日々是迷々之記
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2002年01月31日(木) お弁当

私のお昼はお弁当だ。手作りだが、要は晩の残り物をちょっと変身させたり、そのままだったりを、弁当箱に詰めて、スキマに漬け物を入れる程度なのだ。

女子社員の皆さんは皆、外食かコンビニやマクドのお持ち帰りで、弁当は私一人だけだ。

いつものように電子レンジでお弁当をぬくめていると、自分で作ってるの?と社員のおじさんに聞かれた。そうですと言うと、「へぇ〜、そうは見えないねぇ。」と言われた。どういうヒトなら弁当を作りそうなのだろうか。謎である。

まぁいいやと、思う反面、お弁当を作りそうなヒトというものについて考えてみた。家庭的で良き妻のようなヒトだろうか?しかし、「家庭的な良き妻」がフルタイムで働き、時には3時間の残業をするような仕事に就くとは思えない。

いや〜、この日記の内容そのものがまぁいいやなのだ。疲れすぎて娯楽用思考能力が衰えつつある。


2002年01月30日(水) セルフコントロールそして晴れ

週末に向けて少々忙しくなってきたが、まだまだ余裕があるので昨日に引き続き既存のフォームを改善して。まずはドロップダウンリストで入力内容を選べるようにした。私の場合、非常にパターン化しているのでドロップダウンリストは役に立つと思ったのだ。って、普通、最初っからこんなん作ってあるやろっていう内容だが…。

昼からもこの作業は続いた。課長さんをはじめとする他のひとたちは二度手間を手間と思わないからこれでいいのだろうけど、私は満足できない。パソコンがあるなら使いこなすのが筋だと思っている人間だ。かくしてもくもくと既存のフォームを変えて行く。

こうしてゆく既存のフォームに打ち込むべき項目わずか2−3で、あることに気がついた。まあいい、わたしが作業効率を上げるのは、私のためであって会社のためではないからだ。

かくして、早めの作業終了が明日以降期待される。

やっとペースがつかめてきた。やれば出来る。言い古されたことばだが、今の私はそういう気持ちで一杯だ。


2002年01月29日(火) 定時で帰るために

今日は火曜日でこの業界では比較的余裕がある曜日だった。私は時間的に余裕があったので今までやりたかったことをやることにした。

まずは、いままで手入力&電卓で計算していた入力フォームの自動化だ。エクセルのヘルプのイルカちゃんは役に立たないのでウェブで検索する。するとずばり私のやりたいことを図入りで示しているページがあったのでそこを参考に既存をフォームを変えてゆく。わたしが出来るようなしょうもないことなのに何で今までしてなかったんだろうという思いはあるが、もくもくと作業を続ける。

途中、海外から営業さん宛にメールが届いた。この会社にはメルアドが1つしかないのでプリントアウトして、日本語で概略を書き添えデスクに置いた。そうこうしているうちに夕方になり、営業さん達が帰ってくる。そして作業も一段落ついたので帰り支度をしていると例の営業さんから、「問い合わせの件、メール来た?」と聞かれた。

私が、「プリントアウトして机に置いてますよ。」と言うと、「いや〜、あるのは気がついてたんやけど、まだ見てないねん。」とのこと。「それってどういう意味なん?」とか「見れや。」などという言葉が浮かびながらも、そのメールの概略を口答で説明した。いやはや。普通の企業ってこんなもんなんだろうか。

しかし、首尾よく仕事を済ませ、私は定時である17時に仕事を終えることができた。タイムカードをスタンプして会社から出れば私は私。今日はHPの更新に、部屋の片づけ、ゴハンは○○にしようと考える。仕事を始めて約3週間やっとのことで軌道に乗ってきた。


2002年01月28日(月) 聞いてしまった

月曜日の朝はユウウツだ。昨日のいまごろはファミレスでお茶を飲みながらしゃべってたんだなぁと思うと、今が不幸のどん底のような気がしてしまう。ちょっとおおげさか。

ふと所長の大きな声が聞こえる。電話をしているのだ。相手は採用予定の女性のようだ。

その声はいつものようにでかく、丸聞こえだ。勤務の条件から給料の額まで。その額は私の約半分で素直にビックリした。一人暮らしは絶対出来ない額だ。噂によると、英語に日本語、フランス語までできるらしい。

就職したことがないのでよくわからないが、それだけ能力あるのにそんなに安いのだろうか?まぁ、仕事は能力だけではできない面もあるが。

もうひとつ、聞き逃せなかったのが、「3ヶ月は試用期間」という話だ。例によって適性を見るために3ヶ月は社員扱いにならないそうだ。そして、試用期間中に辞めるときは退職願を書くのが条件だと言っていた。う〜ん、何でかは不明だけれど、策略めいたものがあるような気がしてしまう。

彼女は2月から来るそうだ。さて、どうなることやら…。


2002年01月27日(日) 北を向いて行こう

目覚めると8時を少し過ぎたくらいだった。トイレで身支度を済ませた。カウンター型のキレイで大きな洗面台で非常に使いやすい。道の駅の建物を見ると、雨まじりにも関わらず、にぎわっている。ダンナさんとつれもって見に行った。

そこでは地元の人たちが野菜、お菓子、漬け物などを売っていた。見ると非常に安くて新鮮そうだった。すかさず、水菜、はくさいのぬか漬け、ジャガイモドーナッツ、モロコの甘露煮などを購入。「立ち寄ってくれて、どうもすんません。」おばあさんがひとつひとつ丁寧に袋に入れてくれる。「また、寄って下さい。」ほんの500円ほど購入しただけなのに、気持ちのいい対応だった。試食したジャガイモドーナツの味をかみしめながら、「また来ます。」と心の中で言いつつ会釈してその場を離れた。

クルマの結露が取れるのを待って、走り出した。とりあえず腹ごしらえということでファミレスの朝ご飯を食べることにした。かりかりのベーコンに目玉焼き、コーヒーというアメリカ〜ンな朝食が食べたかったのだ。が、しかし、たまたま入った店は朝食メニューはなく、目玉焼きハンバーグとでっかいサラダを食べた。ドリンクは飲み放題でお腹はグプグプだ。

ふと窓の外を見ると、雨が降っていたと思ったら、小降りになり薄日が射し、かと思うと、木々を揺らすほどの突風だ。あんまりドライブに良くないねぇと私が言うと、こっちはこんなもんやでとダンナさんが言った。そうなのか。私が住んでいたカナダの町に似ている。一日に四季があると地元の人はよく言っていたがまさしくその通り。

クルマに戻り、今日の目的地は滋賀県北部ということにした。もう3年前になるが、その時に来た農業公園と、そこに続くポプラ並木を見に行くのだ。クルマは快適に湖岸道路をクルージングしてゆく。湖には海のように白波が立っている。雨は真横に降るほど風が強い。それでもフォレスターは振られることなく思い通りのラインをトレースしてゆく。安定感があって怖くない。

残念ながら、途中で道は雪のため通行止めだったので、行き当たりばったりに走ってみることにした。外は雨。目的はない。のんびり行くのだ。結局郊外を散策し、雨のため写真を撮ることもできなかったが、クルマの楽しさは充分分かった。これからどこへ行こう?気負うことなくそう思える。

来週は天気が良かったら淡路島に行くことにした。一説には「日本列島から琵琶湖を切り抜いた土地が、淡路島」と言われているが本当だろうか?確かに外周の長さは似たようなものらしいけど。


2002年01月26日(土) フォレスターがやってきた

昨晩、夜中にダンナさんが帰ってきて、朝10時頃クルマを引き取りに出かけた。私は3合のゴハンをきゅっきゅとオニギリに丸めて、魔法瓶にお茶を入れた。今日はクルマ、「フォレスター」がやってくるのだ。

2時間ほどしてダンナさんが帰ってきた。にこにこしている。「あのなぁ、運転するのオモロイで。クロカン四駆とはえらい違いや。」結婚前にビッグホーンというクロカン四駆に乗っていたので感動もひとしお!という感じだった。

早速、お弁当、寝袋、マットを積み込み、CDラジカセも乗せる。予算の都合でナビ類、ステレオ類はない。夏くらいにはHDDナビをゲットしたいが。らんらんと走り出す。むむ、確かにすごい。4000回転くらいでぐぃ〜んと加速。シートに押しつけられるような感覚だ。シフトストロークも短く手首の返しでクキクキとギヤが入る。ダンナさんご満悦〜だ。なんでもビッグホーンのシフトは「バスみたい」で腕全体で動かす感じだったそうな。

しかし、大都会は甘くなかった。昼過ぎに大阪を出発。クルマは遅々として進まない。50キロほど離れた京都に着いたのは4時間後のことだった。よくこの道はバイクで通っていたのだが、夜中か明け方にしか通ったことが無く、昼間はどうなっているのか知らなかったのだ。高速を使えばヨカッタねと思うが後の祭り。ダンナさんは疲れて死んだサカナのような目を半開きにしている。

滋賀へ入ると道はルンルンに空いていた。国道は避けて、湖岸道路へ。対向車はたまに来る程度。しかし、街灯がないので60キロでクルージング。適度にワインディングがあるので、目つきがイキイキしてきた。

なんじゃこんじゃで目的地に着いたのは11時過ぎ。結局モスで食事をして、セブンイレブンでつまみを買い、道の駅に泊まることにした。

リヤシートをたたみ、キャンプ用マットを敷き、寝袋をおく。室内高は思ったより高く、ダンナさんがあぐらをかいて余裕で座れる。快適だねぇといいつつ、家から持ってきたバーボンで乾杯。

夜中の2時を過ぎた頃から雨足が強まってきたが、フォレスターは力強く踏ん張り、疲れた飲んだくれは横風の中安眠することができた。テントより快適だった。明日はどこへ行こうか。


2002年01月25日(金) エクセル哀話

「もうかんべんして…。」私はココロの中でそうつぶやいた。時は晩の6時を過ぎている。営業さんは皆帰ってしまい、課長と私と経理の女性が仕事をし、所長はコートを羽織って、ぎこぎこしている。

別に荒縄で縛られてつるされているわけではない。既存のフォームを開いて数字を入力していたら衝撃(笑激というべきか?)の事実に気がついたのだ。

本日のシメとして海外の代理店向けに英語で書かれた請求書を作成するのだが、それは会社によってフォームがいろいろあって、通貨も円建て、米ドル建て、シンガポールドル建てなどが入り乱れている。そこで、換算レートを入力し、最終的には米ドルで請求を起こすのだ。

で、そのフォームが問題なのである。それはただ、体裁だけが作ってあって、関数が一切入っていないのだ。要は数字を入力するだけである。で、合計や換算は電卓で手計算。そして手入力。アタマがくらくらする。なんのためのエクセルなのだ。

「あの、関数が入ってないんですけど。」私は平静を装いながら、このフォームをくれた課長さんに訊いた。するととんでもない答えが返ってきた。

「電卓で計算して入れるねん。なんか、自動的に計算もできるらしいけど、知らんし、めんどうやろ。」

どっちが面倒なんだか。自分ができないってだけやろって思ってしまった。いくらめんどくさがりのわたしでもその状況には耐えられないので自分で関数を入れることにした。

「ここがドルのときはこっちに合計をするように、円のときはこっち。で、ドルにはこのセルの換算レートを乗じて…。」うがー!何でこんなことをせないかんねん!お腹が空いてきた私は半分マジギレである。こんなときに限って、所長が近づいてくる。早く書類にサインして帰りたいのだ。あと2枚だからと目も合わせずに言い放つと席に帰った。

それから30分ほどして、やっと関数がまともに機能するようになった。ふ〜。マックユーザーになって早3年。その間エクセルに触れたことはほとんどない。つらい作業だった。

で、2枚の請求書を3分ほどで作り上げた。私は電卓をたたくのが遅いし、間違えるので、パソコンの方が早くて正確なのだ。って普通はそうだと思うけど。

しかしまぁ、所長にすれば「たった2枚でなんでこんなに時間がかかるんだろう。」と思っていることだろう。いいのさ。辞めるときはこの関数を組み込んだフォームはデリートして辞めるから。

帰り道にローソンで買い、道すがら食べた豚まんが胃袋にしみた夜だった。


2002年01月24日(木) 品定め

またまた会社ネタである。やはり一日のうちの10時間は会社にいるのでどうしてもこうなってしまう。

今日は3人の面接をした。20代の女性ばかりだ。そして、いつものように目を三角にしてパソコンに向かってがしゃがしゃやっていると、所長がもうコートを着てマフラーを巻き、椅子にもたれかかってギコギコやりながら他のおっさんとしゃべっている。

「21才と24才と26才、どれにしようかなぁ。やっぱ21才か。給料安くていいしなぁ。」

私はまたもや聞き耳モードである。履歴書を見ながらこうもほざいた。

「この子、えらい字キレイやなぁ。中国語とフランス語もしゃべれるんやて。ええなぁ。趣味は料理やし。」

すごい、すごすぎる!人選というのはこのようにして行われるのだ。この会社では。料理が趣味でもアンタに食わせる機会は無いと思うが。やはり女は付加価値なのか?と思いつつ、私は職安経由ではなくてよかったと思った。

派遣だと、相手先企業に履歴書は渡さない。そのかわり、資格、簡単な職歴が渡され、実際の面接で自分自身をプレゼンするのだ。私は言うことだけは立派(^_^;)なのでこういうのが得意だ。履歴書だったら落ちていたと思う。字はでかくて汚いし、学歴は怪しげ、職歴は書ききれないほどあるし、趣味はオタ系とアウトドア。採用の際は、学歴や職歴にブランクがあると嫌われるらしい。

来月からそのうちの誰かが来るだろう。でも多分、長続きしないと思う。その理由は明日。


2002年01月23日(水) 解雇の理由

いつものように進まない仕事にいらつきながらがしがしとキーボードをたたいていると、所長が電話で話すデカイ声が聞こえてきた。その話の内容に思わず私は聞き耳をたてていた。

「あの子はやめさせたんや。一ヶ月派遣で雇ってから社員にしたんやけどな、派遣会社にその子の年収の何パーセントかを払わなアカンねん。ホンマに採用するんやったらな。試用期間は派遣期間も含めて3ヶ月らしいわ。いやー、かなわんで。実務経験ないから1からモノ教えなアカンわ、余計に金はかかるわ…。」

「所長、声でかいわ。」私の直属の課長がつぶやいた。私が聞いているのを知っているからだ。

しかしあけすけな男だ。最初から、実務経験のないことも、引き抜いたら派遣会社に支払いが発生することもわかっていたはずなのに。そんな気まぐれな行動で一人の人間のはじめの一歩を翻弄していいと思っているのか。

こんな所に長居は無用だ。エクセルの関数をマスターして、有給休暇が発生したら辞めよう。

って、その前に解雇されるかも。明日、明後日と職安経由で来た人を面接するらしいし。

こういう下らない状況で、先が見えないのは面白い。見届けてやろうって感じだ。解雇されてもこっちは特に困らないし。


2002年01月22日(火) 木枯らし吹く夜は

仕事が6時過ぎに終わったので、1つ手前の駅で降りて歩いて帰ることにした。スーパーに行って、洗濯せっけんやら海苔やら購入するのだ。

荷物を抱え、家につく頃にはすっかり体が冷えており、禁断のコタツに電気を入れずにはいられなかった。は〜、冷えるなぁってことで今晩は鍋物だ。

一人用土鍋に水と昆布を入れて放置。一時間後に水を火にかけ沸騰する寸前で昆布を引き上げる。そこに、アンコウのぶつ切り、白菜の固い部分、椎茸の軸をさいたものを入れふたをし、5分ほど煮る。その間に豆腐、ポン酢などの段取りをした。

こたつにカセットコンロを置き、ふつふつと湯気をあげる土鍋を乗せた。湯飲みに日本酒を入れ電子レンジでお燗をするのも忘れない。お酒をくぴっと一口飲むとほわんとぬくく感じた。

あんこうをつまむ。むむ、フワフワして骨に近い方はぷりぷりだ。んまい!豆腐がポン酢に合うねぇ。くぴくぴっ。という感じで食べ進む。最後はヒヤゴハンにタマゴ、海苔を投入して雑炊にした。全部食べ終わる頃には、お腹パンパン、体も温まり絵に描いたような幸せとはまさにこのことって気分だ。

で、そのまま寝てしまい、気がつくと12時を回っていた。いやいや、コタツ、アンコウ鍋、熱燗の三点セットにすっかりやられてしまったようだ。


2002年01月21日(月) ダークな会社を愛せない

今日は一人社員の女性が会社を辞めた。私とはほんの10日ほど一緒に仕事をしただけだが、バイクの免許を取得中ということで何となく気が合い、食後雑談をしたりしていた。

それは突然だった。先週の水曜日くらいだっただろうか。「21日まででもう来なくていいですよって言われちゃったんですよ。」と彼女は小さな声で言った。え?何でと聞き返すと、支店長から、「やる気がなさそう」「社風に合わない」「向上心がない」、から辞めて下さいと言われたのだそうな。彼女は地味だがごく普通の女性で、率先して電話は取るし、来客対応も率先してやるタイプだ。いろんな会社を転々としてきた私が見ても「やる気がなさそう」とはとても思えない。要は社員減らしなのだろう。

しかし、彼女は専門学校を卒業して、派遣でこの会社に来て、1ヶ月後に社員になって下さいと引き抜かれ、その2ヶ月後にリストラだ。自分に非があったと思いこんで落ち込んでいる。「…どうしたらやる気を見せることができるんでしょうか。」と小さな声で言った。

「会社は正社員から派遣社員に切り替えることによって、経費は半分になるんやで。せやから単に金けちりたいだけなんや。ほやけど、「儲かってないからアンタ辞めて。」って言ったら経営側の無能をさらけ出すことになるやろ?それが嫌やから「社風に合わない」とかどうとでもとれるようなことを言ってるだけやで。自分やったらどこへ行ってもやっていけるで。」と私は言った。特に最後の部分が彼女に届くようにと願いながら。

「ありがとうございます。」彼女は静かに仕事へ戻っていった。それからも何も変わることなく仕事を続け、今日を迎えた。

そして昼食の時間。私が食事を終えてコーヒーを飲んでいると、彼女がお弁当を買って帰ってきた。「支店長が「退職願」を書けって言うんですよ。私から言い出したことではないからって断ると「事務処理上のことで使うだけだから。」って言うんですけど、書いた方がいいんですかね?」と言った。彼女は勤務期間が短いから分からないが、一般的には自己都合と会社都合では失業保険の面で差が出たはずだ。にしろ、自分の都合で辞めるわけではないのに「退職願」は筋が通ってないので書かない方がいいよと言っておいた。

次に今病院にかかっているけれど、健康保険はどうしたらいいと思いますか?と聞かれた。ビックリした。会社側が説明をしていないのだ。普通はするだろ?って思うけど…。私は任意継続という制度で最長2年は今の保険を続けることができるはずだから、社会保険事務所あたりで尋ねたらいいよと言っておいた。

しかし、辞める人を気持ちよく送り出すくらいの余裕はないのかね?と思わずにはいられない。結局彼女は6時頃、「お世話になりました。」「お疲れさん。」のやりとりだけで会社を後にした。送別会も何もないってのもすごい。

今日は仕事上でもいろいろな問題が露出して愕然とした。と、同時に仕事がこなせないのは私が悪いのではなく、会社の旧態依然としたシステム、皆のやる気のなさから来る管理の杜撰さが原因だと確信でき、気が楽になった。

そのへんはちょこちょことこの日記で晒していこうと思う。派遣社員は会社を愛せないのだ。って、社員さんもちぃ〜っとも会社を愛してるとは思えないけど。


2002年01月20日(日) ええんか、ギャル世界

だんなさんを見送りに大きな駅まで出てきた。電車の時間までちょっと余裕があるのでセルフ形式の店でコーヒーを飲むことにした。

そこは店の真ん中に10人がけの大きなテーブルがあり、私たちは真ん中らへんに並んで座った。私がコーヒーを買ってきて席につくと、私たちの向かいの席にギャル二人組がやってきた。

まさしくギャルギャルしていて、ギャル以外のナニモノでもない。とうもろこしの毛のような痛みきった金髪、宝塚状態の目張り(アイラインと言うべきか)、まさしく妖怪度では野村沙千代といい勝負である。二人はコートで陣取りして食べ物を買いに行った。

私たちはコーヒーを飲みながら主にiMacのことについて話していた。するとギャル達が帰ってきた。二人はアイスミルクティーと明太子フランスパン、フルーツタルトを注文していた。(しかし、よく見てるなぁ。自分)

二人はおもむろにガムシロップをミルクティーに入れた。どぼどぼどぼ!何と一人3つだ。何も中ジョッキにミルクティーが注がれている訳ではない。私たちはあっけにとられ、話をしつつも二人の動向に釘付けである。

二人は適当にむしりながらパン類を食べ、ミルクティーを飲んでいる。でも何かが変なのだ。よく観察すると、食べ物をあまり動かさないで食べていた。アイスミルクティーはテーブルに置いたままアタマを下げてストローを口にくわえて飲んでいる。食べ物はいわゆる犬食いだ。むむむ。

ががっと食べ終わると、二人して追加の食べ物を買いに行った。ダンナさんもあっけに取られていたようで、ニヤニヤしていた。

しかし、まぁどんなもんかねと思ってしまった。ルイビトンの「エピ」のハンドバッグにお揃いの財布、ロペの白のロングコートを羽織り、ネックレスはティファニー、時計はカルティエ。それで犬食いだ。

サンドイッチを買ってギャル達は戻ってきた。すると、食べ終わったケーキの皿の上に斜めにお皿を重ね、食べはじめたではないか。サンドイッチの横のポテトチップスを犬食いしながら、「これ油であげてんのかな?」と会話していたのも興味深かった。油であげへんかったら、どないして作ると思っているのだろう。

サンドイッチを食べ終わり、今度は化粧直しだ。油とり紙で油を取って、お皿の上に置いてももはや驚きはしない。枝毛までむしって身繕いは完了したようだ。そしてバージニアスリムライトをとりだし吹かしているが、全然さまになっておらず、好きで吸っているとは思えない吸い方だった。そして最後に灰皿をお皿の上に乗せ、トレイを私たちの目の前に放置してギャル達は去って行った。

そのトレイを片づける店員さんが本当に気の毒に思えた。こういう人をかいま見るとまさに異星人を見た気分になる。と、同時に自分が年をとったような気持ちにもなる。

しかしまぁ、私はほんとによく見てるなぁと我ながら感心してしまった。その能力をもっと有効に使いたいところだが、今のところ使い道を思いつかないのが玉にキズだが。


2002年01月19日(土) トキメキの電化製品

毎日会社の報告ばっかりで気が滅入っていたので今日は物欲ワールドに足を踏み入れた。私の場合、物欲ワールドはファッションやコスメ、こじゃれたグルメではなく、パソコン、アウトドア関係、乗り物関係、酒関係、などの方面になるが、今日は電化製品に燃えているのだ。(萌えているというべきか。)

最近大阪では大型家電量販店がしのぎを削っている。東京系「ビックカメラ」「ヨドバシ梅田」「ヤマダ電機」など。どこもポイントカード制度を導入し、キャッシュバックをしてくれる。店員さんも若い人が多く、愛想も良い。レシートを両手で手渡ししてくれるのはびっくりした。しかし、「これとこれと買うからまけて。」は通用しない。

かたや古参の大型店だ。「ジョーシン」「ニノミヤ」「ミドリ電化」「マツヤ電機」などがあり、ポイントカードもさほど力を入れておらず、耳にエンピツを挟んだオッチャンと電卓をたたきながらあーだこーだと交渉する。「持って帰るからまけてーな。」「これとこれ買うからまけてーな。」「なんかちょーだい。」がある程度通用する。

大阪商売は好きな世界だが、最近は悲しいかな東京系大型家電量販店に足が向いてしまう。それはごく単純に店がでかいからだ。1つのビルでパソコンから書籍、おもちゃにカメラに時計、カーナビ、5.1chシステムまでいじくりたおせるなんて!ってことで立ち寄ってしまうのだ。

今日はまず、カーナビを見た。すると嬉しいことに目を付けているHDDナビと、評判のよいDVDナビ「楽ナビ」が並べて置いてあり、操作してみることができたので二人してかなりとりつかれて遊んでしまった。しかし、HDDナビはすごい。スーパーマップルを開くときに開きたい地域が一発で出たときのうれしさが連続するような感じだ。クイックなレスポンス。電話番号検索も一瞬だ。これはお金さえあれば買いだと感じた。文明の進化度で言えば、馬車の時代に自動車が登場したのに値すると言うのは言い過ぎか。

次は顕微鏡を見た。ダンナさんは望遠鏡派だが、わたしは顕微鏡派なのだ。小学校の入学祝いに今は亡き父親が何故か顕微鏡を買ってきた。染色液、メス、プレパラート類がセットになった本格的なものだ。母親は危ないと言い、メスと染色液セットはしまわれてしまったが、私は顕微鏡のミクロ世界に引き込まれて、いろいろなものを覗いていたのだ。最初は塩の結晶、タマネギの薄皮など「コドモの科学」で紹介されているようなものを見ていたが、そのうちに潰した蚊、カサブタ、まゆ毛の毛根など、そこらへんのどうでもいいようなものを見るのに尽力するようになった。

で、店頭の顕微鏡である。同じメーカーの物が売っていたが値段は当時とあまり変わらないような感じだった。しかし、小型CCDカメラをセットして、外部モニタに出力できるものがあってうなってしまった。これはイイ!パソコン用としてはインテルから子供用のUSB接続の顕微鏡が出ているが、これは倍率が低く使い物にならないのだ。うう、欲しい…。

その他、食器洗い機、Athlonデュアルのマザーボード、LinuxとウィンドウズのデュアルOSのノートパソコンなど色々見て回り、気が付くと晩の7時を越えていたので外に出ようとした。すると、入り口ロビーに人だかりが出来ていた。なんだなんだと近寄ると、そこには新型iMacが鎮座しているではないか!しかも1メートルほどの台座にのっかっており、上から透明アクリルのケースがかぶせてあり、そのケースを触れないように、柵のようなものがしてある。まるで秘宝展ではないか。

私たちはiMacを凝視した。イメージとしては雪見だいふくにつまようじの旗を刺して100倍に膨らませた感じか。ダンナさんは「水まんじゅうみたいやな。」と言った。全面を検証すると私たちは背後に回った。真後ろに電源ケーブルが出ているので壁にぴったりと付けることはできないようだ。気になったのは再起動穴、ディスクの強制排出穴がないこと、起動ボタンが本体背面にあるのが使いづらそうということだ。あ、キーボードに起動ボタンがないのも不便そうだし。

それより何よりメモリの増設が一番のネックだと感じた。メモリスロットはデスクトップ用(DIMM)が1本しかなく256Mで埋まっている。増設は底面にノート用(SO-DIMM)のスロットがあり、そこに刺すようになっている。しかし、最近はあんまりSO-DIMMなんて売ってないし、大容量の物はめちゃ高い。本体内部のDIMMスロットにユーザーが大きなメモリを刺すと保証がなくなるシステム、もしくは、認識しないシステムのようだ。詳しくはわからないが。これは次期マイナーバージョンアップを期待することにした。

かくして、物欲じゅるじゅるワールドを満喫して、私たちは帰路についた。何も購入していないのがミソである。


2002年01月18日(金) 投げられて

いつものように私は机に向かい書類をひろげ、資料と電卓をにらみ検算をしていた。わたしの机の右下には引き出しがあるので右側には次にやる仕事が段取り順に並べてあり、私が手を着けるのを待っている。

そこに白髪アタマをポマードで固め、三つ揃いの紺色ストライプスーツを着た、50過ぎの骨皮筋右衛門(死語)のおっちゃんが帰ってきた。そしてやにわに書類の束を取り出し、背後から私の段取りつけた書類の上に歩きしなに投げつけた。その距離約1メートル。風圧で一枚ものの書類は床に落ちた。

私はとっさに振り返りきっと目を見た。おっさんは一瞬目を合わせたが目をそらしコーヒーを入れに行った。その間無言だった。

私はショックを受けてしまった。これが仕事を頼むときのやりかたなんだろうか?「はい」とでも一言言って手渡しすることもできないのだろうか。それとも、ここ1週間くらいに入ってきた腰掛けに過ぎない派遣社員にそういう配慮は不要だと思っているのだろうか?

斜め向かいの課長(女性)に事実を伝えた。帰ってくるなり無言で書類を机の上に投げられた。指示がなかったので対応がわからないと書類を見せた。すると、「あの人はいつもそうやねん。一番後ろだけ外して私に渡してくれたらええわ。」と事も無げに言った。おいおい、そういうことじゃないだろ?

何で会社として書類を投げてよこすことを許容できるのだ?1つのオフィスの中で1つの会社として仕事を進めている以上、役付きも派遣もつながって仕事をしているはずだ。そんな中でそのような礼を欠いた振る舞いは許されないと感じている。上下関係はあってしかるべしだが、下の者はドレイではない。

こんなことは社会人になって11年目で初めてだったので、深夜に帰ってきただんなさんに話した。するとだんなさんも書類を投げられたことがあったそうな。ダンナさんは設計関連の仕事をしているのでA0の大きな図面を検討しているその真上に投げられてキレたそうだ。

「そのまま、ゴミバコに突っ込んだったわ。目の前で。」後で上司に呼び出されたが事実関係を伝えると、何もおとがめはなかったそうだ。さすがである。わたしもそうすればヨカッタが、なにぶん修行が足りないので何も対処ができなかった。

でもまぁ、相手のおっさんも私がにらみつけたことを感じているだろうから、それをよく思わずに支店長に報告するだろう。で、私の契約がどうなるか見物だ。愛想もしない、質問が多い、華やかさのカケラもない派遣社員。「向上心がない」「社風に合わない」などお決まりの主観的なせりふで首切りするつもりだろうか?それならそれで引継しないでやめちゃうけどね〜。

(だいたい、「コピーのしかた」なんて引継できないし。どれくらいずらして原稿を置くかとかは体で覚えないとわからんぞ。わかりたくもないけど)

とりあえず、月曜日に派遣会社の担当さんに報告することにした。先手を打たないと「私がにらんだ」ということだけが先に報告されて私が不利になる可能性大だからだ。事実は都合のいいように歪曲されがちだ。

長くはないな、この会社…。


2002年01月17日(木) 媚び

「あたしってチビだから少しでも大きくなりたくて牛乳飲んでるんですぅ。」「おお、そうかそうか。」

このやりとりを聞いて、わたしは弁当を食べる箸を落としそうになった。牛乳を飲んでいた同僚女性(26才・独身)に向かって、おっちゃん(60少し前)が「おお、牛乳飲んでるんか?」と話しかけたことから始まった会話だ。

なんだかなぁ、と私は思う。私なら、「はぁ。」で終わりだ。第一そんなとっかかりで会話するのを好まないし。

しかし、彼女は社内のムードメーカー的存在のようだ。仕事もてきぱき、電話も率先して取り、そして、おっちゃんとの会話も盛り上げる。ぴたぴたのニットスーツに網タイツというのも雑居ビルの片隅にある小企業を盛り上げる一端を担っているようだ。

かくいう私は髪の毛を1つにまとめ、茶色のコーデュロイのシャツに黒のストレッチパンツ。仕事中に私語はほとんどしない。しゃべることで集中力がそがれて仕事にロスが出るからだ。それは私だけでなく、会話の相手にも言えることで迷惑をかけたくないという思いがあるからだ。

で、牛乳である。26才になって牛乳を飲んだからといって背が伸びるかどうかは別にして、26才にもなってそんなちゃらけたことが口に出せるなぁという恥ずかしさを感じた。自己紹介で「ちょっとドジでおっちょこちょいのワタシですが、がんばりますのでよろしくお願いしま〜す。」という言葉(斜め会釈付き)を聞いたときの虫酸の走り方に似ている。媚びのにおいがするのだ。

年齢、既婚・未婚に限らず、ある程度の「媚び」を含むことが女性が生きていく上で上手くいくエッセンスのようなものになるのかもと感じることがある。「カワイイやつめ。俺がフォローしてやらなきゃな。」とちょっと思わせることで周囲の単純な男性は親しみを感じ、うまくいくようフォローしてくれるのだろう。

あ〜、うざい。フォローはいらんからとにかくきちっと自分の仕事をしてくれと思う私には、別世界だ。

う〜ん、やっぱりこの会社、私には合わないなぁ。


2002年01月16日(水) 4日目の真実

今日からは一人で仕事をする。前任者が15日までの勤務だったので辞めてしまったのだ。引継がたった3日というのは初めての経験なので少し不安である。

かくしてその不安は的中した。この3日間は流れをつかむのが精一杯で細かいところを注視していなかった。前任者の彼女が、イレギュラーな事項のない書類作成だけを回してくれていたようだ。例えば、会社ごとの資料を見て書類を作成するのだが、その資料というのが曲者なのだ。

エクセルで作成し、印刷して綴じてあるのだが、変更があったときなどはエンピツでごしゃごしゃと消して殴り書きしてあったり、最後のページにぴろんと一枚紙を貼り付けたりしてあり、一覧性に欠ける。しかも、会社の「暗黙の了解」となっている項目(客先の電話番号が変わったが、みんな知っているので特に記載していないとか)の連発で、そんな書類を見ながら文書を作成しても意味がない。午前中に作った書類は多かれ少なかれ全てチェックが入っていた。

午後からはその修正。資料が合っているかどうかいちいち聞かなくてはならない。聞く相手は直属の課長さん(女性)なのだが、忙しくしょっちゅう電話がかかってくる。話の途中で電話が入ると、中断し、電話が終わると「何を話してたんだっけ?」という調子だ。この間にも新規で作成するべき書類が机に山積みだ。

結局定時を過ぎ、営業さんが全て帰ってしまって、所長とその課長、私と経理の女性だけになった。私はひたすら書類を訂正、プリントアウト。私の作った書類を所長がチェックしてサインをして終わりなので書類が出来ないと所長は帰れないのだ。手持ちぶさたのようでコートを着て、マフラーをして椅子をギコギコ言わせて課長と雑談をしている。課長もパソコンを終了させているし。なんかめちゃくちゃプレッシャーを感じてしまう。

そんな中、あっと驚く事実が判明した。文書作成のひな形が間違っていたのだ。同じ書類でも客先によって微妙に記載事項が違うので、何通りかひな形があるのだ。しかし、引継で、前任者の子が、同じ会社の書類は前に作ったものの数字だけ変えて別名で保存したらいいと説明してくれたのでそうしていたのだ。しかし、課長さんが言うには、いちいち新規フォームから全部打ち込んで作るべきだと言われた。そうしないと、電話番号が変わっていたりするのに古い番号の資料をひっぱってきて間違えたりするからするからするからだそうな。

「そんなんデータベースで処理すれば会社名から自動で引っ張ってこれるのに。」心の中でそう思った。でも、時間がないから明日、課長さんが全部修正することになって、今日の仕事が終わった。

今まで情報をデータベースで管理してない会社は初めてなので勝手がよくわからない、がどのようにしてアナログな仕事の知識を得たらいいのかは不明だ。きょうび、白い紙に印刷したものをコピー機で会社の指定の用紙にコピーし直すって意味があるんだろうか?どうして直にプリントアウトしないかと聞いてみたら、プリンタにトレイが一個しかないので白い紙しか入れられないからだそうな。(^_^;)

まるで昭和40年代のような超アナログなこの会社、本当にやっていけるのか不安である。

とりあえずの試用期間が一ヶ月だから来月の今頃はプータローに逆戻りかもしれない。が、起こってもいないことを心配しても意味がないので、今日は今日、明日は明日と思い、仕事をこなすことにしよう。


2002年01月15日(火) 変身!

今朝は出がけに定期券を探すことになってしまい、いつもより一本遅い電車に乗った。幸い空席があり、私は若い女性の横に腰を下ろした。

ナニゲに彼女の顔を見るとびっくりした。まゆげがないのだ。結構彫りが深くて顎が細いので西洋人系の顔なので怖い。傍らに置いてある大きな黒いトートバッグからやにわに化粧ポーチを取り出した。

げげげ!ここで化粧をする気だ。しかもフルメイクである。わたしは見ていないふりをしつつつぶさに観察する。化粧水、ファンデーション、まゆ毛、マスカラ、口紅、名前のわからないクレヨンのようなもの…。向かいに座っているおじさんも凝視している。

私が降りる駅に到着した9分後、彼女はヴォーグのモデルさんのように生まれ変わっていた。腰まである栗色の髪の毛、175センチほどの長身、黒のトレンチコートに、これまた黒のストレッチパンツ、黒のピンヒールブーツ。通勤時間帯の比較的地味ファッションの多い地下鉄では非常に目立つ。

が、しかし、まさしく化粧は変身なのだ。そして、変身にはテクニックが必要なのだ。揺れる電車の中で、一本一本まゆ毛を描く。毎日続けていれば、そのうち米粒に顔を描くこともできるようになるかもしれないと思ってしまう。

いやいや、いいものを見せてもらった(^_^;)


2002年01月13日(日) 大人の世界

私は好きな物にはとことん入れ込んでこだわるが、あまり興味のない物に対しては本当にてきとうである。「時計」というものを考えたとき、時間さえ分かればえーわという感じで結婚前に妹から買ったG-shockをずっと使っていた。その前はカナダのスーパーで10ドルで購入したTimexのデジタル時計だった。

特にこだわりはなく、強いていえば丈夫なこと、汗をかいてもくさくならないこと、秒針がチクチクいわないことが選ぶ基準で、自ずからデジタルでウレタンベルトの時計を選んでいた。

しかし、会社に勤めるようになってから、そうは行かなくなってしまった。特に今の会社は自分の位置から掛け時計が見にくい。しかも、パーカーをやめて、ピーコートを着ると、G-shockでは袖口に対して大きすぎるせいか、非常に見にくい。

ということで、今日は時計を購入した。国産のレディース用ダイバーウォッチなのだが、これが気に入ってしまった。エコドライブという仕様になっていて、文字盤が光発電を行い、電池交換が不要。メタルのベルトに紺の文字盤がオシャレだ。でも、200m防水に、ねじ込みリュウズというダイバーウォッチとしての基本は押さえてある。しかも耳に当ててもチクチク言わないのだ。

一万円以上する時計を購入したのは初めてで、最初はなんでこんなに高いんやろと思ったけど、腕にはめてみるとその良さは分かった。海に潜るときはG-shock、日常はこの時計で行こうと思っていたが、海で使ってもイイかもしれないと思い始めている。

もっとも、「高い時計はいいねぇ。大人って感じだねぇ。」とダンナさんに話したら、「10代でもしてるで。」とのたもうた。ほんまかいな。私が高校生の時は謎のファンシーショップ(死語)で購入した1980円のムーンフェイスの時計で満足だったのに。

でもまぁ、当時と比較して10倍も高価な時計をしている私は何だか大人になったなぁとしみじみしてしまうのだった。


2002年01月12日(土) 食べるヨロコビ

昨晩は深夜にダンナさんが帰ってきたが、私が残業で燃え尽きていたので焼酎をちょこっと飲んで寝入ってしまった。

今日目が覚めたのもお昼ごろでアタマはひたすらぼーっとしていた。お正月の残りのお餅を使ってぜんざいを作り、それをすすりながらコタツで吉本系バラエティーを見た。う〜ん、のんびり堕落モードなのだ。

「寿司、食べたい…。」ふとダンナさんがつぶやいた。そうだ今日は寿司を食べよう!しかも回っていない寿司にすることにした。決まれば行動は早いさっとぜんざいを完食し、着替えて出かける。目指すは神戸のうを○という店なのだ。

バスに乗り駅まで出て、そこからJRで一路、神戸へ。目的の店は既におばあさんが一人待っていた。10分ほど待ってから、テーブル席へと案内された。早速冷酒とあん肝の付出し、たいらぎという貝のお造りを注文する。

「ううう、うまい…。」あん肝を食べたダンナさんがつぶやいた。どれどれと私も手を伸ばす。「ううう。」今まで食べたあん肝は何だったんだ。う、うますぎる〜。しばしあん肝に静かな賞賛を送る。

次はお寿司だ。ここではお品書きを見て、メモに書いてオバチャンに渡すシステムになっている。まず、白子の軍艦、鰺の棒ずし、蒸し穴子、しゃこの握りを注文した。人肌の白子になごむ。鰺は軽く酢で締めてあり、ごはんと鰺の間に青ジソをはさみ、上に透き通った昆布が乗っている。あまり鰺が好きではないダンナさんもはむはむと食べている。蒸し穴子は小骨のさくさくした感じが皆無で、口の中でばらけてゆく感覚にしばしふらふらする。私は回転寿司などの穴子は好きではないがここの穴子は好きなのだ。

酒は冷酒から熱燗大に変わっている。「来てヨカッタなぁ。」ダンナさんがつぶやく。うん、私もそう思う。上巻をつまみながらしばししゃべる。

そのとき私の背後のカップルの会話が耳に入ってきた。「サザエの肝なんて。自分、アワビの肝、食べたことある?」出た!うんちく男だ。何気ないふりをしてその男の顔を見るとまだ20台前半だ。めがねをかけ、ナニゲにヤンエグ(死語)を気取っているようだ。ダンナさんの顔がニヤニヤしている。そして、つぶやいた。「…、アワビなんか海潜って捕るもんやで。」確かに。

その時私たちに寿司第二弾が運ばれてきた。サバ、こはだ、イワシの青魚3兄弟に、鯛皮の軍艦巻き、かきの軍艦巻きだ。身がしっかりした小ぶりのかきにもみじおろし、ポン酢、アサツキが乗っている。かきの実力を感じずにはいられない。鯛皮はさっと湯通ししたものをもみじおろし&ポン酢で和えてある。独特のぷにぷに感があって、熱燗大を追加注文した。

その間もうんちく男は語っていた。「え〜、天安門広場行ったのに写真撮ってないの?あそこ行って写真撮らないで何してたの?あそこは歴史の…」ほんとにうるさい男だ。お前こそ、寿司屋に来て寿司食べないで何してんねん!もうちょっと酒が入っていたらいぢめているところだった。

しかし、せっかくのいい気分をこのままにしたかったので私たちはその店を後にすることにした。お勘定は占めて6500円くらいだった。いやはやびっくりである。結局熱燗4合、冷酒2合を飲んであれだけ寿司を食べたのに。

二人してニコニコモードで夜道を歩く。今日は幸せな一日だった。


2002年01月11日(金) 不安のかげ

昨晩、日記を書き終えてフトンに入って寝転がって本を読もうとしたら左手首に激痛が走った。手首があまり動かせない。う〜んとうなりつつ、冷蔵庫から湿布を出して貼った。じわ〜んと成分が染みいる感触がある。

事故したとき、私は両手首を骨折した。右は本当にぽきっといっていたので手術をしたのだが、左は剥離骨折だったのでギプスで固定しただけだったのだ。もっとも両手首手術をしてしまうと、日常のことが全く出来なくなってしまうので、あまりやらないようだが。

リハビリは足とは別に作業療法士の先生がやってくれていた。どちらの手首も固定していたので胸の前で手を合わせることができなかった。いわば、インドの踊りでひじを左右に付きだして、手を合わせるあのポーズが出来るようになったのは半年ほどしてからだと思う。リハビリ中に先生は言っていた。手術したほうがちゃんと治ると。要は変なくっつき方をしないからだ。

現在、右手は不自由もないし、痛みも出ない。しかし左は完全に普通に動くとは言い難いし、今回、上記のように傷むことが判明した。会社のパソコンにはパームレストがないのでこうなったのだろうが。

来週から会社に家のパームレストを持っていこう。それでどうにかなればいいのだけれど。

私からパソコンを取ったらどういう仕事をしたらいいのかイマイチ見当付かないし…。


2002年01月10日(木) 仕事の味

2000年8月10日以来、1年6ヶ月ぶりに働いた。結果、心地よい疲れでビールがうまい。パソコンを使う仕事なので目の奥がじ〜んとした感じはあるが、あくまで心地よい。

私の仕事は各方面から集まってきた書類を1つにまとめて、それを画像に変換して、各方面にメールで配布するのが主だ。やることは単純だが、為替レートの違いで微妙に出た誤差を吸収したり、なかなか気を使う。

しかし、こういうように大きな流れの中で、ひとつひとつ積み重ねて行く感覚はなかなか一人では味わえない。別に仕事が好きなわけではないが、作り上げて達成して行くというのは気持ちがよいように感じる。

人に依ると思うが、やっぱり私は元気なうちは働きたいと思う。コドモなし、介護する人なしの専業主婦の「三食昼寝付き」的ぐうたら生活もいいのだけれど、充実感がないと私は感じてしまった。

もう一つ、働くことで夢が加速する感じがするのだ。女性の友人は「ダンナさんがいるんだから頼ったらいいじゃん。」みたいなことを言うが、やっぱり私の人生は私の物なので腐らせるのも、加速させるのも私だと思っている。外の空気を吸うことで、何か新しいインスピレーションが生まれることがある。それに、経済的に少しでも自立できるきっかけがあるというのは嬉しい。

これからは「働く主婦」なのだ。って、主婦らしい行動はほとんどしてないけど…。

あ、だんだん眠くなってきた。嬉しいなぁ。飲んだくれずに12時前に眠れるなんて。


2002年01月09日(水) あったらいいな・1

あったらいいなとたまに思う物がある。それは「読書バー」なのだ。どういうところかと言うと、住宅街にあるコーヒー専門店の喫茶店などの雰囲気でお酒を飲みながら、ひたすら本を読むことができるバーなのだ。

外で読書をしたいときがある。ふと探していた本が見つかって早く読みたいとき。異世界を満喫したいときなどは、家以外で読みたくなる。アウトドア系の本なら、河原や公園で読んだりするが、一代記のような物は集中して一気に読んでしまいたい。それは、家のコタツやフトン内ではだめなのだ。じーっと読んでいると、「靴のカカト直します〜」というおばちゃんやら、生協の音楽付き配送トラックが来たりしてどうもイマイチである。

一時期、マクドやスタバなどの外のカフェで読もうと試みたことがある。結果は失敗だった。他のお客さんがしゃべるのを聞いてしまうのと、コーヒーだけでひたすら座っているのがどうも心地よくないのだ。確かにああいう店は回転させてナンボだから仕方ないけど。

そこで思いついたのは読書バーである。ここは私語禁止である。店に入るとふとママと目が合う。ママは棚からキープ本とキープボトルを取り出し、客Aの前に置く。客Aはコートと鞄、そして携帯電話をママに渡す。そしてグラスにバーボン(焼酎でもいいけど)を注ぎ、おもむろに本を開き、しおりのある185ページから本の世界へ入って行く。さて、ママは携帯電話を消音にし、カウンターに並べて自らも読みかけの文庫本の続きを読む。

小さな光がともり、携帯電話に着信があった。ママは無言で電話を手に取り、客Aに渡し別室に行くよう目配せする。客Aは電話を持ち、傍らのドアを開け、電話ボックスほどのスペースの別室に入り会話をする。もちろん、この部屋には防音加工が施してあり、音が外へ漏れることはない。数分後、客Aはウンザリとした表情で別室から出てきた。ママは電話を受け取ると、年季の入ったターンテーブルに客Aがお気に入りのレコードを乗せ、針を落とし、ボリュームを小さく絞る。客Aは目でにこりと笑い、再び本の世界へ入っていった。

なんてことが出来れば外読書も楽しいのだ。もっとも、どういう風にお客さんから料金を頂いたらいいのかは謎だが。それに、全然儲からなさそうなのが問題かも…。

今日は風が冷たく、一日家でぼんやりしていたらこんなこと考え一日が終わってしまった。とほほっ。

明日は仕事なのだ。


2002年01月08日(火) 物欲ワラワラ

午前中のメールチェックで気になるニュースが入ってきていた。マックワールドエキスポで新しいiMacが発表されたとのこと。早速見に行ってきた。

これがまた…。液晶画面にDVD-R、写真集を作るiPhotoなどという機能も付いている。デザインは一新されて、まさに個人の愛玩動物的マシンだ。白&透明なのでまさしく「白&透明のニクイ奴」って感じだ。

「これって、絶対iPodのとなりにあったらいいよな〜」などと、妄想の物欲ワールドへ入って行く。ぐるるるる〜。1799ドルなので日本円なら22万くらいか。iPodと込みとしても、毎月2万円貯金したらマイナーチェンジするころにゲットできるなぁ。でも、OS X対応アプリって持ってないしなぁ。考えるだけならタダなのだ。

こんなにわくわくできるパソコンってきっとiMacしかないような気がする。私はマック至上主義ではないが、「絶対性能の劣る機械の魅力」が分かったのはiMacを手にしてからだ。目に見える部分、手に触れる部分が単純で見た目通りなところが好きだ。

来月は久しぶりにマック雑誌を買おう。


2002年01月07日(月) 初笑いフロム関東

関東某県に住む妹が大阪に遊びに来たので、待ち合わせて飲みに行くことにした。彼女は6才年下で、かなり感性も異なるので会話していると思わぬ所で笑ってしまう。

和風料理屋風居酒屋で、お造りなどをつつきながら話をした。最近引っ越して1つだけ嫌なことがあるそうだ。何かと尋ねてみると、「トイレのドアノブが結露する」ことだそうな。何でも、知らずに触ると気持ち悪いらしい。私が、ノブカバーでも付けたら?と提案すると、「それの方が嫌や。触ってグッショリしてたら嫌やろ?」とのこと。グッショリ濡れるドアノブって一体…。

彼女はとある競輪場を管理するオフィスでアルバイトをしているのだが、職場の話にはビックリしてしまった。公務員だから、ちっとも仕事をしていないオッサンが大半だそうな。会社の機械でCD-Rを焼きまくったり…。彼女いわく、「一般企業やったら半年でつぶれるわ。」とのこと。いまだにそんな職場があることが信じがたいが…。

また、彼女の住む町に「109」が出来たらしい。オープニングのイベントで、本家渋谷の109からカリスマ?店員の人が来たらしく、それなりにもりあがったとのこと。しかし、彼女が見た感じ、「きっとあのカリスマの人ら、心の中でケッって思って帰っていったで。」という雰囲気らしい。しかも、その109は最上階が100円ショップのダイソーが入っているらしい。ワンフロア丸ごとだ。で、「地元のおばちゃんがな、エスカレーターで最上階に直行してやな、ぐわ〜っと買いもんして両手にぐわ〜っと袋ぶら下げて降りてくるんや。ホンマどないかせーよって思うわ。せめてスタバかマクドにせーよって。」ことらしい。本家渋谷の109はどうだか知らないが、まぁ、「ダイソー」ってことはないと思う。

最後に彼女はおみやげをくれた。それは彼女の関わる競輪場のカレンダーと、うまい棒きりたんぽ味、うまい棒なっとう味だった。カレンダーは選手が載っているので現地ではかなり人気が高いらしい。うまい棒はそれぞれ秋田の子のおみやげ、水戸の子のおみやげらしい。私はレア物好きなので喜んで受け取った。しかし、全然彼女の地元とは関係ないような気がするが…。

と、機関銃の如くしゃべりたおして、彼女は夜行バスで大阪を後にした。久しぶりにベタな笑いを満喫して、笑ってお腹が疲れてしまった私は家に帰るなり、ばたんグーと寝てしまったのだった。


2002年01月06日(日) 物欲魔人、襲来!

印鑑証明というものを作ることになったので、印鑑を買うことになった。家に印鑑があるにはあるのだが、それはダンナさんの実印になっており、それとは別に私の実印がいるそうなのだ。

しかし、私はシャチハタ以外の印鑑を購入したことがなく、普通の印鑑がどこに売っているのか分からなかった。商店街の文房具屋さんならありそうだが、日曜日に商店街は閉まっている。

そこで、(私にとって)娯楽の殿堂、「東急ハンズ」に行くことにした。ここには魔物が潜んでいるとしか思えない。文房具、調理器具、輸入物の気の利いた家具、無添加せっけんの類、工具類。理科の実験道具まで売っているのだ。ここに行くとふらふらとしてしまい、ものすごく時間を食ってしまうのは目に見えている。そしてお決まりの散財…。ということで、なおぞう家では東急ハンズには足を踏み入れることを禁じていた。(お互いに)

しかし、はんこのためならしょうがない。わたしはバスに乗りハンズへと向かった。最上階の文房具売場であっさりとはんこは見つかった。と、同時に朱肉付ケースも購入。次は下の階で超大阪ちっくなはがきを購入。海外の友人用だ。今度は化粧品の階へ。ここでなんと、前から気になっていたドイツの化粧品を見つけた。ネットで見つけたのだが、やはり実物を見ないと買う気になれず、カタログを見てうなっていたものだ。やはり実物はヨカッタ。ふらふらと口紅を購入。実は口紅を買うのは人生でこれが3度目。前の2本はあまりにも使わないので脂臭くなり、最後には溶けてしまった。いやはや、今回のは大事にしなくては。

次の階は家具売場。ここでも見つけてしまった。垂涎の鉄の本棚だ。倉庫などにあるアングル棚の奥行きを狭めたもので、奥と、側面にこぼれ止めのワイヤーが張ってある。いいではないか〜。現在、家ではカラーボックスに本を突っ込んであり、その重みでカラーボックスは崩壊寸前なのだ。この鉄の本棚を2つ購入すれば、とりあえず、段ボールに突っ込んである本に日の目を見せることができるはず。しかし、これは持って帰れないので、クルマを買ったらダンナさんと来ようと決める。

この家具の階にはもっとそそるものがあった。それは、手作り楽器キットなのだ。ウクレレ、ミニギター、バンジョー、バイオリンなどがある。ミニギターはかなり惹かれてしまった。もっとも、今持っているウクレレを弾きこなさないと勿体ないけど。

そして、一階の鞄売場で沈没した。会社に持っていけるようなデザインで、A4ファイルとお弁当、ペットボトルが入るような鞄を探しているのだ。入院前までは、バイクで行っていたし、制服があったので、まるっきり日帰りツーリングの格好で通勤していたのだ。木曜日からは制服ナシ、地下鉄通勤なのでリュックを背負ってというわけにはいかない。しかし、そこではオビに短しタスキに長し、という感じで欲しい物はなかった。

外に出ると、もう日が沈んでいた。時計を見ると到着してから4時間が経過している。ここからバス乗り場までは大阪一の活気ある商店街だ。お腹もすいたし、散財もしたくないからさっさと帰ろうと心に決めて歩き出した。

が、世の中はバーゲンである。ふと見ると良さげな革靴がこっちを向いている。ふらふらと靴屋に吸い込まれると、私が探していたものに近い。でも、サイズがなかったのでがっかりするやら安心するやら…。

次は鞄屋さんだ。ここはブランドものの店らしく数点がディスプレイしてあるだけで店内は閑散としており、マダ〜ムな店員さんが厳かに構えている。普段なら全然縁がないタイプの店だが、一番手前に、前述の私の希望を満たした鞄があったので吸い込まれた。

その鞄は素晴らしかった。A4ファイルはちゃんと入る。ハンドバックなのだが、肩紐もついており、肩に掛けることもできる。しかし、トートバックのように角張ってでかいタイプではない。まちも大きいのでお弁当もOK。しかも、入り口はちゃんとファスナーで閉じるようになっている。牛革と目の詰まったナイロンのコンビでナイロン部分は防水加工。うむむ。質実剛健。私好みなのだ。

ジーパンにワークブーツにピーコートという場違いな私にも店員さんはやさしい。丁寧に仕様を説明してくれた。鞄の底に傘を入れるトンネルのような部分もあったのだ。「よろしければ、どうぞ。」と、いい紙でできたカタログをくれた。「買え〜」と電波を送って来ないところが気に入った。3回飲酒を止めれば買えるとは思うのだが、これが高いのか、安いのかよく分からない。実はザック以外の鞄を買ったことがほとんどないのだ。値段的には70リッタークラスの巨大ザックと同じくらいの値段なのだが。(比較するのもおかしいかも)

鞄の誘惑にふらふらしながら歩くと商店街も終盤だった。しかし、ふと見ると安いので有名な布地屋さんがたたき売りをしている。覗くと、これまた私が探していた布地があった。「クレーマークレーマー」の映画に出てきたような空の模様の布だ。激安だったので一気に3メーター購入。これで脱衣場の間仕切りを作ろう。

もうすこしで商店街を抜けられる!というところで今度は輸入食料品屋が手ぐすねを引いている。クリスマスの残りのお菓子&ワインセットがお得感バリバリだ。奥にはシャンパンが安売りしている。はぁはぁと荒い息を吐きながら買わずに出てきた。空腹で判断力が鈍っている。こんなときに買い物をしてはいけないのだ。

かくして、物欲魔人に翻弄され、5時間の旅を終えたわたしは燃えカスのようになって家に辿り着いた。


2002年01月05日(土) 思い起こせば

久しぶりの通院で、今日はダンナさんと一緒に病院へ行った。今日は通常の診察ではなく、「症状固定」という作業をする。現状でどういう状態であるのかを書面で残し、慰謝料などの算出に利用するのだ。

この「症状固定」というのは、ある意味、「ここで終わりですよ」という区切りなのだ。これをしてしまうと、休業補償という前職の給料をもらうこともできないが、自由に仕事をすることができるようになる。治療費を払ってもらうことは出来なくなるが、来たければ自分の意志でリハビリを受けることができる。「ここまでで治癒は限界です。」という時点で線を引くのが本来なのだが、実際は「こんなもんやろ。」という感じで症状固定をすることが多いようだ。私のような交通事故で、金属を入れ、不要になったら取り出すという過程を経る場合、一般的に金属を取り出したら即、「症状固定」というパターンが多いようだ。

しかし、私の場合は10月の手術で金属を取り出すと、膝の曲がりが悪くなってしまったので再度リハビリを受けることになっており、とても症状固定できる状況ではなかったのだ。

保険屋さんも商売なので、10月の手術以降、休業補償の入金が遅れ遅れになっており、11月は入金なし。12月の最終日にまとめて入金してきた。おそらく「さっさと症状固定せーよ。」と揺さぶりをかけてきているのだ。ここで、「さっさと入金せんか!」などと言うと、経済的に余裕がないと思われ、とんでもない金額を提示してきたりする。ここは根負けしたほうが、負けなのだ。何も儲けたいわけではなく、フェアに判断して欲しいのだ。私の失った物は、加害者の失った物より明らかに大きいと思っている。(ちなみに加害者側は10年落ちくらいのクルマが全損、免停6ヶ月のみらしい)

きっと春頃には晴れて事故にまつわるいろいろな物から解放されると信じている。

仕事はとりあえず始められそうだ。バイクの旅はお預け。今の気持ちでは日本に住んでいる限りもうツーリングに行くことはないだろう。和式トイレを使うことも困難だし、座敷の飲み屋ではすごく行儀の悪い座り方になってしまう。

その分、得たものも多い。転職もできたし、バイクの代わりに、ロードレーサー、カヤック、クルマなどで遊ぶことができる。そんなに悪くないと思う。

楽しいことは1つしかないわけじゃなくて、アンテナを広げれば楽しげなことは網に引っかかってくると最近は思う。

いつか挑戦したいのは軽飛行機の運転かな?(今度こそ、事故ったら死ねそうだなぁ。)


2002年01月04日(金) 謎の一日

目が覚めると11時だった。今日はゴミ捨ての日で、前は12/30だったので、ゴミがたまりにたまっている。玄関の靴を置くスペースの半分はゴミに占領されている。これはまずい!と飛び起きて、ゴミを持ってゴミ置き場へ行くと、管理のおばちゃんがゴミ置き場を水で洗い流しているところだった。とほほ気分で家にゴミを持ち帰る。来週の月曜日までゴミと暮らさなければならない。

家に戻るとダンナさんが布団から首だけ出してパソコンをいじっていた。ゴハンと納豆、しゃけとみそ汁で朝食。何をしようか考えたが、雲行きが悪く、イマイチ気合いが入らない。近所の水族館に行くことにした。ここでは「ペンギンウォーク」というのをやっており、ペンギンが外に出てきて、てくてくと歩くのを見ることができる。しかも無料である。

バスで水族館に行き、カフェでお茶を飲みながらペンギン見参の時を待つ。そこでぱらぱらと雨が降ってきた。「中止かもねぇ。」「いや〜、ペンギンは南極の生き物だから大丈夫やろ?」という会話を交わしつつ、外へ出ると、やっぱりペンギンウォークは中止だった。過保護な気もするが。かわりに、10畳くらいの面積を仕切って5羽の皇帝ペンギンが出ていた。1時間、撮影OKなのだ。

しかし、ペンギンは動かない。じーっと立っているだけだ。ときおり羽を広げるが、くくくっと付け根をくちばしでかくとさっと元のきおつけポーズに戻ってしまう。もう一匹はくちばしを首元に埋め、目を閉じて寝てしまった。確かに写真撮影はやりやすいが、う〜ん、じーっと見ているとぬいぐるみのようだ。雨足が強まってきたので退散した。

そこからは地下鉄で某Sディーラーに向かった。年明けくらいに住民票などの書類を持って行くと約束していたからだ。行くと、閉まっていた。営業は明日からなのだ。確か今日からって聞いたはずだったが、私の思い違いなんだろうなぁ、ははは!などといいつつ家に帰った。

何やってんだか。でも、お正月で毎日家にいてぼんやりしているのも飽きた頃だったので、まぁいいかということで飲みはじめた。う〜ん、飲んでばっかりだ。


2002年01月03日(木) そして、四国

今日は四国上陸を果たすために5時半に起きた。「青春18切符」という、午前0時から24時間に限ってJRの普通列車に乗り放題という切符を使うのだ。ここ、大阪から神戸、岡山、そして瀬戸大橋を経由して、香川の高松へ。恐らく5時間くらいかかりそうだ。

トーストとコーヒーで朝食を済ませて、てくてくと家を出る。最寄りのJR駅までは25分くらいだ。まだ7時前なので、犬の散歩の人くらいしか歩いていない。クルマもぱらぱらだ。しかし、風が強く、前のめりになって歩いた。「こんなに風が強かったら、瀬戸大橋線は運休かもなぁ…。」と思いつつ。

乗り換えをして、大阪駅で西向きの東海道線を待つ。東から来る電車はどれも雪に覆われて真っ白だ。うむむ。私たちが乗るべき列車は10分遅れでやってきた。やっぱり真っ白だ。ようやく上りきった太陽の光を浴びながら西へ進んだ。40分ほど経つと、海沿いを走る。風が強いので波が泡立っている。

電車は最初の乗換駅に着いた。しかし、出発が遅れたので、本来乗り継ぎするべき電車はもう出ていた。次の列車まで約30分。駅から出てうろうろするがあまりにも寒く、粉雪が舞っているのでふるえながら駅ビルに戻った。まだ9時過ぎなのでかろうじて本屋さんが開いている位だ。とりあえず、暖を取ろうと本屋さんで本を見る。そこで私はトイレに行った。

中では4人くらいが列を作って自分の番を待っている。そこにリュックサックを背負って、帽子をかぶったおばちゃん集団がやってきた。鏡の前に陣取ると、おもむろにジャケットを脱ぎ、セーターや下着をズボンの中から引っぱり出した。「いや〜、厚手のシャツ、2枚着たらのぼせそうやわ〜」と、
まるで誰もそこにいないかのように、下着を引っぱり出したり、しまったりしている。うむむ。私もあと30年もすればこういう人たちと同じ年齢になってしまうのが恐ろしい。なるべく見なかったふりをして、用事を済ませて本屋さんへ戻った。

そこからは4両編成のローカル線で岡山まで行く。これがまさしく地元の人の足なので、いろんな人が乗っている。ビックリしたのは見える範囲に人家がないような駅から、ギャル(死語)が2人乗り込んできたことだ。一人は金髪、黒のロングコートでスェードのホットパンツ(もっと死語)に素足でロングブーツだ。もう一人は白のピーコートに赤のタイトスカート、黒の網タイツにSMの女王ちっくな皮のロングブーツだった。外は小雪が舞っており、日陰には根雪が残っている。それでも素足にアミタイツ!若いってスバラシイ!と感動してしまった。私の横で家から持ってきた年賀状を読んでいたおばあちゃんもギャルを見て「あれま〜」という顔をしている。言葉は岡山弁だったので多分、地元の子らなのだろう。

間もなく岡山に着き、電車は乗客を吐き出した。前出のギャルのケータイがどーのこーの、ブランドがどーのこーのという、大声会話を聞かされた私は身も心もぐったりしていた。そこでふと見ると陣○ラーメンの看板が。ちょっと早いがお昼にすることにした。

これがまた外す。私の人生の中で一番まづいラーメンだった。もちろんその中にはインスタントラーメン、外国の得体の知れないカップラーメンも含まれている。「つゆがぬるくて脂っぽいけど、こくもない」「味の素風味」「麺がやたらと多い」「チャーシューがロウソクくさい」「冷蔵庫から出したてのヒエヒエのワカメがてんこ盛り」これだけでも打ちのめされるのに、「ものごっつ太った化粧くさいオバチャン二人組と相席」なのだ。貧乏ぐせが抜けない私は食べ物を残せないので、豚さんに感謝しながらどうにか食べた。しかし、輪をかけるように、お下げで茶髪のおばちゃんが「失礼シマ〜ス」と明るく目の前を横切るように、割り箸を補充したり、つまようじを補充したり何度もやってくる。「失礼だと思ったらやるな、ボケ!」と心で叫びながらその店を後にした。これで二人1300円なのがイタイ。

ふと見ると地酒を売っているおみやげやがある。悲しみを吹き飛ばすため、私たちは地酒と、白角水割、梅酒、ブラックニッカのポケットボトル、などを購入した。わたしは日が高いうちから飲むことを懸念すると、「もう12時過ぎたからええねん。」とのダンナさんの見解が。かなりやけになっているようだ。瀬戸大橋線に乗り込むなり、白角で乾杯。ポケットボトルをちびちびやっていると、列車は動きだし、気がつくと高松に着いていた。どうやら瀬戸大橋にさしかかる前に眠ってしまったようだ。

飲んで眠って目覚めたら、次は食事なのだ。私たちは迷うことなく駅前の「セルフうどん屋」に突入した。ここはベースのうどんにカウンター上の揚げ物を追加する仕組みだ。わたしは小うどんに、さつま揚げ。ダンナさんはわかめうどんにかきあげ、ゴボウの天ぷらを投入。これ全部で650円だった。揚げ物は1つ70円均一だ。中でもゴボウの天ぷらはひれ伏してしまう味だった。ちょっと甘辛めにたいたゴボウをいかだのように3本まとめてあり、それを天ぷらのころもで揚げているのだ。これだけ仕事をして70円!いいんだろうかと正直思う。岡山のラーメンの仇は高松のうどんで討った。

お腹一杯になったら二人は駅前のフェリーターミナルの待合室の室内展望台でぼんやりした。目前に小豆島、淡路島、島影が多い。風が強いので波頭が白く揺れている。青空、白い波、島影、こんなものを見ていると、ギャルもラーメンもどうでもいいやぁという気持ちになって、ゆっくりヒルネをした。

ここで寝過ぎたので、帰りは強行軍になった。晩の9時までに戻らないといけないのだ。何故ならどっちの料理ショーを見ないといけないからだ。

2300円の切符で往復10時間かけて四国滞在時間は約2時間。一人300円のうどんを食べ、瀬戸内海を見てヒルネした。これがムダかどうかはヒミツである。向き不向きがあるようで、ダンナさんはテレビを見ながらうとうとと眠ってしまったが、私はこうして日記を綴っている。


2002年01月02日(水) お正月に思うこと

そう毎日毎日、家でぐたぐたしていると飽きてくるので、今日は町に出ることにした。デパートや家電屋さんなどは初売りが1/2のようだし。

道路は空いているが、バスはがんがんに混んでいる。子供は泣き叫び、心の奥がどっと疲れてしまった。どこかのサイトで読んだが、自分と全然関係ない場合でも、ぎゃあぎゃあ叫んだり、傲慢に怒りをぶつけている人を目の当たりにするとどぉんと疲れてしまうという症状が自律神経失調症の人は出てしまうとあった。わたしもそういうところがあって、スーパーとかで怒り狂うオバサンとか、コンビニの前でゴミをばらまきながらタバコを吸い粋がっている中学生なんかを見てしまうと、くらい気持ちになってしまう。

そんなことを考えていると目的地に着いた。幸い泣き叫び子供は泣き疲れて眠っている。ほっとしながらも、下車すると外は風が強い。一回りさせただけのマフラーをぎゅっとくくって駅ビルの中へ。あまりに寒いので昼食を兼ねて、立ち食いソバ屋へ入った。私はなす天そば、ダンナさんはコロッケとエビ天と卵の乗ったスタミナソバを食べた。すると嘘のように体はぬくもったので巨大家電店へ行った。しかし、特に見るものもなく、1階のカフェでお茶をした。

ここで私は「エスプレッソコンパナ」を注文した。これはエスプレッソの上にホイップクリームが絞ってあるものなのだが、これを注文するとたいてい、「こんなに小さいのですがいいですか?」と直径4センチ、高さ4センチくらいのデミカップを見せられる。人によっては注文した物がこんなに小さいと文句を言う人もいるのかもしれないけれど、普通のマグカップにエスプレッソが上まで入ってたら飲めないんでないかと思うのだが…。

日も暮れて来たので夕食の買い物をして帰ることにした。ダンナさんがからしれんこんを作るそうなので、大ぶりのれんこんを購入してバス停に行った。そこでは子供が「もーいーくつ寝ーるとー、お正月〜」と歌っていた。しかし、最近、ベイブレード以外のコマ回し、凧上げをしている子供などほとんど見た記憶がない。ただ、習ったから歌っているだけであって、本当の意味なんて分かっていないのではないかと感じる。

おせちもそうだけど、ここ20年くらいでお正月は形骸化が年々進んでいるように感じる。私は都市部しか住んだことはないから、都市部だけの現象かもしれないが。お正月は家族で過ごすものだったし、3が日に買い物をするなんて考えられなかった。凧上げもすごろくもかるたも羽根つきもいとこが集まったら定番だった。

まぁ、そういうアナログ遊びより、プレステをやったり、映画を見に行ったりするほうが楽しいわけだけど、逆に子供のころじゃないとお正月遊びって出来ないからやっといたら?と私は思う。

安物のゲイラカイトを雲の上まで飛ばすのはなかなか快感なのだ。大人になるとなかなかゲイラカイトや和凧には目が向かない。何故なら、スポーツカイトに目を奪われてしまうからだ。スポーツカイト、面白いけど、壊れるとお金がかかるし、運ぶのも大変だし、ゲイラカイトみたいにお気楽には楽しめないのだ。


2002年01月01日(火) 酒のある正月

よくわからないうちに寝てしまい、私は大晦日の食べ過ぎで苦しくて目が覚めた。初ハライタである。年越しそばは天ぷらソバなのだ!と主張するダンナさんに対抗して、わたしはたぬきが好きだ!と声高に叫び、結局かきあげとあまいお揚げさんと生卵を載せて大盤振る舞いスタミナ年越しそばを食べたのだ。

そして、うううとうめきつつコタツでぼ〜っとしていた。ダンナさんが起きだし、雑煮の準備をしているのを横目で見つつ、某掲示板をうろうろし、雑煮ができあがることにはどうにか普通の感じに戻っていた。

いただきま〜すと餅を2つ入れた雑煮を食す。鶏ガラでだしを取り、金時人参、大根、三つ葉の入ったもので澄まし汁である。ううう、うまい。即座に替え玉ならぬ、替え餅をした。

そしておせちである。ああいう込み入ったものを作れるわけもなく、今年はサンクス(コンビニ)で注文した。3段重ねで15000円也。食べてみると薄味ですこしづついろいろな物が入っており、なかなかである。これは酒のつまみではないか!と気がついた私たちは、濁り酒を5合ほど飲んだ所で、瓶入り紹興酒を開け、賞味する。ごまめ、クルミの飴がらめ、などでがんがん進んで行く。

そこでダンナさんはスモーカーをセッティングしだし、豚バラ固まりに塩とスパイスをすりこんで投入、シシャモ、チーズ、うずらのゆで卵も加えた。リンゴのウッドチップに火を付けベランダに出し、ゆっくりと映画を見ながらスモークを待つ。

そして約2時間半ほどして、スモークが出来た。そこからはバーボンに替えて晩ご飯だ。まず、豚バラを賞味する。余計な脂は落ちており、残った脂はとろとろでうまい。そして、侮れないのはシシャモだ。8匹100円でこの実力!そしてうずらタマゴ。よくコンビニおつまみで薫製にしたものを売っているが、あんなものはニセモノだぁ!と今なら力強く言うことができる。ほのかな煙の風味。タマゴ薫製は自作に限るのだ。

と、いうように夜も更けてゆき、後で運動がてらコンビニにアイスを買いに行こうと言っていたが、そんなことはとても出来ずに寝てしまった。

しかし、正月といっても普段の酒飲みに高価なおつまみがプラスされただけなのはうちだけなんだろうか?

これからも宜しくです!


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