uchie◎BASSMAN’s life

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2003年03月15日(土)
■エルミタージュ幻想

ユーロスペースで公開中の映画“エルミタージュ幻想”を見た。バンドマンが映画評論家気取りと思われるのも惜なので、自分が専門学校の映像科出身であることを白状しておこう。
 作品が出る度に気になるロシアの映画監督アレク サンドル・ソクーロフ。何年か前に“マザー・サン”を見た以来だった。しかしメディアの紹介を見る限り、水墨画的印象を持ったその作品と随分違う。なにしろフィルムの質感に恐ろしくこだわりを持った監督であるのに、今回はハイビジョン。ローテクからハイテクへ。時代の変化か。確かに“マザー・サン”から随分経った。以前インタビューで、映画とは“フィルムの粒子による光と影の芸術”と言っていたが今作はどうだろうか。敢えてハイビジョン。それは今までありえなかった手法を生み出した。この映画、90分ノンストップのワンカットのみなのだ。
 ある意味ドキュメントである新しい手法を用いつつ、ロシアの現実を描き出している。男がエルミタージュ美術館に入って出るまでの90分間を彼の視線のみで構成される。こちらはそれをリアルタイムで追う、というか見せられる。いや、次第に主人公になったかのような錯覚に陥ることになる。僕の錯覚はこうだ。
 広い空間に飾られた無数の印象派の絵画。それらを鑑賞する者たち、また中世の洋装で踊る仮面舞踏会。彼らもまた絵画の世界の一部のようなのだ。微妙なトーンで描かれた写実的な宗教画。蝋燭のあかりの建物の中でたたずむ登場人物たち。現実の境界線を失い始めていた。迷路のように広いこのエルミタージュは、いくつもの扉と階段で仕切られているが、主人公(=自分)はある男に案内されてゆく。中でも印象的だったのが、間違って開けてしまった扉の奥が額縁を作る職人の作業場だったことだ。装飾が施された館内とは裏腹に、薄暗く汚れていて、巨大な額縁はまるで棺桶のようだ。どこかに死体が転がっているようだ。ヨーロッパから集められた美術品はエルミタージュをもって死たらしめるというのか。大きな窓からは雪がちらつき、館内からは全く想像がつかない。廃墟、それが現実か。そして雅な館内と人々は幻想か。
 やがてエルミタージュの外に出るとそこは死の世界。凍てつく空気。体温を全て奪うかのように、目前に広がる風景が僕の体を包み込んだ。そしてもう夢の世界には二度と戻れないのか。“さよならヨーロッパ”ペレストロイカは何をもたらしたのだろう。朝、夢から覚めたときの感覚に似ている。それとも夢の始まりか。
 映画の歴史は、モンタージュによって映像の意味、時間軸を表現してきた。しかし、この作品は既存の概念を用いていない。かといって、けして共通言語を失っているわけではない。時間軸と平行にストーリーが乗り、テーマが分散されている。それを視線から記憶の中でモンタージュさせているのだ。