日々是迷々之記
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2006年03月28日(火) ウェブで日記やブログを書くにあたって

現在、何だかんだと複数の日記やブログを書いている。このエンピツのサービスも含めて、使い勝手はいろいろだ。私の使用しているサービスについていろいろ書いてみようと思う。

まず簡単さで言えばこの「エンピツ」が一番簡単だ。ただログインして書くだけ。トラックバックだのRSSって何?とか考えなくていいので楽だ。長年書いていると記事の検索性がないのがちょっと使い勝手悪いかもしれないと思う。「あー、そういえばあそこ行ったのいつだったかなー?」というのが私の場合よくあるのだが、そういうときはその記事を探すのにかなり難儀する。このへんがノートに日記をつける感覚に近いのかもしれないが。

次に楽なのはmixiの日記。これは最初書くつもりはあんまりなくて、このエンピツ日記をコピペしていた。が、どっちも読んでいる奇特な方がいらっしゃったので、ネタをかぶらさず、二本立て。いつの間にかあっちの方の更新頻度が多くなってしまった。

その秘密はそれを読んだ人が感想を書いてくれたりするからだ。早いときなんか書いて朝起きると感想が書き込まれていたりして、素直にやる気になれる。日記の本文中に写真を表示できない(有料版にするとできるみたいだが)のがちょっと物足りない感はあるが。

最近やりだしてなかなかやるなーと思ったのがteacup.comの「Autopage」だ。これはバイクのツーリングチームを作ったので、そのみんなでIDを取って書き込みしている。絵文字が使えたり、テンプレートの修正が分かりやすくて使いやすい。携帯から読み書きができるのもポイントが高いし。

最後に何ともよう言わんのがニフティの「ココログ」だ。これは書く仕事をしていたとき、どんな仕事をしてきたかをリンク貼って紹介するのに使っていた。まあそれからもネタ的なことはペンネームを使いそっちに書いている。

これが一番使いにくい。動作が重いし、仕様変更でちょっとむかついたりすることがある。それにブログ特有の言葉遣いがものすごく分かりづらい。ブログの場合は書いた記事をアップ(アクセスした人がすぐ読める状態にすること)するか、アップせずに書いた内容を保存したりが選べる。それが「保存」「確認」とかボタン書いてあって、どっちがどっちやねん!とか思ってしまう。

それに有料のくせに広告がでかい。まあニフティでこんなサービス始めましたみたいな広告なので、しょうがないのかもしれないが。前述のAutopageも広告は入るが無料だから承知の上だし、テキスト広告で主張していないので全然ましだ。

そんなこんなでいろんなサービスがある。相対的にブログ形式の方がアクセスは増えやすいし、今っぽい気がする。しかし、日記レベルならエンピツの方が楽だ。ブログだと記事の「カテゴリ分け」をしないといけないのだが、普通の日記を何に分けろというのだ、と思ってしまう。

そのへんをどっかの雑誌でインプレ特集してくれたら面白いのだが。


2006年03月22日(水) 近況報告

日記なのに近況報告なんである。

大きなことは引っ越しか。5月の中旬に半田舎暮らしみたいなところに引っ越すことにした。最寄り駅までバスで20分。そこから大阪まで最速で20分。窓から見える景色は山がちで、庭があり、屋根付きの車庫もある。ビルトイン食洗機に浴室乾燥機までついた豪華物件。それが今より家賃が二万五千円安いのである。駐車場代を入れると四万八千円得することになる。(もっともクルマは先月手放したが。)

引っ越しの理由は、家人の通勤時間の短縮。今は片道1時間半かかっているのが、引っ越したら電車と歩きで40分。バイクなら30分弱で行けるようになる。あと、私が「仕事やめます宣言」をしたことによる。

私の仕事は派遣で貿易などの仕事をすることがほとんどなので都会にしか会社がない。しかもグータラなので長い通勤は挫折してしまう。ということで都会に住まなければしょうがなかったのだが、私が仕事を辞めるのなら都会に住む理由はないということで、半田舎暮らしにしたのだ。

「田舎でぼーっとしたら鬱が直るかもよ。」と家人に言われた。そうだね、そうならええなあと私は応えた。なんかもうしんどいのだ。

こないだから新しい仕事場に通っているのだが、何だか水が合わない気がする。バイクは危ないから通勤に使うなとか、ジーンズで会社に来るな(制服に着替えるのに)とか、まあ古風なかんじだ。いい人ばっかりだし、仕事もゆるくて寝てしまいそうなくらいだが、いかんせん合わない。朝礼で社長の叱咤激励というか、単なるぼやきが毎朝あるのもつらい。サラリーマンの人とか偉いなと思う。こんな状況でも定年まで全うしたりできるわけだから。

次はビョーキのはなし。鬱は相変わらずだ。特に気圧のせいか、雨の日がつらい。会社に言われて電車通勤しているのだが、使用している駅が「ユニバーサルシティ駅」だもんで毎日ユニバーサルスタジオジャパンの客と乗り合わせる。この人たちが異常にテンションが高く、やたらと写メは撮るわでかいぬいぐるみはぶら下げてるわ、でうっとおしい。

そんなこんなで9割ぐらいはどよんと落ち込み、食欲不振、酒もあんまり飲まなくなった。まあ、脂肪肝だと言われたのも酒を止めつつある理由の一つだが。相変わらず胃炎の薬と、睡眠薬、抗うつ剤を服用中。あと、たまに幻聴があるのがやばいと思う。家にいるとき限定だが、たまに電話の話し中の音「ツーツー」が聞こえる。精神科の先生に話すと幻聴ではなく「錯聴」とのことだ。ほとんど心配しないでいいらしい。いつも聞こえるようだと問題らしいが。

幸せな時間はぬくい部屋でバイク、旅、きものの本を読むことだ。最近キモノに興味が出てきた。と言ってもゴージャス系ではなく素朴な木綿のキモノだ。引っ越したらキモノ生活をしてみようかと思ったりする。楽しそうだ。

95%はつまんなくて、あと5%くらいに楽しいことや、心沸き立つことがちりばめられている。その5%の部分を追っているのだろう。

あ、あと誕生日が来た。34歳である。頼りない34歳ではあるが。


2006年03月13日(月) 夢のはなしをしよう

差し当たっての夢としては鬱病を治すことだ。。

若かりしころは海外移住とか半ば世界征服に近い夢を見ていたが最近はそんなこともない。普通に毎日を笑って生きられることがどれだけありがたいことかと思うようになった。鬱病を治すこと、ハラのぜい肉をどうにかすること、部屋の本類を片づけること、いやはや、夢というよりは目標に近い。

目標は別にあって、車の運転が上手になること、バイクの運転が上手になること、ゴミ出し、振り込みの日を忘れないことなどが目標だ。いや、人としてダメな域ではないかこれは。私は家のクルマの右の前のバンパーを削ったことがある。別に左ハンドルではない。右ハンドルで右のフロントを削ったのである。クルマを運転する人ならこれがどれだけ愚かなことかわかると思うが。

三十何年も生きると分をわきまえるようになるもんである。実はほんのちょっと前まで逆転ホームランとかあると思っていたくらいだ。しかしまあいきなり来月から六本木ヒルズに住んだり、昼のランチが2000円になったり、毎日エビスビールを飲んだりするようになるわけではなく(えらく小さい話だ)、今日は昨日の続きで、明日は今日の続きなのだ。

ぼんやりとした日々の中で季節は明らかにマイペースに流れてくれる。三寒四温とはうまく言ったものだと思う。日曜日はぽかぽか、今日は冬みたいだった。でも、スーパーで菜の花、いちご、いかなご、新子なんかを見ると、ああ、春なんだなと思う。

で、夢の話だが、まあ日常そのものかなと思う。小さくまとまりたい気分だ。最も、この「小さくまとまりたい。」というのは年下の友人の言葉で、私はとてもこの言葉がしっくりときた。「小さくまとまりたい。」いい感じだ。緩くて静かでいつでも瞼を閉じてゆっくりできそうな世界。

そんな世界があればいいのになあと思った。自分で作れそうだろうか。


2006年03月10日(金) 生きることは即ち戦いなのだ

金曜日は病院に薬をもらいにいってきた。先生と話すうちにどばっと涙があふれ出してしまった。人前で泣くのは何年ぶりだろう。

朝起きると体が動かず、会社に行けないこと、母親関連のことなどを話すうちに、何のためにどうして生きているのかわからなくなってしまった。私は母親のことがあんまり好きでなく、最低限育てて貰ったことに感謝はしているが、尊敬したり愛情をもつことはできない。

しかし、母親側からするとわたしは愛情を持ってしかるべし、と思っているようだ。それが重い。

「私が死ねば母親のことは福祉で面倒見てもらえますよね。体をこわしながら働き続けることの意味がわからないっす。」私はそう言うと鼻をすすった。文字にしたことはあったが、口に出すのは初めてだった。口に出すとすっきりした。

でも実際問題として死ぬのは大変だ。電車に飛び込んでも残された家族に賠償金がかかるし、睡眠薬を飲むにしてももの凄い量を飲まなければならない。となると、雪山か焼身自殺くらいしか思いつかないがむっちゃ苦しそうである。

私は無言でいろんなことが頭の中を駆けめぐった。結局お金がどうのということより、母親が私の人生に関わってくることが嫌なようだ。こればかりは民法上どうしょもない。

「先生が診断書、書いてあげるから。もう仕事をせずにこの診断書を福祉の人に見せて、扶養するだけの経済力がないからって言いなさい。」と先生が言った。

それでうまく行くのかなと思ったが、とりあえずやってみようと思う。道があればそちらへ行くしかない。

「先生、やっぱ私は働けないんすかね?」と聞いたら、「そんなことはないです。ただ、今はゆっくり休むこと、何も考えないこと。世の中には絶対にやらなければいけないこと何てそんなにないのだから。お母さんのことさえ片づけば、あなたは元に戻るから。」と言われた。

そっか、つきあっていかなければならないのだな、と思った。つかず離れず。この戦いはどちらかが死ぬまで続くのだろう。長生きしたくない、血縁者欲しくない。少子化だなんだと世間はうるさいが、結局年取った自分が誰かにおぶさりたいだけなんだろって思う。

自分を律して生きよ。それは私を含めた世間の人に言いたい。特にうちの母親のように糖尿病のくせにお菓子を食べ漁り、出不精で変な健康食品に頼って生きているような人間に。だからその若さで半身不随などになるのだ。言いたいことは山ほどあるが、ボケたふりして聞く耳をもたないので言ってもしょうがないが。

夜が来て、朝になって、憂鬱はいつまでつづくのだろう。


2006年03月09日(木) うすぼやけ

今日と昨日と会社を休んでしまった。布団から起きあがることができずに、携帯電話を探して電話。そして延々と眠る。夢の世界は現実で起こったことが同じように起こるだけでうんざりした。

夕方、空腹とトイレで布団から出る。そして勢いをつけて外出。ブックオフで「バケツでごはん」2巻から4巻、近所のケーキ屋でプリンのスライスが乗ったそそり系のケーキを買って帰った。

鬱病に甘いものは気持ちを和らげる効果があるらしい。

ふと、私は何をしているんだろうと思う。働かないのか、働けないのか。神経性胃炎なのはわかったが、ずっとお腹を下していて、微熱が続く。背筋がじくじくと痛む。

なんかこう、ぱぁ〜っとしたいもんである。明日は行くぞ、会社。


2006年03月07日(火) 何を守ろうとしてたのか

今日はとある決心をした。これ以上母親に関わらないでおこうと思う。とりあえず手持ちのお金をあのひとの口座に振り込んで、病院側にもそのことを説明しようと思う。正直もう疲れたよという気持ちでいっぱいだ。

今日、区役所の人が寝たきりの母親のところに行ったらしい。すると生活保護なんか受けない。私は大金持ちで、土地もあるし株もある。子供もいて面倒を見てくれるから必要ないと言ったとのこと。立ち会っていたおばさんから聞いた。

それを聞いた区役所の人は、じゃ生活保護なんかいらないですね、と言って私に問い合わせると言って帰ったらしい。土地と株。土地なんか田舎に10坪とかで何になると言うのか。売却の手数料だけで消えてしまうような額ではないか。

もうひとつショックなことがあった。母親は前のだんなとの間にできた女の子(私の姉にあたる)に金銭的援助をしていたらしい。何度か私や妹のいないときに家に遊びにきたこともあるという。その人は私より7歳ほど年上とのこと。おばちゃんは何度か会ったことがあるらしい。

金銭的援助。その元は私や妹が家に入れていたお金である。妹がいくら入れていたかは知らないが、私は毎月10万円入れていた。友達の話を聞いても全然家にお金を入れていない子もいたが、私は母子家庭だからそんなもんかと思っていた。しかし、その裏、私の知らないところで姉に当たる人を援助していたのである。

それが相手が子供のときの話ならわかるが、母親の元だんなはお寺の息子で病気で亡くなった後、寺を売ってそのお金を姉に当たる人が手に入れたらしい。それで3年ほど海外に遊びに行き、使い果たして帰ってきたのが30前。それから水商売に入り、お客のつけを肩代わりしたりして貧乏になり、母親のところに泣きついてきたらしい。

私がえらくショックを受けていたので、おばちゃんは「まあ返して貰ったって言うとったけどな。」と言っていたがまあどうなんだろう。お金がどうだというより、陰でいろいろやっていたのだなぁということが信じられない。それくらいのころ、私はとても悲しかった。大学受験に失敗して「生まなきゃよかった。」と言われ、がんばって働き、留学して英語を身につけ、帰ってきてひたすら働いた。仕事も在宅と会社勤めの2本立てで家にお金を入れたり、母親を韓国やカナダ旅行に連れて行ったこともあった。

そして誰も祝わない結婚をして家を出た。母親は家人を人さらい扱いして、家人の実家に電話をかけたりむちゃくちゃしてくれた。そういう経緯があって私は家人には頭が上がらない。

結婚してやっと好きなことができるようになり、バイクに乗ったり、旅行に行ったり、洋服を買ったり、小さいゆとりのある生活ができるようになったと我ながら思っていた。

その中で今思う。結局私や妹はなめられていたのだ。きっと。

好きに生きてくれたらそれでいいと思う。もうこれ以上私が心を傾けることにあまり意味はなさそうだ。心の中で舌でも出しているのだろう。

さらば、母親よ。


2006年03月06日(月) そして3月

日記を二つ書いているせいか、どこに何を書いたのかよくわからなくなりつつある。気が付くと放置。

前回の胃カメラと腹部エコー検査の結果は神経性胃炎とのことだった。私の胃の壁は不機嫌そうに白っぽくなっていた。2週間分どっさりと薬をもらい毎食後飲むもの、朝と晩だけ飲むものなど5種類もある。それにメンタルクリニックの抗精神薬、抗不安薬、睡眠薬などと合わせると薬を飲むだけでコップ一杯くらい水がいる。

あとそれと脂肪肝を指摘された。簡単に言うと痩せろということである。いやしかし、夕食が晩の11時でどうやってダイエットができるのだろうか。別にそんな時間に食べたいわけじゃないが、その時間じゃないと家人が帰らないのでしょうがなく食べている。それで太るってかなしい。

どうにか前の仕事を辞めて、今日からは新しい仕事に別の派遣会社から行くことになった。正直ほっとしている。私にとっては「オンナの敵は女」みたいな状況がとても堪えるようだ。今度の会社は親の年齢に近いおっちゃんおばちゃんばっかりなので気が楽だ。

同世代の女性とうち解けるのは少し難しい。結婚しているか否か、また結婚していても子供がいるか否かで、話題の方向性が変わってくる。うちは子供がいる人からすれば金銭的に余裕があるからいいわね、みたいな言い方をされ、自宅で独身の人からすれば、結婚してるのがうらやましいみたいな言い方をされる。

別に何がいいって問題じゃないと思うのだが。そのへんから妙な差別化がはじまり何となくうまくいかなくなる。もちろんどんな立場でもまともな人はまともなのだが。人付き合いはむずかしい。

あと10日もすれば34歳になるわけだが、相変わらずだ。昨日はぼーっとしていたらバイクがガス欠になるし、今朝もあと5分寝ようと思ったら50分も寝てしまった。子供の頃、三十代は大人だと思っていたが、なってみればそんなこともなかった。回ってない寿司が食べたいなぁとか、老舗のすきやき屋に行ってみたいなあとかしょぼい野望を抱いている。誕生日の晩にニンテンドーDSを家人が買ってきてくれたらカンドーするやろなあと妄想してみたり。まあ、PSPでもiPod Videoでもいいのだが。(^^;

そんなこんなで日々は過ぎていく。なんかこうパァーっとしたいもんである。


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