uchie◎BASSMAN’s life

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2004年07月31日(土)
■fire works

花火大会を見に行きました。
気持ちのいい低音ってこういうのだなあ、と思いました。



2004年07月30日(金)
■ベーシストと

仕事で出会った人が偶然ベーシストだった。仕事をしながらいくつか掛け持ちでプレイしているそうだ。
ヴァン・ヘイレンとかヘヴィーなロックが好きな人で、持ってる楽器も随分違うのだが、なかなか普段聞けない話があって面白かった。
しかもROCK ODYSSEYの同じ日に観戦したそうで、こういう偶然は大好きである。



2004年07月28日(水)
■BRAND NEW SHOES

初めてネクタイを締めて働くことになったので、それに合わせて靴を買いに行った。いくら仕事とはいえ、やはりファッションまで心を売ることは出来ないのだ。
高円寺のショップでいい靴を見つけた。その店オリジナルのレザーソールのチェッカーブーツ。
それを手に取り眺めていると、店員のこが声をかけてきた。
“きょうは学校帰りですか?”
“?いえ、そういうわけでは…”
モッズなつもりでボタンダウンのシャツに、オーダーメイドの青い生地のパンツを履いていたのだが、そうか見方によっては高校生に見えるのか。
この頃若返ったとよく言われるが、ここまでくるともはや、人間失格でしょう。



2004年07月25日(日)
■THE WHO

一日経ってもまだ放心状態が続いている。それだけTHE WHOのライブは凄かった。あのライブでの体験はこれから先、重要になるだろう。
そんな想いで憧れつつ、僕は今夜スタジオで演奏した。



2004年07月24日(土)
■ROCK ODYSSEYにて

ROCK ODYSSEY会場で偶然いろんな友達に会った。5年前に一緒にTHE CLOSETをやっていたボーカルのアツシとオルガンのマナブ、対バン仲間のキンキー・フーのベーシスト阿部、DJテリー、などなど。みんな日本中遠いところからポール・ウェラーとザ・フーお目当てに集まってきたモッズフリークだ。
まさかザ・フーのライブが見れるようになるとは思ってもいなかった。ジョン・エントウィッスルまでもが亡くなってしまったのだから。ビートルズで言えばポールとリンゴだけでやるようなものでしょう。正直クオリティーに関して期待はしていなかったし、生で体験出来るだけでありがたいと思っていた。
ザ・フーのライブが見れるというのは夢のような出来事なのだ。60年代のモッズムーブメントを映像や写真を見て想像してきた僕らにとって、ザ・フーが目の前に立っているということでやっと現実になる。60年代のロンドンを狂気させた演奏を2004年の今やっと聞くことが出来るのだ。
“I can't explane”のイントロが始まった瞬間、それは大事件が起こったような衝動だった。まさかいきなりこの曲からくるとは。“SUBSTITUTE”“MY GENERATION”などが次々とびだし、ここからパンクやパワーポップやギターポップが生まれていった軌跡を感じるのであった。
そしてその演奏力、期待以上のものを見せてくれた。ロジャーの声は衰えることを全く知らない。それどころか今までのいかにもボーカリストというイメージを超えて説得力を増し、以前は他のメンバーのキャラに押されていた感があったが、この人がいなければやはりザ・フーではないなと感じた。間奏でマイクを振り回すパフォーマンスは本当にカッコ良かった。ピートは写真で見ると最近はすっかり老いた印象があったが、とんでもない。風車奏法は健在で、寸分狂わぬその動きはまさに職人芸だ。カッティング一発で全てを語れる男だが、長年かかって蓄積された様々なギターテクにより、60年代のライブ映像で見られる演奏に対するフラストレーションからもがき苦しむ姿はなく、他の往年のギタリストよりも新鮮に聞こえるのだ。
“老いるに前に死にたい”と言っていた彼らだが、老いてもなおカッコ良く生きられると体現しているようだ。むしろ新化している気さえする。
ザック・スターキーやピートの弟の演奏に支えられ、緻密に計算されたそのサウンドとセンスは間違いなく今も世界最高と言えるだろう。
アンコールが終って彼らが去った後、僕はしばらく放心状態だった。



2004年07月23日(金)
■ROCK ODYSSEY前夜

朝の9時まで働き、すっかり全身が痛くなっていた。昼間寝て、起きると上半身が筋肉痛になっていた。握力も随分落ち、きょうのスタジオでの演奏は過酷であった。
しかし明日は待ちに待ったROCK ODYSSEY。いやイベント自体はどうでもいいのだが、THE WHOが初来日なのだ。そんなことを思いつつ、家に着いたらあっという間に絨毯の上で寝てしまった。



2004年07月22日(木)
■下北沢にて

クライフ・イン・ザ・ベッドルームのライブを見た。
それはいつも幻想的な音の始まりだ。どこか知らない場所に放り出されるかのように轟音に包まれながらも、しかし安堵感が漂うそれは、空や太陽のヒカリの引用だ。
もちろん僕が英語の歌をどこまで理解しているか自信はないが、言語中枢よりも体感に訴えてくるものは止めようがない。

noodlsを始めて見た。ちょうどこんなギターを弾きながら歌うオンナノコがいたら誰だって好きになるに違いない。オンナであることがどれほどかっこよく素敵なことか、もし知らなければこの歌を聴けばいいだろう。

ライブハウスを出たら、偶然サキノハカに会った。次彼らの姿を見るのはTVかもしれないな。


その後、たまたま来ていた友達とその友達の女優のコとカフェでくつろいだ。残念だが途中で僕は仕事に向かうのであった。
二十歳のコと仕事をしたのだが、“年下だと思ってました”と言われてしまった。これはもはや喜ぶべきかどうだろう。



2004年07月20日(火)
■高円寺にて

某ミュージシャンと会うことになり、高円寺へ呼び出した。今まで随分多くのミュージシャンと会ったものだ。以前、元F○○D○○のドラマーとバンドをやっているという某氏と会ったときなど、向こうの方が5歳ぐらい年下だけど初対面なので敬称をつけていたのだが、向こうは終始こちらを君付けしていた。さぞかしすごい実力があるんだろうと思ったら、デモを聞くと全然歌えてなかったりする。やたらとレコード会社とか音楽事務所のコネをちらつかせるバンドマンでちゃんと歌が歌えるやつに出会ったことがない。
今回会った人は30代女性。ここ高円寺は知り合いが多いので、誰も見ていないだろうな、とちょっと確認してからマクドナルドの席についた。要するにミュージシャンに見えない相手なので変な誤解を受けると困るわけだ。
60年代と現代の接点などを説明しつつ、自分のヴィジョンを語った。多分理解出来ていないと思うが。いつも思うけど、バブル期に青春を送った世代というのは世の中の見方がずれている人が多い。外車の助手席にコンサバなオンナを乗せて湘南あたりをホイットニー・ヒューストンを流しながらデートするという87年頃のメンズノンノ世代、オールナイトフジでの女子大生ブームに便乗してきたであろう人にビートルズのサウンドはどうこう言ってもやはり無駄か。
挙句彼女が質問してきたのは、
“何かコネとかは持ってるんですか?”
よくみんなコネを自慢したりしてくると思うんだけど、どこぞのレーベルの社長と仲がいいとかってことよりも、ファンがひとりでもいるってことの方がよっぽど重要だよ。



2004年07月18日(日)
■そしてスリーピース

きょうは某プレイヤーとセッションの予定にしていたが、彼女はついに現われなかった。もちろん電話もメールもなし。
結果的にはスリーピースですっきり演奏出来たからいいけどね。
世の中、対人関係が一番苦労する。なるべく訳がわからない人が近づいて来れないように日頃防御策をとってはいるけど、事情によっては無防備にせざるを得ないし。
ではなぜ僕がそんなことをしてるかって、それはちょっとした数学的興味からだったりもする。ハインリッヒの法則というのを逆利用しようというわけだ。または神秘主義的過ぎるかもしれないけど、シンクロニティ。あまりにも偶然の一致が多いので眉唾物ではないと思う。



2004年07月17日(土)
■スリーピース

鍵盤のジョンコさんが脱退ということで、スリーピースになってしまった。
演奏しているとひとりひとりの責任が重くなったのを感じる。今までもスリーピースのバンドは2つ経験をしているが、今の楽曲はスリーピース的なアレンジではないので、ちょっと慣れない。しかしこれを克服せねば新メンバーを迎えられないし、新たな壁である。



2004年07月15日(木)
■壊れたアンプ

きょうのスタジオは参ったことに、壊れたベースアンプが置いてある部屋だった。
コーンがヘタっているらしい。店に指摘したことがあるが、まだそのままにしているみたいだ。
使っているうちにどんどん音色が変っていく。それに合わせてトーンコントロールとエフェクターの設定を変えなければならない。基準信号があるわけではないので、だんだん元の音が分からなくなる。そして1時間も経つともはやベースの音ではなくなるのだ。あちこちの帯域が出なくなるので、演奏中に無理に力を入れなくてはならなくなり、手がつりそうになった。
どんな細かい表現をやっても、音を出すのがコーンの振幅である以上、末端の質に左右されるのだ。
どこのスタジオにしても、もっと機材のメンテナンスをしっかりして欲しいものだ。



2004年07月10日(土)
■ベースライン

最近コーラスに合わせてどんどんベースフレーズを変更している。そうすると自ずと前後の整合性も良くなって、美しいベースラインになったりする。
新たな発見が生まれると、なぜ今まで気付かなかったのかを不思議に思う。
昨日今日とスタジオで試してみたが、いい具合にはまりそうだ。



2004年07月09日(金)
■まぼろしのみぎ

まぼろしのみぎ
よく一緒に飲んだりする友達のバンドである。
友達のよしみということでゲストにしてくれるので、貧しい僕も彼らのライブを月に1回ぐらい見れるのだが、それなだけにバンドの成長が見えて面白いのだ。
ひとつのバンドを継続して見ていると、キタ!と思えるときが来ることがある。この曲はドラマの主題歌になったらヒットするんじゃないだろうかと、ふと思ったり。きょうのライブはまさにそれであった。
フライヤーとかホームページとか宣伝メールなどをがんばって作っているかどうかではなく、単純に音楽でステージを楽しくさせてくれているかどうかである。バンドが良くなったときって、まったく嫌味がない。音楽というのは人類共通の楽しみであるというのを、送り手と受けてが共感しあえるのだ。バンドマンという特権階級意識でもってステージで格好つけてるバンドとかプレイヤーって、見ているだけで不快だよね。
そういう自分の過去を思い出しても気恥ずかしい感がある。



2004年07月07日(水)
■弦の張り替え

といっても、張り替えたのではなく張り替えようかどうしようかという気分である。
今張っている弦はもう1年ぐらい経っているはずだ。3、4弦は半年ぐらい前に練習中切れてしまい交換したが、それも古い弦を張ったので同じぐらい経っている。
本当は何セットか買って、しばらく使い込んで金属のバリが取れたものを保存しておくのがいい気がする。いきなり新品の弦にすると、あまりにも音質・感触が違い過ぎて大変なことになるのだ。
ところでビル・ワイマンなんかほとんど張り替えをしなかったそうだ。それこそ10年20年。



2004年07月06日(火)
■弦高

指弾きの練習をしていたら4弦の弦高が妙に気になってきた。3弦から移動したときのショックが大きいように感じて、どうもうまくいかないフレーズがある。
このベースを購入したときに付属されていた六角レンチを久しぶりに取り出して調整した。ほんの少し下げるだけで弦の感触が随分変るものだ。最初180度ぐらい回したらフレットに当たって少しノイズが出てしまった。パンクならこれもありだが、弦の触りも気持ち悪かったので90度戻した。弾き辛かったフレーズも少しは楽になり、結果的にピックアップへの距離も近くなるので4弦の低音も増し、安定感が出たかもしれない。
だからと言って普段特別弦高を高めにしているわけでもない。ライブハウスで対バンのベーシストが楽屋で僕のベースを触ると、必ず弦高の低さによる弾き易さに驚く。
非常に微妙な調整をしているので、例えば楽器店に行って試奏などすると全然感触が違う為に、空振りなどして恥ずかしい思いをすることが多い。



2004年07月05日(月)
■ベースのポジション

ここ2年ぐらい使っているストラップは、ナイロン製で調整は簡単に出来るが、だんだん調整が狂ってくるところに難がある。しかし簡単に調整が出来るというのは、曲によって弾き方を変えるのに対応が出来て便利だ。
最近は指弾きをやっているので、ベースのポジションまたは右手の位置、腕の角度などフォームをどうすべきか悩んでいる。なかなかしっくりとくる位置が見つからないので、いろいろ試している。部屋の中で立って演奏して鏡を見てチェックしたりで、どうも座ったときには簡単に弾けるフレーズも立つと難しかったりする。
微妙な位置関係が力の入り具合を左右するので、あらゆるニュアンスに影響を与える。
ようやくここでいいんじゃないかというところに、止め具の位置が分かるよう缶バッチを付けた。意外にも低い位置だ。エントウィッスルのような高いところではない。やはりポールと同じぐらいか。



2004年07月04日(日)
■指弾きとボリュームの関係

弦楽器を演奏する際に、これぐらいが適当という力加減がある。弱過ぎるとボリュームを上げても輪郭が上手く作れないし、強過ぎても音のツブが揃わなくなってしまう。これはピックアップの磁界との関係でもあるが。
最適な力加減とそれに合ったアンプの設定を行わなければ、上手く聴かせることはできない。今日のスタジオではそこのところで苦労した。指弾きがまだそれほど上手くないのに加えて、アンプ個体の特性が掴みきれなかった。これぐらいの設定で大丈夫だろうと思い、いざ曲を通してみるとミッドのあたりが足りず、必要以上に弦を強く弾く羽目になり、早いフレーズで指の動きが追いつかなくなるのである。
そんなことを何度も繰り返していたらすぐに指が疲れてしまった。
やはり腰のある低音でかつ余裕ある安定感、そしてフィルインのところである程度の力で弾いたときにブリブリとくるのが理想的だ。この音色の変化がまたベースの魅力とも言え、エフェクターでは作れない個性となるのだ。
つまり自分のトップとエンド、言いかえれば表現の幅を知ることが重要になる。そうしなければ、思いがけない自分の音に演奏中気を取られ、ミスを招くことになる。単純にコンプレッサーによってその幅を強制的に調整するのも必要だが、まずはチカラとボリュームの関係を覚えることが先だと思う。



2004年07月03日(土)
■リズム体

リンキーディンクでバンドのドラマーと二人で練習した。ドラマーとセッションというのは何人かとやってるけど、正式なメンバー同士でというと5年前にやってたCLOSETのドラマー・カミコさん以来だ。この5年間、なぜそういうことがなかったのか不思議なぐらいだが、その程度だったといえばそれまでだ。
なにしろドラムとベースだけというのは音楽に成りづらいので大変だ。しかしこんなパート練習がライブにきっと生きてくると思う。
それにしても3時間しか寝てなかったからさすがに少し眠かった。



2004年07月02日(金)
■ロックとピアノ

バンドにピアノの音を加えてみてはどうかなと思って、ピアノが入っている曲を聴きあさってみた。
やはり歌モノのロックの場合、リトル・リチャードかジョージ・マーチンの流れでアレンジしているものが多いようだ。
しかしロックにおけるピアノってギターに比べればまだまだ未開拓な部分が多いと思うので、いろいろな可能性があると思う。
例えばライヒや坂本教授が現代音楽の分野でやっているようなことを取り入れることは出来ないだろうか。