みかんのつぶつぶ
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2001年09月30日(日)

気がついたら、もう9月が終わるんだねえ…

金木犀の季節が、またやってきたね。

このところ、お昼の時間から病室へ詰めっきりで、
ネットにひきこもる暇なく疲れはてている。
でも、その甲斐あってか、なんとか食事も8割ほど食べるようになったし、
問題の点滴も終わりにしてもらったし(怒)

完全看護っていっても、限界があるからね・・・
やっぱり家族がこまめに面倒みなければ、ちょっと患者は可哀想かも、なんて思う。

だけど、このところ頭が痛いと口にする。
コンチンを減らしている影響だろうか?

・・・腫瘍なんだろうね、きっと。
とうとう悪さをしだしているのかも(泣)
手術した部分が痛いらしく、しきりに手を持ってゆく。
そういえば、去年の今頃だったなあ、再発したの・・・

入院中で、外泊している最中に容態が変わって。
ああ、そうだ、ちょうどこの日曜日だった。
土曜日までは元気だったのに、日曜日は一日眠っていて、
月曜日、病院に戻る時には歩行も困難なほどになってしまい、
すぐMRIを撮ってみたら、再発していたんだった。

そして10月4日に、再発による開頭手術をしたのだから。


・・・・・・・・

長嶋監督が引退したね。
彼は、男の子が産まれたら
「茂雄」にしたかったらしい。
却下したけど(笑)

さびしくなるね。

 


2001年09月27日(木)

なんだか、日に日に衰弱してゆく気がする。
意識も、もうどこか彼方へ飛んでいってしまっている。
言葉を発する力も、弱々しい。

ただ、単なる身体的状態の沈みなだけなのだろうか?
また上がってきてくれるのだろうか?



夕食を終えて、煙草を吸いに外へ連れ出す。
どうも、あんまり煙草は吸いたくない様子なのだ。
なぜだかわからないけど。
あまり状態が良くないことだけは確かなのだ。

あっちの方へ行ってみよう・・・というので、
病院の敷地内を散歩する。

虫の声、
月明かり。
まるでE.Tのようだと思った。
E.Tを自転車のカゴに入れて、月を横切る、あのシーンのようだと思った。

バス通りまで出ていって、しばらく車の往来を見ていた。
もう寒いから帰ろうか?という私の問いかけに、
思いもかけない答えが返ってきた。

「ショウタロウは?・・・」

彼は、息子を探しにきたのだ。
先日から頻繁に息子の名前を口にする。

彼は、何かを息子に託したいのだろう。

「ショウタロウは今夜は塾に行ってるから、
来るように言っておくね」

私は、涙がこみ上げてきて、声の震えを抑えようと必死だった。
せめてもの救いは、車椅子を押している手前、
正面から彼に話しけないで済んだことだ。

病室へ戻る道を、なるべく遠回りして押して帰った。



ホントに生きているのは辛いと思った。

 


2001年09月26日(水)

昨日は久しぶりに「泣き虫みかんちゃん」の日だった(笑)
おかげで目がはれてるし。

足の浮腫みが日を追うごとに悪化している。
ウトウト眠ってしまう姿と、動かない足の浮腫みが私の不安を一気に爆発させたのだ。
看護婦さんに先生と話しがしたいと問い合わせて見た。

しばらくすると看護婦さんが入ってきたので、先生とお話しができるのかと身構えたら

「えーっと…金曜日でしたらお話しができますってことなんですけど」

・・・・・・・・・?・・・・・・・ぷちっ!
プチプチプチプチプチプチプチプチプチプチ!!!

「フッ…N先生ですか?」抑えた声で精一杯問いただしてみた。

「あ、いえ…TM先生なんですけど…」困惑顔の看護婦さん

「…私、まだお会いしたことのない先生なので仕方ないですね。
わかりました。それでは先生に聞いておいていただけますか?
3日前から浮腫みが徐々にひどくなってきている原因をうかがいたいんです。
点滴も、尿量が少ないからということですが、浮腫みの原因になってはいないのかと心配なんです。
それにバルーンも、もう一ヶ月以上入ったままなので、
何か詰まっていたり、異常はないのか調べてもらいたいし・・・」

「そうですよねえ…
バルーンは取りかえるオーダーがでているはずなんですけど…」


こういう対応はこの病院では日常茶飯事起こるであろう予想はしていたので、
まあ怒りよりも、やっぱり情けないやら不安やら。
がんセンターに戻りたいと思ったら、涙が溢れてきて、洗面所でしばらく泣いていた。

それにしても、患者の状態に不安を抱く家族に向かって、
正面から向き合ってくれない医者は、かえって病状を悪化させると思った。
付きそう者の不安な電波は、患者に届いてしまうよ。
家族ならば尚更に。
それになんなんだろう…SOSを発しているのに金曜日なら話しを聞けるなんて!
どうかしているとしか思えない。

気を取りなおして病室に戻り、ベッドサイドで座りこんでいると、
パタパタと足音が近づいてきた。
N先生だった。
話しをしに下りて来てくれたのだ。

このN先生は、去年彼がここに運び込まれた時に救急処置をしてくださった先生だ。
いつも目が遠いところを見ている先生(笑)

先生のお話しでは、決して全身状態が悪くて浮腫んでいるわけではないということだった。
動けない足は、どうしても水分が停滞してしまうので、
なるべく動かしてあげたほうが良いという。
それと、MSコンチンの量を減らしてみましょうとのこと。
痛みはコントロールされているので、少しでも薬の量を減らして、
目覚めさせて身体を動かすようにしたいからだ。

セレネースは、不安症状が悪化してしまうのは困るし、
本人も辛いだろうから、まだしばらく服用することにする。


浮腫んできた足の想い出は、父の死に繋がる。
死んでもなお浮腫んでいた足が、いまでも目に浮かぶ。
怖かった。
浮腫んだ足を見ると、死を連想してしまう。

だからとても、
いても立ってもいられなかった。
だが、先生から全身状態の悪化ではないという言葉を聞いて、
それだけで安心できた。

ただそれだけの言葉なのに。
ただそれだけのことだから、医者は省いてしまうのだろうか。

先生の話しを聞いているあいだ、ずっと涙が止まらなかった。
不安で不安で、その気持ちを抑えることがもうできなかったから。

これまで、この病院で様々な宣告をされてきた。
悪性、再発、転移、転院・・・
1度も泣いたことはなかった。
それは、まだまだこの先があると思えたから。
なんとか治療をしていけると希望があったから。
医者の前で泣いたら、きっと冷静に話しができない、
また、話しをしてもらえないと感じたから。



ありがとう、N先生・・・


2001年09月25日(火)

優しさよりも温もりを
言葉よりも安らぎを
側にいて
背中をさすってあげて
車椅子を押して
風を感じさせてあげて
美味しいものは一緒に食べて
にっこり微笑んで・・・

遠くから想っているだけでは
病気の心には届かないから

ただ黙っていてもいいから
人の温もりを感じさせてあげて

そんなふうにワタシは想う。


2001年09月24日(月)



生きていてくれるってことが最高の贈り物。





2001年09月23日(日)

なんともいえない状況だ。
足には浮腫みが出てきている。
水分補給のための点滴は、痛々しいだけだし・・・

転院という環境の変化は、やっぱり負担になっているのだろう。

でもありがたいことに、み〜〜〜んなが覚えてくれている、私達のことを。
会計の人までもが忘れないでいてくれた。

彼はこの病院ではサバイバー扱いだ
がんセンターから見事生還してきたのだ。

抗がん剤治療を全て終えて、立派に戻ってこられたのだ。

人間は、そんなに簡単に死んでしまうものではないよ。

どんなに辛い治療でも、思いやりの看護と暖かいケアのお陰で、
こうやって命を保っていられるのだ。

改めて、がんセンターでの日々が、
どれだけ充実していたかを
切々と感じてしまう。
その切なさで、しばし茫然としてしまうのだ。
悲しいことだが、この環境の違いに・・・


2001年09月20日(木)

昨日はほとんどうつらうつらした状態だった。
その原因は、一昨日のセレネースの服用時間が遅かったからだ。

セレネースは通常就寝前に服用するのだが、
彼の場合は眠気を次の日までひきずってしまい、朝食もままならないほどなので、
がんセンターでは20時服用を17時に早めて、次の日は少しでも目覚める時間を早くする方法をとっていた。

そういう服用する薬に対しての経過観察などは、
転院先には報告されないものなのだろうか?

担当の看護婦さんがオムツを交換しにきてくれたので、
恐る恐る言葉を慎重に選びつつ、セレネースを服用する時間が違うことと、
それによって起こったであろう彼の状態を説明し、
最後には「検討していただけませんか?」と
付け加えてみた。

「ああ、そうなんだあー。おかしいと思ったのよー
どうしてセレネース17時服用って書いてあるんだろうって」

( ̄∇ ̄;)・・・・・・・・・・絶句。

変だと思ったら聞いてくれーーーー!
とりあえず質問してみてよーーーー(泣)

で、昨日は17時に服用。
そして本日は、
午後3時に私が起こしてからは、ずっと目覚めているし、
夕方からは更に元気になってきて、冗談を言うようになったし、
夕食もおかずは全部食べたし。

私の気分も軽くなりました。


2001年09月18日(火)

173日間。
がんセンターでの生活が終わった。

お別れする日になってわかった…色んな人が別れを惜しんでくれることに。
そこに生死は関係なく、よくガンバッタという共有する想いが胸に迫るのだ。

色々と想いはあるけれど、何せ歯痛がひどくって、また改めてまとめてみよう。


古巣のK病院、ここに帰ってこられるとは想っていなかった。

彼が意外にも元気な姿で現われたことに、
主治医をはじめ、みなさん驚きを隠せない様子だったし(笑)
いや・・・ホント、うろたえていたし。

てっきり救急車で搬送されてくると決めこんでいたらしい…( ̄∇ ̄;)

ここのスタッフは恐らく、抗がん剤治療の経過観察などには慣れていないからなんだなぁ・・・きっと。

あのねー、彼が陥ったような危険な状態の患者は日常茶飯事なんだよー…がんセンターではね…
もっともっとなんだからー…(泣)

ほんとに。
もっと苦しんで、
もっと悲しんで、
そして、
ひと夏で終わってしまう蝉のような
そんな一部始終が
あっちの病室、こっちの病室で
生活のなかに
ルーチンワークのごとく
展開されているんだよ。

がんセンターは、神聖な匂いがする場所だったなあ・・・
うん・・・


2001年09月17日(月)

朝はすっかり秋風に冷え込む感じがする。

ススキの穂が線路沿いに顔を出していた。
季節は、しっかりと変わってゆくんだねえ・・・

ん?ふっと見て見ると、携帯に病院からの着信が!
な、なに・・・(汗)で、電話してみると、
な、なんと転院が明日の午後にでもってことだそうで…絶句!!!

看護婦さんもかなり困惑していたし(笑)
まあ、あちらの病院ですぐにでも受け入れてくれるんだから、ヨシとするしかないのかあ…

結局、9月3日には入院予定だったところが
こちらの都合で延びたわけだから、待っててくれたんですものね。

それにしても・・・
なごりを惜しむ暇もなく。

おまけに荷物の整理と
頭部MRI撮影で、点滴で眠らされたら
撮影が終わってから深い眠りに陥ってしまって、
呼吸が止まるんじゃないかと緊迫した雰囲気で帰ってきたし・・・(泣)
今晩は食事もやめた方がいいねーなんて先生が言うし・・・(泣)

撮影前に、お腹が空いたからトーストにしてきてくれって要求を、
MRIの予定があるからダメだといってお菓子で我慢させてたことを
すっごく後悔してしまった( ̄∇ ̄;)

そのうち酸素マスクを嫌がりはじめ、
痰を吸引するのに大騒ぎして・・・
口から管を入れると噛んじゃうしねー。
鼻から入れるとものすごく痛がるし。

「じゃあゴホンってしてみてくださーい」

っていう看護婦さんの呼びかけに

「…ゴホン…」

・・・ゴホンって、つぶやいてどーすんねん( ̄∇ ̄;)
お隣りのベッドで付き添っている奥さんも笑ってたさ。

そんな騒ぎで目が覚めて、
モリモリご飯食べてたし(笑)
最近では珍しいほどの食欲でしたねえ…

はぁ・・・

 

 


2001年09月14日(金)

「脳腫瘍」という病名は、総称であって、
その「脳腫瘍」といわれるなかには約100種類以上の分類がある。
その分類されたなかで、彼の腫瘍には日本での正式病名がないという。
だから組織名称そのままの直訳なのである。

神経膠腫、星細胞腫、髄膜腫、悪性リンパ腫・・・などなど正式病名がないということである。

私が調べた文献のなかでも、この腫瘍は非常に珍しいという言葉が多々あげられている。

横紋筋肉腫や骨肉腫、軟部腫瘍などに発生する場合が多いなかで、
脳腫瘍として発症するのは、本当に稀なことなのだ。

おもに骨や筋肉の組織から発生する腫瘍である。

肺や肝臓に発生するケースも多いなかで、なぜ彼の場合は脳に発生したのか?
脳内に腫瘍ができるということは、緊急的な症状が発生してしまう。
あの狭い頭蓋骨内に、身体の機能を司る神経が集中している脳みそが満タンなわけで、
そこに余分な腫瘍という異物が発生してしまったら溢れてしまうしかないからだ。

身体の機能が損なわれるだけではなく、
性格的にも影響してくるのである。
性格というからには、ココロにも大きく影を落としてくるということであって、
病気になって人格的変化をおこすというのは、とっても恐ろしいことだと思う。

脳外科患者を「電波系なひと」という表現を見た時は、
不愉快な感情よりも、思わず納得してしまうくらいに不思議な変化なのである。



少しづつだけれど、彼が回復してきている。
治療による後遺症で、身体的レベルダウンからなかなか上がりきれずにいるのだが。

いよいよ転院準備だなあ・・・

 


2001年09月13日(木)

さてさて・・・

世の中は酷いことになっている。
人の命を犠牲にしてまで実行しなければならないことって、なに?

いっつも思うことなんだけど、最低限の「人」としてのマナーは、
あえて言葉にしなくてもそれは、教育や躾として身についているものなんじゃないかと。

十人十色は認めるし、生活環境によって左右されてしまうことも
この広い地球上ではそれもありだと思うけれど。

あのような方法を計画実行する人物の脳をMRIで撮影して欲しいね。
きっとどこかに欠陥や欠損している部分があるんじゃないかな…なんてね…

そんなニュースを見ながら、ヒドイことをするなぁ…と心を痛める彼は、
抗がん剤治療によって痛めつけられたロボトミーのようだと、フッと思ってしまった。

どちらにしても悲惨すぎるね・・・

もしもこれで死んでしまったら、
私は一生十字架を背負ってゆくのだろう。
そして2度と、
人の命を左右する決心は、するまい。

そして自分は、延命治療は望まない。
「いつか治る」そう想いながら寿命に身を任せて過ごそう。

 

 


2001年09月11日(火)

あのー、白血球が35,000って・・・
増えればいいってもんじゃないでしょー(汗)

な、なんか原因不明な病気なのでは・・・(汗)(汗)

そんなわけで、白血球が異常な増殖をしてくれたので
相変わらず空気清浄機に囲まれつつカゴの鳥状態で・・・(泣)

彼の様子は、な〜んかいまいち元気がないかなあ・・・
でも、割と頭がはっきりしている様子だった。
けれど声が小さいから、もしかしたら聞こえない程度に怪しげなことを言っていたかもしれないな。

まあ、落ち着くと元気がなくなるってパターンは
いままでに何度となく繰り返しているけれど。

脳疾患は複雑です。

私の頭の中身も、なんとなくヤバ目です。
まとまりありません。

文章も統一性がないでしょ?

揺れるのよね・・・

衰弱してゆくばかりの
ベッドで横たわる姿を目の前にしていると
とてつもなく不幸な気がしてくるのよね。

ちょうど瀕死のペットを
何もしてあげられなくて
そのまま横目でチラチラ経過観察しているような
そんな罪悪感に陥ってしまう。

意識はあるし、食事も起こせばなんとか食べるし、
テレビを見て驚いたりしているし。

だけどね、ただそれだけなの。

煙草…っていうけれど、後でね…って言うと
素直に黙ってしまう・・・
そしてそれっきり要求しなくなってしまう。

もしかしたらね、喫煙するってことが、
彼のなかで罪悪なことになりつつあるかも知れないかな?ってこと。

しょっちゅう電話をかけてきて、
早く来いって催促ばかりするから
私に怒られたことだけが残っていて、
もう電話はしないって思ってるかも知れない。

煙草も度々要求しなければならない苦しみが
彼をとても苦しめていたから、
もう、無理はしないって思っているのかも。

全て要求しなければ生活できないってことに、
絶望しないほうが無理があるよね。

気をつかって生活しなければ行動できない地獄だよね。



病室を覗くと、目覚めている彼に喜びを感じると同時に、
寝かされたままの姿勢でしかいられない身体を
モゾモゾと必死に動かそうとしている姿が目に入り、愕然とする。

もしも私が来なかったらこの人は、
このままの姿勢でずっといなければならなくって・・・
喉が渇いても、手を伸ばしてお茶さえ飲むことができないでいるのだろう…

起きあがり外の景色が観て見たくっても、
ナースコールを押す事さえままならないのだ。

でも・・・

それでも生きていかなくてはならないのだ。

QOLは、とても大事だと改めて考えてしまうのだった。



あんなに嫌がっていたのに・・・
最後だからと抗がん剤治療を選択してしまった過ちを、
身にしみてしまっている自分に今日気がついた。

 

 


2001年09月09日(日)

朝していることが、
あなたの未来を作る。
夜は、回収の時間。
朝は、投資の時間。

+++朝に生まれ変わる50の方法+++より


ふむふむ・・・
病院へ行く時間帯を変えてみようかな〜なんて
ふと思ったりしているものですから…
このような書物があったことに気がついて
久しぶりに開いてみました。

朝ねえー・・・
ペースアップしなくちゃかなー

 


2001年09月08日(土)

だいぶ元気になってきた。
煙草がないと言いだしてるし復活のきざしが(笑)

白血球は注射でなんとかかんとか上がってきているらしいが、
血小板がどーもいまひとつらしく…
う〜〜〜〜ん…

食事は表面だけサラッと口をつける程度かな。
何せ加熱食だからあまり美味しそうじゃないし。
肉じゃがを作っていったので、牛肉をご飯にのせて食べさせた。
「おいしい?」って聞いたら「・・・」って無言で首を横に振るし(怒)
でもその仕草がカワイイから許すけど(笑)

意識の方も、だいぶハッキリとしてきている。
まあ、所々にトンチンカンな部分が残っているけれど、
私に話しているうちに、自分の言ったことが少しおかしいと感じるらしく。
「あ・・・違った、そうじゃなかった…」みたいな訂正をするようになった。

帰るからね…と声をかけると
「俺も帰るよ…」と言い出した。が、すぐにハッとした表情で、
「そっか…まだ帰れないのか…」と思い直すようになった。

置いてかれる彼は、とたんにベッドの上で無表情に天井をみつめてしまう。

そんなことの繰り返し…
そんな毎日までもが彼を苦しめるのだ。




帰りは雨がひとしきり強くなってきて、
まるで彼の悲しみが追いかけてきたようだと思った。

 


2001年09月07日(金)

死は誰にでも訪れる自然なことなのだが、
自然だからこそ恐怖がつきまとう。

ましてやガンで闘病という事態になれば尚更のこと。

目の前の今日一日をどうするか…
それが精一杯で生きているんだよね…

抗がん剤の点滴をひいて歩く人々。
足が弱ってきてしまい、今日は車椅子で出歩かなければならない若者。
リンパ腺の手術を控えて、片方だけ髪の毛を剃らなければならないと嘆く人。
この間嬉しそうに退院していったのに、またパジャマを着て病棟を歩く人。
最近パッタリと出会わなくなった人。

様々な様子を日々感じながら
心を痛めたり微笑んだり。
ここにいる限り、苦しんでいるのは自分だけではないという救いと、
やり切れない空虚な気分が交叉する。
健康な人間の違和感なのかな。
この先に訪れるであろう予測的なものへの恐怖なのかな。

人生は綱渡りだね。

疾患は治療を、病気には癒しを。
生きるという権限は、あくまでも患者自身だけの権利である。

だからこそ苦悩するのだろう。
生きるという当たり前なことを、
真剣に考えなければならないから。

死を目前にした生きる道を。

 


2001年09月06日(木)

柳美里さんの本を初めて読んだ。
病院のボランティア図書の棚にあったから。

『肝心なことを言わないのも嘘をついているのと同じことだ』

この一節…言葉で謎がとけた。
あたり障りなくお付き合いしているなかに、
なぜか嘘つきっぽい匂いのする人々がいる。
だから「あたり障りなく」のお付き合いになるのだろう。

会話をしていても「んむむ…」とココロのなかで考えこんでしまうのよね、肝心なことを言われないと。
あれれ?っていう間に話しをすり替えられていたりすることを
私が気がついていないと相手はタカをくくっているのだ。

まあ、こういう類にはツッコミをいれないことにしているし
嘘の上塗りされても気分悪いだけだから放置しておくだけなんだけどね。

主治医との会話や様子を
妹に報告しながら大爆笑できるのは、
あの先生があまりにも「肝心なこと」を容赦なく私に話してくれるからだ。
しかも最上級にわかり易い言葉で(笑)

話しの内容は悲惨だけど、会話の風景は、笑えるでしょ。
こ〜んなこと言ってくれちゃってさあ〜ってことを
さらっと笑える人物にさっそく電話してみたりして。

「なに・・・」と第一声のうがちゆみ。

「・・・(笑)」とヘラってるみかん。

「…げっ、やばいし。笑ってる…」と不信な声のうがちゆみ。

私は、ホトホト悩んで困っているときは、ヘラヘラ笑ってしまう人間だ。
それを瞬時に、しかも電話で察知する妹うがちゆみは、
たいしたもんだと非常に感心したりするわけだ。

上っ面だけでも笑っていられる。
ちょっとは話しが軽くなるもんね。

「肝心」なことを私にわかり易く言って聞かせてくれることが、
とてもアリガタイと感じる性分なのだ。

そして逆に、その底にある真の「肝心」なことに
触れないでいてくれることに、ホッとしたりするココロもあるわけだ。
だって、その部分は自分にしか解明できないことだからね。


おかげさま。

 

 


2001年09月05日(水)

気に入らぬ
風もあろうに
柳かな

往復のバスの道程でみつけた言葉です。
お寺の前にありました。



また熱があがってしまい、ずっと眠ったまま。

夕食の時間だからと起こしても、目は開けるけれど目覚めない。

起こしても、またすぐに眠らせてしまうわけだし・・・
かわいそうだから、そっとしておくことにした。

点滴も、生理食塩水から栄養剤に替わってしまったし・・・



婦長さんが心配して声をかけてくださった。
彼が眠っているから、しばらく立ち話をしていた。

おかげさま。。。

 


2001年09月04日(火)

When you stop looking for something, you see it right in front of you


MRI撮影だった。
私が病室へつくと、ちょうど撮影から戻ってきたところだった。

今までのように、マスクをしながらタバコを吸いに連れて行くのは絶対ダメだから、
夕方4時過ぎに行き、夕食を介助して食後の薬を飲ませて、
歯磨きをさせて眠りにつかせる…という
パターンでしばらくいくことにした。
婦長さんの「それでいいんですよ…」というお言葉で決断したのだ。

もう動きたいという要求をしなくなってきたのだけれど、
だけど何かの拍子に、何かがココロのなかに不安な影を落とすときがあるらしく、
時計と携帯と、そして帽子を枕元に持ってこさせては、帰る準備をするようだ。

「イモウト…おれのイモウト…げんきかなあ」

?彼には姉と弟しかいないのに・・・

「ん?あなたの妹?弟じゃあなくって?…」

「なにいってるんだ、いるじゃあないか、いもうと・・・」

「・・・!ああ、私の妹ね(笑)」

「ちがうよ、おれのいもうとだよ・・・」

「うふふ、まあ、私の妹だからあなたの妹にもなるわけだけどね…」

「ゆみ」

「あー、ゆみちゃんね、元気だよ。仕事が忙しいって言ってる」

「いろいろやってもらったから…ぐあいがわるいんだったら行ってあげなくちゃ・・・」

「・・・具合は良くなったって…じゃあ電話してみよっか」

「うん、あした、でんわする・・・」

こんな会話が突然飛び出してくるのは、日常茶飯事なことだ。
脳外科患者特有の神秘なひらめき…っていうのかなあ・・・

純粋なんだよねー・・・

この会話の前には母のことを思い出していた。

「あいたいなあーおかあさん」

って感じでね・・・

小さな聞き取りにくい声で話すから、
思わず身を乗り出して顔を近づけて真剣に聞いていると
フッと思い出したように、ニヤニヤしながら
私の顔をゲンコツで押し返すのだ。

照れ屋だからね。



それにしても、私の妹は二人いるんだけどね(笑)

 

 


2001年09月03日(月)

白血球100・・・
血小板4200・・・

白血球の数値があがっていかなければ
感染症で死亡する確率が高いわけで・・・

現在微熱あり。

しかもショックなことに
実は右脳術痕に腫瘍が出現していた・・・(泣)
それも2ヶ月前から先生はわかっていたらしい。

私があまりにも彼の頭がおかしい、おかし過ぎる!と訴えると
おもむろにMRI写真を取り出して見せてくれた。
その部分は2回も開頭して、あげくに相当な照射量で放射線をかけたにもかかわらず!!!

先生にしてみれば、脳腫瘍よりも優先すべき治療は脊髄、特に頚椎にある腫瘍が最優先だったわけで、
脳腫瘍はすぐにでも影響を及ぼすような大きさではなかったから
様子を見ていたんだけれどね…とのお言葉。

なんと、7月より8月の写真で見た腫瘍の方が
あきらかに縮小していっているのだ。

なんてこと・・・肝心なところには効きが悪いというのに脳腫瘍には効果があるなんて?!


ポッカリと空いた術痕のへりに、
くっきりと浮かび上がっている白い影。

いったい、何をそんなに苦しめたいというのだろう。

彼の脳みそは、そんなに居心地がいいのだろうか???

しかし、現時点でこの腫瘍の影響はないのだという。

彼の意識状態の悪化は、この腫瘍が影響しているとは思えないという。
あくまでも精神状態の悪化及び、様々な治療の後遺症だそうで・・・
脳も、手術で摘出している分は一般のひとより多少は少ないかもしれないけれど、
でもいっぱいまだあるわけだから、あくまでも脳の状態が悪いわけではないと・・・




これから先、開頭手術は無理だろう。
このまま腫瘍が大きくならないことを祈るだけだが・・・



全身侵されているのだ。
はたして内臓は大丈夫なのだろうか?
便が出ないのは、腰髄の腫瘍が影響しているだけなのだろうか?
大腸に腫瘍があるのでは?

全て疑いたくなってくる。

 


2001年09月02日(日)

つらいなあ・・・

いつもと違うんだよなあ・・・

なーんて言っていいかわかんないんだけど。

涙が出てきちゃうんだよねー寝顔を見ていると。

赤ちゃんのように、ベッドの上で、おとなしく独り遊びしているんだよ・・・
顔を見せると嬉しそうに笑うんだ・・・
そしてまた自分の世界へと入っていって、
ひとしきり何かモニャモニャと考えていたと思ったら
スーッと眠りについている・・・


こうなるしかなかったのかな・・・

もう元気にならないのかな。
タバコを吸いに行きたいってせがんでくれないのかな。
早くこいって電話してくれないのかな。
淋しいんだよって訴えてくれないのかな。
クリームソーダ一緒に飲んでくれないのかな。


おねがい。。。


2001年09月01日(土)

衰弱のしかたが、あきらかに今までと違う。
眠り方も、静かにスヤスヤとして・・・

冗談を言ったり笑ったり、楽しそうにしているのだが
弱々しい声であり、痰もからみがちだったり・・・

「もう帰りたいです、生きているのがつらいです。帰らしてください」

熱にうなされたように、抑揚のない言い方で、
看護婦さんに訴えていた。
回転の悪くなった脳で、精一杯感じたことなのだろうか?

「俺は身体障害者じゃないよ、健康な人間なんだから、元気になるんだから」

私が顔を見せたとたんに無表情に、抑揚もない声で、
まるで独り言のように吐き出してきたのだ。
記憶の欠片のなかから拾い集めて、主張してきたのだと思う。

もしや、眠っているようで眠っているのではなくて
様々な思いや苦悩に、翻弄されているだけなのだろうか・・・

彼はまだ、自己の世界へ入りきってしまうことを必死に拒んでいるのだ。きっと。
空想の世界から急に現実的な言葉が飛び出してくる・・・


少しづつ少しづつ
健康だった彼の姿や精神が
目の前から失われてゆく。

少しづつ
さよならして行くんだね。

寡黙な優しさを持つ彼らしく。



いやだな・・・
彼の影が薄くなっている。
全てを丸く包み込むような雰囲気を
身体中から発している・・・
父がそうだったように。

 


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