またひとり、惜しい人がこの世を去っていた。
北海道でのライブを終えた後、倒れてそのままなくなったそうだ。
高田渡氏、フォーク歌手。享年59歳。
私はリアルタイムでこの人の歌を聴いていたわけではなく、NHKで頻繁に放送されていたフォークソングの邂逅番組でその姿を見たのが最初だった。 と言っても、それは15年くらい前だと思うんだけど。
すごい人らしいのだが、実はあまりよく知らない。 でも、何度か見た彼の歌はとても優しくて素朴で心に残っているので、いつかライブにいけたらいいなあと思っていたミュージシャンのひとりだったのだ。
私がTVで最初に見た高田さんは歳の割には老けていて、とてもみんなに大切にされるようなすごいミュージシャンに見えなかった。故西岡恭造さん、井上陽水さん、なぎら健壱さん、坂崎幸之助さんらが高田さんを囲んでうたっている図がとても不思議な光景に見えたものだ。 背を丸めてよぼよぼな高田さんがギターを小さく爪弾きながら「自転車に乗って」をうたっている姿を今でも思い出す。
その後、何気なく高田さんのことが気になりちょこちょこっと調べてみたら、「自衛隊に入ろう」という社会的に物議をかもし出した名曲(!)を歌っていた事が分かった。 なんだかふざけているなあと思ったのだけど、これは自衛隊を皮肉った歌だそうだ。 うたっているのを聞いたことはないんだけどね。
それから私の大好きな五つの赤い風船の「遠い世界に」にも参加していることが分かった。 これがデビュー曲だったそうだ。 小学生の時、担任の先生が口移しで教えてくださった曲で今も時々空を見上げて歌ってしまう。
何で急に高田さんなのかというと。 広島に映画を見に行った会社の先輩が持ち帰った映画館のスケジュールで『タカダワタル的』という映画が6月の中ごろ4日間ほど上映されるという情報を眼にしたからだ。
高田渡さんの各地のライブに密着して撮影されたロードームービーっぽいドキュメンタリーらしい。 密着150日で、ライブの模様のほかに彼の実生活も垣間見ることが出来るようだ。 これはぜひ見たいと息巻いていたところ、説明書きの最後に4月に死去と書かれていたのだ。
数年前、金鳥の網戸にむかって吹き付ける殺虫剤のCMに突如出現したことがあって、その時、かなり元気になった姿を見たので、なんだか嬉しかった。 それで、その後きっとなにげな〜く暮らしてなにげな〜く歌っているんだろうと思っていたのだ。 結局、彼のライブにいくことは出来なかった。 残念だけど、せめてこの映画は見たいと強く思った私なのである。
謹んでご冥福をお祈りします。
『タカダワタル的』 ジャンル : 音楽 製作年 : 2003年 製作国 : 日本 監督:タナダユキ 製作:桝井省志、小形雄二 プロデューサー:土本貴生 撮影:長田勇市 配給:アルタミラピクチャーズ 出演 : 高田渡、柄本明、松田幸一、中川イサト、坂田省悟、高田漣、坂田明、シバ
「自転車に乗って」
WORDS & MUSIC & PLAY BY 高田渡
6月24日は美空ひばり大先生の命日なので、毎年TV局各社は追悼番組を放送している。 ぽつりぽつりとね。
今年は17回忌だそうなので、きっとたくさん放送されるんじゃないかなあ。 先陣を切って、昨日TBS系で『美空ひばり誕生物語 おでことおでこがぶつかって』が放送された。
美空ひばり大先生をテーマにした今まで見てきたものの中では一番暖かい感じのドラマだった。
私は日本の音楽が大好きなんだけど、たぶん家族の影響が大きいと思う。 子供の頃から日曜日の正午はNHKのど自慢だったし、歌番組は無条件で見ることが出来た。 年末は今でも紅白歌合戦! 火曜ステージも見るし、たまには二人のビックショーも見ている。
幼稚園の頃から歌謡曲に慣れ親しんでいたので、その頃聞いていた歌は今でも口を付いて出てくる。
その中でも、歳を追うごとに美空ひばり大先生の歌は心に染みてくる。 私も数年歌のレッスンを受けたことがあるのだが、歌というのは歌うほど技術はつくものだ。 でも、いくら技術的にうまく歌うことが出来ても、ヴォーカリストになるには資質が必要。 美空ひばり大先生は、戦後日本で生まれるべくして生まれたスーパーボーカリストでありエンターティナーだったと思う。 これから彼女のようなスーパーボーカリストが生まれる確立は無に等しいのではないかとさえ考えてしまう。
歌をうまくうたえるようになりたいなら、美空ひばり大先生の歌まねをすることを勧める。 彼女の歌をはっきり聞き取って耳コピ出来れば、それだけで音感とリズム感がよくなるし、なにより発音がクリアで癖のない歌になるからだ。 歌癖は、そのあといろんな歌を歌い込んでついていくものである。 それを繰り返していれば、「何をうたっても自分のものになっているね」と言われるようになっている! 試してみてちょうだい♪
彼女と彼女の母親については、これまでに何度もドラマ化されたし舞台にもなっている。 そのくらい2人の二人三脚については有名である。 それを何度か見ているので、あったこともないのに美空ひばり大先生とお母さんのエピソードについてはいろいろ記憶に残っている。 今まで見てきたもののイメージでは、2人が歌に没頭するあまり残りの家族はずいぶんと寂しい思いをしていたという少々批判的な表現が多かったように思う。
今回のドラマは、公私共にひばり大先生と交流のあった石井ふく子プロデューサーが2年前から準備していたそうだ。 石井ふく子プロデューサーだからだと思うけど、ドラマ全体の雰囲気とキャスティングが「渡る世間は鬼ばかり」だったのはちと残念であったけど、2人を中心に家族のつながりを温かい視点で描いている。 見た後なんとなく心が温かくなって、がんばっちゃおうかな〜♪と思ってしまった私である。
ひばり大先生のお父さんの話も寂しく亡くなったという印象をもっていたのだが、あながちそうでもなかったのかなあと・・・。 ま、ドラマだし、公私共に親しかった人の製作したものなので、そのあたりは差し引いて見なければいけないんだろうけど。
割と重要な歌の部分についてはご本人の音源が使われていて、私としてはそうでなければこのドラマは興ざめだなあと思っていたので、なかなか楽しめた。 子供の頃のひばり大先生の歌は本当にすばらしい! とても子供が歌っているとは思えない。 私が特にお勧めしたいのは「越後獅子の唄」「ひばりの佐渡情話」。 歌真似しようとしたが断念した^^;
いつかうたえるようになりたいなと思うのは「悲しい酒」「みだれ髪」 まあ、おいおい練習することにしよう。
このドラマの中心は美空ひばり大先生の母親である加藤喜美枝さんで、加藤和枝(美空ひばり)役は子役から3人が演じわけた。 最後に15歳の美空ひばりを上戸彩が演じたが・・・。 私的には少々納得が行かなくもあった。 キャスティング、難しそうだもんなあ。
私が知っていたエピソードで、サトウハチロー先生が風評だけで美空ひばり大先生のことを悪く書き、母親である喜美枝さんが直談判に行ったという話がドラマでも出てきた。(ドラマでは西田敏行さんが演じていた。) 後にサトウ先生は実際に彼女の歌を聞き、喜美枝さんに謝罪し、作詞も手がけるのだが、その曲が「わが母の姿は」である。 美空ひばり大先生はこの歌をとても大事にしていたそうで、いつもPA室から彼女に向かってペンライトを振っていた喜美枝さんを見つめてうたっていたそうだ。 ちなみにペンライトはサトウ先生から謝罪の品として喜美枝さんに贈られたものだったらしい。
『美空ひばり誕生物語 おでことおでこがぶつかって』 製 作 :TBSテレビ 作 :宮川 一郎 プロデューサー:石井 ふく子 演 出 :清弘 誠 音 楽 :丹羽 応樹 協 力 :ひばりプロダクション、コロムビアミュージックエンタテインメント
「わが母の姿は」
WORDS BY サトウハチロー、MUSIC BY 塚原晢夫、PLAY BY 美空ひばり
ああ、先週の今日は慶州に向かう車の中だったなあ。 帰国して4日目。 日に日に疲労感が高まっている今日この頃^^; 自覚していた以上に旅の疲れはたまっているようである。 (体力的な)歳には勝てませぬな。
ぼちぼちと旅のことを落ち着いて思い返す時間が増えてきたので、とりあえず筆を進めてみることに。 まずは釜山の印象について
福岡空港から釜山国際空港へ飛び立って約30分くらいして島が見え始めた。 地図をろくろく見ていなかった私は、「済州島(チェジュド)かねえ?」などと地理に詳しい人が聞いたら失笑しそうなことを発言していた。 そのうちに空港に着陸とアナウンスが流れて、見えていた島々が釜山付近のものだと認識した次第。 一番最初に見えたのは、フォトアルバムの表紙を飾っているが、見渡す限りの水田。 建物の屋根はほとんどが青い色。
特にどんな光景も想像していなかったんだけど、あまりに日本の風景と変わらないのでそれが不思議な感じだった。
そう、一つ訂正しておかなければならない。 旅立つ前に金甫空港に行くような表現をしていたのだけど、金甫空港は仁川(インチョン)空港のすぐそばにあるとプサンに行って知った。釜山金浦空港は確かにあるんだけど、私が降り立ったのは釜山国際空港だった。 訂正しておきます。
入国審査はさすがにちょっとびびった。 あたりはシーンと静まり返っているし、係官は眉間にしわを寄せているし。 どきどきしたけど、特に不信がられることもなく入国。 入国するのは圧倒的に日本人が多かった。 もちろん仕事できている人もいたのだろうが、昨今の韓流ブームが頭にある私はほとんどが観光客に見えた。
私は行く数日前からの興奮がすっかり収まって、妙に平静だった。 同行している友人が海外旅行経験者なので、完全に安心していたんだろう。 待っていたガイドさんのそばに行くと、今回のツアー参加者は友人と私の2人だとわかった。 そのほうが気楽でいいんだけどと話していたのでよかった。
ガイドさんは「日本人なのかな」と思わず考えたくらい日本語が堪能。 ある意味、私よりも丁寧できれいな日本語を喋っているという印象を受けた。 なんとなくクールな感じの人。 よそよそしい感じはなく、冷静にこちらの話を聞いて判断をしてくれそうだという印象だった。 同行した友人とガイドさんはなんとなくタイプが似ていて、なんでもぼんやりやり過ごしてしまう私には非常に心強い同行者が2人もいたことになる。本当にラッキーだった。 私が旅の間中、安心して過ごせたのは同行していた友人とガイドさんのおかげであると今つくづく感謝している。
すぐに1万円分を換金したんだけど、複数の銀行(だと思う)の窓口から女性が身を乗り出して手招きしているので、どうすればいいのか一瞬困ったのだが、とりあえず一番最初に目が合った人のほうへ。 特に言葉を交わすこともなく1万円は無事換金された。 残念ながら、金額をひかえておくのを忘れていたけど。
空港の外は、なんとなく那覇空港を思い出してしまった。 私は飛行機に乗った経験も非常に少なく、今まで降り立ったことのある空港は那覇空港、千歳空港くらいしかない。 念のため。
釜山といえば、何を思い出すかというと・・・。
まず、韓国のスーパースターであるチョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」である。 この曲は日本では男女の仲を歌ったものだけど、原曲は生き別れた兄弟の歌なのだそうだ。 今回は、港付近に行かなかったので、あまりこの曲の印象はないけど、分かりやすいかなあと思ってタイトルにしてみた。
それから、韓国ドラマ「ピアノ」(出演:チョ・ジェヒョン、キム・ハヌル、コ・ス。チョ・インソンなど)、映画「マドレーヌ」(出演:シン・ミナ、チョ・インソン)。 釜山を小さな町だと思っていたので、知っているドラマや映画のロケ地なんてすぐ目に付くだろうと思っていたんだけど、とんでもなかった。
釜山は想像していた以上に大きな街だった。 10年程前に韓国旅行をしたことがある母には、函館に似ていると聞いていたのだけど、私は尾道を思い出した。 もちろん、釜山のほうが大きな街だったけど、いたるところに坂道があって山の斜面まで家々がこまごま立ち並んでいる光景が尾道を思い出させた。 もっと港のほうへ行けば、函館に似ていると思ったかもしれないんだけど、今回は港の近くまで行かなかったのでよく分からない。 国際市場やチャガルチ市場はそれほど人が多いと感じなくて、3人で日本語で会話しているためか日本のどこかの港町を友だちとおしゃべりしながら歩いているといった感じ。
ガイドさんは、大学で歴史を専攻した人で、もちろんガイドとして説明すべき内容についての勉強をしているんだろうが、それ以上に元々歴史が好きな方だったので、韓国だけではなく日本でもそのまま通用するような歴史的なことについての説明をたくさんしてくださった。 今は、日本の3大武将に興味があるようで、別れる直前まで織田信長の名前を言っていたのが印象的だった。
と、これから出来事について書こうと思ったんだけど長くなったので今回はここまで。
「トラワヨプサンハンエ」
WORDS BY 鄭旭、MUSIC BY 鄭 豊松、PLAY BY 趙容弼(チョー・ヨンピル)
ただいま帰りました^^
昨日はもう帰っていたんだけど、フォトアルバムのアップ作業が思いのほか時間がかかってしまったので、文章のほうが後回しになってしまった。 と言っても、真夜中まで作業がかかってしまい、今朝確認したらまだアップしてないものがあったことが判明。 そっちのほうもおいおい再整理します・・・。
タイトルの「生きて(サルダガ)」は、韓国最後の日の朝、たまたまTVをつけたらSG Wannabeが出ていて歌っていた曲。 多分、MVを四六時中流しているチャンネルだったんだろうと思う。 この曲はKNTVでもけっこうかかっていたような気が。 帰国してから釜山で購入した彼らの2集をハードローテーションしている私である。
では・・・。
まだ放心状態なんだけど^^;
かなりのカルチャーショックを受けた。 初めての海外旅行で、決まってからの数日はとにかく落ち着かなくて緊張していたんだけど、釜山国際空港に降り立った途端に落ち着いた。 飛行機から見た釜山は水田が広がっていて、その風景は普段見ている日本の風景とほとんど変わらなかった。 そのあまりのそっくりさになぜか感慨にふけってしまった。
近畿日本ツーリストのツアーに参加したんだけど、現地に行ってみると参加者は友人と私の2人だけ。 おかげでガイドさんがつきっきりだったのでいろいろ融通を利かせてもらうことが出来た。 おまけに友人は旅行会社勤務経験があるので、業界的ないろいろなポイントを知っていて、初海外旅行の私には非常に頼もしい同行者だった。(ちなみに彼女は韓ドラにはぜんぜん興味のない人である。)
日程4日間のうち、釜山→テグ・ソウルで2人のガイドさんにお世話になった。 2人とも日本語がとても堪能。 そのおかげか、道中一度も不便さを感じなかったし、意思の疎通がうまくいかなくて困るようなこともなかった。 特にテグまでお世話になったガイドさんは、ホントに日本語がぺらぺらで、話している内容も会社で同僚としているようなこととほとんど変わりなかった。 2人とも30代前半で、同年代だったということもリラックスできた大きな理由だと思う。
日本人イコール韓流スターという方程式が成り立っているので、やっぱり「誰が好きですか?」と尋ねられた。 もちろん「ソ・ジソブ」と答えたところ。 なんと2人から手を差し出されて握手を求められた^^ 想像以上に「ごめん、愛してる(ミアナンダ、サラハンダ)」の人気はすごいようだ。 なぜなら、忙しい彼女たちはほとんどTVを見ることがないそうなんだけど、その彼女たちがこれだけは見たという作品がmisaだったというから。
どこにいっても当然人々は韓国語を喋っているわけだけど、その状況にぜんぜんストレスを感じなかった。 友だちと2人日本語で会話をしていても振り返る人もほとんどなかった。 もちろん、ガイドさんが日本語堪能だったというのが一番大きいと思うんだけど。
友人と2人でコンビニに入ったり、地下鉄に乗ったりもした。 地図も会話手帳も持っていなくて、何かあったときは多分大変だったかもしれないけど、それでもぜんぜん不安は感じなかった。 海外に行ったらもう少し不安になると思っていたんだけどね。
漢江クルーズの乗船場の売店で、コーヒーを買った。 もちろん日本語は通じなくて、指差しだけで。 大きなお金しかなくて困っていたら、言葉も通じないのにおばちゃんが両外をしてくれた。 「カムサハムニダ」しか言えなかったんだけど、おばちゃんがにっこり笑って「イエ(はい)」と言ってくれた時はものすごく嬉しかった。
こんなこと、日本でも同じ事はその辺で起こっていることだと思うんだけど、知る人のない海外でこういう風に優しくされたらすごく嬉しいんだなあと実感した。
慶州の石窟庵で修学旅行に来ていた小学生から「日本人ですか?」と声を掛けられたような気がしたので「イエ(はい)」と答えたらガイドさんにびっくりされた。なんかじわーっと嬉しさがにじんだ一瞬だった。 でも、それしかわからなかったんだけどね。 その証拠に帰り際に同じ小学生に話し掛けられたのはわかったけど意味がわからなかったので答えられなかった。 あとでガイドさんが「さっきの日本人だよね?」と言っていたんですよと教えてくれた。 意味がわかれば笑顔で手も振れたのになあ。
釜山も慶州も大邱もソウルも町は日本と変わらなくて、ただ韓国語が聞こえる。 その中で友人と私だけが日本語を話しているのに自然な感じで、それが妙だった。 でも、韓国語がわかればもっと楽しいだろうなあと。
長くなったけど、とりあえず初感はこんな感じ。 これからしばらく道中の印象に残った話をアップする予定。 予定は未定で仮定・・・^^;
SG Wanna Be+ 5集
「サルダガ」
WORDS & MUSIC BY リュ・チェヒョン、PLAY BY SG Wanna be+
2005年05月17日(火) |
The Bali Story (Piano) Inst. |
旅立つ前に。
「バリでの出来事」追考(最終話ネタまで完全ネタバレ)
追考。 そんな言葉ないと思っていたら、辞書に載っておりました。
ついこう ―かう 0 【追考】 (名)スル あとから以前の物事について考えること。 (goo辞書より)
便利だ。これから使うことにしよう。
ずっとイヌクのことについて書きたいなと思っていたんだけど、愛が募りすぎてうまくいくかどうか。 私的には「バリでの出来事」はイヌクが主人公なので、完全にイヌク擁護視点である。
気持ちが落ち着けば、残り3人についても考える予定。 予定は未定で仮定・・・^^;
ソ・ジソブ君は、ある雑誌のインタビューで「バリでの出来事」で一番幸せだったのは4人の中で誰だと思いますかときかれ、イヌクと答えている。理由は、望みを全部かなえたからだと。
誰が幸せだったかという質問をしたインタビュアーを粋な人だと思ったが、イヌクと答えたジソブ君はすごい人だなと本屋で総毛立つほど感動してしまった。 でも、脚本にそう書いてあったのかもね^^; まあその真偽については置いておくとして。
イヌクが幸せ???
一瞬本屋の店先でパニクッてしまった私である。 が、よく考えると確かにそうなのかもしれない。
イヌクは計算高い人のように見えるが、野心は隠しているがけして向上心があるわけではない。 バリでヨンジュにそう指摘されて肯定している。
ただ単に今の状態を維持したいだけ。 会社の幹部の心証がよければ、自分の立場もいくらか平和に維持できるから。 そしてうまくいけば、昇進も出来るかもしれない。 インドネシアからソウルの本社に帰ったイヌクが考えていたのはせいぜいこの程度だったと思う。
ヨンジュとジェミンさえ邪魔しなければというのが前提だけど。
彼はスジョンと同じ境遇でちょっとだけましに生きているだけだから、彼だっていつスジョンのように会社から首を切られたり、命をねらわれたりするかわからない。 彼はそのことをよく理解している。 だから、専務にスジョンのとなりに住んでいることを知られるのは自分にとってまずいことだったし、逆にスジョンに専務と一緒のところを見られるのもまずかった。 専務にはスジョンとグルでは?と勘ぐられるのが立場的にまずかった。 スジョンにはジェミンと同じ側の人間だと思われるのがいやだったんだ。 スジョンに言い訳しようと何度かするが、結局しなかったために彼はスジョンを失ってしまったともいえる。 言わないことでスジョンにはイヌクに対する小さな不信感が澱のように重なっていった。
KNTVでは先週第14話までが終了。
13話あたりからイヌクの感じが変わっている。 私がずっと気になっていたのは、イヌクが横領をしようと決めた時期。
思うにスジョンがミヒのところ、つまりはイヌクのそばからジェミンのところへ行ってしまった時じゃないかなと。 ここでイヌクは決定的に変わってしまった。
彼は、お金があるだけでスジョンを自分のものに出来るジェミンが心底憎かっただろう。 いくら自分に気持ちを残していたとしても、結局何も持たない自分のところへスジョンが落ち着くことはない。
スジョンはイヌクにとって自分自身だった。 彼女が傷つけばイヌクも傷つく。 彼女が希望をもてばイヌクにも希望が湧く。 イヌクはスジョンを幸せにしたいと望んだが、スジョンはその手を振り払ってジェミンのところへ行ってしまう。 結局、何も持たない自分ではだめなんだとイヌクは考える。 それが彼の心のバランスを崩した。
彼が望んだのは、ジェミンとその一族が社会的に再起不能になることだったに違いない。 奴らの持っているものを全て奪って、再起不能にしてやりたい。 その結果思いついたのが横領。
そういう決断をし、実行した瞬間、イヌクは本当に哀しい人間になってしまった。
その後、イヌクはスジョンを拒絶しようとする。 けど、やっぱり彼女を愛しているから拒絶しきれずに酔っ払ってスジョンの元に許しをこいに行ってしまう。 寂しさには勝てない。
ジェミン家のひどい仕打ちでミヒのところへ戻ったスジョンに優しくするイヌクは自信に溢れている。 再びジェミンのせいで窮地に立たされたスジョンを今の自分なら幸せに出来る。 スジョンがそばにいれば自分も幸せになれる。 そう考えてイヌクはスジョンとバリに行ったんだろう。
と、物語を順におって行くとイヌクは自分の出来ることをすべてやった。 望みどおりジェミン一族は破滅し、スジョンも自分の元へやってきた。 母にもいくらかのお金を残せた。 どのくらいの期間かわからないけど、バリのホテルでスジョンと2人で楽しく過ごした。
でも、彼はそのあとのことを考えていなかったんだ。 スジョンの心がもうここにないことも、自分が自分でなくなったこともきっと彼はうすうす気がついていた。 多分、スジョンを手放した後、彼はよりいっそう哀しく寂しい人間になっていただろう。
だから、あの瞬間何も考えずスジョンを抱いたまま即死できたのは、彼にとって最大の幸せだったのかもしれない。
「バリでの出来事」
ジャンル : ドラマ
製作年 : 2003年
製作国 : 韓国
製作 : SBS 演出:チェ ムンソク 脚本:キム ギホ 出演:ハ・ジウォン、ソ・ジソプ、チョ・インソン、パク・イェジン
「The Bali Story (Piano) Inst.」 MUSIC BY (--Sorry Unknown--)、PLAY BY (--Sorry Unknown--)
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