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セキララな思考。
安井 文
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2007年02月28日(水)
Riches I hold in light esteem

先週インフルエンザに感染。
日曜日には回復したのだが、去年予防接種を受けていたにもかかわらず感染してしまったので、少なからずショックを受けてしまった。
でもまあ、今まで感染した中では一番軽症だったので不幸中の幸いということで差し引きしておこう。

発病直後、病院で診察を終えて出てくると職場の同僚が同じ症状で診察待ちをしていた。
後で聞いたところによると「職場に感染者はいますか?」と質問されたので「さっきの安井さんと同じ職場です。」と正直に答えるとお医者さんがクスリと笑ったそうな。ははは。
その同僚とはほぼ同じ日に感染したと思われるので、感染源はほかにあるはず。

今回はA型ウィルスに感染。
今朝大流行中とニュースで知る。
疑惑のタミフルを5日間服用したが、ニュースで報道されているような症状は私には出なかった。
あれってもしかして10代の青少年に起こりやすいのではないかと思ったり。
因果関係がはっきりしないのでなんとも言えないね。

日曜日にはほぼ回復していたのだが、外出はしないほうがいいだろうと思い中断していた読書で時間をつぶす。
ことのほか面白い経済小説に出会ったので、近頃では最短の1週間で上下巻を読み終えた。
現在土曜日の21:00からNHK総合で放送中のドラマ「ハゲタカ」の原作、真山仁さんの「ハゲタカ」である。



自分がこの手の経済小説に熱を上げる日が来るとは思いもよらなかったが、はまってみるとこれが非常に面白い。
きっかけはドラマのほうだが、原作ものの宿命というか、やはり原作のほうが細かい描写が続くので面白く感じた。
比較してどっちが面白いという観点よりも、脚本家の感じ方ひとつでこんな風に設定や表現が変わるのかということに興味があるので、原作を読み終えた後でもドラマの面白さは半減していない。
ドラマのほうは「ハゲタカ」の続編「バイアウト」までを原作としている。
いかにも意味ありげなオープニングについて「ハゲタカ」にはほとんど描写が出てこないので、それを知りたい私は「バイアウト」のほうも読みたくてうずうずしている。
ただし、こちらはまだ文庫化されていないので、週末にでも最寄の市立図書館に借りにいこうと考えている。

この小説を読み終えて強く思ったことは「借金してまでものを買うもんじゃない!」という非常に当たり前のこと。
小説の中で繰り広げられるお金のやり取りは、一生かかっても手にする機会がないだろう大金なのだが、お金がないのに物を買ったり作ったりするから、本来あったはずのお金さえもなくなってしまうという事例がたくさん出てくるわけだ。
そのこと自体はまんざら人事とも言えない。
自分の生活に置き換えると血の気の引くような内容だと思えたのだ。

どこまでが現実に即していて、どこまでが創作なのかはあいまいにしてあるらしい。
金融用語もなんとなくぼかした表現になっているとか。
そうはいいながら、出てくる企業名や個人名はちょっと想像すれば、あの人かな〜?この人かな〜?あの会社かな〜?と思いつく程度には現実によく似ている。
と言うことは、その中身もひょっとすると・・・と思わず妄想してしまうという愉快な小説である。

小説でいろんな人間に振り分けられていたエピソードがドラマでは一人の人間に集中しているので、今後その人物がどういう役割になっていくのかが楽しみ。とはいうものの、後4回で終わってしまうんだけど。
役者がそろっていて、1時間丸ごと釘付けになること請け合い。
興味の沸いた方はぜひ。


「Riches I hold in light esteem」
WORDS BY エミリ・ブロンテ、MUSIC BY 佐藤直紀、PLAY BY tomo the tomo



2007年02月20日(火)
およげ!たいやきくん

2週間ほど前、学生時代の友人たちに会うために広島へ遊びに行った。
広島駅前にある大きなデパートの中の本屋で、自分の家の近所では手に入らない本を物色したのだが、結局ほしい本は見つからなかった。
かわりに前々から読みたかったSF小説を見つけたので、帰りの鈍行列車(乗車時間1時間30分)で読もうと購入。

オールダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」という作品なのだが、これが久々に私の中にあるSF大好き魂を揺り起こすほどの傑作だった。



オールダス・ハクスリーという作家に興味を持ったのは、アメリカの(伝説の)ロックバンドThe Doorsのヴォーカルだったジム・モリスンの伝記を読んだことがきっかけだった。
ちなみにジム・モリスンに興味を持つきっかけになったのは、バル・キルマーが本人そっくりに演じた映画「ザ・ドアーズ」だった。(メグ・ライアンが恋人役だったなあ)
映画の中で流れるThe Doorsの音楽がとても不思議でかっこよく思え、しばらくThe Doorsばかり聴いていた時期があった。
映画の上映にあわせてジム・モリスン本人の映像(ほんとにバル・キルマーはそっくりだ!)や書籍もたくさん出回ったので、片っ端から本を読んだ。
その中でThe Doorsのデビュー曲「Break on Through (To the Other Side) 」の歌詞がオールダス・ハクスリーの「知覚の扉」という本に影響を受けているというようなことが書かれていたのだ。
「知覚の扉」は現時点で私には読みこなせてない。
薬物使用による知覚の探求というものがテーマなのだが、興味がわかなかったからか妙に難解に感じてしまった。

それで、オールダス・ハクスリーの事を調べていたら「すばらしい新世界」というSF小説があるということを知り、頭の隅にあったというわけだ。

このSF小説は架空世界を描いたSFでこれがとてつもなく醜悪で胸糞悪い話だったのだ。
それは私の想像の域を超えていた。
これほど醜悪な世界を描いたSF小説を私は今まで読んだことがない。
「MATRIX」なんてまだまだ序の口と思える。
スティーブン・キングの読み始め10ページで10人が殺されるホラー小説だってこれほどおぞましくはないと思えるほどだ。
久しぶりに怒りにかっかと頭を燃やしながら読んだ。

しかし、読み進めるのをやめられない。
なぜなら、内容はとても面白いからなのだ。

舞台はイギリスと思われる国なのだが、描かれる世界では人は容姿や知能、知性についても綿密に計算された階級別に工場で"生産"され、睡眠学習を主体にした条件付けを行うことによって自分の生まれた階級や世界に不満や不安、疑問を持つことさえないのだ。
心理的な不安を覚えたときはいわゆる精神安定剤を服用すればいい気分になってそれを忘れることが許されている。
また、幼児期からフリーセックスが奨励され、女性はあらかじめ妊娠しないように作られている。
特定の異性と付き合い続けることはおぞましいことでそれを望む人間はおかしい人といわれる。
家族という概念はなく、人間は母から生まれるという事実は過去の産物で古い考えとされ、そのことを口にすることは最大のタブーで神を冒涜することに値する。
長々とそんな世界のことが語られた後、実はこのように管理されていない場所もあることがわかる。
そして、その管理されていない場所から来た一人の青年が、この管理された胸糞悪い社会を目にしたとき・・・。

この本の中にある世界の常識はどこを読んでも、私が常識と思っているものと反対の内容を示していて、いちいち頭が混乱する。
人間という動物のいやな部分が露骨に表現されているようにも感じる。
しかし、描かれる管理された人間の言動・その姿が自分と重なるような気がする瞬間があったり、今の日本の状況に重なるような気がするという瞬間があったりする。

これが第2次世界大戦前に書かれた作品だというから驚きだ。
人工授精等の科学技術に関しては、現在実現されているし、心理描写にしても現在に通じるものが充分にある。

そして、それらの種明かしをすべて聞いた青年の取る道は・・・・。
いや、久々にかっかしながら読ませてもらった。

「およげ!たいやきくん」
WORDS BY 高田ひろお、MUSIC BY 佐瀬寿一、PLAY BY 子門真人



2007年02月19日(月)
夜へ急ぐ人

先週金曜日、日本アカデミー賞の授賞式が放送されるというので、わくわくしながらTVの前に陣取っていた。
始まった瞬間からなんだか今年は面白くないなあと思いつつ半分ほど見たのだが、司会者もインタビュアーもしけていて(映画出演者はそうそうたるメンバーだったのに!)ちっとも面白くならない。飽きてきたなあ〜と思っていると突然後ろからすごい歌が聴こえてきた。
振り返ると、長い黒髪を振り乱しながら歌う女性の映像が流れている。
ちょっと解説すると、我が家の居間には2台のTVがある。
私は普段家族で見る大きなTVでソファーに座って日本アカデミー賞を見ていた。
母は、その反対側の角にあるほぼ父専用(シーズン中は絶えず野球中継が流れている)TVで、所在無くチャンネルめぐりの最中だった。ふと立ち止まったチャンネルで、その映像が流れていたのだ。

私は思わずそちらのTVの前まで行って「誰?」と母に尋ねたのだが、母が答えるまでもなくすぐにちあきなおみさんだということがわかった。
その映像はある年の紅白歌合戦で「夜へ急ぐ人」という曲をちあきなおみさんが熱唱した映像だった。



なんと「たけしの誰でもピカソ」でちあきなおみさんの特集を放送していたのだ。
私たちは急いで、大きなほうのTVのチャンネルをこの番組に合わせて、しばし見入ったのである。
新聞をちゃんとチェックしていれば、あんな面白くない授賞式なんか見ないで、こっちを見たのに。
貴重なライブ映像はすでに4曲目。
珍しく母も「録画したかったねえ、再放送はないのかねえ」とため息をついていた。

実はこの番組、私の住んでいる地区のローカル民放TV局で数ヶ月遅れで放送されていることを私は知っていた。
そんなわけで、すぐさま番組公式ページを確認したところ、4月に放送されることがわかった。
さあ、今からHDDレコーダーに予約だ!

ちあきさんというと、コロッケさんによる形態模写「喝采」が有名だけど、彼の形態模写は実に彼女の特徴を捉えていると思う。ちょっと残念なのは、その効果で「喝采」と笑いの要素が結びついてしまっていることくらいだ。
逆に言うと、彼のおかげで1992年に活動休止したまま沈黙している彼女のことを若い人でも知っているという功績も多少あると思うのだ。

ちあきさんというと、その「喝采」の抑えた中にも感情が豊かに隠されている歌唱表現を思い出す人も多いだろうが、この日見た「夜へ急ぐ人」はかなり前衛的な表現で、体全体を大きく使っての表現だった。
いったいどうしたんだろうと度肝を抜かれるほどの髪の振り乱しようで、恐ろしくもあった。
今でこそそういう表現は演劇的で前衛的でかっこいいと評されもするが、当時はやはりみな困惑したらしい。

しかしなんで、今、このときに彼女の特集なのかはよくわからない。
母に言わせると、ちあきなおみさんは今も根強い人気があり、表に出てこないがファンの息も長い!・・・のだそうだ。(私の母もその一人。ついでに私も。)
番組のサブタイトルには『遂に実現! 名曲伝説! ちあきなおみ』と掲げられている。
なんと5年越しの企画なんだとか。すごいなあ。

細川たかしさんの歌唱で大ヒットした「矢切の渡し」が実はちあきなおみさんのために書かれた曲だということを知っている人は少ないんだろうなあ。これは絶品だ!
彼女の歌は情景がある。ある意味演劇というかミュージカルっぽい要素があるんだなと今回映像を交えて聴いていて強く感じた。
アニマルズの大ヒット曲「朝日のあたる家」(日本語詞:浅川マキ)の歌唱映像も流れたが、これがまた・・・・っくーっっっっ!耳から離れない。
目の前で場末の娼婦宿に流れ着いた娼婦が身の上話を話しているような錯覚に陥ってしまった。
きっと私たちが見損なった時間帯には「喝采」の映像も流れたんだろうなあ。
4月の放送が待ち遠しい!

日本の生んだ伝説的歌姫というと、わたしはやっぱりまず美空ひばり大先生を思い浮かべる。
そして次にちあきなおみさんだ。
お二人ともどんな歌でも自分の歌にしてしまう。
どんな歌でもというのは文字通りの意味。
演歌はもちろん、歌謡曲、ジャズ、フォーク、、ロック、ブルース、シャンソン・・・・どんな歌でもだ!
昨今はそういう歌手は現れていないと思う。
極端に何かのジャンルに偏った歌唱法でうまいといわれる歌手ならたくさんいると思う。
本当に残れる歌手はどのくらいいるんだろう。

美空ひばり大先生は、すでに他界された。
ちあきなおみさんはだんなさんがなくなってからぱったりと歌うのをやめてしまった。
もう15年の月日が流れている。
それでも毎年発売されるベストアルバムがどれも異例の売り上げを記録しているそうだ。
つまり、ファンは今でもちあきなおみさんを待っているということだ。
私も待っているひとり。

彼女の歌で聴きたい曲はたくさんある。
だからもう一度ステージに立ってほしいなあ。



「夜へ急ぐ人」
WORDS & MUSIC BY 友川かずき、PLAY BY ちあきなおみ



2007年02月10日(土)
太陽の靴

3連休1日目。

朝からちょっとやる気を出して泳ぎに行った後、用事を済ませていつも通勤時に気になっていたパン屋さんのカフェでお昼ご飯。
"きまぐれランチプレート"なるものを注文。
パン屋さんのカフェなので、いろんな種類の小さなパンが食べ放題。
目で満足お腹でも満足!
Menu



Lunchplate

Desart



先日、ラジオを聴いていたら"イラショナルビリーフ"という耳慣れない言葉をアナウンサーが説明していた。

論理療法という心理療法から出た言葉で、"イラショナルビリーフ"とは"不合理な思い込み"のことなのだそうだ。
ラジオでは、日本人が持ちやすい10のイラショナルビリーフを紹介していた。



 日本人が持ちやすい10のイラショナルビリーフ
   すべての人に愛されなければならない。
   事をなすには、完全無欠であらねばならない。
   人を傷つける人は、人から責められるべきである。
   思い通りにならないと、頭に来るのは当然である。
   人間は、外界の圧力で落ち込んだり腹を立てたりするものである。
   何か危険が起こりそうな時は、心配するのが当然である。
   困難や責任は、立ち向かうより避けるほうが楽である。
   ものごとはうまく運ぶべきで、直ちに最良の解決策を見出さねばならない。
   過去は重要であり、感情や行動に、今も影響を及ぼしているのは仕方ない。
   人の拒否・非難にあったから、自分はダメな人間である。

ラジオではこの中の1つでも当てはまるならば、"イラショナルビリーフ"を持っていることになると言っていて、該当数の多い人は早めに診療を受けてみてはどうでしょうと締めくくっていた。

論理療法では「人間は目で見える世界に住んでいるのではなく、目で見える世界をどう受けとっているか、その受けとり方の世界に住んでいるのである」という考え方に立っているそうで、つまりは自分自身が変わることが出来れば不合理な思い込みもなくなるのだということのようである。
そのお手伝いをするのが論理療法なんだろうね。多分。
論理療法についての上記記述は雑な調査の結果なので、鵜呑みにしないようにして興味のある方は詳しく調べてみてくださいな。

ちなみに私は4つほど当てはまった。
昔はもっと当てはまる項目があったと思うけど、どれも日々一喜一憂しながら生きているうちに気にならなくなってきたようだ。
私は10年くらい"イラショナルビリーフ"と戦う日々をすごしていたんだなあとラジオを聴きながら思った。
その間、自分で思っているよりは心理的に強かったようで、専門医やカウンセラーのお世話になることはなかった。
そのかわり心理学、精神医学、カウンセリングの本は山のように読み漁った。
今流行のスピリチュアルなものには関心はなかった。

10年でわかったことは、最後は結局自分自身との戦いなんだということ。
一番怖い敵は自分だと。
なんだか仰々しいが、それに尽きるのでそう書いてしまうしかない。
目の前にあることと真正面から取り組む時、一番障害になるのは自分自身。
自分はそのままに周りを変えようとしてもそれは土台無理な話なのだ。
そんなことわかりきっていても、乗り越えることはそう簡単なことではない。
そのために外からの力が必要なのは確かであるが、その力を得るためにもまずは自分を乗り越えなくてはいけない。

私の願いは日々平常心で暮らすこと。
どんなことが起きても、平常心で乗り越える力が欲しいとずっと思っている。
平常心でいられないとどんなことも冷静に考えて判断することも出来ない。
美しいものを美しいと感じたり、おいしいものをおいしいと感じたり、そういう当たり前の感情を楽しむことも平常心がなければできないことだと私は思っている。

そして、そういうことに気がついたのは自分自身の力だった。
もちろん、そういう境地になるまでにたくさんの人たちからの働きかけはあったが、結局は自分自身がそれを受け入れる準備をしなければどんな偉い人の言葉もどんなに好きな人の言葉でも受け入れることは出来ないんだ。
そのことに気がつくのにずいぶんと時間がかかったと思うけど、これからも自分自身とは戦い続けなければならないと思うけど、今の私は冷静に考える力を手に入れたので、明日についてそう不安を感じることもない。

自分は何もしないで(出来ないと思い込んで)今の自分の状況を甘んじて受け入れたまま、誰かから、何かから癒しを受けるだけでは不安は解消されないし心は傷ついたまま癒されることは決してない。
専門医やカウンセラーについたって何も変わらない。
そのことにさえ気がつくことはなかなか難しい。
でも、なにかきっかけがあれば自分の力で苦しい状況から抜け出ることは必ず出来る。

"不合理な思い込み"は誰でもきっかけがあれば持ってしまう。
でも、抜け出すのも些細なきっかけだったりするのだから、難しい言葉であおったりしなくてもいいんじゃないかなあ。
あなたのその思い込みが"イラショナルビリーフ"ですよ!と決め付けることこそが"不合理な思い込み"を生むきっかけの一つになっていると思うんだけど。

最短距離を求めても、そんなものはないのだからまっすぐ行くしかないと真面目に切り抜けようとする人こそが、強い心を持つことが出来る。
もちろん、いつもいつも緊張したままでは疲れてしまってそれこそ"不合理な思い込み"にとらわれてしまうから、今解決できないことはとりあえず棚の上においてしまおう。がんばる必要も別にない。
すべては自分の心しだいなんだから。
あんまり周りの言うことに惑わされないようにしたいもんだ。

「太陽の靴」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 鈴木雄大



2007年02月08日(木)
空港

恩田陸さんの「夜のピクニック」がスティーブン・キングの「死のロング・ウォーク」にヒントを得ているらしいと昨日書いたのだけど、もう一つ作者が明らかに元ネタと明かしている作品があることを最後に書いた。
今回はその作品について。

その作品はかつて国会までも巻き込んで大論争を巻き起こした高見広春さんの「バトル・ロワイヤル」である。



深作欣二監督によって映画化され、その過激な設定と描写で青少年に見せてよいのかどうか大論争が巻き起こった作品だ。

当時、私はこの作品のことを知らなかったが、TVでこの映画を見た50歳代の男女と高校生の男女の感想がまったく正反対だったのが印象的で、逆に興味を覚えてまず小説から読んだ。

まあ、当時は、中学生によるばらばら殺人事件やバスハイジャック事件等が起こって間もなかったという社会情勢がこういうものを拒もうとする雰囲気を社会に与えていたのは確かだろう。

とは言っても、この作品はとても面白い。
人物描写が細かく物語がしっかりしていて読みやすい。
次々とページをめくりたくなるタイプの小説だと思う。
それに私は途中涙を流しながら読んだ。
映画版も劇場に足を運んでみた。

TVスポットで北野武がいきなり生徒を撃ち殺すショッキングなシーンが使われていたわりにはTVで大々的に論じられるほど過激に残酷なシーンはなかったと思う。
戦争を知らない出演者たちに鬼気迫る演技をさせた深作監督はすごいと思う。
ただし、二匹目のどじょうを狙った2作品目は最悪の出来だと感じた。

この作品はキングの「夜のロング・ウォーク」の骨格をいただいて、もっと面白くなるような仕掛けがたくさんしてある。
作品の最後にはやはり希望があるように感じる。(お国柄がやはり関係していると思うんだが)
高見広春さんはこの作品のみでずいぶんとお金持ちになったらしく、今のところ小説を出す予定はないらしい。(一応、書く意思はあるようだが)
中学生が殺し合いをするシーンはたくさん出てくるが、世間で騒がれるほど残酷なものではない。
スプラッタなわけでもない。

なぜなら、この作品の中に出て来る殺し合いは、生命の危機に瀕しているもの同士の対峙であり、いたずらに恐怖心をあおるために描かれたスプラッタ作品とは性質が違うものだと思うから。

だからといって中学生同士が殺し合いをするのはどうかという意見がきそうだが、これはあくまでも小説であり作り話なのだ。
「デス・ノート」ですら社会に受け入れられたじゃないか。
現実に起こりそうにないという意味ではどちらも同じだろう。

さて、TVで見たインタビューだが。
50歳代の子供を持つ親たちからは予想はつくと思うが「残酷で子供に見せたくない」という意見が出ていた。
そして、私の興味を引いた高校生の意見はこうだ。「友達の大切さや命の大切さを考えて涙が出た」
正確ではないがこういう内容のことを言っていた。子供の感性はすばらしい力を秘めているなと感じた。
大人たちは見かけの残酷さに惑わされ、子供たちはその向こうにあるものを見ようとするんだなあ。
私にはどう見えるのだろうか?というのが、私がこの作品を手に取った一番の理由だった。
「バトル・ロワイヤル」はよく出来た娯楽小説であり、青春小説だと思う。
感受性が強い年頃の子が読んだら、ショックを受けるだろうがそれを乗り越えて何かを感じる作品だといっていいと思う。

このコラムを読んで興味を覚えたなら、どうぞ図書館で手にとってみて欲しい。
「死のロング・ウォーク」「バトル・ロワイヤル」「夜のピクニック」という順番で読んでみると後に行くほど読後に希望が持てるのでなお楽しめるのではないかな(と無理やり薦めてみたりして。)







「空港」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 浅井健一



2007年02月07日(水)
自由

本屋に行ったら映画「夜のピクニック」が早くもDVDとして発売されるらしいとポスターで知った。
昨年10月頃に恩田陸さんの「夜のピクニック」を読んで、映画を見て盛り上がっていた時期があった。この機会にそのとき書いたけどアップする機会を逸していたコラムをお披露目することにした。

恩田作品をぽつぽつ読んでいろいろ情報が集まってくるにしたがって、「夜のピクニック」がスティーブン・キングの「死のロング・ウォーク」(ただし、バックマン名義)をモデルに書かれているらしいという情報が入ってきていたので、余計に読みたい気持ちが高まっていた。
「死のロング・ウォーク」はとても好きな作品なので、他でもない恩田さんがこの作品によく似た作品を書いているとなると、気になってしょうがなかった。



恩田さんが実際「死のロング・ウォーク」を読んだかどうかわからないが(おそらく読んでいると思うが)、彼女がキング作品を好んで読んでいることは確かである。
なぜかというと、彼女のエッセイ集「小説以外」の中でキングの「ファイア・スターター」を時間を忘れさせてくれる本に選んでいるから。
恩田さんはしばしば自分の好きな作品をモチーフにして小説を書いているので、私の得た情報もあながち嘘ではないだろう。

そんな経験を持つ恩田さんがキングの「死のロングウォーク」を読んでいる姿を私は思い浮かべて愉快になった。
彼女は読みながら"私だったらこうするけどなあ"などと考えながら読んでいたのだろうか。
そんなことを想像してどきどきしながら「夜のピクニック」の表紙をめくったものだ。

「死のロング・ウォーク」もひたすら10代の少年たちが歩き続ける作品だ。
ただし、こちらは恐ろしいルールがあり、ゴールできるのはたった一人。
物語が淡々と進んでいく感じや歩きながらたわいのない会話を登場人物たちが繰り広げる感じは、2つの作品の雰囲気はよく似ている。
ただし、2つの作品の向かう先は正反対のものだ。
終わりに待っているものが何なのか知りたくて読み進むのはどちらも同じだけど、読後の感想はまったく異質のものになる。
恩田さんは「死のロング・ウォーク」を読んでこういう作品を書くのかあと「夜のピクニック」を読み進めながら、恩田さんの奥深さを感じた。

「夜のロングウォーク」の読後に感じたのは、どうしようもない絶望感や消失感だったが、「夜のピクニック」の読後に感じたのは温かな希望。
これは一体どこから来るのかなと不思議だ。
作者本人の感性の違いはもちろんあるのだろうが、果たしてそれだけなのだろうか。
恩田さんの作品にはホラーに分類されるものもあるのだが、私は不思議に彼女のホラー作品には絶望感を感じない。
物語全体がおどろおどろしいというより、恐ろしいシーンはピンポイントで出てくる。
私が今までに読んだホラー小説で一番恐ろしいと感じたシーンは恩田さんの「エンドゲーム」に出てくる。思い出してもとても恐ろしい。
それは悪霊とか悪魔とかそういうものが何かをするとか、人が殺されるとかそういうものではなく、人間が人間にした仕打ちであり、その結果を目の当たりにした人間の反応を端的にでも的確に表現したシーンだ。作り物の話なのに思い出すと今でも身の毛がよだってしまう。
それでも「エンド・ゲーム」の読後に感じるのは希望だ。

人の考え方や感性の方向は、やはり生まれ育った環境や受けてきた外的要因(教育も含めて)が大きく関係するだろう。
だから、大きくとらえてキング作品と恩田作品の根底にはアメリカと日本という違いも含めていいような気がする。
少なくとも恩田さんはそう感じているようで、「小説以外」の中でキング作品に触れた時にそのようなことを書かれている。

「死のロングウォーク」を読んで感じたことを希望ある話として創作するという形で生み出した意味で恩田陸という作家はものすごい可能性をまだまだ秘めている作家だなと感じる。

そして実は「死のロングウォーク」を物語の骨格はそのままでまるっきり違う形に肉付けし、読後にやってくる絶望感や消失感のほうをそのまま表現した別の作品がある。
その作品は読んでいる途中でキング作品によく似ているなあと感じ、あとがきを読んだら作者本人が「死のロング・ウォーク」を意識して書いた作品だと断言していた。
それはまた別の機会に。





「自由」
WORDS & MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY BLANKEY JET CITY



2007年02月06日(火)
Like a roling stone

1月18日放送分のNHK総合の『プロフェッショナル』という番組に今一番続きが気になる漫画を書いている漫画家の浦沢直樹氏が出演していた。
今最もはまっていて続きが気になってしょうがない漫画とは『20世紀少年』という作品である。奇想天外なSF冒険漫画だ。

『20世紀少年』を書いた人がどんな人なのか興味があり、インターネットでその創作について作者本人のコメントが読めないだろうかと探していて『プロフェッショナル』出演を知った。

浦沢氏は今、これのほかに手塚治虫大先生の名作『鉄腕アトム』の中の1話「地上最強のロボット」をベースに『PLUTO』という漫画も連載中である。(ちなみにこの作品での主人公はアトムではない!)

浦沢直樹氏の作品で耳覚えがあるとすれば、『YAWARA!』、『MASTARキートン』、『MONSTER』あたりだろうか。
そういえばつい最近『HAPPY!』というテニス漫画が2時間ドラマで放送されていたな。(見てないが)
『MASTARキートン』はアニメ化されてかなり人気を博していたと思う。
『MONSTOR』はただいまハリウッドで映画化中だそうだ。
主人公は日本人だが舞台がほとんどヨーロッパだし、でてくる人物も白人が多いので最もな話ではある。(個人的にはドイツあたりで映画化してくれれば結構えぐい作品が出来そう・・・などと思ったり。)ちなみに『20世紀少年』の実写映画化も日本で進められている。



私が一番最初に読んだ彼の作品は『パイナップルARMY』だった。
生まれてはじめて読んだ青年向け漫画で、ものすごく衝撃を受けて自分でも購入した。
もう十数年前のことだ。
傭兵あがりの日系人が民間人相手に戦闘訓練を施すというネタふりと少女漫画とは一線を画する絵柄やコマ割が新鮮だった。
以来、彼の作品のファンである。

番組では1週間周期で週刊誌の連載作品を仕上げるという浦沢氏の日常に密着していた。
時に作業を中断してインタビューに答えている。
スタジオでも司会者を交えて話していた。

浦沢氏は強面で迫力があるというわけではないが、存在感のある人だった。
どんな質問も軽んじることなくしっかり考えて自然に答えている。
口から出てくる言葉一つ一つが納得できるのは、彼が常に実を重んじる人だからだろう。
ものすごくかっこいいおっさん!

20年にも及ぶ週刊誌連載のために体を壊し、昨年は半年間連載を休止したそうだ。
なんでも体重を支える左肩が脱臼したままの状態だったそうで、スポーツ選手なら即引退というくらいの重症だったとか。

目黒にあるという彼のスタジオはシンプルで機能的な感じ、壁にずらりとギターが並んでいて、高価そうなオーディオ機器が並んでいる部屋が写った。あれは多分音楽スタジオに違いない!大学生の頃はロックスターを夢見ていたという。
何気なくギターを弾く姿にその腕前はかなりのものとお見受けした。
連載休止中にライブハウスでライブもおこなったそうで、番組中でその模様が少し流れた。
『20世紀少年』は、浦沢氏の自伝的作品という位置付けだそうだ。
ということは当然、主人公ケンジは浦沢氏がモデルだろう。
ライブハウスでギターをかき鳴らし歌う姿がそっくりだった!
『20世紀少年』の中でケンジが歌う曲も自分で作ったそうで、ライブハウスで歌っているのを番組内で少しだけ聴くことが出来た。

浦沢氏の作品は分かりづらいという評価をよく耳にする。
私も読みながらわざわざ込み入った方向へ話が進んでいくのは確かに感じる。
番組の中で浦沢氏は分かりやすいのは嫌だとはっきりコメントした。
だから頭を使って話を組み立てるのだと。

『20世紀少年』には覆面をした"ともだち"というキャラクターが出てくる。
目下のところファンはこの"ともだち"の正体は誰なのかという謎解きで盛り上がっている。
しかし、浦沢氏本人はあくまでもこの作品はSF冒険漫画でミステリーではないと思っていて、その謎解きにファンの興味が集中することに違和感を覚えてしまったという。
まるで自分の作品ではないような感覚を覚えてしまったということだった。
半年の休止は浦沢氏のもとに『20世紀少年』を取り戻す時間にもなったようだ。
『21世紀少年』というタイトルでその続きが今連載中である。

その浦沢直樹氏が愛してやまないアイドルがボブ・ディラン。
番組中、浦沢氏は仕事中ずっとボブ・ディランを聴いていた。
行き詰まった時はディランがフォークソングの弾き語りスタイルからロックバンド形式で演奏するようになってからのライブでファンから罵倒されながらもライブをやり遂げるディランの姿を思い浮かべるのだそうだ。
俺も負けないと思いながら。

そんなかっこいい漫画家浦沢直樹氏の聴いているボブ・ディランを私も聴きたくなったので、ベストアルバムを衝動買いしてしまったのだった。



「Like a roling stone」
WORDS & MUSIC & PLAY BY Bob Dyran



2007年02月05日(月)
さすらいの唄

最近のはまりモノ。
スカパーの「ホームドラマチャンネル」
わが家が契約しているケーブルTVのチャンネルに追加された関係で、スカパーのチューナーを通さなくても見られるのでお手軽なのだ。
ローカルTV局の番組が面白くない場合は、このチャンネルについついあわせてしまう癖がついてしまった。

その名の通り、このチャンネルではドラマばかり放送されている。
NHKの夜遅い時間のドラマや朝の連続小説、韓国ドラマに時代劇(キー局ばらばら)。
曜日によってラインナップがちょっとずつ違っていて、母は韓国ドラマを中心に放送されている曜日を好んでみているようだが、私は時代劇が放送されている曜日を好んでみている。
ドラマといってもだいたい10年以上前の作品が多い。
新しいドラマを見たい場合は、地上波キー局が持っているチャンネルのほうがいいだろう。
今は『喜びも悲しみも幾年月』の木下啓介監督の手がけたドラマが放送されていて、土曜日に見ることがあるがなかなか面白い。

その中でも録画してまで見ているのが「必殺必中仕事屋稼業」
最初見たときに中学生くらいの時に流行っていた「必殺仕事人」っぽいなあと思いながら見ていたんだけど、実は同じ"必殺シリーズ"の第5作品目だと判明。
ちなみに私が中学生の頃見ていた"必殺シリーズ>"は中村主水が出てくる「新・必殺仕事人」だったようで、今はまっている「必殺必中仕事屋稼業」はそれより前のもので中村主水が出てこないシリーズの最高傑作と言われているらしい。(ただし、藤田まことさんがナレーションをしている。)

何ではまったかというと、若かりし頃の林隆三さんが出演しているからなのだ。



私は小学生の時、榊原郁恵さんが主演したドラマ『先生は一年生』に郁恵さんの兄役で出演していた林隆三さんに一目ぼれしてファンになってしまい、それ以来彼の出演作を一生懸命見ているのである。
「必殺必中仕事屋稼業」は、おそらく私が一目ぼれした頃の作品だと思われる。
侍くずれの遊び人役でそりゃまあかっこいいのだ!

中村主水が出てくる仕事人といえば、薄暗い小屋に5人くらいの仕事人が集まってお金を一枚ずつとって"仕事"に出かけるシーンが思い浮かぶが、このドラマで闇の仕事をしているメンバーは3人(連絡係を含めると4人)、元締めはどえらい色っぽい若かりし頃の草笛光子さんでその元締めからの依頼で"仕事"をするのが緒形拳さんと林隆三さん。(連絡係は岡本信人さん)
依頼人からお金はもらわない。
すべて元締めの蔵の中から出てくる。
裏稼業でねずみ小僧よろしく大泥棒をしていた旦那が亡くなる時に残した大金を好きに使っていいといわれた元締めは、それらのお金を社会の悪を倒すことに使うと決めたのであった。(かっこいい!)

緒形拳さんはそば屋の主人。
中尾ミエさんが(まだ若くて可愛い)その内縁の妻。
いつもその内縁の妻の目を盗んでは博打に明け暮れている。

一応時代劇の体裁を保っているけど、描いている物語は現代風。
博打の負けが込んで店を取られる老舗の商売人や大手の商売人に騙されて財産を根こそぎ奪われる商売人、道を歩いていて騙された若い娘などが元締めを頼ってくる。

毎回サブタイトルに"××勝負"と付いているからか、だいたい元締めが悪の親玉と静かな対決をした後にさささっと二人がやって来て悪人をばっさりやって去って行くのだ。
人を殺すことだけが仕事ではないようで、ある回ではとある大名の命を受けた家老が500百両を3000両に増やしてくれともってきたりもする。
そんなときは2人揃って大博打をしたり・・・。

大筋で中村主水が出てくる「仕事人」と大差はないけど、主要キャストの人数が少ないのが幸いしているのだろう物語の展開がタイトで小気味いい。
ものすごく粋な感じがする。

扱っている内容は結構エロティックで残酷。
昔の22:00台は、大人の時間でなかなか子供は見ることの出来ない時間帯だったからだろうなあ。
出てくる女性もかなり色っぽく、今なら放送コードにかかりそうなほどすごいシーンもあったりする。

悪い奴を秘密裏に成敗してくれるっていうネタはやっぱりすっきりするんだなあ。
今のこの世にも欲しいねえ。とついつい思ってしまうのだった。
主題歌の「さすらいの唄」かっこいい!
ついつい覚えてしまい、口から付いて出てしまうのであった。

「さすらいの唄」
WORDS BY 片桐和子、MUSIC BY 平尾昌晃、PLAY BY 小沢深雪



2007年02月02日(金)
風に吹かれて

この頃ボブ・ディランを聴いている。
とあるきっかけがあり、勢いでベストアルバムを新品で購入したのだ。
そのベストアルバムの1曲目が「風に吹かれて」
(ピーター・ポール&マリーもこの曲は歌ってたなあ。)

穏やかなギターと声にこの曲だけを何度もハードローテーションしてしまう。

あまりにも有名すぎるサビの一節。



"The answer, my friend, is blowin' in the wind.
The answer is blowin' in the wind."
(「Blowin' in the wind」より抜粋 Words by Bob Dylan)

ほかの部分はよく聴き取れないのにここだけはメロディーが流れてくると口からついて出てくる。
あんまり聴きすぎたので、仕事中でもこの一説が口から出そうになってしまう今日この頃。

ボブ・ディランの名前を知ったのはいつだったのか定かではなく、この曲を耳にしたのもいつかは定かではないのだけど、「学生街の喫茶店」(ガロ)の歌詞の中に出てくるからかもしれないな。

とにかくいつのまにか知っていて私はこの曲が好きだ。



ずいぶん前に「愛という名のもとに」というドラマがあった。
このタイトル自体が浜田省吾さんの曲から来ていて、たしか挿入歌は「悲しみは雪のように」だったように記憶している。
第1話で「ラスト・ショー」を肩を組んで歌っているシーンがあったはず。

鈴木保奈美さんが主人公で、ほかには江口洋介さんが出ていたことを覚えている。
どこか架空の大学のボート部OBの友情の話だったように思うが、ドラマの内容そのものはもうよく覚えていない。

そのドラマの冒頭か終わりに主人公達が横一列に並んで歩きながら「風に吹かれて」の日本語訳を詠唱するシーンがあったのだ。
私が覚えてしまったくらいなので多分毎回そのシーンはあったんだろう。
この曲がドラマの中で歌われることはなかったが、何度も聴いているうちにこれは何かの歌詞だろうかと思い始めて、ああ、そうだボブ・ディランの歌だと思い出した。
何でそんなこと知ってたんだろう?思いだせない!
まあ、そんなわけで「風に吹かれて」は私の中に刻み込まれてしまった。

今聴いているベストアルバムは古いものから順にその当時のスタジオ録音ものが収録されているようだ。
アコースティックギターとハーモニカの音しか聴こえず、お世辞にも美声とは言いがたいディランの妙に年取って聞こえる声がなんかすごく好きだな。

「風に吹かれて」以外では「ミスター・タンブリン・マン」(原題:「Mr.Tambourine Man」)が結構お気に入りだ。
まだまだ聴きこんでいけばまた違う曲にも惹かれるだろうな。

このアルバムを聴きながらびっくりしたことが2つ。
「見張塔からずっと」(原題:「All Along The Watchtower」)はU2の曲(「魂の叫び 」に収録)だと思っていたんだけど、ボブ・ディランの曲だったこと。
「天国の扉」(原題「Knock'in On Heaven's Door」)はエリック・クラプトンの曲(アルバムタイトルは分からない)だと思っていたんだけど、ボブ・ディランの曲だったこと。

うお、すごいすごい!と素直に声を出してしまった私なのである。
おそらく洋楽好きな人たちには周知の事実なのだろうが、なにせ洋楽には疎いので。

ボブ・ディランは今も活動している。
今も「風に吹かれて」を歌いつづけている。
こと音楽では夭折するミュージシャンをヒーロー化する傾向があるけど、私は逆でいつまでも歌いつづけるミュージシャンをかっこいいと思う。
ボブ・ディランという人は、そういう意味でものすごくかっこいいミュージシャンだと思うひとりである。

英語の歌が苦手なくせになぜかこの曲の歌詞は耳を済ませて聴き取ろうとしてしまう。
そのうち歌えるようになるかな。



「Blowin' in the wind」
WORDS MUSIC BY Bob Dylan



2007年02月01日(木)
TUVAN INTERNATIONALE

「どろろ」を見てきた。
正直、妻夫木聡君の時代モノ(のようなもの)というところに心惹かれた程度の興味だったんだけど、これがなかなか楽しませてくれた。

しかし、あの百鬼丸(妻夫木君)登場シーンは、どう考えても"アナキン・スカイウォーカー"だよ。。。



私は拾い読みしたあらすじは知っていたけど原作は読んでないしアニメも知らない。
それが幸いしたのかもしれないが、単純に面白い映画だなと思った。(いや、ちょっと拾い読みしたら評価がかなり厳しかったので。)
全体的にゆったりした流れがあって、多分、脚本がよくできているという部類だと思うんだけど、映画の中に仕掛けてある色々な仕掛けはことさらその出来についてどうこう思って気分がそがれるという感じではなかった。

百鬼丸は背が高くて大人っぽいイメージがあったので、(多分、アニメ版「どろろ」の百鬼丸=野沢那智さんの声のせいだと思われる)妻夫木君どうかなと思っていたけど、逆に20歳という年齢と世俗を離れて生きてきた人間と考えると、あんな中途半端な感じかもなあ。
人なのに人じゃない感じが割と出ていたと思うなあ。(妻夫木君のなで肩が妙に納得。)
柴咲コウちゃんは演技なのか本気なのかは分からないが、とにかく彼女の演じるどろろは一生懸命な感じでどう見ても女なのに男の子のフリをしようと必死って感じがよく出てて私は好感が持てたな。
彼女の演技も評価の分かれ目のようですが。

人でないもの(妖怪でいいんだと思うんだけど)、これらの映像表現については日本ではあれが限界なんだろうな。
日本で映画を作る際にいろんな制約があってことさら特殊撮影技術にお金や時間を割けないという状況があると読んだことがある。
主にお金の問題らしいが。
だから個人的にはハリウッドで作るような「スター・ウォーズ」ばりのVFXが作れないのはあたりまえだと思う。
それに日本の特殊撮影技術はそういう方向で発展してない。
安っぽくなってしまっているが、安く上げてそれなりにみせようとしているという意味では頑張ってると思う。
実は逆にそこにこだわったんじゃないかしらと思ったりした。
お金をふんだんに使ったハリウッドならそりゃすごいものが作れるだろうけど・・・そんなハリウッド色のついた『どろろ』は私は逆に見たくないなあ。
でもまあ、全体的に実写部分とCG部分の整合性はよくないと感じたけどね。
そのあたりはご愛嬌でいいような気もするな。娯楽映画ですから。

VFXがどうであれ、映画はその物語を見に行くわけだから、そこがしっかり面白ければ、特撮が少々くだらなくたって私は気にならない。
逆にVFXがすごくたってつまらない作品はたくさんあるわけだし。
そういう意味では『どろろ』はよく練られた物語になっていたと思う。
原作とはテーマが違うらしいが、映画は映画できちんとテーマを持っていて、最初から最後までそこがぼやけることはなかった。
うまく設定するもんだなあと最後あたりに感心したんだけど、それは手塚治虫先生の筋書きがしっかりしているおかげだろう。

最初、映像がかなり汚い感じにしてあって、一瞬フィルムが悪いのかと思ったくらいだった。
でも、そういう映像処理がしてあるのかもしれないと思い始めてからは気にならなくなった。
黒と赤がことさら深い色に見えるように画像が調節されていたのかな?怖いくらいにその2色が深いというか濃い色だったなあ。
それと全体的にピントがちょっと外れてぼやけた感じを受けた。
いつもそうだったわけではないと思うが、あれは百鬼丸の目線だったのかなあ。
百鬼丸が見えるようになってから映像って変わったっけ?・・・今度行く時はそこを見てみよう。(行くんです!)
まあ、こんな細かいことまでみんな考えて見てないと思うが。

日本のようだが日本ではない世界が映画『どろろ』の世界。
広い荒野の中にぽつんと立っている日本家屋があり、屋根から煙が立ち上っている。
家の周りにはこじんまりとした畑、人が行き来して出来上がった道。
かと思えば、たった今焼け落ちたようなお寺があったりする。(もしかしたら作ってから焼いたのかなあ。)
ちょっとしたシーンをよく見ると道租神や祠が川のそばや竹林の中にあり、お供え物やお花もちゃんとあったりする。
画面の中には出てこないが、人の住んでいる気配がする。
日本じゃないのに日本のようなそういう細かいものがなんかすごくいいなあと思った。
人の気配がするのに見えないから、ちょっと不気味。
そこがなんかいいなあと思った。
でも、撮影が行われたのはニュージーランドだそうな。
いやいや、よく作りました。

Mr.Childrenの歌はいらない。
別にあの曲にケチをつけたいわけではない。あれはあれでいい曲でしょう。
でも、カタカナ単語が出てくる歌詞は『どろろ』のエンディングで聴きたくなかったな。
エンディングであれが流れはじめてから気分がそがれてしまった。
せっかく別世界の妖しげな物語を見終わって、ぼーっとしていたのに彼らの音が現実を思い出させた。
それよりもオープニングでかかった「TUVAN INTERNATIONALE」みたいな曲で締めくくったほうがかっこよかったと思う。
エンドクレジットに入ってからかかり始めたのでそれほど気にすることもないかもしれないけど。
映画全体で使われている音楽はスパニッシュ系。
なんでかしらないが、時代モノに妙にマッチしてしまうので不思議である。
ギターをかき鳴らす感じが合うのかもねえ。

『どろろ』
ジャンル : アドベンチャー
製作年 : 2007年
製作国 : 日本
配給 : 東宝
監督 : 塩田明彦
原作 : 手塚治虫
出演 : 妻夫木聡、柴咲コウ、瑛太、原田美枝子、中井貴一、杉本哲太、麻生久美子、劇団ひとり、土屋アンナ、中村嘉葎雄



「TUVAN INTERNATIONALE」
WORDS & MUSIC BY Kaigal-ool Khovalyg、PLAY BY Huun-Huur-Tu