日々是迷々之記
目次


2005年09月29日(木) お店やさんは大変だ

昨晩、日記を書いた後で無印良品の買い物を整理していたら、黒いトートバッグに盗難防止用のインクが入った器具(無理矢理むしるとインクが飛び出してくるというあれである)がついたままになっているのを発見した。本来ならレジで外してくれるのだが、店の人が忘れたようだ。

ということで、朝10時くらいに電話をしてその旨を告げた。「家で外す方法はありますか?」と聞いてみた。すると、外す器具を使わないとだめだと言う。そして、何と、店員さんが家まで交換品を持って届けに行くか、着払いで送ったら交換品を送ってくれるという。

いくらなんでも不良品でもないので、それは申し訳ないので、そのうち持参するので外して下さい、と言ったら本当に申し訳なさそうであった。確かにあれを外し忘れたのはあっちのミスだが、家まで取りに来てもらうのも恐縮してしまう。って、気が小さいんだろうか。またヒマを見て無印に行こう。

程なくして電話が鳴った。今度はフェリシモからだった。先日日記に書いた尻が破れていたジーンズの件。検品が十分でなかったので交換品を送りますとのことだった。そのとき、お客様が添付されていたクリップも送り返しましょうか?と訊かれた。

はて、クリップなんか付けたかな?と思ったが、返品票(フェリシモには返品用の伝票があるのだ)を捨ててしまっていたので、家のレポート用紙にどこが破れていたかなどを記入して、家にあったクリップでウエスト部分に留めて送ったのだった。ああ、そうか、あのクリップのことか、と思い出した。

いえ、結構です、とくに必要ないですし、と言い添えたら、向こうの人は大変恐縮していた。

いやはや。どこもかしこも非常に丁寧な対応でこっちの方が恐縮してしまった。特にフェリシモはネット上の掲示板でもあんまり評判が良くなかったので意外だった。対応する人にもよるのかもしれないが、今回は非常にまともな対応だったと思う。

今はネットがあるので口コミは異常な速さで広まってしまう。悪い口コミならなおさらだ。なので、店側も個人客をおざなりにできないのだろう。その流れは正しいと思う。一昔前よりも売る側と買う側の力関係に差がなくなってきている。丁寧な言葉遣いどころか、店は客を値踏みして、子供ながらに苦い経験をしたこともある。(子供の頃、肉屋にポテトサラダを買いに行ったら、表面が黄色く乾燥していたものを売られた。家でそれを見た母親が、文句を言いに行ったらちゃんとまともなのに詰め直していた。子供だからわかるまい、と昨日の残りを私に売ったようだった。オヤジめ。)

しかし今はそれが通用しない。しかも99%の人に対しての対応が気持ちよくできていたとしても、残りの1%に嫌な思いをさせてしまったら、それは何倍にもなって返ってくるのだろう。何故なら利用者は満足したら何も言わないが、不満だったら文句を言うからである。だからネット上には不平、不満が渦巻いているのかもしれない。

いいものはいい、イマイチなもんはイマイチだとちゃんと言えればいいのだが、褒めれば「業者、自作自演辞めろ。」とか書かれるのがオチでなかなか難しい。実際そういう業者もいるんだろうし。

結局、自分で見たこと、体験したこと、感じたことがあくまでリアルであって、人の言うことは参考程度でいいのだろう。まぁ、運もあるやろし。


2005年09月28日(水) 上機嫌の一日

予約していた婦人内科へ行った。今日は検査の結果が出る日だったのだ。結果、異常なし。血液検査の結果も問題なし。結局不正出血は疲れが出たり、生活習慣が乱れたりしたことが要因のようだった。

ビバ!もし、がんやら何やらが見つかったりしたらこりゃまた大変である。今年は厄年でもあるし、色々と気を付けたいものである。

さて、気をよくした私は無印良品の店へ向かった。せっかくだから普段は来にくい場所に行くことにしたのだ。ちなみに相方は無印良品が嫌いである。「無印のくせに高い。」というのが彼の意見だが、「素であるということもデザインのうち。」ということがわからないらしい。わかってないなぁ、と思うのは私だけだろうか。

無印はいい。確かに高いなぁと思う物もあるけれど、電気製品や、文房具の余計な柄とかが要らない人間にとっては、悪い買い物ではないと思う。何で電子ジャーに花柄が必要なのか。私は欲しくない人間だ。

ということで大人買いしてしまった。黒のシンプルなミニトートバッグ(仕事用)、電気のアロマライト、下着のパンツ、プラスチックの薬入れ、メールオーダーで作れるアルミボディのシャチハタ、五穀米おかゆのレトルト、茶餡まんじゅう、おつまみ(乾き物)セット、ブルーベリーとぶどうの100%ジュース。

いや、大人になるということはすばらしい。小学校6年生の頃から無印好きだが、今までにこれほど一度に買い込んだことはなかった。買っても木の軸のシャーペンとアルミのものさし、おこげせんべいとバームクーヘンくらいだ。って、今日買った全部で6000円ほどだったので、別に高校生でも買える金額ではあるのだが。

帰りにバイク屋へ行って雑談。じゃんけんをして勝ったのでジュースを買ってもらった。習慣的に何人か集まったらじゃんけんをして負けた人がおごるというのがある。今日は3人だったからまだいいが、8人とかだと負けたとき本当にくやしいのだ。

かくして今日は平和で楽しい一日だった。明日も平和でありますように。ナムナム…。


2005年09月27日(火) ぐったり、郵便局

夕方、買い物へ行くついでに郵便局へ行くことにした。先日通帳のページがなくなったので新しい物に替えた際、同一人名義でもう一冊あるのでとりまとめてくれと言われたのだ。相方名義のものだったのだが、数年前に関東地方に単身赴任していたときに作ったとのこと。家で探すと通帳もあり、残高4円。

一人1000万円しか郵便貯金をしてはいけないので、2冊持つことは禁止らしい。じゃあ、最初から作らせなければいいのにと思うが、せっかくお金を預けてくれるのだからそれを拒むような真似はしないのだろう。

で、郵便局に着いたのが15時半。一人待っていた。そして5分くらい待って呼ばれて行く。それがめんどくさ地獄の始まりだった。

まず、印鑑の問題。先日通帳を替えたときに印鑑を持っていなかったので印鑑は押していなかった。その印鑑を持っていったのだが、ただ押すだけでは済まずに、「改印届」がいるらしい。「いや、これで間違いないですから。」と言ったが、「確かめられませんから。」で終わり。ここで「改印届」に住所氏名記入。

ご本人ですか?と言われたので、男性名義なので本人なわけないやろと思いつつ、「夫のものですが。」と答えると、本人しかこの手続きはできないという。「本人は平日に休みがないのでできないし、私としてはここに印鑑が押してなくても使用にさしつかえないので結構です。」と伝えると、あなたの身分証明書があればできるんですが、と来た。それなら最初にそう言えばいいのに。免許証を出すと何か控えている。

さて次は関東地方で作った通帳。印鑑が前出のものとは違うという。どうせ相方が百均かなんかで適当に買った物だろうから、印鑑はないと言うと、この通帳についても「改印届」がいるという。再びここで住所氏名記入。

そしてご丁寧に今日解約する通帳に新しい印鑑を押し、訂正印のようなものを押してくれた。ご苦労様である。

さて次にまた紙が出てきた。また住所氏名を記入せよという。それは窓口で出金する時の用紙であった。例の4円を出金するためらしい。別に今使っている通帳に入れてくれればいいんだけど、格子定規にやるのが流儀なんだろう。「この労働4円か…。」などと思いながら住所氏名を記入。

4円には利息がついており5円だった。25%増!(爆

しかし、窓口でお金をおろすというのは初めてなのだが、住所と名前を書いたから何だってんだろう。知ってれば誰でも書けるようなものだが。そこからは窓口の人の作業だ。解約する通帳の全てのページにはんこを押し、表紙に解約済みのはんこを押し、そして5円玉と共に私に返してくれた。切手を買い、外に出たらもう16時を過ぎていた。

30分以上かけて私がやったことは、住所を3回書き、5円もらった。以上である。

こんなときは専業主婦じゃないとやってられんな、と思う。会社に勤めていたら、昼休みしか郵便局へ行けないし、ビジネス街の郵便局は16人待ちとかザラである。そこでこんな非生産的なことをがんばる気力はさらさらない。

通帳が100ページくらいあればいいのにな、とか、それよりATMで新しいのが出てくればいいのにな、ちゅうか通帳自体あんまりいらないなぁ、ネットバンクだと通帳ないけど何も困らないしなぁ、とか、どうでもいいことを考えながら家路についた。

世の中のはたらく男性はきっとこんなこと知らないんだろうなと思う。家事仕事はムダと不合理が多く、目に見える利益は一切発生しない不思議な仕事である。それゆえ、主婦の労働=タダみたいな感じになっているが、このめんどくささ、不合理さ、無駄な時間に耐えることはそれはそれで大変なのだ。小さな子供がいればなおさらのことだと思う。今日の私と同じ行動を取るにしても、30分以上ぼんやりとカウンターに立ち、その間子供は飽きて暴れたりするだろう。私ですら、めんどくさオーラ全開で応じていたし。

というわけで郵便局はさっさと民営化してこういうムダを省いてほしいもんである。大体窓口16時までってなんでやねん。シフト制にして20時くらいまでやるべきである。会社員で勤務中の外出が一切なくて、仕事場の近所に郵便局がなかったら昼休みに行くこともできないので、半休を取らないと通帳すら新しくできないってふざけてはいないだろうか。

猛省を促したい。しかも、NOW!(今、ゲッツ板谷にはまっている。)


2005年09月26日(月) 強い人間の生き方

強い人間とは何を持って強いというのか。それはあくまでも相対的なものだと思う。つまり弱い物と比べたときに勝つことができるから強いわけである。

人類皆平等であると言われているが、それはあくまでチャンスが平等にあるというだけな気がする。受験と同じ感覚だ。中学校を卒業するときに成績とは関係なく受験したければどこでも受けることはできる。それはオール5の生徒だろうが、かけ算もできない生徒だろうがチャンスがあるという意味では一緒である。そういう意味のない平等である。大人になってくるとそれがよく分かるようになる。収入、ステイタス、職業。などなど色んな物差しで人は人より強くなったり弱くなったりする。

弱い人間として生きるより、強い人間として生きる方が何だかよさげではある。そこで強い人間として生きるにはどうしたらよいのか。それはずばり自分の得意なステージで勝負をすること、であると思う。極端に言えば、アメリカの腕相撲チャンピオンと腕相撲をしても勝てないが、「漢字の書き取りテスト」をすれば日本人ならたいがい勝てるだろう。

卑怯だろうがなんだろうが、それでも勝ちは勝ちなのだ。そこで自分が気持ちよく生きてゆくことができればもうそれは勝ち組なのだ。

それはどんな事でもいい。自分の得意分野で相手が自分より劣る部分を見つけてひたすら叩き、凹ませること。そうすればいつも勝つことができる。それは身体的なことでも精神的なことでもいい。自分が平均的体格で、相手が肥えていれば、「デブ。」の一言で勝つことができる。相手がおっとりしていれば「とろい。」すべて一言で片づくのだ。強者の論理はいつも単純だ。

それが今日一日学んだ全てである。分からないと思っていたことがわかる一瞬、みたいなもんがあるんだなと思った。

さつばつ、さつばつ。殺伐、殺伐。そんな音が聞こえてくる気すらする。生きていくのはパワーが要るよなぁ。


2005年09月25日(日) 夢の飲食スペース

今日は「タイフードフェスティバル」というものに行ってきた。文字通り、タイ料理の屋台が主で、ステージでライブ音楽をやっていた。

場所は天王寺公園という入園料150円が必要な公園である。それほど大きくないが、芝生あり、人工池あり。ビルに囲まれたスペースながらも、切り取られたような青空が気持ちいい。

カオマンガイ(蒸し鶏を乗せた炊き込みごはん)、グリーンカレー、プーケットビール、シンハービールなどを芝生に腰掛けて堪能する。敷物を持ってきたら良かったなぁと思った。ステージではタイ語風のボンジョビの曲を演奏している。これが微妙にまったりしていて、よく聴かないとボンジョビかどうかもよく分からないまったり度だった。料理は日本人むけにスパイス、ハーブ類を抑えてあったが、おおむね美味しかった。やっぱりタイ料理はいいなぁ。

芝生の上で青空を見ながらの飲食は、やっぱり一番だと思う。ビアガーデンとか一年中やってればいいのになぁと思ってしまう。何で夏の夜しかやっていないんだ。勿体ないではないか。

あと、マンションの公共スペースとかも使えそうだ。「芝生に入ってはいけません。」なんて看板を立てて観賞用の芝生を設けるくらいなら、いっそのこと椅子を置いてカフェでもやればいいのにと思う。まぁ、区分所有者(分譲で購入した人たち)の何パーセント以上の合意がないと何にも決められないのが日本のマンションなので、そんなことはできないのだろうが。

ということで、一番贅沢で気持ちのいい飲食スペースはやっぱり青空の下だと思う。それに緑、気の合うひとたち、邪魔にならない程度の音楽。

のんびりゆっくりやりたいなぁ。


2005年09月24日(土) 秋がくると思うこと

昼間は30度近くなるが、朝と晩はそれなりに涼しい大阪である。この時期にいつも思うのが、着る物がないなぁということである。半袖だと冷房の効いた建物に入ったときに寒いが、こんな時期に着るような長袖は2,3枚しかない。しょうがないのでそれをぐるぐるとっかえひっかえしている。

街を見渡してみるとファッションは確実に多様化している。この時期にウエスタンブーツにハンパ丈ジーンズ、腹出しキャミソールにダウンベスト(フェイクファーのもわもわ付き)みたいな女の子がうろうろしている。ブーツの中はむれむれで、おなかは冷え冷えで、首まわりは汗で毛皮がべちょべちょで気持ち悪くはないのだろうか?

人と待ち合わせていたので小一時間、街ゆく人を眺めていた。そこは専門学校がたくさんある地域なのでそれらの学生が多く歩いている。一言で言えば女子は妙な格好をしており、男子は貧乏くさくて汚い。まあ、ビンテージのジーンズなどがあるので、汚く見えても貧乏とは限らないのだろうが。ズレズレのジーンズがかかとの部分が踏みつけられて綿埃を巻き込み破れている様子はかなりアレだ。6人くらいの集団でみんな携帯電話をいじりながら、一つも会話をしていないのもブキミだし。

そんなことを考えていた。お洒落はむずかしい。私も痛くならない程度に心地の良い服を選んでいるが、結婚する前から持っている服なんかはかなり貧乏くさくなってきた。元々高い物じゃないので、使い込んでも味が出るわけではないのだ。

明らかな加齢による影響が見え隠れする。歳を取ったらそれなりのものを着なければいけないのかもしれない。ジーンズ、スニーカー、Tシャツでその上になんかはおるだけ、でいけるような自信を持ちたい物である。

とりあえず、背筋はぴんと張って歩こう。


2005年09月23日(金) 人生がもうひとつあれば

私はバイクが結構好きで、23歳くらいで免許を取ってからちょこちょこと色々なところに出かけている。大阪を起点に北は新潟、福井、長野、あたりまで。九州、四国はキャンプツーリングで全県回っている。

と、こんなことを書いていると、私がとてもバイク乗りとして「イケてる」ような感じがするが、実際はそうでもない。どころか、今のバイクではUターンもできない。街中を走っていると信号で原付に抜かれたりする。正直言ってものすごくヘタクソで遅いんである。

先日、うちの相方、友達と一緒に六甲山という所にバイクで走りに行った。それは日が沈んでからで、街灯もなんもないところで私は普通に走っているのが必死。コーナーリングがどうとか、ライン取りがどうとか、そういう問題ではなかった。挙げ句の果てに道を間違え、気が付くと六甲山から抜けてしまっていた。(相方、友人は速いので、とっくに先に行っていた。)

それで心配されたりすると、微妙に落ち込んでしまった。別に免許取り立てでもないし、若ギャルでもないのに遅いのは実はかなりダサいんではないかということに気が付いたのである。

それからは色んな人に意見を聞いて自分なりに考えをまとめてみた。第一に速く走ろうと思う心が私にはないこと。そして速く走ることが楽しいと思ってないことが分かった。うちの相方は典型的な無謀な若者だったので、今でもコーナーリングで脳内麻薬(ドーパミン)が出まくったりするらしい。私はもちろんそんなものは出ない。「あ、コーナーだ。」と思うだけである。

そのくせ、ツーリングに行ってUターンさせられなくてもたもたしたり、コーナー3つでミラーから消える(相方談)のはやっぱり嫌なんである。

どうにか人並みにはうまくなりたいもんである。が、ある意味それはバイクの競技的な部分になってしまうので、そんな甘いもんではないらしい。負けることをくやしいと思い、速くスマートに走ることを気持ちいいと思い、突き詰めてゆく気持ちを持つことが必要らしい。つまりどのスポーツも一緒なのだ。

私はこういう部分が非常に欠けている。誰かに負けてもくやしくないのだ。道路を走っていて煽られてもすぐに抜かさせるし、学生時代から一番になろうと思って勉強をしたことはなく、あくまで自分の中の到達度を高めることを目標にしていた。親は私のそういうところにいらいらしており、「やればできるねんから。」とコントのギャグみたいなことを真面目に言っていた。

もし、私が自分の中にもう一人の自分を持つことができるのなら、何事も闘争心、やる気、克己心をもって取り組むような人間になりたい。何でもやるなら高い目標をもって取り組める人。そんな人になりたい。

って、世の中のほとんどの人はそうなんだろうなぁ。趣味に精力を使い果たして心地よい疲労のようなものを感じるのだろう。私のように、大きなバイクで高速に乗れば3時間くらいで着くようなところまで、わざわざカブで7時間もかけて行って、「あー楽しかったなぁ。」などと思うのは、やっぱり変わっているらしいし、誰もそんなことはしたがらない。

いつのまにこんなに「ぼやーん」とした人間になってしまったのだろう。人生のどっかに分岐点のようなものがあったのだろうか。

うーん。よく分からない。33年間も生きてきたのに。


2005年09月22日(木) 小さく幸せな日

美容院を予約していたので午前中に起きる。うちは相方が22時ごろ帰ってきてそれから食事なので自然と寝る時間が遅い。で、相方は6時39分に家を出るので、私は6時には起きている。なので、二度寝することになり、仕事を辞めてからというもの起きたら大体12時を過ぎていたのだ。

世の中の主婦の人はえらいと思う。こういう環境で子育ても、やりくりも、ちゃんとやってはるわけだ。私は子育てもしなくていいし、のんきなもんである。今の私の職業は「主婦ニート」ってところだろうか。

もう8年ほど通っている美容院へ髪を切りに行く。スタッフも顔見知りでとても居心地がいいお店だ。わたしの髪の毛を切ってくれる美容師さんは、みうらじゅん画伯が描いたsmapの香取君の似顔絵に似た感じの人だ。

家に帰るとまだ14時だった。小説を読みながらお茶を飲んでいると寝てしまった。ああいかんと思いつつ「ちちんぷいぷい」を見る。(主婦だなぁ。)

夕方ネットをチェック。台風情報が気になる。連休は恒例の潮岬ツーリングだ。相方はダート経由なので、現地集合なのだが。ついでに例のミクシィもチェック。昨日、私が参加しているMLで呼びかけたら参加している人たちがいたので「マイミクシィ」に誘ってみる。お友達リストみたいなものだ。

友達が増えていく感じが新鮮だ。学生の時はクラス替えの時など、恐る恐る隣の席の子に話しかけたりして仲良くなったり、そういう感覚に近い。最も、今はリアルで友人の人しか「マイミクシィ」にいてないのだけれど。

夕食はちょっと洋風にした。エリンギのガーリックバターソテー、トマトとなすびのちょい辛パスタ。ブルーチーズにここで買ったセットの中の赤ワイン。洋食は作るのが楽である。和食(特に魚系)だと骨やら皮やらゴミがたくさん出るし、暖かい物は暖かく、冷たい物は冷たく出さないと本来のおいしさが分かりにくい。

あ、今日はフェリシモが届いたのだった。Webサイトから申し込める「haco.STOCK」というシリーズで、色柄が指定でき、申し込んでから3-10日で到着するというフェリシモ的には画期的なシステムだ。品揃えはちょっと前シーズンぽいが、私はそのときの旬のファッションが好きだ!というタイプの人間ではないのであまり関係がない。首もと、袖、裾が切りっぱなしになっていて、長い袖に親指を出す穴のある長袖Tシャツ、女子っぽいけどアーミーカラーの小さなリュックサックを買った。結果、どちらも大満足。

私はリュックサックをたくさん持っているが、全てアウトドアブランドのものなので、会社に持っていくと浮く。上司のおっさんに、今日は山登りですか?とか言われたりして。

でも、ハンドバックは物があんまり入らないし、ブリーフケースは弁当箱が縦になって好かんので、たいていキャンバス地のでかいトートバックか、一番小さなトレッキング用リュックサックで会社に行くことになる。そんなわけで普通っぽいリュックサックは重宝しそうな予感がする。

ミクシィという新しいことを始めて、髪の毛を切ってすっきりして、自画自賛になるが手抜きながらも美味しい物を食べて、新しい洋服やバッグを手に入れて、今日の私はなんだが幸せな感じだった。

たまにはこういう日もいいよなぁ。


2005年09月21日(水) ミクシィ事始め

友人からミクシィなるコミュニティサイトへのお誘いを受けた。とりあえず参加しているorkutと違って日本語なので書き込みが楽そうである。登録してみた。

で、中身を見てみると、日記は書けるわ、写真はアップロードできるわ、掲示板などは開設できるわで、現行のサイトといろんな面で被っている。日記、写真はこのエンピツ日記があるし、休止状態の自分のHPには掲示板もある。一体両立できるんだろうか?

「他の人が検索できるように本名で登録してください。」とあったが、なんとなくためらう。そして適当にペンネームのようなものを考えた。大阪府ならまだその可能性は少ないが、鹿児島県阿久根市(親の実家があった)などで本名とかだとすぐに誰かわかってしまうではないのだろうか。

コミュニティという同好の士が集まっているサークルのようなものを検索する。バイク関連を見たところ、本名らしき名前で登録している人はあんまりいないようだった。むむ、やっぱり。

体質に合うかどうかやってみないと分からない。ブログサイトが流行りだした頃、わたしも手を出してみたが、どうもあの英語文化の世界が直に日本語になっている感じがなじめなかった。ブラウザによって見え方もかなり違うようだし。このエンピツ日記の方がよっぽど書きやすい。

特に情報性のある書き物ではないので検索機能なども必要ないし、推敲して書くようなもんでもないので、下書き保存機能なども特に必要ない。逆に高機能でないシンプルさゆえ、5年間も書き続けて来れたのだと思う。寝る前に数分間、だだだだだっとキーボードを打つだけ。登録前の読み直しすらしない。(ので誤変換が多いのだが)

とりあえず「ミクシィできるかな。」って感じだ。(spa!誌でのサイバラの連載風に。)


2005年09月20日(火) こんなものを買った

これの白を買ってみた。

コーナンに行くついでに併設のSports Depoというスポーツ物量販店に行ったら売っていたのだ。よく説明書きを見るもどういう効用があるのか分からず。「特殊な技術でチタンを水に溶かして浸透させてある。」ということが分かったくらい。が、しかし、この白は私の好きな白で値段も安いので試しに買ってしまったのだ。

まんま、iBookの色なんである。ちょっと透明のような白。家に帰ってネットで検索してみたら、おぼろげながら腰痛や肩こりを和らげる効果があるそうなのでまぁヨシとした。って、指輪で肩こりや腰痛が治るのかは不明だが。

最近の体調はぱっとしない。ということでこれが効けばそれはそれでヨシとしよう。気のせいか、これをはめている方の手首が楽な気がする。(数年前に交通事故で両手首を骨折したので動きが両方とも堅いのだ。)

イワシの頭も何とやらということわざもあるので当分はめてみようと思う。こういう物にはプラシーボ効果もあるだろうし。(むしろそっちに期待)


2005年09月19日(月) フェリシモのもんだい

前回はフェリシモを褒めた(つもり)なので、今回はいくつかのアレな点を綴っていこうと思う。

まず、カタログと実物にかなり差がある。カタログで見るとちょっと厚手でしっかりしていそうだな、と思ったら、実物はかなりペラかったりする。特にカットソーもの。ポロシャツなんかTシャツくらいの厚みしかなかったりする。困ったもんであった。下着のでこぼこ(レース部分などの)が分かってしまうポロシャツというのもいかがなもんか。

これは写真が良すぎるのが問題だと思う。フェリシモのカタログの写真は非常に良く撮影されているし、造本もシンプルでちょっとだけ高級感がある。このちょっとだけというのがポイントであんまり高級そうだと引くし、あんまり激安を全面に押し出していると所帯じみすぎてしまう。

そういう意味ではフェリシモのカタログは良くできていると思う。特に「サニークラウズ」シリーズ。素材感があって、手触りがよさそうで、長く愛着を持てそうで、とそんな気がするのだが、注文が届くと微妙に落胆することが多々ある。前述のポロシャツもこのシリーズの物で、家にあった「Fruits of the Loom」のTシャツのほうが生地がしっかりしていた。まぁ、値段が安いからしょうがないと言えばそんなもんかもしれないが。

もう一つこれはどうにかして欲しいと思うのが、商品の管理体制である。やたらと品切れ、後日別送が多い。今月は遅いなあと思うと大体は注文した物が全部揃っておらず、後日別送品があったりする。Webサイトで前シーズンのものを扱っていたりするのだが、それらも全サイズ品切れなのにサイトには堂々と載っていたりする。見るだけムダなのでサイトからさっさと削除して欲しいもんである。

と、前回は褒めておいて今回はくさしてしまった。これは何故かというと、フェリシモで買ったジーンズに穴が開いたからである。こないだ届いて今日初めて洗濯したのだが、後ろポケットを縫いつけてある部分の生地が、縫い目に引っ張られる形で1センチくらい裂けていた。もともとダメージっぽい加工のしてあるものだったが、尻の部分がやぶれてもらうと非常に困る。まぁ、ダメージ加工してあるものを買ったことがないのでよくわからないが、こんなもんだろうか。これに関しては、明日電話で問い合わせてみるつもりである。

フェリシモはギャンブルなのだ。清濁合わせて飲み込むのがキモか。


2005年09月18日(日) ギャンブル通販、フェリシモの魔力

フェリシモという通信販売がある。それは特殊なしきたりになっており、例えばTシャツだったら「しゃきっとにっこりコットンTシャツの会」などという名前になっており、サイズを指定すると毎月色違いが送られてくるという寸法だ。簡単に言うと色柄を選べないんである。もちろん、返品できるし、もその会をやめることもできるわけだが。

これがフェリシモがギャンブル通販たる所以である。わたしはここ1年くらいこれを買い続けている。洋服やら台所用品やら。「そんなんユニクロや百均で買えるやろ。」と突っ込みを入れたりしながら。

それでも何故買い続けるのか。それは「こんなの絶対自分では買わへんわ。」というのが送られてくるからである。私はシャツ類が好きだが、紺色、黒、白くらいしか選ばない。ベランダに吊された洗濯物は見事なまでに婦女子の洗濯物という感じがない。

そこにフェリシモからある意味すごい色合いのものが届く。白地にクリーム色の細いストライプのシャツとか、グレーの地色にアーミーグリーンの花柄のシャツとかである。箱を開けた瞬間、「どひー!」と思うがとりあえず袖を通してみると、「まぁこれもありかな。」となるパターンが多い。洋服とは不思議なもので、単体で見るのと、着た状態で鏡で見るのとはだいぶ印象が違う。(って世間の女性はこんなこと知ってるんだろうが。)

そして労せずしてちょっと冒険できるわけである。

こんな感じでフェリシモのギャンブル性は、私にとって今のところいいように機能している。今まで数回返品したことがあるが、ピンク色の携帯電話ケースとか、キョーレツなものに限ってのことである。まぁ、世間の女子はピンク色とか好きそうなのでそういう人たちにはOKなのだろう。

来月分もまた買ってしまった。ニットのアンサンブルなんか色も分からなければ、カーディガンの形もわからないという大ばくちである。最も、ニットのアンサンブルなんか買ったことがないので何を基準に選べばいいのかもよく分からないのだが。

かくしてタンスには黒、白、紺以外の洋服が増えつつある。おしゃれな人は自分から冒険したりするのだろうが、私のようにおしゃれは二の次な人間にとってはこのシステムも悪くない。おしゃれは興味がないからといって放っておくととたんに痛い人になってしまうというやっかいなシロモノだからだ。

「通信販売でお洋服やランジェリーを買うなんて!」とピーコか誰かが言っていたような気がするが、まあそれは得意不得意があるってことで許してほしいもんである。はははは。


2005年09月16日(金) 音楽は思い出とともに

これは別に今日の出来事でもないのだが、楽しい体験なので書き留めておこうと思った。(日記ちゃうやん、というつっこみはナシで。)

iTunes Music Storeで音楽をダウンロード購入したのである。これがまた拍子抜けするほど簡単でびっくりした。クレジットカード決済にすると際限なく買ってしまいそうなのでソフマップに行き、iTunes Music Cardというプリペイドカードを買ってきた。

まず、全部試聴できるのが楽しい。30秒だけだが、「ああ、あの曲はこれだったか。」と確かめるには十分だ。まずDef Techの「My Way」をダウンロード。テレビCMでかかっていて気になっていたのだ。

調子に乗って検索しまくる。全てのレコード会社が参加しているわけではないので、欲しいな、と思うアーティストが必ずしも見つかるわけではないのが残念。10月あたりからキングレコードが参加するらしいのでアニソンと演歌が充実するのが楽しみだ。「残酷な天使のテーゼ」が欲しいんである。

次にダウンロードしたのがサディスティックミカバンドの「Boys & Girls」。ボーカルに桐島かれんさんを迎えてイベント的に再結成したときの曲だ。やっぱええなーと当時の思い出が蘇る。

その次は鈴木康博の「愛をよろしく」。「金曜日の妻たちへ」ドラマシリーズの第2作かなんかの「もういちど結婚」のテーマソングだ。藤竜也と三田佳子が出ていたが、印象に残っているのはその夫婦が飼っているビーグル犬であった。うーん、懐かしい。

そしてどんどん古い物へと進む。次にダウンロードしたのは世良公則&ツイストの「銃爪」。「愛想づかしの言葉が だめなあんたにゃ似合いさと いつもお前は笑うのさ。」で始まる。確かこのときは小学2年生で当時住んでいた東京の武蔵小金井駅で遠足か何かの時に友達と熱唱していた記憶がある。当時、西城秀樹が人気だったが、私は世良公則の方が好きだった。

こんな曲の集め方ができるのはiTunes Music Storeならではである。時代もジャンルもクロスオーバーして思いつきでその曲を手に入れることができる。

iTunes Music Cardのパッケージに、「iPodの新しい体験がここからはじまる。」とあるがまさしくその通り。私のiPodShuffleの中はカオス状態になっていて、テレサ・テンのあとにLinkin Park。その後にバビル2世の歌、Def Tech、世良公則&ツイスト、aiko、大上留利子などその場の気分に合っているんだか、合っていないんだか、めちゃくちゃな順番で再生されるのである。

カードは後1850円残っている。次は何を買おうかなぁ。


2005年09月15日(木) 日本における英語の使い方

夕方、買い物に行こうとマンションの敷地内を歩いていた。するとチリンチリンと自転車のベルの音が背後から聞こえた。わたしはさっと横に寄ると、小学生女児が自転車ですり抜けて行った。

私はその後ろ姿を見て、むっとしてしまった。水色のTシャツの背中に白い丸文字で「FUCK YOU!」と書かれているのである。ケンカ売っとんか、ゴルァ!と思ったがここは日本である。なんの意図もないのだろう。

こんなふざけたシャツを作った会社もバカだが、買い与える親も親である。文字には何らかのメッセージがある。外国語で意味が分からないのなら、そんなもの買わなければいいのではないか。

あの子があのTシャツを着て英語圏の国に行ったらおもろいやろなあ、などと思ってしまう私はいじわるなんだろうか。


2005年09月14日(水) いそがしい一日

今日は先日オファーがあった仕事の面接。英語、日本語での自己紹介。翻訳のテストなどがあり、終わる頃にはへとへとだった。ついでに足が痛い。フォーマルな革靴を履くのは3ヶ月ぶりで、右足の小指に水ぶくれができている。とほほほほ。

が、ここで家に帰るわけにはいかない。今日は街へ出てきたついでで婦人科に行く決心である。以前からたまに生理日以外の出血があり、今月はとくにひどい。痛みも頭がぼーっとするほどだ。病院に行かねば、と思いつつ死にはしないだろうということで放っておいたものだ。結局診察をして、検査。薬をもらい、次は2週間後とのこと。

足もおなかも痛い…などと思いながら家に着いたらもう8時前だった。こういうとき、一人ならそこらへんの物を食べて寝てしまうがそうはいかない。主婦に休みはないのだ。サンダルとジーンズに履き替えてスーパーへ。

今日の夕食は豚玉とカンパチのカマの塩焼き。あと野菜類など。相変わらず飲み屋みたいな食事だ。いつものようにスーパーでは幼児が傍若無人な振る舞いをしている。今日はカップ入りのもずくを持って、「ママ、これ欲しい〜!!」とおたけびをあげている男児がいた。妹とおぼしき女の子も同じようにもずくをふりまわし、「私も〜!!」とか言っている。親って大変だよな。

テレビを見ながら夕食をとる。ニートの人たちが話題に上がっていたが、そうなるのもしょうがないなと思った。正社員より外注、バイト、派遣の方が手取りが多いこともよくあるし、正社員はうらやましくない。残業もつけられずに、休みの日は接待ゴルフに会社のサークル活動。そこまでやって社畜かよ、と思うような人たちを見てきた。でも、60歳までバイトで食いつなぐのは多分無理だと思うのも事実。夢とか自由とかやりがいとか言わずに、安定とか安心とかの上にどっしり腰を下ろして死ぬまで生きろということかと感じる。

ニュースが終わるとだんなさんは寝てしまい、私は一人で洗濯物をたたむ。形状記憶パンツとかがあって、洗濯ばさみから外すとたたんだ形にひゅっと戻ればいいのにとか、10人家族だったら一日にパンツを10枚洗って干してたたむんだなぁなどと、どうでもいいことを考えていた。

かくして一日はどたどたと終わっていった。


2005年09月13日(火) そして毎日は変わる

月曜日で会社を辞めた。月末までいてもよいかと思ったが、とても耐えられなかった。朝、目が覚めてもふとんから起きることができない。会社に行かなくてはならないという焦燥感の中、じりじりと横たわる。結局会社に体調が悪いと連絡をして半休を取ったりしていたのが先週後半。新しい仕事のオファーが派遣会社からあったので、当初の予定通り月曜日で辞めたのだった。

「あんたで3人目や。寂しくなるなぁ。」と一番古株の人は言っていた。例のAが来てから一年半。その前から来ていた人がやめ、次の人も辞め、そして私も辞めた。皆、例のAとそりが合わないと言って去っていったらしい。最初の人はパートさんだったが、例のAがパートから社員に変わった途端、上司風を吹かせ始め、それが鬱陶しくなって辞めたらしい。Aの取りそうな行動である。

今日、火曜日は目覚めが良かった。もうあそこに行かなくていい。それだけで気分が違う。洗濯をして、掃除をして、夕方から病院へ。メンタルクリニックの先生は静かに話を聞いてくれた。ただ、寝ている途中で起きてしまうのはあまり改善されていないので、薬を変えることになった。

その帰り道、新しい仕事の面接についての電話があった。職種は一番私の能力を生かせると思われる職種だが、業界がかなり特殊なので耐えられない人は耐えられないらしい。わたしは想像ができない世界だったが、とりあえず話は聞いてみようと思う。米国人技術者を新たに雇い入れる会社での、翻訳、通訳、その他もろもろとのこと。ただ、人の生死に関わる業界なのである。

とりあえず新しい仕事がありそうなのにはほっとした。あのAと机を並べてため息をつく日々はもうない。毎日は変わってゆくのだ。


2005年09月07日(水) よい人わるい人

今日はいつもよりちょっと早く家を出て会社に行った。台風だから、というのもあるが、何となくその方がいいような気がしたからだ。

会社に行くと、皆が心配をしていてくれた。例のAですら。この人はあんまり身の回りに不幸だとか、どうにもならない状況だとかがないみたいで、親が寝たきりで入院していると聞いただけで、衝撃を受けていた。

今回も母親が多少体調を崩して見舞っていたこと、書類をそろえたりその他していたと伝えると、普通に大変やなぁ、がんばりや、と励ましてくれた。

複雑である。悪い人ならそれらしく、同情なんかしないで欲しかった。そうしないと、その人のことを根本的に受け入れられない自分がものすごく心が狭いみたいではないか。

悪人なら悪人。善人なら善人。ずっとそれらしくしていて欲しい。そうしないと悪く思ったり、いい人だと思ったり、気持ちを持ち続けられない。もっとも、大人の対応なら何があろうといつも真ん中の態度を取っているべきなのだろうが。しかし、私はこれが苦手だ。嫌いな人に対しては気持ちが閉じてしまう。好意を持っている人に対しては、なるべくたくさん知ってもらえるように気持ちをオープンにする。何を33歳にもなって、と思うが、今のところこれしかできない。

まぁもうすぐこの職場を離れるし…と思い、その場で自分をコントロールするしかないのだろう。

今更ナンだが大人になりたいもんである。


2005年09月05日(月) 消化不良

昨日、夜半に病院から電話があった。医療費減免関連の書類が8月末で期限切れなので新しい書類を持ってくるようにとのことだった。昨日の日記のことも引きずっており、会社に行く気もしないので、会社を休んで母親の入院する病院へ行った。

湿度120%の外界に比べ、病室の中はエアコンで適温に保たれていた。その中で母親はワイド番組を見ているのか、寝ているのか、その中間といった雰囲気だった。誰かが来ると目を開いて会話するのだが、一人だと眠ってしまったように目を閉じてしまうことが多いと言う。相変わらず鼻には管が通してあり、食事は鼻から流動食を胃に流し込んでいるようだった。

支離滅裂なことを話している。最も、本人にとっては筋が通っているのだろう。もう亡くなってしまった人が生き生きと登場する。最近誰さんは顔を見ないが元気なのだろうか、などと言う。

この人は幸せなんだなぁと思うと同時に小さな消化不良を感じた。生まれてから33年間色んな不合理なことがあった。そのほとんどは身勝手で無知な母親が繰り出して来た物事に巻き込まれたわけで、子供の頃からそんな親を少し醒めた目で見て大きくなった。大人になったらこんな風にならないでおこう。バランス感覚と常識を身につけて、よく生きようと思っていた。

その結果、騙すよりは騙される方、一目置かれるよりは笑いのネタな方、というちょっと情けないキャラを持つようになったわけだが、それはそれで満足だった。最大限の予防線を張っておけばそれほどひどい目にも遭わずに生きてこれたからだ。

その分、私は醒めた見方が根付いている。全ての親が自分の子供を愛している、そんな言葉が未だに信じられない。たまたま生まれてきたのが自分の親の所で、全ての子供は神様からの預かり物であるという方を信じてしまう。たまたまあの父親&母親のところにやってきただけなのだ。

だから、「あんたなんか産まなきゃよかった。」「今まで育てた分、金返せ。」などと言われても、「これは自分の人生なのだ。」と思うことでほとんど気にせずに過ごすことができた。

そんな中でも、入学式や卒業式に来てもらえない、色鉛筆を買ってもらえない、高校も大学も私学を併願させてもらえないなど、「何でやぁ〜!!」と叫び出しそうになる側面はあった。

しかし、今となっては母親はまるでほとけさまのように横たわっているだけだ。誰を苦しませたことも、嫌なことをしたことも全て覚えていないかのように思える。

私はどうすればよいのだろう。怒りも恨みもどこへも行くことができない。ただ蒸発することを私の記憶の中で待っているようだ。「死んでまえ!」と言い横たわる母親の細い首根っこを握力44kgのこの手で締めてしまえばいいのかなと思ったことも正直あるが、今、弱りきった母親の顔を見るととてもそんなことはできないのであった。

帰り際、母親は今度バナナを買ってきて欲しいと言った。私はきっとバナナを買ってくるだろう。

これが勝負なら、私はきっと負けだと思う。


2005年09月04日(日) さらばバカめと言おう

仕事は結局辞めることにした。派遣会社の担当者が翌日に会社にやってきて、協議した結果、Aさんとウマが合わないのなら更新はしませんとのことになったのだ。そんなもの、合わせる気もさらさらないので、じゃ、結構です。ということで話は決まり。

何かすうっと楽になった。今月中頃でもう辞められる。それからは一生Aさんと顔を合わさずに済むのだ。

Aの使っていたパソコンがネットワークから見えなくなったときに、私に何かやったんじゃないのと言ってきたことまであった。私に画面キャプチャの方法を聞いてきたので、こうやってキャプチャして、ペイントを開いて貼り付けて、というように教えながらやって見せたのだが、その直後にネットワークから見えなくなった。画面のキャプチャ操作をすることがネットワークの問題に関係があるわけないのに、私が触ったあとだから、私のせいらしい。幸せな頭だ。

その後もAの愚行にぐったりさせられた。事務所の模様替えでキャビネットの置き場についてAともう一人の女性が話し合いをしたあと、Aは口を出されたのが気に入らない様子でずかずかと私の後ろを歩いていった。「ふざけんな、くそばばあ!」とつぶやきつつ。私は唖然としてしまった。43歳。大学生、高校生、小学生の子持ちの母親が、職場の先輩に対して言う言葉だろうか。こんな女でも親になれる。何だか暗い気持ちだ。

ここからは私の勝手な感じ方かもしれないが、私の目にAはひどく下品に映る。マニキュアが中途半端にはげた指先。書類を指すときなどはいつも中指。男性と話すときはいつも小首をかしげている。素足のくるぶしは白く粉を吹いている。ヘビースモーカー特有の顔色、ヤニの付いた歯。そして青みがかかったピンクの口紅。全盛期の中森明菜のようなサイドにかっちり流した前髪。



悪寒が走る。

とまあ、こんな毎日だったわけだが、こういうとき派遣は気楽である。あと10日もすれば自由の身。せいぜい日記のネタでも提供してもらおう。


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