F1.4 50mm
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2001年09月29日(土)

さて。
前回は、根拠のないモノを受け入れる。
って事を書いたけど。
なんだか良く解らない。

「好き」って事の理由はなに?
「好き」の理由なんてないけどね。
って事を書いた。

そもそも理由なんて必要なのかな?
必要ないと思う。

「好き」になった上での理由付けは可能だけど、
それは「好き」になった後からの話だと思うし、
これから「好き」に成るんだろうな?と感じる事ってあまりない。

ん?

有るかな?
有るかもしれない。

少なくとも自分は感じた事ないけどね。
みんなはある?



自分では意識してないけど、
根拠があるかもしれないね?


例えばあたしはバイクが好きだ。

何で?

気持ち良いから。

何で気持ち良いの?

エキサイトできるから。

自分にとってエキサイトって何?

夢中になれるって事かな。

自分にとって夢中って何?

自分を意識してない時の事かな。

自分を意識してない時の事って何?

その世界に入り込んで、自分のしている事に何の疑いもない時の事。




ん?
近づいてきたか?

写真もフレーミングや露出を考えているときは、
自分が何をしてるかなんて疑ってない。

釣りだってそうだ。魚の居場所を探したり、
ルアーを投げたりしてるときは、自分のしてる事を疑ってない。

まぁ。
している行為について疑ってないわけだ。

もっと速く走れるように。とか。
もっと自分の意図どうりに撮影出来るように。とか。
もっと大物が沢山釣れるように。とか。
もっといい時間を大切な人と過ごせるように。とか。
もっとその辺を突き詰めていく上で、
もっと違うアプローチや視点は無いのか?
って感じの「疑う」事はするけれどね。

突き詰めていくしかないけれど、
こんな楽しい事。他にないね。




と。
好きなモノの理由を並べてみましたが、
共通点が有りましたね。

「その世界に入り込んで、自分のしている事に何の疑いもないとき」


そういうことなのかもしれない。



何が「そういうこと」なのかさっぱり解りませんが、
あなたに「好き」なモノに、共通点は有るでしょうか?


「好き」になる理由には至りませんでしたね。
じゃぁ、この辺で。



んでわ。みなさま。
良い週末を。



2001年09月28日(金)



さて。
昨夜も飲みすぎ。
外苑→築地→京橋→清澄・・・・・
と。朝までコース。流石に飲みすぎた。
こりゃ、そろそろいい加減にしないとマズイね。

何をいい加減にしないといけないか。ってのを、
明確に表さないのが日本語の素晴らしい所ですね。

こんばんわ。kobaです。
金曜日の夜。厳密に言えば、土曜日の早朝。
如何御過ごしでしょうか?


 ☆☆☆


人の気持ちってのは難しいもんで、特に若い時って、
根拠の無い物を受け入れる。って行為に反発を感じてしまう時も有ります。

例えば、あの人が好き。
ってこと自体にも疑問を感じたり。ですね。

何か、人とか、事とかを好きになる。って事は。
心と体が素敵だと思った。
って事だと思うのです。

そこに理由は無いと思うのです。
心と体が素敵だと思った。って言ってる時点で、
それを理由にしてますけどね。

根拠の無いモノを受け入れる。
理由なんて必要ないモノ。

「ただ好き」


それぢゃダメなのかしら?



若い衆と話してて、思ったのです。

「好き」って感情をロジックで説明するのは難しいね。
言語を超えてる部分だしね。
説明出来ないわ。

「好き」は説明できないけれど、
「好み」は自分を把握する上で必要だ。
とか。
そーゆー話してました。

周りに、熱い若い衆がいて幸せです。

仕○中に仕○をほっぽって、
熱く語ってしまいました。

すっかり給料泥棒だわね。



では、皆さん。
良い週末を。



2001年09月26日(水)


さて。
書くことがないです。
すっかり終わっていますな。
皆様。如何御過ごしでしょうか?


3連休は一日目は仕事。
二日目が明けで三日目が休みでした。

初日は人と合い、夜中から、
知り合いのやっているBarにお酒を飲みに行きました。
結局、朝の7時まで飲んでましたよ。飲みすぎ。
バイクで帰ったのですが、寒かった。

次の日は、友人の車の洗車を写真を撮りながら眺めて、
夕方に友人宅でカレーを喰らいながらビール。
結局その日も飲みました。



連休中の夕焼け空は素晴らしかった。
何枚も写真を撮ってしまいました。
赤と蒼と黒のグラデーション。
アンダー気味になるように絞り込み、
都会の建物を陰になるように空を撮った。


記憶に有る事と言ったら、
たったそれ位な物でして、
すっかり終わっています。



さてさて。

そろそろ十月ですね。
もう夏も終わりかぁ。
なんて言っていたのに、
もう冬も近いですな。

あたしってば、
先の予定ばかり入ってしまって、
なんだか、良いんだか悪いんだか・・・・

大切な人とも、
すーっと潮が引くように、
気持ちも引いていくのが分かる。
これが潮時って奴だな。
なんて思ってみたり。


すっかり秋だねぇ。

んでわ。



2001年09月23日(日)



うひい!
連休なんぞ無いもんだと思ってのに、
突然連休になりよってからに!!!!

突然のご褒美に、
何をしたら良いのか、さっぱり解らんので、
昼間から麦酒呑んで寝ちまったさ。

嗚呼!アル中さ!アルコール中毒患者ですとも!
アーーールーーーーチューーーーーー♪
オーーーイエ♪



何を俺は疲れてるんだろう?


エネルギーが足りなくなってくると、イージーな方へ逃げたくなってくる。


愛する人の言葉でさえ、
鬱陶しく思えるほど疲れてる時に、そんな時にでも、
グッと元気になれるようなモノを作れるようになりたい。
そんな時にでも、グッと元気になれる写真を撮りたい。
そんな写真を目指したい。

あ。
それって、今自分が欲しいモノだな。

俺なりの視点。
なんだそりゃ?

俺が「良いな」と思ったら写真を撮る。
あたしの本能が「素敵だ」と感じた物にレンズを向ける。
それだけ。

でも、それじゃ良い写真は撮れないんだろうな。

そもそも良い写真ってなんだ?キャッチ―な写真か?

ジャンルは一切こだわらないで、
沢山の写真展にも行ってるし、写真集も買い捲ってる。
(古本屋は報道&風景写真集が安い。エロはちょい高い)
沢山の写真を新聞からネットから、見てる。

あたしは感動できる写真が良い写真だと思うんだけど?
どう?

感動にも色々有って、見ただけでココロに入ってくるものや、
被写体の後ろに有るものや、時代背景を想像して感動するものも有る。

その他には何があるだろう?

なんだかイメージ出来てないな。

ひょっとして、イメージ出来ない事も、
イメージ出来てないのかもしれない。


またもや何が言いたいのか良くわかんないねぇ。


まぁ。ストリートスナップとか撮る時は、
人目を気にしたら負けなんだな。と。

散々撮ってるのにマニュアルフォーカスで、
未だにピント合わせが甘いんだな。と。


でわ。皆様。
どうか、良い週末を。


☆☆☆



2001年09月22日(土)



降り続いた雨も止んで、すっかり晴れた。
空気が澄んで、いい蒼が出ている空でした。

友人が一生懸命洗ってる車の、
ボンネットに写り込んだ空を何枚か撮った。

そのままの物にレンズを向けるのも良いけれど、
何かに写った物を撮るのも面白い。
と。
思った。




水曜日に決死フィッシングに行って来ました。
半年以上ぶりの干潟は、相も変わらず心が静まります。
延々と広がる干潟は、自分のちっぽけさを教えてくれます。
雨に濡れながら、波の音を聞いていました。

久しぶりの川は少し様子が変わっていて、
矢板が少し伸び、新しい番屋が建設中でした。

河口で釣り始めてしばらく経った頃に、御豆さんが掛かる。
またしばらくしてから、竿にコツコッと当たりが来た。
ワンテンポ置いて、竿に重みが掛かってからしっかり合わせる。
竿が根元からブチ曲がり、リールから物凄い勢いで糸が出て行く。

んふふ♪良いサイズが来たワネ♪なんて思っていると、
すぐに糸の出が止まって、動かなくなった。
首を振っている様子も無い。

スプールを抑えてゆっくりと竿を立てると、
本当にゆっくりだけど寄って来る。
でも、しばらくするとまた走り出す。
「ヤツだ。ヤツだわよ」
エイですね。ルアーに赤エイが引っ掛かったのです。
尻尾に毒針があって、踏むと散々な目に会います。
刺されると、しばらく動けなくなるそうです。
干潟でそんなのに刺されたら命に関わります。

んでも、ルアーだけは回収したい。と思いながら格闘30分。
あと、5メートルの距離まで寄って来たのですが、
ずり上げる場所が無い。仕方ないので糸を切った。
折角の殿堂入りまであと7匹
(あたしは50匹釣ったルアーを後生大事に取って置くのです)
のルアーだったのですが、
刺されるよりはまし。と。泣く泣く糸を切った。

気を取り直して再開。
川の中腹で潮目とブレイクを絡めてルアーを流すと、
コッコッと来た。20メートルくらい先で掛かったので、
中々楽しめた。サイズは60チョい。

大型が出るのはまだ先でしょうか?
ご予約が入っていたので、ナイフで血を抜き持ち帰った。
雨に濡れながらの釣行でしたが、久しぶりの干潟は良かった。
何が良いのかは、行って見なければ解らない。



何かを始めるときに、不安は付きまとう物だと思います。
でも、始めないことによって生ずる後悔はしたくないですね。
『あの時やってれば。俺はイケてた筈だ』ってヤツです。

始めても、始めなくても不安が付きまとうなら、
始めてからする不安のほうが、何倍もイケてます。
ほとんどの人が、自分の限界を試さずに人生を終えてますよね。
せめて自分の好きなこと位は、何処までいけるのか?
限界を知りたいですね。

だから、今は押しつぶされそうになっているでしょうけど、
あたしは尊敬しているのです。

何かを目指している人や、何かに一歩踏み出した人は孤独だ。
絶対の孤独にあえて立ち向かわなくてはいけない。

傍にいる人達も、
具体的にその人には何もしてあげる事は出来ない。
その人は責任を誰かのせいに出来ない所に立っているからだ。
その勇気がないと、何かを目指す事は出来ない。


頑張っている人に「頑張れ」って言葉は必要ないと思う。
どうか上手く行きますように。切に願っています。
そういう事なんだと思う。




2001年09月17日(月)


こんばんは。
週末の夜。如何御過ごしでしょうか?


土曜日は豊海埠頭に立っていました。
水の色から言って台風の影響がまだ残ってる。
釣りには、まだ適さないみたいね。

豊海埠頭で夜景を撮影してから、
友人夫妻宅へビールを持ってお邪魔。
深夜二時まで色々おしゃべり。
沢山話せて楽しい時間でした。



他に書くことが無い。
思考停止状態みたい。

とりあえずこれから対処する事と、
楽しみにしてる事を並べてみよう。


1)この先の未来に対する事。
2)バイクを治す事。
3)一部の人間関係。

以上が、これから対処する事。


1)水曜日の釣り。
2)これからの未来の事。
3)個展の素材作り。
4)多くの人間関係。

以上が、楽しみにしてる事。


楽しみの方が多いから、まだ大丈夫だろうね。
正直言って疲れてはいるけど、ストレスは無い。

未来と人間関係については年齢とか、制度的なものとか、
色々な物が、向かって歩いていく上で引っ掛かってる。

ま。
行動を起こさなきゃ始まらないしね。
「無謀」という事からかけ離れてると、
周りから「無謀」と見られる行動を起こすのが怖くなる。
どうしても守りに入りたくなる。
根拠の無い物を受け入れにくくなる。

ま。
行動を起こす上での、
リスクマネージメントはするけどね。

奴隷になりたくないなら、
自分で何かを突き詰めていくしかないんだろう。


でわ。


2001年09月15日(土)




現像した写真を人に見て頂いた、

知り合いの店で、
酒と氷が入ったグラスを写した写真に、
「貴方の人間関係が表現されているように思えた」
と。感想を言ってもらえた。



忘れていた事だった。

写真を見て、
その先に、後ろに何が有るのか想像する。

ただキャッチーな物、受けが良い物ばかりを追って、
撮影するときに想像しながら撮る事を忘れていた。

LIFEなどの報道写真ばかりを見ていた頃は、
被写体の先に有るもの。後ろにあるもの。
撮影者の勇気や慈愛。時代背景。撮影場所。
そういう物を感じて、それに感動していたはずだ。

表現する側が想像力を使わなければ、
見る側にとってはただのキレイな写真だ。

その先にあるもの。

スピリッツというか、
ココロというか。

その「表現」に感動していたはずなのに。

「いちばん大切な物って、すぐ忘れちゃうんだよね」

いちばん大切な物を、すっかり忘れていました。
有難う御座います。




2001年09月13日(木)




多くは語れません。
只。疑問は沢山あります。


操縦桿を握り、
建物に向かっていった人だったら、
何を思っただろう。


凶器になった飛行機に、
乗合せていた人達だったら、
何を思っただろう。


放水ホースを担いで、
階段を駆け上がったファイヤーファイターだったら、
何を思っただろう。


瓦礫が降ってきて、
さっきまで目の前に居た同僚が、
見えなくなってしまった警官だったら、
何を思っただろう。


炎から逃げ場が無く、
窓から飛び降りた人達だったら、
何を思っただろう。


イデオロギーの為に、
死に行く息子を送り出す家族だったら、
何を思ったのだろう。


炎に包まれたビルの中に飛び込んでいった、
ファイヤーファイターの家族だったら、
何を思っただろう。
そのビルが崩れたとき、その家族だったら、
何を思っただろう。


身内の人間があのビルの中に居たら、
何を思っただろう。


血だらけの人が運び出される一瞬を、
フィルムに収めたカメラマンだったら、
何を思っただろう。


次々に運び込まれる負傷者を見る、
病院関係者だったら、
何を思っただろう。


テロリストの支援者達だったら、
何を思ったのだろう。


世界では今日も、
至る所で人は殺しあっています。


沢山の人たちの、
沢山の感情。


あなたはその時、
何を思いましたか?




2001年09月12日(水)




テレビの中で高層ビルが燃えていました。

新聞を見ると、火から逃げ場の無い人たちが、
高層ビルから飛び降りていました。

救助に入ったファイヤーファイターや警官の人たちが、
ビルの中に生き埋めになりました。

多くの人たちが亡くなりました。



アメリカはテロに屈する国ではないので、
報復行動に出るんじゃないでしょうか?

誰かが誰かを憎んでいる。
多分、この戦いは終わる事が無いんだと思う。
奇麗事だけじゃ、片付けられないからね。
歴史的な物とか、弾圧とか、宗教的な物だけでは無い。


愛する親や子や恋人を殺された人たちに、
「相手を許せ」
などとは言えないです。
被害者の家族が、報復を望んだときに、
それを何と言って止めさせたら良いのだろう?

もし、自分が同じ立場になったら、
自分の愛する大事な人達を殺した相手を、
多分、私は許す事が出来ないです。
良心に従って、泣き寝入りする自信が無いのです。

そうやって、醜い歴史は繰り返されてきたんでしょう。




小さな子供に「命の大切さ」を説明するとき。
貴方は、なんと言って説明しますか?

小さな子供に
「命は大切なのに。何で殺し合ったりするの?」
と。聞かれた時。
貴方は、なんて答えますか?



あたしにはわかりません。



2001年09月10日(月)




只今、仕事中です。
ウチは仕事先に音楽が流れてるんです。

アレが聞こえる。
アレよアレ。なんだっけ?
最近CMやってる奴。
「speena」の「ジレンマ」だって。
怖い曲だけど、でも、わかる気がする。
グイグイ来る曲だわね。


あれだね。
人間関係ってのは難しいのね。
って言うより。人間が難しいのね。
人とコミュニケーション取るのが難しいのね。

その人についての情報の蓄積と、
色々な感情が交じり合って、
「関係」が生まれる。
その関係が良いものならば、
関係を維持していく為に人は努力する。

でもあるとき、
「何か」を怠ってしまった事で、
努力したく無くなってしまったり、
努力を諦めたりしてしまう。

自分を磨いて、人に認めてもらう努力。
普段からしてるかな?



メールの返事が来ないからって落ち込んだり、
言葉尻から相手の気分を察して落ち込んでしまったり。
感受性の豊かな貴女だから、色々な物が見えてしまうのでしょう。

見えてしまうのはしょうがない事なので、
気にしない強さを持つのも必要なんだと思います。

でも、他の人には見えない物にまで
気を使ってしまう貴女からこそ、
君はイイ女なのでしょう。



貴女に何もする事が出来ない。
話を聞いて、意見するぐらいだ。

だから、
頑張り過ぎなくてもいいから、
どうか上手く行きますように。


2001年09月09日(日)



さてさて。kobaですね。
今日の東京は雨が降り続くジメジメした天気。
洗濯物が乾かないのでイヤンな感じです。
週末の夜をいかが御過ごしでしょうか?

さて、今週は3連休を頂き、
普段なかなか会えない人たちと会って来ました。
しっかし、濃密な時間と言うのは、
時間が早く感じるものですね。

え?もう5時間経ってたの?終電じゃん!
とかね。

好きな人と会った。
焼肉食べた。酒呑んだ。
素敵なレストランに行った。いい風景見た。
楽しい時間や、濃密な時間ほど過ぎ去るのが早い物で、
なんだか、センチメンタルになってしまうのも歳のせいでしょうか?




普段は出かけない街に出かけて、
待ち合わせまで一人で街をぶらつく。
大阪に行った時もそうだったけれど、
その街独特の雰囲気ってあると思う。
その雰囲気が出ていそうな数カットを写真に収めた。

友人と合流して、んでわ。食事しましょ。
って事で、友人のテリトリーへ。
地下にある、静かなジャズの流れるお店。
お客の年齢層も高く、
少人数で静かに飲むにはいい所でした。
今度行くときには利用させていただこう。
生演奏の「Fry me to the moon」は最高でした。


最近の事から、これからの事。
お互いに止まることなく喋りつづける。

気が付いたら5時間も経っていました。
「まず、食事して〜♪次にBar行って〜♪」
なんて言っていたのに、
一軒目で終わってしまいました。
楽しい時間は過ぎるのが早いねえ。

とりあえず、明日のある友人を終電で帰す。
自分は帰れないな。クラブかBarでも探すか?
なんて思っていたのですが、
最後の一本が残っていました。



1時過ぎに無人の上野駅に着きました。
無人の上野駅なんて初めてだったので、
無人のホームの写真を取り捲る。
フィルム3本も使ってしまいました。

酒がかなり入っていたので、
ちゃんと撮れてるかは不明。

人影の無い大きな駅は、どこか寂しげで、
その一日の終わりを感じた。

大きな駅って、電車と人が居なければ、
回廊の沢山ある大きな寺院のようだ。

その回廊を眺めながら、
しばらくノスタルジーに浸って居たいと思ったのですが、
「出口のシャッターが下りますよー!!!」
と言う駅員さんの声で上野駅を後にしました。
早く閉めたそうだったのに、
写真を撮らせてくれた駅員さんに感謝。


それから、
地元のBarで仕上げの一杯。
その後誘われたけれど、その晩は帰って就寝。



好きな友人といろいろと話した。
よくも話題が尽きないものですね。
自分でも感心してしまいました。
不思議と昔話は出なかった。
友達とは昔の話はしたくないよね。
あたし達は、まだまだこれからですから。

って。
こーゆー事を言い始めたら、もう年寄りなんだろうか?


2001年09月05日(水)


ゴンチチってあんまり曲は聞いたこと無いけど、
曲名がいいよね。
「チョコレート粉砕工場」とか、
「放課後の音楽室」とか。
ほのぼのする曲名が多いわ。





ま。
ここ最近。
一連の訳の分からない文章は、
事の発端は女性に振られたって事でして、
それに派生して決定しなければならない事柄が多く発生し。
それのジレンマや矛盾する考えを書き綴った訳です。

振られた事によって、自ら派生させた問題は、
あらかた片付いたような形になりまして。
ま。
形としては落ち着きましたが、
周りの人の意識の中では何かが変ったでしょう。
自分の周りに対する意識も変りましたしね。
変化は痛みを伴うが、悪い事ではない。


んで。
今後の事について考えを巡らすのですが、
ま。
新たに好きな人を見つけたいなあ。
とは、漠然と思うわけですが。
ま。
そんなにすぐに見つかる訳は無く。
だらだらと、
自分の回りに目を向けたり、
新たな出会いは無いものか?
などと、
色々な場所に行ったり(個展とか)
沢山の人に会っております(友人の紹介とか)
呑みに行ったり(いつもの事です)



んで。1つ思った。
次の人!次の人!って言うけれど、
すぐに見つかるわけが無い。と。

それまで、なんでもなかった人と
コミュニケーションを取り初めて、
その人の視点で物事を考えようと努力して、
生活の軸を、その人に重ねて生きていこう。と。
思った状態に有っては、
その人は既にかけがえの無い人になっていて、
そーゆー人の代わりって、実は存在しないと思うからだ。

週末に着飾ってデートする関係などではなくて、
関係性についても、男が二十も半ばを過ぎれば、
生活の中に。と。
自然と考えが至るものです。

生活を共に出来る相手って、そうは居ないし、
かけがえの無い人だと思う。
それを失ってしまった人は、
ホントは、
なかなか次には行けない筈だと思う。


自分らの年齢から上の人を見て、
恋人をとっかえひっかえしてる人を見ていると、
その辺の価値観が見えてくるような気がする。


ま。
引きずってる訳じゃないけどね。
実際、思い浮かぶ事も殆ど無くなったしね。
寂しいだけなら誰でもいいんだろうけどね。
寂しくなくても恋人は居た方がいいけどね。
恋人が居ない俺は寂しいわけだけどね。
って、やっぱり寂しいのね?




恋愛って難しいねえ。
って言うか。
人間は難しいねえ。



2001年09月04日(火)




昨夜会った。
元の「関係」には戻れないかもしれないけど。
元の「形」には戻った。

これからまた、
一から再構築していけば良いのだ。

「を!来たな」くらいの、
いつもの調子で迎えてくれた。
ありがとうございます。感謝します。



自分から何も行動を起こさなかったこの一月。
いろんな人からコンタクトがあって、
それに応えて、いろんな人とコンタクトして。
なんとなく感じたことが有った。

人の感情の流れと言うか、
人の想いの流れと言うか、
「流れ」を感じる事が出来た。

人の思いは、いろいろな所に流れて行ってはいるけれど。
今回はの自分は、合流点から外れようとしていたのかもしれない。
それを、呼び戻してくれた人たちが居た。

自分はどこに行くべきか?
自分はどこに行きたいのか?
それは自分が決める事だけれど、
間違った流れに行きそうになった所を、
皆は助けてくれたのかもしれない。


結局は、自分がちっぽけだったんだな。
自分の世界がちっぽけなだけだったんだ。

それを教えてくれたような気がした。



自分は甘えあう「仲間」では居たくない。
緊張感のある「友達」で居たい。

批判を受け入れ、違う意見を尊重し、
緊張感のある、努力が必要な人間関係を維持していきたい。
極めて個人的な付き合いをそれぞれの人としていきたい。

「自分一人では友達を作れない人間が仲間内で群れる」

なるほど。
これからの自分の有り方次第だね。




友人の披露宴の写真が上がってきた。
早速チェック。

使用レンズは1.4/50と3.5/28の二本。

前半は多少絞りを明け気味だったので、
白飛び過ぎている所がある。露出過多。
ピンぼけはほとんど無し。

だがしかし。
後半につれてピンぼけが増えてる・・・・・・・・


酒が敗因か?酒か?酒なのか?


写真て難しい。


まだあたしには「光」が見えてないんだろうな。



2001年09月03日(月)


エゴ
[(ラテン) ego]

(1)「自我」に同じ。「―の強い人」
(2)エゴイズムの略。「―の塊のような奴だ」



プライド
[pride]
誇り。自尊心。自負心。「―が高い」「―を傷つけられる」




またもやgooより勝手に頂きました。




プライドって、人のこだわりだと思ってます。

自分が撮った写真って、
見れば見るほど駄目に思えてくる。
なんだか、物凄く恥ずかしい写真だと思い、
自己嫌悪に陥ってしまう今日この頃です。

14本だから、24枚撮りだとしても336枚。
36枚撮りも入ってるから、400枚近い。
その中で、気に入るのは20枚くらいだ。
しかも主観的にしか見ていないから、
人に見せられる物じゃない。
う〜む。難しいものですね。

人に見てもらって「この写真。頂戴!」なんて言われると、
ほいほいと尻尾を振って渡してしまう。
お気に入りの写真でも何でも。

悪い癖なんですね。これは。
プライドが無いのかもしれん。





殻を破る。
って事について考えた。

自分で、
「これだけはしない」
と。
こだわって決めていた事を、人にしてしまったとき。
果たして、その人に会わす顔があるだろうか?
その人に会えるだろうか?


起きてしまった事は、無かった事には出来ない。


そして、自分でもう会わない。
と。
覚悟していたのに、
許してくれる人達が居る。
これに甘えてしまっていいのだろうか?
コンクリートが固まってしまったら、もう間に合わない。
でも、今のうちなら大丈夫。
と。


ここでエゴが出てくる訳です。
エゴって人のわがままだと思ってます。


自分のつまらないエゴが、
人の優しさに甘える事にブレーキをかけてる。

このエゴが、自分の殻なんだと思えた。


自分を守る為なら、何をしても構わない。
と。
思っている。

でも、
自分の殻を破らないと、人は大きくなれない。


人に想いを伝えるとき。
不安を打ち破るとき。
いろいろな時に、幾度となく殻を破ってきた。


今回、人に甘える事は、
恥も外聞も捨てて許してもらう事だと思う。
もしかしたら、これも殻を破る事なんじゃないか?
と。
思った。

でも、同時に、
自分のこだわりを曲げる事が、
殻を破るって事なのか?
とも。
思えたり。


自分のこだわりを曲げるか?
優しくしてくれる人達に会わないか?

こだわりを曲げるのも、
大切に人たちに会えないのも。
どちらも同じくらい、痛いし。怖い。


同じ痛いなら、
自分のこだわりを捨てた方が良いかな?
でも、
自分を捨てて、
罪を許してもらっても、
以前と同じようには付き合えないだろう。
ココロのどこかで、諦めてしまった物があるから。


引っ掛かってるのは、
限りなくエゴに近いプライドと。
限りなくプライドに近いエゴだ。

エゴとプライド。
どっちはどっちでどうなんだろう?




ま。
謝って済む事なら、
詰まんない意地張ってないで、
出来るだけ早く折れたほうが良いって事なんだろうな。

でも。
謝りたくないんだよね。
今まではどんな事でも謝れたのに、
今回だけは謝りたくないのよね。

どうしましょ?






2001年09月02日(日)



頭痛のまま寝て、思い切り寝続けた。
昼過ぎに目がさめた。流石に飲みすぎたようです。


先週現像に出した写真を取りに行く。
合計14本。
お祭りと、買い物と、友人の写真。
撮れ加減はどうかな?と思って見て見ると、
ほとんど使えないシャシンだ!!!
うむ。これが現実だよ。
もっと練習しなきゃね。

レンズは1.4/50と3.5/28で撮った奴が、
いちばん好きな写りだった。
マニュアルフォーカスなので、
ピンぼけが少々混じる・・・・・・・・

全く練習不足だわね。
昨夜の披露宴の写真はどう写ってる事やら・・・


いいオートフォーカスのズームレンズが欲しい。
と。前々から思っていたけれど、
古い単焦点レンズも、上手く写っていればとてもいい。
なんて言うのかな?味があると言うんでしょうか?
ピント合わせは練習あるのみ!!!!!
遠ければ寄って撮れ!!!!!
って訳だね。

道具に頼る前に、自分で努力はしたか?
って事だわね。
使い倒さないと、
自分のものには出来ないのね。
なんだか、教訓になりました。

しばらくはマニュアルで行こう!!!


2001年09月01日(土)


さて週末。
皆様如何お過ごしでしたか?

本日は友人の披露宴でした。
新郎新婦とも幸せそうで何より。
夫婦共々友達なので、幸せを頂いた気分!!
これからもバンバン飲むべ!!



二次会終了後、人と合って近況報告。
ここのところの出来事で心配してくれてた模様。
あたしもどうして良いか分からなかった。
物事は、出来るだけハッキリさせた方がいい。
だから、結果を出して離れた。と。
説明。

今まで、あそこで人と会う時は、
かなり身構えていたんだと思う。
そんな中に、いつまでも居ても、
居心地が悪いだけだった事に気が付いた。
だから離れた。

これからまた、ついあい始めても、
いい関係で居られる訳が無い。


でも、気にしてくれる人たちが居る。
その人たちの気持ちには応えたい。
でも、自分の覚悟でした事だろ・・・・・?

全く持って禅問答ですな。答えが出ません。

コンクリートが固まってしまう前に、
抜け出せ。って事なんでしょうけど・・・・・
今はどうにも、抜け出す気が起きない。



その後に人に会って、朝に帰宅。
頭痛のまま布団に入る。

久しぶりに酒で頭痛になった。

自分は、
今。何をしているのだろう?




「貴方はこれから、あの人たちと、どうしたいの?」

「いまは、どうもしたくない。でも、ありがとうと言いたい」



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