この間『行列ができる法律相談所』で俳優の市原隼人くんが中学3年生のときからずっと一人の人とお付き合いをしていて、いつか結婚するつもりなんだと告白をしていた。
市原君は現在21歳。 逆算するとデビュー当時から付き合ってることになる。 いやはや、思い切った発言にさすがの私もびっくりした。
・・・ん?
そういや、昔そんな内容の漫画があったなあ。
という事で、以下は市原隼人くんの話でよみがえった懐かしい漫画の話^^
昨日まで隣の席で一緒に勉強していた彼が今日はTVアイドルになってしまった。 しかも、主人公の女の子はずっと彼に片思いしていて、TVの世界に行ってしまう直前に彼のほうも彼女のことを好きだったことがわかって二人はひそかに付き合いだすのだけど、そこにはさまざまな障害がある。 そのうち彼のファンの子達にも目をつけられて女の子は危ない目にあってしまうのだけど、結局すんでのところで彼が助けて・・・な、なんとファン公認の仲になっちゃうんだよなあ・・・・という漫画が昔ありました。
調べてみたらくらもちふさこさんの「白いアイドル」と続編の「青いリサイタル」がそれだった。 アイドルものといえば、私の中ではくらもちふさこ先生なんだな。
彼女の描く主人公はかなりドンくさくって、そばかすがあったりしてお世辞にもかわいくない。 要領は悪いし、おとなしくって目立たない。 主人公がそんな感じなので、容易に感情移入出来てしまうため、幼い私はどきどきしながら読んだもんである。 そんでもってそういう主人公をスカウトにあうくらいかっこいい男の子が好きだったりするんだよなあ。 やっぱりそういうのに憧れがあったからね。
くらもちさんは芸能界ネタとは関係なくそういうネタふりが多かった。 今現在少女漫画誌で読まれている漫画の原型はなんとなくどれもくらもちふさこさんの作風が元じゃないかなあと私はひそかに思っている。 くらもちふさこさんは少女漫画の代名詞と言っても過言ではない。
デビュー当時に比べると最近の漫画はかなりデフォルメが進んでいて単純化している。 最近映画化された「天然コケッコー」と「白いアイドル」あたりを比べるとかなり絵の感じが変わっているので、びっくりする人もいるかもしれない。
中高生の頃は少女漫画をかなりたくさん読んでいて、その他の好きな作家の作品にもやはり芸能界ネタがあった。 もしかしたら、当時そういうネタははやりだったのかもしれない。
くらもちふさこさんだと上記の作品のほかに「糸のきらめき」「スターライト」「アンコールが3回」一番最近の作品では「α」 どれも人気歌手・アイドルであるがゆえに苦悩しながら愛を育てる話。 「+α」はちょっとSF的な不思議な感じの展開をするけれど、それでも基本的にはうまくいかない恋愛のあれこれがつづられる。
川原由美子さんの「ソルジャーボーイ」 数年前に文庫化されていた。 両親をなくした少女がとある人の目に留まり歌手デビューすることになるのだけど、なんと性別を偽ってデビューすることになってしまう。 ライバルの青年と恋仲になったり、なくなった母親のことがわかったりと波乱万丈な物語。
三浦浩子さんの「おとめ気分」 「おとめ気分」はおとなりのお兄さんのまねばかりしていた少女がミュージカルに目覚めてトップスターへの道を歩む話。
ここまでくるとかなりマニアな感じ^^;
池田さとみさんの「シシイ・ガール」 これはちょっと趣の違う芸能界もの。 父親の復讐を遂げるためにスターダムにのし上がろうとする少女の話。 ラストに結構はらっと来る。
奥友志津子さんの「エピタフ(記念碑)」「STAR TRAIN」
この2つは女性ボーカリストの話。 特に「エピタフ」は読んだときに衝撃を受けた。 なぜなら、同じような物語を頭の中で考えていたので^^; トップアイドルになるべく大切に扱われていた主人公が、彼女を利用してスターダムにのし上がろうとするロックミュージシャンに翻弄され、ぼろぼろになった後に再度スターダムにのし上がるまでの話。 今読んでも結構くるのだ。
「STAR TRAIN」は、やはりトップスターにあこがれる少女がデビューしていろいろなことを体験していく話しなのだけど未完の作品。作者の奥友志津子さんは現在漫画化活動をやめてしまっている。
今でもこういうネタの少女漫画はあるのかな。 少なくとも今流行の"萌え"ネタではあると思うのだけどね。
バンドネタははずしてみた。 それはそれでまた1本かけそうなので。
「傷だらけのローラ」 WORDS BY さいとう大三、MUSIC BY 馬飼野康二、PLAY BY 西条秀樹
2008年07月28日(月) |
People are Strange |
日本版『魔王』をおさらいしてみる。 第4話までネタばれと所感あり。
あ、ここまで見て思ったこと。
第4話まで見て本家『魔王』に興味を持ってこれから見たいと考えている人は、日本版放送終了後に見ることをすすめます。 本家と日本版ではネタばらしのタイミングがまったく違うので、日本版でまだ秘密になっている事柄を先に知ってしまうことになるからです。
かなりたくさんの情報が第4話ではもたらされた。 それまで中途半端にしかわかっていなかったことが、ちょっとだけはっきりしてなんとなく役者がそろいつつあるって感じ。
私が本家を見ていると知っている人にはあれはどうなるの、これはどうなの・・・といろいろ質問されていて、答えたいのに答えられない〜という状況の今日この頃。 中途半端に情報が見せられているので、私もちょっともぞもぞしてしまう。
そういえば、中途半端に分かっている事柄って全容が知りたくなるもんだよね。 芸能人の交際関係とか、隣の家の家庭状況とか・・・。
・・・なるほど、そのあたりをたくみにあおっている演出なんだな。
第3話までに(登場人物に対してではなく)視聴者に対してなんとなく明かされていた情報。
まず、一連の殺人事件の主犯は成瀬領(大野智)らしい。 目的は芹沢直人(生田斗真)のようだが、彼をどうしたいのかはまだよく分からない。 とりあえず11年前に起こったある事件のことを思い出させようとしているらしい。 11年前の事件とは、芹沢が成瀬の弟英雄を刺した事件。 英雄はそのとき死んでしまった。 それが原因で成瀬の母親も死んでしまった。 芹沢がナイフをむけ、英雄が刺されたにもかかわらず芹沢は正当防衛で無罪になった。
第4話ではっきりした情報。
咲田しおり(小林涼子)は11年前の事件に関係がある。 そこまでの話では彼女がサイコメトラーであり、3年前に迷宮入り寸前の連続殺人事件の解決に一役買ったことだけが明かされているだけだった。 そのためなし崩しに芹沢に今回の事件にかかわらされてしまった感があった。 でも、成瀬が図書館や教会に何度も出没し、彼女をじーっと見てたり自分の触ったものをわざと触らせたりするので、なんらかの関係があるらしいというのは匂わせていたけど、どうかかわっているのかがよくわからないままだった。来週さらにはっきりするようだ。
次に11年前の事件が今回の連続殺人事件の発端であることがはっきりた。 芹沢は当時自分たちがいじめていた山野圭太(清水優)を容疑者ではないかと考える。 捜査活動の方向がはっきりしたため同僚に芹沢の過去が明かされ、11年前の事件の関係者の洗い出しが始まる。
それにより判明した事実として、英雄は真中という苗字で兄の名前は友雄。 母は英雄の通夜の最中に亡くなり、戸籍上は兄もすでに亡くなったことになっている!
また、山野の回想シーンより英雄を刺したナイフは山野のものだということも明かされる。
空(大野百花)への面通しで山野が事件にかかわっていることが暗に示されたが、役割はまだよく分からない。
山野は第1話ですでに殺人現場に出没している。 芹沢はまったく気がつかなかったけど。
そう、芹沢は卒業アルバムを開くまで山野のことなんてこれっぽっちも覚えてなかった。 それなのにいきなりやってきて犯人呼ばわり。
もう少し冷静な調査活動が出来ないもんなのかと訝ってしまう。 こういう短絡的な行動が芹沢を窮地に追い込んでるとも見えるんだけどなあ。
実は山野の回想シーンで涙が落っこちてしまった。
自分の持っていたナイフが自分を苦しめている人間によって自分の一番の理解者を殺してしまった。 芹沢が英雄を刺す現場を山野は見ていた一人だったんだ。 しかもそいつは正当防衛で無罪になっている。
芹沢に腕をつかまれた山野の様子から、彼がその当時どれだけの恐怖を感じていたのかが伺われた。 なのに芹沢は忘れてたんだよ。
山野が芹沢にはき捨てるセリフが痛かった。
「友達が死ぬのって本当につらいよね。」
あの瞬間まで芹沢は、自分の友達が殺された憎しみにだけとらわれていて、自分以外の人間の痛みなんて考えたことすらなかったのかもしれない。
私はどうしても芹沢直人って男が好きになれない。(生田斗真くんじゃなく芹沢直人ね^^;) でもそれは、自分自身の中にある芹沢直人的な要素に過剰反応している可能性もあるな・・・なんて思ったり。 だからといって、成瀬に肩入れしているわけでもなかった。 でも、今回かかわりがはっきりした山野には肩入れしてしまいそうだ。
あやふやだった事柄がいくつかはっきりしたことで多少すっきりするのかと思いきや、新たな人物の登場でますます11年前の事件のが気になってきた。
あっという間に第4話。 この頃のドラマの中ではかなり速い展開で、めりはりのある物語なんじゃないかなと思っている。 過去の事件・進行形の事件に無自覚のまま巻き込まれている人間たちにはそれぞれの思惑と願いがあり、一筋縄ではいかない。そのため互いの係り方が芝居じみている。 私なんかはそのあたりにいろんな含みを感じて次に何が起こるのかちょっとわくわくしている。
「People are Strange」 WORDS & MUSIC BY Jim Morrison、PLAY BY The DOORS
2008年07月22日(火) |
青い鳥はいつも不満気 |
先週は研修ばかりの日々で後半は泊まりもあったので、移動中の空き時間に読みかけの本を完読し、この頃の私にしては厚めの文庫本(上下巻もの)の上巻を半分読んだ。
完読したのは横溝正史「獄門島」 目下のところ、これの映像化作品を見たいのだけれど、レンタル屋のカードがどこかへ行ってしまい、まだ体験できずにいる・・・^^;
とりあえず備忘録風コラムにしておこう。
とあるブログがきっかけで読み始めた横溝正史作品。 今のところ、金田一耕助が出てくる作品を古い順から読んでいる。 「獄門島」は彼が登場する3作目で、まだまだ探偵としては未成熟な時期。
実は「獄門島」は知っていても物語は知らなかった。 金田一耕助が出てくる探偵物というくくりしか持ってなくて、あまり興味がなかったのである。 推理はするけれど、思い込みが激しくって後の祭り〜ってことが多いような気がする金田一耕助。 でも、その人柄がなんだか憎めなくって徐々にはまりつつある。
すでに読んだ3作品より後の事件を描いている「八つ墓村」を先に読んだけど、金田一耕助が活躍しているという感じではなかった。内容はかなり怖くて、映像化したものは見たいような見たくないような・・・。 でも、「獄門島」の金田一耕助は活躍しているわけではないけれど、登場シーンが多く、次々起こる殺人事件の渦中に知らず巻き込まれている感があり、かなり印象に残る。 こちらは物語自体がショッキングで、人間の業の深さというのをまざまざと見せ付けられ、これまで読んできた中では一番の後味の悪さである。 あまり深く描きこまれていない部分をちょっと想像力を豊かにして掘り下げると・・・なんか抜けられなくなってしまう。
いろんなことが同時に起こって(それは後で分かるのだけど)、本当は単純な連続でしかない事件を複雑なものにする。 今のように情報が早く正確に伝わる時代ではないことと、時代背景がこの事件を複雑にしてしまう。 そのあたりに想像が及ばないと絡まりあった糸をほぐすことはかなり困難で、私もぜんぜん想像できなかった。 読み終わってからう〜んやられたと思ったのだけど、金田一耕助のぼんやりした推測を文章として読まされるので、結果的に彼の与える情報に読み手である私の頭が偏っていくようになっているよなあ。 そのため、金田一耕助が行き詰ると読み手の私も手詰まりになるという感じ。 最後の最後まで、金田一耕助は全部の手を見せないので、はてなマークを飛ばしたまま、どきどきしながらページをめくったわけなのだけど・・・。
最後の最後に明かされる真実がこの物語をショッキングな結末に持っていく。 このあたりはえええっ!と驚いたまま、ころころころっと転がってしまうのだけど、いや、実際こういうこともありうるかもしれないなあと微妙に納得したりして。
金田一耕助はそのすべてを見ながら・・・。 この後の彼の探偵活動にそのあたりがどういう風に反映されるのかってとこにも興味が沸いた。
が、あまりどっぷり浸かってあっという間に読んでしまうのも惜しいので、金田一耕助が出てこない横溝正史作品も間で読もうと思っているだけど、本屋にない〜!
「青い鳥はいつも不満気」 WORDS BY UA、MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY AJICO
土曜日はBoogie Houseに行こう。 またまた地元ミュージシャンのライブへ。
今週は2組。 どちらも私がBoogie Houseに足を運び始めた頃から知っているミュージシャンたち。
音楽は、ただ楽しく聴ける日もあれば、心のそこに隠れていた気持ちが少しずつ浮き上がってそこを静かに触られているような気持ちになってやたら泣けてきたりするときもある。 この日は少し気持ちが繊細になっていたようで、どちらのライブでもうっかり涙が落っこちそうになってしまった。
まずは KA-YOから。 ピアノとアコースティックギターを擁した3人組のユニット。 まずはかなちゃんのピアノとKAYOちゃんのヴォーカルで始まる。 時間の制限がなければ、きっとずっと無心にピアノを引き続けるだろうかなちゃんのピアノをライブハウスで聴くのは久しぶり、相変わらずゆらゆらと揺れながら、気持ちよさそうにピアノを弾いている。 心地いいピアノの揺れにKAYOちゃんの歌が相乗りといった感じ。 彼女たちの選曲はなかなか絶妙。 ちょっと物悲しい感じのメロディーが私の気持ちをなでていくような感じで、ステージで微笑を浮かべて歌っているKAYOちゃんの声を聴いていたら、とてつもなく切ない気持ちになってしまった。 でも、なんとなく慰められているような気分にもなってた。 ピアノの音を普段余り耳にすることがないからかもしれないが、あのちょっと丸い感じの音がこの日はとてもしみた。 途中からYamaさんが合流。 先週はマスターとの絶妙な掛け合いを聞かせてくれた彼は、今日も相変わらずかなちゃんのピアノとKAYOちゃんの歌を受けて、控えめに自己主張をする。 この3人はとてもバランスがいいなあと思う。 この日聴ける予定だったオリジナルを今年中に聴けたらいいなあ。
ちょっと時間を置いてこの日の大トリ酒井勝さん。 いつもどこかのカウンターでグラスを傾けているイメージの人。 昔何度か3人組のユニットで演奏するところは見たことはあるけど、勝さん一人のライブを体験するのは今回が始めて。 これがなかなか・・・染みた。 やっぱり日本語って直接入り込んでくるなあ。 1曲1曲に勝さんの人生が見える感じ。 しかも、自分の人生にもなんとなくリンクする感じがあって、やけに入り込んでしまってこちらも何度もうっかり涙が落っこちそうになった。 メインでギターを弾くところを始めてみたのだけど、ちょっと独特でなんとなく日本風って感じ。 勝さんのギターも味があって好きになった。
今回は、それぞれの音を楽しむという感じじゃなくて、全体的に心に響いてちょっとだけ寂しくて、でもなんかあったかい感じを貰って帰ったという気分。 そういう気分を楽しみながら、帰り道の私の頭の中に鈴木雄大さんの「ビータ・ブルース」って曲がエンディング曲として流れたのでした。
2008.07.12(SAT)*Acoustic Live*(at周南Boogie House) 「ビータ・ブルース」 WORDS & MUSIC & PLAY BY 鈴木雄大
うっかりはまった本家『魔王』 一昨日、とうとう最終回まで見てしまった。
が。最終回まで見たら納得いかないことが噴出。 今日は日本版『魔王』第2話の放送日だけど、どうしてもその納得いかないところを書いておきたくなった。
なので、久しぶりに韓国ドラマのレビューを。 (何年ぶりだ?)
※以下は、いきなり最終回に言及しています。 まだ結末を知らない人やこれから日本版『魔王』を見る人で結末を知りたくない人は見ないでください。
ラストシーンを見ながら"スンハ=テソンにとっての"魔王"はオスだったのかな"とTVに向かって思わずつぶやいてしまった。 テソンの最終目的は自分の命を奪わせてオスにもう一度同じ苦しみを与えることだったのだろう。 だけど、予測外のことが起こってしまう。 ・・・最後の最後まで、なかなか凝った演出だった。(そのことについてはまた別に時に書きたいと思う。)
最終回を見て、私は納得いかなかった。 19話まで見て一番の被害者はもしかしたらヨンチョルなんじゃないかと思い始めたから。
ヨンチョルがオーストラリアから呼び戻され、カメラを渡されるエピソードが最終話で出てくるが、そのときのテソン(スンハ)の表情にはヨンチョルに対するやさしさがない。 そのシーンを見ながら、テソンがヨンチョルにとっての"魔王"なんだなと感じた。 でも、その直前の2人のシーンでは、少しだけ優しさのある声でヨンチョルに話しかけている。
彼はヨンチョルを利用したかっただけなのか? それとも死んでしまったスンハと同じくらい大切に思っていたのか?
それまでのいきさつを考えると、テソンにとってはヨンチョルもオス側(制裁を加えるべき人たち)の一人としてみていたのではないかと思うのだが、いくらなんでもそのギャップが理解不能。 贔屓目に見れば、ヘインたちから受けた暖かさによって自分がヨンチョルにした罪の深さに気がついたから・・・とも取れなくもないが、そう解釈するにはラストシーンまでの展開中にその話がなさ過ぎる。
唯一、オスの兄が逮捕されるニュースの流れる食堂で、その話に耳も傾けず食事をするヨンチョルが映されるシーンがある。 あの表情からすでに彼の精神は常軌を逸しているとも考えられる。 (私にはその姿がついこの間日本で起こった秋葉原の事件の犯人にダブル。)
すべての発端は、オスがテフンを刺したあの時に始まった。 すべての人が無関心だったためにテソンは孤独を原動力にオスに復讐をすることを誓ったのだろうが、そのテソンからも見捨てられたのがヨンチョルだったと最後まで見て思った。
彼は自分の持っていたナイフで自分をいじめ倒した人間が自分の親友を刺してしまう現場を目撃した。 かろうじて、そのことを警察に通報するが、自分の見たことを証言することは出来なかった。 なぜなら、オスの父親が手を回しヨンチョルの両親の弱い部分をついて口封じをしたからだ。 そのことをテソンに責められ、彼はどれほどの苦しみを感じただろう。 その苦しみを封印してオーストラリアで生活していたヨンチョルのことを呼び戻したテソンは言葉巧みにヨンチョルを復讐計画に巻き込んだのだろう。 ある意味純粋な心を持っていたとも取れるヨンチョル。 なぜそう思うかと言うと、ソラがヨンチョルに懐いていたから。 子供はうそを見抜く、もしもヨンチョルがうわべだけの優しさでソラに接していたなら、彼女がヨンチョルとの約束を守ったとは思えないのだ。
テソンが16歳のまま時を止めたようにヨンチョルの時間も止まったままに違いない。 結局、12年後の事件の際も彼は容疑者の一人でしかなく、事情徴収でも"自分はよくいたことに気づかれないことがあるから"というような証言をしている。 テソンの孤独には気がついてもヨンチョルの孤独には最後までだれも注意を払わなかった。 唯一深読みできることと言ったら、テソンがヨンチョルの部屋をたずねた際に壁にかけてある写真に気がついてはっとする。あの時、初めてテソンはヨンチョルの孤独に気がついた可能性はある。
ヨンチョルのことをきちんと見て接してくれたのは、おそらくテフンだけだったに違いない。 だから、ヨンチョルは、テフンのためだけにテソンの手助けをしたんだろう。 その過程でヨンチョルの精神が少しずつ壊れていったように私には見えた。
私が見たso-net版『魔王』は今放送中の<完全版>ではないので、もしかしたらそのあたりがカットシーンの中にあるのかもしれない。 <完全版>の放送に気がついたのがついこの間なので、15話以降しか<完全版>を見れない。(まあ、そのうち再放送があると思うのだけど。) 少なくとも、15話以降は<完全版>を見る機会があるのでもしかしたら今感じていることは少し解消されるかもしれない。
結局ラストはオスとテソンの話に終始し、それ以外の話は置き去りになってしまった。 それは韓国ドラマではありがちなことなので、それで我慢するとしても、ヨンチョルのことだけはきちんと表現してほしかった。
でも、もしかしたら、わざとそういう余韻を残すためにあえてヨンチョルの最後の登場シーンをあの食事シーンにしたのかもしれない。 もしそれが意図的なものなら、それはそれでとても深い演出だとも思えてくる。
『魔王』の登場人物は個々の物語についてもいろいろ想像したくなってくる。 今回は、視聴中一番気になっていたヨンチョルについて、溜まりたまった思いを書いてみた。
おいおいこのドラマについての思いのたけ(!)を久しぶりに書きなぐっていく予定。
「灰色の信頼」
土曜の夜はBoogie Houseへ・・・が続いている。 先週は顔見知りの地元ギタリストの競演の一夜を堪能。
ギターはやっぱり魅力的な楽器だ。 どんな楽器でも同じだけど、ギター好きの私にはその中でも特にギターという楽器は弾く人によってその音が変わるのが如実に分かるなあと感じている。 演奏している人の性格や癖なんかも垣間見える。 同じ1本のギターでも弾く人が変わると音が変わるもんだし。
今回はタイプの違う6人のギタリスト(4組)がアコースティックギターで競演。 最初に断っておくと、ギターを抱えているだけで私には5割増の男前に見えるので、ちょっとオーバーに感想を述べているところもあるかも。
トップを飾ったのはタッキー。 初めてのソロと言っていたのと、彼のアコースティックギターの演奏スタイルを知らなかったので、てっきり歌ありかと思っていたのだけど、ギター1本のインストゥルメンタルだった。 意外だなと思ったが、これがなかなかどうして、優しい感じで時に激しくメロディーを奏でる。 普段、話しているときは感情があまり動かないタイプに見えるのだけど、演奏中はころころと表情が変わり、楽しそうに演奏していた。 安定したテンポで左手のフィンガリングが繰り出される。 意外にもコード引きではなくアルペジオっぽくフレーズが流れ続ける。 伴奏とメロディーとが混ざり合ってやさしく広がる感じ。 バンドで聴いたことのある彼のエレキギターの演奏は、丁寧で他の楽器の演奏とのバランスがなかなか絶妙で安心して聴いていられるのだけど、アコースティックギターでもそれは変わらないなと感じた。
次の演奏は、魚玉印度(うおたまいんど^^;) 普段はWATER MINDという名前のロックバンドで活動している水心くんと阿部くんのユニット。 水心くんが出演することは知らなかったのでラッキー。 しかし、エネルギッシュにステージを飛び回り、声を限りに歌う水心くんがイメージとしてあるので、アコースティックってどんな感じ?と恐る恐る耳を傾けた。 アコギ2本でもやはり水心くんはエネルギッシュで、バンドのときと一緒だ〜とうれしくなった。 水心くんは歌うのでギターはストローク中心のバッキング。阿部くんがそこにギターメロディーをのせる。実はまだ阿部くんが参加してからのWATER MINDを体験していなくて、彼のギターを聴くのも初めてだった。 ちょっと見は体育会系っぽくてギター弾きな感じではないのだけど、大事そうにギターを抱えて楽しそうに弾いている姿がなかなかいい感じ。 案外丁寧なフレーズを弾く人で、やはり見た目のイメージだけでは当てにならんなあと申し訳なく思った。 エネルギッシュな水心くんのギターとそれと比較するとちょっとトーンダウンした感じの阿部くんのギターは私好みなアンサンブルだったな。次はぜひバンドのほうも体験したい。
3番手は 田崎セイジさん。 この人の演奏はすごいのだ。 地元では彼のようなタイプのギタリストが今までいなかったんじゃないかなあ。(いたらごめんなさい)こういう奏法をなんと言うのか勉強不足で知らないので説明できなくて申し訳ないんだけど、後で他の人に聞いたら押尾コータローさんのコピーだったことが判明。 押尾コータローさんは知っているが、実はほとんど聴いたことがない。 私は田崎さんのギターでしか押尾さんの曲を聴いたことがないので、押尾さんの曲を田崎さんが弾いているという感覚。 美しい音色で、情緒あふれるメロディーが彼の演奏からは繰り出される。 全音域がバランスよく配置され、どれがメロディーでどれが伴奏が分からないが心地よいバランスの音がはるか上空で流れているといった感じ。 ここは地下で今は夜なんだけど、青い空が田崎さんの後ろに見えた! そういや、一緒に行ってたほろ酔い加減の友人は"田崎くんのギターを聴くと恋がしたくなるねえ〜"と言ってたな。うん、私もそう思うよ。 今回のコラムタイトルは田崎さんの演奏した「Passion」(押尾コータロー)が頭から離れなかったので、選んでみた。
トリは Seiji & Yama! Boogie Houseマスターの森永セイジさんと私の大好きなギタリストYamaさんの即席ユニット。 男っぽく渋いマスターのアコースティックスタイルにYamaさんがどう絡んでくるのか。 わくわくしながらステージを見る。 線の太いマスターのギターの上にYamaさんのちょっとだけ遠慮したギターメロディーがのる。 う〜ん、なかなかいい感じ。 Yamaさんはひとりでばりばり"どうじゃこれ〜"と前に出てくるタイプのギタリストじゃない。 常に歌うたいの人とユニットを組んでその歌を聴きながら心地よく弾きたいタイプのギタリストと私は思っているんだけど、今夜もそれは間違ってないなあと思った。 マスターの歌は年々渋みと凄みが増しているけど、演奏自体はだんだん余裕が出てきてるように感じる。 昔からよく歌っている曲もやっぱり年とともにかわるもんなんだなとマスターの歌を聴くとそう思う。
生活の中に音楽があるって幸せだなとこの夜も改めて感じた私なのだ。
すばらしきギタリストの皆さん、楽しい夜をありがとう!
2008.07.05(SAT)*Acoustic Live*(at周南Boogie House) 「Passion」 MUSIC BY 押尾コータロー、 PLAY BY 田崎セイジ
TBS系列のドラマ『魔王』が始まった。 それに合わせて比較したら面白いかもしれないと思ったので、今年頭に録画しておいた本家(韓国ドラマ)『魔王』を見ることにした。
横溝正史にはまっている今、なんとなく気分にぴったり。
日本版第1話の印象と韓国版のほうの印象を書くことにする。
日本版、なかなか面白くなりそう。 いきなり嵐の曲で始まるのは勘弁してほしかったけど(まあ、しょうがないか)
韓国版は去年すでに放送が終わっているし、日本でもアジアドラマチックTV(スカパー!)で放送済みなので、あらすじなどは検索すればいくらでも見つけることができる。 日本版の第1話を見た感じでは、おおすじは韓国版とほぼおなじ内容になると思われるので、まだ韓国版を見ていない(見る気がない)人は、うっかりあらすじ検索しないように。
大野智くんは嵐の中では気になる人ではあったけど、バラエティーに出ているときのイメージしかない。 私の持つイメージはぼーっとしていてあまりしゃべらないおとなしい天然系。 演技するところがぴんと来なかったが、なかなかどうして。 大野くんって表情のない顔が出来るんだなあ。 そういう俳優はなかなかいない。 彼の役はそういう顔をすることが多くなるので、かなり楽しみになってきた。
生田斗真くんはこないだ高校生だったからなあ^^; なんかちょっと変な感じ。 なぜ彼はあんなに熱血なのか・・・は物語が進むにつれて明らかになる(という演出はちゃんとしてほしいなあ。)
2人ともちょっと若すぎるかな?という感じはあるが、静と動の取り合わせとしては悪くない。 第2話が早く見たいなって気にさせてくれた。 今後に期待しよう。
ただし、主演2人が某アイドル事務所所属なので、本家『魔王』ほどのキャラクター設定はされない可能性がある。この物語ではそこが重要な意味を持つので、日本版はあらかじめそこの部分は差し引いてみることにしようと思う。
本家のキャスティングと日本版のキャスティングを比較することにあまり意味を感じないが、大野智くんのキャスティングは本家『魔王』の同じ役柄を見ていると、良くぞキャスティングしたなとほくそえんでしまった。
以下、韓国版の印象を書いていくけれど、微妙にネタばれする可能性があるので、日本版を純粋に楽しみたい人はここで読むのをやめたほうがいいでしょう。
私は面白いと思う。
このドラマでは犯人探しに意味はない。 殺人動機にもあまり意味はないように思われる。 この物語がよく作りこんであるなと思うのは、それぞれのキャラクターが"見たままの人ではない"ということ。
本当に悪いのは誰? どうしてこんなことになったの? 正義ってどう定義するの?
入り込めば入り込むほどそんなことを考えるようにこの物語は作ってある。
人間というのは、忘れる生き物。 自分にとって取るに足らない事柄は忘れてしまう。 そして、自分自身にとって許せないほどの大事は忘れたふりをする。 それは決して記憶から削除されることがないけれど、忘れたふりをすることができる。 そうしないと人間は気が狂ってしまうからだ。
でも、自分以外の人間にとっても取るに足らないことなのか・・・というとそうじゃなかったりする。 案外人はその部分に関しては無関心だ。 だれだって自分のことが一番大切だから。
この物語はその部分をうまく表現している。
発端として描かれるある事件は、日本でもよくあるケース(そして、いまだに隠されている可能性のあるケース)だ。 しつこく描かれる事件の記憶の繰り返し。 とにかく当事者それぞれの記憶が何度も繰り返されるのだけど、それぞれにはそうせざるを得なかった理由があり、それが本人の本意ではなくともそうせざるを得なかった。 しかし、別の当事者にはそんな理由は関係がない。 みんな自分のことに必死でそれ以外の人間に注意を払わない。 そのことが12年後に別の事件として当事者たちを惑わせ苦しめるようになる。
日本版では、その部分がどこまで表現されるか期待したい。 しかし、本家の半分くらいしか放送回数がないので、かなりはしょった内容にはなるだろうけど。 演出のポイントを間違えないでほしいなと切に願う。
「魔王」 MUSIC BY ソ・ミニョン
久しぶりに電車で通勤。
駅までは父に送ってもらったが、15分ほど早く着いたのでホームのベンチに座ってぼんやり人の流れを眺めていた。 久々の朝の駅はなんだかほっとした。 普段人気がないに等しい駅でも、朝と夕方の通勤通学ラッシュ時にはたくさんの人が行き交っている。 そんな光景を見ると、この町にもたくさん人がいるんだなと安心する。 自動車で通勤していると、そういう風景を見ることがないのでなんだかとても新鮮な感じがした。
電車に乗り込むと、高校生たちは試験期間中なんだろうそれぞれノートや教科書を開いて熱心に読んでいる。 ぱらぱらめくっているだけの子 友達が開いているからつられて自分も開いてる風の子・・・などなど。
この間、誰かがインタビューで"学生時代は唯一自分のことだけ考えて一生懸命になっていい時期だと思う"というようなことを言っていた事を思い出す。 うまいこと言うなあと思った。
私は、今日、駅の雑踏の中で妙に安心した。 誰も私の存在を気に留めないし、私も誰かひとりを気に留めることはない。 淡々と生活している人の気配を感じると、なんだかちょっとだけ勇気が出たような気がしたんだよね。 ・・・・なんとなく。
「BE FREE」 WORDS & MUSIC & PLAY BY GReeeeN
2008年07月03日(木) |
Dark Shines |
読書の備忘録風コラムその2。
最近のはまり物、横溝正史の小説。
『時効警察』ネタを探していた時期にとあるコラム系個人ブロクに出会った。 人生経験豊富なおじ様がやってらっしゃるところで、幅広い分野についてさまざまな意見が書かれている。 横溝正史作品が大好きな方で、横溝作品が原作の映画やドラマの比較、ロケ地などについてもとても心惹かれるコラムを書かれている。 たまたま、映画版『犬神家の一族』の比較コラムを読んだ日の夜に2006年版『犬神家の一族』が放送されたので見て、さらに翌日、またまたその方の関連コラムを読んでいたら、だんだん横溝正史作品が読みたくなってきたので、すぐに本屋に行って角川文庫の棚の一番右にあった「八つ墓村」を購入してみた。
私は、探偵小説や推理小説をほとんど読まない。 最大の理由は途中まで読むとどうしても犯人を知りたくなり、最後のところを先に読んでしまうから。 犯人を知ってしまうと、謎解きなどどうでもよくなり結局全部読まずに放り出してしまう。
トリックの説明とかアリバイ工作の推論だとかの謎解きに重点が置かれているイメージがあるのだけど、そういうものに興味をもてないようで読んでいると疲れてくるのだ。
それと本の内容とは関係ない"記憶"も関係している。 子供の頃に父の兄弟が所有していた江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズが全巻あり、読もうとしたのだけど本があまりに古くその匂いと紙の感触が好きになれずにそれがそのままこのジャンルの作品を敬遠してしまう要素になってしまった。(図書館の本が苦手なのもこれのせい) このジャンルの本を手に取るとそういった匂いや感触を思い出すのだ。
あと、小学生時分に本屋に並んでいた角川文庫の横溝正史作品をはじめとした推理モノの表紙の絵が、なんともいえず毒々しく艶かしかったため恐ろしかったという記憶もある。 (今現在本屋にあるのは、黒をベースにしたシンプルな表紙である。)
そんなこんなで、横溝正史・・・どうだろうなあと思いつつ、ページをめくり始めた。
まず、横溝正史さんの文体が気に入った。 ちょっと堅苦しい感じで話し言葉も丁寧で少しまどろっこしい感じ。 設定の時代が戦直後ということもあるが、話し言葉が丁寧で美しい。 カタカナ単語がかなり少なく"日本語を読んでいる"という感じがして読んでいて楽しい。
本を読む上で文体が好みかどうかというのはとても重要だと思う。 最近は内容はとても面白そうなのだけど、文体があまりに簡素であらすじを読んでいるような気分になる作品が多くてなかなか食指が動かない。 そういう意味で、横溝正史さんの文体はとても私の好みに合っていた。
それから、横溝作品では犯人探しは重要ではない。 もちろん謎解きの要素はあるけれど、それは事件のトリックに重点が置かれたものではなく、なぜその事件が起こったのか、どうしてその人はそんなことをしたのかということが物語の最大のポイントとなっている。 そして、、人物設定が奥深くそれらが事件の背景に奥行きを持たせていると思う。 そんなわけで、横溝正史作品は、私の興味を釘付けにしてしまった。
思いのほか「八つ墓村」は面白かった。 本棚の一番最初にあったことと、この小説は現実に起こった連続殺人事件をエピソードに使っていて、昔その事件を映画化した作品を見たことがあったので(故古尾谷雅人さんが主演)選んだだけだったのだけど、いきなりその世界に入り込んでしまった。 読み終わりはなんともいえない余韻が残った。
続いて、「本陣殺人事件」、3冊目は「殺人鬼」(これはまだ途中) こちらは短編集で、先に「八つ墓村」を読んだので、長さ的に少々物足りなさを感じつつも、短編にもかかわらず、手抜きのない設定と流れでうまく構成しているのがすごいなと感じた。 小説を読んでいてもあまり情景が浮かばないタイプの私でも、これの映像化されたものが見たいなあと思ってしまうほど、色の表現が細かくて興味を引かれた。
とにかく登場人物が魅力的。 特に女性は神秘的でなまめかしく色っぽい。 いい人に見えても真にいい人ではなかったりして、人間の裏表を見せられているという感じがする。 だから、物語の終わりは必ずしもいいものではないが、長く心に残る。
それから、最初はあまり気にも留めなかった金田一耕助のことが好きになってきている! これはびっくり。 金田一耕助の描写は、お世辞にもいいものではなく実際目の前でこの人を見たら、ほとんどの人は胡散臭くかんじると思う。 派手に調査活動をするわけでもなく、ただそこにいるという感じなのだけど、金田一耕助が登場すると少しほっとしている自分を発見してなんかちょっと恥ずかしかったり^^;
普段よく読む恩田陸さんが横溝正史さんのような感じなので、もしかしたらよく探せば私の好みに合う探偵・推理小説がもっとたくさんあるんだろうなと思う。
間に違うタイプの本を挟みながら、横溝正史作品を全部網羅しようと思っている今日この頃。
「Dark Shines」 lyrics performed by Muse
以前から注目していた市原隼人くんが『ROOKIES』の安仁屋役で一気に大ブレイク・・・なんだろうなあ。
もっとも3年位前までは連続ドラマにも出演していたし、その後のここ3年は毎年マメに2〜3本の映画にも出演(しかも全部主演!)していてその映画がそこそこ話題にもなっている。 だから、知ってる人は知ってる人気俳優ではあったのだけど、毎週必ずゴールデンタイムに放送されるドラマの威力というのはすごいもので、今では"市原隼人"というだけで普通に通じてしまうほどに市民権を得てしまった。(という状況が実は少しさびしい今日この頃。) 公式サイトもいつの間にあんなに充実したんだって感じデス。
市原隼人君について今書くことに実はかなり抵抗があるのだけど、『ROOKIES』での彼を見ていていろいろ思うところがあったので、こうして書くことにした。
『ROOKIES』は少年ジャンプで連載されていた大人気漫画が原作。 不良少年たちが熱血教師の愛ある指導で野球に打ち込み甲子園を目指すというかなりベタなお話。 市原君はその野球部のリーダー的存在(キャプテンではない)の安仁屋という役を演じている。 どう見ても野球部員は10代の少年には見えず、無理ありありではあるのだけど、去年見た映画『クローズZERO』と比較すると、『ROOKIES』のほうが配役に無理がない気がするし、内容も健全で前向きだなと思う。 夢を持って変わっていこうとする不良少年たちに好感を持ってしまう。
市原君というとヘタレな男の子のイメージが強い。 ちょっとぼんやりした印象でへらへらと何でもやり過ごしてしまう。 そんなイメージになってしまうのは、そういう役が多いからというのが最大の理由だけど、彼が16歳のときに出演した『偶然にも最悪な少年』のメイキングビデオで見た彼の受け答えがまさにそんな感じだったので、私の中でははっきりしないうじうじした少年というイメージが定着してしまった。 "この少年はこれからちゃんと大人になれるんだろうか"とかなり心配したものだ。 彼がドラマの番宣と映画の宣伝でバラエティーに出演しているのを見かけるたびにはらはらしてしまう。
ちゃんとしゃべれるのか〜!
しかし、彼もいまや21歳。 基本的にはあまり変わっていないようだけど、とりあえず文章をしゃべるようになっていて、"お、大人になったよなぁ"とまぶたを熱くしてしまう私なのであった。 これって一種の親心かしら。。。
そんな彼の映画出演作はできるだけ劇場に足を運んで見ることにしている。 ついこの間も『神様のパズル』という映画を見たばかりで、その映画を見て"あれ?"という違和感を感じ、『ROOKIES』を見てさらに"おおお?"とさらに違和感を感じた。
市原隼人という俳優は演技をしているんだろうけど、"ほんとに演技してるの?"といった自然な感じがあり、実際の彼もこんな感じなんじゃないかと思わせてしまうのが特徴だと思っている。
以前から目で訴えかけるタイプだなあと思っていたんだけど、『神様のパズル』『ROOKIES』でははっきりとした意思がそこに加わったように感じるんだな。 そこが私に"なんか今までと変わったな"と思わせるのだ。
バラエティーでの彼の振る舞いや雑誌インタビューでの受け答え、DVDの特典インタビューなどでしゃべる彼の姿や共演者の彼に対する印象などを見たり聞いたりして、"私はとんだ勘違いをしてたんだなあ"と申し訳ない気分になるとともに新しく知った市原隼人という俳優の素に近い姿を見て今までとは違った好感をもっている。 実際の市原隼人という人がどんな人物でどんな生活を送っているのかなんて私にはまるで分からないし知りようがないが、彼はきっと私が見た16歳の頃からいろんなことや人に出会って変わってきたのだろうなあと想像させる。
『ROOKIES』の安仁屋はほとんど毎回眉間にしわを寄せている。 そんな表情自体が私の記憶にほとんどなかったので新鮮だった。 感情を抑えたような声で喋る姿もあまり見た記憶がない。 (正直、年甲斐もなくどきどきしてしまう^^;) そんな表情ができるのは彼の記憶の中にそれに似た感情があるからなんじゃないかって単純な私は思う。 そして、仲間と心底楽しんで笑っている表情を見ると"ああ、いっちーだ!"と安心する。 ドラマなのに・・・^^;
少年だった市原隼人はちゃんと大人な青年になっていた。 なんだかとってもうれしくてわくわくする。
私の受けた感じはあながち独りよがりでもないらしい。
『ROOKIES』の特集雑誌の中で、本人が"なんか今までと違う!"と言い切っているのを発見。 初めて監督の言うとおりに演技しているということなのだが・・・・なんだよ〜ぅ、今までちゃんと演技指導されてなかったのね・・・^^; ということは、天然であの演技だったわけだ・・・それはそれですごいのかもしれん。
インタビューでは、(言葉はあまりうまくないが)自分の意見をしっかり持っていて回りに流されまいとする姿勢がよく現れている。 私が昔見た16歳の市原くんもそうだったのかもしれないが、きちんとしゃべれてなかったからなあ。 そのとき持っていたものをそのまま今も持っているのだろうなと感じる部分もある。 その素直なままで行ってほしいと思う部分もあるが、せっかく演技に目覚めてきたのだし、いいものを持っていると思うので、もう少し専門的に演技の勉強をしてカメレオンのような役者になってほしいと個人的には希望する。(言うのはタダだもん^^;)
「キセキ」 WORDS & MUSIC & PLAY BY GReeeeN
最近、2週間に1冊のペースで小説を読んでいるので、ここ最近読んだ本について備忘録っぽく書いてみようと思う。
機本伸司著「神様のパズル」(ハルキ文庫)
映画を見て"なんだこりゃ"と思ったので読んでみた。 映画はそれとして結構楽しめた。 でもやっぱりなんかしっくりこない。 ベースになっている物語と後付で設定されたキャラクターやエピソードがうまく融合されてない感じがしたので、大抵のものは受け入れられる性分の私にしては珍しく不完全燃焼。
ちょっと調べてみると原作は本格的なSF小説だということだった。 本屋に行くとライトノベル系のコーナーにあり(ハルキ文庫)、表紙の絵もそれっぽいので一瞬躊躇してしまったのだけど、そこを我慢して手に取り読み始めると、なんのなんの私の好きな丁寧な表現で淡々と物語が語られている。 これなら大丈夫だわと読むことに決定。 小説を読んでみたら映画はあまりにもひどい変更が加えられていて、原作ありきの映画制作のあり方についてある種の憤りを感じてしまった。 作家が丁寧に組み立てた物語を自分の手に負えないからと映画制作者が好きなように設定変更してまったく違う作品にしてしまうという手法はいいのか悪いのか・・・? まあ、とりあえずそれは今回関係ない。
「神様のパズル」はとてもまじめなSF小説だった。 物理専攻の落ちこぼれ大学生が単位ほしさに飛び級で大学にいる不登校の少女をゼミに参加させなくてはならなくなった。主人公をまるで相手にしない少女に対してとっさの思いつきで「宇宙は人間に作れるのか?」と投げかけてしまう。 その疑問に反応した少女はゼミに参加することになり、主人公は少女と組んでゼミでそのことを証明しなくては単位がもらえないという状況に追い込まれる。
小説の中には実現されていない実験装置や飛び級なんかが出てくるので現在っぽいが実はその設定自体が近未来になっている。 展開される物理理論は難しくて正直辟易するが、物理の基本も分からないまま講義を受けている老人や物理専攻のくせに基本さえよく理解していない主人公が折に触れて読者の疑問を少女にぶつけてくれるので、なんだか分かったような気分になる。 映画は後半派手な演出がどかんどかんと出現するが、原作は最初から最後まで淡々と物語がつむがれ、エンディングまでも淡々としている。 本当に淡々としているのだけど、なんだか最後まで読んでしまった。 映画については、正直、嫌いな路線ではないだけに評価に困っているという感じ・・・気が向けば感想を書くかもしれない。
恩田陸著「MAZE(メイズ)」(双葉文庫)
何度も手にとってはまたの機会にしようと読まなかった本が文庫本になった。 恩田陸さんの文章表現が私は大好きなのだけど、それ以上に毎回違った手法で描かれる彼女独特の世界に引き込まれたいので選んでしまう。
中近東のどこかの丘に真っ白い迷路が立っている。 その迷路の中に入ってしまうと、帰ってこれない人がいるという。 主人公はそのなぞを解くために現地に向かうのだが・・・。
中学生の頃、日本SFが全盛で特に星新一のショートショートが流行っていた。 この小説を読み始めたとき、あの頃読んだ星新一作品の「おーい でてこーい」を思い出した。 読みすすめているうちに物語中に「おーい でてこーい」を説明するシーンが出てきたので、"なんだ、やっぱりそうなのか〜"とほくそえんでしまった。 恩田陸という作家は、書くことと同じくらい読むことの好きな作家でしばしば自分の好きな作品の手法を使って自分の世界を構築する。 恩田さんが材料として選んだ作品をすでに読んでいれば、どのようにうまく料理しているかが手に取るように分かるので、彼女のセンスのよさに思わずうならされてしまう。 今回もうまい具合に料理されているなあと途中までは思っていた。 正直、この作品に関しては結びが気に入らなかった。 散々期待させておいてそういうオチにしてしまうのかあ・・・って感じ。 でもまあ、ほとんどの部分を楽しんで読めたのでよしとしよう。 あまりに面白かったので、この本は1週間かからずに読み上げた。
「神様のパズル」は相当SF好きでなければ向かないかもしれないが、「MAZE(メイズ)」は本屋で立ち読みでも完読可能^^ 興味のある方はとりあえず本屋へ走れっ!
なんとなく・・・この2作には最近ハードローテーションのMuseが合うと思う。
「Dead Star」 lyrics performed by Muse
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