell

『魔王』熱もかなり冷めた。
そのきっかけになったのは本屋で見つけた文庫本の新刊。



真保裕一著「繋がれた明日」

本屋で帯に書かれた文章に目を引かれた。

---この男は人殺しです。仮釈放となった中道隆太を待ち受けていた悪意に満ちた中傷ビラ。いったい誰がなんの目的で?---(帯より)

以下、備忘録風に感想を。



乱暴なたとえをするなら、この小説は『魔王』に登場する刑事が辿ったかもしれない別の人生を描いている。
私はどうしても『魔王』の刑事(芹沢直人もしくはカン・オス)の苦悩がいまいちうそっぽく感じてしまい、弁護士(成瀬領もしくはオ・スンハ)に同調してしまう。

この小説を読んで『魔王』は結局、美しい作り話にすぎないと折り合いをつけることができた。

この小説だって作り話なのではあるが、作者の周到な取材により構成された物語は、それゆえに真実味が増しており、私が刑事に対してどうしてもぬぐえなかった不信感の理由を少し説明してくれた気がしたし、弁護士の憎しみや悲しみに同調してしまう理由も納得できたような気がする。
そして、『魔王』の刑事がこの小説の主人公と同じように自分のしでかしたことを真に悔い改めたなら、彼にもう少し感情移入できたかもしれないと思う。

この小説の主人公である中道隆太は19歳のとき恋人のことが原因で喧嘩相手を刺してしまい、殺す気がなかったのに殺人犯になってしまう。
裁判はすべてが彼にとって不利な展開をした挙句、少年刑務所で7年の刑に服すこととなる。
刑務所での更生が認められ刑期を7ヶ月残し仮釈放となった中道は、保護司の指導の下、社会復帰のために地道な生活を始める。
その生活は決して楽ではない。
ある日、彼の職場やアパート、家族のもとに"この男は人殺しです"と書かれた7年前の新聞記事と彼の写真が刷られたビラがばら撒かれる。

いったい誰がどうして・・・。

中道は自分を落としいれようとする"誰か"を探し始める。

話は中道が仮釈放される直前から始まる。
少年刑務所での様子が事細かに描かれ、刑務所から早く出るために少年たちが点数稼ぎとしてあらゆる方法を試みることが説明される。
そして、それらの行為は、刑務所での好印象は与えるが、真に罪を償い悔い改めることと直結しているとは限らないことが主人公の心情からも伺い知ることが出来る。

中道も刑を終えようとはしているが、どうしても自分だけが悪かったとは思えず、被害者家族へのお詫びも点数稼ぎでしかない。

仮出所してもその気持ちは変わらない。
同じ時期に仮出所した"友人"が彼にとっては唯一気を許せる友達。
出所を知り昔の仲間もやってくるが、中道にとっては迷惑な存在にしか過ぎない。

しかし、物語が進むにつれ、さまざまな事実が浮かび上がってくる。
見えていることと見えていないこと。

そして、いつも中道が"人を殺した"という事実が深刻に絡んでくる。
それさえなければ、壊れなかったもの。
そして、それがなければ知ることの出来なかったこと。

いくら地道に努力をしても、次の瞬間にはそれがひっくり返されてしまう。
人一人殺した・・・その事実がどれだけ重いものなのかを中道は物語の終盤にやっと思い知る。

全体の起承転結は、それこそ『魔王』を髣髴とさせる。
ただし、結末は『魔王』とはまるで違う。

たった今までそこにいた人間がその人の意思とは関係なく死に至らしめられる。
そのことによって引き起こされる事柄が関係者全員に重くのしかかることをこの物語は淡々と描いている。

『繋がれた明日』はおととしNHKでドラマ化されている。
残念ながら、私は見逃してしまっていてDVD化もされていないようなので、ぜひ再放送をしてほしいと思う。

ドラマの『魔王』、小説の『繋がれた明日』
どちらもエンターテイメントとしてこの世に生み出された作品ではあるが、視点を変えることによって与えられる印象の違いに驚くばかり。

こういうテーマについては、折に触れて考えることがあって、とりあえず今の私の感想はこんな感じというだけであり、自分の気持ちを十分に表現し切れてないなと感じる。
また、そのうち蒸し返すことになると思う。



「Johnny Hell」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 浅井健一



2008年08月08日(金)
幸福な朝食、退屈な夕食

ちょっとだけ期待して本屋に行ったらあった!

「別冊カドカワ 総力特集 斉藤和義」





ゼクシィのCM曲「ウェディング・ソング」が去年大ヒットして、斉藤和義の名前はついに一般的になった。
今年、斉藤和義さんはデビュー15周年。
イベントがあったり、記念のCDが出たりいろいろあるようだ。

そんな中、ネットで「別冊カドカワ 総力特集 斉藤和義」をついこの間知った。
音楽誌じゃない雑誌のムック本なので、どんな内容だろうと気になってしょうがなかった。

ネットでそのまま注文しようかとも思ったのだけど、本屋めぐりをして目に付いてからと自分に言い聞かせ(!)ていたところ、昨日早速遭遇してしまったわけなのさ。

わくわくしながらページをめくる。
どうせ買う気でいたので、本人のインタビューは後回し。
たくさんのミュージシャンがお祝いの文章を寄せている。
漫画家や小説家、はては作詞家まで。
プロの作詞家である森雪之丈さんが斉藤さんの詩の世界を分析していて、プロならではの意見を読んで"そうだろ、そうだろ〜♪"などとにやにやしながら立ち読みしてしまった。

インタビュー、対談はもちろん、つい最近発売されたシングルコレクションの全曲の本人レビュー。
斉藤和義を知るためのもろもろの情報など盛りだくさん。
ちょっと気になる人は本屋へ走れ!

やるきなさそうな歌声とバリバリのギターサウンドが妙な調和を見せる斉藤和義サウンド。
どこかにありそうだけど、案外みかけないこの人のサウンドをもっとたくさんの人が楽しんだらいいなあといつも思う私なのである。

ミュージシャンたちが斉藤和義の曲で好きなものとしてやたら「幸福な朝食、退屈な夕食」をあげているので、とうとう頭の中でハードローテーションし始めてしまった。
私も好きな曲なのでいいんだけど。

今、TVではアリナミンVのCMで斉藤和義さんの声を聴ける。
"どんな〜にがんばってみ〜ても あ〜なたを愛しても"ってね。
9月にリリースされるらしい。
とても楽しみだ^^



「幸福な朝食、退屈な夕食」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 斉藤和義



2008年08月06日(水)
Over The Rainbow

日本版『魔王』第5話。
思ったとおり・・・というか、やっと明かしてほしかった真実が明かされたなあ。
いやはや、そういう意味では5話までが長かった^^;

ようやっと比較しても問題ない程度に日本版が展開したので、今回は本家韓国版と日本版を単純比較してみた。
結果的に本家のネタばれになる可能性もあるので、これから本家を見ようと考えている人は以下は読まないほうがいいかもしれない。

日本版を見ていて、本家は"少しだけ気になるけど見る気はない"という人と本家を見た人は読んでみると面白いかも。
日本版にあって本家にはないといったような表現内容についての比較です。

せっかくリメイクなのだから、お国柄による演出の違いや解釈の違いなど研究(!)してみるのも一興だと思う。
あまりにも"本家が!"という意見が目に付くのでこんな意見もあるよということで^^



本家ではここまでの話が11話分くらい使われている。
正直、半分くらいははしょっても大丈夫なエピソードなので、削りに削って(多少無理な展開や設定もありはするものの)5話にしている日本版はそういう意味でうまい作りにしてあると思う。

ただ、公式サイトの「裏魔王」ではこれでもかというほど詳細にはしょった分見えなくなった演出内容が説明されている。
正直、詳細に書きすぎだわ。
そこんところは、見ている私たちに想像させてほしいなあと思う。

日本版では前半で本当に重要なネタは第5話まで隠されていた。
前にも書いたけどそれのせいで逆に次を見たいと思わされてしまう。

本家では、その時点ではあまり重要じゃなくても先にネタばらしをしてあって、そのネタが必要になるまでに時間がかかるので話の展開が遅い。
どちらかというと小説を読み進めている感覚に近いなと感じる。
韓国ドラマはとにかく展開が遅い。
それに慣れているならともかく、日本のドラマやアメリカのドラマのようにスマートに早く展開するドラマを見慣れていたらそのあたりがかなりいらいらする。

実際、私もあまりにだらだらと話が進むので本家のほうは11話ぐらいまでは見ながら居眠りしていたところもあった。
ただし、2回目以降に見るとそういう些細なシーンにも細かい配慮がされていることに気づかされまじまじと見ることになったのだけど。

映画『獄門島』の感想を書いたとき、小説では感覚的に表現されていることが、映画では単純化されるために分かりやすい設定と表現にしてあるのにうなったと書いたが、日本版『魔王』でも同じことを感じた。

たとえば新たに届いたメッセージ"Live=Evil"から"雨野真実(アマノマコト)"のアナグラムを連想させるようにしたトリックは本家には出てこないのだけど、これがあることで犯人が主人公にヒントを与えていることをはっきりと視聴者に印象付けた。
また、残りの話数から考えると話の展開を早くさせるのにも一役買っている。
本家では12年前の事件当時すでに大人の立場だった2人の人物が刑事とは関係なく調査を行う。
そこに時間がかかりすぎているのだ。

ただし、日本版は展開があまりにも速いので登場人物の心情にはシンクロしにくく、繰り広げられる事件の展開のみに釘付けになってしまう。

本家のほうは登場人物にシンクロしやすいような演出をしてあって、意味ありげなショット・表情・セリフの応酬が続き、まるで演劇を見ているような気分になる。
過去の事件の回想が何度も挿入され、心に引っかかるようになっている。

そういう演出は日本映画の『ゆれる』(香川照之、オダギリジョー主演)を思い出させる。
(本家『魔王』のそういう演出が気に入っている人はぜひ一見を。)

成瀬領(大野智)は過去を回想することで自分の気持ちを高めるシーンが何度も挿入されるが、芹沢直人(生田斗真)については、第5話で明かされた11年前の直人と真中英雄(竹内寿)だけが知る真実が明かされるまではちょっと想像しにくい。

役者の演技については、好みの問題もあるので特にいうべきことは見当たらない。
全体的な人物設定は少し本家を意識しすぎているとは感じるが、それは演出のせいであって役者のせいではないように感じている。
主人公に関していえば、本家とは違う人物像を出せていると思うので、本家と比較した違和感はまったく感じていない。
物語のスピードも表現も違うのだから、比較のしようがない。

とまあ、こんな感じで『魔王』前半部分は、なかなかスリリングでシャープな演出だったなと個人的には結構満足している。
後半、物語はますます複雑化してくるだろう。
芹沢は成瀬にたどり着けるんだろうか?
成瀬は次に何を考えているんだろうか?
山野と成瀬の関係は???

気になることは山ほどあるのだ〜♪

「Over The Rainbow」
WORDS BY E・Y・ハーバーグ、MUSIC BY ハロルド・アーレン



2008年08月05日(火)
ハミングバード

7月の第3週目は3日ほど広島へ研修に行った。
その中で1泊することになったので、懐かしい友人たちと数年ぶりに会うことにした。
会えなかった期間を考えるとほんの少しの時間だけど、でもとても暖かくて楽しい時間だったわけなのさ。



ほんとに数年に1度思い出したように会う友人たちだが、会うと昨日別れたように話は弾む。
それぞれ隠している事柄もあるけど、月日がたち"実はあの頃ね・・・"と口に出せる気安さがある。
もちろん、この友人たちのほかにもこの国のいくつかの街に私の友人がいる。
出会えば、今回久しぶりに会った友人たちと同じように昨日別れたように話が弾む。
ただ、彼女たちはすぐそばにいないだけ。

普段は単独行動することが多く、この友人たちとの楽しい時間も忘れてしまっているので、時々"私って本当に友達がいないよなあ・・・"と勝手にへこんでしまうことがある。

でも友人たちに久しぶりに出会った時は、"自分にも友達がいるんだな"と理解し、なんだか心の中がほっとするような感じがする。
でも離れるとやっぱり寂しくて忘れてしまうのだ。

彼らに次会えるのはいつになるのか分からない。
明日か数年先か数十年先か・・・。
でも、彼女たちの気配が一人でいる私に暖かさを与えることを今回の再会で自覚したから、この頃は一人でいて寂しさを感じてもすぐに勇気が出てくるようになってきた。

こんなことを書いていたら、ここ数年会っていない他の友人たちにも顔を見せに行きたくなってきた。



「ハミングバード」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 斉藤和義



2008年08月04日(月)
獄門島のテーマ


やっとレンタル屋からDVDが届いたので、市川崑監督作品『獄門島』(石坂浩二@金田一)を見た。

その数日前に友人からスカパー!で上川隆也@金田一版の放送をしていると連絡があり、帰宅してすぐTVをつけたのだけど、ほとんど終わり近くだった上に録画予約の都合上終わりが見られなかったので残念。
再放送がないか探しているのだけど目に付かない(涙)
チラッと見た感じでは、種明かしの内容が原作と違っていたのでとっても気になっている。

以下、思いがけず熱が入って、感想が長くなってしまった^^;



まず、この映画とは直接関係ない感想。
普段私はトリニトロンのブラウン管でスカパー!(アナログ)で放送している映画やドラマなどをそのまま見たりHDD→DVD化したものをミニコンポのスピーカーで音を出しながら見ている。
製品版DVDもたまに買ってきてみるのだけど、今回この『獄門島』を見て、やっぱり製品版DVDはTV録画したものとは雲泥の差だなと感じた。
もちろん、この先デジタル放送をデジタル録画できる機器を手に入れることが出来ればあまり気にならなくもなるのだろうけれど、やっぱり高額な製品版DVDは当たり前だがきちんと手をかけてるので高いのだと改めて納得した。

意外にも音楽が明るい感じでものすごくかっこよかった。
原作の雰囲気を考えるとちょっと異質な感じを受けたのだが、私の好きな感じだったので物語が進むうちになじんでしまった。

横溝正史作品を読むようになってから、文章の中で動き回っている金田一耕助が実体を持って画面の中で動き回るのを見るのは初めてなので、とても新鮮だった。
石坂浩二@金田一ってめっちゃめちゃかっこいいじゃないか〜♪
『魔王』の意地悪父さんとは雲泥の差^^;
あまりどもらないので、正確には原作@金田一とはまた違うイメージなんだろうけれど。

実は個人的に古谷一行@金田一のイメージが強かった。
TVで何度もやっていたのを覚えているせいだろう。
原作を読んでから持ち始めた金田一耕助のイメージは派手ではないけど割とハンサムで、物腰もスタイリッシュで都会的な感じでどちらかというと色男っぽい感じ。
アメリカに行っていろいろ悪さもしている人だという設定なのでそう感じたのかもしれない。
なので、古谷一行さんだとおじさんっぽくて違うんだな。
かといって、自分で具体的なイメージを持っていたわけではなかった。
文章だけで読んだ人や物を具体的に思い浮かべるのはもっとも苦手なことなので。
そんなわけで『獄門島』の一番最初のカットのアップでドキッとして"おお、金田一耕助だ・・・"と納得してしまった。
物語中でもどやどやと前に出てきて推理するわけではなく、どちらかというと控えめで、事件を見守っているという感じ。
私がおぼろげながら持っていた古谷@金田一のイメージが吹っ飛んでしまった。
もう私の金田一像はこれで固まってしまった。

原作があると事前に分かっている映画については、その作品が知らなかったりまだ読んでいなかったりした場合には映画化されたものを先に見るようにしている。
文章で表現された世界を映像化するときには必ずいろいろな制限や表現の違いから原作とは違ったものになる可能性は否めない。文章のほうが細かく表現されるわけだからそれはしょうがない。
だから、先に映画を見ることにしている。

それでも最近は、すでに読んでいる作品(小説なり漫画なり)が映画化されることが多くなり、そうも言っていられなくなったので文章と映像とでどんな差が出るのかを楽しむようにしている。

市川版『獄門島』は原作と違う趣を持っている。
監督いわく、前2作と同じようにしたかったので変えたそう(それを書いてしまうとネタばれになる)なのだけど、私はちょっと目からうろこだった。
ただ、結果的に事の発端はやっぱり同じ人物だと思った。

原作の犯人の殺人動機は文章で読む分にはじわじわと染みて納得できる。
ある程度自分で選んで本を読む読者ならそれを楽しめる。
ただ、映像だといろんな表現が単純化されてしまうので、原作のままだとちょっと犯人像としては弱くなったかもしれない。
映画版の犯人の動機は割と単純に分かりやすいと思った。
それも悪くないなと。

原作にはない早苗と金田一のちょっとしたロマンスも添えられていてちょっとどきどきした。

原作を元に脚本を起こす作業は面白そうだなあと最近思っていたのだけど、『獄門島』を見てその技量のすばらしさにうなってしまった。(それで最近は、映画やTVドラマの見方が変わってしまったなと自分で感じてちょっと寂しかったりもする。)
『獄門島』は原作とは展開は違っているけど、原作の雰囲気をそのまま映像にしていると思えたのだ。
これはもう一種の職人芸だなと感じた。

また、役者がそろっている!
一番うなったのは東野英治郎さん。私的には水戸黄門なこの人が、嘉右衛門!!
エロ爺ぶりが板についていた^^;
でも、私の持つイメージにはとても近かった。
次は大地喜和子さん。
お志保はこの人しかいないでしょう〜♪
この作品は、結構説明ゼリフが多いなと感じたのだけど、お志保もかなり説明させられていた。
それがあまり感じられないセリフ回しにうなってしまった。
でもまあ、大好きな名女優の一人なので彼女が出ているだけでも私にはうれしかった。

早苗の大原麗子はかなりイメージが違っていたけれど、全体的なバランスでいうといいのかもしれない。

清水巡査の上条恒彦さんはイメージどおり。
床屋は娘がおしゃべりという設定に変わっていたけど坂口良子さんがかわいいのでいいか。
鵜飼はピーターできまり!
お志保との絡みもなにやらあやしげで雰囲気がよく出ていた。
もしも新しく作り直すとしても、彼のような中性的な雰囲気を出せる若者がいないかもしれない。

了然和尚は割とイメージどおりだったけど、坊主じゃないのね^^;

映像の感じは赤がとてもはっきりしていて美しかった。
島の町並みもとても雰囲気があり、今ではこういったものもあまり残っていないんだろうなあと感じた。
海の光の反射がなんとも言えず、島の閉塞感が出ている。

一番うなったのは、みんなでお花を探しているとき了然和尚のちょうちん。
文章で読んでいたときよりも数段闇が深く感じられ、これなら分からないよなあと空寒くなった。

発見される殺人現場はあまりにも色彩が鮮やかでそれが残酷なので印象に残ってしまうだろう。
ただ、先に原作を読んでいたので、それほど衝撃を感じなかった。

また、草笛光子さんのお小夜聖天はすごい色気だったなあ。
この方も大好きな名女優のお一人だが、楚々とした武家の奥方からお小夜のような妖艶な女まで演じ分けられるのはさすがである。

文章で読んでいる間は、女性の登場人物のもつ色彩や息遣いを想像し難かったのだけど、市川版『獄門島』ではそれらが現実感を持って表現されていて目に焼きついてしまった。
そのほかの建物や船などが古ぼけていて色がちょっと抜けた感じなので、そのメリハリはいっそう際立っていたと思う。

しばらく他の『獄門島』を見るのは控えようかなあ。

「獄門島のテーマ」
MUSIC BY 田辺信一